流離-3-

「トルネコ、どうしたの」
魔物を倒しながら4階まであがった頃、トルネコの歩調が遅くなったことに最初に気付いたのはマリアだ。
足を止めて振り向いた。
「うん、ちょっとね」
ふう、ふう、とトルネコの荒い呼吸音が聞こえる。
「疲れちゃった?」
「やーだ、まだ休むほどは歩いてないじゃない。運動不足じゃないのお?」
マーニャはそう言って茶化したけれど、トルネコがぐい、と額の汗をぬぐう様子がいつもと違うことに気付いて表情を強張らせる。
「・・・ね、どっか、調子悪いの?一休みするから、座って」
「ちょっとだけ休ませてもらえるかなあ」
マリアの言葉を聞いてすぐさま、どっこらよっこいしょとトルネコは腰をおろした。
アリーナもマーニャも心配そうにその様子を見ている。
「なんていうかね、その、息苦しい感じがして体がいつもよりうまく動かないんだ」
「風邪?」
「とは違うと思うんだが」
「熱は・・・ないわね」
マリアもその場にしゃがみこんで、トルネコの額に手をあてる。
「もう帰ろうか」
「いけないよ、マリア。折角来たんだ。何、ちょっと休めばまた元気になるさ」
「だって」
「無理なときはちゃんと自分で音を上げるから、大丈夫だよ」
「うん、わかった。あんまり無理しないでね。ブライやミネアだって調子悪いのに、トルネコまで具合悪くなったら大変だもの。無理してもっとひどくなったら、怒るわよ」
「うんうん、わかってるよ」
アリーナが励ますように明るく声をかける。
「だいじょーぶだいじょーぶ!いざとなったらあたしが片手で持ち上げて運んであげるっ!」
「うっそーお、いっくらアリーナでも片腕じゃ無理でしょっ。片手と指二本くらいじゃなーあい?」
「何それ!いくらなんでもそれだって無理よ!」
「ま、ともかく無理だと思ったら遠慮なく言ってよね。美女三人誰でも看病してあげるわよぉ」
マーニャも元気づけるようにけらけらと笑った。アリーナが「わたしも美女?美女?」と嬉しそうにマーニャに聞いている。お互い様な時にこうやって軽く笑い飛ばされると少しは気分も楽になるというものだ。疲れたように、けれども一応笑顔でトルネコは小さく「ありがとう」と答えた。

その夜、マリア達はゴットサイドでゆっくりと体を休めることになった。
驚いたことにあの後、トルネコ・アリーナ・マーニャが相次ぐ不調を訴えたため、しようがなく探索を打ち切って脱出してきた。
トルネコは息苦しいといい、マーニャは「やたら疲れる」という。アリーナは頭痛がしてきたらしい。
マリアは一人でけろっとしていたが、仲間達がそんなにも次々に調子を崩すことなど、アッテムトのガスにやられた時ぐらいだったため、無理は禁物と割り切って深入りせずに塔から脱出してきた。
三人に外の空気を吸わせ、少し馬車で休ませた頃にはもう夕方。大事をとって、そのままゴットサイドに戻ってきたというわけだ。
ゴットサイドの宿屋は気配りが行き届いていた。特にベッド周りの布類が肌触りよく、長く王宮仕えをしていたブライですら絶賛するほどだ。残念ながら肝心の姫であるアリーナはあまりよくわかっていない様子だったが・・・。
「トルネコ、調子どう?」
夕食後にマリアはトルネコとクリフトの部屋に訪れた。4人部屋5人部屋に男女でわかれるつもりでいたが、三人もが不調を訴えたため急遽二人部屋を4つに一人部屋1つ借りることに変更した。旅人が来るのかどうかよくわからないこの町で、これだけ多くの部屋を宿屋が用意をしていることは驚きだ。
エンドールくらい大きな町ならともかく、多くの町は大部屋が三つ四つ用意されているだけ、ということが多いというのに。
それだけの人数がこの宿に泊まったら、そうそう料理など一気に作れないのではないかとこちらの方が心配をしてしまう。
「どうぞ」
クリフトが扉を開けてマリアを中に迎え入れた。クリフトもトルネコも部屋着で楽にしている様子だった。
「やあ、マリア。今日はすまなかったね」
床に座り込んで道具の手入れをしていたトルネコはマリアを見上げる。クリフトに勧められてマリアは木の椅子に座った。
その向かいにクリフトも座った。
人に見下ろされてもトルネコは特に気にすることもないように、ごしごしと変化の杖を磨く。
「大丈夫?どこか他に具合悪くない?」
「うんうん、もうすっかり元気だよ。一体なんだったのかねぇ・・・」
「マーニャもアリーナも大丈夫だって」
「なんというかね、空気がちょっと、薄いような感じで、苦しくなったんだよね」
「高い山を登れば息苦しくなると聞きますが、そんな感じなのでしょうか」
クリフトは怪訝そうに言葉を挟む。
「そこまで、高い位置に上ったのですか?」
「そうじゃないと思うけど」
言いづらそうにマリアは返事をした。
「とりあえず、明日はクリフトとライアンに一緒に行ってもらおうと思っているの。アリーナとマーニャ、それにトルネコは少なくとも調子悪くなっちゃったわけでしょ。ちょっとブライとミネアを連れて行くのは心許ないのよね」
「はい」
ブライは高齢のため、ミネアはもともと体力があまりないし、アッテムトの時も漏れなく体調不良を訴えたこともあって、申し訳ないと思うけれどこういう未知の探索を始めるときには候補からはずれてしまう。
それでも彼らは彼らにしか出来ないことが必ずあって、その時はいつでも力になってくれる。それぞれがそれぞれの役目をわきまえていてくれることは、マリアにとってはしみじみ嬉しいと思えることだ。
「三人だけで行くのかい?それは危険じゃないかな」
「あ、ううん。あのね、ルーシアも一緒に行ってもらおうと思って」
「おや、めずらしいことを」
「わたしの考え違いじゃなければ」
マリアは軽く首をかしげ、人差し指で自分の豊かなくせっ毛を絡ませた。
「多分、ルーシアは体調悪くしないと思うの」
その言葉にクリフトは「天空人だからですか?」と問い掛けようとした。そして、咽喉の奥にその声を詰まらせて、踏みとどまる。きっと、マリアはその言葉を聞きたくないはずだ。言えば言ったで簡単に「そう」とか「違うわ」とか答えてくれるだろうし、ここで何も言わない方が不自然なのだとしても、クリフトは自分で抑えた。
一方トルネコの方はと言えば、気にした風もなく
「そうだといいね。ははは、わたしもこんなになぁ、太ってなければいくらでも高い塔を登れるだろうに、ちょっと運動不足だったかな?」
なんて言って軽く腹を叩く。マリアは声を出して笑った。
「あはは。でも確かに最近ちょっとだけ運動不足かもね。だって・・・あんまりね、トルネコに危険なことして欲しくなくってね」
「マリア」
「マリアさん」
穏やかで、それでいて少しばかり悲しそうなマリアの声音に、トルネコもクリフトもついつい同時に彼女の名を口に出してしまう。
「あ、うん、ごめん。他の人たちはいい、なんて思ってるわけじゃあないの。でも」
マリアが言いたいことはわかる、と二人は思った。トルネコは戦闘については特化した能力はない。彼は根っからの商人であるし、天空の剣や鎧を手に入れたいという彼の願いは叶ったわけだし、戦い続ける意味はないのではないか。この戦いが終わったら、マリアは天空の武器防具達をトルネコにすべて渡したいと思っていたから、それを待ってもらえばいいことだ。
マーニャやミネアは父親の敵討ちを終えたとはいえ、どうやら自分の父親が作り出した「進化の秘法」を用いてデスピサロが何かをしようとしているということを知ってそれを防ごうとしている。アリーナ達はサントハイムから消えた人々がデスピサロと関連があると信じてここまで共に来た。ライアンは勇者を守るため、と出会った時から耳にタコが出来るほどに聞き続けている。
要するにトルネコはもう共にこの先行く利点が彼にはないのだ。
トルネコのアイテム鑑定眼は役立っているが、ギブアンドテイクとして最後までついてきてもらわずとも、もう十分過ぎるほどトルネコは役に立ってくれている。
「確かに魔物達と戦うのは不得手だからなぁ。でも、マリアが必要だと思ってくれれば、今日みたいにいくらでも連れて行って欲しいもんだ」
「うん、わかってる。ありがとう」
少しだけ照れくさそうな、はにかんだ笑顔を見せてから、マリアは黙り込んだ。
マリアのその表情はとても可愛らしいとクリフトは思う。
少しだけ脚を開いて椅子に座り、自分が座っている椅子の前部分に手をついて、所在なさそうにマリアは前後に椅子を揺り動かした。かたん、かたん、と椅子の脚が浮いては床につき、浮いては床につき。マリアは何を思っているのか二人から視線を外して、床の木目でも見ているようだ。かたかたと自分で音をたてていることも気にしていないのか、不思議そうにマリアを見上げているトルネコの視線すら気付かない。
年相応の、その落ち着きない動きにクリフトはついつい噴出した。
「マリアさん、音」
「あっ、えっ」
「椅子の音。かたかたいってます」
「ごめんなさい。無意識だった」
慌ててマリアは椅子を動かすことをやめ、姿勢を正した。
「マリア、何か言いたいことがあるのかい」
トルネコに問いただされて、ばつが悪い表情でマリアは言い訳をする子供のようにぽつりぽつりと返事をする。
「んーと・・・あのねぇ・・・前は、トルネコ連れてくの、悪いなって思っていたんだけど」
「うん」
「今はね、最後まで一緒にいたいから・・・最後なんて言い方やだけど・・・だから、心配しちゃった」
「マリア」
「トルネコに天空のお城、見せてあげる。ネネさんや息子さん待たせてまで一緒に来てくれるんだもん、おっきな土産話作ってあげる。だから、体にはほんと、気をつけて」
「ありがとう、嬉しいよ・・・マリアも、今日はゆっくりお休み」
「うん」
トルネコのその言葉はマリアの退出を促す言葉だ。
素直にマリアが椅子から立ちあがると、クリフトが先回りをして扉を開けてくれる。
「ありがと」
「いいえ」
クリフトの横をするりと通り過ぎて部屋から出て、暗い通路側からマリアは彼を見返した。
逆光でクリフトの表情はよく見えない。
ずるい。
自分だけが彼に顔を見られてしまう。
そんな思いは気恥ずかしさを何故か伴って、マリアはどうしていいのか困る。
「クリフト」
「はい」
「明日は、よろしくね。その・・・」
言葉にしてしまって良いのかどうかわからないことが、マリアの心の中にはくすぶっていた。
続けて言ってしまおうか。言わずにしまっておこうか。
言っても、クリフトの気持ちを乱すだけだ。今は夜だから少し弱気になっているだけ。だから、今日は甘えない。
自分はそんな風に彼に甘えるために、彼の腕を受け入れたわけではないのだし。
マリアはそう決めて、形どおりの夜に使う別れのご挨拶を口にした。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい。お気をつけて」
早く扉を閉めて。
マリアのその願いはあっけなく叶えられた。クリフトはマリアにおやすみの挨拶をすると、すぐにぱたりと静かにドアを閉めた。
その方が、気が楽だ。よかった。
ほっと一息ついて、マリアは暗い通路を歩いていった。

「マリアは本当に良い子でね」
クリフトが翌日の準備をしようと道具の確認を始めると、床の上に色々と広げたままで、ひとつひとつ丁寧に防具などを磨きながらトルネコがぼそぼそと話し出した。
「わたしに、エンドールに帰らないのかって聞くんだよ」
「マリアさんが・・・いつですか?」
「今日だよ。アリーナ達と町を見た後戻ってきて、ここで一休みしただろう?その時さ」
「そうだったんですか」
クリフトはその場で立ち止まって、準備をする手を止めた。トルネコは杖をランプにかざして、磨いた輝きを確認しながら話を続ける。
「多分、今までになくね、色々感じたことがあったんじゃないのかな」
きゅっきゅっともう一度同じ場所を磨いて、トルネコは乾いた布で杖を包む。
「そう・・・かもしれませんね」
「あの子は、いつでも、うちの家族に申し訳ないと思っているようでねぇ。全部何もかも終わったら、天空の武器防具を届けに行くからエンドールで待っててくれないかって言うんだよ」
「・・・」
「座ったらどうかね」
「あ、はい」
そう声をかけられるまで、クリフトは自分がその場に突っ立っていることまで気付いていなかったようだった。
クリフトは道具袋を持って椅子に座り、小さな机に袋を置いた。思いもよらないことを、思いがけない人物から話されて、まだ年若い青年は、どう振舞っていいのか量りかねているようだ。トルネコの方はといえば、まるで呑気な世間話のように、いつもと変わらぬ調子でぺらぺらと話している。ブライがいれば「軽く話しているかもしれないが、それも、人を安心させるための術だ」とわかるだろうが、クリフトはそんな風に気付く余裕もなく動揺をしていた。トルネコはもう一本の杖を手にして、杖の先についている石を磨き始める。
「誰かが待っていてくれると思えば、もっと頑張れるし、なんて言うんだ。あれはあの子の本音じゃない。そう言えばわたしがエンドールに帰ると考えたんだと勝手に思っているんだけどね」
「トルネコさんはなんとお答えになったんですか」
「うん。お払い箱ならそう言って欲しいって。でも、そのう、わたしもあれだよ、一応、ミネアが言うところの、マリアの周りに導かれたらしい人間だからね。まだ、何か役立てるんだと思うんだよなぁ。魔法なんてもんは知らないし、剣の扱いもあんまりうまくないけどねぇ。今日もちょっとお荷物になってしまったわけだけど。なんたってこんなに腹が前に出ていちゃあ、階段を登るのも大変だ」
そういってトルネコはおどけてみせたけれど、クリフトは笑うことが出来なかった。
「さっき、マリアも言ってたけどね、わたしだけに楽をさせようと、他のみんなのことはどうでもいい、とかじゃあないんだよ、あれは」
「はい」
トルネコの言葉はそこで途切れた。磨いていた杖をかたんと音をたてて床に置いて並べた後、右側から順番に袋にいれながら数える。そのトルネコの動きはてきぱきしているが、その実とても武器防具・道具に対して注意が払われているのだとクリフトは知っている。ふっくらとした肉厚な指は一見不器用そうに思われるが、繊細な作業もこなす。いつも爪をやすりで削っているけれど、決まった指だけは爪を伸ばしている。アリーナが以前不思議そうに理由を聞いたら、物を傷つけないように爪は短くしているが、時には爪が必要なこともあるから、と答えていた。マーニャやトルネコを見ていると、「プロ」なのだと思える。自分がまだ未熟で、一人前の神官と思うことが出来ないクリフトからすると、彼らの「プロ」である様子はいつも刺激になる。
と、クリフトの視線に気付いてトルネコは顔をあげた。
「クリフト、君も、とても良い子だよ」
「えっ、あの、わたしは」
「わたしがこんなことを話さなくたって、君はあの子がとても良い子だってことぐらい、知っているのにね。いや、失礼したな」
「トルネコさん」
クリフトは言葉を続けることが出来ずに、口をわずかに開いたままでトルネコを見つめた。
不意を突かれた、と思う。
自分がマリアのことを好ましいと思っていることを、トルネコは知っているのだろうか、と勘繰ってしまった。
そんなことを勘繰ったってクリフトは彼に「知ってるんですか」なんて自分から問い掛けることは出来ないというのに。
ふう、と息を吐いて力を抜いて。それでようやくクリフトはトルネコに言葉を返すことが出来た。
「・・・そうでありたいとは思っているのですが」
「そう思ってることが、君がとても良い子であるしるしだよ」
「でも、女の人は、そのう、難しいです」
クリフトはぽろりと本音を漏らした。
その言葉にトルネコは一瞬眼を丸くして、やがて、大きく声を上げて笑った。
道具をしまい終わってからトルネコは、めずらしく自分と自分の奥方ネネとのエピソードをクリフトに笑いながら話してくれた。これでマリアについての話は終わりだ、とクリフトに暗に言っていることだとはわかる。
それが、クリフトにはとてもありがたかった。

本当はクリフトを連れて行きたくはなかった。天空城にいるらしい「竜の神様」が、彼ら聖職者が言う「神様」と同一のものなのかを知るまでは、クリフトには留守番をしていて欲しいとマリアは願っていた。
が、多分、若い男性であるクリフトならば、あの息苦しさの中でも体力は持つのではないかと予測を立てた。
一晩眠れば今日体調を崩したメンバーも元気になるとは思う。確かに今日はみんなコンディションは良いとはいえないスケジュールではあった。それでも、トルネコはあの通りなかなか恰幅が良い体つきだし(俊敏なのだが・・・)、アリーナはもともとの体力はあるけれど、ひょんなことで体調を崩しやすい年頃の女の子だ。
はっきりと聞いてはいなかったが、女性の体の働きによっては、今日はあまり調子がよくないときだったかもしれない。
マーニャはアリーナよりも先に音をあげたわけだから、彼女よりも体力がないミネアなんて、もしかするともっと早く調子を崩すかもしれない。ブライにあれだけの階段を登っていけというのは結構体に堪えることに違いないし。
念には念を、と考えればライアンとクリフトが自然と選ばれただけだ。それに、こういう場合は安全を守る意味で、ルーシアとクリフト、あるいはクリフトとミネアなど、回復魔法に長けた人間が複数いた方がありがたいと思う。
けれど。
マリアはベッドの中で眠りにつかずに考えていた。アリーナはルーシアと、マーニャはミネアとそれぞれ同室になり、今日はマリアは一人部屋だ。
暗闇の中、彼女は天井を見上げていた。
わたし達が吸っている空気って、どうして眼に映らないんだろう。昼も夜も明るくても暗くても見えないのね。
そんな当たり前のことがひょいっと頭を掠めたけれど、すぐにそれまでの物思いに彼女は引き戻されてしまう。
不甲斐ない自分。
故郷の村で、自分が勇者として未熟だったせいで、失ってしまった人々。
今ですらまだ自分には満足できる強さが無い。
みんなが不調を訴えれば、自分一人で行く、と言い切る強さがまだ足りないのだ。
自信がない。それは、魔物を倒して塔を登る自信だけではない。一人で天空に行くこと、そのことへの心の準備もまた、マリアには出来ていないのだ。
行けばきっと、どんなにマスタードラゴンとやらが想像も出来ない力を持つ「神様」とかいうものでも。
それでも自分はくってかかるんだろうし、もし、本当の母親に会ったらどう思うのかも想像出来ない。
アリーナ達に期待をもたせているけれど、サントハイムのことがわからなかったらどうしようとも思うし、何度でも心が乱れている。

恐いの。

その一言をクリフトに言ってしまいそうだった。
自制出来てよかったと本当に思う。
彼に言ったところでこの気持ちは消えないし、余計に彼を心配させるだけだとわかっている。
サントハイムのことを考えて心が乱れているのはアリーナだけではないだろうし、それに、彼は彼が信じていた「神」に近いものに会うわけで、彼は彼で心が揺れているのではないかと多少思える。
(嫌だったのに)
また自分が醜く心が揺れるところを、あの心優しい神官に見せるかもしれないと思うと恥ずかしい。
もっと強くなりたい。もっと彼に心配させないくらい。彼に甘えなくていいくらい。彼に何を言われても笑えるくらい。だってわたしは勇者なんだし。
それでも、一度味わったぬくもりはやはり忘れられないものだ。
揺れ動く気持ちを抱きとめるかのように、そっと彼にもたれかかった時に背中へ回された彼の腕の温かさ。
今まで何度だってなじって怒りをぶつけて嫌いだとまで口走ってしまった相手が、それでも自分に腕を広げてくれた時の不思議な安心感。
マリアは瞳を閉じた。
もっと、強くなろう。
もしかしたら、天空の竜の神様なんてものに会ったら、わたしよりもあの人が傷つくかもしれないし。
わたしが、あの人を傷つけてしまうかもしれないから。
わたしがやっぱり譲れないもののために。
マリアは体の力を抜いて、固いベッドに身を完全に預けた。だらんとした腕が、気持ちよく日の下で干されたシーツの中に吸い込まれるようだ。
いつもそうだ。体は疲れている。すぐにでも寝たいと言っているのに、考えることを止められなくなる。
少しずつこの旅が、この戦いが、勇者である自分の役割を果たす核に近付いていることをひしひしと感じる。感じれば感じるほど高まる焦りや妙な圧迫感。それに打ち勝ちながら日々過ごすことは正直生易しいことではない。
(ほんと、わたしって、勇者として生きる覚悟が出来ていなかったんだなぁ〜)
それに。よくもまあ、こんな風になんでもいじいじ考える自分が勇者なんてものになれたものだと思う。
(天空人の血が入ってれば、誰だって勇者になれたのかな・・・もしわたしに兄弟がいたら、その人がなったのかしら)
もしも、なんていう想像を始めたらきりがなくなる。それに最後にいきつく「もしも」はいつだって決まっているのだ。
もしも、わたしが勇者じゃなければ。
あの村の人たちは。
その想像に辿り着く前に眠らなくては。そう思った時には既に遅い。
マリアは自分の体の声を聞くことに集中をした。脚は疲れてる?シーツは気持ちいい?腕はどう?
その集中がふっと緩んで眠りの世界に一瞬入ってはまた引き戻されて、自分の体に問い掛けなおす。
まるで儀式のようにそれを繰り返すうちに、考えたくないことを考えずに眠れることに気付いたのはここ最近だ。
体は心と違って、十分な睡眠でほとんど回復できる。だから、それくらいは自分に優しくしたいとマリアは思う。

翌日マリア達は朝食をとるとすぐにゴットサイドを出た。
連日良い天気に恵まれて、どこまでも青く続く空の下には、心地よい風が流れていた。
塔に登るメンバーは体力を温存しておくという意味で、翌日はマーニャとミネアに御車台を任せてライアンが座っていた場所にはトルネコが腰を下ろしていた。いくら肉厚な彼の尻でもなかなか長くはいられないらしく、そう時間もかからずにアリーナと交代をしていたが。
昼前には一度戻ると約束をして、マリアはライアンとクリフト、それからルーシアを連れて塔に入った。
入ったフロアでマリア以外の三人はきょろきょろと辺りの様子を伺った。
見たことが無い白い石。他の塔や城などであまり見ない、柱がやたらと多いつくり。
「高い建物を作るにはやはり柱がこれほど必要なんでしょうか」
クリフトは見慣れぬ石をコンコン、と叩いて独り言に近い声量で呟いた。そういいながらも頭の中では、これだけの柱を上の階に運び入れることの労力について考えている。
「さあね。トルネコは、建築家のドン・ガアデに見せたいって言ってたわよ」
「ほお、あの有名な」
「ライアン、知ってるの?」
「名前だけは。大層有名な御仁ですぞ」
「クリフトは?」
「いえ、存知あげません」
「ふふ、ちょっと安心しちゃった。もちろんルーシアは知らないだろうし」
「地上のことは、わかりません〜」
「この白い柱とかって、ルーシアがいた天空のお城もある?」
「えーと、そう言われてみればそんな気もしますけど、違うといえば違う気も」
その曖昧な答えにルーシア以外の三人は苦笑をした。ルーシアらしいといえばらしい答えだと思える。
ここにマーニャがいれば容赦なく「それくらいわかんないの?バッカねぇ〜」とはっきりと言うのだろうが、残念ながらというかありがたいことにというべきか、みな「まあ、ルーシアならそんなものか」と諦め半分だ。
その時、突然マリアは表情をひきしめた。同時にライアンも一瞬あごをあげて眼を見開き、腰を低く沈めた。
「ね、朝説明したこと、ちゃんと思い出してね」
誰の顔もみずにマリアは小声で、しかし厳しさを含む声音で言い放った。ぴりぴりとした緊張がその声から伝わる。
朝食の席で昨日探索をしたメンバーは、この塔に潜んでいる魔物のことを皆に話した。洞窟や塔などに探索に行った時は、お互いに魔物の情報を話し合う決まりごとになっている。
ルーシアはおぼつかなそうだが、ライアンとクリフトは即座に「はい」と返事をした。
魔物の気配をマリアは察知しているのだ。
「クリフト、ルーシアをお願いね」
「はい」
「行くわよ、ライアン!」
「はっ」
少し離れた柱の陰に、何か黒いものが見える。
襲ってこない魔物相手にはあまり戦いたくないが、その黒いものからは既に殺気が感じられる。
マリアとライアンが動いた瞬間、二体の魔物が飛び出てきた。
どうやら、なかなか天空へはいかせてもらえないようだ。

「なるほど、これは」
ライアンが唸る。
「少しばかり息苦しくなってきましたな」
「・・・ね」
そういって頷くけれど、当のマリアはさほどそれを感じない。
クリフトを見れば、少しばかり吐き出す息が荒い。大きく空気を吸い込む音が時々耳障りなくらいに届く。
それでも、昨日の三人の状態よりはかなり良いとマリアは判断した。
「昨日はあの階段までは行ったの。あの先を確認したいわ」
「それくらいはお安い御用です」
「ルーシアは平気?」
「はい。そのぅ、息苦しいとか、そういうのは、わたしはないです」
「そう」
これまでにも高い塔には何度か登ってきたが、こんなに皆が不調を訴えることはなかった。
試されているのだろう、とマリアは苦々しく唇を噛んだ。
この空気の薄さに問題なく耐えられるのはマリアとルーシアだ。そうであれば、おのずと意味合いがわかってくる。
天空城に辿り着ける者は、余程強靭な体と心を持っている者か、あるいは。
認めたくなくとも、天空の血をひく者なのだろう。
「魔物達は平気なのかしら」
「人間よりも魔物の方が余程順応力がありますからね」
「確かに」
マリアが先頭に立って階段を登る。運が良いことに魔物の気配はないように思えた。
通路にそって歩いていくと、明るい光が差し込む出入り口が見えた。
「・・・わあ!」
通路を兼ねたバルコニーだ。
マリア達は塔から突き出した大きな踊り場のような場所で驚いて立ち尽くす。
体に絡みつくひんやりとした水蒸気を通して、うっすらとしか見えない地上の色。
それでも、霞みがかった色から判別するに、かなりの高さまで登ってきたことが彼らには理解出来た。
(−−−−想像していたより、高いわ−−−−)
気球から見た塔、地上から見上げた塔のイメージよりもずっと高い。
塔に登るとき、地下に潜るとき、階数だけではなくその天井の高さや階段の様子などを確認して、実際自分達はどれくらいの高さにいるのか、深さにいるのかを計ることは、マリアは自分で得意だと思っていた。
勘はそんなに狂っていないはずだったが、明らかに予想よりも高い位置に自分達はいた。
「この冷たいものは、雲よね」
「そのようですな」
雲の中に自分達がいることがよくわかる。視界を覆う薄い白いもや。
「あんまり雲は好きではないですぅ」
「どうして?」
「時々、地上に向かってぱちぱち言いますから、そんなときに雲を抜けて飛んだらたまったものじゃないですもん」
ルーシアはそう言ってしかめっ面をしてみせた。きっと雷のことを言っているのだろうとマリアは納得した。
雷というものが突然発生する原理などを彼らは知らない。知らないけれど、雲が関係をしていることはわかる。
「雲より下へ、地上に向かって降りるときは、ぱちぱち言わない日と場所を選ばないと、雲を抜けた後で巻き込まれることが多いんですもの。恐くて恐くて」
そういうと、心底恐ろしそうにルーシアは両腕で自分の体を抱くように掴んで首を軽く横に振った。
「外に出ていると体が冷えそうだわ。さっさと進もうか」
「そうですね」
それでなくともライアンとクリフトの調子はあまりよくないのに。
マリアは焦ってバルコニーから続く階段を登り、上の階の出入り口を見つけた。
4人は次第に口数が減り、やがて、「大丈夫?」「大丈夫です」と聞くことも返事をすることも面倒に思えたのか、マリアが時折ちらちらと様子を見るだけになる。それが一番効率が良いということは明白だった。
「次の階を見たら、一度戻りましょう。道を覚えたし」
「はい」
「承知した」
「はぁい」
誰もそれに異存はない。ルーシアはもともとあまり魔物と戦うことは得意ではない。出来ればすぐにでも帰りたいという様子だ。ライアンとクリフトはやはり先日のトルネコ達のように不調を表している。大丈夫だ、と空元気を出す様子は二人にはない。そろそろ限界が近いのだとマリアは悟った。
たくさんのことに腹が立つ。
マリアは皆に気付かれないように歯軋りをした。
ゴットサイドで倒れていた男は「一刻も早く竜の神様に会ってくれ」とマリアに求めた。
マリアが来るのを待っていた、とも言っていた。
地上にいる勇者マリアがゴットサイドにやってくることを知っていたということなのだろう。
そして、竜の神様とやらもまた、マリアに会いたいと思っているのだろうことが予想できた。
ならば、どうして。
(お前が、降りてこい!いつでも人を試していないで!)
(仲間を巻き込まなければこの塔を登りきれない未熟なわたしへの戒めとでもいいたいの?)
(会いに行けとか、資格がなければ塔に入れないとか、空気が薄いとか、神の預言を聞くとか聞かないとか)
ぐるぐると心の中に渦巻く憤りに胸が苦しくなる。そんなことを考えている自分のことは、いつだってマリアは嫌いだ。きっとシンシアがいれば「マリア、そんなこと考えていたらね、可愛くない顔になっちゃうわよ」と怒られるに決まっているのだ。それくらいの自覚は憤りながらもちゃんと持っている。
その時
「・・・あ!!」
彼らの前に、突然ひらけた空間が現れて。
ここが終着点だといわんばかりの、塔の頂上。しかし、それは雲に覆われていて、まったく周囲の景色が見えない。
もしも見えたとすれば、あまりの高さに眩暈を起こしてしまうに違いない。
そこには、まるで選ばれた者だけが立つことが許されるような−とマリアには思えた−白い高台があった。彼女はその前で立ち尽くして見上げていた。
馬鹿ね。
マリアは泣きそうになりながら、心の中で自分を叱責した。
選ばれた者が立つ場所。そんな風に思ってしまった自分に対して、どうにもならないくらい嫌気がさしてしまった。
(だって、わたしはもうわかっているのに)
「それは」
息を荒くしてライアンがマリアの横に立った。彼にしてはめずらしく、周囲に魔物がいるかどうか、気配を探ることを忘れているようだ。それほどに彼の体調が悪い、ということではない。その高台に「何か」をライアンも、クリフトも、そしてマリアも感じているのだ。
「マリアさんっ!」
ルーシアがはっと気付いて、彼女にしてはめずらしく慌てた声で叫んだ。
「マリアさん、そこにあがりましょう!きっと、そこからお迎えが来るはずですぅ!」
「お迎え?」
嫌な言葉だ。ふん、お迎えね。
マリアは口端を歪めて、泣き笑いの表情をうかべた。
目の前にあるそれは、ゴットサイドの「祭壇」に似ているようにマリアには思えた。
これは、なんだか、好きではない。まったくもって気に触るものだ。
この高台に立たなければいけないのは、多分、わたし。
そして、自分が立つこの台を「選ばれた者が立つ場所」だなんて感じてしまったのも、わたし自身。
いつだってわたしは、選ばれたくなかったのに。
「マリアさん」
苦しそうな息で、クリフトはマリアの名を呼んだ。
逃げ出したくなるような葛藤の中で、その声に背中を押され、マリアは足を踏み出した。

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モドル