後悔-3-

岩壁を登って、クリフトが上から手を差し伸べる。
マリアは一瞬躊躇したけれど、素直にその手を掴んで「よっ・・・と」と岩壁にもう片方の手をかけ、足で体重をうまく移動させて登った。
驚いたことに、海に近い町のはずれに草原が広がっていた。
遠い海側にたくさんの木が立ち並んでいて、潮風を草原までは送り込まない。
確かに草原だけれど、なんとなく山奥で見るなじみの在る草原とは印象が違う、とマリアは思う。海に近いため、ここに生息する草木の種類が違うからだろう。
「わ、ちょっとだけど、花も咲いてるわ」
先ほど気球で見下ろした景色を思い出すけれどよく思い出せない。全体に緑が、という印象しかなかったため、どこがこんな風に草原になっているかまで細かく見てはいなかった。
広がる草原。
そして広がる空。
とても当たり前に思っていたその風景に、何故だか心打たれるとすら思える。マリアは息を深く吸い込んだ。
体の中に入ってくる綺麗な空気を、心底「おいしい」と彼女は思う。
なんとなく潮風のせいで塩辛い印象が合ったリバーサイドの空気とは、ほんの少しだけ違う気するする。
二人は少しの間だけ黙ってあたりの様子を見ていた。
「なんでここにこようと思ったの?」
「道具屋さんにお聞きして。最初気球の上の部分を作るのに広いところが必要で、ここで作っていたんですって。今はもう形になってしまったから、そんなに広いところは必要ではないみたいですが。突然の雨の日にはまいった、とおっしゃっていました」
「ふうん」
「ここから空を見て、憧れていたとおっしゃっていましたよ。草原は広いし空は広いし気分がよくて、吹く風に体をまかせては、空を飛ぶ夢を見ていたんですって」
「・・・」
マリアはまじまじとクリフトの顔を見て
「わたし、シンシアの話をあなたにしたっけ?」
「・・・?幼馴染の、方のお話ですか?」
「空と、それから、草原の、花畑の、話。こんな広い草原じゃなくて、ちっちゃい花畑だったけど」
「・・・いいえ?」
クリフトはきょとんとマリアを見返した。それから、あまり言いたくなさそうな表情を浮かべつつ、律儀な彼は答える。
「花畑のお話は、お聞きしました。あなたが、シンシアさんと・・・花の冠を編むのが、好きだった、と。そして、あの日も、シンシアさんが、その花畑にいらっしゃったということだけは」
「そっか。そうよね。言ってないわよね」
マリアはそう言って、草原に体を横たえた。
旅をしていれば草原なんて腐るほどある。
休憩できるときは馬車の中で寝るよりも、こうやって草の上で横になることも多いし、マリアもそれを好きだと思う。
「クリフトも、こうすれば?気持ちいいよ」
「はい」
「アリーナ達も、あとで連れて来てあげようよ。悲しいことがあったときは・・・空を見よう」
「・・・はい」
「そう決めたの」
クリフトは少しだけ離れたところに、マリアに習うように寝転んだ。いつも彼がかぶっている神官帽は邪魔になるから、剣と一緒に頭の傍にそっと置いてある。
「なんで、わたしを誘ったの。一人でも来られたでしょ」
「ご迷惑でしたか」
「そんなこと聞いてないよ」
「なんとなく、ご一緒したかったのです」
「わたしが勇者だから?」
「違いますよ」
二人供目を閉じて空を見ている。まぶたを通して明るい光が目に届くのがわかる。
光にも色があるんだな。そんなことを思いながらマリアは右手で自分の両目を更にふさいでみた。
さきほどより光が遮られ、次に気付くのは耳に入ってくる音。
聞こえるのは風に吹かれる静かな草や木の葉の音、それから鳥達の声、それから、隣に寝転んでいる人の声や、その人が動く音だけだ。
「ねえ、クリフト、ひとつ聞いていい?」
「なんでしょう。嫌なお話でしょうか?」
そういう物言いを彼がするのはめずらしい。けれど、こういうのも、いいな、とマリアは少し思った。
昨日デスピサロ相手に向かって行ったマリアを気絶させたクリフトは、その後にマリアに「肘鉄を食らわせられたお礼です」なんてことを言った。「聖職者がそんなこと言っていいの?」との問いにも「あまりよくないでしょうね」なんて答えを返していたことを思い出す。
ちょっとずつちょっとずつお互いの距離がくだけてきたことをマリアは気付いていたし、きっとクリフトもそうなのだろう。
しみじみ聞いてはいないが、きっと自分とクリフトは一番年齢が近いのではないか、とマリアは思う。
「嫌なお話よ」
「うーん・・・覚悟して、お聞きします」
「何を、神父さんとお話してたの。前に教えてくれた、懺悔ってもの、やってたの?」
「・・・いえ、違います」
「言いたくなかったらいいんだけど。ただ、不思議に思って」
「何をですか?」
「悲しいことがあったときに、教会にいけば、救われるのかなあ、って」
クリフトは寝転んだままマリアの方に顔を向けた。マリアはその視線を感じて、ゆっくりと瞳を開けてクリフトを見る。
「わたしは聖職者ですから、迷いがあったときは教会に行って心を静めるのですよ」
「じゃ、教会がなかったら?」
「一人で、空を、見ます。これからは、きっと」
そういって彼はマリアから目をそらして、また空を見上げた。
いい答えだな、とマリアは思いながら、彼の真似をして空を見る。晴れ渡った青空に、ほのかに雲がかかっている。
先ほど気球を飛ばしていった方向の空はその雲すらない。
「わたしたちが、あの護衛騎士を倒さなければ、こんなことにはならなかったのかと。ロザリーさんが、あんな風にデスピサロを止めて欲しいと願わなければ、イムルで最初の夢すら見なければ、ロザリーさんは死ななくて済んだのではないかと思えて、この悲しい結末が納得出来なかったんです。あまりにこの世界には理不尽なことが多い」
「・・・聖職者が、そんなこと言っていいの・・・?」
「よろしくないですね」
昨日と似たやりとりをして、マリアははあ、と大きく息を吐いた。
「気付いていたのね。それ」
「姫様も、気付いていました。多分、マーニャさんも・・・わたし達が護衛騎士を倒してしまいましたよね。あの後、それ相応の護衛はきちんとロザリーさんについていたのでしょうか?恐くて、それをお聞きすることが出来ませんでした」
「・・・確かにみんな、阿呆じゃないわよね・・・」
ブライに口止めしたのは、そのことだ。
マリア達が去った後に何度か様子を見に来る魔族がいたけれど、何故か護衛騎士の替わりになる魔族は派遣されず、護衛がいないままだったということ。
それをあのスライムに聞いたとき、マリアは泣かないでいることがとても難しかった。気丈にもなんとか耐えたのは、ブライが傍にいてくれたおかげだ。
「それを知っても、どうにもならないわ」
わかっていても自分は聞いてしまったけれど。
「わたし達はロザリーに頼まれなくてもデスピサロを倒すつもりだったじゃない。きっと、ロザリーになんて会わなくたってわたし達の旅は間違いなく続いたと思う。あのスライムが王家の墓の情報をくれたこと以外はね・・・」
「ええ。そう思うと」
クリフトは辛そうな声で続けた。
「わたし達がロザリーさんにお会いしなければ、ロザリーさんは・・・」
「そんな後悔、いらない」
マリアは上半身を起こして、クリフトを見た。その口調は荒くはなく、とても静かで優しささえ感じさせるものだった。
「どうにもならないのよ。そんな後悔。もう、終わってしまったことについて、何日何週間何月後悔したって、何も帰ってこないし、あのときはそれが正しいと思ったんだもの。それに、後悔してもこれは、この先何の役にもたたないことだわ」
「そう、ですね」
もしも、もっと剣を練習していたら。
もしも、もっと魔法を一所懸命習得していたら。
もしも、もっと早く生まれていたら。
もしも、わたしが勇者じゃなければ。
繰り返される後悔。多分人間であれば誰もがなんらかのその思いを抱いて生きて行くのだろうと、最近マリアは考えるようになった。
死んでしまった村の人々の期待を背負いながら、ほら、自分は地獄の帝王エスタークを倒したけれど、何も起こらない。
村人達は助からないし、世界は何も替わらない。まだ確認はしていないけれど、サントハイムの人々だってきっと戻ってきてはいない。町の外には魔物がうろうろしていることだって変わりがないのだ。
繰り返される後悔を払いのけようと、その後悔の対象となる人々の願いを叶えようと走り続けても。
まだ、愚かだった自分への叱責は消えない。
それでもしかたがないと思うし、自分にはまだやるべきことがある。あの優しかった人々のためにも。
けれど、ロザリーについては。
あのエルフのことで、アリーナやクリフト、マーニャ、そして自分までが、そんな後悔に苛まされることは、マリアには受け入れ難いことだった。
何一つ、その後悔は生み出さない。
転んで泣いている子供に手を差し出したことが罪だと言われるようなものではないか。
「ロザリーは、泣いてなかったよ」
「え」
「人間に蹴られても、殴られても、泣いていなかった。あんなときに強くあろうとしなくてもよかったのにね」
マリアは座ったまま空を見ながらそう言った。
クリフトは肘をついてわずかに上半身を起こし、マリアの様子をうかがった。
「恐かっただろうね。人間達に連れ去られて、痛い目にあって。きっと、どうして自分が、って恨んだり、デスピサロのことを呼んだりしたんだろうね」
「そう、かもしれませんね」
「ねえ、クリフトが信じている神様は、どうして、そんなことを許すのかしら。ロザリーは本当は、デスピサロを止めることが出来たのに、それをする勇気がなかったからなのかな」
「え」
「だから、罰せられたのかしら」
「・・・マリアさん!なんてことを!」
驚いてクリフトは飛び上がり、マリアの顔を覗き込んだ。
マリアは静かにクリフトを見つめる。生真面目な神官らしい、いたって真剣な眼差しだ。
その表情をみながらマリアの穏やかだった顔はわずかに苦しみに歪み、風に吹かれる緑の巻き毛をそっとかきあげる。
「そんな顔、しないで、クリフト」
「マリアさん」
「こんなことまで、考えてしまうから。だから、あまり深くは考えたくないの」
クリフトはそっと瞳を伏せた。
きっとクリフトはもう既に深く考えてしまって、だからこそ教会にいたのだろう、とマリアは彼のその姿を見ながら思った。
聖職者は嫌い。
でも、それゆえに彼はとても今深く悩んでいるに違いない。
悩みにそうやって立ち向かえるということは、とても強いことなのだろう。
自分は、そうは出来ない。
もうこれ以上ロザリーのことを考えて、あちらこちらにある矛盾や理不尽さを思うことは、自分には耐えられない、とマリアは思っていた。そして、仲間達がそれにわずらわされることも。
逃避だとののしられても、いい。
だってマリアはもう知っているのだ。
考えの末にめぐりめぐって辿り着く場所は、デスピサロへの憎悪であったり、勇者である自分に流れる天空の血への憤りや、故郷の村の人々を襲った悲劇、そして、空の上に浮かんでいる城とやらにいる「神様」と呼ばれる何かへの怒りとか。
そういった考えても考えても何も答えは出ないこと、目をそらしてもそらしても、いつも何かが自分にまた突きつけてくる無限の苦しい感情。
もう、たくさんだ、とマリアは思う。
まるで、自分は何一つ救えないのではないかという錯覚で、足が動かなくなってしまいそうだ。
救う、という言葉は嫌いだ。
けれども、それ以外にうまい言葉はみつからない。
その言葉を使っている限りには自分は「救う」ことは何も出来ない気がするし、実際今までもそうだったように思える。
勇者が世界を救う?
あんなかよわいエルフの死への手伝いをしてしまったというのに。
「クリフト、空見ようよ」
ばふっと音をたてて、マリアはまた体を草にうずめた。
「わたし、さっさとデスピサロを倒してさ」
「はい」
「あのエルフを、わたしの村に連れて行こうと思っていたの」
「・・・え?」
「あの荒れちゃった跡地を元に戻すのには人手がいるじゃない。それなりに償ってもらおうと思って」
「マリアさん」
「デスピサロが何をやったか、見せてやろうかと思って」
「違う」
強い口調でクリフトはマリアの言葉を遮った。
「どうして、そういう言い方をするんですか。あなたは、優しい人なのに」
「優しくないよ」
「あの山奥ならば、人間が来ないから・・・そう思っていたのでしょう?」
マリアの答えはない。
彼女は空を見上げて、瞳を閉じた。
ああ、目を閉じていても、今見た青空は感じることが出来るのだ、とマリアは思う。
あなたは優しい人なのに。
どうして知った風にそんなことを幾度となくクリフトは自分に言うのだろう。
そんなことはないのに。
「閉じ込められている、外の世界に出ることが出来ない辛さを、わたしは知っていたから。アリーナが城から抜け出た気持ちだって、わかるわ」
「・・・」
「でも、多分そんなことを実際したらわたしは耐えられないでしょうね。シンシアを思い出し続けちゃって」
どう答えてよいのかクリフトはわからなかった。しかたなく再び彼は体を横たえてマリアと並んで空を見上げた。
「わたしの後悔はね」
「はい」
「あの日、無理矢理ロザリーをあの塔から連れ出せばよかったってことなのよ」
「どうしてですか」
「最後にようやくあの塔から出られたのに、きっとロザリーはこの空が青くて広いこと、草の匂いや土の匂いや風の匂い、なんにも感じている暇なんてなかったと思うの。せっかく外に出たのにね。哀れじゃない?それに、たったそれだけのことで、何かが変わったかもしれない」
そういってごろり、と体を動かして、クリフトに背を向けるようにマリアは横向きになった。
一体いつからロザリーがあそこにいて、それまではどういう暮らしをしていたのかはマリア達にはわからない。
あの塔に入る前に見ていた景色や感じていた空気を彼女が覚えていたのか、あの塔の中からでもわかっていたのかすらマリア達は知ることは出来ないし、そういった話をするほど親密な関係でもなかった。
たった一度きりの面会だ。
それでも、そんな風にロザリーへの気持ちを口に出すそのマリアの気持ちが、クリフトにはやはり「優しい」と思える。
「哀れ、ですか」
彼はマリアの背に向かって、ああ、きっと怒られるかもしれない、なんて思いながら声をかけた。
「あなたは、ご自身がロザリーさんに優しい人間であることが、嫌なのですか?」
「・・・!」
その言葉に驚いてマリアは強張る。
「なに、いってるの、クリフト」
「いえ、あなたにとって憎いデスピサロの大事な人であるロザリーさんを・・・やはり彼女のことはデスピサロから切り離して、一人の人間として思っているのではないですか。でも、それが、嫌なんですね」
「何いってるの、クリフト」
そっとマリアは振り向いて、体をおこして自分を見下ろしているクリフトを見た。
「何いってるの、クリフト」
「ロザリーさんにお会いした日に、あなたは、彼女のもとに行かないようにご自分を見張っていてくれ、とわたしにおっしゃいました」
クリフトのその視線には憐れみの感情は含まれていない。
ただ彼は静かに。
とても優しい声音でマリアに語りかけているだけだ。
「あのとき、あなたが本当はとても深くロザリーさんに対しての逆恨みを持っていて、憎悪に駆られるのではないかとわずかにわたしは心配してしまいましたけれど・・・。あれは、あのときだけの感情だったのでしょうね。だって、あなたは、本当はロザリーさんを傷つけることなんて出来ない人なのですから」
「クリフトなんて、嫌い。いっつも、ほんとのことばっかり言って。そんなの、知ってる。わたしは別にクリフトが言うような優しい人じゃないけど、クリフトが言うように、わたし、ロザリーに同情とかする自分は嫌い」
そのマリアの眼差しはまっすぐで、けれど、クリフトに喧嘩腰になっているわけでもなく静かなものだった。
彼女の印象は、豊かな巻き毛がもっとも強かったけれど、クリフトにとっては本当は青緑色をした意思的な瞳の方が彼女という存在のイメージを表す。
何度も何度も強い言葉とその強い眼差しでクリフトは心を射ぬかれるような痛い目に合っていたけれど、いつもその痛みは理不尽ではない、と思う。
ああ、綺麗な瞳だ。
そんなことを口に出すのは、恥ずかしくてうまく出来ないけれど。
「いっそのこと、もっと、もっとわたしひねくれていて・・・ロザリーが死んだわ、いい気味だわ、デスピサロもこれで少しはわたしの気持ちもわかることでしょうよ、って、言えたら楽だったのに」
マリアは草の上に正座をぺたんと崩した恰好で座り込んでクリフトに拗ねたようにそう言った。
その様子は少し子供じみているが、きっと彼女の素なのだろう。
「でも、こんなに空は広くて風は気持ちよくってさ、気球乗ったら、ますます世界は広いの。なのに、ロザリーはあの部屋しか生きる場所がなかったなんて、おかしいよ。デスピサロに対する気持ちより、こう思う気持ちの方が今は大きいだけだわ。誰もわたし達を責めないかもしれないけど、夢を見てロザリーに会いにいった時点で」
「ええ」
「ロザリーに対する責任が、どこかでほんとは生まれてた。だって、手を差しのべにいったのはわたし達の方だから・・・だけど、デスピサロを倒す約束をしただけで、わたし、責任は果たした気がしていたの」
でも、本当はそうではなかったのだと思える。だから、後悔する。
そのマリアの考え方をクリフトは決して嫌いではなかった。
デスピサロに対して感情的になりつつも、マリアはこの年齢の女性についてはかなり理性的だし思慮深い。
それゆえに考えすぎて埒があかないことがあることもクリフトは知っている。
そんな後悔、いらない。
先ほどマリアが自分に向けて発した言葉は、きっと彼女は彼女自身に言い続けているのだろう。
だというのに、この勇者に自分が差し出す手はとても小さくて。
いつもいつも彼自身はそれに落胆する。
そしてマリアもまた、自分自身の、クリフトが言う「優しさ」に落胆して、自分を叱責し続けているのだろう。
そんなところまで、なんとなく、であるけれど感じ取れるようになった。
自分達の距離がわずかに縮まっていることをクリフトは最近うっすらと気付いていた。
今までに異性の友人などあまりいなかった彼にとっては、マリアの存在は非常に不思議なもので困惑することもしばしばだったし、なんといっても彼女は「勇者様」だ。
背負っている過去も、そしてこれから先の未来も。
自分には及びもつかない大きなものが彼女にのしかかっている。
だからこそ自分が差し出すことが出来る、心の手の小ささを思うと、せつない。
そして、それをせつないと思うのは、彼女が勇者でありながらも近い場所にいる存在だと感じているからに違いないし、どこかで助け合うことが出来る対等な立場の人間でありたいと願っているからだ。
近くなれば近くなるほど、自分の手の小ささが辛くなるけれど、それでも嬉しいと思える。
そんなおこがましいことを彼は口には出さないけれど。
「クリフト?」
「あ、はい!」
「どうしたの、ぼんやりして」
どうやら案外と自分は長い間物思いにふけっていたらしい。
「ごめん、つまんない話だったね」
「ち、違いますよ!」
慌てて否定をするクリフトの声は少しだけ裏返っていた。心底それは心外だ、という気持ちをクリフトはいつもより大きい声で訴えた。
「考えていたんです」
「何を?」
「あなたのことを」
「・・・わー・・・」
マリアはしばし、クリフトの顔を見ながらぱちぱちと瞬きをして、阿呆のように間が抜けた声を出した。
それから急に可笑しくなったらしく、真剣な表情のクリフトの前で声をあげて笑い出す。
「もおー、クリフト、あははっ・・・」
「な、なにか笑われるようなことを言いましたか・・・?」
「やあだあ、なんか告白されたみたい」
「こ・・・!」
茶化すように言われた言葉にクリフトは驚くほど大きな反応を見せて、上ずった声を出してから言葉を失った。
その様子がまたおかしかったようで、マリアは笑う。
「・・・マリアさんも、マーニャさんみたいなこと、おっしゃるんですね」
「やーだ、気、悪くしたの?」
「いえ、その、全然、でも、確かに・・・」
切れ切れに言葉を探すクリフト。
ようやく笑い終わったマリアは彼女にしては珍しい、いたずらを思いついた子供のような表情でクリフトを見ている。
「あー、その」
「うん」
「・・・告白ですよ?」
「え」
「至らないなりに・・・マリアさんのことを、考えているんです。それがマリアさんにとってご迷惑だったり、わずらわしいこともあったりすると思うんですけれど・・・それでも、ほんのちょっとでもお役に立ちたいと思っていますから」
そう言ってからクリフトは照れくさそうに顔を背けた。
そんな言葉は今まで何度だってマリアには言ってきた。たとえ彼女がそんなことはいらない、と彼に言っても。
「余計な世話だと、お思いでしょうけれど・・・こういう性分ですので」
クリフトがそこまで答えると、二人の間に沈黙が訪れた。
マリアはどう思っただろうか。それが心配でクリフトは彼女から目をそらすことが出来ない。
困ったように自分を見ている若い神官の様子が「可愛い」とすら思えて、マリアはじっと彼を見つめ続けていた。
やがてクリフトは
「マリアさん、髪に、たくさん草がついています」
なんてことを言い出した。
それは別に照れ隠しではなくて事実だ。
マリアはいつも草に寝転がると、その豊かな巻き毛のあちこちに草をつけてしまう。自分でもぱんぱんとはらうけれど、正直全ては取り切れない。
いつもはミネアが気付いてとってくれるのだが。
「うん、いつものことよ」
もちろん、村にいたときはシンシアがとってくれていた。
マリアはぱさぱさ、と音をたてて頭を振りながら手で草をはらった。
はらはらと小さな草がマリアの膝の上に落ちてくる。
「クリフト、とってくれる?」
「はい。じゃあ、失礼して」
クリフトはとても素直にマリアの髪に手を伸ばした。
巻き毛が時折軽くひっぱられる感触。
マリアは瞳を閉じてクリフトの作業が終わるのを待つ。
クリフトなんて、嫌い。
今まで何度も彼にその言葉はぶつけているような気がするのに、どうしてこんなに素直に言うことを聞いてくれて、わたしの髪に触ってるのかしら。
クリフトは普段は手袋をしている。今もそうだ。
手袋ごしに自分の巻き毛はどんな風に感じられるのだろうか。
いつもならば少し鼓動も高鳴るであろうそのことも、今は静かに穏やかに思うだけだ。
「はい、とれましたよ」
「ありがと」
マリアはそう言ってから軽く髪をなでて毛を整える。
「ねえ、クリフト。わたしも告白していい?」
「何をでしょうか」
「わたし、あなたのこと嫌いじゃないわ」
「・・・それはまた難しい告白ですね」
クリフトは困惑の表情を浮かべた。
「難しい?」
「はい。今まで、嫌い、とも、好きじゃない、とも言われてきましたので・・・嫌いじゃない、ですか。はは」
そうしたらあとに残るのは「好き」の言葉だけだというのに。
マリアは、ああ、クリフトは細かく覚えているものだな、と苦笑を見せた。
「ありがとうございます。これ以上嫌われないように努力します」
「さっき嫌いって言ったこと、怒ってる?」
「いいえ」
きっとこの場にマーニャがいたら、「嫌いじゃない」なんて告白はありえないわよ!と怒るに違いない。マリアはそんなことを思いつつ、膝を抱えるように座りなおした。
「じゃ、わたしが言うこと、本気にしてないの?」
「していますよ」
「嫌いだって言ったら、信じる?」
「・・・困った方ですね」
クリフトは少しうつむきがちに、口元だけで小さく微笑んだ。
「どのときもあるんだと思っていますから。わたしのことを嫌いなときも、嫌いじゃないときも・・・ここまで面と向かって嫌い、といわれたのは子供の時以来だったものでかなり驚きましたけれど」
「子供の時?」
「ええ、いえ、今でも、姫様には時々言われますね。口うるさい人間だと思われていることでしょう」
「でも、アリーナはあなたのこと大好きだわ」
そうマリアが答えると、クリフトは照れくさそうに軽く首を横に傾げた。
「・・・わたしなんかが言わなくても、あなたはわかってるんでしょうけどね」
答えを聞く気はなかった。
マリアはよいしょ、と立ち上がって「うーん」と、手足を精一杯伸ばす。
こういうときに感じる「気持ちよさ」は、自分の体が生きている、という証拠なのだと彼女は思う。
きっと誰に言っても「おおげさな」と言われてしまうと思うから、彼女は今までにそれを口に出したことはないけれど。
クリフトは下からマリアを見上げていた。
「マリアさん」
「なに」
「ロザリーさんがお亡くなりになった場所は、わかるのでしょうか?」
「・・・わかんない。でも、知りたいっていうなら、ミネアに占ってもらえばおおよそのところはわかると思う。ロザリーヒルの町からあまり離れていない森の中だとわたしは思うけど。なんで?」
「せめて、花を」
マリアはクリフトが言っていることがよくわからなかった。
花?
花をどうするというのだろうか?
「ロザリーさんがお亡くなりになった場所に、花を」
「花を置くとどうなるの?」
「どうにもなりません」
クリフトは彼らしくもない口調で答えながら、マリアの隣に立ち上がった。
それは別段怒っているわけでも、面倒くさい、と思っているわけでもなく、とても素直に口から出てきた言葉だ。
ほんのわずかではあるけれど、彼が当然と思っていたいろいろな物事が、マリアの前では「当然」ではなくなるということがこの旅の中でわかった。
墓を作って花を供えることが供養になるのだ、とか。
きっと墓はデスピサロが作るのだろうから、場所がわからないのではないか、とか。
だから、せめて、ロザリーが命を途絶えてしまったその場所に、花を捧げたいとか。
色々説明をしてもいいけれど、マリアが本当に聞きたいことはそういうことではないのだろう、とクリフトは思う。
それをすれば、どうなるのか?
とてもマリアの問いはいつも端的で、クリフトを戸惑わせる。
多分マリアの村には、墓とか花を供える場所とか、そういったところがなかったのに違いない。
どうしていたのか、と聞きたいとも思ったけれど、それは今話してもらうことでもないな、とクリフトは思った。
本来聖職者であるクリフトは、マリアのこの問いに対して誠実に丁寧に答える義務がある。
それでも、今その話をしてもまたどうにもならない問答が始まるだけだと聡い彼は既に気付いていた。
「ただ、わたしもマリアさんのように」
「なに?」
「ロザリーさんに、花畑とか、見せてあげたかったと思って」
「あら」
その言葉に驚いたようにマリアは目を丸くした。
「クリフトは、優しいのね」
「それは、嫌味ですか・・・」
困ったようにクリフトが言うと、マリアは首を横に振った。
「違うよ。本当にそう思ったの。でも、やっぱり駄目。ロザリーが死んだ場所なんてミネアに占ってもらいたくないよ、やっぱり・・・」
「そうかもしれませんね。不快なことを言ってしまいました。申し訳ありません。人がお亡くなりになった場所を占う、なんて気分がいいものではないですものね」
「違うの」
マリアは小さく微笑んだ。
いや、多分微笑んだつもりだったのだろう。
けれどその微笑みはわずかながら失敗をしたようにクリフトには見える。
眉根が寄せられて、小さく縦にしわが出来ている。
泣き笑いに近いな、とクリフトは感じた。
「ここにデスピサロがいたのか、と思うだけで」
「・・・!」
「また、昨日みたいにわたし、嫌な感情に心が動かされてしまいそうで」
「マリアさん」
「デスピサロがいなければ」
マリアは髪をかきあげた。
クリフトが草をとってくれたはずなのに、はらはらと小さな葉がマリアの髪から舞い落ちる。
「あのままあそこでロザリーが野たれ死んでいたら、まだ、よかったのに」
「マリアさん」
「好きな人が腕の中で死ぬって辛いんでしょうね。でも、わたし、あんな風に簡単に、自分が好きだった人たちの死をすぐに受け入れて憎しみに変えることなんて出来なかった」
クリフトをまっすぐみつめて、マリアは静かに言う。
彼はイムルで夢を見て来ていないから、マリアが言っていることが少しだけわからない。わからないけれど、デスピサロが死に際のロザリーのもとに現れ、彼の腕の中で彼女が息絶えたとは聞いている。
そして、その怒りで、更にデスピサロは人間達への復讐を決意したと。
「もっとたくさんの人が、死んだわ。村があんなにぼろぼろだったけれど、わたし、みんなが死んだってことを受け入れることなんて出来やしなかったの」
そう言ってマリアは目を伏せた。
「わたしには、あの人たちの最後の言葉を聞く権利も与えてくれなかったのに、あの男は最後にロザリーを抱きしめることが出来たなんて。羨ましくて妬ましくて憎いわ」
「マリアさん、それはない物ねだりですし、そんな風に思うことは・・・不謹慎で、ロザリーさんに対して・・・」
「知ってる。だから、嫌なの。こんな・・・」
泣くのだろうか、とクリフトは心配そうにマリアをみつめた。しかし、彼女はふっと視線を空にむけて、息を吐き出す。
「知っている人が死んでしまったのに、その瞬間を羨ましいと思うなんて。最低よ。ほんっと、最低、わたしって」
マリアの髪に、やはりまだわずかに草がついていることに気付いて、クリフトはそっと手をのばした。
マリアは何もいわずにそれを受け入れて、ぎゅっと唇を結んでいる。
「マリアさん」
「なによ」
「あなたは、優しい人ですよ」
「違うわ」
「違いません。たとえあなたが違うといいつづけても、わたしはそうだと思い続けます」
「クリフトなんて、嫌い」
「はい」
なんて生真面目な返事だろうか。マリアは拗ねたような表情で空から視線を外した。
そのとき、髪についた草を取り除いて、クリフトは手をそっとひいた。
柔らかい巻き毛が最後に彼の指にわずかに絡まり、くつん、とマリアの頭をひっぱる。
「あ、痛い、ですか、すみません」
「ううん・・・ごめんなさい。たまに、絡まってて」
「いえ」
クリフトは絡んだ髪を丁寧に指から離した。
クリフトなんて、嫌い。
もう一度本当は口に出したくなったけれど、マリアはそれをこらえた。
こんなにもさらけ出してしまっている自分の醜い部分を受け止めてくれるこの若い神官こそ、あまりにも優しいのに。
それを聖職者ゆえ、なんて答えられたら泣いてしまうかもしれない。
いや、今ですら。クリフトの指に名残惜しそうに絡む自分の髪がうらめしくて、泣きそうだとマリアは思った。
けれど。
「・・・かない」
「え?何か?」
「ううん、なんでもない」
こんなことくらいでは、もう、泣かない。
マリアは一瞬だけぎゅっと瞳を閉じて、それからまた、うまくはないけれどクリフトに小さく微笑みかけた。
「ありがとう。行こうか」
「そうですね」
「今度から、辛くなったらやっぱり空を見よう」
「ええ」
空の上には神様がいらっしゃいますから。
すんでのところでクリフトはその言葉を飲み込んで苦々しい表情になったが、マリアはそれに気付かない。
「そろそろみんな起きたかな」
クリフトの前を歩き出して、マリアは自分を心の中で必死に励まし続けた。
泣かない。
だって。
ロザリーだって、泣いていなかったのだから。
最後にもう一度、マリアは空を見て、息を深く吸い込んだ。


Fin

←Previous 



モドル

というわけで。今回は実はロザリーネタかと思いきや、完全にマリア→クリフトネタだったのでした。
ものすごくたくさんの後悔について、あちこちに書き込んでみました。
本当の、マリアにとっての後悔、クリフトにとっての後悔が一体何なのか。
それは読み手のみなさんによって違うんじゃないかと思います。