流離-5-

ライアンが退出してしばらくの間、沈黙が続いた。やがて、マリアは落ち着いた声でマスタードラゴンへ問い掛ける。
「あなたの鱗に手を触れてもいいかしら」
「許そう」
「ありがとう」
マスタードラゴンへと続く細長い道となっている赤い絨毯はマリアの足音を消す。
まっすぐにマスタードラゴンに近寄り、マリアは手を伸ばした。
固い鱗。けれどざらつきはなく、指を滑らせても彼女の肌を傷つけることはない。それらのものは、今までマリアが見たことがある竜とはまるで違い、生物の一部とは思えない強度を持っていた。
鱗一枚の大きさは、マリアの手のひらほどだ。指先をまげて拳を作ると、ちょうどそのくらいに思える。
「私のこの身は地上にあるドラゴンキラーとやらでは、貫くことは出来まい」
「そうみたい。今まで知っているどのドラゴンよりも固い。あなたが地上に降りて来て、デスピサロを倒せないの?エスタークっていう地獄の帝王だかなんだかは、あなたが封印していたのでしょう?」
「それが無理だと先ほど言っただろうが、しかし、それは当然の質問だな」
「よね?」
「が、何を言ってもそなたには言い訳にしか聞こえぬのだろうから、今それを語ることはやめよう」
「いつ話してくれるの」
「そなたが、役目を終えて戻ってきたときだ」
「戻ってなんてこないわ。こんなところ、忌々しい」
「デスピサロを倒した後で、私を倒しに戻ってくるのだろう。そなたがそのような内容を自ら口にしたというのに」
揚げ足をとられた、とマリア唇を噛み締めた。どん、と一枚の鱗を強く叩いたが、逆にマリアの手が痛むだけで、マスタードラゴンはまったく気にもしていないようだ。
「デスピサロはどこにいるかわかるの?」
「ゴットサイドの島に」
「ゴットサイドに!?」
「そうだ。やつは、ゴッドサイドの地下・・・」
マスタードラゴンは、ぴくりと顔をあげ、窓の外に視線を動かした。それと共にマリアもまた、あごを軽くあげて辺りの様子を伺う素振りを見せる。
「・・・ぐう・・・」
「!!何か来る・・・!?」
マスタードラゴンは低く唸り、鼻の上に大きな皺を寄せ見るからに恐ろしい表情を作った。それと同時にマリアは叫び、目を見開く。クリフトだけが、二人−一人と一匹と胃ってよいのだろうか?−の様子から、何に警戒をすればいいのかと動揺するだけだ。
「うわ!」
「!」
その時、突如爆音に似た大きな音が彼らの耳に痛いほど突き刺さり、城全体が地震に見舞われたかのように揺れた。
体が縦に揺れる。内蔵が体の中で上下に振動しているような感覚に襲われた。爆音の次には地鳴り−この場所に地面なぞないわけだが−とも思えるような音が響く。
クリフトは思ってもいなかったその揺れに耐えられずに、がくりと膝をその場についた。マリアは両足を大きく開いて食いしばり、天井を見あげる。大丈夫、建物に問題はない、とその場の安全性を彼女は確認をしていた。
マスタードラゴンは、更に、ぐううと唸り声−それは本当に、通常彼らが戦っているドラゴンと変わらない声だ−をあげるが、体を動かすことなく様子を伺っているようだった。
揺れはほんの一時的なもので、クリフトが立ち上がった頃に扉の外から騒がしい足音が聞こえた。
ガンガン、と険しいノックの音。マスタードラゴンは入れとも何とも声を発しなかったが、答えないことが了承の証なのか、一人の兵士が転がり込むように室内に入ってきた。
兵士は扉を閉めることも忘れ、入ったその場で跪き裏返った声で叫ぶ。
「ご報告します!たった今 闇の世界の入り口から邪悪な波動が発せられ・・・」
「・・・闇の世界?」
マリアは眉根を寄せ、クリフトと顔を見合わせる。
「言わずとも良い」
響く声でマスタードラゴンは兵士の言葉を止めた。
「報告ご苦労、さがって良いぞ」
「は、はっ・・・」
動じないマスタードラゴンの言葉にほっと兵士は一息ついたようで、入ってきたときの慌てぶりはどこへやら、立ち上がると礼儀正しく一礼をして出て行った。当然、退出時に扉を開けっ放しなんてこともない。
「闇の世界って、何。そこにデスピサロはいるの?今の揺れは何なの?」
マリアは扉が閉じる音を聞きながら、マスタードラゴンに問いかけた。
「デスピサロは今、ゴットサイドの地下にいる。遠き昔、エスタークが生まれた場所だ。ゴットサイドは天空に最も近くもあり、地下世界にも接している、この世界の秩序を守るために存在する町だ。神に近い場所という反面、神が近くにいなければならない町。その地下の世界を封印するがために作られた町だ」
「地下の世界」
「アッテムトとて、地下にエスタークを封印していただろう。あれは、ゴットサイドの地下より生まれし地獄の帝王であり魔族の王。地下世界を封印するときに逃れ、アッテムトの地下に潜伏して力をつけたのだ。人間の希望というものは空に向かう。人間は引力に縛り付けられ、地を離れることは叶わぬ。それゆえ、空に憧れ、そして、空の彼方にいるという神を信仰するものだ」
信仰、という言葉にクリフトはぴくりと反応をして体を強張らせた。
何かをいいたそうにマスタードラゴンをみつめるが、彼はそこで口を挟んでよいのかどうか判断出来ず、心につかえを持ったまま黙り込んだようにも見える。
「それに相対するものが地下から生まれるとしても、なんの不思議はあるまい。本来あれを封印するときに、あやつが生れ落ちた地底に封印するつもりなぞなかったが、天空人達の力を借りてさえも、地底に封じることがやっとだった」
「・・・わからないけど。わたし達人間にとっては不思議なことでも、あなた方からすれば道理が通っているんだものね」
多少呆れたようにマリアはそう答えた。
「さっきの爆音は?あれはデスピサロの仕業?」
「うむ。この城への攻撃なのか、挑発なのか、それともただ単に・・・進化の秘法とやらを使ってなんらかのエネルギー膨張を起こしたのかは定かではないがな」
「意味がわからない」
「わかる必要は無い。ともかく、雲に穴が開いた」
「?」
あっさりとマスタードラゴンはそのようなことを言うが、マリアとクリフトは、彼が何を言っているのかはわからない。
「今の爆音で、雲に穴が開いたようだ、と言ったのだ。地下の世界から突き抜けた波動が、そなた達に道を作ったようだな。その道を通っていくが良い」
「そこからデスピサロのところに行けるの?」
「うむ」
「・・・その前に、みんなのところに一度戻らないとね」
「天空城にはそなた達の呪文で来ることが出来る。地上からはデスピサロがいる地下の世界へは行くことは不可能だ。どれだけそなたが忌み嫌おうが、この城には再び来ることになろう」
「・・・そこまで、人の心まで読むのに、どうして」
その先に続く言葉をマリアは必死に飲み込んだ。唇がわななく。
マスタードラゴンとマリアは視線を合わせたまま、お互い無言になった。クリフトは目を細めてその様子を見る。見たくない、けれど、目を背けることも出来ない。彼は彼で葛藤の時間を過ごしていた。
ここにいる竜の神とやらにマリアはもっと多くの言葉を投げつけたいのだろう。彼女がそれを我慢しているというのに、自分が口を挟んで、神という存在のありようを問い詰める権利なぞ、ないのではないか。ライアンが彼女を制止したように、自分も心を揺らがす、神官としての自分の存在を認められなくなりそうな、そんな問い掛けをこの大事な時期にすべきではないとクリフトは自制した。
今、自分達はお互いがそこにいることで、実は助け合っているのだとクリフトは思う。
自分でも、彼女の役に立てることがあるのだ。それはとても嬉しい。彼女と共に旅を始めた頃から、アリーナを守ることはもちろんだが、勇者と呼ばれるこの人の役に立ちたいと願い続けてきた。その後、自分の役不足にどれほど今まで彼は嘆息してきたことか。それからの旅のさなかで彼女の苦渋を知り、わずかながらのお互いの歩み寄りの末、こうして多少なりとも彼女の力に自分がなれるようになったと思うのは自惚れだろうか。
けれども皮肉なもので、自分が背伸びをして手を伸ばしても届かなかったものにようやく手を触れることが出来て。その時になってクリフトは、自分が本当に望んでいることが変化していることに気付き始めた。
本当は自分が手を差し出さずとも彼女がのびのびと年齢相応に笑っていられることが彼女にとっての幸せなのだろう。こんな夢のような不思議な場所で、それでも決してそれは夢ではなく、勇者としての重責を更に問われる目の前にいるマリアを見つめながら、クリフトは心に痛みを覚えた。
そこまでの思いをクリフトが抱いていることを知るはずもなく、マリアは瞳を閉じて何かを呟いていた。
自分を励ます言葉なのだろうか、それとも、それ以上音に出来ない、マスタードラゴンへの何かなのだろうか。
やがて、先に口を開いたのはマスタードラゴンの方だった。
「まあよい。・・・ところで、人間というのは実に不思議な生き物だな。かよわき人間が時として思わぬチカラを発揮するときがある。私はそれにかけてみよう」
ゆっくりと顔をあげ、瞳を開けてマリアは静かに聞き返した。
「かける?あなたが山ほど見殺しにした人間に?」
「見殺しになぞしてはおらぬ。そなたはどう思うのかはわからぬが、私は地上のことも何もかも「知って」はいるが、「見て」いるわけではない。ただ、起きた出来事を知るだけなのだ。だから、知っている。あのエルフの娘を、あの村人を殺したデスピサロを憎み、そして、自分の背に生えた翼を憎み、そして、この私を憎んでいることも」
「・・・じゃあ、一体誰がゴットサイドに予言を与えているの」
「私だ。その時、ゴットサイドに対してどういう予言を与えるべきなのかを「知って」いるだけだ」
「意味がわからない」
「それはそうだろう。問答はここまでだ、先ほどの騎士が、そなたを心配しておるぞ」
そうだ、ライアン。
マリアはクリフトと視線を合わせる。あまり時間はかけないと言ってはいたが、話せば話すほど深く追求したい言葉を与えられるため、ついつい長居してしまったようだ。
「ゴットサイドに戻ってみんなと合流しないと。行こう、クリフト」
マスタードラゴンに何の挨拶もないまま、マリアは扉に向かって歩きだした。
「これ以上ここにいても、苛つくだけだしね」
それにクリフトが同意を出来ないことをマリアは知っている。それはクリフトへ同意を求める声ではなく、マスタードラゴンそのものに、どことなく吐き捨てるように投げかけた言葉だ。
「闇の世界に行く前に、もう一度この部屋に立ち寄るが良い。さすれば、そなたに祝福を授けよう」
ひどい言い草をしたマリアに対して、心を動かされていないのかマスタードラゴンはそんな言葉を投げかけた。マリアは立ち止まって振り返りながら答えた。彼女の後を追おうとしていたクリフトは困ったように彼もかた立ち止まり、二人の様子を交互に見比べるだけだ。
「わたしがいいたいこと、きっとわかってるんでしょうけど・・・とりあえず、寄るわ。ライアンにああまで言われちゃね」
「それが賢明だ」
それ以上どちらからの言葉もない。くるりとマリアはきびすを返し、絨毯がない床部分でかつかつと必要以上に足音をたてて扉に近付き、雑な動きで扉を開けた。
もちろんマスタードラゴンだけではなくクリフトだってわかっている。
彼女は本当は、「祝福」などというものをマスタードラゴンから受けたくなぞないのだ。
もしも彼女がそれを受けるとしたら。それは、彼女を信じてついてきている仲間のため、ただそれだけなのだろう。
世界を救うため、なんていう曖昧な大儀のためではない。その大儀を信じて彼女の傍にいてくれる、仲間達のためだけだ。
神は何をもってして、人に対してのほどこしを「祝福」と言い切るのだろうか。
そんなことを思いつつクリフトはマリアの後についていき、丁寧にマスタードラゴンに一礼をして部屋を出た。

ライアンはどこにいるんだろう。
彼のような人間は、先ほどの爆音を聞けばすぐさま、少なくともマリア達がいたあの扉の前にはかけつけているのではないかと思っていた。その予想が外れてしまい、マリアは一瞬表情を曇らせた。先ほどのやり取りで、思った以上にあの不器用なバトランドの戦士は心を痛めたのだろうか。自分の勝手なふるまいがそこまで彼を傷つけたのかと思うと、マリアは気が動転した。
「ライアンさんを探しましょう」
「そうね。手分けした方がいいかしら」
「いえ、それより・・・」
クリフトは城の入口近くに立っている兵士に声をかけにいった。
不慣れな城の中では協力者が必要だ。
マリアはふと出あった頃のクリフトを思い出した。あの頃の彼は生真面目一徹な青年で、よくマーニャに「そんなんじゃ世渡りしていけないわよ」とどやされていたものだ。それが今や、このように自分から主導権を握ったり、人に意見を伺わずに正しいと思った行動をとるようになったようだ。それは成長というものなのだろう。マリアはこんな状況だけれども、そんなことを考えていた。
わたしは、成長しているのかしら、少しは。
いつだって憤りを抑えることだけが精一杯で、少しも勇者らしいことが出来るようになってない気がする。
マリアが小さく溜息をついたところで、クリフトが戻ってきた。
「ライアンさんを見かけたら、城の外で待ってもらうように伝言してきました」
「ありがとう、じゃ、探そうか」
「はい」

二人は不慣れな城の中を歩いた。
先ほどの爆音によりざわめきかえる城内だけれども、それとこれとは別ということか、マリア達をみかけてこそこそと影で誰かが囁く声が彼らの耳にかすかに。面と向かって「そなたが勇者か!」と話し掛けてくる人間もいたが、絶え間ない視線にいたたまれず、自然と二人の歩みはついつい速度を増してしまう。こんな状況で「ライアン!ライアン!」と彼の名を呼びまわる勇気はちょっとばかり二人にはなかった。
通路を歩いてぐるりと回ったけれどライアンの姿は見えない。
どこかの室内にいるのだろうか。仕方なく二人は一室ずつ探すことにした。
「失礼します」
軽くノックをしてマリアはそっと一室の扉を開けた。明らかに人が寝泊りをしているらしい部屋だが、答えはなかった。
二人は中に入って様子を伺う。
「いないみたいね・・・あっ」
マリアが軽く驚きの声をあげたのには理由があった。
彼女のノックに対して応えはなかったというのに、部屋の奥に女性が立っている姿を見つけたからだ。他の天空人と変わらずその女性の背には翼があったけれど、それは決して汚れてはいないが美しさに欠けていた。その理由はすぐにわかる。圧倒的に羽の量が違うため、翼としての形が、彼らが見慣れた天空人のものとは天と地ほどの差があるのだ。
(貧弱な翼ね・・・ルーシアとは比べ物にならないわ)
それが、第一印象だ。まじまじと見るとその女性は、地上で言えば30歳代くらいに見える。驚くほど美しい造作を持つわけでもないけれど、どことなく「綺麗な人だ」と人に思わせる風情のある女性だと思えた。天空人の寿命については考えたこともあまりなかったが、とりあえず、年齢を経れば翼もまた細くなってしまうのだろうかとマリアは勝手な想像をしながら、その女性に聞いた。
「すみません、ひげを生やした、大きな鎧を身に着けた騎士をおみかけではありませんか」
「いえ、ここには、誰も来ていらっしゃいません」
静かな声。
クリフトはか細いその声を聞いて、わずかに口を開いた。軽い驚きの表情が見えるが、マリアはそんなことには気付かない。また、驚きと共に、その女性の返事の語尾がわずかに震えていることにクリフトは気付いていた。出来る限りマリアに気取られぬようにクリフトは注意深くその女性を見つめる。
と、その時、通路から聞きなれた声が遠く響き、マリアは誰にでもわかるほどに表情を軟化させた。
「マリア殿!クリフト殿!」
「ライアンだわ。よかった。クリフト、行きましょう」
「はい」
「失礼しました。連れが見つかったようなので」
そういうがいなや、マリアは軽く頭をさげて部屋から飛び出た。彼女にとってはその部屋の主は既に関心をひくものではなくなったようだった。
通路に出てもライアンの姿は見えないけれど、マリア達を探している彼の声はうっすらと聞こえる。その場できょろきょろと見渡しながら、「ライアン、どこ!?」とようやく大きな声を発した。無差別にライアンを探す声をあげることは気がひけたけれど、声が聞こえる範囲に彼がいるとわかっているならば話は別だ。
マリアの声を受けたように、遠くの方からかつかつとライアンが歩く音が近づいて来たのを感じて、マリアは何故だかやたらと嬉しそうに笑みを浮かべる。
よかった、ライアン、きっと大丈夫だ。
その笑みは、大人の男性相手へのマリアの小さな甘えであり、無条件な信頼がもたらすものだ。先ほどまでは「どんな顔をして見せればいいんだろう」という思いも消えた安心感。彼の足取りはとてもいつも通りで、そして彼が自分を呼ぶその声もいつも通り。その安堵でマリアは少しだけ浮かれていた。
浮かれていて、クリフトがまだ室内に残っていると気付くのが、遅くなった。

「その昔 地上に落ちて、木こりの若者と恋をした娘がおりました」
マリアを追って部屋から出ようとしたクリフトの背後で、震える声が細く響いた。
ぎょっとしてクリフトは振り返る。
「しかし、天空人と人間は夫婦になれぬのがさだめ」
髪の色は、違う。
突然その思いがクリフトの胸に広がる。目の前の女性の髪の色は、マリアの髪の色と違う。
そう思った自分に驚いて、クリフトは足をその場に止めた。
・・・違う?何故、その二人の髪色を比べなければいけないのだろうか?
自分の中で生まれた気持ちを遡り、クリフトは、一体自分が何を感じているのかを頭で理解しようとした。
直感がもたらしたものは、どこかに必ず理由があるのだとクリフトは信じていた。
アリーナのように「天性のカン」といったものに自分はあまり恵まれていないということを、彼は幼い頃から嫌と言うほど、自分が好意をよせていたあのおてんば姫によってわからされてきた。
それゆえ、自分が「なんとなく」感じたことは、全て自分の内側にその理由が潜んでいる、だから、それを探らなければいけないと若くして彼はよく知っていた。もちろん、そんなことをマーニャなんかに言えば「馬鹿ね、理由なんかいらないのよ。感じることが自分にとっての全部でいーんだから。頭でわからなくたって、体や心は知ってるの」と笑い飛ばしてくれるだろうけれど、残念ながら彼は誰にもそのことについて打ち明けたことはない。
恋愛という、理由が、答えがない、感情に左右されるだけのものがあることも彼は知ったが、その答えがないものについても時折彼は考えてしまう。そういう性分なのだと思う反面、それは自らがそう訓練してしまった結果だとも薄々勘付いてはいた。そして、そんな自分を時折嫌いになることも。
とにかく、クリフトは自分が何故、目の前にいる女性と、先ほどこの場を退出したマリアを比較しなければいけないのかと、己の内側で姿を現した、その不思議な気持ちの生まれどころを探ろうとした。
「木こりの若者は雷にうたれ、娘は悲しみにうちひしがれたままこの城に連れ戻されたのでした。しかし、娘はどんなときでも、地上に残してきた子どものことを忘れたことはありません」
顔立ちは、違う。
骨格も、違う。
目の前の女性はとても線が細いけれど、その細さは美しさではない。マリアは鎧を身につけて戦うほどに、しなやかで強い筋肉を持っていて、その無駄な脂肪が削がれた彼女の腕の形は美しいとクリフトは思う。
年齢を重ねることによって筋肉が衰えていくことや、マリアの若さを考慮する必要がないほどに「似ていない」と直感が彼に教える。
瞳の色。
薄い唇。
顔の輪郭。
どれもこれも、違う。なのに。
「もし、今のマリアを見れば、きっと涙にくれるでしょう」
その女性はそういうと、クリフトから顔を背けるように椅子に座り、床を見つめているようだった。
「あなたは」
それらのものは何もかも違うけれど、もはや答えは出ているように彼には思えた。その時、クリフトの呼びかけを打ち消すように、彼女は口元を抑えながらも嗚咽を漏らし始め、ますます彼に背を向けるように顔を背ける。
(あなたは、マリアさんのお母さんですね)
その言葉を簡単に飲み込むには、彼はまだ若すぎた。飲み込めないほどの大きな言葉を、自分の体の中に封じ込めようとする作業は非常に難しい。クリフトはわずかにあごをあげて天井を仰ぎ、瞳を閉じた。
(天の神よ)
そんなものがこの天空城よりも上に、更に高みにいるのかどうかはわからないが、彼はいつもの彼のように祈った。
(わたしに、わたしが為すべきことを見失わないように、わずかな力をお与え下さい)
何故この女性は、自分に対してそんな話をしたのだろうか。
その言葉をマリアに伝えて欲しいと思っているのだろうか。
何もかも違うのに、そこだけが似ている、マリアと同じ声で。
声というものは、自分の耳では自分の声を正確に把握出来ないものだ。
多分、マリアは気付いていないのだろう。

「クリフト!!」

はっとクリフトは瞳を開ける。通路からマリアの声が聞こえた。
彼はいつもの彼らしくもなく、一礼をすることも、女性に何かを聞く事もなく、慌てて部屋から転がり出た。
部屋から少し離れたところにマリアとライアンはいた。
様子が、おかしい。
マリアは膝を床についており、ライアンがそれを助け起こそうとしているように見える。
「マリアさん!?」
「クリフトっ・・・クリフト、わたし」
「ライアンさん、一体・・・あ・・・?・・・」
駆け寄ったクリフトは、ふっと彼の鼻に入ってくる微香を感じて眉根を寄せた。
どこかで知った香りが彼の嗅覚をくすぐる。それも、ライアンから。
「ライアンさん、この匂い」
ライアンはすっかり慌てふためいておろおろしている。
「お恥ずかしい、どこか人がいない場所に行こうと城内をぐるぐると歩いていたら、匂いが強い花が咲いている部屋に出くわしてしまって・・・」
「花」
「エルフ、と言うんでしたかな、こう、耳が長いお嬢さん方がくるくる踊っていて、いやはや、拙者のような無作法者はどうしていいやらはてさて」
そこはきっといつもならば笑う場所だったに違いない。「作法は関係ないんじゃないですか」とクリフトでもライアンに笑って返せたはずだ。
「むせ返るような香りでまいりましたが、やはりまだ匂いがしますかな・・・マリア殿が匂いに酔ってしまったようで」
「マリアさん」
クリフトは膝をついているマリアの前に、自分も膝をついて覗き込んだ。青ざめているように見える。
「気持ち悪いんですか」
「そ、じゃない。ごめん・・・眩暈がして・・・でも、なんか、恐い」
「恐い?」
「ね、どうして、わたしの村に、シンシアはいたのかしら。ロザリーもエルフじゃない?ロザリーってどこで生まれたのかしら。世界樹の傍で暮らしているエルフとかホビットはどこから来たのかしら」
「マリアさん、そんなことは今は・・・」
マリアは険しい表情で床に座り込んで、右手で顔を抑えた。よく見るとこめかみの辺りに指を差し入れて押しているようだ。眩暈だけではなく頭痛がするのだろうか、とクリフトは息を殺してその様子を見つめる。
「でも、ロザリーヒルにも、世界樹の傍にも、この花の匂いはしなかったじゃない。この花は咲いてなかったじゃない。どうして、天空城にエルフがいて、この花が咲いているの。いろんなことを知りたくてここまで来たけど、わたし」
ライアンは困惑したままマリアの言葉をじっと聞いているだけだ。
「知ることって、どうして何もかも、恐いことばかりなの」
「マリアさん、考えちゃ、駄目です」
「この城にわたしのお母さんはいるの?クリフト。それから、ここに」
「マリアさん」
苦しい言葉を投げられ、クリフトはいっそうつい数分前に起きた出来事を自分の中に深くしまい込もうと抑えることに必死になる。それをそうと知らずにマリアは畳み掛けるようにクリフトに問い掛ける。
「もしかして、シンシアは、いたの?」
「マリアさん、気のせいです。わたし達が知らないだけで、あの花はきっと色んなところで咲いているはずです。エルフ達だってわたし達が知らないだけで、世界のどこかにもっと彼らが住んでいるところがあって・・・」
「だって、わたし達、世界中回ったじゃない!」
ひきつった声で叫び、マリアは顔をあげた。真っ向からその強い視線を受け止めることが今のクリフトには勇気が必要だった。それでも彼は、目をそらしてはいけない、と何度も何度も自分に言い聞かせて、ばくばくと鼓動を昂ぶらせながらもマリアを説き伏せようとした。
「けれど、世界の何もかもを知っているわけではありません」
その彼の言葉は何もマリアに対して功を奏さないようで、まるで彼の言葉がなかったかのようにマリアは自分の訴えを続けるだけだ。
「そこまで、覚悟して来ていない。そんなことまで知りたくない、でも、気付いたら知らないでいられなくなるもの」
「だから、気の迷いです。違います。あなたが考えていることは、何の根拠もないことです」

どうしてあの村にエルフが一人で。
シンシアの家族はどこにもいなくて。
まるで自分の身代わりになるかのように、あの呪文を覚えさせられて。
マスタードラゴンは「知る」のだと言っていた。
天空城にエルフがいて。
あの花の香りが、ライアンからして。
本当のお母さんは天空城に連れ戻されて。

ぐるぐるととめどなく回り続ける、頭からぬぐいさることが出来ない切れ切れの事柄。
それでもマリアは傍にいるライアンのことを忘れないように、うめいた。
「わたし、ちゃんと勇者として頑張るわ。なんだってやってみせる」
「・・・マリアさん」
「だから、教えてよ、クリフト」
「何をですか」
「どうして、ここに、あの花が咲いているの・・・」
「・・・」
「シンシアは、どこから、来たの・・・」
咽喉から搾り出すようなその悲痛な言葉に、クリフトも、もちろんライアンも、返す言葉は何一つ見つけることは出来なかった。
ただその場には。
シンシアが身にまとっていた、花の香りが漂うだけだった。


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