愛惜-2-

さて、朝であることに気遣って、クリフトは音をあまりたてないように通路を歩いてマリアの部屋に行こうとした。
角を曲がると、ちょうどマリアの部屋の前にルーシアが不安そうに立っている姿を彼はみつけた。
背に生えた翼は白い羽根で覆われており、時々ほんの親指程度の小さな羽根がふわりとそこから抜け落ちたりする。
翼はまるで突然背中の皮膚を割って生えてきているようにも見えるが、多分皮膚が繋がっており、その上を羽根が覆っているだけなのではないか。昨日から気になっていたけれど、さすがにまじまじと見ることも触らせてくれと頼むことも出来なかった。
「ルーシアさん、おはようございます」
クリフトの声にびくりと彼女は驚いたように振り返った。
「お、おはようございます」
「どうなさったのですか、こんな早くから」
「勇者様のご容態が気になって・・・あの・・・」
と、見る見るうちにルーシアの表情が変わっていく。初めはおどおどとしていたが、やがてそれは泣きそうな顔にと変化していった。
「ルーシアさん?」
「ごっ・・・ごめんなさい!」
「え?」
「あの、あの、ちょっとだけ、その」
「はい?」
「興味本位で・・・。勇者様は、天空人と人間のハーフだから・・・本当に、翼が生えるのかと・・・」
「・・・」
めずらしくクリフトは、さっと険しい顔つきになる。ルーシアとの出会いは昨日の今日ではあるが、そんなこととは別に、誰が見たってクリフトのそれは不愉快さを外に出しているものだと感知するだろう。ルーシアはうつむきがちに
「それで、その、生えてくるなら、その様子が見たくて・・・ごめんなさい」
「・・・いえ、謝られても」
まったく、この少女は何を考えているかよくわからない。
だったらせめて「心配で」と嘘をつけば良いのに・・・と聖職者にあるまじきことをちらりと思ったが、彼女のその正直さは評価してやらなければ、とクリフトは苦笑を見せ、表情を緩和させた。
その時、何の前触れもなくキィ、と扉が二人の前で開いた。
「なに朝早くから人の部屋の前で」
「マ、マリアさん」
「勇者様!」
見れば、既にマリアはいつも身につけている服を着込んでいる。
朝早くから仕度をしてどうするつもりだったのだろうか?クリフトはその答えに思い当たらず、頭を悩ませる。
熱にうなされたおかげかいつもにも増してマリアの巻き毛は絡まっている。そして、その巻き毛のせいなのか体調そのもののせいかは定かではないが、本人はかなり不機嫌な様子だ。
「おはよ、クリフト。えーと、なんだっけ。ルー・・・ルー・・・」
「ルーシアといいます。おはようございます」
「そうだったわね。ルーシア。おはよ」
扉を大きく開け、開き口の壁にもたれかかりながらマリアは無愛想にそう告げた。
「マリアさん、起きて大丈夫なのですか。今、マーニャさん達がソレッタへ向かって」
「大丈夫じゃないわ・・・頭が痛いし、熱は出てるし、最悪」
「じゃ、その恰好は」
クリフトは、マリアが吐く息がまだ熱を帯びていることに気付いた。
「確かめたくて」
「な、何をですか」
「翼が生えても、この服着られるのかなーってさ・・・目が覚めて、我慢出来なくなって確認してたの」
「そんな、具合が悪いのに・・・」
申し訳ないと思いつつも、自分とルーシアが話している間にマリアがごそごそと着替えていたのか、とクリフトはそんな想像をしてしまった。平静を装いつつも問い掛けるが、わずかにクリフトの声は裏返る。
「翼、生えていらっしゃらないですね」
「うん。生えてこない。痛みは収まったけど熱は下がりきらないみたい」
「マリアさん、横になった方が」
「ルーシア。ちゃんと、背中、全部出てる?翼が生えそうな場所全体が、きちんと開いてる?以前アリーナに確認してもらったんだけど、あなたに見てほらった方がよさそうだから」
そういってマリアはルーシアに背を向けた。
見覚えのある赤い線。
見慣れたはずのマリアの美しい、鍛え上げられた細くて、けれども綺麗な筋肉がついている背中に這っているその傷。
「ええ、出ています。この服なら、翼が生えても、着られそうですね」
無邪気にルーシアはそう答えた。マリアは向きを変えてまたぐったりと体をもたれかけさせて息を吐いた。
「これ、母さんが縫ってくれたのよ」
「えっ、お母さんって・・・」
怪訝そうなルーシアに、マリアは肩をすくめてみせた。
「母さんは母さんよ」
「でも・・・」
ルーシアはもごもご、と何か言いたいけれど言えない、という様子を見せた。
しかし、マリアは彼女の言葉を待たずにあっさりと
「・・・もう一眠りするわね。二人供、人の部屋の前で話してないで頂戴」
そう言って、部屋に戻って扉を閉めた。
クリフトとルーシアは困ったように顔を見合わせるだけだった。

下界の朝も気持ちが良い、とルーシアは朝露に濡れた木の葉をつついてにこにこと笑った。
少し散歩でも、と彼女を誘ったのは、クリフトにしては相当の進歩だ。
つい最近リバーサイドでマリアを散歩に誘ってから、そういうことをしても問題はないのだと頭が固い彼はようやく理解したらしい。アリーナが見れば目を丸くするだろうがルーシアと共に宿から抜け出した。
もちろん、マリアを誘う時の100倍ほどは緊張し、言い出すまでかなりの時間を要したが、どうもこのルーシアという天空人はのんびりしているのか、クリフトが言葉に詰まってもじっと待っていてくれた。昨日の初対面でのルーシアの印象とはちょっと違うかもしれない、とクリフトは思う。
朝もやの中、既にホビットやエルフ達は働きはじめている。
ルーシアが言うには、エルフ達は朝露や朝開く花を集めて薬や香水やらを作るのだそうだ。
「あら、天空人ね。おはよう」
あまりにも当たり前のようにルーシアに声をかけるエルフがいて、クリフトは仰天する。
木の実が入った籠をもったエルフは、彼らよりもかなり年上に見えた。
「おはようございます」
「世界樹の上で泣いていたのは、あなただったのね。みんな心配してたのよ」
「はい。翼が折れてしまい、途方にくれていたところを助けていただきました」
「天空に戻れたら、妹達によろしく伝えてね」
「はい。承りました」
ぺこりと頭を下げるルーシア。
エルフが立ち去ると、クリフトは恐る恐る
「妹、とは?」
「天空城にはエルフも住んでいるんですよ。エルフ達はみな姉妹ですから」
意味がよくわからない、とクリフトは首をかしげるが、ルーシアはそれで説明を終えたつもりらしい。
二人は世界樹の根元まで歩いて来た。
幹から生えた大きな根は地面に埋もれ、辺りの土をでこぼこにするほど四方八方に伸びている。
掘り返すことは出来ないけれど、これほどの大きさの木であれば、この集落全体の地下に根を張り巡らせているに違いない。
いや、山にぐるりと囲まれた円状の平地の真中にこの木はあるが、もしかするとその平地全体にまで根が伸びているのかもしれない。そう考えてしまっても当然だと思えた。
朝の世界樹は、枝の下の方(といっても世界樹全体の比較であるから、クリフトの手には届かぬほど上にあるものだ)には鳥達がさえずっている。
枝も太いけれど、当然先にいけばいくほど細くはなっているため、鳥達は魔物がやってくることが出来ないほどの細い場所を己の定位置と考えているようだ。
「勇者様のお母様は、マスタードラゴンの怒りにふれて、下界から引き戻されました」
世界樹を見上げながら、ルーシアは突然口に出した。
「それでも勇者様がご立派に育ってくださったのは、下界の方々のお力なのですよね。そのことを天空人は感謝しなければいけませんね」
「マリアさんのお母さんを、ご存知なのですか」
「・・・いいえ」
と、ルーシアはいうけれど、その語調は弱弱しかったし、返事の間が妙にあいていた。
ルーシアは嘘をついている、とクリフトはなんとなく思う。
それを口にするべきかどうか迷って、ただひたすらルーシアを見つめ続けていると、ルーシアの方が「はあ」と溜息をついて告白をした。
「そんな風に見ないで下さい。勇者様には、内緒にして、いただけますか」
「・・・どうしても、黙っていなければいけないんですか」
「はい」
クリフトは返事をしていいものかどうか悩んだ。
聞いてはいけないことが世の中にあることを彼はわかっていたし、確かにルーシアに問い掛けたのは自分からだが、マリアに黙っていなければいけないことを聞いても、自分の中で処理を出来る自信がなかったからだ。
しかし、彼の返事を待たずにルーシアはまた言葉を続けた。
「ええ、存じています。でも・・・たとえ勇者様がご自分のお母様にお会いしても、その人がそうだと誰も言わないことでしょう」
「何故ですか」
「罪を犯したのですから。今後勇者様と一切の関わりをもたないことで、その人はマスタードラゴンの許しを得て生きていくことが出来るのです」
「そんな!」
マスタードラゴン、という名を初めて聞いた、と思うと共に、おおよそのことを理解してクリフトは咄嗟に叫んだ。
「だから、いないことにしたほうが、勇者様のためになるのだと思います。下界に降りて人間との間に子供を作るなんて、そんな罪を犯しているんですもの、仕方がないですよね」
あっさりとルーシアは言う。これが天空人の道理なのか、とクリフトは眉根を潜めた。
「・・・その、ますたーどらごん、という方は、偉い方なのですか」
「この世界を空から見守る、偉大なる者です」
「母と娘を離れ離れにして・・・たとえ我々が天空に行ってマリアさんのお母さんとお会いしても、名乗りを出来ないなんて。そんなことをさせる権利があるのですか」
「あなたは、下界の神官さんですよねえ?」
ルーシアは首を傾げてクリフトを見た。
「はい」
「下界だって、罪は罪で、償いがあるんでしょ?なのにどうしてそんな風に怒っているんですか?」
「だって、そうでしょう・・・?マリアさんが生まれてくれたおかげで、我々はこの世界を滅ぼそうとか、魔族の世界にしようという者達に立ち向かう希望も勇気をもてるんですから。なのに、それを・・・」
クリフトは呆然とルーシアを見た。ルーシアは未だにクリフトが何をいいたいのかよくわからないという表情で
「罪もない人をたくさん殺した後に、お医者さんになって、死にそうな人をたくさん救ったらその人の罪って消えてなくなるんでしょうか?償ったって、ゼロには戻らないですよね?」
それは、正しいとクリフトは思う。
償いはゼロに戻すためのものではない。こぼれた水は元には戻らないのだ。
ただ、償われる側も、償う側も、罪によっていくばくか失われてしまった生きていく力を取り戻すため、そこに存在する罪に対する感情と静かに向き合えるようになるため、償いを行うのだと思う。
「だから、黙っていてください。天空人であれば、誰一人として、勇者様のお母様がどの人なのか、口にはしませんから。なのに、お母様がいる、なんて教えるのは、残酷だと思います」
ルーシアはそう言ってクリフトをまっすぐみつめた。
それが、口封じの理由だ。

下界に降りて人間との間に子供を作るなんて、そんな罪を犯しているんですもの、仕方がないですよね

何が罪だ。
クリフトは憤りを感じたが、ルーシアをなじっても意味がないということをわかっていた。
では、マリアさんが生まれたことは罪なのですか。
もう一度同じ問答が口から飛び出そうになり、それを抑えることが難しい。
あの人が。
あんなに可愛らしくて、あんなに強くて、あんなに必死に生きているあの人が。
たとえ再会しても、あの人を産んだ母親の腕で抱きしめてもらうことが出来ないなんて。
クリフトは、ただただ深いため息をつくだけだった。

「クリフト!どこに行っていたんじゃ!」
自室に戻ろうとクリフトが宿の階段をあがったところで、ブライの声が聞こえる。
驚いてそちらを向くと、マリアの部屋の扉を開けて、ブライが慌てて走り出てきた。
「どうしたんですか!」
「早く来て治癒呪文を!」
「!?」
状況説明もなにもないまま、ひとまず部屋の中へ慌てて入るとブライが
「背中を見てみい」
と重く呟いた。ベッドの上でマリアはクリフト達に背を向けて荒く息を吐いている。
「どうしたんですか、マ・・・」
そこでクリフトは息を飲み込んだ。
目に飛び込んで来た、マリアの寝間着に広がるその紅色。
「失礼を・・・!」
クリフトは震える手で赤く染まった寝間着を脱がせた。
「!」
「クリフト・・・?」
苦しそうな声。
「マリアさんっ・・・」
「翼・・・生えてないでしょ・・・?」
「・・・ええ、生えて、いません。大丈夫です。大丈夫です・・・今、治してあげますからっ・・・」
マリアの背中の、まっすぐついていた赤い傷はぱっくりと裂けていた。
そこから覗いているのは翼でもなんでもなく、ただのピンク色をした人間の肉だ。
クリフトは泣きそうな表情でブライを見た。ブライは険しい表情できっぱりと答える。
「ミネア殿がいない今、おぬしにかかっておる。治癒呪文を早く!」
それに頷きもせずにクリフトは夢中になって治癒呪文を唱え始めた。
戦闘中や戦闘後ではない時に、マリアにその神の加護を受けて行使する呪文を施すのは初めてだった。
彼女はいつも「こんな小さな傷、神様にお願いするまでもない」とクリフトに言って、小さな傷の手当ては薬草で済ませていた。
「体の抵抗が高まって、熱が、また、上がるかもしれませんが」
「うん。いいの」
か細い声。こんな状態になってまでも、泣き言よりも先に翼のあるなしを確認したその気持ちを思うと、クリフトは自分の呼吸すらもつらくなると思えた。
ぐるぐると頭の中で何かが回り、今自分が何をしているのかがわからなくなるような、不思議な感覚に襲われる。
まっすぐ立っていることすら、意識して力を入れなければいけない。
ただ、マリアの背の傷を治したい。
それだけが自分の全てではないかと思えるほど、強く、強くクリフトはひたすら祈った。
翼なぞ、二度と生えようとしないように。
まず、血が止まった。
それから、ぱっくりと開いた傷口が両側から少しずつお互いを探すように近づいて、そして肉に吸い込まれるように形を復元していく。
完全な治癒は出来ない。
その治り行く様を見てクリフトは、ああ、この傷は消えないだろう、と理解をした。
その瞬間、先ほどまでのルーシアとの問答や、今までクリフトが見続けてきたマリアの様様な葛藤が脳裏を過ぎっていく。
「終わったのか、クリフトよ」
「・・・はい」
ブライの問いかけに答えて、ふー、と深くクリフトは息をつく。マリアは小さなかすれ声で聞いてきた。
「傷、塞がった・・・?」
「・・・はい。痕が残るかもしれませんが」
「そっか・・・ありがとう。来てくれて」
マリアはそう言うと体を起こし、ベッドの上にぺたりと座ってようやく一息ついた。
痛みは確かにほとんどなくなっている。クリフトの呪文おかげだろう。
と、ベッドの傍に立っているクリフトを見上げた。
「どうしたの、クリフト」
「マリアさん」
クリフトはその場に突然がくんと膝をついた。
「なんじゃ、クリフト、疲れたのか」
「マリアさん」
「どうしたの?」
クリフトは情けない表情をマリアに向けた。
「もし、翼が生えたら、どうするおつもりですか」
一体こんなときに何を言い出すんだ、とブライもマリアも怪訝そうな顔つきになる。
それから静かにマリアは笑う。疲れた笑みだが、昨日よりは相当元気になっているようにも思える表情だ。
「馬鹿なこと聞くわね」
「すみません」
「ライアンにでも頼んで斬ってもらうに決まってんでしょ」
ブライが息を呑む音が室内に響いた。
クリフトは「そうですか」とだけ答え、ゆっくり息を吐いて、そしてまた吸い込んだ。
たとえどんなに翼が美しいものでも。
きっと、この人は斬って欲しいというのだろう。
マリアはまっすぐとクリフトをみつめて、目をそらさない。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、マリアの背から生える翼を見たい、とクリフトは思った。
それはまったくの興味本位だ。
ただただ、どんなに美しいんだろう、と、それだけの、子供のような気持ちだ。
口に出したらマリアはきっと怒るに違いない。
けれど、翼は本当の母親から与えられたものなのに。
それを斬ろうなんて。
クリフトはもう一度、ゆっくり息を吐いて、そしてまた吸い込んだ。
思い切り自分の体の中にマリアの血の匂いが広がっていく錯覚をうけ、クリフトは瞳を閉じた。

戻ってきたミネアはパデキアの根をすりおろしてマリアに食べさせた。
クリフトとブライはマリアに口止めされて、出血をした話を誰にもしていない。血まみれになっていた寝間着はさっさとブライが処分をしてしまったようだ。
「うん、元気になってきたみたい」
マリアは明るく笑う。確かにパデキアの根を食べてから、即座に顔色がよくなったのは事実だ。
「よかったあ〜。ちょっとは効いたのかしらね。も、どーしようかと思ったわよ。こーんな何もない町でぶっ倒れられてさ」
とマーニャが言うと
「エンドールならよかったの?」
なんて答える元気も出てきたらしい。
「背中は、どうですか、マリアさん」
ミネアがおずおずと聞く。
「えっとね、もう、痛くないの。大丈夫よ」
「そうですか・・・マリアさんがご無事で、本当に、よかった」
「ありがとうミネア」
「あら!あたしもそー思ってンだから」
「知ってるよ。ありがとう、マーニャ」
ベッドで上半身を起こしているマリアは、姉妹の腕を軽くくいっと引いた。 
二人は前かがみになってマリアに顔を近づける。その頬に軽くマリアは親愛の気持ちを現す口付けをした。それから、普段は見せない、ちょっとだけ照れくさそうな顔をしてマリアは二人を見る。
「もーお、こういうときにとっとくんだもん、いっつも。あんたって、ちゃんと奥の手もってるわよねぇ」
マーニャはけらけらと笑いながらそう言った。ミネアは隣で小さく微笑んでいるだけだ。
普段感情が高揚しても抱きついたりするスキンシップをマリアはアリーナ以外とはほとんどしない。
だからこそ、マリアからのこの小さなキスに篭った気持ちが二人にはわかる。
「わたし、嬉しかったの」
「何が?」
「ルーシアが、パデキアの根じゃ治らないって言ったのに、やってみなきゃわかんない、ってマーニャが言ってくれて・・・それで、朝からまた出かけていってくれたのが、ほんとに、嬉しかったの」
そういってマリアは笑い泣きの表情を二人に見せた。
姉妹は顔を見合わせてから、笑顔を再びマリアに向ける。
「ほんっとーに馬鹿ねえ。当たり前のことじゃない」
ぽん、とマリアの頭にマーニャは手を乗せた。
「天空人だかなんだかよくわからないけど。出来ないって言うことだって、なんだって、やってみなきゃあわからないし、こんなの、なんの手間でもないわよ」
「きっと、ルーシアさんも驚きになるでしょうね。マリアさんが、パデキアで元気になってくださって」
そうミネアが言えば、マリアは思いもよらない言葉を返す。
「うん。嘘でも、元気になったふりをしたいとまで、思ってたの」
「え」
「なんとなく、嫌だったから。だから、信じたかったんだ・・・パデキアの根が効くように」
マリアのその言葉の意味を察して、姉妹はわずかにせつなそうに表情を曇らせた。が、それもほんの束の間で、マーニャが笑いながら
「なんにせよ、よかったわ。もー、戻ってくる時ライアンがさあ、剣の鍛練、とかいってまた朝からぶんぶんふん回してたんだけど、あんまり集中出来てないみたいで、笑っちゃった。あの人も、すっごいマリアのこと心配してたのよ」
「姉さんったら、ライアンさんに、その程度で集中出来ないようじゃまだまだね、なんて言うんですもの。失礼ですよね。自分だって朝から慌てて、間違えてアネイルにルーラしちゃったっていうのに」
呆れたようにミネアが言う。マリアがくすくす笑うと
「温泉に入りたかったのよ!」
マーニャはむきになって、言い訳にもならない言い訳を主張した。
「今から入ってきたっていいのよ。マーニャの女っぷりがまた上がるわね」
マリアは笑った。
「惚れちゃダメよ?」
と言いながら、マーニャはお返しとばかり、マリアの頬にそっと唇を軽く寄せた。

窓を開けず、暗い室内の中で服を着替えた。
背中が、剥き出しになる。
マリアはそっと手を伸ばして背中の傷に触れる。
クリフトに治してもらったけれど、ほんの少しだけもりあがりを感じる。
お母さん。優しかった、母さん。
どうして、あなたは知っていたの?
わたしの背から、翼が生えることを。
天空人の生態に、どうしてそんなに詳しかったの?
本当のお母さんはそんなことを、あなたに教えていたの?
母親が縫ってくれた服がこんなにも露出をしている理由に、ついに思い当たってしまった。
多分、それは間違いではないのだろう。
ううん。
お母さんだけじゃない。
きっと、先生も知っていたに違いない。
誰もが、多分知っていた。
だってほら、わたし、どんな鎧も問題なく着ることが出来るほど、体を鍛えていたのに。
先生は、いつ村に魔物が入り込んでもいいようにと鎧を身に着けていたのに。
なのに、こんな無防備な服を、わたしは当たり前のように着ていて、そして、村のみんなはそれに何一つ疑問もなかったのだもの。
いつかくるべき時のために。
たくさん布を織ったから、一気に作ってみたわ。
そういって服を三着たたんでクローゼットにしまう後姿。
布を織るのはとても大変で時間がかかって。
もしかして、お母さんはあのときにはもう、何かの予感を。
ううん、答えがないことを考えちゃいけない。
マリアは首を振った。
体を動かすことで、自分の思考をなんとか止めようとしているように、無理矢理意識的に腕や足を動かして、ベッドの毛布をたたみ、のびをして、それから雨戸を開ける。
この戦いが終わったら。
マリアはぺたりと床に座った。それから、荷物の中にいれてある、もう一着の服をごそごそと取り出してじいっとそれを眺める。
同じ色。同じ形。見慣れた、着慣れた、肩を背中を露出して、鎧の中だって汗を吸い取る場所が少ない服。
背中を隠す服を買おう。
本当に本当に大切で、お母さんに作ってもらった大事な服だけど。
わたしは、翼はいらないから。
マリアは床をじっと見つめながらその服を抱きしめた。
これはお母さんの愛情なのだろう、と思う。だけど。
とても残酷な愛情で、あまりのせつなさに、服ごと自分を抱きしめずにはいられない。
力を入れると、背中がほんの少しだけ痛む。
お母さんは、わたしの翼を見たかっただろうか?
たとえ、こんな風に片方しか生えなくても?
本当に生えてきて、そしてわたしがそれを斬り落としたら、悲しんだかしら?
それとも、翼が生えたらそのことを悲しんだかしら?
来るべき時のためにお母さんも覚悟を決めて、この服を縫っていたのかしら?
どうしようもない繰言を続けながらも、マリアはまばたきを忘れてしまったように、床をじっと見つめ続けるだけだった。

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モドル