激昂−5−

火を囲んで、ミネアとトルネコの間に、マリアは腰を下ろした。
この地底では、昼も夜もあまり関係がないようにも思えたが、薄暗さに心もとない気持ちになるせいもあり、火を絶やしたくない・・・とミネアが提案をしたのだ。
その効果は絶大で、火が燃えている周囲にこうやって集まるだけで、なんとなく心強い気にもなり、「薄暗い地底」が「夜だから仕方がない」とマリアにも思えてくる。
それは、夜だからこそ、心の弱い部分が出てくる・・・ということにも繋がるのかもしれないが。
「クリフト、もう大丈夫?」
「はい。おかげさまで」
「そっか。よかった」
短い会話。
その裏にはとても多くの感情が蠢いていることを、二人は知っている。いや、もしかすると、側にいるミネアやトルネコも。
ふわああ、とトルネコが大きなあくびをひとつ見せた。
「トルネコ、よかったら、もう寝ても大丈夫よ。もうすぐアリーナ達も起きるだろうし、なんだかんだ言って今起きてるのは6人いるんだもの」
くすりと笑みを漏らしながらマリアが言うと、トルネコは広げていた武器防具を片付けながら頷いた。
「いやあ、いつもの倍以上働いたものだからねえ。はっはっは、眠くもなるもんだ」
「今日、トルネコさんは、大活躍だったんですよ」
ミネアがそう言うと、トルネコは慌てて
「あっ、あっ、それはもしかして、あのことを」
「どうしたの?」
「いやあ、運動不足か、足がもつれてねぇ。転んだら」
「トルネコさんったら、魔物を巻き込んで転んじゃうんですもの。おかげで、後ろを狙われていたライアンさんが、助かっていたんですよ」
あはは、と四人は明るく笑い声をあげた。トルネコ本人が笑っているのだから、しようがない。
「じゃあ、マリアのお言葉に甘えて、先に眠らせてもらおうかな。マーニャ達の帰りを待っているのも、気にされそうだからね」
「ああ、そうかもしれないわね。トルネコ、明日もよろしくね」
「うんうん。明日なのか今日なのか、日付の境目がわからない場所だけど。明日も頑張ろう。じゃあ、三人とも、先に寝させてもらいますよ。おやすみ」
あれもこれも商売道具を手に持ってトルネコは「どっこいしょ」と立ち上がった。
が、一度手にして立ち上がると、武器防具がそれぞれ擦れ合わないように配慮がされているようで、数多く手にしている割には、がしゃがしゃと不快な音がしない。それは、トルネコが本物の武器商人だということを物語っているのかもしれない。
その姿を見送ってから、ミネアは真面目な表情をマリアに向けた。
「マリアさん」
「なあに?」
さほど驚いた風でもなく、いささか呑気にマリアは返事をした。
「水晶を見ると・・・マリアさんが放つ光が・・・色を変えて、惑っていらっしゃいます」
「・・・」
その言葉に対しても、マリアは動揺していないように、静かにミネアを見るだけだ。
クリフトはわずかに眉根を寄せて、女二人を見つめる。
「この地では、わたしの力はそうそう発揮は出来ませんけれど、それでも、あなたを中心にして集まっている我々の光を、水晶に映し出すことは出来ます。先のことを見ることは、まったく不可能ですけれど」
「うん」
「わたしがお力になれることは、今の姿をお伝えすることだけ。マリアさんも、ご自分で重々承知していらっしゃるかもしれませんが、どうか、見失ってはいけないことを、見失わないようにしてください。あなたが惑えば、そこに集った、みなも惑ってしまいます」
ぱちぱちと火がはぜる音だけが聞こえる、沈黙の時間がわずかにあった。
それから、頬を炎によって橙色に染められたマリアは、うつむきがちに
「そうね。わかっているつもりなんだけど。わたしは、みんなを巻き込んでしまうから」
「・・・ええ。あなたは、とても強い星ですから。わたし達は自分の意志を持ちつつ、あなたに飲み込まれてしまいそうになります」
「あなた達は、とても力強い仲間だけど、時々、とても重たい足枷だわ。でも、その足枷がなかったら、世界を救えないと思うの。だから、感謝しているのよ。本当に」
似た言葉を聞いた、とクリフトは遠い日を思い出す。
足枷、という言葉を彼女の口から聞いたのは、いつのときだったか。
そして、それを思い出したのは。
そうだ、マスタードラゴンとの謁見の時。
彼女が勇者として存在するためには、誰かが彼女を繋ぎとめなければいけない。
そのことに気付いて、クリフトは涙を堪えて立ち尽くすしかできなかったけれど。
「・・・だから、わたしは、わたしのことが嫌い。誰かがいないと、本当は、何もなし得ないのが、わたしだから」
「マリアさん」
クリフトは名を呼んだ。
それに返事をせず、マリアは膝を抱えて、ゆらめく炎を見つめるだけだ。
「マリアさん」
もう一度呼ぶその声は優しい。仕方がない、とばかりにぞんざいな返事をマリアはした。
「なあに」
「ほとんどの人間は、一人では、何もなし得ないものだと思います。みな、自分一人の力で、意志で、やり遂げたいと思いながらも」
「そんなの、どうでもいい。他人がどうとか、そんなのは」
その口ぶりを聞いて、ミネアは小さく驚いたように
「マリアさんは、クリフトさんの前では、子供みたいな言い草になる時がありますね」
と言いながら、小さく微笑んだ。
それを聞いて、マリアはかっとなったように言い放つ。
「しょうがないじゃない。わたし、子供だもの」
「いいえ」
「なんで」
「マリアさんは、もう、子供ではありませんよ」
「なんで、そんなことミネアが言うの。そんなにミネアとだって、年が離れているわけじゃあないでしょう?」
「だって、マリアさんは」
困ったな、という表情を浮かべて、ミネアは優しく答えた。
「他人が自分に何をしてくれているのか、どう影響しているのか、よくよくご存知で、それに感謝したり怒ったり、人と人の間柄をそんなにも敏感に感じ取っているではないですか。それは、子供には出来ないことですよ。大人にだって、そうそう出来ないことではないかと、わたしは思うんです。でも、だから、苦しくなってしまうのでしょうけれど」
「!」
図星だ、とマリアは言葉を失った。
けれど、それが「子供ではないから」だなんて、そんな理由に思い当たったことなぞ一度たりとなかった。
そして、その言葉は「もう子供じゃないのですから」と暗にミネアが言っているようにすら感じる。
「もう少しで姉さん達も帰ってくるでしょう。マリアさん、申し訳ないのですが、わたしも先に眠らせていただいてもいいですか」
「・・・言い逃げね」
「うふふ、そうかもしれませんね」
「ミネアだって、マーニャと話すときは子供みたいになるのに」
「それは、わたしにとっては永遠に姉さんは姉さんで、姉さんにとってはわたしは永遠に妹だからですよ」
「むう」
ミネアは立ち上がって、ぱんぱんと尻についた汚れを払った。
「ずるいかもしれませんけれど、わたしがお役に立てそうなことは、たったこれだけなんです。だから、言わせてくださって、ありがとうございます」
「ずるい。そういう言い方されちゃ、拗ねるわけにもいかないわ。でも、ありがと。ゆっくり休んで。わたし達はここでのんびり、マーニャ達を待つわ」
「そうしてください。そのう、わたし、姉さんとライアンさんが、そういう・・・とは、全然知らなくて。今までは、結構簡単に、どこの誰が気に入ってるだのと、すぐ口にしていたものですから・・・」
その点については、立場が逆転したな、とマリアはにやっと笑った。
「うん。わたしも、そんなに詳しくは知らなかったけど・・・簡単に言えないくらい、好きなんじゃない?」
「まあ」
「もしかして、言って貰えないことって・・・ミネアにとっては寂しいかもしれないけど」
そのマリアの言葉には、ミネアは静かに首を横に振り「いいえ」と返事をする。
「ああ見えても姉さん、本当に好きになった男性のことは、とても立てる人なんです。きっと、不器用なライアンさんのこと気遣って、おおっぴらにしなかったんだわ。わたし、姉さんのそういうところは、好きなんですよ」
そう言ってから、クリフトの視線に気付いて、ミネアは少し照れくさそうに笑った。
「いつも、わたし姉さんに口うるさいかもしれないけど、姉さんの好きなところもいっぱいあるんですよ」
「それは、知ってますよ。マーニャさんも、ミネアさんのことをあれこれ文句おっしゃいますけど、好きなんだろうと思いますし」
「言い訳がましかったけど、そう言ってもらえると助かります」
そう言うと、ミネアはおやすみの挨拶をして、二人に背を向けて足早に馬車に向かう。
すぐさまその後姿は、薄暗い、闇とはまだ言い切れないぼんやりとした重苦しい風景に溶け込んでいってしまった。


ミネアの姿を見送った後と、マリアとクリフトは、どちらともなく視線を合わせた。
「クリフト。昼間は、本当にごめんね」
「いいえ」
人一人分の空間を空けて、二人は半ば隣り合わせほどの距離にいた。そっと首を傾げて横を向けば相手がいる。その距離に戸惑いつつも、炎に照らし出されているお互いの顔を見てしまう。
「あなたの近くに落ちた雷は、多分、本当はわたしに落ちるはずだったものなんじゃないかって思うの」
それは、自分を憎んで集まってきた火花たちだったから。
「わたし、マスタードラゴンを倒そうと思っていた。本当は、あの竜が言っているように、世界を救おうなんてわたしは思えなくて。でも、村のみんなは、わたしが世界を救う勇者だって信じて、それで、死んじゃったから・・・それなら、世界を救わなくちゃいけないとも思って」
「ええ」
「いつも、思うと、背中合わせなの。あれもこれも。村のみんなのことを考えれば、世界を救いたい。マスタードラゴンのことを考えたら、逆に、世界なんてどうでもいいから、って放り投げたくなる」
「・・・そうなんですね」
「うん。デスピサロを倒したいと思う。でも、デスピサロを倒さないで・・・いい気味よ。わたしは世界なんか救わないわって言いたい。でも、わたし、ロザリーと約束をした」
「そうですね」
「どこまで行っても、結局マスタードラゴンからの期待に応えるように、わたし、世界を救おうとしちゃうんだわ。本当は、それが嫌でしょうがないのに。色んなものが背中合わせにあって、どっちもわたしを急かすのに、わたしが選ぶのは、マスタードラゴンの思惑通りのことなんだ」
そうである自分が、嫌なのだ。
そこまでは言葉に出来ないまま、マリアは抱えた膝に額を擦り付けた。
彼女の豊かな緑色の巻き毛は、温かな色で照らし出されて、逆にまるで黒髪のようにクリフトには見える。
どこにいてもとても目立つ、彼女の珍しい髪の色。それが、闇に溶ける色になった途端に、あまりにも地味で、おくゆかしいほどの印象になる。
本当は、そういう少女なのだろう。
きっと、クリフトがもう少しでも年齢を重ねていれば、そう思えたのかもしれない。けれど、今の彼はまだ若く、何に対しての経験も浅いため、彼女の言葉を胸の中で反芻して、正しくしまいこむだけで精一杯だった。
「あの竜を憎んでいなければ、きっとデスピサロを倒すことすらわたしは出来ないんだと思うの。でも、それはどこまで、仕組まれてるの。デスピサロを倒すことまでが、わたしの役目なの。それとも、最後まであの竜を憎んで、あの竜を倒すまでが、わたしの役目なの。そうして欲しいとあの竜は待っているの。それとも」
ぼそぼそと、膝と膝の間に言葉を送り出して、マリアは顔をあげない。それを、そっと見つめるだけで、クリフトは何も言おうとしなかった。
思い込まないでください、だとか、考えすぎです、だとか。
そんなありきたりな言葉を発したところで、マリアの気が済むわけがないということは、彼は既に嫌というほど知っていたし、その、ありきたりな言葉を発する自分にもうんざりしていた。
と、その時、マリアは、まったく関係がなさそうなことを口にした。
「・・・サントハイムの人たちが戻るといいね」
「えっ?・・・あ、ええ、はい。そう願っています」
「そうしたら、アリーナ達と一緒にサントハイムに戻って、教会で、働くのよね?」
「・・・そう・・・だと思います」
ずきん、とクリフトの胸に小さな痛みが走った。
考えていなかったわけではない。
サントハイムが元に戻ったら、人々を取り返したら。また当たり前だった日常が戻り、自分はアリーナの側で働き、あのおてんば娘の成長を間近で見守るに違いない。この旅で揺らぎそうで揺らがなかった自らの信仰を更に高めるため、神父達と共に、また教会に仕えるに違いない。
あまりに当たり前なことだった。だから、考えなかったわけではないが、口にすべきこととも思えなかったのだ。本当ならば。
「マーニャ達は、モンバーバラに戻るって言ってた。本当は、バルザック倒した時にそうするんじゃないかって思ってたんだけど・・・ここまで力を貸してくれた。マーニャは、またモンバーバラで踊るんですって。世界一の踊り子になって、気が向いたら、あちこちミネアと旅をしながら巡業に出るのも悪くないって言ってた」
「そうなんですか」
「トルネコはエンドールで、ご家族のところに戻るんでしょう。ライアンは、お城に戻って、また、王宮戦士として働くんでしょうね。バトランドに行った時、あのお城にいたライアン、とても生き生きとしていた」
それから。
マリアが呟いていく言葉達の最後の行く先はわかっていた。
最後に、彼女自身のことが待ち受けているのだ。
クリフトは、いつか聞こうと思っていて、けれど、聞くことが出来ない言葉が彼女から発せられると感じ、軽く身構えた。
あの、真夜中、雨の中二人で足を踏み入れた彼女の故郷。
そこへ、一人で戻って。それから、どうするのだろうか。
戻らなくていい、とクリフトには言うことが出来ない。
ある時、アリーナが明るくクリフトに言ったことがあった。

「デスピサロ倒して、みんなでサントハイム戻って・・・ねえ、マリアも呼ぼうよ!サントハイムに。わたしとマリアが一緒だったら、もう、誰にもサントハイムに手出しさせないわよ!それに、なんてったって、一緒だったら楽しいじゃない?」

あの、明るいお転婆姫は、彼女なりにマリアのことを考えていたのだ。そして、それをそのままマリアに言って良いものかと、彼女なりに悩んでクリフトに告げてみたのだろう。
それへクリフトが「姫様はお優しいですね。そうなったら、楽しいでしょうね」と返事をすると、どうもその返事は彼女の期待には添えなかったらしく、少しばかり唇を曲げていたことをクリフトは覚えている。
マリアはどう考えているのだろうか。
2つだけ、クリフトにははっきりとわかっていることがある。
それは、間違いなく、彼女はあの廃村に戻るのだろうということ。
そして、仲間達の元へは、頼ってこないだろうということ。
悲しい気持ちにもなるが、それは、とてもマリアらしく思える。
「わたしだけ、どうしていいのか、ぽっかりと空いてるの」
「マリアさん」
「ねえ、考えすぎだってわかってる。でも」
「ええ」
「マスタードラゴンを倒そうって思うと」
「・・・」
「わたし、まだ、頑張れるの」
「!!」
「それが、また、許せない。あの竜がいるおかげで、わたし」
そう言うと、マリアは顔を伏せたまま、右手で自分の巻き毛をぎゅっと引っ張った。
1房掴んではひっぱり、離し、また1房掴んでは。
デスピサロを倒した先を、考える余裕がないわけではないのだ。
ただ、彼女はきっと、「考えられない」のだろう。
クリフトは、眉根をいっそうきつく寄せた。
「マリアさん!」
クリフトは身を乗り出して、膝を抱えているマリアの両肩をがっしりと掴んだ。
火の恩恵で温まっている二の腕と、少しばかり冷えている背中側の肩。
それが、突然小さく細くなったような錯覚に陥って、クリフトはもう一度名前を呼んだ。
「マリアさん」
静かに顔をあげたマリアは決して泣いてはいなかった。
昼間、あれほどの力を発し、怒りを放った人間と同一人物とは思えぬほどの、弱弱しい声音で、彼女はか細い訴えをする。
「本当に、わたし、一人では何もなし得ないの。生まれてから、ここに来るまで。もし、マスタードラゴンを倒してしまったら、わたし、その後はどうしたらいいのかしら。そんなこともわからないし、そんなこと考えたくない。でも、間違いなく、マスタードラゴンを倒すまでは、わたしにはやるべきことがあるんだもの。それをありがたいなんて思うのが・・・腹が立つ」
「なんで・・・なんでっ・・・マリアさん」
「裁かれたいのかしら。あの竜は。それとも、裁かれることまでが、自分の役目だと思ってるのかしら?わたしに、いつまでも目的を与えてくれてるのかしら」
繰り返される、言葉が違えども同じ疑問。
そして、それらは何度繰り返されても、答えを知る者はここにはいないし、知りようがない。それでも、幾度となく彼女はそれを心の中で反芻し、そして、その都度感情を強く動かし、苦しみを増すのだろう。
クリフトは、マリアの体を揺さぶった。そして、彼らしくない荒々しい声で、はっきりと言葉を突きつける。
「あなたは、どうして、わたしを捨てようとするんですか!いいえ、わたし達を捨てようとするんですか!?一緒にこうやっているわたしや、みんなは、あなたにとって足枷で、道具で、戦いが終わればいらなくなるもので・・・どんなにあがいても、あなたの心の中にいる、村の人々ほど、あなたに愛されることは、わたし達には出来ないんですか!?」
「クリフト?」
「デスピサロとの戦いが終わった後に・・・何故、あなたの心の中には、わたし達がどこにも、いないんですか」
「そういうわけじゃないよ。わたし、みんなのこと大好きよ?・・・でも」
クリフトの剣幕とは裏腹に、マリアは静かに言葉を返した。
「この戦いが終わったら、一緒にはいられないもの。誰とも」
その返事に、クリフトはぐっと言葉を詰らせる。
確かに自分はサントハイムに戻ると言った。
もし、サントハイムの人々が戻ってくるならば、そこには自分が帰るべき日常がある。
そして、その帰るべき日常がマリアにはないということを知っている。
けれども。
ぐるぐるとクリフトはいろいろな事を考えた。
未熟で臆病な自分。
アリーナのように「マリアさん、サントハイムに一緒に行きましょう」と言えれば、それはどれだけ楽なのだろうか。
けれど、クリフトは「そうではない」と自分の頭の中で警告の音が鳴り響いていることに気がついている。
自分は、マリアが好きだ。
それだけが、今の彼にとってははっきりしていることであり、それ以外は何一つ彼女に対して出来ることがみつからない。多分、彼女のためを思ってすることと、彼女の意志を尊重することは違うのだろうし、そこに、自分が彼女を好いている気持ちが絡めば、尚のこと、何をすべきなのかが彼には明確に見えてこない。
だから、何も言えず、何も出来ず。
その未熟さに苛立って、クリフトはだん、と自分の膝を何度か叩いた。
「クリフト?」
「・・・あなたが、あなたご自身を憎むように」
「・・・」
「わたしは、とても、今、自分に苛立って、どうしようもなくて、それから・・・あまりの無力さに、呆れ果てています」
「ごめんね」
マリアは、ぎゅっと握り締められたクリフトの拳に手を伸ばす。
「マリアさん・・・」
「わたし、本当は、あれもこれも・・・内緒にしたいのに」
「・・・」
「何で?クリフトに、いつも、言わなくていいこと言って、困らせて、そういう顔させて」
「いいえ。いいえ、いいんです。そうじゃないんです」
クリフトは、膝の上に置かれた自分の片方の拳を、そうっと覆うマリアの手に、もう片方の自分の手を重ねた。
上体を乗り出して、マリアはクリフトの顔を下から覗き込む。
その不安そうな表情を見れば、更にクリフトは自分の未熟さに、幼さに苛立ち、それに苛立つ自分に対して、更に無力さを痛感してしまう。
言葉にして欲しい。そう願っているのはクリフトだし、言葉にして外側に出すことで彼女は救われるのではないかと、そう信じてきたのも彼の方だ。
それは、教会での懺悔と形は似ていると思う。
けれど、常に己に対しての怒りに満ちて、苦しみに満ちている彼女を救うには、彼女の言葉に対する言葉をもたなければいけない。それが、今の自分には、何一つない。
「マリアさん」
「うん」
「わたしは、あなたに困らされるのは、好きなんです」
「え」
「・・・そういうことに、しておいてください。だから、内緒にはしないで、話してください。何の力にもなれないかもしれませんが、あなたのことを、いくらでも知りたい。情けない顔を見せてしまうかもしれませんし、わがままだとは、充分わかっていますけれど」
「・・・ごめんね、クリフト」
マリアのその謝罪の言葉は、何に対してのものなのか、判断がつかなかった。
クリフトが硬く握っていた拳は、やがてゆっくりと開かれ、彼女の手をその両手で優しく挟み込む。
未だ、自分達の間にあるこの感情が、愛とか恋とか言うものなのかすら、本当は2人共よくわかっていないのだとクリフトは思う。
マリアはもう片方の手を伸ばして、クリフトの髪を撫でた。
「クリフトの髪って、綺麗ね」
「そ、そうですか?」
「うん。大好き」
「わたしは、マリアさんのことが・・・好きですよ」
「・・・っ」
あまりにわかりやすい、率直な言葉。そして、真剣な眼差し。クリフトは、唇を引き結び、マリアをまっすぐに見つめた。
マリアはそれにひどく怯えたような表情を見せて、それから、クリフトの頬に自分の頬を寄せた。クリフトは、瞳を閉じて、彼女の頬から与えられる温かみと柔らかさを感じた。
唇を重ねることすら出来ないのは、幼さの証ではない。
子供ではないからわかる、恐れ。
お互いを思いつつも、お互いを巻き込んではいけない、見えない線が間にあることを二人は感じ取っている。
多分、それを破るのは自分の方だとクリフトは思った。
そうでなければ、マリアがそれを破るとは決して思えないからだ。
けれど、その「見えない線」を踏み越えることは、今の彼には勇気が足りない。
何故ならば、その線は・・・
「・・・!」
マリアはびくりと反応して、体を引いた。が、クリフトは彼女の手を離さない。それに気付いて、ぐい、と腕を引いたけれど、それでもクリフトは決して逃がすまいと両手の力を込めた。
「クリフト、離・・・」
「あっれぇ、なぁに。ミネア達はぁ?」
少し離れたところに、マーニャとライアンのシルエットが見えた。きっと、マリアはその気配に気付いたのだろう。
ゆっくりとした足取りで近付く二人に、マリアの手を握ったままでクリフトは平然と言葉を返した。
「先にお休みになられましたよ。お帰りなさい」
「たっだいま。遅くなっちゃったかしら?」
「いえ、そうでもありません。どうぞ、姫様達と交代してお休みになってください」
いつもと変わらぬ様子のマーニャとは逆に、ライアンは困ったように−それは照れ臭さなのだろうが−何も言わずにそわそわするだけだ。また、それと同じように、「おかえり」の一声も出せないマリアの様子をマーニャは嗅ぎ付けて
「何してんの、マリア・・・はっはーーん。もしかして、わたし達お邪魔だった?」
「なっ、何言ってるの。そんなことない・・・」
「だって、手」
「こっ・・・これはっ・・・クリフトがっ」
「やーね、クリフトちゃんってば、アリーナのこととかさ、茶化されるとすぐ赤くなったり慌てるくせに、たまに肝が据わるんだから・・・そういうのって、イイわね。本当にマリアのこと好きなのね。そういうの、誰かさんにも見習って欲しいわ」
それへは、ライアンが唸り声をあげる。
「むむう・・・」
「あら、なぁに?ライアン」
「なあに、とはご挨拶な。大体、マーニャ殿はいつも・・・」
と、ようやくライアンは口を開いたが、マリアとクリフトからの視線にはっと気付くと、慌てて
「そ、その・・・明日に響かぬように、お互い体調を整えましょうぞ。それでは、先に休ませていただくことに」
「うん。おやすみ、ライアン」
「おやすみなさい、ライアンさん」
取り繕って足早にライアンは馬車に向かった。その姿があまりにおかしかったらしく、マーニャは笑い声を必死に押し殺していたけれど、彼が幌に入った直後にたまらず噴出した。
「あっはっははは!も、なーにが、体調を整えましょうぞ、よね!」
「もーお、マーニャったら・・・」
「ああいうところ、たまらないの。あっはっは」
クリフトは少しばかりライアンに同情をしたけれど、それでも、マーニャの言う「たまらない」が少しばかりわかるな、とも思う。
マーニャは腕を組んで立ったまま、二人を見下ろした。
「大体、どうしたの。珍しくお熱いこと。ついにクリフトちゃん痺れ切らした?」
「ついに、とはどういう意味ですか」
苦笑を見せるクリフト。マリアはもう覚悟を決めて、片手をクリフトに預けたままそっぽを向いている。
「首に紐でもつけとかないと、マリアは一人でどっかいっちゃうからね。気持ちも体も」
「マーニャ」
その言葉に驚いて、マリアは顔を上げてマーニャを見た。それへ、にやりと笑いかけてから、マーニャは肩をすくめてみせた。
「あたしは、駄目。あたしは自由に見えるだろうけど、ミネアを一人にしておけないし、ミネアだってあたしを一人にしておけないからね。そうよ?ちゃんと紐つけとかないと。それは、あんたの役目よ、クリフトちゃん。一緒に走れないんだったら、首に紐つけるしかないわ。今は」
そう言ってマーニャは歩き出し「んじゃ、後頼んだわよ。顔洗って寝るわ」と軽く声をかけて行く。
彼女の含みのある言葉を、お互いがどう受け止めたかを口に出せぬまま、二人は彼女の後ろ姿を見ていた。
やがて、クリフトは、マリアの手を一度ぎゅっと握り締めた。それから、静かにその手を解放する。
するりと彼の手の間から抜けてゆく、マリアの手。
少し、寒い。
そうクリフトは感じたけれど、それは、手の中にあった温もりが逃げていったからに他ならない。
「姫様達を、起こしてきます。ライアンさんか、マーニャさんが起こしてくれるとは思うのですが、一応。それから、お茶でも飲みませんか。茶葉をとってきます」
「そうね。ありがたいな。お願いするわ」
クリフトは小さく頷くと、少し急いた足取りでマーニャの後を追うように、歩き出した。
パトリシアが火を不快に思わない程度の、ほんのわずかな距離をおいたところに馬車は置いてある。その程度の間ならば、マリアを一人にしておいても大丈夫だろうと彼は判断したし、マリアもそうだったに違いない。
「あ」
クリフトは、5,6歩進んでからぴたりと足を一度止めた。
「・・・まあ、いいか」
言い忘れていたな、とクリフトは胸の内で呟いてから、また足を動かした。
(勇者マリアに、伝えてください)
ミナデインの魔法のこと、ギガデインのこと。
話さなければいけないことは、もっとたくさんあったはずなのに。
やはり、デスピサロとの戦いが終わってからでは、遅いのだ、と彼は思う。
手を触れた時、頬を寄せた時に伝わるぬくもりのように、お互いの気持ちをもっともっと伝え合える術があれば良いのに。
たとえ、それで傷つくとしても。
そう思いながら、彼は急いだ。


少し離れたところで、クリフトと誰かのやり取りがかすかに聞こえる。
声を潜めていないということは、なんということがないやりとりなのだろう、とマリアは判断をした。
ぱちぱちと耳に響く、火のはぜる音。
地底の木の枝をいくつかそれにくべて、マリアは瞬きをせずに炎を見つめた。
瞳が、焼けそうだ。
熱気は肌を襲い、眼球を襲い、彼女が生きているとわかる刺激を送り続ける。
目を閉じると、熱くなった眼球のせいで、瞼の裏が焼けてしまうのではないか、と、そんな阿呆なことをちらりと考えて、マリアは「はっ」と自嘲気味に笑って立ち上がった。
地底に存在しないはずの空。暗い暗い、見えることがない高い天井がそこにはあるはずだ。
見えないそれを睨みつけ、地上をまるで通り越すように、彼女は上を見る。
その先には、地上の更に上に存在する、雲の上の城が見えるのだろうか。

(あなたは、どうして、わたしを捨てようとするんですか!いいえ、わたし達を捨てようとするんですか!?)

1つずつ返事をするわけにはいかなかった、クリフトからの言葉達。

(一緒にこうやっているわたしや、みんなは、あなたにとって足枷で、道具で、戦いが終わればいらなくなるもので・・・どんなにあがいても、あなたの心の中にいる、村の人々ほど、あなたに愛されることは、わたし達には出来ないんですか!?)

そうじゃないの。クリフト。
あなた達はあまりに愛しい足枷で、今、わたしは、それを切り捨てることが出来ない。

でも。

火の粉が踊る、ぱちぱちという音。それとあまり変わりがない音が、自分の体の周りに生まれていることにマリアは気付いた。また、雷の子供達が彼女の元に集まろうとしている。
「・・・消えろ。無駄な力を作り出すなら、もっともっと温存させなさい」
言葉にして呟いて、マリアは険しい表情を見せた。
それでもしばらくの間、彼女は自分の手足の産毛が逆立つ感触に身を晒し続け、耳障りな音を聞き続けなければいかなかった。
が、やがてそれらは収まり、行き場を失ったように、ぱっ、ぱっ、と空間に散って消えていった。
「この程度の雷、制御できないんだったら、あの竜とまみえることなんて出来やしない」
まるで埃を掃うように、マリアは手で自分の体のあちこちを軽く叩いた。もう、どこにも雷の素になるものはない。

(この戦いが終わったら、一緒にはいられないもの。誰とも)

ついうっかり自分が口に出してしまった、あの言葉。クリフトはどう感じ取っただろうか。
「・・・無理よ。クリフト。だって、わたしは・・・」
馬車の方を向くと、ちょうど誰かが幌から出てきた姿が見えた。あの小柄なシルエットはブライだろう。
「わたしは、神様を信じてないわ。でも、だからって、あの竜を倒すことを許されるわけでもないんだと思う。第一、誰も、あの竜が、あなた達の信仰の神じゃないとは立証できない。それが出来ない限り、わたしは誰とも一緒にいられないわ。特にあなたとは」
心にしまい込まずに、一人の時にこうやって声に出せばいいのだ、とマリアは思った。そうすれば、我慢出来ずにクリフトにぶつけることもなくなるのではないか、と気付いたのだ。
黙っていないで、声に出してしまえば、それは驚くほど明確な形で彼女に戻ってきて、そして、現実味を帯びてくる。
そうすれば、どんどん未来の自分の姿が輪郭を現し、彼女自身を導こうとする力が強まっていく。
それを、いつもクリフトの前でしてしまうから、彼を巻き込み、つらい目にあわせてしまうのだろう。
「わたしは、今は勇者かもしれないけれど、あの竜を倒したら、肩書きが変わるでしょうね」
そこまでを口にすると、マリアは深呼吸を一度して、その場に座り直した。
その、可愛らしい唇がほんの僅かに動いて、言葉を形作る。
音にして外に出すには、覚悟が足りないのだろうか。
いいや、そうではない。
それだけは、音としてこの場に出してしまえば。
そこに、クリフトが戻ってくることに耐えられない気がしたからだ。

わたしは。

かみごろしに、なろうとしている。

「痛ッ!!」
ぱちん、と耳元で何かがはじけた痛みを感じて、マリアは反射的に手で耳を抑えた。
もう一度、同じ言葉を唇で形作る。
けれど、もう、雷の子供達は、彼女の側で踊りだすことはなかった。


Fin
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モドル