後悔-1-

アッテムト鉱山の奥でマリア達がデスピサロと対峙したときに、突然現れた伝令役の魔物が告げた言葉。

ロザリー様が、人間達の手に。

マリア達は地獄の帝王と言われるエスタークの復活を防ぎ(と自分達では解釈したけれど、実際それは断言出来ない)、デスピサロと決戦の時を迎えないままで脱出をすることが出来た。
ライアンを筆頭に、アリーナ、クリフト、そして勇者であるマリアの消耗は激しかった。
それでも、急がなければ。
鉱山を出てからすぐにマリアは、ロザリーヒルに行く、ルーラを頼む、とマーニャに告げた。
マリアの剣幕に押されて、よくわからないけどわかったわ、なんて適当に頷いて呪文を唱えようとしたマーニャを止めたのはブライだ。
さすがに伊達に年をとっていない。
この年老いた魔道士は、どんなときでも納得が出来ない状態で振り回されることをよしとしない。
彼を振り回すことが出来るのは、話が通じないアリーナぐらいのものだ。
ブライはマリアからかいつまんだ話を聞き、冷静に答えた。
「いかに急がなければいけないとはいえ、そんなぼろぼろの状態で行くなぞ、感心しませぬ」
「ブライ、急ぐのよ!」
「今の話では、デスピサロとやらもその、なんといいましたかな、そうそう、ロザリー嬢のもとへ向かったはず。そこでどういう形にせよ出くわしたら、この状態でどうするおつもりか!」
「!」
正し過ぎるブライの言葉にマリアはびくりと体を震わせた。
ブライがそこまで強い口調でマリアの判断を非難することは滅多にないことだ。
「それでなくとも、このアッテムトで待っていたマーニャ達も、幾分か体の不調を訴えておりますぞ」
そのブライの言葉で初めてマリアは、自分達を鉱山に送り込んでから待っていてくれた仲間達をぐるりと冷静に見た。
先ほど、ルーラを、とマリアが頼んだマーニャは、確かにいつもの精彩さに欠けているように見える。
ミネアも口を閉ざしたまま、ブライの言葉を否定しない。
「ああ、その、どうも鉱山から流れてきたガスにあたった、というかね。みんなあまり調子がよくないんだよ。マリア達はそんなこと、ないのかい?」
トルネコがまるで仲介役(ブライとて、別に喧嘩をしているつもりはないのだが)のように、少しばかり歯切れが悪い様子で言葉を挟んだ。
「ううん、わたし達は・・・」
「最深部にまで潜りましたが、封印の力なのでしょうか、そこではあまりガスの気を強く感じませんでした」
クリフトが冷静に答える。
「そうかも。なんか、嫌な空気だったけど、息苦しくはなかったよね」
そのアリーナの言葉通り、そういわれたらそうだな、とマリアは思う。
道の途中でアリーナが、エスタークの居城への近道を無理矢理岩壁を蹴散らして作ってくれた。
そのとき、そちらから流れてくる空気が「違う」と思ったのは、、禍々しい気をもっただけではなかったのだ。
「なんにせよ、我らは残念ながら生身の人間ですからの。休むときに休まなければ、必要なときに動くことも出来ませぬ」
そのブライの言葉は最もだ。
それに、デスピサロが既にロザリーを助けているという可能性もある。
「わかった。わたしが短慮だったわ。今日はひとまずゆっくり休みましょう。ガスにあたったんだったら、空気がいい場所がいいわね・・・」
マリアは少し悩んでから言い、それからはっと思い出したようにライアンを振り返った。
「ライアン、ガスのつぼ」
「お持ちしておりますぞ」
アッテムト鉱山の最深部、エスターク城の一角に守られていた、不思議なガスを発する壺をライアンは大事にもって出てきてくれていた。腰につけた布袋の中に、何重の布にもくるんでしまいこんでいる。
エスタークとの戦闘に倒れたアリーナを、クリフトが気絶させたマリアを抱えながら脱出をはかった可哀相なライアンとクリフトであったけれど、「そういえば、封印に守られた宝がありましたね」とクリフトは途中で思い出して、人一人を抱えたままわざわざ忘れずに取ってきてくれたのだ。
「ブライ、リバーサイドに行って、今日は一晩みんなを休ませて。それから、この壺・・・鉱山に充満していたガスとは違う、ものすごく軽いガスがどんどん吹き出てくるの。これ、リバーサイドの・・・」
ああ、とトルネコは声をあげた。ライアンが手に持っている壺を覗き込んで、うんうん、と頷いてから
「これがあれば、もしかして、気球とやらが作れるかもしれないなあ」
と明るい声をあげる。彼の独特なイントネーションは皆の気持ちを安心させる響きがある。
「そう思って」
「じゃあ、リバーサイドに行きましょうかっ」
それなら、とルーラを唱え始めるマーニャ。
が、それへは今度はマリアが制止をかけた。
「わたしは、いいわ」
「マリア?何言ってるのよ?」
「マリアさん、まさか、お一人でロザリーヒルに行こうなんて、思っているんじゃ」
ミネアが鋭くマリアに聞く。場の空気が変わった。皆からの視線が痛いな、とマリアは苦笑を浮かべた。
「違うの。わたしはイムルに行こうと思って」
マリアが言っていることの意味がわからず、一同は難しい顔をする。
「イムル?」
「イムルの宿屋で、ロザリーの夢を以前見たでしょう」
イムルに行ったときに、そこでは不思議な夢の話題でもちきりだった。
宿屋に泊まった人間はみんなその夢を見て、それゆえに気味悪がられてしまい、商売にならない、と宿屋の主が愚痴をこぼすほどだ。
その宿屋に泊まったときに、ロザリーの夢を見た。それは、エルフであるロザリーが唯一持っている、「祈る」という行為を媒体として人にその意思を届けることが出来る、人にはない力の結果だ。
そして、その夢に導かれたようにマリア達はロザリーのもとに行き、デスピサロを止める、という約束をあのエルフの少女と交わしたのだ。
だから、もしかして、またロザリーの身辺に異変があれば。
「あっ、また、何かあるかもって思ってるのね。だったらみんなで行こうよ!」
アリーナはそう叫んだ。それへマリアは首を横にふる。
「もし、またロザリーから何かのメッセージが届いていたら、みんなゆっくり休めないでしょう。眠りが浅くなってうなされるのがオチだし。それは効率が悪い」
「それでは、あなたが疲れてしまうでしょう」
「みんなと合流したら、休ませてもらう。ちょっとした確認をしたいだけよ。一日も無駄にしたくないから、明日になったらみんなで行こう、とかいうのはナシね」
「でしたら、マリアさんが行ってはいけませんわ」
ミネアはマリアの言葉を遮るように言う。
「マリアさんは私達のリーダーですから、常に最高のコンディションでいていただかなければ。それでしたら、わたしと姉が行きます。姉はロザリーさんともお会いしていますし、ルーラも唱えられますし。それに・・・もし、何か緊急のことがあったときに、わたしの占いでお役にたてることもあるやもしれませんし」
その意見はとても建設的だと思える。
実際、イムルの宿屋でロザリーヒルにいるロザリーの夢をみたとき、その町がどの方角にあるのかをミネアに占ってもらったことをマリアは思い出した。
あくまでも夢の中で見るだけのことだから、明確な情報を得ることは出来ない。その不明瞭な部分をミネアが水晶を通して補ってくれるのはありがたい。
「そーよ、あたし達にまかせておいて。調子悪いつっても、寝苦しいつっても、今日そんなボロボロになってまで戦っているあんた達とは違うんだから。ね」
マーニャも無理矢理ではあったがはりきった物言いをして、マリアを安心させようとする。
マリアはその気づかいが嬉しかった。それでも、心のどこかでそれを突っぱねようとしている自分がいることも彼女は気付いている。
「・・・わかった。でも、そうね、二人を信用していないわけじゃないけど、ライアン、ついていってあげてくれる?」
「は、もちろん」
「きゃはは、両手に花よ?」
茶化すようにマーニャは言う。やはりガスのせいか、その声にはいつもほどの艶は感じられない。
それでも、ミネアが言うことは本当に正しいと思えたし、マリアが自分でいった「効率」を考えれば、この申し出を断わるわけにはいかない。
「じゃあ、ブライ、わたし達はリバーサイドに行きましょう・・・ルーラ、頼めるかしら」
「断わる理由なぞ、ありませぬな」
そう言ってブライは小さく笑顔を見せてくれた。その笑顔に、救われた気持ちになってマリアはほっと息をついた。
この大切な人達のことを、自分は本当に愛しいと思っているのだ。そのことを痛感して、胸が痛くなった。

眠れるわけがない。
リバーサイドの町に以前来たときにも夜の散歩をした。そのときはマーニャに見つかって、女同士のたわいない話をしていたなあ、なんて思い出す。
海沿いを歩き、潮風を受けながらマリアは溜息をついた。
体は疲れていて、歩くことも嫌がっている。それでも、頭が、心が、眠ることを拒否していると思う。
マーニャは、ミネアは、そしてライアンは、今イムルの村で眠っているだろうか?
夢を見ているだろうか?
それとも夢は、もう見ないだろうか?
ロザリーは人間達に連れ去られてしまったのだろうか?
ロザリーは今ごろ泣いているのだろうか?
デスピサロがロザリーを救ってくれたのだろうか?
デスピサロはロザリーをどういう形で愛しているのだろうか?
それにしてもおかしい。
ロザリー様が、人間達に。
・・・人間に捕まるような、そんなドジなことをあのエルフがしたのだろうか。
マリア達は彼女を守っている護衛騎士を倒してロザリーに会いにいった。
けれど、普通の人間はロザリーの住処に入り込むことは出来ない。
あやかしの笛を手に入れなければいけないわけだし。ロザリーの話では、魔族の誰かは時々様子を見に来るということだったから、あの護衛騎士がいなくなったからといって、新しい護衛がつくと思っていたのに。
ロザリーが自分から外に出たのだろうか。
窓からも、姿を見せるな、とあれほど言い聞かせたのに、あの臆病なエルフがヘマをしたのだろうか。
マリアはぺたりと砂の上に座った。
今日の風は肌寒い。すぐにマリアの剥き出しの腕、足は冷たくなる。
しばらく膝を抱えて、顔を自分の膝頭にくっつけたまま、マリアは瞳を閉じた。
今日わかってしまったこと。
最後に自分に対してシンシアが見せた笑顔のこと。
そして、デスピサロへの憎悪のために、命を自分が本当に捨てられるのだということ。
ライアンはマリアの行動を不快に思いながらも、それでも怒らなかった。
彼はマリアの若さを慮ったのだということ。
ブライの叱責は、自分を一人前の勇者と見なしているせいだということ。
それから。
クリフトは、本当に、男なんだ、ということ。
たくさんのことが頭の中をぐるぐる回った。
眠れるわけがないし、考えないように出来るわけがない。
自分は決して人から暗い人間だと言われるタイプではないけれど、決してアリーナのように明るく振舞える人間でもない。
強くならなければ、と思うけれど、人にはやはり出来ることと出来ないことがある。
しなければいけないこと、というものがあることを彼女は知っていたけれど、人間の気持ちには限界がやはりあるのだということをひしひしと今のマリアは感じていた。
ああ、そうだ。
イムルにいかなくてよかった。
こんな気持ちで、またロザリーの夢をみてしまっては、わたし、多分耐えられない。
そっとマリアは顔をあげて、夜の空へ目をむけた。

空を見れば、自分の悩みなんか小さいことだって、思えるわよ

シンシアの声を思い出す。
花畑で仰向けになって空を見るのが好きだったシンシア。
きっと彼女は彼女でいろんな悩みを抱えていて、それを人に気付かせたくないと思っていたのだろう。
今になってわかる。彼女が花畑にいるときは、きっと、悩みを跳ね除けるために空を見ようとしていたのだろう。
「でも、シンシア、夜だからお日様はないし、今日は星も月も見えないよ」
どんよりとした暗い空。空が暗ければ海も暗い。
そのとき、道沿いにちらちらと動く小さな灯りが自分に近づいているのに気付いてマリアは立ち上がった。
ぱらぱらと砂が落ちる感触。むき出しの腿付近にも砂がついてしまっていて、そこだけなんとなく妙な感じがする。
「あ、トルネコ」
「やあ、まだ休んでいなかったのか、マリア」
トルネコが小さなカンテラを持って歩いていた。彼が夜ふらふらと出歩くのはめずらしい。
「うん。ちょっとだけ眠れなくて」
「無理でも眠る方がいいと思うけれど」
「トルネコはどうしたの」
「気球とやらを作っている様子を見にいってねえ。あれはおもしろいもんだ」
「へえ、そうなの」
それはとても彼らしいな、とマリアはなんだか嬉しくなって口元がほころんだ。
「あまりじろじろ見ていても気が散るだろうし、もういい時間だったからね。一緒に宿に戻らないかい?」
「・・・うん、ご一緒するわ」
マリアにとってはトルネコはいまや、亡き父親に少しばかり近く思える人間だ。
なんとなくトルネコの前ではマリアは素直になることが出来る。
それはきっと、この商人の才覚とも関係あるのだろうな、と冷静に思うときもあるけれど、トルネコの傍にいると、自分が平和に山奥の村で暮らしていたときの感覚に戻れる気がする。
彼は好き好んで戦闘をする人間ではない。
一緒に旅をしているけれど、驚くほどトルネコは普通の人間で、穏やかで、争いごとを好まない。
剣を振るうのもあまり好きではないことを知っているし、そしてそういう彼のことをとても好ましくマリアは思う。
要するに、マリアにとって彼は、郷里にいた人々と何一つ変わらない、最も彼女がよく知っていた日常生活に近い人間なのだ。
「しょげていたのかい」
「何が?」
「今日はブライ殿にきつく言われてしまったからね」
「ううん、あれはわたしが悪かったわ」
「そうだね」
「うん」
道々に話す事はとても穏やかな口調で続く。
トルネコがマリアに聞いた「きっとマリアは嫌がるだろう」と思えることはそれだけで、それ以外はちょっとした世間話や気球のこと、それから、マリアが鉱山に入っている間にマーニャ達と話していたおもしろおかしい話などだった。
もう、トルネコったら、大好き。
時折マリアはそう言って彼に抱きつきたくなることもある。
この仲間達の中では、マリアが勇者であるということを忘れさせてくれる、唯一の人間がトルネコだ。
それにどれだけ救われているのか、この男性は気付いているのだろうか。気付いていてわざとそう振舞ってくれている節もあるけれど、マリアはそれを追及はしたくない、と思った。
宿に戻るとトルネコはマリアに、もう一度湯あみをするといい、と言った。
マリアは単純に、潮風のせいで髪や体がべとついているからだと思ったけれど、トルネコの答えは違った。
「お湯に下半身だけゆっくりつかると、体も頭もリラックスするからね。頭の中を空っぽにするにはいいらしい。あと、阿呆みたいに口をぽかーんとあけて目を閉じるのもいいそうだ。それで、お風呂あがりに冷えないうちに、ベッドにはいるとよく眠れるよ」
「そうなの?」
「ああ。ネネが教えてくれたから、間違いない」
「ネネさんが」
トルネコの口から妻の名を聞くのは、申し訳ないという気持ちも生まれるけれど、基本的にとても嬉しいとマリアは思う。
マリアはネネのことをとても尊敬しているし、素敵な女性だと憧れもしている。
「じゃあね、わたしは寝るよ。おやすみ」
「おやすみなさあい。ありがと、トルネコ」
今日のリバーサイドの宿屋はがらがらに空いていて、疲れをとるために、と全員一室ずつあてがってもらった。
早寝早起きのブライは間違いなくもう眠っているだろうし、アリーナは宿にきても「疲れたー!」とはっきり言っていたから熟睡しているころだろう。基本的にクリフトも夜更かしはしない人間だから、多分自分が最後に違いない、と思う。
マリアは宿屋のおかみさんに頼んで、湯浴みをさせてもらった。
食事前に一度湯浴みをしていたが、今日は体のあちこちに傷をつけて血が固まっていたため、それをとることだけに必死で、リラックスすることなぞ考えもしていなかった。
そもそも体を湯にゆっくりつける、という文化もアネイルの温泉にいって初めてマリアは知ったことだったし。
「ああー・・・くつろぐ・・・」
浴槽に湯をはって体をその中にいれる。
それから、素直にトルネコに言われたように、マリアは目を閉じて、ぽかんと大口をあけてみた。
湯気を感じる。なんだかぼうっとする。思考が止まる。
不思議と間抜けな心地よさが体を支配してきた。
本当だ。こういうのも、なんかいいね。
今度エンドールに行ったときに、トルネコと一緒にネネさんにケーキを買っていこう。
マリアは少しだけ湯船の中で微笑んだ。

すっかりリラックスしたマリアは寝間着を着たまま、宿の入口近くにおいてある木の椅子に座って髪を拭いていた。
濡れそぼった髪は量が多くて、乾くまで時間がかかる。綿の寝間着の肩を濡らしてしまうので、一枚肩にタオルをかけ、もう一枚で頭を包んでいる。
夜だというのに、今日は人がいないからサービスですよ、とおかみさんが茶をいれてくれると言うのだ。
人のそういう優しさは骨身に染みる。
リバーサイドの宿屋を営んでいる夫婦は、老夫婦というには若いけれどとっくに子供が独立していてもおかしくないように見えた。
あまり人のことを詮索しないマリアだったがリラックスついでに口をすべらせてそのことを聞くと、白髪まじりのおかみさんに人のよさそうな優しい笑顔で
「息子は漁に出ていて、たまにしか帰らないんですよ。それに、この町は人が少ないからお嫁さんがいなくてね。お嬢さん、よかったら今度は息子がいるときに来てみてくださいな」
なんて言われてしまった。
「息子が帰ってくると、もっと大きな魚を出せるんですけどね。近海の漁は小ぶりな魚ばかりで」
おかみさんはかなり年季が入ったポットから、こぽこぽと音をたててカップに茶を注いだ。
マリアは「いただきます」と一言添えてから、それにそっと口をつける。
「わたし、山育ちなんでお魚ってあまり食べたことがないんです」
「あらあら、そうなの」
「夕食に出たお魚、おいしかったです。柔らかくて、なんだかふんわりしてましたね」
「あれは塩釜といってね、塩で包んで焼くんですよ」
聞いたことが無い。マリアは目を丸くして驚きの表情を見せる。
「塩で包んで?でもしょっぱくなかったです」
「味をつけるために包むんじゃなくてね」
そこまでおかみさんが答えたとき、パタン、と小さな音をたてて宿屋の扉が開いた。
まだ少し火照っているマリアの体には、殊更に冷たく感じる外気が流れ込んでくる。
「おかえりなさい。ありがとうね。さすがに風が冷たくなってきたんじゃないですか」
「遅くなりました。ええ、少し寒くなってきましたね」
「クリフト」
入ってきた人物を確認して、マリアはまたも驚いた。クリフトだ。
彼にしてはめずらしく部屋着のまま外を出歩いていたらしい。
いつもクリフトは外出するときには昼夜問わずに「きちんとした」変わらぬ恰好で出かける。
その彼が木綿の頭からかぶるだけのラフなシャツを着ただけで外に出るなぞ、滅多にないことだ。
「どこいってたの」
「おかみさんに頼まれて、道具屋さんに夜食を届けに行ったんです」
ということは、おおかた、自分が湯浴みをしている間にお使いを頼まれたのだろうな、とマリアには想像が出来た。
「今晩は夜通し作業をするっておっしゃっていたものですからね。お茶、おいれしましょうね」
「ありがとうございます。マリアさん、こちらに座ってもよろしいですか」
「いいわよ」
クリフトはマリアの向かい側の椅子に座った。おかみさんがポットに湯をいれに行ってしまったため、彼らは二人きりになる。
「湯浴みなさっていたのですか」
クリフトの問い掛けにマリアはようやく、自分がタオルで頭を包んでいる情けない、あまりクリフトに見られたくない状態でいることに気付いたようだ。
マリアは慌てて頭を覆っていたタオルをとり、濡れたまま肩にかけた。まだ、時折わずかに水滴がぽたりと肩や顔に流れ落ちてくるけれど、そうそうびしょびしょになるほどのものではない。
「ちょっと眠れないって言ったら、お風呂に入るとリラックスできるってトルネコが教えてくれたから」
「そうですか」
どうして眠れないのか、という追求はしないで、クリフトは微笑んだ。
やがておかみさんが戻ってきてクリフトに茶をいれて、それから
「飲み終わったらそこに置いたままにしておいていいですよ。わたしは明日の朝ご飯の仕込をしてきますからね」
「はい。ありがとうございます」
「いただきます」
ようやくクリフトはそう言ってカップに手を伸ばす。おかみさんは終始笑顔のまま、厨房に向かって歩き出した。
しばらくの沈黙の後で、先に口を開いたのはクリフトの方だ。
「眠れそうですか?」
一瞬何のことを言われているのかわからず、マリアは答えるのに時間がかかってしまう。
ほんのわずかだけ自嘲気味の笑みを浮かべる。
「正直、わからないわ。でも、結構気持ちは楽になってきたの」
「そうですか」
「ロザリーのことは心配。でも、今日一日のことは、気持ちが乱れなくなってきた」
アッテムト鉱山の奥で地獄の帝王エスタークを倒した直後に現れたデスピサロ。
マリアは激情に駆られて鎧すらつけずに単身でデスピサロに立ち向かおうとしたのだ。
それを止めたのは、デスピサロのもとにやってきた伝令と、それに注意を向けていたマリアに不意打ちを食らわせたクリフトのおかげだ。
クリフトは穏やかに、決して責めるような口調ではなく告げた。
「・・・デスピサロと次に会ったら、先走らないでください」
「わかってるわ。今日は、ごめんなさい。馬鹿なやつだと思ったでしょ」
「いえ」
クリフトはそう答えてから少しの間、両手で暖かいカップを包んで、その中に入っている液体を見つめた。
他に答えが返ってくるのかこないのかを量りかねて、マリアもまた黙る。
その、妙に気まずい空間で、クリフトが勇気を出して言葉を続けた。
「マリアさんは、誰も、死なせたくないとおっしゃっていました」
「・・・え」

もう、誰も死なせたくないのよ、わたしは!

とても静かなクリフトの声音。
マリアは、一体彼のその言葉が、何を元に発されているのか一瞬わからなかった。
ああ、そうか。
思い出すのは、エスタークと剣を交えたときの激情。
わたし、あのとき、口に出していたのね。
心の中で叫んでいたつもりだったのだけれど。
ふっとクリフトに視線を合わせて、それから、こくん、とマリアは無言で頷いた。
「そう思っているのは、あなただけではありません。そのことを忘れないで欲しいのです」
「・・・うん」
それはわかっている。
自分がみんなを大切に思っているように、みんなも仲間を、自分を大切に思ってくれている。
それは嫌と言うほどマリアにだって、わかっているのだ。
「ありがとう、クリフト。わかってるの。なのに、駄目だったの。ごめんなさい」
「ええ、きっと・・・どうにもならなかったのだろうとは、思います。それでも、聞いてくださってありがとうございます」
クリフトはそういって小さく微笑んだ。
その笑顔すらまっすぐ見られない、とマリアは所在無く視線を木のテーブルに落とす。
この男は、本当におめでたい、と思っていた。おめでたくて未熟な、理想論を恥ずかしげもなく口にする神官。
けれど、彼はとても己の未熟さを知っていて繰り返し自分自身を叱責しているのだとマリアは思う。
彼が本当に必死に強くなろうとしている姿が、言葉にしなくとも伝わってくる、と感じる。
ここまでの旅で、マリアが何度か自分をさらけ出して、そして何度も彼を傷つけてきた。この先だって、多分自分はクリフトを傷つけてしまうに違いない。
夜のエンドールで、自分の過去をクリフトに話した。あの日から、自分とこの若き神官の不思議な関係は始まったと記憶している。
困ったときに口を閉ざして、悲しそうにマリアを見るあの瞳。
初めはその視線がもつ意味は、憐れみだとか悲しみだったけれど、最近は違うように思える。
それがどういう変化なのかはマリアには把握は出来ないけれど。
「・・・あ」
ぽたん、とマリアの髪から水滴がテーブルの上におちた。
木のテーブルはその水滴をじんわりと吸い込んでいく。
それを見て、マリアは昼間のことを突然思い出した。
「ああ、クリフト、ごめんなさい。わたしの血であなたの服を汚したのに、すっかり忘れてた。服、もしかしてもう洗っちゃった?」
そうだ。今日は激しい戦闘をしたのだから、宿屋に入ってそうそう服を洗ったっておかしくはない。自分だってそうしたのだし。戦闘中は鎧などをつけているから、着用しているのは普段使いの衣類ではないけれど、クリフトはいつもと変わらない白い下穿きを穿いていて、それをマリアの血は赤く染めてしまっていたのだ。
「ええ、洗いました。お気になさらず。そもそも、今日はかなり汚れていましたし、わたしの血も結構ついていましたよ」
「あ、そう、だったかな」
「そうですよ」
クリフトは茶を飲んで、ふう、と小さく一息をついた。
思えばこの神官は年の割には冷静で、育ちのせいか物腰も穏やかだ。村にはこういうタイプの男性はいなかったな、とマリアは思う。
だから、尚更彼の一挙一動が気になるのだろうか。
未だに自分の中の、クリフトへの特殊な感情を簡単に受け入れることが出来ずにマリアは時々苦しくなる。
この気持ちが恋だと思うときもあれば、こんなものが恋だとは笑わせる、と感じるときすらある。
もしも、自分が勇者でなければ、この人のことをどう思ったのだろう・・・。
そんなことを考えている自分に気付いて、マリアは慌てて、カップの底に残ったわずかな茶を飲み干した。
それを見てクリフトは
「髪の毛、早く乾かして眠った方が良いですよ」
なんてさらりと言う。
変わらない笑顔とその穏やかな口調。
それが嬉しいときと、本当に憎らしいときがあるということを、彼は知っているだろうか?
「うん、じゃ、そうする。おやすみなさい、クリフト」
マリアは素直にそう言って椅子から立ち上がった。
「おやすみなさい。わたしももう寝ますね」
まだ茶が残っているため、クリフトはその場に座ったままだ。
マリアは軽く手をふってから、肩にかけていた濡れたタオルを頭の上からばさっとかぶって、表情をクリフトに見せないように歩き出す。
今、こんな気持ちになっているなんて。
ロザリーのことを思えば、このわたしの気持ちは不謹慎だと怒られるかもしれない。
本当は、嬉しかった。
こんな風に、偶然に二人きりで話せるなんて。
少し嬉しくて、そして、とても辛い。
逃げるように歩いている自分が、とても情けない。
それでも、足早にマリアはその場を立ち去って部屋に向かった。

一人残されたクリフトは、マリアが置いていったカップをみつめていた。
その対象物を視線が捕らえているということは彼にとっては何の意味ももたらさない。
言おうかどうか、一瞬悩んだことがあった。
それを飲み込むことが出来たのは、自分では進歩だとは思うけれど、本当にそれが彼女のためなのかは、まだわからない。
小さく溜息をついて、冷えかけた茶を口にする。
「何一つ」
半端な呟きを声に出してしまったことに気付いて、慌ててクリフトは辺りを見回した。
誰一人彼のそれを聞いていないことを確認して、また小さな溜息をひとつ。
今日、マリアがクリフトに言った言葉を思い出す。

帝王を倒せるのは、天空の血をひく勇者だけ、ってデスピサロは言ってたわね

もし、本当にわたしの体にそんなものが流れているなら

なくなってしまえばいいのに。天空の血なんて

自分が勇者でなければ、村の人々は死ななくて済んだのだろう。
そんな思いをマリアが抱えていることをクリフトはいやというほど知っている。
ただの人間であればよかった、と。
そして、神という存在を信じない、いや、むしろ憎んでいるとすら言える感情を持っている自分が、天空の、神に近い場所にいる人々の血をひいていることを彼女は許せないのだ。
けれども。
クリフトは、今日、マリアの血を吸った自分の服を洗った。
その血は色を暗く変え、クリフトの血で染まった部分となんら変わりがない汚れになっていた。
当然のことながら、同じような手洗いで、大体同じくらい洗い流せたし、おかみさんに借りたせっけんを塗りつければ、どちらの血の痕だって綺麗に落ちた。
ああ、本当は何一つ、違いがないのだ。
わかりきっていたことだというのに、改めてクリフトはそう思った。
勇者の血、天空の血、そして、あまりにも当たり前に普通に生きている自分の血。
何も、違いなぞ、ない。
以前、初めてマリアが過去をクリフトに語った夜、彼女はクリフトの手をとって、それをわざと彼女の体におしつけた。

こんなに、誰とも違わないのに、わたしは、勇者なのよ

そう言ったのは彼女自身だったはずなのに、今の彼女は自分から「違う」ことを受け入れて、更にそのことを憎んでいる。そして、自分の体に流れる、母親から受け継いだ血をもまたうらめしく思っているに違いない。
自分をこの世に生んでくれた、自分の母親の血を憎むなんてことは、とても悲しいことだとクリフトは思う。
だから本当は、言いたかった。
何も、変わりはないですよ、と。
だから、恨まないでください。あなたのお母さんを。天空の血を。
時折、考える。
クリフトはマリアの本当の両親を知ることは出来ないから想像をするしかないけれど。
種族を超えて愛し合った人々には、深い覚悟があったに間違いないし、その覚悟を決めさせるほどにきっと深くお互いを愛していたに違いない。
真実に愛し合った結果生まれたはずのマリアが、自分の血を恨まなければいけないなんて、それはとても悲しい。
だから、違わない、と教えてあげたかった。けれども、それは出来なかった。それを口に出すのは、浅はかなことだ。
何故なら自分達こそ、最も彼女を勇者として崇め、彼女に集う選ばれた人間としてここにいるのだから。
彼女を最も特別視、あるいは最も近くで彼女に期待をしている人間が自分達なのかもしれないから。

こんなに、誰とも違わないのに、わたしは、勇者なのよ

誰とも違わないと信じている人間が、お前は違うって言われてはいそうですか、って思えるわけないじゃない

いいや、違う。あなたは、わたし達とは違うのだ。
そう答えればよかったのか。そう言ってしまえばあの人は本当は楽になったのではないか。
違わないのだ、とすがりついていた彼女が、自らの違いを認めて、その体に流れている血を憎んでいる今になって、あなたはわたし達と何も違わない、と口に出す勇気はクリフトにはない。
クリフトはぐるぐると答えがないことを考えていた。
強く自制をしなければ、彼女を傷つける言葉を吐き出しそうで、胸が痛むとすら彼は感じていた。
そして、彼女を傷つけないけれど、自分の信仰を傷つける言葉を。
憎むなら、神様を憎んでください。
そんな、聖職者にありえない言葉を、彼女に告げたくなってしまう自分のことを、彼は少しばかり苛立っていた。
神は誰に対しても平等の愛をもっている。マリアが憎しみを抱いても、神の、彼女への愛は変わらないとクリフトは信じる。
けれども。
その愛では彼女を救えないし、彼女は神からのその愛情なぞ、欲しくはないのだろう。
だから、尚のこと言ってはいけない。
それは、何一つ救いにはならないのだから。

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