流離-4-

天空の冑。天空の鎧。天空の盾。天空の剣。
マリアは自分の体を覆っている、そう呼ばれているもの達が、まるで自分の足を動かしているように感じた。
彼女だけを受け入れるこの武具達を身につけると確かに体にしっくりと馴染んで大層調子が良い。
けれども、それらはまるで。
(これじゃあ、拘束するためのものみたいね)
勇者マリアが勇者であることを放棄しても、誰も文句は言えないとゴットサイドの男は言った。
そんなことが出来るわけが無いのだ、と改めてマリアは思い知らされた気がする。
自分の身を覆っている防具達が訴える。さあ、天空に行こう、と。
「そんなの、妄想よ」
声に出してみた。そうするしか、その強迫観念に抗う術がないように思える。
雲の合間からわずかに青い空や日の光を感じることが出来る。この塔の「屋上」はとてつもなく高いのかもしれないし、そうではないのかもしれない。ただ、視界を覆うのは厚い雲とわずかな青空。それらのものがまるで天井として壁として存在しているのではないかと勘違いしてしまう。
高台の階段を登りきり、人が5,6人は並べそうな広さがある床の中央にマリアは立った。
何かが起こるのだろうか。それとも、何も?
不安そうにマリアがそっと顔を上にあげ、空の更に空の彼方を見ようとした。その瞬間。
「うわ!」
ぐん、と体が上へひっぱられるような感覚に襲われ、反射で声が出る。
高台の下−といっても階段10段ほどの高低差しかないのだが−で様子を見守っていた三人は、マリアの突然の様子に思わず叫んだ。
「マリアさん!?」
「ああ!」
「体から・・・違う、あれは・・・鎧や剣が・・・」
天空の冑。天空の鎧。天空の盾。天空の剣。
それらのものが突然空へと白い光を放って、まっすぐと雲を突き破ってそのむこうの青空へ吸い込まれていくようだ。
伸びていく光にまるで自分の体がひっぱられていくような感覚に、マリアは眉根を寄せた。足は床についている。
ああ、これはまるで、光によって体を操られる人形のようだ。
それはなんと今の自分を象徴しているのだろうか。
「マリアさん、上・・・!」
クリフトの叫び声がとても遠くからに聞こえるように感じる。
光が吸い込まれていった上空から大きな白い塊−密集した雲にも見えるのだが−がゆるやかな速度で降りて来て、やがて、マリアの足元に浮かんだまま静止した。
目を見開いてマリアはその白い塊の動きを見つめる。両腕を広げても足りないくらいの大きさの楕円に近い形をしている塊に、同じく白いもやが取り囲んでいるように見えた。
そのもやはまるで生き物のようにマリアの足元に絡みついた。ルーシアが何かを言っているけれど、それはマリアの耳に届いても、意味のある言葉として処理をされない。
マリアはその白いものを凝視しながら、名を呼んだ。
「クリフト」
一呼吸おいてから「ライアン、ルーシア」と続ける。
「ここまで来られるかしら」
彼女のその言葉を聞くやいなや、三人は早足で階段をかけあがった。ライアンとクリフトは先ほどまで切らしていた息が整ったかのように軽やかな動きを見せる。
ルーシアはマリアの許可を得ずに、その白い塊に足を乗せた。
「マリアさん。この雲が、天空城まで運んでくれますよ、早く乗ってください」
雲?
雲というものはこんな風に人が乗る足場が作れるようなものなのだろうか?
こんなものが空の上に浮かんでいられるなんておかしいとマリアは思ったけれど、それは後からでも出来る論議だと、気を取り直してルーシアに確認をした。
「やっぱりそうなのね?これ、乗り物なのね」
「はい。さ、さ、お二人も、早く」
ルーシアは近くにいたライアンの腕を無邪気にひっぱった。「の、乗れるのですかな、これは」とおどおどとライアンは白い塊に足を乗せる。未知の「乗り物」に両足を乗せる勇気がなかなかでないようで、恐る恐るルーシアに掴まりながら足をあげるその姿は、普段だったらみなに大笑いされるに違いない。
クリフトはそこは若い男性ゆえか、いつもの慎重さとは裏腹にあっさりとその白い塊に両足を乗せて何度か足踏みをしてみた。大丈夫ですよ、とクリフトが一声かけて、ようやくライアンは全体重を乗せることが出来たようだ。
その間にもマリアはぼんやりとその様子を見ていて、三人が乗っても未だにその場を動くことが出来ない。
まるで自分一人が見送りをする人間になったかのように、足を踏み出す素振りもなかった。
「マリアさん」
クリフトの呼びかけ。
マリアが自分から彼らを呼んだというのに、当の本人が白い塊に乗ろうとしない。その心中をどのように察したのか、クリフトはそっと手を差し出した。
「・・・!」
目の前に出された男の手。
まだ少しだけ幼さが残るけれどとっくにマリアよりも大きく、長いけれど少し骨ばっているマリアがよく知っている手。
いつもは手袋に隠されているはずのその手が、一歩踏み出すことを恐がっているマリアに差し伸べられている。
(どうして、手袋、とってるの、クリフト)
そんな恥ずかしいことを聞くことは出来ない。マリアは、彼女よりも先に白い塊に乗ってわずかに高い位置にいるクリフトを見上げた。彼は少しだけかがんでマリアにその手を伸ばしている。笑顔でもなく、悲しみの表情でもなく、ただ静かに彼はマリアを見ていた。
同じなのだろうと、気付く。
この「気付く」感覚は前にも味わったことがある。
マリアは自分の胸が突然熱さを増して、その熱を全身に伝えたことに気付いた。
内側からわき上がって来る熱は、外に出ることがなく、行き場を無くしてぐるぐると自分の中だけをめぐり、熱さで溶けてしまうのではないかと心配すらしてしまう。
涙を堪える時の熱さにこれは似ていると思う。
体の中の細胞達が心に抵抗をして熱を発しているのだろうか?
ああ、きっとクリフトも。
彼はきっと、マリアの足がすくんでいたことを知っているに違いない。
それがわかるほどに自分とクリフトの間には、秘密がありすぎる。誰にも言葉にすることがない、それでも時折にじみ出てしまうほど強い、マリアの心の奥底に隠れている想いがありすぎるのだ。
それを知っていればこの心優しい神官は、あの、不器用な無理矢理な笑顔を作ろうとするに違いない。あるいは、足がすくんでしまうマリアに対して、彼女がそれを嫌うと知りながらも憐憫の情を現してしまうに違いない。
それが、今は出来ない。
体調のせいだろうか。
いや、そうではないとマリアにはわかる。
だって、この感覚は知っている、とマリアは思う。
何故シンシアが別れの時に笑顔を見せたのか。それを、アッテムト鉱山の奥底でマリアが身をもって知ってしまった時に感じたものだ。
あれは、間違いではない。
マリアがいつか感じるだろうはずだったことを、シンシアは一足先に、死を目前にして体感してしまったのだ。それを、長い時間をかけてようやくマリアは理解した。その理解の瞬間と同じだ。
目の前にいる彼もまた、マリアと同じように恐れている。それをマリアは知った。
マリアに笑いかける余裕も、マリアを憐れむ余裕もなく、それでもただ。
自分も同じだから。
だから、手を差し出しているのだろう、と。
頭の中でそこまで言葉には出来なかったけれど、マリアの中ではとても秩序正しく「わかった」感覚が彼女の心に衝撃を与えていた。
「勇者殿、行きましょうぞ!」
「えっ・・・」
興奮をわずかに含んだライアンの声に我に返ったマリアは、自分の物思いの時間が長かったのかどうか瞬時に判断出来なかった。
が、変わらずに目の前にはクリフトの手が差し出されている。自分が呆けていたのはきっとほんの一瞬だったに違いない。
マリアが恐る恐る手を伸ばすとその手は力強く彼女の手を包み、ぐい、と引っ張り上げようとする。
いつもの彼ならばあり得ない強引さに、胸が痛む。
引き上げられて塊に乗ると、足の裏にぐにゃりとした柔らかい感触が伝わった。予想していなかったそれに戸惑ってマリアは慌ててもう片方の手でクリフトの腕を掴む。けれど、それは不安定ではなく、まるで分厚い綿を固い床の上に敷き詰めたような感触に似ていて、すぐにマリアは一人で立つことが出来た。途端、
「うわっ!!」
マリアが白い塊に乗ったことを確認したかのように、「それ」はゆるやかに上空へと動き出した。
気球とは違ってまっすぐと、風に流されることはなく冷たい空気を切りながら上がってゆく。
「はあー」
度肝を抜かれたようにライアンは、自分達が吸い込まれていく上空を見たり、周囲をぐるりと囲んで外敵から守るような雲を眺めたりで、立場を忘れたかのように呆けている。
不思議なことに彼らの体には余計な風圧も何もかからない。呑気に地上を歩いている時となんら変わりは無い。が、そもそもそんな程度の「不思議」は嫌というほど体験して来た。今更この程度のことで取り乱す彼らでもない。
そもそも足元の、この白い塊自体が謎めいた存在なのだから、それ以外に常識で考えられないことがあっても、そこで起こっていることが事実であれば、もうそれを受け入れるしかないということを彼らは学習しているのだ。それは、少しばかり寂しいことでもあったが。
「小手が邪魔だわ」
ぼそりと呟いてマリアは指先をクリフトの手首に絡めるように動かした。マリアがうまく塊に乗れたことを確認してクリフトは手を離そうとしたしたが、彼女はそれを許さなかった。マリアの細い指先がクリフトの剥き出しになっている手の中で生き物のように動く。手首に絡んで、彼女の指先が彼の服の袖口に入り込んだ。
もしも、今が平時であれば、それは恋愛の最中に発生するちちくり合いに思える行為だ。きっとクリフトは顔を赤くして困るだろう。
けれど、彼は何も言わず彼女のなすがままだ。彼女が何を求めているのかを聞く事も量ることもなく、ただ彼女の思うとおりにさせているだけだった。
「ありがと、クリフト」
小さな動物がそっと隠れてしまうように、袖口に入り込むマリアの指。
それが、名残惜しそうに彼の手から離れるまで、さほど時間はかからなかった。

上空に、乗っているものと同じような白い塊が見えてきた。
ただ違う点は、あまりにその塊が大きいということだ。
ルーシアは「ああ、ああ、早く!」と興奮しているように、何度も何度も同じことを口走っていたが、一方のマリア達三人は言葉少なく、状況に慣れる前にその塊を見つけて、ルーシアとは逆に緊張の糸を張り詰めることになった。
やがて、視界を覆い尽くすように広がっていたその大きな白い塊と同じ高さに、彼らが乗っている塊は並んだ。
こうやって高さをあわせると、なるほど、まるで床を切り取って動くようにしたかのように、小さな塊はぴったりと、その大きな塊の一部となって溶け合うようだ。
「ああっ・・・」
クリフトは驚きの声をあげた。
その大きく空の上に敷き詰められた白い塊−まるで雲を固めたように見えるのだが−の上には、真っ白な城が、あたかもそこが地上であるかのように姿を現していた。
城を形成している素材はどうやら、先ほどまで彼らが登っていた塔と同じものらしい。
ここに、竜の神様とやらがいるのか・・・。
マリアも、クリフトも、ライアンも、それ以外に何の感想も持つことが出来ずに呆けたように城の様子を見ていた。
「ああ、ここは天空城!おかげで戻ってくることができました!」
まるで歌うようにルーシアは叫ぶ。
何の不安もなく彼女は小さな塊から大きな塊−とはいえ、今は既に溶け合っていて、境目はわからないぐらいなのだが−に足を移し、数歩歩いてくるりとマリア達を振り返った。
ルーシアは両手を広げてその場で一回転をしてみせる。頬は歓びのあまりか紅潮している。
「本当にみなさん、ありがとうございました。早速、無事に帰ったことを皆に知らせなくてはっ!」
いつもののんびりしていたルーシアはどこへやら、現金にも足早に彼女は一人で城に向かって歩き出す。
それは確かにルーシアは自分がいた場所なのだろうからいいのだろうが、マリア達は何分にも初めての城、それも空の上ときていつもと勝手が違う。ここはひとつ、ルーシアに案内を頼んで・・・と思うのだが、雲行きが怪しい。
「ちょ、ちょっと、ルーシアってば」
戸惑ってマリアが声をかけると、ようやく気付いたのかルーシアは慌てて振り返り
「では、またのちほど!」
などと満面の笑みで返す。そしてスカートの裾を翻して、まるでくるくると踊るような足取りで城門へと向かう。
まったく、どこまでもお気楽な娘だ・・・とマリアは苦笑を隠せなかった。

白い塊に乗ってから、どうやらライアンもクリフトも息が整い、先ほどまでのわずかな体調不良も解消されたようだった。そんな虫のいい話があるものか、とマリアは苦々しく思ったけれど、「よかった」とだけ口にした。
どこまでも続きそうな白い塊を歩いていくと、どうやら行き止まりというところはあるらしく、その先は足元がぽっかりと空に放り出されてしまう。空の上に浮かぶ白い塊。そこから落ちればそこは空なのだろうから・・・と想像するも恐ろしいことだ。しかし、そうっとかがんで覗き込んでも、幾重にも重なった雲が視界を遮るだけで、実際は地上が見えるわけもない。
自分達は青い空にいるのだと思っていたが、実際その「青」はもっともっと高く広がっていて、目に映る、肌に触れる空気に色がついているわけでもない。
三人はしばらくの間困ったように辺りを見回して、白い塊の「行き止まり」を確認したりした。言葉はあまり多くない。ただただライアンが感嘆の声を漏らしたり、白い塊から足を踏み外したら、と想像して、あの無骨な戦士が震え上がったりしている。
そろそろ腹を据えて、目の前の城に入ろう、とマリアが提案をした時、二人には当然異存はなかった。
緊張の面持ちで城に向かい、門兵らしき男達におずおずと声をかけると、この城は「天空城」と呼ばれる城で、竜の神様が治めている城なのだと教えてくれた。
「そのまんまの名前の城ね。なんのおもしろみもないわ」
というマリアの辛口評価も最もなところだろう。
ルーシアが普通の人間と変わりがない言葉を使い、食物を摂取し、睡眠をとっていたことで、基本的に天空にいるからといって何か大きな違いがあるわけではないようだった。
すんなりと城の中に入れてもらい、「竜の神様」とやらの部屋がどこにあるのかまで教えてもらった。
拍子抜けなほどに城の様子は、マリア達が今まで訪問したことがある城となんら違いもなく、人々が普通に生活を営んでいる空気を感じる。
「お城って、王様とかがいるのよね」
ぼそりとマリアが言えば、ライアンが頷く。
「まあ、そういうものでしょうな。こちらには神様がいらっしゃるようですが」
「わたし達がいるところは、王様がいて、その国を治めて、それで、その国の人たちとか土地とかを守ってるのよね?わたしにはわからないけれど、国を治めるって、大変なんでしょ?竜の神様は何を治めてるのかしらね」
「・・・」
神と呼ばれる者ならば、何も治めはしない。
クリフトはそう思ったけれど、口を閉ざしたままだった。

誰からも何の咎めもされず、一行は言われた通りの道順で城の中を進んでいった。
それらしき物々しい扉を見つけて、またついついマリアは呆れたように
「竜の神様っていうのも、自分がいるお部屋は立派な扉をつけるのね。人間みたい。なんでいちいちこんなわかりやすいことするのかしら、偉い人達って。不思議ね」
と言って男二人を困らせた。馬鹿にした口調ではなく、心底不思議がっているようだ。彼女が言うことはライアンもクリフトもまったく気にもしていないことだ。高い位の人間が住む場所がそれなりの装飾を施されていることは彼らにとって見ればとても当たり前のことで、しかも実際に彼らの日常の中に存在していたものだった。が、確かにマリアの目からみれば「どうして?」なのだろう。
扉についている輪っか状のノッカーすらただの輪ではない。よく見れば扉に固定している部分に鳥の羽のような装飾が施されている。それもなんだかおかしい、とマリアには思えた。城の名前は天空城で、装飾のモチーフは羽。その「ありきたり」さが自分達地上の人間と変わらなければ変わらないだけ、マリアは眉根を寄せてしまう。
「偉い人」の部屋に入るには、通常は部屋の前にいる兵士に謁見を申し出るものだろうが、ここではそうではないのだろうか。どうなのだろう。
しばらくの間マリアは扉を開けずに、手のひらをそっと左右の扉にそれぞれ左手右手とつけて、なにかを考えている風だった。
ライアンとクリフトはそれをじっと見守るだけだ。
いつもならば「さあ、勇者殿、行きましょうぞ」と急かすライアンですら、言葉を失う。
三人の間で緊張が高まっていくことを誰もが気付いていた。
・・・この扉を開けたら。
この旅を始めてから一体何度彼女は、前に進むことに躊躇して足を動かせなくなったことか。クリフトは扉に押し付けられたマリアの手を見ていた。
その時に彼女を捕らえている感情は常に「恐い」だったはずだ。
今も、そうなのだろうか。恐れと立ち向かっているのか、それともあるいは。
彼女は違う何かの覚悟をしているのだろうか。それはもちろん、彼にはわからない。
クリフトは瞳を伏せた。彼はこの扉の先にいるかもしれない「竜の神」ではなく、自分の心の中に存在する、信仰のよりどころにいるはずの神に向かって祈った。
出来得る限り動揺をしませんように。目を背けずにこの先に起こることを受け入れて−マリアが今までそうしてきただろうように−己を見失いませんように。そして。自分がここにいることで、少しでも彼女の救いになりますように。
繰り返し繰り返しクリフトは呪文のようにそれを心の中で反芻している。
その反芻が途切れないうちに、マリアはノッカーを使わず、何の前置きもないまま両開きの扉を両手で左右同時に押した。
「勇者殿っ・・・」
何の意味もないライアンの呼びかけは、扉が開く音にかき消されることはなく、ただ、その通路の壁や天井に吸収されていくだけだった。
勝手に「ぎいい」と扉が音をたてるのではないかとそこにいた誰もがぼんやりと想像していたのだが、驚くほど軽くなめらかに扉が開く。開ききった扉は、かたん、と軽い音をたてて開いた状態で固定された。
大きく開いた扉の外で不躾な訪問者達は立ちすくむ。
「!!」
だだっ広い部屋。赤い絨毯。手入れが行き届いて滑らかな光沢を放つ床に壁。日光を部屋に届ける、磨かれた窓。
部屋を支える柱が二本。その台座にすら装飾が施されており、人の手によって作られたものであることは明白だった。
今まで彼らが見たことがある「お城の王様」がいる王の間と大差がないその部屋。その奥に。
彼らのまっすぐ前に、その部屋には似つかわしくない大きな生き物が、いる。

竜だ。

今まで自分達が戦ってきた、竜という種族に分類出来るだろう生き物が部屋の奥にいて、マリア達を真っ向から見ている。
(不思議な色)
呼吸のたびに動いているように見える鱗は、光の加減でちらちらと色を変えている。正確な色はわからない。いや、そもそも正確な色なんてものがあるのだろうか、とマリアは思う。
窓から差し込む光は柔らかで、目の前の竜はその陽射しに目を細めて、それから、またマリア達に顔を向けた。
偏光によって茶色がかって見えたり緑に見えたり目まぐるしいが、不快ではない。
尾は背後に隠されてよく見えないが長いのではないかと想像出来る。
(あんなに大きくて、どうやってこの部屋に入るんだろう)
「・・・バカね、わたし」
部屋の中に一歩を踏み出すことも出来ず、マリアは自嘲気味に呟いた。その言葉を不審がってクリフトが聞き返した。
「マ、リアさん・・・?何か・・・?」
少しだけ掠れた彼の声を聞いて、マリアは小さく笑う。
「何バカなこと考えてるのかしら。そんなことはどーでもいいのに」
最後の言葉は割り合いはっきりとした音になっていた。
それから、彼女はずかずかと部屋に入り、竜の前までまっすぐ歩いていった。
マリアの体の倍はあるのだろうその竜は、体を丸めたまま首だけをこちらに向けてじっとしていた。
その竜に目線を合わせるためにマリアは上を向き、天井が高いことに気付いた。
ようやくマリアは竜の側近のように控えている兵士がいることに気付いて、一度竜にあわせた視線を、兵士の方へ走らせた。
その意味をどうとったのか、男は自分の主の名乗りを勝手にしてくれる。
「ここにおわすのは、我らが王マスタードラゴンであられる」
「我らって何」
「天空人だ」
「じゃ、地上人の王ではないってことね」
きっぱりとそう言い放つとマリアは更に一歩竜に近づいた。
クリフトとライアンは恐る恐るマリアの後ろに進み、言葉も無いままで竜とマリアの様子を見守っている。
「来たわよ。勇者マリアが」
それが、マリアが初めて竜に語りかけた言葉だ。
彼女の名乗りをうけて、それまでじっと彼らを見ているだけだった竜はマリア達の頭上から重々しく口を開いた。
「私はこの城をおさめるマスタードラゴン。竜の神と呼ばれている者だ」
「!」
クリフトとライアンは飛び上がらんばかりに体をびくりと振るわせる。
マスタードラゴンの声は空間をびりびりと揺さぶり、クリフトとライアンの体すら強く反響するように感じられる。
その様子にマリアは気付いて、肩をすくめ−実際は鎧を着けているため、そうそうそのポーズ自体ぱっと見てはわからない程度にしか動かないのだが−呆れたように言った。
「お手柔らかに」
「なるほど。地上人だったな」
マスタードラゴンの声の振動が変化をした。マリアの「お手柔らかに」を受けた配慮に違いない。
マリアはそれ以上何も言わずにマスタードラゴンの瞳を見ていた。
お前が呼んだんだ。お前から話せ。そういう態度だということは明らかだった。
マスタードラゴンは表情を変えず−そもそも表情なんてものがあるのか、表情のもとになる喜怒哀楽があるのかもわからなかったが−淡々と話し出した。
「私はここにいて、世界のすべてを知ることができる。そなたたちが何故私に会いに来たかも既にわかっている」
「・・・会いに来た?会いに来てやった、の間違いでしょ」
「そんなことはなかろう。そちらの神官は、サントハイムから消えた人々について聞きたいと願っているだろうし、そなたは」
「わたしは?」
「半分は自分の血に導かれてやってきたのではないか」
「馬鹿なこと言うのね、神様って」
「勇者殿!」
ライアンは驚いて飛び上がらんばかりの勢いで叫んだ。
が、マリアはライアンに振り向きもせず、マスタードラゴンを見上げているだけだ。
「それに、そなたは、私にデスピサロを倒せといいたいのだろう。しかし、もはや私にもデスピサロという者の進化を封じることはできぬ」
なるほど、世界のすべてを知ることが出来る、という言葉はあながち間違いではないらしい。この天空にいながらにして、サントハイムのことを知り、そしてクリフトがその国の神官だと知り、デスピサロが進化の秘法を使って「何か」になろうとしていることをこの竜は知っているのだ。
「どうして?」
「そなたたちが思っているほどこの私とて絶対の者ではないのだ」
「・・・しょってるわね。誰が絶対の者だと思ってるって?少なくともわたしはそんなこと思っていない」
マリアは深い溜息をついた。
それから、改めてマスタードラゴンに放った言葉は、非常に強い調子で発せられた。
「わたしがあなたに聞きたいのは、そんなことではない」
「なんだ」
「わたしはあなたになんか頼る気はない。デスピサロに引導を渡すのはわたしだわ。でも、それは勇者だからなんじゃないし、天空人の血をひいているからでも、サントハイムの人たちを元に戻したいからでもないわ。マーニャやミネアのお父さんの研究をデスピサロなんかに使われる無念を晴らしたいわけでもない。それらのことは、わたし個人にとっては本当は他人事なんだもの」
「復讐か」
「力試しよ」
「力試し?」
「あなたが止められないデスピサロをわたしが倒したら、わたしはあなたも倒せるのかと思って」
「・・・マリアさん!?」
「勇者殿!?」
マスタードラゴンは黙っていた。何の動きもない。ただ、静かにマリアの言葉を受け入れるだけだ。
何故とも聞かず、一笑に臥すわけでもなく、動揺も見せず。
「わたし、ずっと、そのことばかり、考えてきたわ」
一言一言区切りながら、マリアははっきりとマスタードラゴンに言い放った。
「あなたが出来ない、世界を救うとかいう大儀のために」
「・・・」
「あなたは、みすみす、わたしの故郷の村を、デスピサロに滅ぼさせたんでしょう?ううん、違うわね・・・」
マリアの口元が歪んだ。
「わたしを勇者にするために、デスピサロの勇者狩りを、利用したんでしょう?」
突然の告白にライアンとクリフトは目を見開いた。
マスタードラゴンからの答えは無い。
「だから、わたし、デスピサロを倒すわ。デスピサロを倒せたら」
「マリアさん!」
その時、クリフトはマリアの後ろから彼女の肩を掴んで、無理矢理振り向かせた。彼女の表情は強張っており、マスタードラゴンに向けられた強い視線がそのままクリフトを射抜くように向けられる。
「・・・言わないで下さい。今、それを言われたら」
「・・・何よ」
「わたし達は、途方にくれます」
「どうして」
「わたし達はあなたの仲間です。でも・・・」
クリフトはその先の言葉を続けることが出来なかった。が、事の成り行きをよくわかってはいないはずのライアンが、クリフトの言葉を継いだ。
「今はまだ、我々を惑わさないでいただきたい。我々にとってはあなたが希望の光で、あなたと共にデスピサロを倒せば平和な世界を取り戻せるのだと信じておるのです。そして、そのためには、ここにおられるマスタードラゴン殿の助力が必要。ただそれだけでいいではないですか。今は」
「意地悪ね、ライアンは。今は、ですって。まだ、我慢しろって言うの?」
マリアのその言葉は、わずかな怒りを含んでいる。
「拙者とて勇者殿よりも年は上ではありますし、各国を回ってあなたをお探ししていた身・・・勇者狩りを何度も見、何度も阻止し、その都度この子達は違う、何故罪も無い子供までも巻き込むのか・・・どこかで、早く勇者殿に名乗りをあげて欲しいとすら幾度も思っておりました」
「!」
思いもかけないライアンの言葉に、マリアは胸に鈍い痛みを感じた。
ライアンから、これほどに痛い言葉を聞くことはまったく初めてのことだ。
「様様な犠牲者を、この目で見てきました。何度も神を呪いましたぞ。拙者が早く勇者殿に出会えれば、拙者がお守りいたすゆえに、出会えればすぐさま、ここに勇者殿がいると。もう他の子供達には、手を出すことはやめろと、そう名乗りたいと、ずっと」
「ライアン」
なんという、重苦しい言葉達。マリアを傷つけるためとしか思えない、数々の激白。
彼の名をマリアは口に出したが、それは制止の声ではない。
「勇者殿に咎があるとは拙者には思えませぬ。しかし、しかし、何故神は早く拙者を勇者殿とめぐり合わせてくださらないのか、どれほどの夜、悔しさで眠れなかったことか・・・!」
「ライアン」
彼の言葉は熱を増して、声も次第に大きくなってゆく。
「酷なことだとは前々から存じております。ああ、もちろん、わかっております。勇者殿とて、若き女子。勇者としての宿命を負って、我々にわからない多くの過去があることも存じておるつもりです。ですが」
「ライアン」
「我々にもまた、勇者殿を信じなければ、何度も呪った神ですら信じなければ先に進むことが出来ないのです。ですから・・・」
すとん、と声量が落ちる。その先は言葉にならなかったのだろうか、うつむきがちにライアンは唇を引き結ぶ。
そっと彼の顔を覗きこんで、マリアは息を呑んだ。
目の前で、ライアンが、泣いている。
「ライアン・・・」
「みっともないお姿を・・・お見せして・・・しかし、勇者殿・・・今しばしの・・・ご辛抱を・・・」
最後に搾り出した、この生真面目で無骨な戦士の言葉は嗚咽まじり、かすかにしか聞き取れないほどに掠れていた。
鎧の上からでも十分わかりすぎるほどにがくりと肩を落としてライアンは片手で顔を覆った。その様子を見てマリアは目を細める。
(ああ。もしかしてこの人は、切り札にとっておいたのかもしれない)
ライアンは心がまっすぐな男だとマリアは信じていた。それは今も変わらない。それでも、自分は彼を見損なっていたのだと思う。
本当にライアンは意地悪だ。彼はそうとは自分で思ってはいないのだろうが、マリアにとってこれほど意地が悪いことなぞそうそうない。
アッテムトでマリアが憤りを露にして、自分を信頼している仲間を裏切るような形でデスピサロに単身切り込む暴挙に出たとき。
ライアンは言っていたではないか、次は許さない、と。
これが、彼の「許さない」だったのかとマリアは気付いた。
なんでこんなときにそんなことを言ってわたしを傷つけるの。
わずかにもたげた、ライアンに対するそんな風に喧嘩腰の気持ちは、不思議とマリアの心からゆるやかに消えてゆく。
それは「泣かれたら負け」なんていう単純なものではない。
−−−今しばしのご辛抱を−−−
決して彼はマリアの怒りやマスタードラゴンに対する反抗を否定していない。ただ、もう少しだけ我慢しろと言うのだ。
マリアはライアンの背に腕を回した。
こういう時に鎧を身に着けているのは、本当に困る。
お互いの気持ちを確認するわずかなスキンシップすら許してもらえない、戦のためだけの道具をマリアは心底嫌った。
どんなにそれが、トルネコが愛しているものであっても。
「ごめんなさい、ライアン。でも、止められなかったの」
「・・・ええ、ええ・・・そうなのでしょうな・・・」
「子供で、ごめんなさい」
「いや、そんなことは」
ライアンは首を振った。
「不甲斐ない様をお見せいたしました・・・。拙者がいては、差し出がましい口を利いてしまいますゆえ、勇者殿のお邪魔になりましょう。まこと、失礼ではございますが、退出の許可を願いたいのですが」
彼がそう申し出た相手はマリアではなく、この部屋の主であるマスタードラゴンだ。好きにするがよい、と重々しくマスタードラゴンは答えた。それはある意味、ライアン個人に話す必要がある内容はない、ということだ。
ライアンは恭しく一礼をして、扉に向かって歩いていった。クリフトはその背を追いかけていくべきかどうかためらった。
自分もまた、ここで退出を申し出るべき人間なのかもしれない。
それでも。
「出来るだけ、早く話を終える。ライアン、ありがとう」
マリアはライアンに声をかけた。珍しくライアンは無言で頷き、扉の外へ出て行った。それを見送ってクリフトは、自分がいるべき場所はこの扉の中なのだと自分に言い聞かせる。
どれほどの大きな覚悟をしてきたとて、彼女が成し遂げるべき大儀の前には何もかも意味を失う。
その現実をマスタードラゴンからだけではなく、こうやって仲間から見せ付けられる彼女は、とても不幸で、けれどもそれはとても幸福なのだと思う。
マリアの「ありがとう」が本心からの言葉だということを、クリフトは知っているのだ。
マスタードラゴンが尾を軽く動かした。それに反応したのか、側近の兵士もまた、ライアンの後を追うように扉に向かった。
「クリフト」
「はい」
「あなたはここにいて」
「はい」
クリフトの心を見透かしたようにマリアはそう命令をした。そうだ。きっと、嫌だとクリフトが言えば「これはお願いじゃない。命令よ」と珍しく彼女が勇者としての権威を振り回すのだろうとクリフトには思えた。
今、ここにいるマリアは、ライアンの願いを聞き遂げた勇者なのだ。そして、彼女がそうであり続けるにはまだ、彼女を勇者として繋ぎとめておく何かが必要だ。
クリフトは目頭にこもり始めた熱を感じた。遠い−いや、本当はさほど遠くはないのだ−日の約束の言葉を、そんな意味ではなかったはずの言葉を思い出して、自分も泣いてしまいそうだ。

あの時、マリアは悲痛な声で、初めてクリフトに繰り返し頼み事をした。

お願い、わたしの足枷になって、見張ってちょうだい。

自分達が、とても遠いところに来たのだと、クリフトはその時ようやく実感した。

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モドル