神殺しB

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 ゴットサイドの宿屋に戻ると、宿屋の入り口近くにある待合場――部屋の準備が出来てない間に客を待たせたり、支払い待ちの時に使うちょっとした休憩場だ――にトルネコの姿を見つけた。
 彼がそんなところに座っているのは珍しい。
 夜なので、待合場の灯りは小さなランプが一つ。
 時折宿屋の主が帳簿整理などをやっている音が小さく聞こえるが、衝立が置いてあるため姿はあまりよく見えない。
「トルネコ」
「やあ、マリア、お出かけだったのかね」
「う、うん」
 見れば、小さなテーブルには空っぽのカップが置いてある。マリアは、彼が自分を心配して待っていたのだと気付いて、おずおずと近くの椅子に腰をかけた。そういえば、結構長い時間ステンドグラスを見ていたような気がする。教会に向った時と戻ってきた今とでは、随分月の傾きが違っていた、とマリアはようやく理解をした。
「こんな夜遅くに。ゴットサイドはエンドールと違ってカジノもないし、散歩かな」
「うん、そんなものよ。トルネコは?」
「武器の手入れをしていたら遅くなってしまってね。寝る前に、ちょっとお茶をいただいていたんだよ」
「そうなの」
 カップの中身はとうに飲み干されている様子だったが、マリアはそれを追及しなかった。
 心配してくれたの。ごめんなさい。
 そう言おうと思ったが、口から出たのはまったく違う言葉だった。
「ねえ、トルネコは」
「うん」
「神様って信じている? 前、話してくれたよね。レイクナバで、毎日息子さんの帰りを神様に祈ってたおじいさんがいたって話」
「うんうん。覚えていてくれたのか、それは嬉しいねえ」
 トルネコは心底嬉しそうに笑顔を浮かべて、二度頷いた。それから、「ううーん」とうなって考える素振り。
 やがて、それを辛抱強く待ったマリアに、彼はゆっくりと語りかけた。
「神様を信じる、という意味にもよるねえ。わたしは、神様はいると思っているんだけれど、だからといってその神様は自分の人生と関わりがないと思っているんだよ」
「……人生と関わりがない……?」
 最初から意味がわからない、と戸惑うマリア。
「うん。おや、クリフト」
「え」
 トルネコの声に、マリアは驚いて宿屋の階段の方を見た。既に室内着姿のクリフトが二階から降りて近付いてくる。
 どうやら彼はトルネコに用事があったようで、マリアの姿を見ると「え」と小さく声をあげた。
「トルネコさん、ここにいらしたんですね。すみません、これ今日魔物から手に入れたのを、そのままわたしの袋にいれていて」
 彼らは道中手に入れたものは全て一度馬車にしまい、その日の夜にトルネコが全て点検することになっている。クリフトは寝る前に自分の道具袋を整理して、馬車にしまい忘れていたのに気付いたらしい。
 なんというタイミングか、とマリアは心の中で悪態をついた。
 クリフトにはあまりこういう話を聞かせたくない。
 第一、神について云々なんて話題、トルネコからするはずがない。もし、それを聞いたらクリフトは、マリアがトルネコに何かつっかかっているとでも思うかもしれない。それは若干不本意でもある。
「すみません。お話中にお邪魔してしまい」
「いや、別にどうということもないよ。神様の話だ。クリフトも聞いてくれるかね」
「えっ、わたしも、ですか? それは聞いても良い内容なんですか……?」
 心底驚いたように、クリフトはびくりと体を震わせた。それが、どれほど「マリアとトルネコが神に関する話をしている」ことに彼が警戒をしているかを表している。
 マリアは唇を引き結んだ。
 トルネコがこういう風に、マリアと誰かの間を仲介しようとするのは珍しい。商人の仲介というものは常に利益が発生するものだ。
(ってことは、わたしとクリフトがこの話をすることで、トルネコにとってのプラスに)
 なるってことか。
 そう考えた自分に、マリアは呆れて眉をしかめた。それを勘違いしたようでクリフトは慌てて
「あっ、す、すみません、やっぱりお邪魔ですよね」
 と逃げ腰になる。その様子が少しおもしろく思え、マリアは小さく笑い声をあげた。それから、今が夜だということを気にして「やっちゃった。うるさかったかな?」と肩を竦める。
「違うのよ、クリフト。いいの、座って頂戴」
「たまにはね、わたしと話すのも悪くないだろう」
「は、はい……」
 二人に言われては、と腹を括ったか、腰掛けるクリフト。
「そう大層な話じゃあないよ。マリアにもね。わたしは、神様はいると信じているし、何をしてくれなくとも、我々を見守っていると思っているよ」
 トルネコは両手を組み合わせるとにこやかに微笑んだ。時間が時間のため、声の調子はいつもより疲れを含んでいるが、それが逆にマリアとクリフトの集中を促す。
「わたしは商売の神様に愛されている、と人は言うけれど、それはわたしの商売の成功の全てではない。ただ、わたしは商売の神様というものがいると信じて、その前でどのように振舞うべきか、それに愛されるにはどうすべきかを考えつつ、目の前の商売に没頭しているだけだ。実際、神様というものは、何もしてくれないものだと思っているからね。いいとこ、見守るだけだ」
 マリアは、何度かまばたきをした。
 では、どうして旅に出る前に、人は教会に祈りを捧げにいくのだろう。
 それは、神様がこの先の道中何かをしてくれると思っているからではないのか。
 そして、旅から帰ってきた時に、何故旅の無事を報告するのか。
 神様とやらは見ているのではないか。報告をするということは、見ていないからだろう。見ていない者に何故道中の無事を祈り、そして報告をするのか。
 ちらりとクリフトを見ると、彼は小さく微笑んでいる。
「そうですね。トルネコさんにとってはそれが神様なのですね」
 その穏やかな言葉に、マリアは不快を覚えた。なんて呑気な言葉なんだろう。彼が信じている神が、何もしてくれないものだと言われているのに、何故そんな穏やかでいられるんだろう? 何もしない存在を信仰しているのだと言われて、心が痛まないのだろうか?
「見守るだけなの」
「そうだねぇ」
 のんびりとした口調でトルネコは頷くだけ。
「そんなのいらないじゃない? 誰に見られていても見られていなくても、自分が何をするかなんて変わらないわ」
「そうだねぇ」
「もう! トルネコ! そうやってわたしのこと」
「ははは、悪い悪い、そういうことではなくて」
 すると、その先のトルネコの言葉を遮るように、クリフトが口を開いた。彼がそのように、他人が話している最中に冷静に口を挟むのは珍しい。時折、アリーナやブライがあれこれ言っている時に、振り回されながら仕方なく声をあげる彼をみなは知っている。けれど、今の彼は「普段のクリフト」とは違うとマリアは思った。
「トルネコさんにとって、神様の役目はそういうものなんですね。それはきっとトルネコさんの中で揺れないもので……他人には強要しないものなのでしょう。わかります」
「おや、わたしが思っていたより、クリフトは聖職者として成熟しているようだね……なんていうと、偉そうだけども」
「いえ、そうじゃないんです。ほんとに」
 トルネコに褒められ、クリフトはぱっと頬を染めると慌てて手を横にふった。
「ほんの数日前に、ようやく。そう、ようやくそう考えられるようになったばかりで」
 そう告げたクリフトの目線は、マリアに向けられた。が、彼女はそれに対する言葉は特にない。
「何よ」
「……マリアさんのおかげだと思いますよ。もしも、わたしがトルネコさんの予想していたより、ましなことを話しているとしたら……」
「は? わたし?」
「ははは、ましな、とは謙遜だね。いや、わたしも人に偉そうに言える立場ではないけれどね」
 いぶかしげに眉根を寄せるマリアの声を無視し、トルネコはおおらかな声音で笑った。
「マリア、教会にいる神父さん達が、神様について人々に話しているところを聞いたことがあるかい?」
「あるわよ。神様はみなさんを見守っていますとか、いつも神様はみなさんと一緒にいらっしゃいますだとか。神様は誰のこともお許しになるとか。よくわかんないこと言ってる」
「そうそう。よくわからないことを言っている」
 マリアの言葉をそのまま復唱するトルネコは愉快そうに再び笑った。が、クリフトは逆に苦笑いを浮かべるだけ。
 聖職者である彼にとって、教会の神父の説法を「よくわからないことを言っている」などと言われては、立つ瀬がないのは当然のことだ。
「でも、クリフトは、そうは言っていないんだよ」
「え?」
「神様に見守っていて欲しいと思う人には、見守っていると言えばいい。見守って欲しくない人には、見守っていないと言えばいい。極端な話だけどね。そういうことだ」
「じゃあ、わたしには、神様は見守っていないって言ってくれるわけ?」
「さあ、どうだろうね、クリフト?」
 トルネコとマリア、二人の視線を受けたクリフトは、唇を引き結んだ。
 その場に、少し前から感じられていたクリフトの緊張。それが、今ははっきりと感じられる、とマリアは思う。
 クリフトからの答えを聞かずにトルネコは立ち上がると「二人とも早くお休み」と告げ、その場をあっさりと離れていく。
 きっと、いつもならばマリアは「じゃあわたしも」と追いかけたに違いない。
 けれど、トルネコのその態度を彼女は理解した。
 クリフトの言葉を聞けと。そう言われているのだと。
 腰を浮かせたくなるのを我慢して、マリアはぎゅっと拳を握り締めた。
 困惑の表情を浮かべているクリフトは、所在なさそうにマリアから視線をはずす。が、だからといって二人でそこで黙っているのもおかしな話だ。
「ねえ、クリフトは、わたしに……神様になんて、見守られたくないってわたしが思ったら、神様は見守っていないよって言ってくれるわけ?」
「……いいえ」
 若干、びくついた声音でクリフトはためらいがちに答える。その煮え切らない否定に、マリアは唇を尖らせた。
「何よ。トルネコが言ってたことと違うじゃない、それじゃ」
「いいえ」
 二度目の否定は、先ほどよりも力がこもっていた。そのことにマリアは驚き、反射的に下唇を噛み締める。何を聞かされるのか、との恐れに打ち勝つには、どこかに力を入れる必要があるのだ。
「マリアさんは、多分、違うと思います」
「何が」
「神様に見守られたくないとは、思っていません」
「思ってるわよ」
「思っていません」
「クリフトにわたしが考えていることなんて、わからないでしょ」
「……わかります、いいえ、わかったんです。やっと」
「……は?」
 瞳を伏せるクリフト。苦渋の表情にも見え、穏やかな表情にも見え、その様子にマリアの胸はざわつく。
 彼自身が本当は言いたくないことを言おうとしているのだろうということは、マリアにもわかる。だが、こんな彼の姿を見たことはない。アリーナは知っているだろうか?ブライは知っているだろうか?
 アリーナが時折おてんばというより無鉄砲が過ぎて、クリフトが心底苦しみながら助言をする時がある。がみがみと口煩くではなく、静かに、言葉を選びながら。その時にとても似ているが、何かが違う、と思える。
 口を開こうとしてはためらい、そして小さく息をつき、息を吸い込み。
 もどかしい動きをクリフトは数回見せたのち、ついに意を決したように、はっきりと、まるで一気に長い呼吸を吐きだすように告げた。
「マリアさんは、神様に、何かをみせつけようとしている人です」
 神様に。
 見せつけようと。
 切れ切れに発された音は、何かの宣告のようだ。
 その言葉達は、あまりにマリアの予想を超えており、驚きのあまり瞳を大きく開くマリア。それは、まったく的外れ、ということではない。単に、マリアが彼を見くびっていたのだ。
 何故ならば。
「だから、見守られたくないと思っているわけが、いえ、見守るという言葉はおかしいですね。少なくとも、神様がマリアさんを見ているだろうと、信じているのではないかと思います」
「……!」
 ぐらり、とまるで眩暈をおこしたかのように、マリアの視界が揺れる。ふっ、と軽く息を吐き出すことでどうにか平静を保ったが、その視界の揺れは彼女の心の揺れだ。
(は……今の、何……?)
 クリフトの指摘は正しい、とマリアは瞬時に理解をした。驚くほどにすとんと胸の奥からまるで胃の底に何かが落ちたかのような感触。心のピースが埋まると、体までもそれを味わうのだということを生まれて初めて体感した。そして、理解とは別の感情で、信じられないほどに自分が動揺したのだと、後付でじわじわと感じられる。
 がたん、と音を立ててマリアは立ち上がった。このまま、クリフトの言葉をこれ以上聞いてはいけない。心のピースが埋まったというのに、何かが彼女に警鐘を鳴らして、その場に留まることを許さなかった。
 だが、待ってください、と力強く言い、クリフトは彼女を引き止める。
(何……)
 そんな強い口調でクリフトが自分に言葉をかけるなんて。
 マリアは拳を握り締め、逃げようとしている自分を寸でのところで抑えながらクリフトを見下ろした。椅子に座ったまま彼女を見上げる彼の瞳には、もう怯えの色は何もない。
「わたし達が言う神とは、概念のことです」
「がいねん?」
 ゆっくりとクリフトは立ち上がり、マリアと目線を合わせた。
「その存在を肯定されても否定されても、揺るがないもの。それが神というものです」
「は……」
「その存在をより多くの人々に都合よく使ってもらうために、我々聖職者は日々頭を悩ませているんです。そして、辿り着いたのは、あなたがきっとあまり好きではない、教会での説法。その内容が、より多くの人々、神という存在が必要な人々にわかりやすく提供出来る内容なのだとわたしは考えました」
「……何それ。クリフト、言ってることが、なんていうの……聖職者じゃないみたい。そう、どっちかというと……トルネコみたいな? 商人みたいよ……?」
「……そうですね」
 切れ切れに言葉にするマリア。その声には張りがなく、クリフトの突然の告白に十分に動揺をして、思考がまとまらない様子を表に出してしまっていた。
「わたしは、まだ若く未熟ですが、神を信じさえすれば心底誰もが幸せになるとは思っていません。いえ、そう思っていた時期もありました。でも、少なくともあなたは幸せではないでしょう」
「は、何言ってるの。じゃあ、クリフトは誰かには、神はいないって言うし、誰かにはいるって言うわけ?」
 幸せではない。
 クリフトの言葉は、マリアの気に触った。たとえ、彼女が本当にそうだとしても。自分でそう思っていたとしても、人から「知った風に」言われることは、腹立たしい。
 マリアの挑発交じりの声に、クリフトは怯まなかった。
「そういうこともあるかもしれませんね」
「それじゃ、駄目じゃない。嘘つきでしょ。何度でも言えばいいわよ。神様はいて、わたし達を見守っているって。見守っているだけで、誰のことも助けもしないけど。それどころか、罪もない人が神の名の下に命を奪われても謝りもしないって」
 クリフトの言葉をねじ伏せたくて、マリアは彼が傷つくのではないかと思えるようなことを言う。彼の信仰を踏みにじり、お前が敬う神は誰のことも救わない、崇めたところで意味がない。彼女が放ったのはそういう言葉だ。
 だが、それでもクリフトは引き下がらなかった。
 彼はマリアを真正面から見る。その表情はどこかしら憐憫の意をマリアに感じさせた。
 そして、ついにクリフトはマリアに伝えたかったのだろう本題を口にしたのだ。
「それは、マリアさんが思っている神です。それが本当の姿なのかは、誰にもわかりません。その神は、マリアさんにとって必要な神の姿です」
「!」
 瞳を見開くマリア。クリフトはいつもよりも早い口調で言い放つ。
「あなたは今、あなたの中の神を、人に押し付けようとした。それは、あなたが忌み嫌っている聖職者であるわたし達が、人々に説法をするのと変わらないではないですか」



 見透かされた、と思った。
 出来る限りいつも通りであろうと心がけて歩いてきたはずなのに、息があがっていることにマリアは気付く。
 はっ、はっ、と小さく細切れの呼吸。
 ゴットサイドの宿屋はあまり部屋数が多くない。今日はアリーナと同室だ。アリーナにはわがままを言って先に寝てもらっている。一度安心して深く眠ればそうそう起きないけれど、マリアを心配をして転寝をしている程度であれば、すぐに目覚めてしまうだろう。出来れば前者ていて欲しい、と何度も何度も願いながら一気に部屋の前に戻った。
 扉の前で息を整えると、今度は自分の鼓動が殊更に大きく聞こえてくる。まるで突然の全力疾走をした後のように、どくん、どくんと体内で響いているようだ。
(大丈夫。この音はアリーナには聞こえない)
 意を決してそっと扉を開けると、アリーナの規則正しく深い寝息が聞こえた。ベッドで毛布に包まる姿が、薄暗闇の中でぼんやりと見える。
(よかった、深く寝てる。これは、朝まで起きないコースだわ)
 考えれば、地底で今日のアリーナはずっと動きっぱなしだったな、と思い出す。そうだ。だから、こういう日だから、アリーナに先に寝てもらえると思ったのだった。そのことをようやく思い出して、マリアは息を深く吐き出した。ブーツを乱暴に脱ぎ捨て、装備品を雑に――アリーナが起きないとわかっているからだ――体から外しててゆく。ライアンがその様子を見ていれば「いつ何時でも己の身を守るものを丁寧に扱わねば」と口を挟むに違いない。それでも、心がひたすらに逸って居ても立っても居られない。
(……突然、クリフトがわたしの心に踏み込んで来た)
 考えればそれも仕方がないことだ。
 神というものに関して、マリアは何度もクリフトに手痛い言葉を投げつけ、まるで聖職者の代表でもあるかのように、彼に八つ当たりに近いことをしてきたのだから。
 ならば、聖職者たる彼が、あの教会の神父のように考えたっておかしくはないのだ。

――我々にとって気がかりであるのは、ここを訪れる人々の信仰心などではありません。何故、あなたが神の悪口とやらを言わずにはいられないのか。あなたの心をそう駆り立てるものが何なのか、そのことです――

 そんなもの。
 神というものが、村のみんなを見捨てたから。
 それは、神という存在を肯定し、神というものが見ているという前提での話だ。
 では、神がいないと仮定したら。
 いないものをいるとしている聖職者への憤りでも生まれるだろうか。
 いや、そうではない。ただ、いないものをいるかのように信じなければいけない人々の弱さをあざ笑うだけだ。
 けれども。
(わたしは、神とやらがいることを信じている。わたしは、わたしを嘲笑うのか)
 それも仕方がないか、と口端を歪め、マリアはゆっくりと体をベッドに横たえた。暑い。いや、熱い。まるで体全身で泣き出しそうな熱さを感じる。
 ああ、このまま眠りについて。目覚めたら。
 自分が神について考える必要が、これっぽっちもない世界になっていれば良いのに。その世界が平和だろうが平和でなかろうが。



 一人残されたクリフトは、マリアの姿が消えてもその場に留まっていた。ランプの灯りは小さくなり、薄暗さを増していく。
「ふっ……」
 彼の両眼からは涙があふれ出、頬を濡らし、あごで二筋の短い川は合流して、ぽたりぽたりとテーブルの上に落ちてゆく。力なく椅子に座り直して、頭を垂れるクリフト。
「ううっ……うっ、う」
 漏れる声を必死に押さえようとするが、涙はとめどなく溢れていく。
 マリアに語ったことを悔やんではいない。繰り返し繰り返し考えて、辿り着いた考えを、彼は撤回をする気はなかった。
 それは、口にしたくなかった、心の奥にしまっておきたかった言葉達だった。
 聖職者達が物心ついてから、口に決してしたくない、見てみぬふりをしたい、心の中にある鍵付の引き出しにいれてしまいたいこと。
 それを口にしなければ、聖職者たる自身の言葉が届かぬ魂があるのだと、ようやく彼は理解をしたのだ。
「神よ、お赦しください」
 それでは、自分にとって神とはなんだ。
 赦してくれる存在なのだろうか。
 受け入れる存在。受け入れる概念なのか。
 その存在を肯定されようが、否定をされようが。
 己の信仰の行き先が、そんな、人間にとって都合がいいだけの存在であって良いのだろうか。
 お赦しください。そう言いつつもクリフトは
(わたしは、神には赦していただけないだろう)
と考えていた。
 残念ながら、それは彼にとっての神の形であり、彼の中では彼以外の何人をも神は赦す。
 ただ、自分だけは赦されないと思う。いや、お赦しくださいと言葉にしても、本当は赦して欲しいとすら思っていないのではないか。
(それは、己を赦さぬ自分を、神に投影をしているだけではないか。本当に赦さぬのは神ではなくて自分だ)
 それは、堂々巡りの空論だとも思う。そして、まったく違う形で、きっとマリアも堂々巡りの空論で自分の首を締め続けていたのだろう、とも。




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