愛惜-3-

パデキアの根のおかげなのか、それとも本当は単に翼の成長がちょうど止まった頃合だったのか、マリアの容態はかなり落ち着いた。
まだ少し休んだ方がいいのでは、と皆が心配する中、軽い朝食を終えた後にマリアは初めて「天空の」と名を頂く装備を身につけた。
天空の兜、盾、鎧。それから、剣。
マリア以外の人間が装備をしようとすれば、なんだかそれらの防具たちは頑なに拒絶をするように、無理矢理着ようとした人間がどうも「しっくりこない」と不快さを表すものだったけれど。
木造の宿屋の一室で皆が待つ中、マリアはちょっと照れくさそうに現れた。
「うわあー!すっごおーい」
アリーナが声をあげる。
「おお、なんと凛々しい姿じゃ」
「かっこいーじゃない。まあまあイカすわね」
「まあ、かっこいい」
「マリア、よく似合うよ、うん。さすがだなあ。こんな素晴らしいものを見ることが出来て、嬉しいよ」
「おお、マリア殿、よくお似合いですな」
みなの賛辞には適当に礼をいって流す。とりわけトルネコは普段の彼からは想像が出来ないほどの喜びようだ。
こういうときにどう振舞っていいのかなんて当の本人はよくわからないもので、マリアもまた困ったような笑顔を浮かべることで精一杯だ。きっと部屋で着替えて、廊下を歩いてくることすら恥ずかしいと思っていたに違いない。
白金とも銀ともつかない不思議な光沢を放つその鎧や兜は凝ったデザインで、美麗さもかなりのものだった。
マリアの髪に似た緑色の石が胸元にはめ込まれており、まるでオーダーメイドではないかと思うほどに、彼女の髪色とそれはあわせて作ったのではないかと思える。
それ以上に驚いたことに、それまで着ていた鎧とまったく違うと感じるほど、それはマリアの体に馴染む。ほぼ体全体を覆うデザインにも関わらず、彼女の動作はとても軽く見えた。それは着ている本人も勘付いたようで感嘆の声を漏らす。
「動きやすいわ。こんな鎧、初めて」
「お似合いですよ。天空のものは、天空の血を引く人のために作られますから」
ルーシアがそういうけれど、さすがにそれにはもう不快さを必要以上に見せないでマリアは軽い苦笑だけを返した。
「みたいね」
「それに、その鎧たちが」
「うん」
「あなたの、翼になるでしょうから」
「・・・」
悪気はないのだろうな、とマリアはまじまじとルーシアを眺めた。
「あっ、わっ、わたし、何か悪いこと、言いましたか・・・?」
「ううん。この鎧」
「はい」
「翼なんて、出る場所ないんだけど。でも、ルーシアは今、天空の血を引く人のためにこれがあるって言ったわ」
「はい。ですから」
何がおかしいのだろうか?とルーシアは首を傾げながら
「翼がない天空人が、いつか空に帰るために作られたものですから。この鎧たちは」
「・・・ということは、天空人は以前から下界に降りていたということではないですか」
クリフトがずばりとそう問い掛けた。
その場にいる一同は、一体何の話になったんだ、と困惑している。
「それは、わたしにはわかりません。だって、わたしは翼が普通にありますから、そういったことの細部は存じません。そういうことであれば、マスタードラゴンにお聞きすればよいのではないかと」
ルーシアはクリフトからの厳しい問い掛けすら、意味をきちんと把握していないのか、あるいは完全に逃げようとしているのか、そうさらりと答える。
そのように言われては、とクリフトは腑に落ちないように黙り込んだ。
着心地はどうだい、とトルネコがマリアに問い掛けたおかげで、そのやりとりは終わったことになってしまう。
「嫌がってたけど、この装備、すごくしっくりくる。もっと防御力が高い防具がみつかっても、これの動きやすさにはかなわないかもしれない」
「ふむ、そういうこともありますな」
ライアンは頷く。
「マリア殿は重い装備も身につけられますが、こういうものにも相性というものがありますし」
「よね」
「うんうん、そういうものだ。ライアンさんはいいことを言うもんだ」
トルネコは満足そうに頷いた。

「痕が、残っちゃうの?」
アリーナが驚きの声をあげる。
昨日世界樹に登らなかったメンバーで、もう少し何かないか、と探索に出かけた。
案内役としてライアンがみなを引き連れて、トルネコ、クリフト、それからマーニャだ。
マリアのことを考慮して、ミネアは宿に残った。ブライは、外で繋がれている馬のパトリシアを洗いに出ていた。
アリーナが寝泊りした部屋でマリアとミネアは茶を飲んでいた。ルーシアは多分エルフやらホビットやらと話をしているのだろう、見当たらなかった。
「多分、残ると思う。クリフトがそういってた」
「そうなんだ。消せないのかな」
「多分」
それについてはミネアは何も言わない。彼女の眼から見てもそう思える傷なのだろうということが、それでわかる。
「うーん、あのね、マリア」
「なあに」
「もし、もしもし、サントハイムのみんなが元に戻ったら・・・もちろん、それは、まだ、方法もわかんないから、なんとも約束できないんだけど」
「うん」
「そしたら、わたしがいいお医者さん探してあげる。その傷の痕が、残らないよーになんか出来るかもしれないし」
アリーナはアリーナなりに考えて提案をする。
「ありがと。でもね、大丈夫なの」
「だって、嫌じゃない?」
「うーん、わかんない。まだ。実感がわかないっていうか・・・それと・・・」
「うん」
「この傷、好きになるかもしれないし、嫌いになるかもしれないし、まだ、わからないんだ」
マリアのその言葉の意味がわからなくて、アリーナは不思議そうにマリアを見つめる。
ミネアだってマリアの本意は多分よくわからないのだろうけれど
「好きに、なってあげられるといいですよね」
と静かに返事をした。
それは、わからないなりのミネアの本音だ。
「うん」
そう答えたマリアの顔つきがあまりに穏やかで、アリーナはしばらくマリアの横顔を見つめる。
「どしたの?アリーナ」
「ううん・・・ねえ、マリア、もし、天空に行っても」
「うん」
「ここに、戻ってくるよね?マリア、天空に、住んじゃったり、しないよね?」
「アリーナ」
いつもにも増して真剣な眼差しがマリアにまっすぐとむかってくる。
ああ、こういうアリーナのひたむきさは、とても好きだ、とマリアは思う。
「わたしが帰るべき場所は、空の上なんかじゃないわ」
それだけは、躊躇せずに答えられる。
もしも、自分に翼が生えたとしても、戻るべき場所はそんなところではない、と思えた。

たとえば。
背中に翼が生えたことで、新たな力を手にいれられるといわれたら、わたしは、どうするのかしら。
また、どうにもならない繰言を、と自分でも思ったけれど、なかなか止めることが出来なかった。
マリアは宿屋からアリーナと共に出かけて、世界樹の木の下にやってきた。
「登っても登っても、終わりがないみたい。途中からは足がかりになる場所がなくって、登れなくなっちゃったけど、空のお城まで続いているみたいよ」
素直な感想をいいながらアリーナは木を見上げた。
「ルーシアちゃんは、天空に続く場所が、ここじゃないどこかにあるって言ってた」
「天空に行ったら、デスピサロがどこにいるか、わかるのかしら」
「ルーシアちゃんが言うには、マスタードラゴンとかゆー神様がいて、それがわたし達を待っているんだって」
「待っているの?」
「うん。ね、サントハイムのお城の裏にあった看板、覚えている?」
マリアは頷いた。
雲の上には竜の神様が。
サントハイム王が幼い頃に夢を見たという。
目が覚めた王が口に出した言葉がサントハイムの城裏に立てられた看板に書いてあったのを彼らは発見していた。
「アリーナは、どう思う?天空に・・・ルーシアは翼が折れちゃってるから、まあ、本当は送り届けてあげたいんだけど・・・もし、ルーシアがいなかったら・・・それでも、天空に行く必要があると思う?」
「わたし、難しいことわかんないからさ。行って見たーい、っていう気持ちをとっぱらって考えても、必要性ってよくわかんない」
正直にアリーナはそう答えた。
「でも」
「うん」
「行かなきゃ、いけない気がする」
「・・・行かなきゃいけない」
「うん。わたし、予知能力がどうのこうのって、あんまりよくわかんないけど、お父様が、あれはきっとわたしのために立ててくれたんだよね」
「・・・」
僕の子孫が困っているから、だから、看板をたてて。
助けてあげなきゃ。
マリアはサントハイム王に会ったことはないから、その情景はイメージしにくかったけれど、幼い子供が「自分の子孫が困っている」ということを真剣に受け止められるということは、とてもすごいことではないのかと思う。
「それを、信じたいの。だって、実際今わたし達、困っているじゃない?デスピサロはどこにいるか。ミネアに何度占ってもらっても、水晶が邪悪な力に邪魔をされて曇るっていうし・・・変な力あるのね」
そういいながらアリーナは悔しそうに唇を尖らせた。マリアもそれには同意する。
「まったくよね・・・大層な力があるもんだわ、デスピサロは」
「それとさっ。地獄の帝王さ、倒したじゃない?あれを封印してたのが、その、マスタードラゴンっていうのなんだって」
「そのようね」
「どうすれば、もう、蘇らないように出来るのか、誰も知らないじゃない?だからさ、聞いてこようよ。なんか知ってるかもしれないもん」
その意見は悪くはなかった。一体自分達は地獄の帝王エスタークを倒したのか封印したのか、それすら理解が出来ないのだし。
「それに・・・もしかして、サントハイムのこと・・・知ってるかもしれないから・・・聞きたいな。そのこと」
アリーナは言いづらそうにうつむいた。
これは完全に個人の感情だし、という気持ちがまざったせいだろう。
どこまで無邪気に発言してもいいのか、ということをアリーナだってさすがに考えるときもある。
「・・・うん。そうだよね。わたし達、なかなかサントハイムのこと、わからないもんね」
マリアはアリーナの顔を覗き込んだ。
「聞いてみようか。その、マスタードラゴンに」
「うん!」
アリーナはぱあっと表情を明るくして元気よく答えた。つられてマリアも笑顔になる。
「天空に行こうか」
「うん。行こうよ。そんで、空の上から見ている人達に、色々聞いてみよう。この木よりずっとずっと高いところにある、空のお城にいってみたい」
「そうね。わたしには、翼があるらしいから。トルネコ絶賛のね」
そういってマリアは肩をすくめてみせた。
少しだけ、背中が痛んだ。

健康的なつやつやとした濃い緑の葉を繁らす枝の先に、時折若くて柔らかな黄緑色の、太陽の光が透けるほどに生まれたての若葉が混じっている。
登るまでは「毛虫とかいるんじゃないの?」とマーニャは相当嫌がっていたけれど、たとえいたとしても大きな葉に隠れてなかなかお目にかからないようだ。
世界樹を登りながらクリフトは、どうもぼんやりとして・・・と周囲には見えるが、本人は真剣に思い悩んでいるようだ・・・覇気がない様子だった。
マスタードラゴンという生き物が天空にいるという話をルーシアから聞いた。
クリフトは、そのことばかりを頭の中でぐるぐると考えていた。
雲の上には 竜の神様が住んでいる
サントハイム王が幼い頃に見た夢をもとにたてられた、一体誰が見るのだろう、と思える場所にそっと立っていた看板。
サントハイム王族は予知能力があるのではないかといわれていた。残念ながらアリーナの「それ」は、なかなか表面に現れてこない。たとえあったとしても「姫様の勘」なんていう言葉で済まされてしまうあたり、それはもう人柄の違いなのだろう。
「・・・竜の神様」
「なあに?クリフトちゃん、なんか言った〜?」
世界樹の枝の上を軽快に歩きながらマーニャが振り返った。
人一人歩くことがぎりぎり、という太さのところでも、この踊り子の動きは優雅だ。場所によってはひどく恐る恐る他の枝に手を伸ばしながら歩いているトルネコとは雲泥の差もある。
「あっ!いえいえ、なんでもありませんっ」
クリフトは慌てて気を引き締めようとするけれど、なかなかそれが難しい。
自分でも、あまり集中をしていない、ということは戦闘中でもわかっていた。
竜の神様。
それは、「竜達の神様」という意味なのだろうか?しかし、ならば何故人の形に近い天空人がそれを敬うのだろう。
それは。
竜の形をした、神様、という意味なのだろうか。
物心ついてから、初めての種類の不安だ、とクリフトは感じる。
旅を始めてから感じることが多くなったこの世界の理不尽さ。それらをいくらつきつけられても、クリフトの信仰に揺らぎはなかった。
罪を犯したものが裁かれればそれは神が下したものだと思っていたし、罪なきものが突然襲われた悲しみは、神からの試練だと思っていた。
生まれたばかりの赤ん坊がたとえ息をひきとっても。
それは何かの理由があって神の御元に戻ってゆくのだと。その命を待ち望んでいた地上の人間としては悲しむけれど、その赤子のためには悲しむべきことではないと。
そして、そう説くことで実際に心穏やかになる人間もいれば、そうではない人間もいた。
自分はまだ半人前だし、神の声を人々に正しく届けることがなかなかに難しいことなのだろう、とも思っていた。
けれども、今は。
(わたしには、神の声が聞こえない)
神の思いが伝わらない。
きっと、何もかも意味があることなのだ、と彼は言い切る勇気と信頼を今はもてない、と思った。
マリアの言葉が脳裏をよぎる。
翼がもしも生えたら。
ライアンにでも斬ってもらう。
自分の体に流れる血をそこまでも否定しなければいけないのだろうか。あの人は。
自分の体が、自分の親から受け取った遺伝子によって植えられた翼の種。
あんな風に必死に芽を出そうと、発熱しても、苦しんでも、それでも生まれようとしている翼を。
あの人は、斬る、といったら、本当に斬る人だ。
言葉のあやでそう言ったわけではない。
きっと彼女にとって、自分の背に背中が生えることは・・・たとえそれが両翼だろうと・・・心の奥底にいつも抱いている憎しみや悲しみに繋がるのだろう。
いつの頃からか、自分がマリアについてとても深く思いをめぐらせることが多くなった、とクリフトは自覚していた。
考えても考えても、背伸びをしても、ちぎれんばかりに手を差し伸べようと試みても何をしても、彼女に届かないわずかな力しか自分は持っていない。
自分の力が足りないならば、せめて神に祈って、その手を差し伸べて欲しいと何度も願った。
けれど、今、その神すら彼の中で。
クリフトは眉根を寄せながら、枝から枝へと飛び移った。
・・・そうだ。
認めたくはないけれど、その存在の揺らぎを告げる警告が重く鳴っている。
その音の向こうに見えるのはいつもマリアの姿だ。
自分にとってその揺らぎは、今までの人生への否定と背中合わせとなっていることをクリフトは知っている。
それでも、彼は彼に変化をもたらすその人、マリアを理解をしたい助けてやりたいと願う。
まったく、自分は。
クリフトは無意識に溜息をついた。
一体いつからこんな風に彼女のことを考え続けているのだろうか。
「・・・ねえ、ちょっと、ライアン、待って」
先頭に歩いていくライアンをマーニャが引き止めた。
「何か?」
「・・・この、うすらぼんやりした神官、ちょっとトレードしてくるわ」
一瞬マーニャが何をいっているのか、ライアンもトルネコも、果てはクリフト本人すらよくわからなかった。
「う、うすらぼんやり?」
「そーよ。わかんないとでも思ってんの?あんた、全然やる気なさそーなんだもん。アリーナの傍にでもいなきゃ元気も出ないってわけ?」
両手を腰にあてて、マーニャは挑戦的にクリフトに言った。アリーナの名前を出されて、クリフトは頬を赤らめる。確かに彼は幼い頃からアリーナのことを好いていたけれど、それを他人から言われるのはあまりにも恥ずかしいことだ。
「まあまあ、マーニャ、そういうときも」
あるよ、とトルネコが言おうとしたが、
「女は決まった周期でやってくる腹が痛くて痛くてしょーがないことにだって耐えるんだから、男だってそれなりにしゃきっとしてよ」
と言いながらマーニャはクリフトの帽子のつばをぐい、と持ち上げて、彼の鼻の頭を指ではじいた。
「いててっ・・・」
「だーめ、だめだめ。あんた、ミネアとトレードよ。さっきだってドラゴン相手になーにもたもたしてたのよ。呪文かけるタイミングだってなっちゃいないわよ」
「す、すみません・・・」
ぐうの音も出ないほどにマーニャにこっぴどく叱られ、クリフトは謝るばかりである。

まったく情けない、とブライに説教をされ、なんでそんなことになったのか、とアリーナに追求され、クリフトは散々な目に合いながら宿屋でおとなしくしていた。
もちろん、この仲間達のとりまとめであるマリアがそれを放置しておくはずがない。
ブライの長い説教の途中でマリアはクリフトを助けてくれた。とはいえ、マリア本人からきっと次は説教されるのだろうな、とクリフトは覚悟を決めていたが。
天空の装備を脱ぎ去ったマリアはいつもの、露出が多い服を着て、それに軽い上着を羽織って背中をかくしていた。
部屋に呼ばれてついていくと、マリアはばふん、と音をたててベッドに座り、ドアの傍で所在無く座っているクリフトに聞いてきた。
「どーしたの、一体」
「申し訳ありません」
「わたしのことと、関係あるの?」
ずばりと聞かれて、しかたなしに正直に答える。
「はい」
「そ。も、クリフトったら、不器用なんだから」
「はあ」
「何考えてたの」
「・・・あまり、言いたくないことなのですけど」
「いいよ。言いたくないなら。でも、それは明日以降にも影響することなの」
明日からは大丈夫です、と断言する勇気がクリフトにはなかった。彼はわずかに唇を開けて、マリアを見つめる。
どう答えて良いのか彼には言葉がみつからないようだ。
「あなたがそこまで何かに気持ちが動くのは、サントハイムのことか、アリーナのことか、神様のことだけよね」
「・・・どうしていつも・・・」
そういうときにアリーナの名前が出てくることは、クリフトはほとほと不本意だと思った。
確かにアリーナに好意は寄せていた。けれど、自分にとってのアリーナは恋愛対象ではなく、愛すべき、手を焼かせられる妹のようなものだ。確かに過保護であることは認めるけれど・・・。
「なあに」
「あなたは姫様のことをおっしゃるんですか」
「・・・だって、クリフトはアリーナのこと好きじゃない」
「・・・そりゃあそうです。姫様を嫌いなわけがない」
「だったら、おかしくないでしょ」
「でも」
苛立ったようにクリフトは、彼にしてはめずらしく険しい表情を見せた。
「わたしは、あなたのことを考えているのにっ・・・」
マリアは彼のその言葉に驚いたように目を見開いた。
言ってしまったクリフトのほうは、一瞬自分が何を口走ったのかを理解できなかったようだ。
言葉を止めて、少しの間をおいてから、彼はかあっと頬を赤らめた。
「・・・それがなんなの。もう一度聞くわ。それは、明日以降も影響するようなことなの?」
「・・・すみません。いえ、大丈夫です」
しまった。
自分が彼女のことを考えていることを知られたこと自体も恥ずかしかったけれど。
それによって彼にそういった障害が発生していることを、彼女はありがたいとは思わないに決まっている。
「それならいいわ。人間だもの。わたしだって、みんなにいっぱい迷惑かけてるから。今日は、いい。今日のところはまた明日、で済むから。でも、今しかない、ってときだけは気持ちを切り替えてね」
「はい」
「さっきはごめんなさい。アリーナのこと、言ったのは、わたしの失言だったわ」
それへはクリフトはうまく言葉を返せなかった。
マリアはベッドの上でもぞもぞと動いて座りなおす。ぎし、という木の音が室内に響いた。
いつものクリフトならば「いいえ」と答えたに違いないけれど、彼はよくよく今日はおかしいのか、口から出てきた言葉はまったくもって脈絡がなく聞こえるものだった。
「背中は、痛みますか」
「え?うん、もう大丈夫。クリフトのおかげだわ。ありがとう」
「いえ・・・」
マリアは羽織っていた上着を脱ぎ、そっと手を背に回して、今朝の傷口に触れながら不安そうな視線をクリフトに向けた。
「ねえ・・・ここ、ただの傷口だった?翼とか、見えなかった?」
「何も、見えませんでした。ただ裂けていただけでしたよ」
「そう」
それなら、いいんだ・・・と呟きながら、マリアは複雑な表情だ。
「わたしの母さん、知ってたのかなあ、翼が生えるって」
「え」
「この服、翼が、ちょうど出るの」
その声音はいつも通りの彼女の穏やかなものだったけれど、クリフトにはあまりにもその言葉は重く響いた。
言葉の内容が、ではなくて。
あまりにも穏やかに、普段と変わらずにその言葉を彼女が発することに気付いてしまって、それが、せつない。
「でもわたし、翼が生えたら」
そこでマリアの言葉は止まった。
クリフトは続く言葉を待って、その場に立ちつくしているだけだ。
マリアはベッドに座っているのだから、部屋に置いてある小さな椅子は空いている。昨日まではそこにクリフトやトルネコが座って彼女の容態を見守っていた椅子だ。
けれど、マリアはその椅子を彼には勧めなかったし、彼もその椅子に自分から腰を降ろしはしない。
近寄って椅子にこしかけて、じっくりとマリアと話をする態勢になることがなんだか怖い、とクリフトは感じた。
自分の心の中の、今まで感じたことがない種類の動揺を、クリフトはなんとはなしに察知した。
そして、マリアもまた、クリフトが自分の傍に近寄ることにわずかな畏れを感じている。
それは。
「大きな黒い塊が、やってくるの」
突然マリアは続きではない話を始めた。クリフトはそれに戸惑いの顔を向けた。
「ごごーって音がして。逃げなきゃって思うんだけど、うまく逃げられなくて・・・夢の中で、自分が潰されちゃうのよ」
「夢」
「何度眠っても同じ夢なの。背中が痛くて痛くて、わたしがね、わたしじゃない何かになるの」
マリアは目を伏せて、ぽつりと呟いた。
「でも母さんは、わたしがわたしじゃなくなったとしても、愛してくれたんだろうね。いっぱい服を作ってくれていたの。全部・・・背中が、見える、服」
最後の言葉は途切れ途切れで、掠れていた。
耐え切れなかったのだ、とクリフトは目を細めてマリアを見た。
それから。
近寄ってはいけない、それ以上彼女の心の中に土足で入ってはいけない、と、現実とイメージが重なりながら、どちらに対しても制止する自分の心の声が聞こえたけれど、彼はドアから離れてベッドに近寄った。
マリアは泣いてはいない。
ただ、不安そうにクリフトを見上げるだけだ。
「クリフト」
「はい」
「翼なんていらない。でも」
「はい」
「生えること・・・許してあげないといけないのかしら・・・?」
「え」
「母さんが、それを許していたなら、わたしも許してあげなきゃ、いけないのかなあ」
クリフトはマリアの足元、真正面に膝をついた。お互いの目線が近づく。
マリアはその場から動かずにクリフトを見下ろした。
「翼なんていらないし、天空に行くための装備なんて、好きになれない。だけど」
「ええ」
「わたしを守ろうとして死んでいったみんなが、それを許していたなら、わたしも許さなきゃいけないよね」
それへはクリフトは答えない。彼からの言葉が与えられないことに何も気にしていないように、少しの間だけをおいて、マリアは小さく笑った。笑ったけれど、次の瞬間その表情は歪んで、わずかに掠れた声を絞り出す。
「でも、今はまだ出来ない。そしたら・・・翼をいらないって思ったこと、後悔しそうだから・・・」
その言葉と共に、マリアはベッドの縁に腰掛けたままでゆっくりと上半身を前に倒した。
クリフトの肩にことりとその顎を乗せ、体を預ける。クリフトの首筋を、軟らかな緑色の巻毛がくすぐる。
あまりにも自然なその動きに対して、何故かクリフトは膝立ちの態勢で抵抗なくマリアの体を抱きとめた。
そっと二の腕と背中を抑えて支えると、クリフトは瞳を閉じた。
わかっていた。
こうなることが恐くて、自分は彼女に近寄れなかったのだ。
そっとマリアの背に手を回すと、なめらかな肌の上に違和感を覚える。
それは、昨日まではなかったはずの、悲しい烙印だ。
ああ。
何故この人が。
本来であれば、彼女を産み落とした母親から譲り受けた翼を愛して。
義理の母親が受け入れていた、翼が生えるかもしれないという真実を許容して。
たった片翼でもそれを慈しめるはずの、本当は心優しい人が何故翼を斬り落としたいとすら願わなければいけないのか。
だって既に、この人は自分で拒んでいた翼ですら愛しいと思い始めているではないか。
「マリアさん」
「うん」
「もしも、後悔したら、一緒に空を見ましょう」
「うん」
ぎゅ、とクリフトの首に回す手に力が入った。
「その前に、空の上にある天空のお城に、行きましょう」
「うん」
「あなたの本当のお母さんに会うために」
びくりとマリアの体が強張った。
恐る恐るクリフトから体を離して、マリアは険しい表情を彼に向けた。
「・・・わたしの、本当の、お母さん」
「はい」
クリフトは頷いた。
言ってしまった。
ルーシアときちんと約束はしていなかった、などという言い訳をする気は彼にはなかった。
自分は神官失格だろう、とクリフトは頭のどこかで冷静に判断をしている。
見失いかけた信仰を取り戻す存在が、空の上にいるのだろうか。
「クリフト」
「はい」
「・・・わたし、怖い」
竜の神様。
そんなものは、いても、いなくてもいい。
クリフトは、再び彼に助けを求めるマリアの体を抱きとめた。そのぬくもりに対して彼が感じるものは、同情とか憐れみとか、そういった今までに感じたものとはどこかしら違う。
この人と共に、空を見上げていられたら。
ほんの少しだけ回した腕に力を入れても、彼女は何も抵抗を見せなかった。その抱擁がどういう意味を持つのかを追求されることはなかったし、それを拒まない彼女に理由を聞きたいとも思わなかった。
ただ、力を入れた瞬間に、彼女の傷が本当に痛まないかとそれだけに思いを馳せて。そして。
ああ、まただ。
彼女の背の烙印を感じるたびに思う。
もしも翼が生えていたならば、美しい翼だったに違いない、と。 
そういったら、腕の中のこの女の人は、自分を責めるだろうか。

Fin

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モドル

ついにやってきて、しかし、あまり進んでいないというか・・・いまだカップルになれない臆病な人々です。
とはいえシナリオはこれからご存知のとおりゴッドサイド、天空城、そして希望のほこらまでの洞窟、4結界、ラスダン・・・と「一体どこに恋愛イベント起こせるんだ!」という怒涛のラスト(そうでもない?)に向かいます。
突然のクリフトの乱心ですが、翼生え話でなくともルーシアの話などでこうなる話は出来ていました。翼話をいれたことによって更に乱心具合が増したのはちょっと予定外でしたが・・・。