神殺しA

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 さて、マリア達は、人間を滅ぼそうとしているデスピサロ――マスタードラゴンによると、進化の秘法を使って力を蓄えようとしているらしい――を倒すため、地底の世界に向う必要があった。そして、地底への道のりは、まずは「地底からの威嚇」で天空城の一角に空けられた穴を使うことになる。
 さあ地底に行こうという翌日、前日に天空城に行けなかったアリーナやトルネコ達は「天空城の中もちょっと覗きたい」とマリアにせっつき、先を急がなければいけないながらも、天空城に寄り道をすることとなった。
 確かに、天空城は空の上にある城、というだけではなく、翼が生えた天空人が住む、いわゆる「文化が違う」場所だ。
 地上での国と国によっての文化の違いとはまた異なる。
 そのような場所に興味を示すのは当然だし、好奇心の強いアリーナは天空人にもどんどん話しかけるほどだった。
 ミネアとブライはアリーナ達の「天空城観光」が終わるまで、天空城の図書室で彼らが読める本を物色したり、気になる内容があれば天空人に読み上げてもらっていたし、トルネコは何やら商売の匂いがないかとあちこち見回っている。あまりそういったことに興味のないライアンは、マーニャに「あそこでも天空人が踊ってるわ」と天空人や天空にいるエルフ達のダンスをあれこれ見るため連れ回される羽目になった。
 その結果、特にあてのないマリアとクリフトは天空城の門前にある階段に腰を下ろして、ぼんやりと空を見ていた。
「今日は、マスタードラゴン様に、用事はないのですか」
「ないわよ」
「そうですか」
 途切れる会話。
 毎日共にいる仲であろうと、話題がないことだってある。それはこの二人に限ったことではない。
 いくらかの間、二人は黙ったまま、天空を凪ぐ風を受けながら、ゆったりとした時を過ごしていた。
 やがて、世間話をするかのような、のんびりとした声音で言葉を発したのはマリアの方だった。
「以前、治癒呪文の話を、したことがあったでしょう」
「……!」
 はい、と簡単に答えることが出来ず、クリフトは唇を引き結んでマリアを見る。それは、彼にとって忘れようとしても忘れられない、少し重苦しい話だったからだ。
 そもそも、マリアとクリフトは、特に仲が良いというわけではない。いや、「仲が悪い」ということでもないのだが。
 けれども、うまくやっていけていると少なくともクリフトは思っていたのだ。マリアが言う「治癒呪文の話」をした、あの日までは。



 事の発端は、クリフトの「気付き」だ。仲間になってから暫くの間、まったくクリフトが気付かなかった――気付いてしまえば何故気付かなかったのかと己を罵るような――治癒呪文についてのマリアからの指示が、人によって「区別」されているという気付き。
 魔物との戦いの最中、よくマリアは
「わたしはいいから、みんなを」
とクリフトに命令をする。
 それのほとんどは、治癒呪文の対象についてのことだ。時にはそれ以外の援護呪文についての時があるが、概ねは誰に治癒を施すかという指示だ。
 なるほど、確かにマリアさんも治癒呪文を唱えられるから、それが出来ない姫様他のみなさんの面倒を任されるのは至極当然のこと……初めは素直にそう思っていたのだ。そう、初めのうちは。
 旅の最中、時にはクリフトが馬車に退き、治癒呪文をミネアに任せることも多い。適材適所、人の組み合わせもまたしかり。マリアはうまく仲間達の力を使い分けていると、ブライがうなっていることをクリフトは知っている。だから、いつだってそれについては何の疑問も持たず、むしろ納得をして後方へと下がる。
 とある日、ミネアと交代をして馬車の中から仲間達の様子を観察していたクリフトは、ふとあることに気付いた。
(ミネアさんにはまったく言ってない気がする……)
 何もかもマリアの指示が馬車まで耳に届くわけではない。それでも、見ていれば仲間達の行動で理解が出来る。
 ミネアには、他の人を優先するようにとは、マリアは言っていない。そして、ミネアもまたみなの体の状態をまんべんなく確認し、自分で優先順位を決めている。勿論、マリアもその対象に含まれており、何を言われずともミネアはマリアに治癒呪文を行使していた。
 もし、クリフトがその時マリアに治癒呪文をかけたら「わたしはいいから!」と言われるだろう程度の傷でも。
 それでも、ミネアはマリアの傷を癒し、マリアもまたそれについては何も言わない。
 モンバーバラの双子は、自分達サントハイムの人間がマリアと旅を共にする前からのパートナーだ。これは、彼女達の信頼関係によるものなのだろうか。
 それに気付いたクリフトは、しばらくの間いささか気持ちも重くなり、俗に言う「へこんだ」状態になっていた。自分はまだ未熟で、マリアが意図するべきことを把握出来ず、それゆえ彼女に手間を取らせてしまっているのでは、と未熟さを恥じた。
 が、しばらく「勉強させてもらおう」とミネアとマリアのやり取りを観察した結果、どうやら彼の考え違いで、本当はそれとは違う――違うと言うと若干語弊があるけれど――理由なのだと知るに至った。
 ある日、洞窟探索中にたまたまマリアと二人きりになった時。クリフトは意を決して、自分とミネアの扱いの差の理由をやんわりとマリアに尋ねた。それへの彼女からの答えは、彼の想像を超えるものだった。
「あー……そうね。気付いちゃったのね」
 困ったように眉根を寄せて、苦笑いを浮かべるマリア。一体何故、と問うクリフトをはぐらかさず、マリアは驚くほどはっきりと告げた。
「ごめんね、クリフト。わたし、別にあなたのこと嫌いじゃないし、共に戦う仲間としては信頼しているの。それは信じて欲しいの。でも、時々」
「……時々?」
「助けられているけど、苛立っちゃうのよね。あなたが使う回復呪文とミネアが使う回復呪文、同じでも違うのよ。それが何なのか、わたしは知ってるの」
 苛立つ。
 自分が唱える治癒呪文に。
 理解が出来ない言葉から受けた衝撃に、彼は何をどうして良いかわからず、すがるようにマリアを見た。慌ててマリアは彼の目の前で手の平を左右に激しく振ってみせる。
「違うのよ、あなた自身は悪くないわよ。勘違いしないでね。あのね……あなたは本当に、神様とやらのご加護があるのね。神官ってものだからなんだと思うけど。ミネアの回復呪文は、それとは違うの。占い師だからなのかしら? ミネアの力は、ミネアのものなのよ」
「!」
「だから、ミネアは回復呪文を使うたびに何かしら磨り減ってく感じがする。一日たてばそれは回復してるけど、ミネアの呪文は自分を人に分け与えるものなの。でも、あなたが使うそれは違う。神の加護を得て、僧侶達が使うものは、全然違うのよね……」
 自分の治癒呪文は神の加護。ミネアのものは別。
 そんなことは考えたこともなかった、とクリフトは思う。
 だが、少し思いを巡らせればそういう差異があることはおかしいことでもない。
 何故なら、彼自身、治癒呪文を詠唱する時に「神の力をお借りしている」という意識はあるのだ。
 それは、彼が聖職者ゆえのことであるし、そして、ミネアはそうではない。
 では、聖職者ではないミネアが信仰に厚く、それゆえ同じように神の加護を受けているのか。
 もしも、それをもっと以前に考えたなら。
 当然だ、とクリフトは思っただろう。
 神の加護は誰もが等しく受けることが出来る。神の力を治癒呪文として借りるのは「祈り」だ。未来を占う力があるミネアが、その「祈り」を体得していてもなんらおかしくはないと彼には思えたに違いない。
 魔法の分野は、厳密には原理があるが、実際に行使する者は理屈で体得をしているわけではない。だから、なんとなくの納得は、それ以上の思考を止める弊害となる。
 その弊害の扉をマリアは蹴破り、彼に「違う」と告げているのだ。
「それを言ったら、マリアさんも、治癒呪文が使えるではないですか」
「そうね。あれはねぇ、血筋っていうのかな……母親がね」
 マリアは自嘲の笑みを浮かべた。
 その時の彼女は、それ以上のことは、クリフトに説明をしなかった。



 マリアは、クリフトから視線を逸らせると空を見上げた。空の上にある天空城の上には、更に空が広がっている。空にいながら空を見上げても、あまり景色は変わらないのだな、と同じく見上げたクリフトは思った。
「あのことが、何か」
 空から視線を戻してマリアに問えば、彼女はまだ空を見続けるだけ。
 仲間達が見れば、マリアが随分呑気に空を見ているように見えるだろう。だが、クリフトはわかっている。彼女は、クリフトと顔を合わせてこの話をしたくないのだ。
「今だったら、クリフトに言ってもいいかなーって」
「……何を、でしょうか」
「わたしが唱える、治癒呪文のこと」
 その声音すら、呑気にも聞こえる。だが、彼女がそんな風に言う時は、相手にショックを与えないように柔らかくわざと言っているのだと彼はもう知っている。
 クリフトは、唇を引き結んで警戒をした。まるで、小動物が辺りに神経を張り巡らせて、自分を捕食する者がいないかどうかを伺う時のように、ぴりぴりと、それでいてどこか愚かしく。その愚かさは、彼の若さゆえのものだ。
「前に、言ったでしょ。わたしの治癒呪文は血筋って……それは半分正しくて半分は不正解。あのね、わたしの治癒呪文の力は、マスタードラゴンの力よ」
「えっ……」
「天空の人間はみんなそうだと思う。ルーシアも多分ね。ルーシアからの治癒呪文を受けた時、なんか、わかっちゃったの。同じだなって」
 一瞬だけ、マリアはちらりとクリフトに視線を移した。
 その表情は笑っていたけれど、決してクリフトに安堵をもたらすものではない。
 笑って話せば、まるでおおごとではないように聞こえるのではないか。クリフトだってそういう心理を知っている。まさにマリアの笑みはそれだったのだが、彼は単に「何故笑うのだ」と不審に思うだけで、理解はしていなかった。
 マリアの方は、クリフトが理解しようがしまいがおかまいなしで、視線を再び逸らすと言葉をするすると続けた。
「ルーシアに聞いたらね。天空人は回復魔法を使える人間が多いんですって。それは、マスタードラゴンの加護ですって。わたしねぇ、自然にある時回復魔法使えるようになったの、練習しなかったのに。それは」
 母親から受け継いだ力であり、それはマスタードラゴンの加護なのだろう。
「だから、困るの。マスタードラゴンが神様だと。そんなものの力を借りなきゃ仲間を回復出来ないなんてごめんだわ。本当はわたしは、ミネアのようになりたかったの」
「そんなもの、って……」
 なんという言い草だ、とクリフトは思う。
 マスタードラゴンが秘めている力がどれほどのものか、それは自分達にはわからない。
 けれども、少なくとも彼らの目の前で、マスタードラゴンは天空の剣の力を引き出し、そして、マリアにも力を多少なりと与えた。
 そんな芸当が出来る存在に対して、マリアはまったく敬意を払うような素振りを見せない。マリアにとって、あの偉大なる竜はどういう存在だというのだろうか、とクリフトは眉根を寄せた。
「マスタードラゴン様が、神様でなければ良いのですか?」
「……んーーーー」
 クリフトのその問いに、マリアは軽くうなった。それは、はぐらかそうとしているのではなく、心底考えている時の彼女の癖だ。
「どっちでも、まあ、いいんだけど」
 その結果、曖昧な答え。
 クリフトはそれを聞いて、マリアは嘘を言っているわけではないと思った。嘘をつく時の彼女のことはわからないけれど、先ほどのうなり声は時々聞く。ここで彼女がわざわざそんな演技をする必要があるとはクリフトには思えなかった。
 しかし、それならば、どっちでもいいというのはどういうことだろう。
(何か、深い思いがあるんだ。きっと)
 そして、それはいちいちクリフトに説明するほどのことではないと彼女は思っているのだ。
 ありがたいような、ありがたくないような、とクリフトは空を見上げた。
 どういうことかと尋ねたかったけれど、それへの答えを聞くことも怖いと思う。
(ああ、これが)
 答えあわせが怖い、と言うことか。
(まただ。また自分はマリアさんに聞けないまま)
 歯痒いと思う。けれど、心のどこかで明確に「今は聞くべき時ではない」と自分を抑える声がする。
 若さゆえの勢いで飛び出しそうになる言葉を、もう一人の自分が抑えている、とクリフトは感じた。
 理由はわかっている。
 彼らが交わす話題が「神」だからだ。
 彼は神官だから、神に関することを人々から尋ねられたり、自分から人々に発信することは日常的に繰り返される「よくあること」だ。
 だが、今自分が直面しているこれは、日常ではない、との自覚があった。
 彼の日常には「神」と呼ばれる存在が、眼に見えてそこにはいなかったからだ。勿論、それは誰だってそうに違いない。
 けれど、今はここにマスタードラゴンがいて。
 彼が思い描いた神がマスタードラゴンではないとしたら、ではどういうものが神なのか。
 彼が思い描いた神がマスタードラゴンならば、彼が今まで語ってきた「神とはこういうものだ」という形に、それは当てはまっているのか。
 どちらかの答えあわせは回避出来ない。
 マリアが曖昧に流してくれたことで助かっているのは、マリア本人ではなくてクリフトの方なのだ。
(もっと、もっと深く考えて生きてこなかったのか、わたしは……神に寄り添い、人々に寄り添い生きてくれば、答え合わせを恐れずに済んだのではないのか)
 そして、マリアから、もっとはっきりとした思いを聞くことが出来たのではないか。
 そう思ったけれど、今の彼には、己の分不相応な深入りを防ぐことだけで精一杯だったのだ。



 デスピサロ様、と誰かが叫んだ。
 それは、あの可哀想な、ロザリーという名のエルフの声だろうか。
 いいや、違う。
 そうだ、これは夢だ。
 混濁する意識の中で、あの日姿を知らなかったはずの魔族の男が、魔物から報告を受ける様子が見える。
 それは過去であり、想像であり。
 そこまで過去に遡って見せ付けられるのに。
 そこまで過去に遡って、あの時見えなかったものが見え、あの時知らなかったことを今は知っているのだとわからせられるのに。
 なのに、現実では誰を助けることも出来ず、夢ですら全ての惨劇が終わった瞬間までしか戻ることが出来ないなんて。
 人は、過ぎ去った美しい日々を夢に見ることは出来ないのか。
 せめて。
 せめて夢の中だけでもあの日々でいられたら。
 まだ、この世界も捨てたものではないと思えるのに。
 どうして。
「勇者をしとめました!」
 その声は、聞いたことがある。
 そして、今ならばはっきりとその意味がわかる。
 わたしの姿を映した、シンシアを殺しました、という意味だ。
 やめて。
 どうして、お前達が言う「勇者」はわたしではないの。
 勇者でなんかいたくないわたしが、こんなにも「勇者でありたい」と渇望した瞬間なんてないのに、どうして、その瞬間ばかりを繰り返して。繰り返して。繰り返して。

「マリアさん」

 たとえあの時わたしが殺されても、村のみんなは同じように殺されていただろうし、焼き払われていただろう。
 そんなことはわかっている。
 それでも。

「マリアさん!」

 体が動かぬまま、ただただ流し込まれて植えつけられた情報は、あまりにも重くて。
 もしかしたら、その重さゆえに動けなくなっていたのではないかと思うほど、恐れて、苦しくて。

「マリアさん!」

「……っ!!」

 自由が利かなかったはずの体が揺すられ、何度も名前を呼ばれ、マリアはようやく瞳を開けた。
 馬車の中だ、と理解をするにも少しだけ時間がかかる。見慣れたはずの幌の中にいるのに、少し脳が混乱をしているようだ。
「……クリフト……?」
「……うなされていましたよ、大丈夫ですか」
「あ、あ……ありがとう……」
 視界に入るクリフトを見ても、一瞬何がどうなっているのか思考がまとまらない。おざなりの言葉が出るだけだ。
 ああ、そうだった。
 地底にやってきて、アリーナ達が地底の城を探索に行って。
 トルネコとブライ、クリフトが外を見張っている間に、少し休憩をすると言って馬車の中に入って……。
「寝て、しまったの、わたし……」
「そのようです……あの、もうすぐ食事が出来ますよ。姫様達が戻る予定の時間になりますし。それで、声をかけに……」
 しどろもどろになりつつも状況を伝えるクリフト。それがなんだか「いつも通りだ」と思えて、マリアは少し落ち着きを取り戻した。
「ああ、ありがと。ごめんね」
 二度目の礼を言うが、それは明確な意思を伴った言葉だ。
「いえ……あの……」
「うん?」
 眉根を寄せ、心底気遣っていることが伝わる表情で、クリフトはマリアの顔を覗き込んだ。
「息を、止めていらしたようなので……その……」
「息を止めて……?」
 困ったように頷くクリフト。
 マリアの方は心底そんなことは初耳であり、一体何をクリフトは言っているのか、と驚くばかり。
「息をとめて、苦しくなると、吐き出して呼吸をして、また息をとめて、時々うなっていました。悪い夢でうなされるのは、その、あるとは思いますけど……わたしも、サントハイムの夢を見てうなされる時があるので。でも、呼吸を止めるのは」
「呼吸、止めてるの……そう……」
「そんな人は、見たことがありません。ブライ様に、相談してみてはどうでしょうか……」
「……はは、は」
 マリアは笑い声を漏らすと、自分の顔を手で覆って俯いた。そして、搾り出された掠れ声。
「……寝てる間も、死にたいのかしら?」
「えっ……」
 驚愕の声を漏らすクリフト。それに気付いてマリアは勢いよく顔をあげた。
「わたし、今、声に出した?」
「は……はい」
「……そう……あーあ……駄目だなあ……」
 はあ、と深く溜息をつくと、マリアはそのままぶつぶつと独り言を口にする。
「もしかしてアリーナも知ってるのかな、たまに宿屋で一緒になるし……ああ、知ってるのかもなあ……そりゃ、心配してあんなことも言うわよね」
「死にたい、と、今おっしゃったのですか」
「……ごめんなさい、クリフト」
「えっ」
 すっかりクリフトは困惑し、口を開こうとしては止め、また何か言いかけては止め、を繰り返す。やがて、ようやくマリアの次の言葉を待とうと落ち着いた。
「本音を聞かせちゃって、ごめん」
「……それは……ふ、普通ならばありがたいことと言いますか……嬉しいはずのことなのですが……」
 嬉しくない、と続くのだろうとマリアは予測をした。けれど、その予測は裏切られ、クリフトはそこで言葉を切ってマリアを見るだけ。不器用な青年は、マリアの心を計りかねて、どこまで踏み込んで良いのか戸惑っているのだろう。
 彼のそういうところはとても好ましい、とマリアは思う。けれど、それでもつい冷たい言葉を投げつけたくなってしまう。それは己の未熟さだ。
「わたし、あなたのこと大切な仲間だと思っているのに、つい意地悪をしたくなるのよね……」
「ど、うしてですか」
「あなたが、神様を信じているからだと思うわ」
「……!」
 馬車の中で二人きり。年頃の男女が。
 けれど、そこには何も甘い思いはなく、誰に勘ぐられても期待にこたえることが出来そうもない、重苦しい空気が流れていた。
「……アリーナに言われたことがある」
「何を、ですか」
「わたしは、いつでも隠し事をしているって」
「……姫様がそんなことを」
「でも、それはアリーナ達に隠してるんじゃなくて……胸の奥にしまっておかないと、朝起きておはようっていえないような、何かなんだろうって。それはアリーナのパンチで喝入れてもらったり、アリーナの笑顔もらってもどっかにいかない体の一部みたいな」
 そのもどかしい言い回しが、きっとアリーナがあれこれと思い巡らせて、ようやく言葉にしたものだったのだろうとクリフトは想像したのだろう。彼は、泣き笑いに似た表情を見せた。
「だから、それを隠すな見せるななんて言えないけど……それがどういうものでも、マリアはマリアだから大丈夫だよ、って言うのよ」
「……それは……どう、思われました?」
「嬉しいし、多分大体当たってるけど……わたしの方が甘えてばかりかもしれないけど、こればっかりはどうしようもないわね」
 そう言ってマリアはようやく腰をあげた。
 それ以上クリフトに話すことはない、とばかりに唇を引き結んで見れば、彼もまた唇を引き結ぶ。
 アリーナがそういう風に思っているぐらいなのだし、あの屈託ない彼女にそんなことを言わせてもマリアにはどうにも出来ないことなのだと。だから、お前も黙れと、視線を送る。
 それを正しくクリフトは感じ取っているだろうと思うのは、一種の信頼だ。
 この若い神官は、城仕えだったせいか「それ以上の言及は避けなければいけない」という空気には敏感だ。それを感じてとってからというもの、マリアはつい彼に本音を漏らしては、ずるいところで口封じをしてしまう。
 本当は、ありがとう、と感謝をしなければいけないのかもしれない。漏らした言葉を彼はいつでも受け止めて、彼なりに咀嚼しようと努力をして。けれどきっとわかりあえなくて。だからといって彼は決して「聞きたくない」とマリアの言葉を拒まない。なんて優しくて、なんて生真面目で、なんて可哀相な人なんだろうか、とマリアは思う。
(クリフトとは、どうにも不思議な関係になってしまったわね……)
「アリーナ達が戻る頃なんでしょ。出るわ」
「あ、は、はい」
 意地の悪い態度で話を切り、マリアはクリフトより先に馬車の幌から外に出た。
 地底だというのに、それでも眩しい、と一瞬思う。
(違う)
 そうではない。眩しくなんてない。どんよりと暗く、陰気な森と岩場に囲まれた寂しいところだ。
 けれど、マリアには、自分の夢の中よりもそこは明るく思えたのだ。



 寝てる間も死にたいのかしら。
 まるでひとごとのようなマリアの呟きが、クリフトの耳の奥から離れない。
 そんな言葉は聞きたくなかった。
 彼女が手痛く投げつけてくる神についての問答や、神職への罵倒はいくらでも受け入れることが出来る。
 けれど。
(どうして、死にたいなんて)
 そして、それをあっさりと自分に漏らしてしまうのか。
 意地悪をしたくなるのだとマリアは言った。
 けれど、それは「嘘をついて困らせる」という意味ではない。マリアは「本音」だと言っていたではないか。
 確かに、彼女はアリーナが指摘した通り、いつでも隠し事をしているのだ、とクリフトは思う。
 がたんがたん、と音をたてながら幌は上下し、馬車の車輪が時折ぎしぎし鳴る。御者台のトルネコがそれを聞いて「デスピサロを倒すまでに、馬車を新調しなくてもすむといいんだがなあ」と呟くと、パトリシアの傍を歩くライアンが「馬車は大体いかほどの値段なのですかな」と話に乗る。いつもののどかな――たとえ、ここが地底でも――光景だ。
 クリフトの前には、魔物を警戒しつつ先を行くマリアの背中が見える。
(わたしが神を信じているから、意地悪をしたくなる。ということは、マリアさんは神を信じていないということなのか)
 それは、どことなく「ああ、だからか」と過去の事象によって納得をさせられて。
 けれど、どこかでは「そうではない」と別の可能性を彼に考えさせる。
 似ているけれど違う何か。
 その「似ている」は「違いがある」ということだ。
 そして、未だクリフトがよくわかっていない、もやもやと心の中でひっかかる「違い」は、何か決定的な、両者を同じにすることが出来ない大きな要素で、見間違ってはいけないのだろう。
 そんな風に、信仰に絡んだ人の心について、手探りで掘り下げていくことは初めてではない。神官という肩書きを賜ってから、何度かあった。
 けれども、これはそのどれともまみえない、自分には重過ぎる題目だ。
 信仰に関することには命題がない。けれど、人は命題を欲する。それゆえ、それを与えるために神職が存在するのだと彼は思っていた。だが、マリアが欲している命題は、クリフトが考えている「人が欲しがる神の姿」ではない。
(これは、神によって課されたわたしへの試練であり、眼を逸らすことが出来ない、わたしにとってとても重要なことではないだろうか)
 彼はマリアを嫌っていない。
 だって、本当は強くて、優しくて、可愛らしい人なのだ。
 言葉にはしなくともアリーナのことをよく考えてくれているし、自分と共にライアンに剣を教わる時などは、いつも全力で取り組む努力家だと思う。マーニャやミネアといると三姉妹ではないのかと思うほど仲が良く、甘える素振りも見せて年齢相応の可愛らしさもある。
 また、彼女はトルネコの言うことはよく聞く。父親の姿を重ねているのではと以前トルネコから聞いたが、それも納得出来るほど素直だし、かといって過剰に馴れ馴れしいわけでもない。ブライに対しては十分に敬意を払っていて、誰に対する気遣いも忘れない人だと思う。
 彼女は自分の長所も短所も知っている。だから、それをマーニャに指摘されると、心底しょげ返る可愛らしい一面もあれば、時に頬を膨らませて抗議をしてはやりこめられる姿もアリーナに少し似ている。
 勇者として信頼をしている反面、同世代ぐらいのとても魅力的な少女――と言う年齢はもう過ぎる頃だが――だと思える。勇者という肩書なぞ関係なく、人として好ましい人物だと感じていた。
 なのに、そんな人が、死にたいだなんて。そんな言葉を口に出さなければいけない何かを、この世界が彼女に背負わせているなんて。
 彼は、いつもならばそこで「神よ」と世の不条理に苦しみつつも祈りのため印を指で切るはずだった。
 けれど、胸元で指をぴくりと動かしたと思うと、そっと己の右手を左手で包み、ゆっくりと下ろす。
 神は誰のことにも平等だ。たとえ、神を信じていない者に対してでも。
 けれど、きっとマリアは、クリフトが彼女のことを考えながら神の名を呟くことを、心底嫌がるに違いない。



 信仰と言うものに助けられる者が世の中にいるという。
 だが、少なくともマリアが育った山奥の村には、それに該当する人間はいなかったし、信仰と結び付けられる教会があの村には存在すらしなかった。
 もし、信仰をよりどころにしている人間がいたら、きっとあの日、あの時、神に祈ったに違いない。そして、神はどれほど祈っても自分達を助けてくれないのだと悲嘆にくれただろう。
 神に助けを求めるとは、どういうことなんだろう。助からなかったら、人はそこで神を呪うのだろうか。それとも、神はいないと否定するようになるのだろうか。
 信仰というものに疎かったマリアには、何度考えてもよくわからない。どの街の教会で神父の話を聞いても、神を信じる人達の話を聞いても。
 その日、マリアは夜遅くにゴットサイドの教会に足を運んだ。
 教会という概念は好きではないが、どんな質素な教会にも多少は施されている「教会ゆえの」装飾には心惹かれることも多い。
 美しいステンドグラスは、城の豪奢な調度品等とは一線を画すものだし、少し大きい教会に置いてあるオルガンもまた彼女の好みにあっていた。
 そこで日々行われている神父の説法を聞く気にはこれっぽっちもならないが、誰もいない教会で、何一つ無駄なことを話しかけないオルガン奏者がいてくれれば、教会に行くのも悪くないとマリアは思う。
 ゴットサイドにはたくさんの聖職者がいる。最近はみな北西の祭壇のような場所で祈っていることが多いようで、教会には当番制なのか必ず一人しか神父、あるいはシスターはいない。
 マリアが夜に足を運んだのは、昼間は忙しいからだったが、それ以外に理由があった。
 ゴットサイドの教会はそう大きくはないけれど、こじんまりとしていても美しいステンドグラスがある。
 そこから入ってくる光が、昼間はあまりに眩しすぎて、美しいけれどその眩しさになんだかいたたまれない、とマリアは感じたのだ。人々は、その眩さも神の光だと口にしてありがたがっていたが、マリアはどうにも好きにはなれなかった。けれど、案外とそのステンドグラスの図柄は素敵だと思えたのだ
 だから、夜。
 教会は朝から晩まで、来るものを拒まない。たとえ、それが信仰に薄い者であろうと。
 旅の間にマリアはそれを知ったし、時には夜中に旅に出るために「旅に出る時のお祈り」とやらをみなと行くこともある。それでも、神父達は何一つ嫌な顔をせずに対応してくれるのだから、自分も許されるだろう。
(そういう意味では、凄いと思うけどね)
 教会に辿り着き、そっと扉を開ければ人気がない。
 以前は「教会なんか嫌い」とクリフトに言って困らせたこともあるが、今はそうでもなく、こうやって一人で扉を開けることにも躊躇はない。勿論、そのことをわざわざクリフトに報告することでもないけれど。
「あまり明るくなければ、いいのに」
 ぼそりと呟くのは「昼間が明るすぎなければ、昼間見られるのに」という意味だ。
 夜の教会は、そう大きくもないのにやたらと「がらんとしている」と思わせる。それは、その場所にはいつも誰かが――最低限聖職者一人が――必ずいるからだ。神父は休んでいるのか、姿が見えなかった。
 中には一つの燭台に灯りが点っており、隅は大分薄暗い。それでも、ステンドグラスを見るには特に困らない明るさだった。
 日光をうけないステンドグラスの色は沈んで見え、やはりそれは光を与えられることで美しさを増すものだと思い知らされる。だが、やはり昼間の明るさは目を背けたくなってしまう、と今更ながら実感する。
 一体どれぐらいの間だろうか。マリアは随分長い時間、一人でステンドグラスの前に立っていた。
 そこに描かれているのは、背に翼がある女性の姿。エルフではない。これは、天空人なのだろうか。
(あの城にいた人々のように、ルーシアのように。わたしのお母さんにも、翼があるのだろう)
 わたしにはないけれど。
 それが、こんなにもありがたいと感じていることを、誰かわかってくれるだろうか。
 マリアは拳を握り締めた。
 嫌だ。神に近い存在だなんて。
 マスタードラゴンを神と崇めて生きているあの人々。そして、マリアの父親を「裁く」という名目でその命を奪ったことを肯定する人々。
 それらと自分の中に流れている半分の血が同じなのだと思うと、反吐が出る。
 ちっ、と小さく舌打ちをした時、奥から年老いた神父が姿を見せた。
「何か御用でしょうか」
「……いいえ。この、飾りを見ているだけです。教会は、そういう人間を追い出したりしないでしょう?」
「ええ。こんな小さな島の小さな教会で、目新しいものでもないでしょうが、気に入ったならばいくらでも」
 神父はそう言うと、燭台のひとつに火をつけた。
 二つに増えただけでも大分明るさが違うとマリアは思ったが、実際はお互いの顔をぼおっと照らす程度にしか光が届いていない。
 神父は手にもった燭台で、マリアがみていたステンドグラスを照らした。
「この島にある天空の塔に登られたとお伺いしております。あなたのお連れ様には、背に翼がある女性がいらっしゃいましたね」
「空のお城に置いてきました」
「それは結構。自分が生きるべき場所に戻ったのであれば、喜ばしいこと」
「生きるべき場所?」
「おや、違いますかな。もともと空にいた方だったのでは?」
 神父が言うことは、特におかしくないとマリアは思う。
 誰だって背に翼が生えているルーシアを見て「少なくとも空の生き物に違いない」とは思うだろう。
 空の城とはどういうものか、とこの神父は問わないけれど、ルーシアが天空城に戻ったことに関してはそれが至極当たり前であると判断しているのだ。
「じゃあ、生きる場所がない者はどうしたらいいと思っているんですか」
「人は、時として戦争などで自分のルーツである生きる場所を失うでしょう。その後、二つ目の場所を探し当てたとしても、心の中にはいつまでも消えてしまった場所がある。たとえ、二度と戻れない場所だとしても、その人が覚えている限り、その人がいるべき場所は世界から消えないのではないでしょうかね」
「たとえ、記憶がどんどん薄れていっても?」
「薄れていっても。本当の場所と、思い出にある場所が形を変えてどれほど差異があっても」
 マリアは、それを「詭弁だ」と思った。
 この神父は、自分が口にしたように「失った」ことがあるのだろうか?と邪推せずにはいられなかった。
 これ以上神父と会話をしても、よいことは一つもないだろうと判断をするマリア。
 が、神父の方は
「お疲れのようですね。宿にお戻りになったらいかがでしょう。それとも、何かまだここに……神に告白をすることでもおありでしょうか。わたしが何かお力になれるとしたら、それぐらいしか……」
「特に何も。申し訳ないけれど、わたしは、ここで口を開けば神の悪口ぐらいしか言えません。あなた方聖職者のお仕事を馬鹿にはしないけれど、怒らせてしまうのが関の山でしょうね」
 そう答えてマリアは肩をすくめて見せた。
 少なくとも、すべてをクリフトにぶつければ、彼を怒らせるのではないかと思っていた。それを、クリフトではない目上の神父に対して告げる。
 代理と思っているわけではない。マリアはマリアで、この時間に自分を受け入れてくれて、多くの邪魔をしないその神父に敬意を抱いてはいる。申し訳ないと言う言葉は嘘ではない。
 神父は静かに燭台を置くと、首を横に振った。それがなんだかやたら芝居じみて見えて、マリアは目を細める。
「我々にとって気がかりであるのは、ここを訪れる人々の信仰心などではありません。何故、あなたが神の悪口とやらを言わずにはいられないのか。あなたの心をそう駆り立てるものが何なのか、そのことです」
 マリアは、穏やかな神父の顔をしばらく見つめると、心の中で(余計なお世話よ)と忌々しげに呟いた。



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