激昂−3−

馬車の外で、マリアはパトリシアの脇腹を何度もなでていた。
この地底にいることが嫌で嫌でしょうがない・・・パトリシアは始終落ち着きがなく、それこそ、マリア達が姿を見せていなければ、勝手に走り去りそうな勢いだ。
「大丈夫よ、パトリシア。何があっても、みんな、あなたを守るから」
聡明なこの馬は、時々、言葉を完全に解しているのではないかと思えることがある。それゆえに、ついついマリアは話しかけてしまうが、実はそれはマリアに限ったことではない。
「マリアさん」
「クリフト?」
馬車の中からクリフトがひょい、と出てきた。
「姫様は仮眠をとっていらっしゃいます。ブライ様は、なにやら魔導書を調べていらっしゃるようで」
「ああ、ギガデインについて、ちょっと調べるとか言ってたわ。じゃ、わたし達で、外は見張ってよっか」
「はい」
アリーナが不思議なタイミングで仮眠をとることは、少なくない。
彼女は基本的に体力も気力も常に高いレベルで保っているけれど、こういう、ふとした時にかなり気ままに仮眠を取る。
彼女は戦闘では誰よりも動き、誰よりも自分の全身を使っている。だから、誰よりも自分の体を大切にしなければいけないのだ、とマリアは思う。
武闘家というものは、自分の体の声を聞き、自分の体に対して時に厳しく、時に甘やかすものだとライアンが教えてくれた。
だから、アリーナが仮眠をとりたいと思ったときは、それが、彼女の体にとってはまったくのベストなのだ。
それを知っているから、マリアもあっさりと了解をする。
普通であれば、こんな状況で寝ていられるとは、なんと豪胆かつ無責任と思うことだろうが。
「御者台にあがりますね。パトリシアは、その方が落ち着くようですから」
そういいながら、クリフトは御者台に足をかける。それにマリアは頷いた。
「ああ、そうかもしれないわね。じゃ、お願いしようかな」
手綱こそは握らないが、クリフトは1人で御者台にあがって腰を下ろした。マリアは体重を預けるように、御者台に横からもたれかかってクリフトを見上げる。
「先ほどは、天空の剣に助けられましたね」
クリフトは、マリアを見下ろしながら優しい声音で言った。
「そうね」
「解呪の力があるとは、驚きました。素晴らしい剣ですね。デスピサロを倒すに相応しい剣に思えます」
「そうねえ。デスピサロ相手なら、この剣でもいいいんだけど・・・」
そこまで言ってから、マリアは肩をすくめた。
これ以上は言ってはいけない、特に、今は。そう気付いての動きだ。
が、クリフトはさすがにここまで来れば、相当に耐性は出来ているようで
「・・・本当にあなたが倒したい者に対しては、不十分なのでしょうか?」
「そういうこと」
彼女が途中で止めた言葉を、さらりと先回りしてしまうクリフト。諦めたようにマリアは答える。こんなやりとりにも慣れてしまった。
自分達はまだ大人ではないけれど、子供はどんなに小さい時でも子供同士の秘密を持っているものだ。その秘密を重ねてきてしまった結果が、今の彼らの会話なのだろう。
「でも、今はデスピサロのことだけを考えないといけないから、止めておくわ」
「わたしも、それ以上は今は伺いたくないと思えます」
クリフトはそういって、苦笑いを見せた。
「ロザリーさんを人間に襲わせたのがエビルプリーストだと・・・もう、そのことだけで、頭がいっぱいで。情けないと自分でも思うのですが。あまりにも痛ましく、無力な自分が恨めしいです」
「クリフトは、優しいのね」
「からかっていらっしゃるのですか」
「違う違う。ほんと、そう思ったのよ。わたしは、それに比べて、薄情だなぁーって」
「マリアさんが?」
「うん。もう、わたし、ロザリーのことで気持ちが揺れてる暇、全然ないの」
クリフトは、そのマリアの言葉をどう解釈してよいのか戸惑い、けれど、彼なりに言葉を返した。
「デスピサロを倒すことだけを・・・ということですか?」
「うーん。でもね、正直いうと、そうでもないの。だって、クリフト」
マリアは、御者台の上にしなだれかかるように、肘を乗せた。
クリフトの足元付近にマリアの肘が乗り、その上に軽くあごを置かれる。
上から見下ろせば、それは大層可愛らしい様子−とマリアに言えば、即座に止めてしまうだろう−で、クリフトはわずかに口元を緩めた。
しかし、そんな思いは、またも、次のマリアの言葉で消し飛んでしまう。
「わたしがやるべきことは、とっくに決まっていたから、今更、デスピサロのことだけを考えるだけで、いっぱいいっぱいにはならないわ。表向きは、そうしておこうかなーとは思うけど」
「・・・じゃあ」
それ以外のことを、今、考えているのか。
ロザリーのことで、心が乱れていた仲間達には「デスピサロを倒すことだけを考えよう」とマリアは告げた。
みな、それを受けて「そうだそうだ」と気を引き締めた。謀略への怒りと悲しみに、誰もが揺れそうだった、いや、揺れていたクリフト自身も、マリアのその正しい言葉で気を引き締め直すことが出来たのだ。なのに、彼女自身は。
「おかしくないでしょ?だって、クリフト達だって、デスピサロを倒すことを考えながら、どこかでさ、サントハイムのことも考えているでしょう?」
確かにそれはそうだ、とクリフトは黙り込んだ。
実のところ、四つの結界を解かなければ、目の前の禍禍しい城に入れない・・・と知ったとき、クリフトとブライは、サントハイムのことを考えていた。
まじない石によって護られて、まるですべての人々を別の空間に封印しているように思える、サントハイム城。
結界が破られて城に侵入できたように、デスピサロを倒すことによって何かが解かれ、サントハイムの人々が戻るのではないか。
そう思えば、自分たちもまたマリアのように、デスピサロを倒すこと以外に、考えてしまうことは山ほどある。
では、マリアは何を考えているのだろう。
「だって、デスピサロを倒すことなんて、今まで数え切れないほど考えてきた。今更、デスピサロを前にしない状態であいつのことをあれこれ考えることなんて、何ひとつないわ。ただ、デスピサロが強く進化したか、していないか。それしか違いはない」
そういったマリアは、クリフトを見ていない。その瞳は、まるでそこには存在しない何かをみつめているかのように、憂鬱に感じる地底の空気だけを映しているようにクリフトは感じた。
マリアは、クリフトに背を向けて少しばかり歩き出す。
そう遠くへ行くつもりはなかった。
けれど、今、あまりクリフトと話をしては、彼を余計に苛立たせたり、悲しい顔をさせてしまう。そう思ったからだ。
「マリアさん、あまり馬車から離れては」
「大丈夫。ちょっと、散歩したい気分なの・・・って言っても、馬車が視界から消えるような場所にはいかないわ。安心して」
「わかりました」
少しばかりクリフトが心配そうな声音で答えたことをマリアは知っている。
それでも、今は、少しだけ一人になれたら、と思い、それ以上はクリフトを見ないようにと努めた。
彼のその困り顔を見ては、申し訳なさに耐えられないだろうから。



あの日まで。
デスピサロを倒すことは、あの、優しかった人々の命を奪った虐殺の復讐そのものであり、かつ、真の復讐のための足がかりだった。
それ以外の意味はなかった。
たとえ村人達が「世界を救う勇者」としてのマリアをかばって命を落としたのだとしても、それに応えるためだけに、世界を救おうなんてことは彼女にはどうしても思えなかったのだし。
けれど、あの日。

「例えばこのルビーをわたしが持っていって。売って、お金に変えて、そして・・・デスピサロを殺すための武器を買うのだとしても?」

人間が手にすることは本来出来ない、あの涙のルビー。
それをマリア達は手にしていた。それは、ロザリーに「許されている」という証だった。

「それを、あなた方がお選びになることでしたら・・・それでも、結構です・・・」

たとえ、そのルビーを売って、デスピサロを殺す武器を買うと言っても、あのエルフの気持ちは折れなかった。
それを、マリアは知っている。

「・・・あの方を、止めてください」

か細い声が、その声音からは予想がつかないような、残酷な言葉を紡ぎだす。

「たとえ、それがあの方の命を奪うことになったとしても・・・」

あの日、あの、何一つ出来ないエルフとマリアは約束をしたのだ。それは、弱弱しくうな垂れたその姿が不似合いなほど、強い意志の力を持って。
あの時から。
マリアは一時足りと忘れることなく、その約束を固く心に刻み込んでいた。
そんな約束がなくとも倒すつもりだった。けれど、そこに発生した約束は。
ロザリーにとっては、身を引きちぎられるよりもつらい約束だったのだとマリアは思う。
あのか弱いエルフは、1人では生きてはいけない。デスピサロを失っては、どう生きていけばよいか、途方にくれ、路頭に迷うだろう。
そして、自分の言葉通りにマリアがデスピサロを討ったとしたら。
命尽きるときまでに、悔恨の想いを自ら背負い、それはあまりにつらい人生になるのではなかろうか。
それだけの覚悟をあのエルフがしていたのだと、マリアは知っていた。
なぜならば、マリアもまた、何の目標なくして生きていくことが辛いほどの悔恨を背負って、ここまで来たのだから。
もはや、果たしても、報告する相手はこの世にいないけれど、マリアはロザリーとの約束を守る、と強く思い続けていた。
それは、ロザリーを哀れんだわけではない。同情をしたわけでもない。
ただ、彼女は「同じだ」と強く思っていたのだ。
そうだ。同じだ、と彼女は確信していた。
それは、自分とロザリーが、とか、自分と他者が、という単純な、個体と個体の質の問題ではない。
形は違っても、あれも、これも、何もかも似ている。目の前にある、容易に理解出来る事象だけでは見えてこない、もっと大きな何かが、似ているのだ、同じなのだ、とマリアは確信していた。
それが、彼女の感じた「来る」であったと、誰が知ることが出来ようか。

(ねえ、クリフト。似てると思わない?)

答える人間が目の前にいない問いかけを、マリアは心の中で呟いた。

(自分の手を汚さず、「人間」という憎悪の対象にロザリーを殺させることで、デスピサロを怒らせて、進化の秘法を使わせて。それは、何かに、やり口が似てない?)

多分そう言うと、クリフトは表情を翳らせるだろう。そういう時の彼を、マリアはよく知っている。

(エビルプリーストも、空の神様も、考えることは変わらない。そして、やったのが、人間か、デスピサロか。その違いで、今の、デスピサロとわたしがいるってわけね)

罪もなく殺されたロザリー。
罪もなく殺された村の人々。
それは、人間への憎悪をつのらせるために。
それは、デスピサロへの憎悪をつのらせるために。そして、己の未熟さを知らしめるために。

何も何もしてくれない、空の竜の神様。
けれども、知っていた竜の神様。
「木こりは雷に打たれ死に」
「天女は天空に連れ戻されて」
思い出される、どこかで聞いた昔話。
では、何故、その時に子供は下界に残されたのだろうか?
罪を犯したのは両親であり、子に何の罪もないからだろうか?
それでは、何故、罪もない子供から、両親を奪うことは許されるのだろう?
違う。それは、初めから。

「デスピサロは、進化の秘法という、自分のものではない力を手にしたわ。わたしも、この天空の剣に、自分のものではない力を与えられた。そんなところまで、なかなかいい勝負よね」

それは、明確に彼女の口から出た言葉。
口から出たその声は、彼女の耳に戻ってきて、鼓膜を、心を、更に振るわせる。
地底の、ふさがれた空に向かって伸びている黒い木々。それらが形成している禍禍しい森が、マリアの目の前に広がっていた。
あまりに恐ろしく思えて、そこへ踏み込むことは出来ない。
自分達がいられる空間は、希望のほこらからそう離れない、この地底のほんの一部であることを、マリアはなんとなく気付いていた。
その、気味の悪い、黒い塊に見える木々。
それらを見つめていると、様様な形に見えてくる。
暑い、とマリアは思う。いや、正確には「熱い」なのかもしれない。
マリアの頬は赤く紅潮しており、唇は噛み締められている。
泣く前兆ではない。
彼女は、体の中、心の中に溜まっている何かを、外に出さないように出さないようにと戦っているのだ。
けれど、抗いきれずに漏れてしまう言葉、思い。
「そうやって、誰かを煽って、踊らせて、何もかもを奪って、失わせて。そこに残るのは、何者かへの、憎しみだわ。醜くて、醜くて、正視できやしない・・・!!」
そう呟くと、マリアはぎり、と更に下唇を強く噛み締めて、表情を歪めた。
(どう考えても)
(シンシアは、天空城から、わたしを守る為に下界に下りたんだ。いつか来るときのために)
それが、マスタードラゴンからの命令なのか、それとも、シンシア自身の意志かはわからない。
けれど、この旅の終焉を迎えようという今、マリアはそのことをいやというほどに感じてしまった。
エビルプリーストの謀略。
それは、竜の神の謀略と、なんら変わりはないのではないか。
そう気付いてしまった今、マリアは体内の血が沸騰しだしたのではないかと思うほどの、妙な熱を感じていた。
それは、背に翼が生えかかった、あの高熱にうなされたときの熱さに似ている。
その時。
ぱちん、と耳障りな音が、マリアの耳元で響いた。その音は、一回ではなく、何度も何度も繰り返され、マリアを不快にさせる。
ぱちん、ぱちん。
それは。
エビルプリーストに対して、彼女が怒りを露にしたときに、突然姿を見せた火花たち。
「・・・!?」
そう。ギガデインのもとになる、雷の子供達。
それらが、まるで踊るように、ぱっ、ぱっ、と時折花を咲かせては消え、咲かせては消えていく。
耳元で聞こえるその破裂音は、どんどんその周期を早くしてゆく。
マリアは、それを止められない、と直感した。
まるで、彼女の体の熱さに呼応するように、憎しみが姿を変えたように、異様な火花が彼女の体を包もうとしていた。

「マリアさん!!」
背後から、クリフトの声がする。
そちらを振り向くことが出来ず、マリアは、自分の体を覆っていくその火花を、まばたきもせずに見つめる。
そうだ。先ほど、ギガデインを行使したときだって、あれはマリアは正しく制御できていなかった。
だから、ブライにも怒られたではないか。
そして、今もまた、彼女の制御とはまったく関係なしに、肌の産毛すら逆立つように彼女の体は雷の素で覆われている。
「怒りに任せて・・・怒りを抑えきれずに、いたずらに力を使っては、いけません!!」
「・・・何も、わたし、スペリングしてないのよ?なのに、集まってくるわ・・・。所詮、わたしは、怒りでしか、この魔法を行使できないのかしら?」
「そんなことは、ありません!マリアさん!」
クリフトの言葉に、マリアの瞳が潤んだ。
いけない、水は、電気を通す・・・そんなことをマリアは思い、そして、自分の愚かさに舌打ちをした。
自分にとっては、関係がないのだ。そんなことは。魔法を行使する人間は、基本的には自らの魔法では傷つかない。跳ね返されたり、初めから目標物が自分自身の時以外は。
そんな当たり前のことすらわからなくなるほど、自分はどうかしているのだ・・・そうマリアは思った。
「マリアさん、体の周囲に集まっています。散らして・・・」
御者台から降りて、クリフトが走ってくる音が聞こえる。少しずつ近付くその声におびえるように、逃げるようにマリアは早足で動き出した。

いけない、わたし、さっきみたいに、体を覆うように力が大きくなっていく。溜まってゆく。
これはどうしたらいいの。

「・・・駄目、クリフト。もう、わたし」
「・・・ブライ様!ブライ様!!来てくださいっ!!」
そのクリフトの声に、ブライが反応して出てきたのかどうかは、マリアにはよくわからなかった。
ただ、自分の周囲にまとわりつく火花達をどうしてよいかわからず、けれど、心の揺れを抑えることも出来ず、叫ぶことしか出来ない。
「今、わたし、どうしようもないくらい、憎くてっ・・・!!」
「あなたが、その力を使う相手は、ここにはいません!マリアさん!」
そう言いながら、クリフトはようやくマリアに追いついた。
クリフトはマリアに手を伸ばしたが、ばちん、と弾かれるようにマリアの周囲の火花から攻撃を受ける。
「っつ・・・!!」
手を引っ込めるクリフトを振り返って、マリアは眉根を寄せて叫んだ。
「何を言ってるの、クリフト!!いるじゃない!」
「!?」
「いつだって、いつだって、わたしは、わたしと一緒にいるじゃあない!!」
「・・・!!」
マリアの激白に、クリフトは身を強張らせた。

(マリアさん)
その時、彼が思い出したのは。
あの、エンドールの薄暗い教会の中で。

・・・つらい、んじゃないの。クリフト。

憎くて憎くて、仕方がないのよ、わたし、自分のことを。

世界を救うはずの勇者は、村人全員の命と引き換えに、こうやってここに生きているわ。

何故彼女が自分自身を憎まなければいけないのか。
今の今でも、クリフトにはやはり合点がいかない。
自分がいたから、村人が死ななければいけなかったから?
自分が、村人達を助けられなかったから?
多分、それは要因の一部ではあったかもしれないけれど、この長い旅の末にも、クリフトは未だ判断しかねる部分だ。それは、彼女の心の奥底にある、もっとも理解することが難しい深い場所に、いつでも密やかに煮えたぎっている感情なのだろう。

こういうときのマリア、怖いの。

アリーナが言い当てたそれは、きっとクリフトが「わからない」と気付いている、その部分なのではないか。

憎くて憎くて、仕方がないのよ、わたし、自分のことを。

「マリアさん!駄目だ、大きすぎます・・・っ!!」

勇者の名において。
裁きの暗雲は空を覆い、邪悪なるものを雷の力で焼き払う。
その黒雲を彼女は作り出すことが出来ていない。
ただいたずらに、自分自身を核にして、雷の層を身にまとっているように見える。

「いや・・・・!!!」

放電する、とマリアは感じ取った。
それは、先ほどギガデインを行使したときの感触。
あの時は「これが、ギガデインだ」と、自分の体の中の声を聞いて、最後には目標となるエビルプリースト達に運良く座標を合わせることが出来たけれど。
今は、雷の制御が出来ないまま、自分の体から、集まった火花達が離れていく感覚に襲われた。
その、行き場を無くし、空から降るために一度天へ−天なぞ、この地底にはないのだが−吸い込まれるように登っていく雷の素。
それらは、一体、どこに降り注ごうとしているのだろうか。
いや、そのような問いかけは無意味なほどに、あまりにも早く彼女の目の前で結果は出た。
ぴしゃぁん、と地面に吸い込まれていく雷の束。
地面の更に下のこの地底の、それでも、また地面に向かい、光は落ちてくる。
ご、ご、ご、と軽い地鳴りが響き、パトリシアが軽くいななく声が離れた場所から聞こえた。
次の瞬間。
地面に打ち込まれたその雷は、衝撃をすべて吸収されたわけではなく、地を伝い、マリアの足から彼女の体内を−−まるで、骨の芯まで−−揺さぶるように響いた。
じん、と体がしびれ、耳の奥にぼんやりとした膜がかけられたような感触を受ける。
けれど、自分へのそんな衝撃よりも。
「クリフト!!!」
マリアは、目の前でクリフトが、どう、と地面の上に倒れこむ姿を、まばたきひとつ出来ないまま凝視していた。声一つあげることなく、彼の全身からは力が抜け、普段ではありえないような妙な形で地に横たわる。
「クリフト!クリフト!!」
ひきつった叫び声。
何度も、何度もその名を呼び、駆け寄り、その場でクリフトを抱き起こす。
ぐったりとしたクリフトの体は案外と重く、上半身をマリアの膝の上に乗せるだけが精一杯だ。
「クリフト!」
直撃ではなかった、とマリアは思う。
ただ、あまりにクリフトに近い場所に雷が落ちたため、その衝撃が彼の体を強く響いたのに違いない。それらは、先ほど自分が感じたものの、何倍くらいの衝撃なのだろう?
「クリフト!目を開けて!!」
名を呼んでも、まったく反応がない。
外傷はないように見えるが、それは定かではない。マリアは慌ててクリフトの胸元に耳を近づけ、彼の鼓動が聞こえるかどうか確認をした。生きている。呼吸は安定しているように思える。けれど、何度彼の名を呼んでも、まったく反応をしない。
「・・・どこも・・・傷は・・・」
軽く混乱をしながらも、マリアは冷静になろうとひとつずつ考えをすすめた。
外傷がなければ、治癒呪文を唱えても仕方がない。どうしよう。どうしたらいいんだろうか、こんな時。
体は、頭部は揺らさない方がいいのだろうか。服は襟を緩めたりした方が良いのだろうか?
そうだ、ブライに。
そう思って馬車の方へ顔を向けると、アリーナとブライが慌てて走ってくる姿が見えた。
「マリア!一体何があったの!?」
「さきほどの衝撃、まさかギガデインを!?」
ブライは、既に気付いている。
そう思えば、言い訳をすることなぞ出来ない、とマリアは思った。
「ブライ、わたしが。わたしが、自分を律することが出来なくて・・・!」
その言葉で、ブライはおおよそのことを理解したらしい。何故彼女が「律することが出来ない」ほどに、感情を動かしてしまったのかはブライにはわからない。それは当然だ。が、それを追求している余裕は無い、と、老齢の魔法使いは冷静に判断をした。
「ギガデインを放ってしまったと?・・・して、クリフトは・・・見たところ、ギガデインを受けたような感じではありませぬがの・・・」
アリーナとブライは、マリアの膝の上に乗っているクリフトの顔を覗き込む。
相変わらずクリフトはぴくりとも動かない。
「う、ん。ギガデインをうけたんじゃなくて・・・クリフトの近くに、落ちたの・・・その衝撃がどれくらいのものなのかは、わからないけれど」
「クリフト!クリフトったら!起きなさい!起きなさいってば!わたしが呼んでるのよ!?クリフト!」
アリーナは必死の形相で叫び、クリフトの体を揺さぶろうと手を伸ばした。それを、咄嗟にブライは脇から手を出して止める。
「姫様、もしかすると、外傷はありませんが・・・体の内側は、何か変化が起きているかもしれませぬ・・・」
「ど、どういうこと」
「あまり揺さぶらず・・・馬車で様子を見るか・・・」
ブライは、うーん、と唸った。彼とて医者ではないし、なんらかの治癒呪文を唱えられるわけでもない。
と、その時アリーナは思いついたように声高に叫んだ。
「そ、そうだ。あのほこらに行って見たら!?きっと、すぐに元気になるわよ!」
「うむ、悪い案ではありますまい。姫様、パトリシアを連れてきていただけますかな」
「うん!」
アリーナはきびすを返し、困ったようにおどおどとしているパトリシアのもとへ走っていく。
その後姿をちらりと見て、ブライはマリアに釘を刺した。
「心が乱れては」
「・・・ごめんなさい。そんなつもりは、なかったのだけど。いっそ、ギガデインなんて、全然行使できなければこんなことにならないのに・・・なんで、出来るようになっちゃったのかしら。こんな不完全に」
「まったく、まったく不完全。憎しみという愚かな強い感情に動かされて発生しているエネルギーの行き場がなく、このようなことになってしまったのじゃろう・・・それは、勇者マリアそのものを表している」
「わたしそのもの?」
「不完全だと。ギガデインを正しく行使するには」
「・・・」
「何故、自分が、その魔法を行使せねばならぬのか。それを確固たる信念のもとで理解せねばなるまい。でなければ、巨大な力はすぐさま制御を失い、勇者マリアが持ち合わせている攻撃性に助長されて暴れだすことじゃろう」
「わたしが持っている攻撃性」
マリアは、ブライの言葉をオウム返しにして、眉根を潜めた。
「言わんとしていることは、おわかりだろうて」
「・・・わかってる。わかってるわ」
マリアは首をぶんぶん、と何度か横に振った。
ふと気が付けば、まばたきをまた忘れ、意味もなく地面の一部を見つめ続けていた。それに、ブライの言葉を聞いている間、呼吸を止めているような気がする。それらは、自分が冷静ではないということだろう。
しっかりしろ、とマリアは自分の頬を2、3回叩き、深呼吸をした。と、
「お待たせ!」
ちょうどアリーナがパトリシアを連れてきて戻って来る。
「さ、クリフトのせて、希望のほこらに戻ろう!」
「そうね・・・あ・・・でも」
「何」
「ライアン達が戻ってきた時、入り口にわたし達がいなかったら困ると思うの。だから・・・わたしが、クリフトのことは責任もってお願いするから・・・希望のほこらに送ったら、わたしとクリフトだけ置いて、二人はあの城の入り口に戻ってくれる?クリフトの状態がわかり次第、合流するから」
そのマリアの提案を聞き、アリーナとブライは顔を見合わせ、一瞬、どうしたものかと考えた。
あまり少人数で分散することは、この地底という馴染みの無い世界では良いことだとは思えない。
しかし、マリアが言うことももっともだ。城から戻ってきた4人が、馬車の姿がないことをどう思うのかと考えれば、それこそこの気分の優れない場所での不安感が増すに違いない。
「わかった。マリアの言うとおりにする。でも、絶対すぐ戻ってきて」
アリーナははっきりとそう言うと、クリフトの腕をとって、自分の肩に回した。マリアもそれにならって、反対側の腕を自分の肩に回し、馬車の幌の中に彼を連れて行こうと歩き出す。ブライは後ろから2人の様子を見守りながらついていき、何も言わずに御者台にあがった。
「わかった。約束するわ」
「・・・マリア、わたし、知ってるの。みんな、戻ってきた時に、マリアがいないと絶対そわそわするのよ」
「え?」
突然何をアリーナが言い出すのだろうか、とマリアは不思議そうな表情でアリーナを見た。2人の間にはクリフトの体があるため、アリーナの表情すべてが見えるわけではないが、いつになく真剣な表情で、まっすぐ前を向いたまま話している様子はわかった。
「いつもね、洞窟とかから戻ってきた時・・・マリアに待っていてもらった時ね。帰ってくると、いっつもマリアが、わたし達に言うの」
よっこいしょ、と掛け声と共にクリフトの体を持ち上げ、幌の中にあげる。隅にまるめてあった毛布の上にゆっくりと慎重に体を横たえた。
「おかえりなさい、お疲れ様、って。いつも、絶対言ってくれるの。それを聞かないと、帰ってきた、待っててもらっていたんだっていう実感、わかないの。みんな、多分そうだと思う」
「そんな・・・」
そんなの、当たり前のことを言うだけなのに・・・そうマリアは言おうと思ったけれど、うまく言葉にならなかった。
「だから、今回もちゃんと、いつものマリアみたいにそうして。なんで、クリフトがこんなことになっちゃったのか、わたし、聞かないから。それは、わたしがマリアのこと信頼してるからよ」
「アリーナ」
「だから、わたしの信頼に・・・わたし達みんなの信頼にマリアも応えて。お願い。ブライと、パトリシアと、待ってるから、戻ってきて、みんなにいつもみたいに言ってあげて。クリフトのこと、頼んだわよ・・・出発して!!」
アリーナは声を張り上げて、御者台にいるブライに聞こえるように合図を送った。
がくん、と一瞬大きく揺れて、ゆっくりとパトリシアが進み出した様子を振動で感じる。 幌の中を見なくとも、クリフトを横たえていることをブライは知っているため、それは、いつもより大分ゆっくりな移動だった。
「アリーナ、ありがとう」
マリアははっきりと、アリーナに礼を告げた。それ以上、言い訳をしようとか、説明をしようとか、何故かそんな気にはなれなかった。と、彼女のその言葉に、アリーナはすぐさま強気で返事をする。
「お礼言われるようなことじゃないわ。仲間でしょ」
「・・・そうね」
軽く唇を噛み締めるマリア。
がたがた、といつもよりも余程少ない振動で動く馬車。
2人は黙ったまま、未だまったく反応をしめさないクリフトの脇で、心配そうに顔を覗き込むだけだった。


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