それはよく晴れた日

※こちらは2015/12/31にツイッターにて「リプもらったカプ語りします」タグでリプいただいたカプを、なんだか語らないで一本話を書いてしまう企画に勝手に変更し、必死に数を消化しているうちの一本です。ので、いつもの作品よりも荒くて短いラフ画みたいな状態ですが、折角なのでこちらにアップさせていただきました。細胞さんリプありがとうございます。
軽卒に生還ifです

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 地球に戻って、U-NASAで精密検査を受けて。
 よくわからないけれど、火星に行った人間はすべてなんらかのサンプルを採取されるのだと聞いていた。
 それがA.E.ウィルスに関わることかどうか八恵子はよく知らない。ただ、彼女がわかっているのは、すべてにおいて自分はあまり色々なことに深入りをしていないし深入りもされない、マーズランキングにたがわず気楽な立場だということだ。
 火星で怪我はした。痛かった。けれど、すぐに薬の力で治り、その時はあまり深く考えることがなかったけれど、こうやって安全な日常に戻って思い返せば、身震いするほどのことに気付く。
 痛みからの解放、命の危険に繋がらないとも限らない怪我の早急な治癒は、確かにありがたかったけれど。あの時、あまりにも早く治癒された自分の体を思い出せば、人が人ならざる速度で体の細胞を作り変えていくということは、もしかしたらとんでもないことなのでは、と彼女はようやく思い至ったのだ。
 変態薬は万能ではない。治癒のための薬ではない。けれど、変態のたびに本来ありえない速度で己の体が修復されていた。それはどういうことなのか。それを思い、恐れという感情が心の奥底でちらりと生まれる。既に過ぎたことであっても、そこに存在した危険はなかったことにはならない。
 変態の回数が多ければ多いほど寿命を縮めるという話を聞いたことがないわけではなかった。だが、それはこういうことなのか、という自覚を今頃になってようやく得るなんて。自分はほとほと間抜けだと八恵子は思う。自分の目の前で、薬を使ってもなかなか回復しなかったミッシェルも、燈も、アレックスもいたというのに、その時の自分はただ単に「みんなすぐに回復しないぐらいダメージを受けているのだ」と思うだけだった。浅はかだ、と今ならわかる。
 だからといって、もっと自分が聡くてもっと早くそれに気づいていたら、仲間が変態して自分達非戦闘員を守る姿を見ることに耐えられただろうか。
 戦闘員達はどれほどの回数変態したのだろう。そして、どれほどの傷を修復し続け、多くのものを体内ですり減らしていったのだろう。
 彼女はそれをよくはわからないし、知ろうとしても無理だとわかっている。
 ただ、いつまでもアレックスが検査を受け、何度もU-NASAの医療班から呼び出されているのは、体に負った傷のことだけではなく、変態によって無理矢理治癒された肉体への負荷もひとつの要因だと聞いた。そして、検査の結果がこの先の彼の人生を決めることになるということも。
 自分を庇ってアレックスが脊髄にダメージを深く負ったことは知っている。だって、あの時。火星で、中国班のなんだかよくわからない変な男に囮として飛ばされた時。追いかけてくれたアレックスは既に傷ついていたけれど、意識ははっきりしていたし歩けていた。それが、薬を使っても意識が戻らないほど傷ついたのは、自分を庇ったせいだ。
 本当に、生きていてよかった。今、笑い合えて嬉しい。けれども。
「アレックス、遅いなー……」
 さわさわと気持ちの良い風が吹く。
 火星に旅だったのは春先。戻って来て初夏が訪れたが、彼らは精密検査やら何やらに追われたし、外出許可を与えられるまでかなりの時間を要し、気付けばもう夏も本番だ。
 国と国のしがらみについて彼女はよくわかっていない。ただ、自分達を火星から連れ戻してくれた、回収してくれたのは日本が関与している勢力だったから、U-NASA本部ではなく日本に帰還をして、そこで検査を受けている。それぐらいの認識しかなかったが、こうして少し自由が取り戻されると、自分に国に降り立ってくれたことを本当にありがたいと思える。こうやって自分の故郷の夏を、それまでの人生と同じように感じられるなんて。
 U-NASA支局近くの公園のベンチでぼんやりとアレックスを待つこと40分。
 時計を見て、思ったよりも時間がかかっていると小さく溜息をつくと「ダメダメ!溜息なんて!」と更に独り言を呟く。
 風が吹いて暑さを紛らわせてくれる日でよかった。そして、陽が動いても日光を遮ってくれるほどの大きな木陰にあるベンチが空いていてよかった。それから、近くのアイスクリーム屋が今日は30%オフの今日外出許可を貰ってよかった。こんなによかったが重なる日なんだから、きっと一日よかったことだらけで終わるに違いない。いや、そうであって欲しい。
 そんなことを考えていると、ようやくお待ちかねの人影が公園の入り口からゆっくりとした足取りで近づく姿が見えた。
 こんなに待たせたのに走ってこないなんて、と思ってから
(走れるようになってた、はず、だよね)
と、ここ最近のアレックスの様子を思い出す。うん。大丈夫。走ってた。リハビリもあるからって結構動いていたはずだし、それから、ボールも投げていたし。
 どっ、どっ、どっ、と鼓動が信じられないスピードで体の中で振動を伝え、一気に体温があがった気がした。
 だが、それはまったくの杞憂で、彼が呑気に歩いて来たのは手にテイクアウトのコーンアイスを持っていたからだと気付く。
 なんだ、帰りに一緒に行って選ぼうと思ったのに。少しだけがっかりしたけれど、実は自分がいつも選ぶフレーバーは同じで、それはアレックスも知っている。きっとアレックスは帰りに寄るよりもここで一緒に食べたほうが良いと気を利かせてくれた……八恵子はそう思い込もうとした。
「お待たせ。ちょうどマルコスがアイス買いに行くって一緒に出たから、ついでに行ってきちまった」
「マルコスも外出届け出してたの? 知らなかった」
「アイスのためだけにな。ほら」
「今日は本当は違う味が食べたかったのにぃー」
「嘘ばっか」
「へへ……ありがと」
 アイスを受け取って、八恵子は少し腰の位置をずらす。隣に当然のようにアレックスは腰を下ろした。
「ちょっと待たせたな。ごめん」
「んーん、そんなに」
 待たせたと思うのに、いくらマルコスがいるからといって、先にアイスを買ってくるなんて。それはもしかして、すぐに顔を見せたくなかったからではないか。そんな風に八恵子は勘ぐった。
(無理して、笑ってる)
 もうそれがわからない仲ではない。
 けれど、だからといってそれ以上の、涙の気配は感じない。
 彼女は、自分が時折だいぶ鈍いことや早とちりであることを知っていて、それ以上の言葉を口にしないようにブレーキをかけた。軽はずみなことを口にしないように、どうせなら、まったく関係がない話題を振りたい。
 だが、彼女のそんな思いを知ってか知らずか、アレックスはすぐに軽い口調で報告をした。
「いやー、まいったまいった。球、投げたら駄目だって怒られた。それ以外にも、今後の生活に結構あれこれ体に負荷かけちゃ駄目だからって制限がついちまった」
「……!」
「よっぽど激しい運動しなければ大丈夫らしいけど」
「アレックス」
 八恵子の声が僅かに震える。
 それまでの人生で、誰かの夢が破れた姿を見たことはある。その時、可哀想だと思いつつも、所詮は他人事だと思って心が動かなかったことを八恵子は覚えている。
 けれど、今は他人事ではない。アレックスの夢と自分が関係がないなんて言いたくないし、彼にもそう思われたくない。
「アレックス」
 もう一度名前を呼ぶと、アレックスは口端の片側を軽くあげて薄く笑う。
「……なんだ、なんて顔してんだお前。薄々わかってたことだろ」
「だって」
 泣いては駄目だ、とヤエコは自分を叱責した。
 自分が泣いたら、きっと彼は泣けない。泣いていいのは自分ではない。
 彼は、火星で仲間を救うために投げて投げて投げて。
 それらは変態のおかげでやすやすと行っているように八恵子には思えていたけれど、本当はそうではなかったのだと知ったのは地球に帰ってからのことだ。
 強化された体で彼は普通の人間では届かぬはずの距離まで球を投げることが可能になったけれど、一番強化されていたのは握力だったのだと聞いた。
 そういえば、自分達二班を救うために膝丸燈が糸をつけて空中から投げ出された時、アレックスはそれらの糸を掴んでくれた。それは、オウギワシの握力のおかげだ。
 彼の体は投擲の能力を格段に底上げしてくれていたが、遠くに投げられる力と、それを投げる回数が増すかどうかはまた問題が違う。
 彼は、自分達を護るために戦って。投げて投げて投げて。体のあちこちをすり減らして無理をして。そして自分を庇って、致命傷とも言える傷を負って。
「アイス食ったら散歩しよーぜ。あっちにさあ、鳥がいたぞ」
「……うん。池で泳いでるやつでしょ。いたいた」
 それきり、一度会話が途絶える。
 アレックスがわざと話を逸らしたのかどうか、八恵子は測りかねていた。
 だが、目の前のアイスクリームはどんどん溶けていき、それを早く食べなければいけないのは間違いのないことで、二人はいくらか慌てながらそれを腹に収める。
 美味しいはずなのに味がしない、と思う八恵子。
「やっぱ、あそこのアイス美味いな。日本のアイス、すげー美味い」
「そうかもね」
 笑って立ち上がったアレックスに続いて、八恵子は立ちあがった。アレックスはさっさと先に数歩歩いたかと思ったら、振り返りもせずに突然
「ん」
と、後ろにいた八恵子に右手を差し出してきた。
「えっ」
「察しろよ!」
 わずかに頬を紅潮させてぷいとそっぽを向くアレックス。
「……うん」
 差し出された大きな手に、八恵子は左手をそっと重ねた。すると、彼女の手を包むほどの大きな手、長い指がもどかしそうに少し荒っぽさを伴って、指を絡めてくる。
 五本の指が五本の指の間に差し込むまでのもどかしさと甘い焦り。八恵子がそっと彼の手を握ると、そっと握り返してアレックスは歩き出した。
「こうやってさ」
「うん」
「お前の手ぇ握れる方がいい」
「え?」
「五体完全満足で戻ってそこにお前がいないより、こうやって歩ける方がいいんだよ、俺」
 そんなことない。メジャーに行きたかったんでしょ。
 一瞬そう口走りそうになって、八恵子は更に強い力でアレックスの手を握る。
 そうではないのだ。アレックスの心の天秤に何が乗っているのか、おこがましいことかもしれなくても、既に自分は知っている。
 だってあの時、変態してなくて、どうにも出来なくて、だけどアレックスは自分のところに来てくれたのだ。それがすべての答えではないか。
 メジャーに行くとか。生きて帰るとか。あそこにはそんな選択肢は既に存在しなくて。
 助けるとか助けないとかも、そこにはなくて。ただ、素のままの心で飛び出して来てくれた彼が選んだのは。
 それを思った途端、突然八恵子の体の内側から熱い塊がせり上がってきて、それらは一瞬のうちに涙となり声となりこらえようと思うよりも早く放出されてしまった。
「……アレックスううううーーーどうしよう!うち、泣いてるううううーーーー!」
 泣かないと決めていたのに、なんてことだ、と己を呪いつつ、八恵子は声をあげる。
「うううううーーーーー……」
「うわっ、何、泣かせるほどいいこと俺言ったのか」
「言ったわよおおおおお」
「……そーかそーか」
 池に向かって歩いていくアレックスの歩調は変わらない。
 まるで泣いても仕方がないのに泣いている子どもが手をひかれるように、八恵子はぼろぼろと涙を零しながら彼についていく。
 歩調はゆっくりで、歩幅も彼女に合わせているアレックス。少し生意気なところもあって、少し大人に近づくために背伸びしているところもあって、年上の彼女が見れば「強がっている弟」みたいに思う時もある。けれど、何も言わなくてもそうやって寄り添ってくれる優しさを持つ青年だということも、もうわかっていた。
 どうしよう。自分が先に泣いてしまったせいで、アレックスが泣けないなら。そしたら。
 そんなことを思いながら、けれどもどうにも泣き止めない八恵子の耳に、軽い声音が届く。
「まあ、そんなわけでさ。お前、責任とって、治療中付き合ってくれよ。日本支局は来てたけどさあ、暮らすってなるとちょっとまた違うしさ」
「……んっ?」
 アレックスの言葉になんとなくのひっかかりを感じて、まだ両頬に涙を流したままで変な声をあげる八恵子。ずず、と鼻をすすりながら聞き返す。
「治療……?」
「おう。だから、激しい運動出来るようになるまで日本支局でデータとりながら治療するから」
「……激しい運動出来るようになるの?」
「? 治療がまだ必要だから、激しい運動は駄目みたいだな。今んとこ」
「そうじゃなくて!」
 そうじゃない。自分が聞きたいのは、この先アレックスが。
「アレックス、メジャーは……?」
 その時、ちょうど池の前にたどり着いて足を止め、アレックスは八恵子の顔を覗き込む。
「……お前、もしかして俺の話勘違いしてんじゃないか!?」
「メジャー行けるの?」
「行くってば」
「行けるのね?」
「行くだろ。ちっと、遠回りにまたなっちまったけど」
 そう言って笑顔を見せるアレックス。ああ、これは心からの笑顔だ。そう思った途端、八恵子は心底安堵し、今度は緊張の緩和のせいかまたぼろぼろと涙が溢れてくる。
 なんて忙しいんだろう、今日のわたしったら。
 そんなことを思いながら、繋いでない方の手で涙を拭いつつ
「もおーーーー紛らわしい言い方するから、心配しちゃったじゃん!!」
とアレックスに文句ひとつ言う。だが、どうにも声が震えてしまい、怒りの感情を垣間見せることすら成功しなかった。
「悪い。そんなつもり全然なかったんだけど」
「安心しても涙が出るよおーーー」
「ほんと、ひでえ顔」
 アレックスはそう言うと、八恵子と繋いだ手を離そうとした。だが、なんだか今は離れなくない、とそれを許さずに強く八恵子が握れば、アレックスは「ははっ」と困ったように笑ってもう片方の手でごそごそとジーンズのポケットをまさぐった。
「ほら、拭けよ」
 ぐい、と頬に押し付けられるハンカチ。
 なんだ。手を離そうとしたのはこれを取り出そうとしたのか。それに気づきつつ、八恵子はまだアレックスとの手を離さぬまま、空いている手でハンカチを受け取った。涙だけ拭かなくちゃ、鼻水が出ませんように。そんなことを考えながら頬をハンカチで抑えていると
「あんまり、泣かせたくないけど」
「うん……」
「俺のために泣いてくれてるのは、ちょっと嬉しい。ごめん」
「……」
 あまりに意外なアレックスの言葉に、絡めた指から力が抜けた。それを見計らったように彼の大きな手はするりとそこから離れ、彼の綺麗な筋肉がついた長い両腕が八恵子を抱きとめる。
「ありがとな、八恵子」
「……うん……」
 ほんの少しの抱擁。火星では傷ついたお互いととても近くいて体を寄せあっていたけれど、こうやって無事になってからはそうそう身を寄せることがなかった。とても久しぶりだ。久しぶりで、力強くて、とても安心出来る大きな腕の中。だが。
「「……あっつい!!!!!!!」」
 二人は同時に叫んで体を離した。どうせなら、もっと空調が効いた涼しい室内で身を寄せたいものだと思いながら。
「あちーーーー!!」
「ね、アレックス」
「ん?」
「帰り、みんなにもアイス買っていこうよ」
「お、いいね。八恵子のおごり?」
「艦長の名前で領収書切ろ」
「うっわ」
 二人は声を出して心から笑いあった。
 ちょうど、さわさわと気持ちが良い風がまた吹いて、汗ばんだ掌も涙がまだ残った頬も乾かしていく。
 ああ、やっぱり今日はよい日になった。八恵子は「へへ」と笑って、池からあがって歩いている水鳥の後を追いかけて行き、アレックスに見えないように鼻をすすった。



おわり


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