希望-2-

「もう、ほんっと、あの竜は空気読んで欲しいものだわ!」
わざわざ声に出して言うのは、もしかしてマスタードラゴンには自分の声が聞こえているのかも・・・なんて一瞬思ったからだ。大げさにそう言って、マリアはベッドにごろんと横になった。少しだけベッドがきしんで音をたてた。それから
「・・・ブライとクリフト、大丈夫かしら」
ぼそりとそう呟いた直後、軽いノックと共にドアが開いた。
「お帰りー」
マリアはそれまでの剣幕としかめっ面を緩和させ、部屋に入ってきた人物に笑いかけた。アリーナだ。
あのバルザックを倒した時と同じく、今日もまたマリアとアリーナは同室だ。ミネアがそっと気を利かせて「マリアさん、今日はわたしがアリーナと一緒に泊まりましょうか?」と耳打ちしてくれたが、そうしたら余計にアリーナが気にするのでは、と思ってマリアはその申し出を辞退したのだ。
「あんまり動かなかった日の湯浴みは、なんか気持ちよさが違うわね」
アリーナは彼女にしては滅多に見せることのない、無理矢理な笑顔をマリアに向けた。
「といっても、もともとサントハイムじゃ、そんなにどっぷりお湯に入るなんてことしなかったんだけど」
それはマリアも一緒だ。
アネイルの温泉で、初めて体を湯船にゆっくりと浸けるという体験をした。そして、水からの圧力によって、体の疲れが取れやすくなるのだとも。誰よりもそれはマーニャが気に入ったらしく、その気になったときにはやたら長い湯浴みとなり、宿屋のほかの宿泊客に迷惑をかけそうにもなる。旅人達は湯船に浸かるより、汲んできた水を沸かしてぬるま湯をかぶるだけだったり、熱めの湯でしぼったタオルで体を拭くだけのことが多いのだが。
「でも、なんか疲れたーってかんじがするわ」
そういってアリーナは、マリアと同じような木綿のワンピース姿で、うつぶせになってベッドの上に倒れこんだ。
「マリア」
「うん、なあに?」
二人は並んだベッドの上で、マリアは仰向けに、アリーナはうつぶせになって会話をした。
声をかけられてマリアが少し動くと、小さなきしむ音をベッドが立てる。嫌だ、寝る時にぎしぎしいいそうだ・・・そんなことを思いながらも、マリアはそれを口に出さなかった。
「ごめんね。今日のわたし、役に全然立たなくて」
「・・・いいんだよ、アリーナ。何いってんの。人間なんだから、そういう時は誰だってあるもん」
「明日は元気になって、今日の洞窟、先頭に立つからね」
「やぁね。明日のことは明日決めようよ」
「・・・うん・・・」
そう返事したままで、アリーナは黙ってしまった。マリアもそれ以上多くの話題を持つわけでもないし、こういう時にどういって慰めていいのかも彼女はあまり知らないのだ。
バルザックを倒しても、サントハイムの人々が戻らなかったあの日、アリーナはクリフトのもとで泣いて泣いて泣き疲れて眠ってしまった。今日はさすがに、マスタードラゴンから話を聞いた後、三人で馬車の中にいたのだからそういった激しい心の動きも、今は多少落ち着いているのに違いない。
「クリフトとブライにも、今日はいっぱい迷惑かけた。また、泣いちゃったんだぁ、わたし」
「うん。でも、別にそれは悪いことじゃないと思うけど」
「でも、二人だって、つらいのに。わたしがしっかりしなきゃ」
「アリーナ」
「だから、マリア、もし、クリフトが弱音いったら、聞いてあげてくれる?」
アリーナはのそりと腕立て伏せの途中のような体勢に体を起こし、マリアの方を見た。突然の話に驚いて、マリアは反応が遅れた。え、と小さく口から声が漏れてから、視線を合わせたアリーナの顔をまじまじと見つめる。
「う、うん、別にいいけど」
「クリフトは、最近、ぜんっぜん泣き言わたしに言わないの」
「・・・そうなんだ」
「そりゃ、以前だってそんな泣き言言うようなこと少なかったけど、絶対わたしの前では、なんていうのかな・・・わたしの気持ちが揺れそうなことも全然言わないの。ブライだってそう。マスタードラゴンにサントハイムのことを聞こうなんて、二人とも言わなかったのよ」
「そうだったの」
それは意外だった。
マリアは何度か瞬きをする。と、ぎしぎしっと大きな音をたてながら、アリーナはベッドの上にぺたんと座り込んだ。
シーツも毛布もしわくちゃになってしまっているが、そういったことを細かく気を使う質ではないから、これっぽっちも気にも止めていない様子だ。
「多分、すごく気を使ってたんだと思うの。わたしのこと。だけどわたし、二人がそうやって気を使ってるのに気づかないで、絶対マスタードラゴンに聞いてやる!って一人で決めたんだ」
「・・・そうだったんだ」
「でも、バカだよね。二人とも、きっと想像してたんだよね、もしもマスタードラゴンがわからないって答えたら、もんのすごくわたしが落ち込むってこと・・・」
「それはそうよ。誰だってそうに決まってる。悪いことじゃないよ」
ううん、とアリーナは首を横にふった。
「今日だって、わたしがもっと調子よかったら、もっと先まで進めたかもしれないじゃない?こんなに自分でショック受けるなんて、思っていなかったの。二人はわかってたんだよね。もしかしたら、こんなことになるんじゃないかって。まだまだわたし、ほんと、二人に助けてもらいっぱなしだわ」
マリアは小さく肩をすくめて、「そうでもないよ」と言葉を挟んだ。
「二人共、怖かったんだと思うよ。どんな答えが返ってくるのか考えて。アリーナは、その、ちょっぴり無謀だったけど、勇気を出したんでしょ。それに、あの二人と違ってアリーナは、今日マスタードラゴンに聞かなかったら、気になって気になって結局なんにも集中できないままになっちゃったんじゃないかなぁと思うもの」
そのマリアの言葉に「あー、当たりー!」とアリーナは観念したようにうめき声をあげた。
「なんでそんなにマリアったら、わかるの?」
「うーうん。これは、マーニャからの受け売り」
いたずらめいた表情でマリアは口端だけを軽くあげた。あの洞窟で歩いている途中に、御者台にいたマーニャにそっとマリアは愚痴ったのだ。やっぱりアリーナを止めればよかったかしらね、今更言ってもしょうがないけど、と。
それに対してマーニャは、ガタガタと揺れる馬車に顔をしかめつつも「なーにいってんの。アリーナ止めたら、今度は残りの男共が悶々としてそれどこじゃなくなるわよ。いつでも女の方が潔いんだからさ。アリーナがやらなきゃいけなかったことなんじゃないの?」と、見事な洞察力でズバリと言ってのけたのだ。
なるほど、そういう考え方もあるのか、とマリアは驚いたし、実際アリーナも賛同してるのだからマーニャは大したものだ。
「デスピサロが関わっているってことが確定しただけでも、もうけものだと思うことにしたの」
ぽそりとアリーナは呟いた。
「絶対前進してるんだって思わないと、立ち止まっちゃうから」
「・・・アリーナ」
「そうだ、寝る前にブライとクリフトに、お礼いってこよう」
「え」
「今日もまた、二人にいっぱいなだめられたし」
そういってベッドを降りようとしたアリーナを、マリアは慌てて止める。
今、ブライ達のところに行って貰っては困る−−マリアには、アリーナを引き止める理由があった。
そうでなければいつものマリアならば「うん、ほどほどにして、すぐ戻ってきた方がいいわよ」くらいのことを言うだけで、止めるようなことは言わないはずだ。
「もうきっと二人共眠っているわよ。随分疲れた顔していたから。アリーナも今日はもう眠って、明日また元気な顔を見せれば、それが二人には何よりだと思うわ」
「うーん、そっかな。もう寝てるかしら」
「と、思う」
なんとなくマリアの言葉に違和感をかんじつつも、アリーナはおとなしく従うことに決めた。
「・・・そうね。夜はまた、色々ぐるぐる頭の中廻っちゃうし、もう寝たほうがいいかも。さっきね、湯浴み終わってから戻るとき、ミネアからあったかい飲み物もらったの。気持ちよく眠れるから、部屋に帰ったら早く布団に入ったほうがいいって言われてたんだ」
「そっか」
それを聞いてマリアは少し胸をなでおろした。よかったよかった、責任重大だわ、と心の中で呟く。
ミネアもミネアのやり方でアリーナ達を気遣っていることをマリアもよくわかっている。本当に自分達は素敵な仲間を手に入れて、一緒に旅をしているのだなぁと実感した。
まあ、実はミネアもマリアが「アリーナにはブライ達のところにいかないで、さっさと寝てもらわないと」と思う理由を知っていたわけで、ある意味策士とも言えたのだが。
「よーし、寝ようっと。明日には、元気になるわ。だってわたし、今日一日中ずっとぐずぐず言ってたのよ」
少し恥ずかしげにそう言うアリーナの表情は、バルザックを倒した日の夜よりも余程「まし」な顔をしているとマリアには思えた。
確かにアリーナは、ここまで自分が心が揺れてくじけるとは思っていなかったのかもしれない。
けれども、マスタードラゴンに聞く勇気を振り絞った彼女は、そのことを決して後悔していないのだ。
(アリーナは、繊細だけど、強くなった)
誰とそういう話をしたわけでもなく、マリアは強くそれを実感する。
「おやすみなさい。わたしも、もう少ししたら寝るわ」
「うん。じゃあ、お先に。おやすみなさい」
アリーナはおやすみ前の挨拶をマリアと交わして、毛布の中に潜りこんだ。
ベッドから少し離れた場所にある、出窓近くに灯っているランプはそのままにして、二つのベッドの間にあるサイドボードに置かれたランプの明かりを、マリアはそっと消した。
遠くの明かりがアリーナの顔を照らさないことを確認して、マリアは少しの間上半身を起こした状態で毛布に足をくるむようにしていた。
どれくらい時間が経ったことだろう。ミネアが振舞った飲み物の効果なのか、心が騒いで眠れないのでは、と思われたアリーナから寝息が聞こえてくる。
泣くことや、押し寄せる不安と闘うことは、気力だけではなく体力も必要だ。
確かにアリーナは今日は戦闘に参加していなかったけれど、マスタードラゴンとの謁見以前から緊張もしていただろうし、本当は全身疲れているのに違いない。
疲れを通り越してどうしようもなく眠れなくなる場合もあるだろうが、兎にも角にもアリーナがうまく眠ってくれてよかった、とマリアは一息ついた。
(・・・ブライ達に、温かい飲み物を用意してあげようかしら)
ベッドから降りるとマリアは出窓ごしに外を見た。
昨日と違って今日はあまり天候に恵まれず、星があまり見えない。星が見えていれば「ねぇ、アリーナ、あの高台に今日もいかない?」なんて誘うことが出来たのに、とマリアは思う。
(でも、本当にアリーナは勇気があった。それに引き換えわたしは)
目を凝らして外を見ながらマリアは思いを馳せる。

クリフトの首に腕を絡め、そっと身を寄せ合いながら。
「空の上にある天空のお城に、行きましょう」
そう言う彼に、マリアはあの時頷いた。
「あなたの本当のお母さんに会うために」
あまりの衝撃的な言葉に、彼女はクリフトから体を離し、強張った顔で彼に繰り返した。
「わたしの、本当の、お母さん」
「はい」
冷静な彼の声。
彼が、自分を助けようとしてくれていることはわかっていたけれど、それでも。
「クリフト。わたし、怖い」

自分はその恐怖に打ち勝つことが出来なくて。
天空の城で、自分の親を探そうとは思えなかった。
知ってしまったら、そこで立ち止まる。心が揺れる。何を自分がしでかすのかわからない。
だから、マスタードラゴンにも問えなかったし、自分で探そうともしなかった。
もしかすると、既に話を交わした天空人の中にいたのかもしれないが、それはわからない。
マリアは窓際のランプから漏れる光を見つめながらふと思った。
アリーナは「こんなに自分でショックをうけるとは」と言っていた。でも、アリーナだって阿呆ではない。ショックを受けることはわかっていた、立ち止まりそうになるかもしれないとも彼女なりにはわかっていたに違いない。それでも大丈夫、と自分を信じたのだ。
(わたしは、自分があんまり信じられないな。今までだって、アリーナどころじゃないくらい、クリフトに弱音吐いてるし)
ぎし、と小さな音をたててマリアはベッドから降りた。またサンダルを爪先にひっかけ、道具袋の上に乗っけておいた薄手のカーディガンに袖を通した。それから、慎重に歩いて窓際のランプをそっと消す。
アリーナを起こさないように、起こさないようにと気をつけながら、彼女は部屋を抜け出した。そして、大きい音をたてないように気を遣いながら廊下を歩く。
宿屋の入り口の宿帳などが置いてあるカウンターの奥に、一枚カーテンを隔てて宿屋の主人がうつらうつらしながらいる姿が見えた。マリアがそっと近づくと、そこはさすがに主人だけあって、ぱちっと目を開けてこちらを見る。
「お客さん、どうなさいましたか」
「ちょっと前に、わたしの連れが二人出かけたと思うんだけど」
「ああ、あの、おじいさんと青年ですね」
「ええ。その二人が戻ってきたら、厨房で待っているって伝えてもらえますか。温かい飲み物を振舞ってあげたいの」
「ええ、ええ、今日は少しばかり風が冷たいから、それはいいですね。わかりました」
「ありがとう」
今日はこの宿屋の宿泊客は自分達だけだ。いや、考えれば自分達以外にこの町の宿屋に泊まる人間が今までにいたのだろうか?
いないとすれば宿屋の人たちはどうやって生計を立てているのだろうか。そんなことを考えながらと厨房へと足を運んだ。
大抵の宿屋は、宿屋のおかみさんの了承を得れば、湯を沸かしたり羊乳を温めて飲んだり、多少のことは厨房を貸してくれるものだ。喉が渇けば厨房の水を飲んだりもするわけだし。
そっと厨房に入れば、そこには少し前まで人がいた気配をかんじさせる。それはそうだ。ミネアとアリーナはきっとここでその「飲み物」を飲んだに違いないのだ。
疲れた時には少しばかり甘いものが欲しくなるし、体がそれでリラックスするのだとマリアは昔シンシアに教えてもらったことがある。それとまったく同じことを言いながら、ミネアは時々飲み物を作ってくれる。
今日は、めずらしく自分が作る番だ。
(ブライも、甘いもの、飲むわよね)
慣れない厨房ではものの使い勝手がわからずに困ることが多い。しかし、この宿屋の厨房はとてもわかりやすく物が配置されていて、何もかもがどこにあるのかよく見え、けれども、決してごちゃついた印象を与えない。整理整頓が行き届いた素晴らしい厨房だとマリアは感心した。
壁にかけられた小さなミルクパンをとって、羊の乳をその中に注いだ。戸棚に並ぶスパイスやエッセンスの数はなかなかのもので、島とはいえたくさんの農作物が収穫されるのだということがよくわかる。
羊の乳を温めて、発酵と乾燥を交互に行った豆から抽出したエキス、濃厚な花の蜜を加えと、ふわっと厨房中に甘い香りが広がる。甘い香りは、豆のエキスのものだ。
「どれくらいで、帰ってくるのかしら」
そう時間はかからない、とブライは言っていた。
ミネアさんに占ってもらったから、場所はわかっていますし、とクリフトも言っていた。
アリーナに内緒で出かけた二人の気持ちは、マリアにもわかる。きっと、アリーナはふくれっつらの一つも見せるかもしれないが、彼らの気持ちがわからないわけはないだろう。

ブライとクリフトが戻ってきたのは、それから半刻ほど後のことだった。
マリアはまだ厨房の椅子に坐って、少しばかりうたた寝をしてしまっていた時だ。近づいてくる二つの足音に気づいて、慌ててミルクパンの中身を温め直し始めた。
「マリアさん」
厨房にクリフトが顔を覗かせた。
「あ、お帰りなさい」
「部屋の明かりがついているのが見えたので、あちらにいらっしゃるのかと」
クリフトの後ろからブライも姿をあらわす。
「遅くなって、心配をかけましたかな」
どっこいしょ、とブライは古ぼけた小さな椅子に坐った。それを見てクリフトも腰をかける。厨房にある椅子はどれも小さく、ちょっとしたときに物を置くために使われているように思われた。
「ううん、大丈夫。一杯温かい飲み物でもどう?」
「おお、それはありがたい」
こぽこぽと小さな心地よい音をたてながら、マリアはミルクパンからカップへと湯気があがった飲み物を注ぐ。二人はそれを受け取ると、ふう、と温度を冷ましながら口をつけた。
「あら、クリフト、手袋は?」
いつも手袋をしているクリフトの手が素手だと気づいてマリアは尋ねる。
「ええ、土掘りをしてきたものですから泥だらけで」
「あ、そうなの。みつかった?」
「ええ。ミネアさんのおかげです」
「明日、姫様に話をして、お渡ししようと思っておるのですがの。あなたには先に報告をしておいたほうが何かと都合が良いじゃろうと」
「うん。何かわかったの?」
「朗報というには少ない情報ですけれど、ブライ様の記憶は間違っていませんでした」
三人は飲み物をゆっくりと飲みながら一通りの話をした。ブライとクリフトは、アリーナに内緒でサントハイムに行って来たのだ。ブライが心当たりがある、といってサントハイム城の本棚からいくつか書物を引っ張り出し、その「心当たり」を確認してきた。クリフトもそれを手伝い、そののち、他のお目当てのものも探し出して帰ってきたということだ。
「ごちそうさまでした。おいしかったです。ありがとうございます」
「たまには甘いものも良いものじゃと思い出しましたわい。感謝いたしますぞ」
「どういたしまして。そろそろ寝ましょうか」
その言葉に男二人は素直に同意した。余計なお世話と知りつつ、マリアは二人に釘を刺す。
「明日、アリーナに・・・ううん、みんなにすぐ話してあげてね。だから、二人共お寝坊はナシよ」
「ほっほっほ、年寄りは朝は早いものですからの。いや、それにしても今日はさすがに体にこたえたわい・・・申し訳ないが、お先に失礼してもよろしいですかな」
「うん・・・ブライ、ありがとう。いつもブライのおかげで助かってる」
「何をおっしゃるやら、のう。皆が皆のおかげで助かっている。だからこそ仲間と呼べるというのに」
年老いた魔法使いは、少しばかり疲労の見える表情で、それでも、心からの笑みを浮かべた。では、ともう一声二人にかけると、ブライは背を向けて厨房を出て行く。確かにこんなに夜遅くまでブライが起きていることは珍しい。余程疲れているに違いない、とマリアは思った。
「じゃあ、わたしは残って片付けをさせていただきますね」
クリフトはそういうと、食器を片付けようと手を伸ばす。マリアは慌ててカップをひったくるようにクリフトから奪った。
「あら、いいわよ。あなたも早く休んで」
「いえ、今日はまったくお役に立ちませんでしたから」
「アリーナとおんなじこと言うのね!」
「姫様も?」
「そ。同じこと言っていたわ」
「・・・だって、あなたこそ今日はお疲れでしょうし」
「いいのよ、だって明日はあなた達が頑張ってくれるんでしょう?」
少しばかり意地悪くそうマリアが言うと、クリフトは年齢相応の笑顔を見せて
「そう来ましたか。まいったな・・・。そりゃあ、いつだって頑張りますけれど」
「そういうことでしょ」
それでも、とクリフトは食器を洗い始めた。ここまでやってくれているのに、無下に断るのも大人げない−まあ、大人と呼べる年齢ではないのだけれど−かな?とマリアはそれ以上は何も言わずにクリフトに任せた。
「・・・よかったね、ちょっとだけ、前進して」
「はい。ブライ様がいらっしゃらなければ・・・きっと、わたしは途方にくれていたでしょうね」
「あなたとアリーナがいなければ、ブライも途方にくれていたと思う」
「そうかも、しれません」
ぎこちない手つきでクリフトが洗った食器を、マリアは手馴れたように布巾で拭く。ふと、先ほどアリーナに言われた言葉を思い出しながら。

クリフトは、最近、ぜんっぜん泣き言わたしに言わないの
だから、マリア、もし、クリフトが弱音いったら、聞いてあげてくれる?

多分、アリーナが言うことは本当なのだと思う。そして、その原因は自分ではない、マリアは思っていた。
アリーナが言う「クリフトの泣き言」というものは、本当に些細なことなのだと思う。そもそも、泣き言と言える部類ではないことだろう。
言われて一瞬、自分のせいかと考えた。自分が、いっぱいクリフトにああだこうだと感情をぶつけて吐き出してしまったせいで、クリフトは自分の中に抱えていることを外に出さなくなったのではなかろうか・・・そう考えた。
でも、違うのだろう。
食器を洗うその手は男の手で。アリーナのために、ブライと共にこんな夜中にサントハイムに行って。いつもつけている手袋を泥だらけに汚してきた彼。アリーナを守ろうとムキになって必死に背伸びをしていた、マリアが知らない頃の彼とはきっと違うのだろう。
(クリフトは、きっと、ちょっとだけ大人になっちゃったんだ)
そして、きっとアリーナも少しだけ大人になったのだろう。それが「アリーナは強くなった」と感じたことと同じ意味を持つのに違いない。

翌朝、広い円卓をぐるりと囲むように坐った朝食の席で、ブライとクリフトは昨晩自分達がサントハイムに行って来たということを仲間たちに伝えた。彼らが行っていたことを知っているのは、マリアとミネアだけだ。
「まじない石について、記述した書物があったことを思い出しましてな。何かの手がかりになればと」
「そ、それで?」
アリーナはパンを食べる手を止めて、身を乗り出して先を促す。朝一番にマリアに「ちょっとだけいいニュースがあるみたいよ」とふきこまれていたため、アリーナは気が気ではないようだ。
「サントハイム周囲に埋められたまじない石は、魔法に近い力によるサントハイムへの攻撃を防ぐ役割があったそうでしての・・・その石には、古代文字で魔法が記されておったそうですな」
「うん」
「それらの石が、外敵の力に打ち勝とうとして力を発動するのは、大概は瞬間的なこと。まあ、我々の魔法と同じことですな。メラを唱えてもそれは一瞬きり、何時間何日とその効果は続かないわけですからの。そして、力の発動後、石は3種類の状態のいずれかになるそうで」
「へえ」
マーニャが、パンに蜂蜜を塗りながら興味深そうに声をあげた。
「一つ、まじない石の効力により外敵からの攻撃を防ぎ、まだそのまじないの力を温存出来る場合」
「むむ?」
ライアンが難しそうに眉間にシワを寄せて唸った。隣に坐っていたマーニャは肘でライアンの腕を小突いて早口で説明をしてやる。
「バカね。よーするに、敵に勝って、しかもまだ元気、ってことよ」
「ふ、ふむ、そういう意味ですか」
「左様。一つ、まじない石の効力を上回る力を外敵が行使し、まじない石が力を使い果たした場合。この時は、石は砕け散ることとなるということ」
「負けた、ということなのですね」
ミネアの言葉にブライは頷く。
「そして最後のひとつ。まじない石が、継続的な力を発動し続けている場合」
「え?さっきと話が違うんじゃない?」
マーニャは話が早い。瞬間的な力の発動、とブライは言っていたはずだ。彼女のその問いかけに満足したように、ブライは仰々しく首を縦に振って頷いた。
「まじない石の特殊な力が、この場合なんじゃな。本来、外敵からの攻撃というものは永続的ではない。あっても断続的。戦争を考えてもそうじゃろうて。長く続くこともあるが、やがて切れ、また蓄えられて長く続く、どちらにしても切れることが前提となる」
「そ、そりゃねぇ」
「けれど、その力が永続的なものだった場合、いや、断続的であろうと、途切れるまでがあまりに長い場合」
一同、静まり返った。
「まじない石は、己の力が途絶えるまで延々とその力と対抗しようとする。それが、この姿」
ブライは食卓に、ごろんと何かを置いた。
「こ、これがまじない石?」
ミネアは驚きの声をあげる。
ブライがみなに見せた石は平たい白っぽい石で、親指の先ぐらいのわずかな大きさだ。そして、表面には見たことがない文字がいくつも書かれている。何より誰もが驚いたのが。
「光っている・・・」
その石は、淡く緑色に光っている。目を覆おうほどのまぶしさはなく、手をかざして暗くしてみればわかる、という程度の光だ。
「緑の光は、戦いの光、と書物には書かれておりましての。まじない石達は、デスピサロからのなんらかの攻撃と、未だに闘っているということなのですな。戦いの光が希望の光へと姿変える時、そののちにまじない石は眠りにつく・・・そう書き記されておりましたわい」
「戦いの光が希望の光へと姿変える時」
アリーナはブライの言葉を繰り返して、じっと瞬きもせずに石を見つめていた。ブライはその石をつかむと、アリーナに差し出す。
「姫様。これは、姫様がお持ち下さい。いまだ、このまじない石達は、サントハイムのみなを救うために、デスピサロと戦っておるのです」
「こ、これ、もってきちゃっていいの?」
「大丈夫です。地層が動けば石も動く。いくらかの石は既にサントハイムの周りから動いていることでしょう。一度力が動き始めれば、どこにいようと変わりはないようですしな。のう、クリフト」
「・・・この石の光が変わった時、サントハイムのみなが、戻ってくるのではないかと、わたし達は思います。だから、それを、姫様に見ていて欲しいのです」
アリーナは、ブライの手から石を受け取った。
その石は、アリーナの手のひらの上でも光り続け、もう片方の手で蓋をすると指と指の隙間からその光が漏れる。
「これ、どうやってもってきたの?」
「ミネアさんに占っていただいて、どのあたりに埋まっているのか、一番わかりやすいところを教えていただいて、そのとおりに掘リ起こしたんです」
「なんだー!じゃあ、ミネアもマリアも知ってて内緒にしてたの?んもー」
アリーナはそういいつつも、怒った風ではない。
話をおおよそ聞いた今の段階で、トルネコもライアンも、もちろんマーニャだってミネアだって、相好を崩して安堵の表情を浮かべた。まじない石は、負けていない。今も戦っている。この小さな石がどういう力を秘めているのかはわからないし、ブライの説明によると、まじない石を作ることなぞ今の魔法使いたちでは出来ないものなのだという。しかし、どれほどのものかわからなくても、この石を信じるしか今の彼らにはないのだ。
「よーっし、もう、この石が頑張ってるなら、わたしも頑張っちゃうもんね。いじいじしてらんない!ねっ、マリア!」
突然アリーナに話をふられて、マリアは驚いて咳き込んだ。
「そ、そうね、期待してるわよ」
「任せといて!」
ミネアはアリーナに、石を身につけるためにペンダントを作ろうか、と提案をした。腰につける道具袋などに入れておくとどうしても他のものとぶつかり合うし、戦闘のときの衝撃などで割れることもあるだろう。それより、厚手の小さな布袋などに入れて、それを首から下げておく方が安全ではないか、と。
「姫様は扱いが荒っぽいですからのう」
そうブライが言うと、一同はどっと笑う。アリーナは顔を真っ赤にしながら
「なによぅ!」
と叫んだものの、うまい反論は出来ないようだ。その様子に小さく笑いながら、マリアも意地悪く
「じゃ、食事終わったら早速ミネアに作ってもらったら?馬車に乗る前にでも落っことしそうだしね」
なんて言う。しかし、アリーナはめげないようで
「何いってんの!今日は馬車の中になんかいませんよーだ!」
「あはは、そうだったわね」
そのアリーナの笑顔が、無理のない、いつもと同じものだと誰もが感じたらしく、その場の雰囲気は更に和やかになった。昨晩の重苦しい空気が嘘のようだ。
アリーナは円卓の仲間達をぐるりと見回して、明るく言った。
「ブライ、クリフト、ありがとう。ミネアもありがとう。ううん、みんなみんな、ありがとう・・・えーと、それから」
手の中に握っていたまじない石を見つめる。
「お前も、ありがとう。本当に、ありがとね」
そんなアリーナの姿を見ながら、マリアは素直に「よかった」と思っている自分に気づいた。
以前は、もっともっと、色々な感情が渦巻いていたはずなのに。
わたしの村の人たちは、間違いなく犠牲になったのに、サントハイムの人たちには、希望が残されている。そのことに嫉妬して、嫉妬している醜い自分のことからも目をそらしたくて。一緒に泣く人もいなければ、一緒にその希望にすがる人もいない自分は、いつもどこかでアリーナをうらやましいと思っていた。きっと、サントハイムの人々が助かった時、自分はうまく笑えないのだろうと思っていた。
けれど、今はアリーナの笑顔がとても嬉しかった。

マリアと約束をしたように、アリーナのその日の働きは相当のものだった。余程前日の自分の落ち込みようが嫌だったのだろう。
そのおかげで、陰気な洞窟をどんどん奥へ奥へと進み、昨日は行けなかった場所までたどり着くことが出来た。
洞窟を抜けたと思うと、人がいてもおかしくなさそうな建物が現れ、否応なしにその中に入ることとなってしまった。外観からの印象、内装からの印象とは裏腹に、まったく人っ子一人いないことが途中で嫌というほどわかったものだが。
「うわ」
その建物の出口を見つけ、彼らが出た瞬間。マリアは声をあげた。アリーナも顔をしかめていたし、馬車の周囲を守っていたクリフトもライアンも、多少違えど、どちらかというと難しい顔を見せる。
「マリア、ここは、地底なのね?」
「そうみたい・・・いやぁね。アリーナ、感じる?変な空気」
「そりゃそうよ。なんか、気持ち悪い。ねちっこいし」
曖昧な会話であったが、それだけでお互い十分であった。
建物を出ると、そこは山々に囲まれた薄暗い森があった。しかし、その薄暗さは山のせいではない。上を見上げれば、空と呼ばれるものは非常に濃い密度で暗い曇り空に見えた。が、それは曇り空とは違う。暗い空気が層になって彼らを押しつぶしそうな光景だ。
そこには、彼らが知っている空はない。
馬車からミネアが顔を出した。
「マリアさん、禍禍しい気がそこらじゅうに立ち込めています。ここは、人がいるべき場所ではありません」
それへはマリアが苦笑しながら明快な答えを提示する。
「そりゃそうよね。人を倒しに来たんじゃないもの。だから、ここで正解なんだわ」
「勇者殿、あちらに、何か祠のようなものが」
ライアンが声をあげる。が、彼にしては珍しくその声は上ずっていた。彼がこういった「空気」に気持ちが左右されることは珍しい。比較的彼は「鈍い」人間であったし、そこがむしろ頼もしく思える時があるとマリアは知っていた。けれど、そんなライアンですら、この地の空気の異質さを嗅ぎ取っているのだ。洞窟に入った時から、過敏になっていたのだとは知っているけれど、それにしても。
「・・・マリア、行ってみようよ。パトリシアが、どっちかというとそちらに行きたがっているし」
御者台に坐っていたトルネコが声をかける。
確かに、パトリシアはライアンが指し示した方向に行こうとそちらを向いている。トルネコがどうどう、落ち着け落ち着けと言ってもせわしなくその場で足を動かし、進みたいアピールをしていた。
彼らは薄暗い森にひっそりと存在した祠に近づいた。
「ちょっと、待っていて。馬車の中から、周囲をうかがっていてちょうだいね。トルネコ、危険があったらすぐ声をあげて」
「うん、マリア達も気をつけるんだよ」
それへ笑顔を見せて、マリア・アリーナ・ライアン、そしてクリフトは祠の中に足を踏み入れた。
「・・・火が、燃えている・・・?」
狭い祠は、何もないがらんとした空間だった。体を休める場所もない。
しかし、その場に一歩足を踏み入れた途端。自分達を囲んでいる目に見えない空気の質が変化したことを、4人はよく感じ取っていた。
「パトリシアがこっちに来たがるわけね」
とアリーナが呟く。
祠の奥には、床の上に炎が燃え上がっていた。薪などがあるわけでもないのに、ただただ床の上に炎の塊がうごめいている。マリアは恐る恐るそれに近づいた。
と、その時。
「!」
炎だったものは、突然淡く発光し、人の形を作り出した。それは、背に翼を持つ、天空人の姿だ。女性らしい。輪郭がはっきりするまでに、その白い光は輝き続け、マリア達は目を細めて見なければいけなかった。
「あなたは?」
ようやく発光を終えたのを見計らってマリアは問い掛けた。しかし、その問いに天空人は答えない。
「・・・ここは、希望のほこら。あなた達の来るのを待っておりました」
「希望の祠」
マスタードラゴンが気を利かせてくれて、この天空人を送り込んでくれたのか・・・その程度に思いつつ、マリアは天空人の言葉を聞いていた。ライアンもアリーナも、天空城に行った後だけに、ちょっとやそっとのことはもはや驚かなくなっている。空の上に城があり、そこに暮らしているぐらいなら、地底にこうやってそのうちの一人がいようと、もはや驚くことはないのかもしれない。
「デスピサロは宮殿の周りに結界を張って、そこで進化を続けています。宮殿周囲の4つの結界を破らぬ不思議な力があなたたちの行く手を阻むことでしょう。まず結界を破るのです」
静かにその天空人はマリアたちに告げた。
「マリアたちに神のご加護があらんことを!」
その天空人がそう言うと同時に、マリア達は先ほどの炎の発光のように、白い光に包まれた。それは、マリア達のそれまでの傷を十分すぎるほどに癒し、気力までも高めてくれる不思議な作用があるらしい。
「宮殿とか結界とか、全然まだそんなもの、見る余裕はなかったけど、とにかくその宮殿周囲の結界とかを破るのね。クリフト、馬車の中のみんなも、この癒しの力で回復してるのか確認してきてくれない?それによってどうするか考えないと」
「あ、はい」
少しばかりぼんやりした様子だったクリフトは、マリアにそう言われて慌てて祠から出て行った。数歩マリアが天空人から離れると、途端に天空人の姿はすっと炎に戻ってしまうことに気づき、マリア達は驚いて目を丸くした。
「・・・ここで、ずっと天空人の姿でいることは、無理なのかもね。なんだか、そういう気がした。ううん。そもそもこの炎だってここに本当にあるものなのか・・・」
「なんか言った?マリア」
アリーナはマリアの顔を覗き込む。ううん、なんでもない。そう答えてマリアは微笑した。
「祠の名まえを説明してくれるなんて、滅多にないことね」
くすりとアリーナはそう言って笑う。ライアンはそれに同意をしながら
「良い名まえではないですか。希望の祠・・・この、忌まわしい禍禍しい地に、この場所があるだけで、気持ちも大層楽になるというものですな」
「ね、わたし、今、ちょっと思ったの」
アリーナはにこりと二人に笑いかけた。
「希望の光って、今みたいな光なのかなって」
「おお、そうかもしれませぬな!」
元来感激屋のライアンはそう言ってアリーナに同意をした。マリアからすれば、その「白い光」は、天空城でも、天空への塔でも、あちらこちら天空にまつわる場所で見慣れた光だったけれど、アリーナ達の目から見れば確かに「希望の光」なのだろう。
「そのまじない石は、昔のサントハイムの人たちの思いの詰まった石だから、天空の力とは違うんだろうけど。でも」
「うん」
「きっと、光るわ。ううん、光らせよう。デスピサロを倒して」
マリアはそう言ってまっすぐアリーナを見つめた。その瞳の力は強く、彼女の思いの強さをアリーナは感じ取ったに違いない。
「そうね!行こう!」
「うむ。参りましょうぞ!」
クリフトを待ちきれず、マリアは炎に背をむけて祠から出て行った。アリーナとライアンもそれに続く。
−−わたしには、もうそんな希望はどこにもないけれど−−
それでも、サントハイムの人々を助けたい。アリーナに笑顔でふるさとに帰って欲しい。今はそう素直に思える。
自分の村の人々がもう帰らないという鬱屈した気持ちはまだあるのに、アリーナ達へのうらやましさが以前ほどわいてこないのはどうしてかしら。
きっとトルネコやブライにそのことを話せば
「マリアは、少し大人になったんだね」
と答えるに違いないのだが、その自覚がマリアにはない。よしんば、そう言われたらマリアは「大人になることが聞き分けがよくなるということならば。諦めが早くなるということならば。そうなら、大人になんかなりたくない」と突っぱねるだろう。
そんな自分の変化に戸惑いながらも、希望の祠を後にしてマリアは思った。
希望の祠。
いい名前だ。誰にとっての希望なのかはわからないし、少なくとも自分には既にないものだが、それでもいい名前だと思う。
その思いは、誰に告げることもなかったけれど。

Fin

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