幸せな一日

世の中にはぜーったい、タイミングっていうものがある。
アンジェリークは今日1日のことを思い出して、ベッドの上で丸くなっていた。
今日はどうしてこんなに悲しいと思うのだろう?
育成にいって、学習にいって、それから庭園に行って、学習にいって。
その予定だけを考えたら、どれをとったって、別段いつもと変わりがない1日だったのに。

わたし、あの人のこと好きなんだ。

わかっていたはずだったのだけど、再認識させられてしまった。
それもどちらかというと悲しい出来事のおかげで。
金の曜日にこんな気持ちで1日を終えて、土・日の曜日とこのままわたし、こんなつらい気持ちで過ごすのかしら?
そのとき、足音が聞こえた。アンジェリークは驚いて体を起こす。
決してうるさくはないけれど、少しばかり早足で、そして規則正しい音。それには聞き覚えがあった。この音がすると、アンジェリークはいつも嬉しくなる。・・・いつもならば。
それから、とんとん、とノックの音。
外はもう暗くて、夕食だって食べ終わっている時間だ。
レイチェルだったらこんなノックはしない。軽くてちょっと急いたテンポで音をたてて、「アンジェいる?」と明るく声もかけてくれる。
・・・誰かしら。本当はわかっていたけれど、それでも聞いてみる。
「どなたですか・・・」
ベッドから慌てて降りて、そっと返事をする。
「俺だ」
やっぱり。
名前を告げなくても、わかる。
そして、名前を告げなくてもわたしがわかるってあの人は思っていらっしゃるのかしら?
もしそうなら、なんてそれは嬉しくて恥ずかしいことなの?


朝からゼフェルに育成の依頼にいって、ちょっとだけアンジェリークは誉めてもらえた。
「よう、最近その、お前、頑張ってるみたいじゃねえか。ちっと、見直しだぜ」
今までトロくさい、とアンジェリークを怒鳴ってばかりのゼフェルだったけれど、彼女のひたむきさが伝わったのか先週の中間審査で、彼はアンジェリークに票をいれてくれたのだ。
しばしの歓談のあとで、アンジェリークはこれから学習にいくから、とゼフェルの執務室から出た。
嬉しかった。
自分はどうも育成も学習もレイチェルに比べてヘタクソで器用ではない。
それでも一緒懸命やればどうにかなるものだと、そう思っていた。
学芸館にアンジェリークは向かった。今日はヴィクトールのところにいかなければいけない。
実は今週は忙しくて学習に来る機会がちょっと少なかったのだ。
「アンジェリーク、私からあなたへひとつだけ伝えましょう」
中間審査では、感性と品性の学習が足りないと女王陛下自らから指摘をされた。
それはわかっている。わかっているけれど、どうやら感性とか品性とかそういうものはアンジェリークにとってはかなりの苦手分野らしく、やってもやっても身にならないのだ。
セイランは呆れているけれど何故か楽しそうだ。
彼はきっと悪戦苦闘しているアンジェリークの姿が滑稽で、だけどそれがなんだか興味をそそられているに違いない。
「君の場合は、感じることはとても鋭いようだけど、言葉にするのが下手なようだね」
なんてことを言う。
ティムカははっきりそうだとは言わないけれど、おとなしいということと品性があるということは違うのだ、というようなことをアンジェリークに言う。それはわかっている。ものの考え方ひとつでも品性が必要だというティムカの指導は案外とわかりやすいけれど、それでもあまりはかどらない日が多い。
女王陛下の指摘に答えようとして、今週はない時間をやりくりして二人の講義をうけた。
が、やはり芳しくなかったのだ。
しかしそれでもアンジェリークにはしなければいけないことがあった。
最近、育成がうまく軌道にのってしまって、彼女の「宇宙」の安定度を超える勢いで発展しているのだ。
だから、今日はヴィクトールのところで学習をして、安定度をあげなければ。
そう心に誓って行ったのに。

アンジェリークはヴィクトールの執務室前でノックをする手を止めた。
「ワタシだって頑張ってますもの!嬉しいなっ!」
中からレイチェルの声がする。
別に、入ったってよかった。だけど、そこで彼女は悩んだ末にノックをすることが出来なかったのだ。
レイチェルのことは大好きだ。
今までにいないタイプのこの女友達は、アンジェリークがヴィクトールのことを好きだと知っていたから、何かにつけて協力しようしようとしてくれる。
それはちょっと恥ずかしいけれど、うれしいことでもあった。
たまにアンジェリークの部屋に遊びに来てはまくしたてて、そして帰っていく。
そんな風な付き合いなのに、何かがあったらすぐに飛んできてくれて世話をやいてくれるレイチェルを頼もしいと思ったり大好きだとも思っていた。
でも。
レイチェルはとても才女で。
前にもヴィクトールの部屋で一緒になったときがあった。
そのときは二人で勉強をしている姿をヴィクトールが何も言わずにただ様子をうかがっているだけだった。
帰りがけに「今日ははかどったようだな」と言ってはくれたけれど、それ以上にレイチェルのその日の成果が高いことにヴィクトールは驚いていて、ちょっとだけそのレイチェルがうらやましかった。
(わたし、卑屈だわ・・・)
でも。
でもでも、そのときのことをやっぱり思い出して。
そして、聞こえた声からヴィクトールがレイチェルに対して何かを誉めてあげているのだということがわかって。
(わたし、今日ここにくるって・・・朝、レイチェルに言ったような気がするのだけど・・・)
なんとなく朝顔をあわせたときにレイチェルから聞かれたので答えたはずだ。レイチェルはそのときは別段何もいわなかったけれど、実は最近は彼女のいうところによれば「邪魔しないであげようと思ってサ」ということで、ヴィクトールの部屋でレイチェルとバッティングすることはまったくなかった。それは、彼女なりの気の使い方だとアンジェリークは解釈していたのだが・・・。
(レイチェルの学習が終わってから来よう・・・。ごめんなさい、レイチェル)
自分の親友をちょっとだけ妬ましいと思う気持ちがあることに気づいて、アンジェリークは自分の心根に対してがっかりした。そして、それに気づいたら余計に、彼女は恥ずかしくてレイチェルと顔を合わせられない、と思ってしまったのだった。
「あーあ。金の曜日だっていうのに、わたしったら冴えないわね・・・」
お互いの普段の時間の使い方はわかっている。守護聖も教官達もある程度のタイムテーブルで動いているから、自分だってレイチェルだって、出来るだけ彼らの執務の邪魔をしないように訪問をしなければいけないからだ。
きっとレイチェルはアンジェリークのほんの一足先に来たのだ。
ゼフェルのところでちょっぴり話し過ぎたことをちょっと後悔したけれど、それを思うのは逆にゼフェルに申し訳ないことだし、時間ぴったりに来たってレイチェルが来ることに変わりはなかったのだろうし。
セイランかティムカのところに行こうかな、と彼女はそれぞれの部屋をノックしたけれど、こういうときに限って不在だ。諦めてアンジェリークはそうっと学芸館を出て気分転換に行ってみた。

庭園で行き交う人々を眺めて東屋で一休みをして、それからぐるりと回って花畑に行く。
アンジェリークの庭園散歩コースはいつもお決まりだった。それだけで半刻くらいは過ぎてしまう。
花畑に座ってぼうっと風に吹かれる。
その感覚がとても好きだった。
そして、花びらがふっくらとしている、辺りをうめつくしているピンク色の花もアンジェリークはとても好きだった。
そっと花弁に触れて、みずみずしい繊維を感じる。
葉っぱの裏側なんか覗き込むと、とても綺麗な葉脈が裏側にも見えて、大層栄養が行き渡っているようだ。
・・・そんなことを自分が考えているのに気づいて
「あー、もう!いっつもこんな調子だからわたし、トロくさいんだわ!」
とストレス発散も兼ねてアンジェリークは叫んだ。
花畑は案外広くて、平日の昼間ということであまり人も多くない。
本当ならば心穏やかになれるこの場所で、どうして自分はこんなくよくよしているのかがっかりした。
それから気を取り直して。
ちょっと小脇に抱えていた資料を手に取る。
その中に、ヴィクトールに前回の講義のあとに借りた小冊子が混ざっていた。
精神の学習とはあまり関係ないけれど、と言いながら彼が貸してくれた本は、なんと驚くことに詩集だった。照れながら笑って
「いや、もともとは俺のではないんだが。昔の部下がな、どんな危険な任務を命じられたときや失敗をしてしまった日でもこれを読むと、心が落ち着いて平常心で正しい判断を行えると・・・そんなことを言っていた。書いてあることは・・・お前が、あとは確認してくれ」
多くは言わないけれど、その人はきっと死んでしまったのだろうとアンジェリークにはわかっていた。
あまり物をもたない彼が大事にしているものは、自分の家族や自分の部下、そして部下の家族や遺族が関わることが多いとアンジェリークは知っていた。
その大事なものを貸してもらったことはとても申し訳ないけれど嬉しかった。
ぱら、とページをめくると自然の理を詩にしている作品が現れる。正直なところ、アンジェリークにはこの詩集は難しくてあまり今日までに読み進んでいない。それを思うと自分の未熟さが恥ずかしかった。
「ふう・・」
小さくため息をついたそのとき
「おい!アンジェリーク」
「・・・!!」
声をかけられて飛び上がると、何故か。
振り向いたアンジェリークの目の前には、息を切らせているヴィクトールが少し膝をおって息を切らせている。
確かにあれから半刻は過ぎているけれど、ヴィクトールの講義が終わる時間にしては早い。レイチェルの学習を指導していたはずの彼が、どうしてこんな中途半端な時間に、しかも息を切らせているのだろう?
アンジェリークはすっかり動揺していた。
「ヴィクトール様っ!?」
「すまんな・・・。部屋に戻ったのか、ここに来たのか悩んだのだが・・・。」
慌てて立ち上がってアンジェリークは駆け寄った。
「レイチェルは・・・」
言ってから、しまった、と思う。これでは、レイチェルがヴィクトールのもとにいたことを知っている、と伝わってしまう。
「ん?レイチェルは、先日俺がオリヴィエ様のところに置いてきてしまった資料を届けてくれたんだが・・・?」
「あ」
そう。今日レイチェルはオリヴィエのところに行く、と言っていた。彼女が口に出していた今日の予定はそれだけで。
だから、尚更にどうしてヴィクトールのところにいるのかアンジェリークはびっくりして。
「ど、どうして、ヴィクトールさまっ、ここにっ」
「お前が・・・歩いていくのが、窓から見えた」
「!」
かあっとあまりの恥ずかしさで体が熱くなる。見えてたんだ。わたしが、学芸館にいって、そして出て行った姿を。
「どうした?」
「い、いえ・・・ヴィクトールさまこそっ・・・それで、どうして・・・?」
「ああ、その、すまんな。学習に来たのではなかったのか?お前が来るから、早く帰る、とレイチェルが言っていた」
「え・・・」
「一体どうして・・・」
わたし。
アンジェリークはどうにもならないくらい動揺して、更に赤くなる。
頬が紅潮して、胸がずきずき痛んで、声が震える。
(やだ。わたし、一人で勘違いしてっ・・・!)
「それで、忘れ物でも取りにいったのかと思ったんだが、来ないから・・・。実は俺は今日ちょっと王立研究所に行かないといけなくてな。今しか時間がなかったのだ。だから、もしも遅い時間に来ようと思っているなら無駄足になってしまうと思ってな、それでおいかけてきた。部屋かと思ったが・・・なんとなく予感がしてこっちに来てよかった」
そういって小さくヴィクトールは笑ってみせる。
彼がそう言って話してくれればくれるほどアンジェリークはいたたまれなくなってしまう。黙っているアンジェリークを不審そうに見てヴィクトールは続けた。
「学習に来たのではなかったのか?」
「あ、あの、私・・・そうだったんですけど、そのっ・・・」
「ん?」
本当のことを言えるわけがない。
レイチェルと比べられるのが嫌で、逃げました、なんて。
しどろもどろでアンジェリークは困ったように無理矢理な嘘をつく。
「わたしっ、今日、すごい集中力なくって・・・その、せっかくお伺いしてもヴィクトール様をがっかりさせるかと思ってしまって・・・学芸館にいったんですけど、今日は、やめようかな、と思ったんですっ」
「・・・そうか」
「あの、ありがとうございます。ごめんなさい、私・・・」
「いや、どちらにしても今日は指導出来ないことに変わりはないからな。・・・だがな、アンジェリーク。別に俺ががっかりするしないは関係ないだろう。誰しも集中力が足りない日はあるし、そのときにまで無理をしろとはいわん。だから・・・そういうことは言う必要はない」
「・・・はい。ごめんなさい。気をつけます」
アンジェリークはうなだれた。
もしかしてこの人は、わたしの心の優先順位がおかしくなっていることを気づいているのだろうか?
そうだったら、わたし、どんな顔をすればいいの・・・?
「ヴィクトールさま、あの、追いかけてくださってありがとうございます」
「いや、礼を言われるほどのことじゃない」
そういってまた小さくヴィクトールは笑った。
「そういう日もあるだろう。週末はゆっくり休むといい」
それは、日の曜日は、ヴィクトールのもとへお誘いにいってはいけない、という意味だろうか?
妙に勘ぐり深い自分に気づいて、アンジェリークはちょっとだけ泣きたくなってきた。
じゃあな、とヴィクトールは軽く手をあげて背を向けた。待って、と声をかけたくなったけれど、どうしていいのかわからない。
アンジェリークは花に囲まれたまま、彼が去っていくのを呆然とみているだけだった。

すごく悲しいけれど、涙がでない。本当は泣きたいと思っていた。
それでもアンジェリークにはやらなければいけないことがあった。
ヴィクトールのもとへ学習に行けない。となれば、残りの二人をなんとしてでも捕まえなければ。
そういうときに限って、たまたまいるのがセイランだ。
こんな気分のままでセイランのもとにいったって、学習がうまくいくはずもないとわかっていたのに。
・・・案の定、苦笑を浮かべてセイランは「今日はいまいちだったね」とアンジェリークを、決まった時間よりちょっと早めに
帰らせたのだった。


「ヴィクトールさま、一体、どうして」
慌ててドアをあけると、ヴィクトールが立っていた。外が少し寒いのか外套着をはおっていて、めずらしい姿だ。
それ以外には何もいつもと変わりがないように思える、自分が大好きなあの人。
「遅くにすまんな」
「い、いいえ、いいえ。な、なんでしょうか」
「・・・ああ」
ヴィクトールは「中に入ります?」といつもならば言ってくれるアンジェリークがその言葉を出さないことに気づいていた。
けれど、それはあえて口にはしない。ドアを開けたまま中に入らないでヴィクトールは言う。
「今日、申し訳ないことをしたようだったからな。お前がよければ・・・疲れているとは思うが、ちょっとだけ補習でもしないかと思ってな」
「え」
「・・・さっきまで王立研究所にいたのだがな。・・・安定度、あれは危ないだろう。それで、今日俺のところに来ようとしていたんじゃないのか?」
「・・・・」
アンジェリークは大きい目を更に見開いて言葉を出せなかった。
「本当なら、俺からこういう風に動いてはいけないのだが・・・。お前はきっと、わかっていて今日俺のところにこようとしていたのだろうし、きっと何かもっと大きな理由があって帰ってしまったのではないかと思ったから。俺の勝手な考えなのだけれどお前は、どう思う?」
その言葉に更に驚いて、それからアンジェリークはぎゅ、とにぎりこぶしを作って懸命に頭の中でぐるぐるまわる声と戦っていた。
わたしの安定度がぎりぎりだってこと、ご存知で。
ヴィクトール様は何も悪くないのに来てくださって。
申し訳なさと嬉しさが混同して頭がおかしくなりそうだ。
「どうだ?」
それに。
本当は決して彼は、こんな風に自分から補習をしようなんて声をかける人ではない。
安定度が足りないのは女王候補生の努力が足りないからだと、彼は決して自分からは手を差し伸べないだろう。
厳しいけれど、それが彼のやり方だ。
それを思うと。
わたしの心の優先順位がおかしくなっているように、ヴィクトールさまもちょっとだけ、それはわたしに比べたら本当にちょっとだけなんだろうけれど、おかしくなってしまってると思ってもいいのかしら。
そして、それはなんて申し訳ないことなのかしら。
本当は。
ありがとうございます、これで安定度もきっとあがって、わたしの育成した宇宙は安定しますね!
そう言いたかった。言いたかったけれど、そういう簡単なことじゃないと自分はもう気づいてしまっている。
素直に喜べない自分に愕然として、アンジェリークは真っ赤になって口走った。
「ヴィクトールさまっ、あのっ」
「ん?」
「お申し出、本当に、ありがとうございますっ・・・。でも・・・わたし・・・」
ヴィクトールはじっと静かにアンジェリークの言葉を待つ。
「わたし、自分の・・・自己管理の責任があると思うので・・・。ヴィクトールさまのご厚意を・・・」
だめ。泣いては、ダメ。
わたしが泣きたかったのはここじゃないの!
アンジェリークは全身を緊張させて、泣くまいと力を入れた。
「お受けできないです・・・。でもっ、それはっ、補習が嫌とか、そういうことじゃなくって!」
「・・・ああ」
がっかりさせてしまっただろうか。
アンジェリークは言葉を止めてヴィクトールを見た。
わざわざこんな時間に来てくださったのに、私はヴィクトールさまのご厚意を無下にしてしまうんだわ。
そう思うと情けなくなってくる。
・・・が、予想外にヴィクトールは小さく笑顔を見せた。それは、教官である彼が生徒である自分を誉めるときに見せる笑顔だとアンジェリークは気づいた。
「そうか。お前が言っていることは正しい。・・・見直したぞ。」
「ヴィクトールさま」
「俺のほうが、勝手な申し出をして恥かしいくらいだ。すまなかった。お前に嫌われていないといいのだが」
そういうと彼は頭を下げる。そのいさぎよさに驚いてアンジェリークはあたふたとした。そんな風にされてしまっては、じんわりと出てきそうだった涙も引っ込んでしまう。
自分より一回りも年上のこの男が、自分に対して簡単に頭をさげることに仰天してどうしていいかわからない。
「いっ、いいえ!そんなっ!・・・そんな風には思っていません」
嫌いになるなんて。この人のことを嫌いになるなんて、わたしには、出来ないわ。
アンジェリークは慌てて首をふって、叫んだ。
「そうか、ありがとう」
顔をあげて、ヴィクトールは静かに言った。
「・・・悪かったな。それじゃあ、俺は帰る。」
「・・・あ」
いつものようにあまり多くは言わずにヴィクトールは軽く、じゃあ、といってとドアノブに手を伸ばした。
どうしよう。
なんだかアンジェリークはあせって声をかける。
「ま、待ってください」
「ん?」
「あの・・・」
さっきとは違う理由で赤くなってアンジェリークは言う。
「あの、お茶、飲んでいかれませんか・・・?あっ、夜なのにお茶なんて、ヘンですよねっ。でもわたし・・・」
「いいや、やめておこう。もう誘われるような時間ではないからな」
「そうですか・・・」
しゅん、となるアンジェリークを見て、またヴィクトールも苦笑を浮かべて、優しい声音で言った。
「ゆっくり休めよ。・・・次に会うまでに元気になっていてくれ。お前がしょげかえっていると・・・」
「え」
言葉を止めて、もう一度やり直しをするようにヴィクトールは「じゃあな、おやすみ」と言った。
それは今日のさようならの合図だ。それでも、それをわかっていても伝えたいことがアンジェリークにはあった。
「ヴィクトールさま」
「ん?」
「ありがとうございました。それから・・・」
小さく首をかしげて、アンジェリークはもごもごと言う。彼女にしては一代決心で勇気を出していってみた。
「わたし、ヴィクトールさまを嫌いになったりするわけがありません」
びっくりした顔でヴィクトールはアンジェリークを見た。
(ああっ、言わなきゃよかったよ〜!!!)
アンジェリークは答えがないヴィクトールから視線をそらしてどんどん小さくなっていく。
「そ、それだけですっ、おやすみなさイっ!!」
最後に声がひっくり返る。
「ああ、おやすみ」
ヴィクトールは答えないまま笑顔でそっとドアを動かした。
アンジェリークとヴィクトールの間に、ぱたり、とドアが閉められる。
それは、なんだかもどかしくて気持ちがすれ違ってしまっている自分とヴィクトールの関係をみせつけるように、目の前から彼の姿を消してしまう。
「・・・・ふう」
いつも、ヴィクトールがドアを閉めると、とても寂しい。
それまで一緒にいたって、突然寂しくなって、まだ彼がそこにいることを確かめたくていつも帰って行く聞き慣れた足音を最後までそうっと聞いてしまっていることをアンジェリークは自分で「ばかみたいだなあ」なんて思いながらも知っていた。
しかも、今日は、自分の思い込みでヴィクトールに迷惑をかけて、そして学習の成果もあがらなかった。きっとわたしが育成している宇宙のどこかが、こわれてしまうのだろう。
それは、自業自得だ。
もしそうなったら、その痛みをわたしは忘れてはいけないんだわ・・・。
そんなことを思いながら、そっと閉じられたドアにもたれかかった。彼の足音を最後まで聞いていたい、とやっぱり思う。
「・・・・あれ?」
アンジェリークはなんだかいつもと違うことに気付いて、ドアノブに手をかけた。静かに音もたたないままドアノブが動く。
きいっ。
小さな音を立ててそうっとドアを開けて外をみると。
部屋からちょっとだけ離れたところででヴィクトールが壁にもたれかかって、手で少しおちてきていた前髪をかきあげるような仕草で額を覆っていた。アンジェリークがドアをちょっと開いた音に気付いてヴィクトールははっとこちらを見る。
「うわ!なんだ、どうした」
「ヴィ、ヴィクトールさまこそ、ど、どうしたんですか。お帰りにならないんですか・・・」
「・・・その・・・考えていた。・・・お前は疲れているようだから、そっとしておこうと思ったのだが・・・」
「え」
「・・・何か、俺に言いたいことがあるのかと思って。お前はわきまえがある人間だ。まあ、こんな時間にやってくる俺の方が本当は問題なのだが・・・。俺にお茶を勧めてくれたのは、その、何かいいたいことがあるからではないのかな、と・・・。」
どうしよう。
またアンジェリークは頭の中でいろんなことがぐるぐると回り始めた。
こんなにこの人は優しくて。
わたしとレイチェルを比較するのはお仕事だから仕方ないのに、わたしったら、いつでもこの人がわたしだけを見てくれたら嬉しいと思っているんだわ。
だから、きっと今日わたしは、この人の部屋をノック出来なかったのだ。
「ヴィクトールさま」
「うん?」
「あの・・・もう少しだけ、ヴィクトールさまとご一緒、したいんです。・・・そんな理由では、お茶をお誘いしてはいけませんか。遅い時間だとはわかってますけど・・・ヴィクトールさまだって、こんな時間にいらしたんですもの、おあいこです」
「・・・」
ヴィクトールは意外そうな顔をして。それから少し彼は恥かしそうに、
「あ、ああ、そうか?お前が疲れないなら・・・遅い時間だけれど一杯くらい、ごちそうになっていこうか」
「はい」
アンジェリークはドアを大きくあけてヴィクトールが戻ってくるのを待った。
「それにしても、どうして俺が帰ってないってわかった?」
「・・・・それは、秘密です」
小さく笑ってアンジェリークはヴィクトールを部屋の中にいれる。
さあ、この人の優しさに感謝をこめて、おいしいお茶をいれないといけないわ。
アンジェリークはなんとなくまだ涙腺が緩みそうな自分に言い聞かせて、茶器に手を伸ばした。



Fin



モドル
どうしてもアンジェ小説でバカップルが書けなくなってしまいました。(泣)
もっと「独占欲」のときくらいのバカっぷりを書きたいのですが・・・。みなさん、ごめんなさい。
毎回「次こそは!」と思いながらダークなもの書いてみたり、どうでもいい話になってみたり(泣)
反省しました!!次こそは本当に!バカなラブラブな二人を!!
これ以上ちんたらやってるこのカップルを書いていられるかーっ!!!!!