散歩

普段、ライアンはとても寝つきが良い。そして、目覚めも良い。
彼自身それを自覚していたし、そういう自分が彼は結構気に入っていた。
健やかな体で一日を精一杯生きれば、明日のために休息をするのが当たり前。その休息を正しくとることも当然大切なわけだし、夜更かしをしてまで何かをしようと思うほど彼は浮ついていない。
朴念仁と言われてもそれは仕方がないと彼は割り切っていた。
実際自分は何もおもしろみがあるタイプの人間ではない。
わずかな諦めを感じつつ、彼は自分で自分らしく日々を過ごすため、夜になれば部屋で軽いトレーニングをして適度な気だるさを体に秘めたままベッドに潜る。
が、この日彼はめずらしく、なかなか眠りに入ることが出来なかった。
昨日は気球に乗って一晩を過ごした。
その翌日にきちんと宿屋で人並みのベッドで眠れるのだから、それはもう極楽で気持ちが良い深い眠りを得られるはずだった。
(こんなこともまあたまにはあるのだろう)
明日は船でしか入ることが出来ない洞窟を探索するため、ゆっくり体を休めなければいけないというのに。が、何を思っても自分に言い聞かせても、どんどん目が冴えてくる。
こんな状態で毛布に包まっていてもなんの解決にもならない、とライアンは考えた。その結果、彼は自分で「柄でもないな」と思いつつも夜の散歩としゃれこむことに決めた。
同室で眠っているトルネコを起こさないようにそうっとベッドから降りて、剣だけを忘れずに握り締めてライアンは部屋を後にした。

どうして眠れないのかは、なんとなく自分でもわかっている。
彼が追い求めた伝説の勇者である−らしい−マリアに出会い、今日まで一緒に旅をしてきた。運命というものをどういう形で信じたらいいのかライアンはよくわからないけれど、彼が今こうやってここにいるのは運命的なものだと思う。
共に旅をしているマリアが、次から次に、勇者だけが身につけることを許される「天空の」と冠された武器防具を手に入れてきた。それをまざまざと間近で見ることが出来る自分に感謝をしている。
明日探索をする洞窟にも、もしかしたら・・・
そう思うとますます「やはりわれわれは運命に導かれたのだろうか」なんて、それこそ彼らしくないことを思ってしまい、軽く興奮してしまう。
こんな興奮は、生まれて初めてだ。
王宮の兵士として仕え、初めて武勲をたててバトランド王から直々に言葉を賜って舞い上がった若き日の自分を彼は思い出していた。
宿屋の外に出ると、わずかに肌寒い夜の外気が肌に気持ち良く感じる。
残念ながら空は曇っていて、月も星さえも見ることは出来ない。
街には玄関先の灯りや、道をうっすらと照らす、どの家の睡眠も妨げないほどのほのかな灯りがついている。風がないためにそれらの炎はあまり揺れることもなく目にも穏やかに感じられた。
夜の散歩も良いものだ。そうそう、夜の町の静けさも、虫の音も・・・そんなことを思いながらゆったりとした歩調で彼は歩き出した。
「あまり出歩いては街の人々に驚かれては悲しいから」と、控えめに言うホイミンと共に夜の散歩に出たこともあったな、なんて、既に別れた友を思い出す。
ホイミンと一緒に旅をしている時は、楽しさもあったけれど当然難しさもあった。ホイミンはとても人懐こくライアンに話し掛けてくるけれど、ライアンはあまりおしゃべりが上手ではなく、人間と魔物の道理の違いや微妙な言葉のニュアンスを正しく伝えることがなかなかうまくいかないことも多かった。
それでも、こんな眠れない夜にふらりと2人で散歩をしているのは、ライアンにとっても気晴らしになったし、楽しかったと思える。「ここで諦めるわけには」と自分を励ます夜に、「ライアンさん、お散歩いこうよ」とホイミンが連れ出してくれたものだが、それがホイミンの思いやりだったのではないかとわかったのは、別れた後だった。
(とりたてて2人で何かを話す、ということもない、ただ歩くだけの散歩が多かった気がするが・・・ホイミンはあれでも楽しかったのだろうか)
今更ながらに、もう一緒に旅を出来ないだろう友とのひとときを思い出して気付くことがあるとは。
(夜になると人は素直になるという)
暗闇を怖がりつつも安心する何かがあるのかもしれない、とライアンは思った。
だから、こうやって眠れぬ夜は、夜の町を歩いて夜の空気を感じて、空の星や月を−残念ながら今日は見えないが−見て、落ち着こうとするのだろう。今から自分が行くはずの、眠りの世界に近い暗さの中で。
そんなことを考えながら歩いて、ライアンは満足そうに一人で頷いた。
「うむ、拙者もなかなか詩人の才覚があるのかもしらんぞ?」
そこにホイミンがもしもいれば「そうかなー?」と答えに困って体を揺らしていたかもしれない。
その時ふと、前方に人影を見つけてライアンは立ち止まった。
旧友を思いながら歩いていれば、前からは現在の友といえる、見慣れた人物が歩いて来るではないか。
「これは、マーニャ殿」
「あっれぇ、めっずらしいわね〜。こんな真夜中に何ふらふら出歩いてるの?」
「マーニャ殿こそ、こんな真夜中に・・・」
そういいながらライアンはマーニャの姿を上から下まで確認をした。
夜の冷たい空気に冷えないように毛皮のフードをかぶって長いローブを羽織っている。ライアンのようにふらふらとちょっと眠れないから散歩・・・という様子ではなく、明らかに「予定していた外出」をしてきた恰好だ。
「まさか、エンドールに!」
「きゃははっ、だったらどーすんの?怒るつもり?」
マーニャは手首を動かして手を上下に軽く振ってライアンをからかうような仕草を見せた。
「この大事な時期に、よくもそこまで遊べるものと、感心するやら」
ライアンは呆れ返って物も言えない、という様子でひとつ溜息をついた。
「ライアンは遊ばないもんねぇ〜。カジノだけじゃなくて、普段っからさ」
「あ、遊ぶといっても・・・む・・・」
何をすればいいのやら。
それがライアンの本音だ。
そもそも彼は遊びというものをあまり知らない。
誰かと遊ぶことも、一人で遊ぶことも。
マーニャが入り浸るエンドールのカジノのように、明らかに「遊びを提供している」というところで遊ぶことは、彼にとっては比較的わかりやすい「遊び」だ。
しかし、彼女がいう「普段から」はどういう意味なのか、おぼろげにしか理解が出来ない。
馬車の中でちょっとしたことでアリーナとふざけあうのもマーニャの遊びなのだろうか?
それならば自分はあまり得意ではないな、とライアンは思う。
「まった小難しい顔して。でも、遊べないってのもライアンらしいわよね」
何がおかしいのかマーニャはくすくすと笑う。
はっきりとした顔立ちの美女ではあるが、そうやって笑うとなかなか愛嬌があって可愛らしいものだ、とライアンは思った。
「ライアンともあろう人がさ、まさかこんな時間に遊びに出たわけじゃないんでしょ?まさかねー」
「少し寝付かれなくて」
ライアンは正直にそう答えて、眉間にしわをよせながら小さな笑顔を作ろうとした。ライアンともあろう人とはどういう意味なのかあまりよくわからないが、きっと彼女からすれば自分が散歩をしていることも物珍しいのだろう、と思い当たっての苦笑いだ。
マーニャはわざとらしく軽く肩をすくめてにやにやと笑う。
「男が困ってる顔って、好きよ。寝付かれないならカジノにでも行く?ほんの一刻くらい」
「まさか!明日に響くかもしらんのに!」
ライアンは驚いて大きい声をあげる。
それからはっと驚いてあたりを見回した。
静かな夜に少し響いてしまった自分の声で、誰かの迷惑になったのではないか。
そう思ったけれど周囲には誰一人いなかったし、家から誰かが「うるさい」と怒る姿もない。
マーニャは彼女にしては珍しくライアンの反応に驚いたように目を見開いて、まじまじとライアンを上から下まで見て、それからぷっと吹き出した。
「あははっ、ほーんと、ライアンって変なの。反応するのがそっちなの?失礼しちゃうわ」
「は?」
ライアンはマーニャが言っている意味がよくわからず、間抜けな声をあげた。
その声がまた自分が思っていたよりも大きいことに気付いて彼は驚き、軽くわざとらしい咳払いをしてみせた。
「うむ、とにかく、拙者のことは気にせず、マーニャ殿は宿に戻った方が」
「はいはい。わかりましたよーだ」
「女子の一人歩きは危ない、お送り・・・」
「いーわよ、そんなの」
ぷいっとマーニャはライアンから顔全体をそらして、彼の脇をすり抜けて宿に向かって歩き始めた。
一体何故マーニャがそんな態度をとっているのかライアンには皆目検討がつかず、とりあえず宿までは送らなければ、と慌てて彼女の後を早足で追った。
そのまま2人は何も会話もなく、あっという間に宿屋に着いた。ライアンもそんなに遠くまで歩いていたわけではなかったからだ。
宿屋には朝も晩も関係なく旅人が訪れるため、必ず入口近くのカウンターには宿帳を置いて誰かが番をしている。宿屋のドアを開けると、あまり愛想がよくない男−多分宿屋を経営している夫婦の息子だろう−がちらりと2人の様子を伺うように顔をあげ、声をかけた。
「ちょっとちょっと、おねーちゃん、なんだか靴に泥がいっぱいついてるようだよ。そこのマットでこすっておくれ」
「あっ、ほんっとだ」
マーニャは慌てて自分の靴を見た。
いつもぴかぴかに磨いてあるマーニャの靴裏も、側面にも泥がこびりついていて、歩くたびにと落ちる。外はそれなりに暗かったため気がつかなかったが、屋内ではやたらと目立つ。
「もー、いっつも汚れちゃうんだもの」
「・・・?」
マーニャが泥を落とすためのマットに靴裏を軽くこすりつけると、乾いた泥はぽろぽろと、乾いていない部分はねっとりした状態でとれていく。
ライアンはその様子を見てなんだかひっかかりを覚えて考え込んだ。宿屋の青年は呆れたように言う。
「悪いね、いくらなんでもそりゃ汚れすぎだ」
「そーよね〜」
ルーラの呪文を唱えてエンドールのカジノに行くまでに、泥がつくような場所を通るだろうか?
しかも、「いっつも」とマーニャは呟いたということは、この町でのことではないのだろうと思える。
「・・・マーニャ殿」
「んー?」
少しばかり気弱にライアンはマーニャに問い掛けた。
「エンドールに行ったんでは」
「誰もひとことも、あたしがエンドールに行ったなんていってないわよ」
それへ、マーニャはぶっきらぼうに答える。しまった、早合点してしまったのか、とライアンは後悔したが、それは何の役にも立たない。
「では」
「なんであたしがライアンにさ、どこに行ったのかわざわざ言わなきゃいけないの?」
「・・・それは確かにそうだが」
そういうとライアンは途方にくれたように黙りこんだ。
エンドールに行ったと決め付けたことを申し訳ないと思う気持ち、いやいや、それは普段の行いから当然だろう、と自分を擁護する気持ち、ではどこにいったのだろうと好奇心と心配が入り混じって、我慢するべきかしないべきかの判断が難しい気持ち。ライアンは彼にしてはなかなかに複雑な心境でマーニャを見る。
「あははっ」
またマーニャは軽く笑って、今度はウィンクをして見せた。大分靴の泥は落ちたようだ。
「だから言ったでしょ。男が困ってる顔は好きだって。でも、あたしがどこにいったか聞いたら、きっとライアンもっと困っちゃうわよ〜」
最後にとんとん、と靴のかかとでマットを叩いて、泥を落とし終わる。マーニャは毛皮のフードを後ろに倒して頭を出し、手早く髪を整えた。
「困るような場所に行っていたということか」
「そーね。あ、そりゃあたしは全然困らないけど」
「・・・どこなのか、ちっとも思いつかぬ」
そう答えるライアンはまたも情けない顔をマーニャに向けた。きっとそう言っている本人は、自分がどんな顔をしているのかまったくわかっていないに違いない。
「教えて欲しい?」
「・・・ような気もするし、知らない方がいいような気もする」
うーん、と唸り声が聞こえそうな表情でライアンはマーニャを見た。
「もっと困ってる顔も見たいから、いっちゃおーかしら?」
誤解を受けやすいけれど、マーニャは元来自分のことをなんでもかんでもべらべら話すお調子ものではない。身の上話だろうがなんだろうがはっきりと隠し事なく答えるのは、聞かれたから答える、必要があるから言う、場を盛り上げたいから話題を提供する、そういった気遣いからだ。
そんな彼女がはっきりと自分が行って来た先を言わずに曖昧にしているのはめずらしいことで、ライアンはなんとなくそのことが気になってもいた。普段ならそんなことにもライアンは気づかないのだろうが、眠れない冴えてしまった頭は昼間よりも色んなことに気づけるものなのだろうか?
「これでは気になって拙者が眠れない」
「そーよね?」
そう答えながらマーニャは宿屋の通路を歩き出した。
あまり長くない通路の両脇にドアが三つずつ並んでいる。その通路の先には、小さな出窓があった。
静かにそこまで歩いていき、マーニャは振り向いて軽く出窓の縁に体をもたれた。ライアンは困惑気味に、あまり足音を立てないように気遣いつつマーニャの後をついていった。
「大きい声出したら駄目よ」
「それはもちろん」
「あのね〜・・・コーミズに行って来たの」
「こーみず・・・コーミズコーミズ・・・ああ」
一瞬ライアンはその聞きなれぬ地名に戸惑った。そういえば一度だけ行った事があるな、と記憶を辿って思い出すまでには時間がかかる。コーミズという単語が村の名前だということ、そしてその場所がマーニャとミネアの生まれ故郷だという情報まで正確に思い出すのにいささか間が空いた。
「何故こんな時間にそんなところに」
「決まってるでしょ」
マーニャは首をかしげて、軽く唇を突き出した。
「眠れなかったからよ」
「・・・」
眠れないと何故コーミズに。
そう聞くのは自分が人の心の動きに疎いと宣言するのと変わらない気がしてライアンは複雑な表情で黙った。その様子を見てマーニャは口端を軽く持ち上げて、からかうように言う。
「ほーら。ライアンまた困ってる」
「うむ・・・正直、確かにマーニャ殿の言うとおり」
「あのね、父さんのお墓に行って来たの。そしたらさ、昼間雨が降ってたみたいで・・・もともとあそこは結構土がゆるめなんだけど」
それは泥が靴についた理由だろう。
「じゃあ、何故眠れなくなったのか聞いてもよいかな?」
「理由なんてないわ。ただ眠れなかっただけ。そんで、カジノに行こうかと思ったけど、なんだか一人で行く気になれなくてさ。そーゆーのってなぁい?なんか今の気分と、普段自分がやってることが、合わないっていうか」
マーニャはそう言って手を背中側に回して、髪を一度まとめるような仕草を見せた。それからすっと手を離すと、細く一本に握られていた髪がさらりと広がる。
「ふーむ」
それへはとても曖昧な返事をライアンは返した。
そういうことが、自分はあるだろうか?それへの回答を探すことまでもまたまた時間がかかる。
「普段はさ、べつにカジノに行けばスカーッとするし、勝っても負けても熱くなるからそれなりに疲れて、嫌でも眠れるのよね〜。でも、なんか、そういう気分じゃなくってさ。のらないって感じ?それにさ、カジノで知らない人間と話したいっていう気分じゃーなくて、他にどうしよーかなーって。それで父さんの墓にいって、ちょっともやもやした気持ちとか、話してきたの。そういうの、滅多にないけど。ちょっといつもと違う時ってあるわよねぇ」
「うむむ」
「ライアンだってそうでしょ」
「拙者が?」
マーニャの長い説明を飲み込む前に自分に話をふられてライアンは戸惑った。マーニャの方はいつも通り、決して聞き取りにくくはない軽めの早口で続ける。
「そーよ。寝付かれなくたって、あれだけ昼間動いていて疲れてるはずなんだから、我慢して布団に潜っていればそのうち眠れるはずでしょ。なのに散歩に出てるなんてめずらしい感じ。それとそんなに変わらないわよ」
「そういう物かな」
「あれ?めずらしくないの?夜の散歩なんて」
それから一拍おいて、ようやくライアンは返事らしい返事をマーニャにすることが出来た。
「マーニャ殿は誤解をしている。拙者は、夜の散歩も昼の散歩も好きだ」
それを聞いたマーニャは毛皮のフードの下で少しだけ目を見開いて、ライアンをまじまじと見つめた。それからあっさりとあまりに気にした風もなく言う。
「あら、そうだったの、それは失礼したわね」
「失礼というほどでもないが」
ライアンはそういうと、これからまた散歩に行こうか、それとも部屋に戻ってベッドに入ろうかと悩んだ。
まだベッドに入る、という感じではない。
何をすることが正解なのかはわからないが、彼はそう思った。それから、自分ではなくマーニャの方こそそろそろ部屋に戻って眠るのではないかと彼女の様子を見ていたが、マーニャはいっこうにその場から動くつもりはなさそうだ。くるりとライアンに背を向けたまま出窓から外を見つめている。
「ね、ライアン、困ったでしょーお?」
「・・・」
それに素直に頷いてよいのかどうかわからず、ライアンは黙った。
確かに色々と困った気はするけれど、それよりもむしろこうして話をしていると気が楽になって、あまりマーニャのいう「困った」は気にならない。
ああ、そうか。
自分は、誰かと話をしたかったのかもしれない。それも、近しい誰かと。
返事がないライアンを気にしてマーニャは振り返った。
「どうしたのよ?」
「・・・困ったは困ったが、ううむ」
「変なの」
「マーニャ殿」
「何よ」
「いや、なんでもない」
「なーによ」
「いや、その」
「きゃははっ、またまた困ってるぅ〜!どしたのよ、はっきりいいなさいよー」
小声でも響く声で笑ってマーニャはライアンの肩をぽんぽんと叩いた。ライアンより随分年が下のはずなのに、まったくマーニャはそういうことを細かく気にもせず対等に接する。何故かそれはまったくライアンの気には触らなかったし、マーニャらしいと思えた。
「よかったら、もう一度、外に行かないかと」
「なんで?」
「散歩に付き合っていただけないかと思うのだが」
マーニャは少し驚いた表情を見せた。あ、と慌ててライアンは付け加える。
「その、その代わり、あまり困らせないでもらえると、助かるのだけれど」
「何がその代わりなの?おかしくない?」
そう返されるまでライアンは自分の言葉の矛盾によく気付いていないようだった。何がおかしいんだろう?という顔になった後で、素っ頓狂な声を出す。
「あっ、確かに!」
マーニャは肩をすくめた。
「どーでもいいわよ。男が困ってる顔は好きだけど、途方にくれた顔は好きじゃないわ」
それにどういう差があるのか、これまたライアンはよくわからない。
自分はどこまでも不器用で、何もおもしろみもない男だ、とライアンは思った。こんなだからきっとマーニャの言う意味がわからないことが多いに違いない、と。
「さ、いこ」
「は、はあ」
「あのさぁ、ライアン」
「う、うむ」
「ライアンさ、もうちょっと言葉に敏感になった方がいいわよ。自分の言葉も、人の言葉も」
「・・・善処しよう」
「でも、散歩に誘ったのはなかなかいいんじゃない?」
「そうだろうか?」
「そうよ。気付いていないんだろうけど」
マーニャはくくっと喉を鳴らすように笑った。細い肩がくいっとあがる。
「ライアンが誘ってくれないかな〜って思ったいたから」
ライアンはマーニャを真正面から見つめた。
マーニャはわずかに口をすぼめていた。あまり薄くはない彼女の唇は、とても可愛らしい形をしている。が、ライアンはそんなことは何も気づかずに、ただただ慣れない言葉に戸惑っていた。せめて「あ」とか「う」とか、何か返答をしようと試みている様子が見られればまだマシというものだが、それすらない。
自分の言葉に何の返事もないことに半ば呆れたように、先にマーニャが音をあげた。
「いーのよ、出来ないことはやらなくて」
「ううむ・・・」
そこでようやくライアンは唸る。
「散歩の相手にはなってくれるんでしょ。それでいいわ。あんまり困らせて黙られると、がっかりしちゃう」
そのマーニャの言葉にもどう答えていいのかライアンは眉根を寄せた。
「いこ」
「ちょ、ちょ、マーニャどの・・・」
するりとマーニャは歩き出して、ライアンを一度も振り返らないまま宿屋の扉をすり抜けて外に出た。
外気はやや冷たい。先ほど2人が出くわした時よりも気温が低くなっているようにライアンは感じた。
少し冷えているから、やはり散歩はやめて・・・と彼はマーニャに言おうかと思った。思ったけれど、きっと自分のその気遣いは、彼女にとっては余計な世話なのだということに気づいて押し黙る。
マーニャは黙ったまま、ゆったりとした足取りで歩き、しばらくするとううん、と伸びをした。
その様子を見て、ようやくライアンが発した言葉は
「拙者で、話し相手になれるのだろうか、とりたてて話題が豊富なわけでも」
といった、まことに情けないものだ。
「バカね」
にべもなく冷たい言葉−と思われてしまう単語だ−をマーニャは投げつけた。
「無理に話さなくてもいーんじゃない。話したくなったら聞いてくれる人がすぐ傍にいるだけで、いいもんなのに。そんなことも知らないの?」
「そうか」
「そうよ」
ライアンはマーニャからの返答を聞きながら、彼女が言うことに心当たりがあると気づいた。
そして、彼の心の中にあったもやもやしたものがようやく少しずつ形になろうとしていることも。
マーニャの言葉が本当ならば、なるほど、自分がマーニャを散歩に誘ったことも、マーニャがその申し出を受けたことも頷けるように思える。
話をしたいから人を誘うのではないし、話をしたいから誘われたかったわけでもないのだろう。
「さっ、行くわよ、ライアン」
マーニャはライアンに手を差し出した。ルーラの呪文を唱えるから捕まっていろ、という意味だ。
「うむ」
ライアンは笑顔と共に頷いて、彼女の細く、しなやかで美しい手を軽く握った。
こんな夜も悪くない、と思いながら。

Fin
 



モドル