あいのことば-3-

月に着いた彼らは地下渓谷に潜り込んで、フースーヤとゴルベーザの後を追った。
どれだけフースーヤ達が力を持っているのか彼らは十分過ぎるほどわかっていたけれど、ゼロムスの計り知れない力を考えれば少しでも早く2人に追いつかなければいけない。そのあせりに反して、彼らはなかなか先に進むことが出来なかった。
地下渓谷に巣食う魔物達は、邪悪な気を放つゼロムスに影響されてか、常にざわざわと蠢き、侵入者達に対してとても敏感だ。彼らはその魔物達に何度も行く手を阻まれながらわずかずつにしか先に進むことが出来ない。
初めの数日間は(とはいえ、ここでは正しい日にちの感覚なぞありはしないが)魔導船まで戻って回復ポッドの世話になることになった。回復ポッドはとても効率のよい回復を彼らにもたらしてくれたし、慣れない月での探索を続ける彼らにとって、あの地下渓谷にテントを頼りに潜り続けることはかなり苦痛だったからだ。
さすがに数日過ぎた頃から彼らも地下渓谷にい続けることが精神的にも可能になり、最下層にいつたどり着くか、というまで深層に探索は及んだ。それでも都度蓄積される疲労が軽減することはあまりなく、テントで一度眠りにつけば深い眠りに入りがちになっている。
「リディア、今日は先に寝ていいから」
セシルがテントを張りながらリディアに声をかける。それをセシルの足元にしゃがみこんでちまちまと手伝っていたリディアは驚いて顔をあげた。
「えっ、いいの?でもこの前もその前も、わたし、先に眠らせてもらって・・・」
「いいよ。ローザも先に休むといい」
「ええ、じゃあ先に休ませていただくわ。いつも気にかけてくれて、ありがとう」
ローザはそう言って少しだけ離れたところで食事の後片付けをしている。基本的に彼らの食事は持ち歩きの保存食がメインで乾パンと何か、という形だ。それでもローザは何かひと手間いつもかけて提供してくれる。また、セシル達がテントを張っている間にエッジは見張りに立っていてくれていた。
「でもお、いつもわたしだけ・・・」
リディアはまだそう言って困っている。
それへはセシルと共にテントを張っていたカインが
「リディア、休むのも大切な仕事のうちだと思ってくれ。それぞれが得意分野があるんだ」
そう声をかける。作業を続けながらなのでリディアを見るわけではないけれど。
「・・・うん。そうだよね。わかった。ごにょごにょ言ってごめんなさい」
ごにょごにょって、とセシルは顔をほころばせるけれど、カインはそれ以降無言でテントを張るためにしゃがみこんだ。ロープを強く引いて固定をする作業に没頭しているようだ。
リディアはセシルの足元でテントを張る道具を整理していたから、反対側にいるカインがしゃがんでしまうと彼の姿は見えない。
やがて、カインが作業を終えて声をあげるまでリディアは少しばかり所在なく座り込んでいた。
「固定出来たぞ」
カインが反対側から声をかけるとセシルは嬉しそうに笑う。
「ああ、カインはテント張りは上手いなあ」
「遠征が多かったからな」
バロン国の竜騎士としてカインは幼い頃から遠征に行くこともしばしばあった。竜騎士になるために竜が生息している地域で修行を行うことも何度かあり、そこではテント生活を余儀なくされていた。セシルはどちらかといえば赤い翼団長に就任してからの遠征が多かったから、カインと違ってテント張りをそう多くやってきたわけではない。
ハイウィンド家の人間としてバロン国では特別な目で多少見られたものの、遠征にいってしまえば他の騎士達となんの変わりもない。
そんな話をしている2人をリディアはしゃがみこんで下から見上げていた。
そしてカインは彼女のその視線に気付いていたけれど、セシルにテントの張り方のコツを聞かれて、彼にしては馬鹿丁寧に答えている。
こんなに近くにいるのに、なんだか遠い。
胸のあたりが、ずきんと痛んだ。
リディアの。
そして、カインの。

もどかしい恋。
そうではない。恋というものはいつでももどかしいものだとカインには思える。
あまりにローザのことを思っていた時間が長すぎて、彼は恋をしていなかった頃の自分がどうで、恋をしていることとしていないことがどう違うのかすらよくわからない。
それは頭で考えることではないし。
だというのにカインは、「何かが違う」と感じていた。けれどもその正体不明の「何か」は彼の中で大きくなっていたし、もはや目を背けられないほどの圧迫感を彼に与えていた。
その「何か」はカインの心の、これまた「それ」とは違う「何か」を刺激して、得体の知れないものを口から吐き出そうとする。
けれども一体それが何なのかわからないカインには、その作業がうまく出来ない。
リディアの声を聞き、リディアの顔を見るたびに、その「何か」は心の中でゆらりとうごめいて、彼の声帯を振るわせようと必死になってもがく。けれどそれは正しい形に変換されない。
彼の口からは何の音が出るわけでもなく、きっとそれでも無理矢理押し出せば「うう」とか「ああ」とか意味不明のものになってしまうに違いない。それは明らかだ。
だから、彼はただ静かに、もどかしさにあせりながらもその「何か」が自分にとって正しく音として言葉として口に出せる時を待っていた。
わかっていることはたったひとつ。
それは、リディアに伝えたいものなのだということだけだ。
「カイン」
セシルに声をかけられてカインは顔をあげた。2人の間には小さな炎が静かに揺れている。見張りの間に彼らはこれからのことやゼロムスのこと、月の民のことと話題にことかかなかったけれど、なんとなく最後にはお互い黙りあって炎を見ていた。その沈黙をやぶったのは、話終わってからどれくらいたったころだっただろうか?
「なんだ」
「そろそろ交代の時間だから、僕はテントに入るよ」
穏やかにそう言ってセシルは小さく微笑んだ。今日はセシルとカインが最初に見張り番になり、途中でセシルはエッジと交代することになっていた。それから明け方にはカインがローザに。最後にまたエッジがリディアに。出来るだけ女性達が休めるように、と配慮したローテーションだ。
「ああ、そうだな。エッジを起こしてやってくれ」
わかった、といいながらセシルは腰をあげようとして、それからまたもとの位置に座りなおす。
どうした?といいたげなカインを真正面から見て、セシルは気がかりそうに軽く眉根を寄せて声をかけた。
「なんだか、とても思いつめた顔をしている。ここ数日の君は、様子が変だよ」
「・・・俺がまだ操られているとでも思うか?」
「何を言っているんだい。そういうことじゃない・・・僕は君のことを思いやってあげられなかった駄目な友人かもしれないけれど、これぐらいはわかる。言っただろう、思いつめた顔、だって。何をそんなに深く考えているんだい」
セシルはちらちらと揺れ動く炎の向こう側でカインに静かにそう言う。
たまらないな、とカインは苦笑をした。気付いて欲しいことは気付いてもらえないのに、気付いて欲しくないことに気付かれる。もしかして自分達はずっとそういう間柄だったのかな、とも思える。それでもカインはセシルを好ましい男だと思っていたし、彼の口からでた「友人」という響きはとても心地よい。自分も、セシルにとっての友人でありたいと思っているし、いつでも力になりたいと思っていた。
けれど、今のセシルの言葉にどう答えていいのかはカインにはよくわからない。
「ローザのこと、と言ったらどうするつもりだ」
「・・・どうもしないよ。それに関しては僕は君を助けることが出来ないのだろうし」
セシルはわずかに不快そうに顔を歪める。それは、ローザのことを言われたことに対する不快さではない、とカインは一目でわかった。
カインの言葉が嘘だとわかり、試されるようなことをされたことに対する不快さだ。
「ああ、すまない。そういうつもりじゃなかったんだ」
「・・・じゃあ、どういうつもりなんだい。君らしくもない。ローザのことじゃあないんだろう?」
「まったくない、というわけではないけれど」
「どうやら僕では君の助けにならないようだね」
「・・・ローザのことを思っていた時間はとても長かった」
「・・・」
「だから、そうではない自分に、とまどっているだけだ」
「カイン」
セシルはそれ以上何かを言おうとして、口を開きかけた。
軽くカインは肩をすくめて、いかにも「余計なことを言った」といいたげな表情を見せる。それは長い間一緒にいたセシルにしか気付くことが出来ない、珍しい表情だ。エッジが見ては「なんだよ、何か言いたいのかよ」と難癖つけるに違いない。
「・・・じゃあ、僕は先に眠るよ」
「ああ」
セシルはカインの横をすり抜け、テントに向かって行った。深く追求しないこの親友の優しさがカインの身にはいやというほどしみていた。

セシルが去ってしばらくしてから、テントの方から足音が近づいて来た。
けれど、その足音はカインが思っていた人物のものではない。それがわからないほど彼はぼんやりとしてはいない。
「・・・どうした、エッジじゃないのか」
カインは振り替えずにそう言った。彼の横を通過してリディアは先ほどまでセシルが座っていた位置に腰をかけ、笑顔を見せながら彼に言う。
「エッジは今日疲れてるから、明け方の番にしてくれって・・・わたしに頼んできたから、交換してあげたの」
「そうか」
リディアはそういった嘘はつかない。だから、エッジから声をかけられたことは本当なのだろう。もちろん、エッジの言葉が本当か嘘かまでカインに測ることは出来なかったが。
カインは小さな炎を見つめるだけで、リディアを見ない。
もともとこうやって2人でいても、そうそう多く会話が続く間柄ではなかった。
だから、カインは自分を好きだというリディアのことも、リディアを好きだという自分の気持ちも、なんだか信じ難い。いや、さすがに自分の気持ちの自覚はあったけれど、その気持ちがこの先に持続するのかというその保証のようなものがカインには計ることが出来なかった。
好き、と感じた相手からの好意を簡単に受け入れてしまうことがカインにはとても難しい作業に思える。
受け入れるということはなんらかの責任を負うことだ。
(泣かせんなよ)
エッジの言葉を思い出してカインは目をそっと伏せる。
俺がリディアを泣かせる?それはリディアの好意を無下にすることだろうか。そうではない。カインはあまりに慎重な自分の恋を思って溜息をひとつついた。自分がリディアを泣かせる。その言葉は、リディアの好意を受け入れても、まだなおローザへの思いを断ち切れていなかったら、という嫌な未来図すら彼に思い描かせる。
「カイン、どうしたの?疲れたの?」
「あ、いや、なんでもない・・・ちょっとだけ考え事をしていたんだ。すまないな」
「ううん、だったらいいんだけど」
目の前でそういって首を軽くかしげて笑顔を見せる少女は、そっと指先で髪留めに触れた。そして、話題をするりと変える。それはカインのためだろうか?
「明日くらいには、ゼロムスのところにいけるのかなあ?」
「そうだな・・・かなりの下層に潜り込んでいるはずだし・・・そろそろだと思うけれど」
「フースーヤとセシルのお兄さん、無理していないといいんだけど」
セシルのお兄さん、か、とカインは苦笑を見せる。簡単にその真実を受け止めることが出来るこの少女のそういうところは好ましいけれどもカインにとってはどことなくもどかしささえもあった。
ちらちらと揺れる炎。
照らされたリディアの髪と瞳の色は不思議な赤味を帯びてくすんだ橙色に見える。
そんなことをカインが思っていると、リディアはふと
「カインの髪の色、綺麗ね。ローザよりも金色が深いんだね。こーやって火に照らされるとねっ、もっと深い色・・・えーとねえ、琥珀の色に見えるよ。なんだかうらやましいなあー」
一瞬不意をつかれたようにカインは息を飲んだ。
自分と同じようにリディアがここで、こうして向かい合っている人間の髪の色・・・炎に照らされて彩りが変わっているその色味・・・を気にしていたこと、そして、彼女の口から琥珀という色の言葉が出たこと。もしかしてリディアもローザにその色の名前を教えてもらったのだろうか?
「むかしお母さんに読んでもらった絵本のお姫様も王子様も髪の毛金色だったの。カインとかローザとか、ギルバートのおにいちゃんみたいな感じの色でね。綺麗だなあって思ってたんだあ。憧れていたの」
そう言いながら小さく微笑むリディアの視線は、カインの髪に、顔に向けられている。カインは彼女と視線を合わせることは出来なかったけれど、とても素直に答えることが出来た。
「リディアの髪の方が、ずっと綺麗な色をしているのに」
「え」
「俺の髪なんかより、リディアの髪の方が・・・」
そう言ってから、彼は自分が一体何を口走っているのか、とはたと気付いた。慌ててその先を意識的に封じる。
「・・・っ・・・」
言葉を飲み込んで、それから逆にそれがどれだけ恥ずかしいことなのかがじわじわとこみ上げてくる。
そんなところで自分は、言葉を切る人間だったか?
確かに自分はあまりそういう賞賛の言葉は自分から言わない人間だったけれど。
言うならば、もっとさらりと。
俺の髪なんかより、リディアの髪の方がよほど綺麗だと思うがな。
そこまで言い切ってしまえばいいのに、何を自分は言葉を止めてしまうのだろう。人の容姿を褒めることは悪いことではないし、一度口に出したことを最後まで言わないのは不自然極まりない。
小さな焦りでそっとリディアに視線を移す。と、彼女は火に照らされたせいか、わずかに頬を紅潮させてカインと視線を合わせる。そして明るい声で
「ありがとう!褒めてくれてるのよね。嬉しい。わたし、お母さんと髪の色が違うから、ずっとなんだかこの髪の色が好きになれなかったの」
「・・・そうか」
母親のことをリディアの口から聞くと、カインの胸はつきん、と痛む。それでもそれを表情に表すまいと彼は無理矢理小さく口元をあげて、笑みを見せた。そしてそこで笑みを見せることすら、彼女を傷つけないだろうか、と思い当たってしまう。
「カインに、褒めてもらえるなんて、嬉しいな。うふふっ・・・」
「・・・そうか」
同じことしか呟けないのか、俺は、とカインはほとほと自分に呆れた。
ふう、と小さな溜息をついてカインはうつむいて髪をかきあげる。
その様子に気付いてリディアは軽く腰を浮かせてカインに手を伸ばした。
「・・・どうしたの、カイン、具合悪いの?」
「いや、違う、大丈夫だ」
カインの言葉を聞いて、伸ばした手を所在なさそうに引き戻し、胸元で小さく拳を握る。
しばらくリディアはカインの様子を見ていたが、何も言わない彼に痺れを切らしたように、わずかに困ったような表情を浮かべて問い掛けた。そして、カインはその問いかけに愕然とする。
「わたしがいると、カインは困るの・・・?」
「!」
わずかに眉間に皺をよせて、リディアは悲しそうな表情をカインにむけた。
胸がつまる、とカインは目を見開いて彼女を見つめた。目を逸らせないほどにリディアのその表情は悲しげで、そして話の流れとはいえ、深い決意に似たものを彼に感じさせる。
「わたし、口に出した言葉が戻らないって知ってるもの。だから、カインがね、わたしが言ったこととかで嫌な思いをしているならね、謝る。でも、それじゃあなかったことにはならないんだもん。そしたら、どうしたらカインはそんなふうに溜息ついたりしなくなるの?ねえ、やだもん。教えて。わたし、いない方が・・・いいの?わたし、月に着いてきちゃあ・・・いけなかったのかなあ?」
ああ、そんな彼女を見てしまっては。尚更カインは自分がどれだけどうにもならない臆病者で、彼女を傷つけてしまっていたのかを身にしみるばかりだ。違う。リディアはそんな風に傷つく必要はない。カインは彼女のその思い込みだけは今すぐ否定して、助けてあげなければいけない、と、うまく言葉が出ない不器用な自分に必死に鞭打って声を無理矢理絞り出した。
「リディア、違う・・・」
「だって・・・」
どうしてなのだろう、とカインは思う。
リディアは自分のことを好きだと言ってくれた。
自分は、まだリディアを好きな気持ちから目を背けようとはしているけれど、それでも彼女に好意をもっていることをもはや認めないわけにはいかない。
けれど、こんな表情をリディアにさせてしまうのは、他の誰でもない、自分だ。
「いない方がいいのは・・・俺の方だ」
「カイン!?」
リディアは彼女にしてはめずらしく声を荒げた。
「だから、そんなことを言うな。リディアがいても俺は困らない。誰も、困らない。でも、リディアが笑えないことは・・・困るんだ。俺のせいでリディアがそんな顔をするなら、いなくていいのは俺の方だ」
「カイン・・・」
言ってしまった。後悔はなかったが、ぬぐい切れない恥ずかしさがカインを襲う。
それらの言葉は、自分のリディアに対する好意の表れだ。それを自分で認めた瞬間の気恥ずかしさからくる照れで、彼はリディアの顔を見ることが出来ずに、ふい、と視線をはずした。
「それに、リディアは・・・あんな風に裏切ってしまった俺のことを、恨んでいるんじゃないのか」
「・・・え?」
「だから、そんな俺のために、気をつかうことは・・・ない」
「何のこと・・・?わたし、カインのこと、うらんでなんていないよ・・・?」
リディアは一層眉間に皺をよせて、わずかに掠れた声でカインに問い掛ける。腰を浮かそうとしたけれど、2人の間を阻む炎に気おされてしまったように、ぺたんともう一度座りなおす。
「俺の洗脳がとけて、みんなのもとに戻ってきたとき・・・」
リディアは、俺に一言も声をかけなかった。そう言ってしまうことは、とても恥ずかしい期待を彼女にしていた自分を赤裸々に表すことではないのか、と思い当たってカインはまた途中で言葉を飲み込みそうになった。
けれど、体のどこか、いいや、心のどこかで、言ってしまえ、と彼を急かす声も聞こえる。何かに押されたようにカインは言葉を続けることが出来た。
「リディアは帰ってきた俺を見て・・・どう思った?あのとき、何も俺に言わなかったのは、リディアが・・・」
ん?とカインは折角の告白の言葉を切った。
何かの気配がする。
と、そのとき、リディアの後ろにゆらりと大きな影が動いた。リディアはまったく気付かない様子だ。
「ちぃっ!」
片時も手元から離さない槍を右手でがしっと掴み、カインは俊敏な動きを見せて立ち上がる。
「え・・・?」
彼の動きからただならぬ状態を感じ取り、リディアは体を強張らせた。そのときに自分の頭上に何かがやってきて、影をおとしたことに気付く。
「リディア、逃げろ!」
「・・・きゃあ!?」
リディアの背後から忍びよってきたのは、レッドドラゴンだった。
彼らがテントを設置していた場所は不思議な力・・・それはクリスタルの力に近い、と彼らは思っているのだが・・・で結界を張られているはずで、魔物は近づいてこないはずだ。けれども時折、その効力を無視して魔物が姿を現す場合がある。それを警戒しての見張りなのだが、こうやって戦う羽目になることがあるとは、正直あまり思ってはいなかった。
ドラゴンは彼らを見つけて、リディアに向かって前足を振り下ろして来た。
「きゃ・・・」
突然の背後からの一撃を避けようとリディアは必死に立ち上がって動く。その脇をカインがすり抜けてドラゴンに向かって行った。彼の視線はもう、ドラゴンの急所を見据えてそこから動くことがない。足元の確認が出来ているのかすら人を不安にさせるほど、そのときのカインの視線はその一点だけに集中される。
「・・・大人しくしろ!」
槍をぎゅっと握りしめ、カインは竜騎士独特の構えを見せた。そして、鍛えぬかれた跳躍力を見せてレッドドラゴンへの攻撃を仕掛ける。
彼のその一連の動きは非常に滑らかで、リディアはいつだってそれがなんだかすごい、とみつめているのだけれど、彼はそのことをこれっぽっちも知らないのだろう。
彼の跳躍は、いつだって美しい。
セシルもローザも、そしてエッジさえもそう思っている。
けれど、やはりカインはそれに気付くことはないのだろう。

やがて手痛い一撃をカインにくらったドラゴンは、珍しくも逃亡をはかった。攻撃を受けて弱まったドラゴンはついに結界の力にも怯えて、それ以上暴れることなくすごすごと退散したというわけだ。なんとなく申し訳ないなと思いながらカインは槍を持つ手の力を抜いた。そして、突然のことでへたりこんでいるリディアの元に戻ってくる。
「大丈夫か、リディア。立てるか」
カインはすっと左手をリディアに差し出した。恐る恐るリディアはその手に自分の手を重ねて、赤くなりながら礼を言う。
「・・・う、うん・・・ありがとう・・・・」
本当はカインの力を借りなくとも立ち上がることは出来た。けれどリディアにとっては、そうやって彼が手を差し伸べてくれたことが嬉しくて仕方がない。そして。
「怪我はないか?」
「・・・あ・・・」
「リディア?」
妙な間の後で、リディアは慌てて返事をした。
「あっ、うん、大丈夫よ」
「そうか」
カインは別段「よかったな」なんて言葉は口にはしない。ただ、少しだけほっと表情を緩めてリディアを見る。
リディアはその顔を見てしばし呆然としていた。瞬きをすることすら忘れて、じっと視線を注いでしまう。
彼女の様子を見てカインは軽く眉根を寄せた。
なんだか、リディアの様子がおかしい・・・。
立ち上がったというのに自分の手から離れない彼女の手を不思議そうにカインは見つめ、それからリディアの顔を覗き込んだ途端
「カインっ・・・。ごめんなさいっ・・・」
「え?」
リディアはうつむきがちに彼から視線をそらした。二度三度と瞬きをして、どうしよう、言おうか、言うまいか、と悩んでいるように小さく首を傾げ気味にしては、傾げたほうの肩を軽くあげる。その仕草で、ただでさえ狭い肩幅がより一層狭まり、小柄さが強調される。
「ごめんなさい、わたし、物凄く思い違いしていた」
「な、なんだ、やぶからぼうに」
「わたし・・・わたし」
やがてリディアはそう言いながらカインを見上げて、そして両目の端に僅かに涙を浮かべた。驚いたのはもちろんカインの方で、一体自分に何かまたもいたらないことがあったのか、と慌てふためく・・・けれど、それを彼は表情には出さない。
「・・・どうした、落ち着け」
「あのっ、あのね。カイン。わたし、すっごい、カインにね、失礼なこと言った」
「何だ?全然わからないぞ」
「・・・だって。わたし・・・ものすごい勘違いだったんだわ」
勘違い、という言葉でカインは一瞬息を止めた。
それは、リディアの気持ちを知ってから、あるいはリディアへの気持ちに気付いてから何度も何度も彼女に、自分に言い続けていた単語のように思える。いや、実際口に出した回数なぞ、たかだか知れているが・・・。けれど、いざそれを彼女の口から聞くのは彼に妙な胸騒ぎを覚えさせた。
「なんのことだ」
「カイン、わたしにも、そんな優しい顔してくれるんだもの。ローザにだけじゃ、ないのね。わたし、わたし、カインのこと好きなのに、カインのこと見ていなかったのかも」
「・・・!」
俺が、優しい顔を?カインは戸惑いを隠せなかった。
いつもの彼は頭部を冑で覆っており、わずかな隙間からしか表情は見てとれないはずだ。けれど、火の側にいた先ほどから彼はその美しい金髪をリディアに見せており、いつも以上にその表情が簡単に読み取れてしまう。
だからなのか?いや、しかし。
「何で、泣いているんだ」
カインはわずかにどもりながらリディアに聞いた。
まだ涙が止まらずに、ほろりと彼女の白い頬を伝おうと瞳の端から緩やかにこぼれようとしている。
それを慌ててリディアはごしごし、と手でこすった。
「あのねっ、だって・・・」
「・・・」
「カインの、その顔・・・そのう・・・ローザにしか見せないと思ってた、優しい顔みたときにね」
「・・・」
「わたし、とってもカインのことが好きだって思ったの。そしたら・・・」
リディアは恥ずかしそうに頬を紅潮させて、一瞬躊躇った。
自分の涙で濡れた手をそっと見てから、反対側の手でその部分を隠して胸の前でぎゅっと握る。
見上げたその緑の瞳から目をそらすことが出来ずに、カインは息を止めた。
「涙が出てきたの。涙って、悲しいときとか、恐いときとか、あと、嬉しいときにも出るじゃない?でも、どれでもないんだ」
「・・・どれでもない・・・」
「好きって、思うだけで、涙が出てくるんだね」
「・・・っ・・・」
その瞬間。
カインはそっとリディアに手を伸ばして、その小柄な体を抱きしめようとした。
少しだけ驚いた表情を見せてから、リディアは瞳を閉じてカインの腕に体をあずけようとする。
けれども、お互いに感じ取ったはずの気配はわずかな一瞬で、リディアの腕を引き寄せようとするカインの手は、突然彼女を押しやった。
「カイン・・・っ?」
「・・・・すまんっ・・・」
「ど、どうしたの、カイン・・・」
突如カインはリディアに背をむけ、槍を握り締めたままうつむいた。
それは、拒絶の意味なのだろうか。
まだ大人の女性には到底遠いリディアにだってわかる。さっきのあの気配は、恋人同士の抱擁の気配だ。なのに、カインは寸前でそれを拒否するように背を向ける。
「あのっ・・・・あの、違うのっ、カイン!わたし、カインが戻ってきてくれて、すっごく嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて・・・」
「・・・」
「わたし、いっつもなんでもかんでも言葉にしちゃうからっ・・・だから、いけないんだと思うんだけどっ・・・」
カインからの返事はない。
「あのときは、わたしでも、言葉に出来なかったのっ・・・。おかえりなさいって。おかえりなさいって言えればよかったのに、わたし、嬉しくて・・・嬉しすぎてっ・・・」
たどたどしくリディアはカインの背中に言葉を投げかけた。
それでも返事が無い彼のその態度に軽く唇を噛み締める。
「カインっ・・・」
リディアはカインの前に回りこんだ。
魔導船に乗り込むときに、ローザの前に回りこんで、自分の気持ちをも押し通すために食糧庫の扉を自ら開けたときのように、素直に、カインへの気持ちだけで。
が、しかし、
「見るな!」
カインの厳しい声に、リディアはびくっと身を竦める。
前に回ったリディアから逃れるように、カインは体をよじって、またも向きを変えた。
「・・・カインっ・・・」
がらん、と槍がその手から落ちる。そして、その唇から、呻きにも近い声が漏れる。
「・・・なんで俺は今こそ・・・冑を被ってないんだ・・・」
「カイン」
「見るな・・・」
リディアは驚いたような表情を浮かべていたが、やがてそれを緩和させて、微笑にすらとれるように、軽く口端があがった優しい顔つきでまたもカインの前に動いた。
もはやカインはそこから更に逃れようとはせずに、リディアとまた向き合う形になった。
「見ちゃ、駄目なの?嫌?」
「ああ・・・」
「わたしだから?それとも、誰にでも見せたくないの・・・?」
「リディアだからだ・・・」
「そんなにわたしのことが嫌いなの?」
「・・・そうじゃない・・・」
カインは前髪をかきあげるように手で顔を覆う恰好になってうつむいていた。その腕をささえるように、肘にもう片方の手はかけられている。
そして。
彼は、わずかに震えていた。
「まいった・・・リディアの言う通りだ」
「・・・なあに?」
「言わせるな・・・」
「わたし一人だけで、さっきの続きしてもいい?」
「続き・・・?」
リディアは顔をあげないカインの胸元にそっと体をくっつけた。
彼の鎧はごつごつしていて、正直なところお世辞にもくっついて気持ちがいいものではないけれど。
「カインが許してくれるなら、わたしが、そのお、カインのこと、抱きしめてあげる。だから、もう、泣かないで」
そう言ってリディアはカインを見上げて、小さく笑った。
「いなくていいなんて、言わないで。カインが戻ってきたとき、わたし、本当に嬉しかったんだもの。また、あんな気持ちになるくらいなら、わたしがいなくなる方がいいもの」
「リディア・・・」
好きと思うだけで涙が出てくるのだと。
カインは、それを教えてくれた少女を、ついに抱きしめた。
自分は何一つ不器用で、何もリディアに言葉にしてやることも出来ない。
それでも、心は揺さぶられて、涙が出るのだと、初めて知った。
これから自分達はどうなってしまうのだろう。
そう思いながらもカインは未だ涙を止めることが出来ずに、腕の中の少女の髪に、夢中に濡れた頬を寄せるだけだった。
もうすぐ終わる戦いよりも、更に先の未来を危惧しながら。

Fin 

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モドル

相も変わらずうちのカイリディはいつもリディアが大人でカインが子供(汗)いつもリディアが別人になってしまって困ってしまいます。しかしこのっくらい妄想の翼を羽ばたかせないとカイリディって成立しないと思うんですけど、みなさんどうでしょうか!?
それでは遅くなりましたがゆんたんに捧げますvv最近ネットから遠ざかっていてなかなか会えなくてゴメンネ!カイリディがっつんがっつん捧げさせていただきましたヨ!!タイトル「あいのことば」は、文中のどの言葉をさす、という明確さを出していませんが、あたくしにとってのあいのことばはコレ!というのはもちろんあります。読んでくださったみなさんそれぞれの受け取り方にお任せしたいので、それをあえては強調しないことにします〜。
っていうか、どーなんの?この人たち・・・・(笑)