預言−3−

村の奥にある林で長老が、夜明けの頃に魔法の修行をしていた。ドッセルさんと番を交代して家に戻る途中、出かける長老の姿を見つけて俺はそっと後を追った。木の陰から覗くと、長老は何度も何度も何かをぶつぶつ唱え、祈り、時には怒り声を抑えるように声を絞り、囁き、繰り返し何かを続けていた。
俺は魔法なんてものは使えないし、使いたいとも思わない。
長老はマリアに、ほんの簡単な退魔の呪文を教えた。マリアも、どうやら魔法を使うのはあまり得意ではないらしくそれの習得すら苦労をしていた様子だったが、長老が言うには「才能はある」んだそうだ。
長老は、自分が魔法を使う姿を人に見せるのは好きではないと言っていた。けれど、マリアのためならばと、長年自分の中で封印していたその力を、今一度使おうと思ったのだという。
村の外に出てから、幾人の魔法使いと俺は出会った。炎の魔法を使うもの、氷の魔法を使うもの、風の魔法を使うもの。他者を傷つける術をもたぬ魔法使いもいた。長老は、そのうちのどれなのだろうか。
「なんじゃ、めずらしいか?」
朝の冷えを気遣ってか、体を長い外套で覆った長老は、俺の気配に気付いて振り向いた。少しずつ顔を出してきた朝陽を遮らない角度から覗いていても、わずかに俺が動くだけで足元の草は軽い音を立てる。気付かないわけがない。
「そりゃ、めずらしいさ。魔法使いが、魔法の練習しているところなんて見たことないからな」
長老はあごしたの真っ白な長いひげを何度も何度も撫でながら、渋い顔で答えた。
「しかも、使えるわけがない魔法を練習しているんだから、たちが悪いぞ」
「は?」
「あまり近寄ると、わしの魔法がちょっとばかし成功に近付いたときに、お前が痛い目に合いそうじゃ。それ以上こっちに来てはならんぞ」
俺には、長老が言う意味がよくわからなかった。
使えるはずのない魔法?でも、成功に近付いたら俺が危ない?
「じーさん、なんの魔法の練習してんだ」
「お前に言ってもわからないじゃろうて」
「ちぇ」
ケチくさいな、なんて思いながら、俺は足元に落ちていた小さな石を軽く蹴飛ばした。すると。
「・・・わあ!?」
パチン。
蹴った爪先に、軽い痛みと共に小さな火花が散った。
俺は慌てて腰を落として、自分の足先を手で覆う。既に、そのパチパチした感触はどこにもなくなっていたけれど、正直、俺は肝を冷やした。
「近寄るなというのに。失敗しているうちに、そこらの石がなにやら帯電してしまったようでの」
「は・・・?」
「もし、マリアが本当の勇者であれば、この魔法をいつかは使えるじゃろう。わしは、そんなもんではないからこの魔法は使えぬわ。誰一人、マリア以外は。誰にも教えられずにそんな高度な魔法を突然体得することなぞ、普通はあり得ぬ。だから、誰かがそのための準備をしてやらねばならぬと思うての。唱えられずとも、何かわしがマリアに伝えられることはあるはずじゃ。それを、探しておるのよ」
「本当の勇者なら」
長老は、ふう、と深く息を吐き出し、肩を落とした。
「勇者のみが使えるとされた、雷を操る高度な魔法。ライディン。何故、他の魔法をおいてでも、これをマリアに教えたいのかお前にはわかるかの」
しばらくの間、俺は何も言わずに長老を見ていた。
長老はいたって真剣な眼差しで俺を見る。それは、「お前ならわかるはずだ」という意味が込められている視線だ。
マリアと同じく、俺も幼い頃から多くのことをこの老人に教わってきた。彼がこの視線を送るとき、既に俺の中には答えを持っているはずで、それに俺自身が気付いていないときだということを、経験から学習している。
「勇者と呼ばれる者は、魔物を追い払いこの世界を守るという。古文書には、わしでも読めぬ話が山ほど書いてあるが、中には解読できるものもあった。邪悪なるものが世界に現れるとき、勇者もまたこの世に現れるという」
長老は簡単にそう言うけれど、本当は「古文書の解読」にはえらく時間がかかったと俺だけは知っている。
この老人は、あの悲劇の日からずっとずっと、空に響いたあの声の主がなんなのかを知ろうとしていた。
マリアの母親のように翼ある者達が空に住んでいることはわかっている。では、あの声は?
もはや村の中にある書物は読み尽くし、唯一村の外に出ていた俺が「じーさんが読みたがるかな」と思えた本を・・・かれこれ、30冊くらいだろうか。それを持ち込んだ。
その中のたった一冊に、ほんの数ページだけ「勇者」の記述があったのだという。そこに、その「ライディン」について書いてあったに違いない。
そしてまた、もう一つ。こちらが本題だ。
じーさんは決して村の誰にも言わなかったが、おぼろげながらにわかったことがある。
あの悲劇の日、暗闇の中に響いた声。あの声の主は、どうやら「天空に住む竜の神様」と呼ばれるものだということが、古文書には記されていたらしい。
本を持ってきてくれたお前に言うことは筋だろうから。
そう言って、その話をしている間中、じーさんの表情はどことなく虚ろだったことを俺は覚えている。
決して自分達の手が届かぬところで「神」の名を冠して生きる者。知れば知るほどにその存在は遠すぎて、落胆の色は濃くなるばかり。
それらのことを知ったじーさんが、勇者の魔法とやらを。雷を操る魔法とやらを、何故マリアに教えたがっているのか。
その理由に思い当たって、俺は都合が悪いことを大人に言われた子供のように、眉をしかめ、駄々をこねるように長老に言った。
あの日、俺たちを悲しみのどん底に突き落とし、人間の無力さを見せつけたのは、一条の光。空を切り裂く雷。それを忘れるわけがないじゃないか。
「嫌だ。考えさせるなよ、じーさん・・・」
「醜いものじゃの、このおいぼれは」
「なんで、そんなこと俺に」
「ライディンさえ会得すれば、いつの日かマリアは、更に高度で、破壊力を伴う最強の魔法を操ることになるじゃろう。何者かを倒すほどの力を携えて、そのときマリアが何に向かうのか、我らは知ることはなかろうが」
「嘘だ。俺たちはもう知っている」
長いときを経て。
それでも、誰の傷も癒えていないのだ。
俺は、目の前の老人のことを考えた。
俺にとってのこの10数年は、今までの人生においての半分の時だ。生の半分の時間をかけても、あの時のショックは忘れることができない。
そして、この老人にとっては、人生においてこの10数年なぞ、ほんの5分の1、6分の1、わずかな時。
相対的なその数字は一見意味がないように思えるが、ならば、人間はどうして「年をとると時間がたつのが早い」なんて言うんだろう?「若い頃の傷はすぐ癒える」なんて言うんだろう?
そうだ。この老人の体感は、俺の感じるそれよりこの10数年は早く、そして、重ねていた年齢ゆえに傷も癒えにくいのだ。
たとえ、あの時、預言を受け入れ、何の抵抗を出来なかったとしても。
「・・・同じ力を、マリアが持てるってのか。あの、空からの」
長老から返事はなかった。
「それは、誰のための力だ、じーさん」
「それを決めるのは、マリア本人になろう」
「・・・そうだな」
「なにせ、マリアは過去のことを知らぬ。ただ、わしは、あの子がいつの日か・・・」
「ああ、そうだな。そういうことも、あり得るしな」
いつか、その力を欲することがあれば。それは、「邪悪なる者」に向かう時ではない。いや、そうであってそうでないと言えばいいのだろうか。もしも、「あの」巨大な力と立ち向かう時が来たならば。
長老が、村のみんなが、まだマリアに本当のことを言わないのは、この幸せな時間をいつまでも続けたいからだけではない。
あの少女は気持ちがまっすぐで、色んな物事を常に追究しようとする。だから、あの顛末を今知ってしまえば、取り返しがつかないことをしでかすに違いない。
今はまだ、早すぎる。彼女は、今はまだ「勇者」ではない。勇者に必要な力を吸収している、ただの少女だ。感情に動かされ、己の力を見失いがちな、若さに満ち溢れた少女なのだ。
だから、言わないし、言えない。それでも、長老は、その「準備」だけはしておきたいのだろう。
「醜くないよ、じーさん」
「・・・」
「俺がじーさんでもさ、おんなじことするかもしれないし」
長老の言葉の意味が、ようやく俺にはすべて理解が出来た。
本当は、長老は、あの出来事に、心からの怒りや自分への不甲斐なさや、そういう、とにかくやるせない気持ちをずっとずっと抱いていたんだろう。推測だけど。
だけど、俺たちには力が足りない。
もし、万が一、あの時、おじさんの命を奪った非道な存在と対峙出来るとしたら、それを成し遂げるのはマリアだろう。
だから。あの、可愛らしい少女に、復讐の手段をひとつでもふたつでも。
「でも、頼むから、もっと違うこと言ってくれよ。もっと取り繕ってくれよ、じーさん・・・。そんな後ろ向きな望みを、願いをさあ、あの子に背負わさないでくれ」
「だから」
「・・・」
「決めるのは、マリアじゃて。わしは、何も言わぬ。時が満ちれば知ることもあるだろうし、それでも、もしかしたら一生あの声をあの子は聞かないかもしれぬ。古文書に書いてある「邪悪なる者」は、魔物を従えているというし、空のものではなさそうじゃ。しかし、あの声をまた聞くという可能性を最も持つのは、マリアだと思うての」
朝を告げる鳥が、ばたばたとけたたましい音を立てて羽ばたき、空を駆け抜ける。
俺は少しだけ長老に近付いた。ばちん、と帯電していた何かがまた、俺の体に放電をする。
その痛みを痛みと思わないほど、俺は目の前の老人のことを哀れに思い、何度も呟いた。
「あの時、じーさんが何も出来なかったこと、誰も怒っちゃいないよ。あれは、どうしようもなかった。じーさんは、悪くない。じーさんは、何も悪くないよ」
俺は、目の前の長老の体が、思いのほか小さいことに驚いた。
10数年の年月、一体俺は何を見ていたのだろうか、と不甲斐なさすら感じる。
長老は、はっきりと俺に言った。顔はしわだらけだけれど、しわに囲まれたその瞳は力強く、生気に満ちている。人を生かすのは寿命だけではなく、心の生命力なのだと俺は思う。そして、この老人にはそれが溢れていた。
「おいぼれはおいぼれなりに、役割がある。わしは、最後の預言の行く末を見守るまでは、死ぬわけにはいかないのじゃ」
そういって俺に背を向け数歩進むと、彼は再び魔法の詠唱を始めた。もしも、俺がじーさんと同じ時代を同じ年齢で生きたなら、親友になったんじゃないのかな、なんてことを思いつつ、俺もその場を離れようとした。
その時
「この村には、子供があまりいない」
長老は背を向けたまま呟いた。
「そうだな。俺だって、同い年ぐらいの相手いなかったしさ」
「お前の父親が他界しなければ、もう1人2人生まれたじゃろうな。お前の嫁となるおなごすらいないしの」
「俺は、いざとなったら外で探すからいいよ」
多分、そういうことを言いたいのではないだろうと薄々感づいたが、俺は軽くそういってかわそうとした。本当は俺が言った内容も、「外の血を入れるというのか」と怒られるような内容だ。だが、長老は俺の言葉なぞ気にもしてないように
「マリアがいて、この村は活気付いた。子供がいる村というものは、いいものだ。閉ざされた村はやがて枯れてしまう。たくさんの意味でマリアは、わしらを救ってくれている。わしは、心底、あの子が可愛くてしょうがない」
「・・・知ってるよ」
よく、知っている。
だからこそ、それ以上聞きたくない。
みんなみんなあの子のことが大好きだ。マリアはとても可愛らしく、とても優しく、とても強い女の子だ。そして、隠そうとしても隠し切れない、若さという武器を彼女は持っている。まるでこの村を活性化するように。
なのに、俺たちはその子に、剣を教え、魔法を教え、戦う手段を叩き込んでいる。何かの命を奪う方法を、その身につけさせている。
俺たちは、あっけなく1人の男を葬り去ったあの声を許さない。けれど、俺たちもまた、許されないことをしているのではなかろうか。
その思いから逃れるため、言い訳をするためにあの子を愛しているわけではないのだけれど、時々どうしようもないほど苦しくなる。
この10年以上の年月。
俺たちの生活、俺たちが囚われていたのは憎悪ではない。愛情ゆえの苦しみがそれを凌駕し、常に満ち溢れていたのだ。

その日は、空が見事に晴れ渡った、気持ちの良い日だった。
あの日と同じように、村には洗濯物を干すおばさん達の姿が見られたし、呑気に池で釣りをしているおじさん達もいた。
村の入口ではドッセルさんが立ち話をしていたし、長老は朝から相変わらず元気そうに見えた。
結局長老はライディンの魔法を会得は出来なかったけれど、その原理だけはマリアに伝えようと決めたらしい。他の魔法をあまり覚えていないマリアには荒療治だが。
「宿屋にね、道に迷った旅の詩人が泊まったそうだよ」
朝、出掛けに母ちゃんが心配そうにそのことを話してくれた。
珍しいな、という素直な気持ちに留まらず、その話は俺の勘に触った。気に入らない。その気持ちが表情に出たのだろう。母ちゃんはため息をつきつつ
「まあ、ね、また、記憶をなくさせるつもりなんだろうけどねえ」
と言い訳のように付け加えた。その役目はいつも長老なのだけれど、そろそろ誰かが役目を交代した方がいいのかもしれない、とも。
俺は、昼飯前に村の中を呑気に歩いているマリアとちょっとだけふざけあって、彼女の様子をうかがった。
今日、ライディンの呪文を教えてもらうと知っているはずの彼女は、案外と冷静で、普段と変わらないようだ。俺や長老の気持ちを知らない彼女は「へえ、勇者の呪文。すごいのかなあ」程度にしか思っていないに違いない。彼女は、それでいい。俺たちの中にある醜い期待なんてもんは、ただのエゴだ。
「あ、そうだ、ドッセルさんに脛当て・・・」
金属で作られた脛当てを、ドッセルさんの脛に合わせて革バンドを昨晩俺がとりつけた。それを渡しに行こうかと歩き出した時。
「魔物だ!魔物が押し寄せてきたぞ!」
村の入口辺りから、誰かの叫び声が聞こえる。
その瞬間、村全体の空気が張り詰めたように感じた。

時が、来た。あまりにも、突然。

続けて、誰かの悲痛な叫びが響いた。それは、今までに聞いたことがないほど凄惨な、死の恐怖が形となって現れた声。多分、ドッセルさんの声だろう。そちらに走り出したい衝動に駆られたが、俺は頭を振って踏みとどまった。
違う。俺の役目はそれではない。
「お前は、マリアちゃんを!」
家から出てきた母ちゃんが俺に叫んだ。
そんなこと、言われなくてもわかっている。
「くそ・・・魔物どもめ・・・ついにマリアの居場所をつきとめたか!」
いつか来ると思っていた。わかっていた。一体誰がどういう形で、マリアに「今こそおまえは勇者となって、その殻から出て行くのだ」と通告するのかと、誰もが怯えていた。時が満ち、彼女の仲間たる人物が迎えに来てくれたら、と望んでいたのだけれど、それは、最悪の形で恐怖と共に押し寄せてきたのだ。
その時、狩りから戻ってきた一人のおじさんがマリアを俺のもとへ連れてきた。
「せ、先生、ど、うしたのっ・・・」
よし、剣は持っているな。いつものように、腰に道具袋はつけているな。
俺は、マリアが身につけているものを確認した。
「・・・もう少し時間があればマリアを立派な勇者に育てられたものをっ・・・ついてこい、マリア!」
マリアは、すがるような瞳を俺に向けた。それは、命の懇願などではない。
何が起きたの。どうして、勇者であるわたしは戦ってはいけないの。
誰よりもこの日の覚悟がなかったであろうマリアは焦り、けれど、「村のみんなは知っていた」ということをかぎつけていた。それゆえの混乱だ。
俺はマリアを村の奥にある地下倉庫に連れて行った。万が一の時のために、と村人達が試行錯誤して「みつからないように」作られた倉庫だ。入口は草むらに覆われ、そんじょそこいらではみつけられないようになっている。
途中、マリアの義父は、マリアについに「自分達は本当の親ではない」と打ち明けていた。
マリアは更にその言葉で混乱し、魔物の来襲という恐ろしい出来事以上に動揺を見せた。それを、俺は見て見ぬふりをしたまま走り続け、彼女は懸命に俺を追いかけた。
倉庫の奥に辿りついた時、俺はようやく彼女を向き合った。
「いいか、よく聞けマリア。魔物どもの狙いはお前の命。 魔物どもはお前が目障りなのだ。 お前には秘められた力がある。 いつの日かどんな邪悪な者でも倒せるくらい強くなるだろう」
そっと、立ち尽くすマリアの両肩に手を置いた。まだ、成長しきっていない、細い肩。それが小刻みに震えているのは、寒さのせいでもなければ、村に押し寄せた魔物への恐怖ではない。
何が起きているの。何を言っているの。
自分が今まで生きてきた当たり前の世界が、村のみんなによって作り出されていた幻影の世界と彼女は知ってしまったのだ。
自分だけが知らない。みんなは知っている。何故こんなに手際よく、皆は自分をこの倉庫に隠すのか。
そして、自分は今、勇者としては何も役に立たないのだと、勘の良い彼女は気付いている。まだ、彼女は未熟で、「勇者」であって「勇者」ではない。それを誰よりもわかっているのは、マリア自身だ。
だからこそ、この事態を飲みこめず、混乱をしている。
「今のお前はまだ弱い。 とにかく逃げて生きのびるんだ」
「せ・・・」
先生、と言いたかったのだろうと思う。
俺は、マリアの両肩に置いた手に力をこめた。それから、とん、と彼女の眉間を指で軽く突く。マリアは目を見開いたまま、ぴくりとも動けなくなり、その場で彫像のように硬直した。
魔法を使うことは俺には出来ないが、一時的に金縛りにあうように催眠術をかけることは出来る。こうでもしなければ、マリアは、混乱しつつも自分も戦おうとするだろう。
本当は、眠りに落ちる魔法を知っていればよかった、と今更ながら後悔をする。
もっと、たくさん言いたいことはあった。伝えたいことはあった。
俺が、運良く「もう一度」がある人間なら、きっと戦いの後でマリアに伝えられるだろう。
未練を断ち切るように俺はマリアに背を向け、走り出した。時間がない、と俺の勘が告げている。
倉庫の階段を昇りきると、シンシア−マリアと仲がよいエルフの少女だ−が入れ替わりのように息を切らせて走ってきた。
「みんなが」
「ああ」
「消えていくの。炎に焼かれて。魔物に囲まれて、刺されて」
彼女は早口で冷静に俺にそう告げた。
心が揺れていないはずがないのに、彼女はとても静かだった。
村の中心には黒い煙があちこちに立ち上がっていて、まだ魔物に立ち向かっている誰かの叫び声−耳を被いたくなるような凄惨な−が俺の鼓膜を震わせた。
「・・・先に行く。出来れば、お前には来て欲しくない」
「少しだけ、時間を稼いで。別れを済ませてくるから」
「シンシア」
「わたし、この村で、マリアといられて、本当に幸せだった」
そういうと彼女は素早く倉庫への階段を降りてゆく。
「・・・俺だって、そうだ」

翼ある者が残す、生きる地を持たぬ者

この地を殻としてその力熟す時、大いなる加護を受けた剣を持ちて、世界を救いし勇者となる

守りたまえ、守りたまえ、守りたまえ

その者に、すべての力を与えたまえ

愛をもってして

彼女の力は熟していない。まだ勇者になっていない。
けれど、殻は魔物の無慈悲な手で破られるのだ。
俺たちは全てをかけて、マリアを守る。この10数年、全てをもって、マリアを育ててきた。そして、何をおいても、マリアを愛してきた。
この村で唯一の、いつか、この地を去る彼女のために、共に生きる時間の全てをみんなみんな彼女に注いできた。
けれど、彼女が熟す姿を見ることは、俺たちには出来ないのだろう。

「生き残りはお前だけか」
俺の前に、立った男は、手の中に黒い消し炭を握り締めていた。そいつの後ろには、ざっと見て10体ほどの、見たこともない魔物達が控えている。
「確かにこの村には勇者がいるらしいな。この世界にそうそう、ライディンの詠唱を知る者なぞ、いないと思っていたが」
そう言って忌々しそうにその男は、消し炭を地面に放り投げた。
「じじいも本望だろう。自分が呼び寄せた雷で死んだなら。自分を掴んでいた魔物何匹かも道連れになったことだしな」
じーさん。
俺は、地面に撒かれた黒い炭のようなものを見た。
多分、これは長老の変わり果てた姿なのだろう。
長老は、ライディンの魔法を唱えたのか。この男はライディンが勇者の呪文だと知っている。きっと長老は、もし、ライディンが成功すれば、自分が勇者だとやつらが思ってくれるのではないかと、一縷の望みをかけたに違いない。
村のあちこちから、焦げ臭い匂いと血の匂いが漂ってくる。母ちゃんは、きっともうこの世にはいないんだろう。苦しかっただろうか。俺のことを、最期に思っただろうか。母ちゃんを守らずに、マリアのもとにいた俺を、恨んだだろうか。
「勇者は、どこだ」
「そんなもん、ここにはいない」
「いいや、いるだろう」
「いない。だって、そんなものがいたら、お前達のことを倒してくれるだろう?」
「馬鹿馬鹿しい。とんだ茶番だ」
その男が背を向けると同時に、周囲にいた魔物達が一斉に俺に向かってきた。

俺は、魔物達をなぎ倒しながら、あの日、あの悲劇を巻き起こした、空からの雷のことを思った。
あれほどの力があれば、こんな魔物達、いくらでも殺せるんだろう?空にいる、あの声の主は。
マリアが立ち向かうのは、この魔物達なのだろうか。この、禍々しい男なのだろうか。誰も、あの不遜な声の主に、あの悲劇の真理を突きつけてくれないのだろうか。
「しぶといな。おい、本当はお前が勇者なのではないのか」
男の声が聞こえる。
既に俺にはそれに答える余裕なぞない。ただ、向かってくる魔物に対して、体が勝手に動くにまかせるだけだ。
気がつけば、体を切り刻まれながら、魔法の力で焼かれながら、俺は泣きながら剣を振るっていた。その涙の素は、死への恐怖ではない。
じわじわと迫り来る、自分の生命の火が消える時。体をこの空気に晒しているだけでも俺の命はもう磨り減って、今にも消えてこの世界からなくなりそうな気すらする。そんな中で、突如俺は。
何故、あの預言が最後の預言なのかを、理解した。

わたしを受け入れてくれた村人達のために、わたしが出来る唯一のこと。
息絶えるまでに夢に見たことを書き綴る。ただ、ひたすらに。

今日、ここで、この村はこの世から消えてしまうのだ。
預言者がこの村を離れたから、預言が途絶えたのではない。村の歴史が、ここで途絶えてしまうから、あの預言が最後の預言なのだ。
この村の滅びの時、それが今なのだ。
何故、そんな簡単なことに気づかなかったのかと、最後の最後で自分に落胆しつつ、抗えない事実の無情さに涙が止まらなかった。

ああ、マリアよ。

剣を振るいながら、ただただ俺は祈った。
俺たちが大事に育ててきた、まだあどけなさの残る緑の髪の少女。
お前は、みんなの愛情を一身に受けて育ったはずだ。そして、聡さ故にそのことをよく自分で知っている。
そんなお前があの薄暗い倉庫から解放され、この村の滅び行く様を目の当たりにしたとき、一体どうなってしまうのだろう。
俺たちがあの日から囚われた感情を、お前がまた同じように囚われるのではないかと思うと、死にゆくことよりも恐ろしく思え、心が痛む。俺たちがお前に注いだ愛情が、お前にとっての憎しみに転化しないことだけを願おう。
今、殻は、黒く忌まわしい爪によって引き裂かれ、お前は壮大な世界へと出て行こうとしている。
預言の書は開かれることは二度とないだろう。
この村は滅び、お前の心の中だけの存在になるのだから。



Fin
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モドル