ただ鈴の音だけが

体が軽い。
シルヴィアはただただ、自分の意志ではまったく体を止めることが出来ずに、ひたすらに舞い続けていた。
飛び散る汗は己の動きの激しさを物語ってはいたけれど、何故だか息は苦しくない。
何かに導かれるように、その大きな力に動かされるに従って体が舞うということは、こんなにも甘美で、そしてこんなにも解放されたことだったのか。
それを、彼女は生まれて初めて体感した。
伸びやかに空に届きそうなほど高くあげられる自分の指先。
その爪の形の美しささえ、踊るためにそこにあるのだと思える。
この、空の下に自分が生きている理由は、たった今、ここでこうして踊っている真実だけが表している。
シルヴィアは空が綺麗だ、と頭の片隅で思った。
ほんの少し前に、恐ろしい炎の赤みに覆われた空。
それから、またいつもの夕暮れの色を取り戻した空。
きっと、今見えている空よりも遠く、遠くに、何かがいるのだと思う。
夜ならばよかったのに。
戦をよく知らぬ彼女は、手足を休めることなく動かしながら、そんなことを一瞬考えた。
だってそうでしょう?
夜になると星や月が見える。
それは、まるであの空よりも遠くにいる何かを見ているような気持ちにすらなる。
その何かとは。
自分が愛して止まないあの神父がいつも祈りを捧げている「神様」というものかもしれない。
だから。
だから、夜ならばよかった。
それなら、わたしが祈らなくたって遠くから見てもらえるかもしれない。
ちっぽけな自分が踊り続けて、いくらその神様っていうものに頼んでも、何も起こらないから。
不思議ね。
遠くにいる何かに、どうして神父さまは祈るのだろう。

突然シルヴィアの両眼から涙が溢れてきた。
炎をまとった隕石によって焼け爛れた右足が痛む。
それでも、彼女は踊り続ける。何かにいざなわれ、そして自分が何かをいざなうために。
しゃらん、と左足首に括り付けている、小さないくつもの鈴が美しい音を彼女の耳に届ける。
それしか、彼女の耳に届く音はなかった。
あまりにもたくさんの兵士達が戦い、傷つき、シルヴィアの仲間達を死においやっている。
城門から城までの広場には魔導の力で発生した炎がちらちらとあちこちにあがり、人々が生き死にの狭間で剣を振るって馬を操るごとに砂埃が舞い上がる。
死体が焼け焦げた匂い。血独特の匂い。
平和な生活をしていれば、まったく無縁と思える、それでも彼女は既に慣れてしまったその匂いが立ち込める混乱の最中で、シルヴィアは踊り続けた。
彼女の舞はいつものそれとはまったく異なっていた。
いつも彼女の舞を見たものは、踊るための音楽が何もなくとも、その脳に音を奏でる。
クロードは、彼女を運命の踊り子と呼んだけれど、シルヴィアは、「意味わっかんなあい!」と一笑に臥した。
けれども。
今、敵兵の誰一人、彼女に切りかかろうとする者はいない。
まるでその戦場の中で、彼女という存在なぞ初めからいないかのように、皆が遠巻きにしている。
有無を言わさないその異質さは、仲間には極限までの気力の回復を。
そして、敵には、恐ろしい密度をもつ畏怖を。
それは、今までの彼女の舞いとは一線を画するものだ。
きっと彼女が冷静であれば、これがクロードの呼ぶ「運命の踊り子」という意味なのか、と思えたことだろう。
ただただ泣きながらシルヴィアは踊り続ける。

神父さま。

助けて。

止まらない。

しゃらん、しゃらん。
いつも聞こえるはずの、彼女が舞いはじめたときに彼女自身が聞いている、音のない音楽が脳裏に響かない。
ただ聞こえるのは左足に括り付けた鈴の音と。
この戦が始まる前にクロードに渡した、右足にあったはずの、今は彼の袂にしまわれているはずの鈴の音と。

「シルヴィア」

シルヴィアの全身からは汗が噴き出ている。
今、踊るのを止めてしまっては、体が爆発しそうだと思えるほど何かに支配されているその感覚。
始めに感じた恍惚感や解放感が、自らの体が発する悲鳴に勝てなくなってきた、その時。
それを打ち破ったのは、クロードの声だった。

「神父、さまっ・・・!」

シルヴィアは、彼の声を合図に動きをぴたっと止めた。
ばくん、ばくん、と必死に働き続ける心臓の音が大きくて、頭ががんがんする。
酸素が足りない。
泣きながら、汗をかきながら、シルヴィアは側で土埃にまみれているクロードを見た。
彼の衣類には血がついていたけれど、それは彼のものではない。
彼はただいつもと同じ姿で杖を握り締めてまっすぐシルヴィアを見る。
・・・ああ、あの人が倒れている。
クロードの足元には、見知った人間が横たわっていた。
もう息をしていないのだろう、とシルヴィアは動かない頭でぼんやりと思いながら、視線をその亡骸に注いでいた。
その人はあまり愛想がいい男性ではなかったけれど、戦で何度かシルヴィアを助けてくれた仲間だった。
とても、逞しい腕で弓をひく人だった。
とても、静かな笑顔が魅力的で。
そして、とても美しい妻を娶って。
今考えてもどうにもならないそんなことがシルヴィアの頭の中はぐるぐると廻り、クロードが次の言葉を紡ぎ出すまでの間、自分の周囲の状況をほとんど把握できないままだった。

「あなただけは」

耳に馴染んだ愛しい男の声に反応して、シルヴィアは顔をあげた。
きっと、彼女は戦が続いているのか、終わっているのかすら、その瞬間までわかっていなかったに違いない。
ただ、クロードのまっすぐな眼差しと彼が手にしていた杖を見て、シルヴィアは彼が今何をしようとしているのかだけを理解して、顔を歪めた。

「神父さまっ、やだ!一緒に・・・」

クロードが杖をシルヴィアに向ける。
それが転送の術を司る、ワープの杖であることはシルヴィアにもわかっていた。
舞を止めたシルヴィアはもはや、敵兵に畏怖を与えることも、まるでその空間を歪めて隔離されていたかのように無視を続けられた、その不思議な効力は既になくなっている。
クロードにはシルヴィアの後ろから槍兵が走ってくる姿が見えた。
そして、遠くで「神父は捕らえろ」とアルヴィスが叫ぶ声が聞こえる。
その声に反応してシルヴィアは腕をあげて駆け寄り、クロードに触れようとした。
しかし、突然動きを止められた体は何を不満に思っているのか、シルヴィアが思うようには動かない。

「しあわせに」

「神父さま!」

「わたしの、踊り子」

一歩踏み出そうとして、シルヴィアはがくん、と膝をその場についた。
むき出しの膝小僧、すねが硬い土に擦れて、痛みを体に伝えたはずだった。

そんなものは伝わるのに、わたしの、からだは、言うことを聞かない。
痛いってわかるのに、足は、動かない。

「神父さま!」

本当は、その声すら出ていなかったのかもしれない。
シルヴィアは哀願の悲鳴を自分が発したと思っていたけれど、腕も足も動かないのに、唇が、声帯が思うように機能してくれているとは思えない。
クロードは、槍兵が彼女を後ろから襲う寸前に、詠唱を終えて杖を振り切った。
その瞬間の彼は、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔をシルヴィアに向けていた。
それが、別れの笑顔でなければどれだけ嬉しかったことだろう。
砂埃と血が混じる凄惨な戦場で、彼は微笑んでいた。いや、微笑もうと努力をしていた。

捕らえられたクロードの服をまさぐっていたバーハラ兵が、クロードの懐からそれを無理矢理引き出した。
あまり綺麗とはいえないいくつかの小さな鈴が束ねられたものは、兵士の手によって地面に放り投げられる。
しゃらん。
クロードにとってはとても懐かしい、愛しい響きが鼓膜をくすぐる。
ああ、泣いてしまいそうだ。
それをこらえることが、精一杯で、彼は必死に唇を引き結んだ。

「それは、なんだ?」

近寄りながらアルヴィス卿が面白くもなさそうな顔で問い掛けた。

「みてのとおり、鈴です」

「何か魔道の力でも吹き込まれているのか」

「いいえ、ただの、鈴です」

「・・・バルキリーの杖すらもたずに、こんなものを懐にいれているとは笑わせる」

「どうぞ、笑いたければ笑ってくださって結構ですよ」

クロードは彼らしくもなく、そんな皮肉めいた言葉を反抗的に口に出した。アルヴィスの頬がぴくりと動き、忌々しそうにその足で鈴を踏みつけた。
ぎちぎちと嫌な音をたて、鈴はアルヴィスの靴の裏で形をかえ、分解され、原型をとどめなくなるまで踏みつけられた。
何をするんです。
その言葉を飲み込み、クロードはそれをただ見つめていた。
もはや彼にはそれを必要とする理由がなかった。
これから入れられるであろう冷たい牢の中で、あの踊り子との繋がりを形に残しておく必要はない、むしろないほうが自分のため、いや、彼女のために良い、とクロードは虚ろに思う。
多分自分は罪人のために用意された塔の上で、いつ終わるかはわからないこの先の人生を送るのだろう。
免れることが出来ないそれについて憂えることは意味がなかったし、彼の心はもはや穏やかだった。
ただ。
ただ、あなたは、幸せに生きて。
この思いだけが、彼女に僅かにでも届けばよい。
あなたが、憎しみに囚われずに生きてゆくことを。
この運命の日を忘れろとは決して思わないけれど、ただひたすらに。
あなたが、幸せでありますように・・・。
クロードは目を伏せる。
彼の耳の奥には、この先聞くこともかなわない、そして既に目の前で形を歪められてしまった鈴達の、悲しい音が響いていた。
こんな形でしか、あなたを愛せなかったわたしを、どうか許してください。
この先の一生の中で、自分がこの音を忘れる日が来るとは彼には思えなかった。
体の中に封じ込められた呪縛に似た音。
たとえ耳を切り落としても、鼓膜を突き破っても、永遠に自分を苛むのだろう、と思う。
それは、あまりにも愛しいがゆえにせつなく、彼の胸を締め付ける柔らかな愛の音だ。

気がついたとき、シルヴィアは野原の中で夜露に濡れた雑草に囲まれていた。

「ここ・・・」

一体、ここは、どこだろう。
見たことがない光景が広がる。
近くには林。うっすらと見える遠くには山。上には暗くなった空、そして真上から降り注ぐ月明かり。
そんな単純なことしか彼女は理解出来ない。

「痛っ!」

右足首がじんじんと痛い。メティオの魔法でそこここに落ちてきた隕石の破片が飛び散って、彼女のご自慢の足にぶつかっていたのだ。

「・・・神父、さま」

いつも小さな怪我を治してくれるのは、あの優しい人だったのに。
どうしてあなたはここにいてくれないんだろう。
それから、優しかったみんな。家族みたいに一緒にあのシレジアの冬を過ごした仲間達。
誰も彼もどうしたんだろう。生きているんだろうか。死んでしまったのだろうか。
いや、ワープの杖は数回分行使に耐えるはずだ。
ようやく思考をめぐらすことが出来るようになり、シルヴィアは痛む足を引きずって立ち上がった。
よくよく深く眠っていたのか、あれほど踊っていたのに疲労感が今は吹き飛んでいる。
動くようになった頭は、彼女に冷たい現実を突きつけてきた。
何故自分がここにいるのか。何が起こったのか。
そのすべてをはっきりと思い出すのにはわずかに時間がかかったけれど、シルヴィアは普段の彼女の姿からは想像も出来ないほど冷静に、その内容を飲み込んだ。
あの戦に参加していた人々、あるいは、その知らせを聞いたであろう、参戦しなかった仲間達の中で一番彼女は強く、すぐにまた夜明けが来ることを理解していたに違いない。

「・・・こんなこと、初めてじゃないわ。そーよ、慣れっこよ」

ぎり、と唇を噛み締めて呟いて

「大好きなものを、全部全部奪われることなんて、初めてじゃないんだからっ!!」

夜の鳥の声を掻き消すようにシルヴィアは叫んだ。
家族はいなかった。初めての幼い恋人は、戦に巻き込まれて彼女の目の前で死んだ。
ようやく仲間になった旅芸人の一座には裏切られ、彼女は無理矢理少女から女になった。
手に入れたと思うものは、いつも手からすり抜けていく。
その瞬間はいつだって残酷だ。
これが、愛しいあの神父が敬っている神というものの仕業なら、わたしはそんなものに祈らない。

「見てなさい!」

高く昇ってしまった月が、彼女があの戦場にいた時刻からゆうに4,5刻は時が動いていることを物語っている。
その忌々しさに、シルヴィアは続けて叫ぶ。

「絶対絶対、取り戻すんだから!神父さまが死んでないって、わたし、知ってるんだから!」


気付かなければよかったのに。
彼は精一杯の笑顔を向けてくれたのに。
神父さま、ヘタクソなんだもの。
わたしは目がいいんだよ。
あなたが泣いていたことだけは、ちゃあんと、わたし、わかったの。
泣かないで。
わたし、会いに行くから。


月があちらに向かって落ちてゆく。シルヴィアは遠い山の向こう側を睨みつけた。
ここはどこで、あの山の向こうは何があるのかはわからない。
けれど、あの神父が自分を移動させたこの場所は、きっと安全な場所なのだろう。
何故かシルヴィアはそんな深い信頼を抱いた。
こちらの方角に歩いていこうか。
それとも、朝が来る方角に歩いていこうか。

「あっち」

シルヴィアは月と共に進もうと、痛む足を動かした。
夜明けは、今自分の体の中にいる愛しい命がこの先見れば良い。
あの生命の乱舞を共に体感しただろう新しい命と、それを授けてくれた愛しい人のために。
彼女は歩き始めた。

しゃらん、しゃらん

一歩進むごとに左足首から小さく鈴の音が聞こえる。聞き慣れた音のはずなのに、やけにそれはシルヴィアの耳に響く。

もう一度あの人の前で踊りたい。

そんな悲しい祈りを叫んでいるように。

Fin



モドル

クロシル序章です。不定期に短編で綴っていこうかと思っています。
既にレクアイを読んでくださった方はおわかりのとおり、全然シルヴィアは子供についてこれまで触れていません。が、バーハラ時点でリーンを身ごもっています。じゃあコープルは?・・・という話になりますね。