忘却-1-

予定通りに、ライアン、トルネコ、マーニャ、そしてミネアの4人が、地底の城を探索して、抜けた所にある岩場まで辿り付いた。そこで、ゴットサイドで入手したバロンの角笛を鳴らし、マリア達仲間を呼び寄せた。その場所は
「なるほど、これは、ミネアが嫌がるのもわかるわ」
とマリアが頷くほどの妖気が漂っている。
その場の空気は、明らかにこの先には禍禍しい異質なものが存在する、と彼らに主張をしてくれていた。それはもう、うんざりと嫌になるほど濃厚に。
「この岩場の先は・・・山と言えば山だし」
とマーニャは言って、肩を竦めた。トルネコは苦笑をする。
「城や森、そして次は山とはね。ここが地底であることを、忘れてしまいそうだよ」
「まったくよね。まあ、山といっても・・・ごつごつした岩場の洞窟みたいね」
辺りを慎重に伺って気分が滅入ったように、マリアは呟いた。それから、気を取り直して話かける。
「どう?マーニャ達、魔法を唱えるだけの力は残っている?」
「結構使ったけど、まあ、それなりにはあるわよ。リレミトやらルーラやらは、すぐ唱えられるわ」
「わたしも、みなさんの傷を癒すために結構使ってしまいました。賢者の石では一人一人を回復する力が弱いですから」
「わかった。ちょっと待って」
マリアは腰につけた袋から、ごそごそと小さな瓶を取り出した。その中に入っているのは、魔法力を封印してある聖水だ。
「二人共、これを使って頂戴。いざって時に魔法を唱えられなくなると困るわ。ここからが踏ん張りどころなんだから」
「悪いわね」
「ありがとうございます」
魔法を唱えるには、体力や気力とはまた違う、特殊な魔法力とも言えるものが必要とされる。それらは目に見えるものではないし、唱えられない人間にはうまく説明は出来ないが、魔法を唱えるための体力、と言っても差し支えがないだろう。
過度に魔法を行使するとそれらの消耗は激しく、体を休めて疲れを癒す以外には、特殊な行為でしか回復が出来ない。その回復のための聖水を二人に手渡した後、もう一つをブライに渡した。それから、クリフトとマーニャに「祈りの指輪」と呼ばれる、魔法力を封印してある不思議な指輪を渡す。
「ああ、これはアリーナに渡しておくよ」
「はぁい」
トルネコはアリーナに賢者の石を渡した。それを横目で見て確認しながら、マリアは次々にチェックをしていく。
「ブライ、祝福の杖を持っている?」
「もちろん」
「ライアン、奇跡の剣を持っているわね?邪魔で悪いんだけど、皆殺しの剣も持っていて頂戴」
「万全の体勢でありますぞ」
念入りに仲間達の装備品を確認して、マリアはうつむきがちで少し考え込む。
何か、不備はないか、不足はないか。この先、洞窟の中に入ってしまえば、戻ってこられる保障はない。
道具袋をひっくり返してそこまで何度も確認をするマリアを、仲間達は今まで見たことがない。が、そのことが余計良い緊張を彼らの間に生み、各自が自分の装備品を再確認してくれる。
「わかっていると思うけど」
しばらくの時間を置いてからようやく顔をあげて、マリアは仲間達をぐるりと見回した。
「この先に、デスピサロがいる」
それには、それぞれが返事らしい声を上げた。
「エビルプリーストの言葉を信じれば、進化の秘法を使って、デスピサロはバルザックのように形態を変えていると思うの」
「そのようね。まったく、父さんの研究をこんな風に使われるなんて、忌々しいわ」
マーニャが苦々しく吐き捨てるように言った。ミネアが「姉さん」と小声で言うが、それはマーニャをたしなめるための呼びかけではない。むしろ、マーニャへの賛同を表す声だ。
「ここまで来てくれたライアン達4人は、しばらくは馬車の中で休んでいて頂戴。特に、マーニャとミネアは、魔法力をちょっと使いすぎてるみたいだから、最初は無理をして前線に出ないこと。でも、わかってるでしょうけど、呼んだらすぐ力になってね。あなた達に頼る時が絶対あるはずだから」
「もちろんよ。イオナズンの一個や二個くらいはぶち込みたいわ」
「はい。一時も見逃さずに様子をお伺いいたします」
「それから、トルネコ。パトリシアは1番トルネコになついているようだから、パトリシアの面倒を見ていてくれる?この辺りにいるだけで本当は嫌なのに、ここからもっといやーな感じがするところに進むでしょう。多分、パトリシアは相当滅入っちゃうと思うから。戦いが始まったら、パトリシアが狙われないように、守ってあげて」
「光栄だよ」
前線に出られない不満などを言うこともなく、素直にトルネコも頷いた。
「遂に、ここまで来たのですね」
感慨深げにクリフトが呟いた。
それは、そこにいる誰もが思っていたことだろう。
長かった。
本当に、長い道のりを経て、こんな場所に辿り付いた。
世界のありとあらゆる町を回り、海を、空を渡り、気付けば空の更に上にある天空の城へ、そして、地の底にある地底城へ。
昔の自分達では、きっと想像も出来なかっただろう長くて遠い旅の果てに、ついにここまでたどり着いてしまったのだ。
「これが最後の戦いというわけですな」
ライアンは重々しくそう呟く。
その言葉にマリアは一瞬、ぴくりと何か反応をしたが
「そうね」
と当り障りがない相槌を打った。それから、真剣な眼差しで仲間を一人一人見つめながら、ゆっくりとした口調で話始める。
「今まで、力を貸してくれて、みんなありがとう」
しん、と静まり返る一同。
「ここまで来られたのは、みんなのおかげだわ。わたし一人の力では、何も出来やしなかった。ありがとう」
「今更、改まって何を言うかと思ったら」
マーニャは軽く茶化してから、ぽん、とマリアの肩に手を置いた。
「ありがとうはこっちのセリフよ。あんたがいてくれなきゃ、あたし達は未だに途方にくれながら、世界をぐるぐる歩き回っていたことでしょうよ」
「マーニャ」
「そうです。わたし達二人の力はとても小さく、自力でバルザックを倒すことなぞ、出来なかったことでしょう」
「ミネア」
穏やかに微笑みながらミネアはそう言って、マリアに手を差し出した。それへ軽く手を出して握手をするマリア。
「二人だけじゃないわ!わたし達だってそうよ!マリアがいなかったら天空に行くことなんて出来なかったし、サントハイムの人たちのことだって、何一つわからなかったんだから!」
アリーナがそう言うと、クリフトとブライも頷いてみせる。順番を守って待っていたように、ライアンもまたマリアに声をかけた。
「あなたに出会えなければ、子供狩りの根源であるデスピサロを追い詰めることも出来なかったことでしょう。人一人の力というものは、あまりに微弱ではありますが、こうして、力を合わせる仲間が集う中心になってくださったこと、深く感謝いたしますぞ」
「ライアン・・・ありがとう」
「わたしも、その素晴らしい武器防具を唯一使いこなすことが出来るマリアの姿を見られて、世界一幸せな商人になれたよ。夢のような話を現実にしてくれて、これ以上素晴らしいことはわたしにはないかもしれないよ」
「トルネコ」
マリアは一人一人と握手を軽く交わす。それらは、何もかもが終わった別れの挨拶ではないけれど、彼らをそれぞれしんみりとさせて、感慨深い気持ちにさせた。
「ありがとう。あと一度だけ、お願いさせて。デスピサロを倒し終わるまで、あなた達の力を、わたしに貸して頂戴」
「もちろんよ」
「わたしの力でよければ」
「そんなの、あったり前でしょ!」
「このおいぼれでも、少しはお役に立とうぞ」
「わたしの全ての力をお預けいたします」
「最後までご一緒いたしますぞ!」
「少しは役に立てるとよいのだけどね」
それぞれの返事を一斉にされても、どの言葉も聞き漏らすことなくきちんとマリアは聞き分けた。そして、強く頷く。
「ありがとう・・・それじゃ、行こう。わたし達の、最後の敵を倒すために」
おお、と一同が声をあげる。特にアリーナは、その場の嫌な空気を跳ね除けようとしているのか、飛び上がらんばかりの勢いだ。薄暗い地底ではあるが、一気に活気づき、出発する用意が始まった。
頼もしい仲間達の様子を見て、ついついマリアの口元は緩む。
けれど。
ふと、自分に注がれている視線に気付き、その視線の主をちらりと見る。
「・・・なんて顔して、見るの、クリフト」
マリアは小声でそう言って、クリフトの胸元をとん、と拳にした手の甲で叩いた。
「いえ・・・すみません」
「何か言いたそうよ?」
「最後の敵か、と思って」
「嫌なとこ、気にするのね」
「すみません」
「何度謝るの」
マリアさんだって、先ほどまで、何度も仲間に感謝の言葉を言い続けたくせに・・・少しだけクリフトはそう思ったが、それは言葉にはしなかった。
マーニャ達はマリアに言われた通り、馬車に乗り込んでひととき体を休ませようとする。トルネコは御者台にあがって、パトリシアに声をかけ、手綱を握る。また、アリーナとブライはそれぞれ馬車の横と後ろに回り、出発の準備をした。遅れてクリフトも定位置につく。仲間たちの様子を見て、それぞれの配置を確認してからマリアは出発の声をあげた。
「さ、行きましょう!」
その声と共に、パトリシアは一歩を踏み出すのだった。


馬車の音がぎぃぎぃと聞こえる以外、しん、と静まり返っている、山頂に続いていると思われる薄暗い洞窟は、妙に息苦しい。
上り坂を歩きながら、何度も何度も、一人の男の面影をマリアは思い描いていた。
正確には、その男との接点があったと思われる多くの瞬間、彼女が与えられた刺激に対するありとあらゆる出来事を、記憶の底から掘り起こしていると言った方が良いかもしれない。
それらのいくつかは、今まで数え切れないくらいどうしようもないほどに思い出し、その都度、言葉に出来ないような苦しみをマリアに与えていた。
始まりは、生まれ故郷の地下倉庫で聞いた魔物の声だと、彼女は記憶していた。

「デスピサロさま!勇者をしとめました!」

そして、それに対する返答。

「よくぞでかした!」

その時には、まだその声の主が自分にとって、一体どういう相手なのかもマリアは理解を出来なかった。
動くようになった体で、地下倉庫の階段を上がり、村の惨劇の残骸を見るまでは。
それから。
次にあの男のことを知ったのは、何でだったのか。
エンドールの武術大会に出ていた、デスピサロという男のことを、人々はあれこれと噂をしていた。
マリアの村を滅ぼした男と、その男が同一人物なのかはまったくわからなかったけれど、その名を人々から聞いた時に、マリアは異様な不快感に襲われたものだった。
それから。
マリアと同じく、デスピサロという者を追っていたアリーナ達と旅を共にすることになり。
キングレオ、バルザックからその名を聞き。
それから。

「ロザリー」
マリアは、既にこの世にはいない、エルフの女性の名を呟いた。
その名が自分の耳に、自分の声で戻ってくれば、息苦しさすら感じる。
約束をした。
デスピサロを止めると。
たとえ、それが、彼の命を奪うことになっても、と。
デスピサロとロザリーが恋人同士なのか、なんていう質問は、誰も言葉に出来なかった。
恋人だろうが、そうでなかろうが、彼らの間に深い愛情があったのだということが、容易に想像出来たからだ。
人間に追われていたロザリーを助けた魔族の青年ピサロ。
そのロザリーを、青年は塔に事実上閉じ込めて、人間達を滅ぼそうとしていた。
そんな彼の愛情の形は歪んで行過ぎていた、とマリアは思う。
そして、その男を慕いつつも、止めることが出来なかったあのエルフの愛情は、強さのないあまりに弱弱しいものだ。
本当にピサロを愛しているのだったら、ロザリーには止める術はあったのだとマリアは強く思っている。
しかし、それを今考えることは、何の意味もない。
結局ロザリーは、エビルプリーストの策略によって人間達に殺され、その人間達をデスピサロは消滅させた。そして、深い失望と哀しみは憎悪を冗長させ、彼の野望は更なる高みを目指すことになったのだろう。
人間を滅ぼすと決めたのは、ロザリー一人のためではないとは思うが、最後に彼の背を押したのがロザリーの死であったことは、間違いがない。
その決意よりも以前から、デスピサロが進化の秘法を手に入れようとしていたことは、マリア達も知っていた。
そして、それらがバルザックのような魔物――過去には人間ではあった男だが――を作り出し、実験に実験を重ねて、力を手中に収めようとしていたことも。

「生き物は、自らが手にする力にみあった器で、この世に生を受けるものじゃ」
ある時、ブライはマリアに告げた。
「知能は足りないとしても、巨大な生物は、その巨大さに見合った筋力を当然身につけているし、小さな生物は、力こそないが俊敏。そういうとても簡単でわかりやすい話じゃ。だというのに、それに見合わぬ力を得ようとすれば」
姿形、器そのものが変化をすることは、当然だとブライは言う。
それが、サントハイム城にいた、バルザックのなれの果てなのだろう、という意味を、年老いた魔法使いの言葉の裏にマリアは感じ取っていた。

デスピサロは進化の秘法を使い、究極の進化をとげ、やがて異形の者となり目覚めるだろう。

エビルプリーストという魔物は、戦いの前にそう高らかに宣言した。
究極の進化により、異形の者に。
それは、バルザックと同じく。ブライの言葉通り、力に見合った器に体が変化するということだろう。
マリアは、その「究極の進化」という言葉の不快さは、耐え難いと眉根を潜める。
その「力」が強ければ、どのような器に変化をしようと、それは「進化」と呼べるのだろうか。
新しく得た力によって歪まされた肉体は、この世界に生きるために本当に快適な器となるのだろうか。
それは、一概にそうとは言えないのではないかとマリアは思う。
アッテムトの地下に封印されていた、地獄の帝王エスターク。
マリア達の目からしても、エスタークの体の大きさや、その立派すぎる腕や足は、異世界の物に見え、「地獄の帝王」の名に相応しく思えたものだ。
けれど、地獄の帝王が生きる場所は地獄。この世界が、あの生物にとって快適なのかは、疑問に思える。
そして、進化の秘法を使ったデスピサロも。
力を手に入れることと引き換えに、どれだけのものを失うというのだろうか。
そうまでして成し遂げなければならないことが、この世界にあるのだろうか。
もし、本当にそうならば、確かにこの世界は変化を遂げなければいけないかもしれない。
生物が、この世界に生れ落ちた時の形を捨ててまで、達成しなければいけないことがあるなんて。そして、その術を作り出してしまえるなんて。
進化の秘法は、あまりに魅惑的な、大いなる哀しみの術だ。

「マリア!」
突然、アリーナの上ずった声が響く。マリアの名を呼んだだけで、その先の言葉が上手く出ないようだ。
それが、何を表しているのか、マリアも既にわかっていた。
馬車を引いていたパトリシアは、前進することを躊躇う動きを見せる。
御者台の上にいたトルネコは、どうにかパトリシアを進ませようとするが、それは大層難儀なことなのだろう。
何故なら、前方にいる何者かに、パトリシアは気づいてしまったからだ。
「いい、トルネコ。無理をさせないで。ゆっくりでいいわ」
「うん、うん。そうだなぁ。わたしですら、その・・・」
そういってトルネコは、額を手で拭った。
「嫌な、汗をかいているよ」
「わたしもよ」
上り坂の先に、何者かがいる。
息苦しい洞窟の空気が、一気に彼らの体にまとわりつくように、重々しさを伴ったように感じる。それほどまでの、威圧感が前方から発せられていた。
何者かがいるのはわかるけれど、姿形まではまだ明確にわからない。ただ、そこにいる生物は、人の形をしていないようになんとなくは見えたし、彼らより遥かに大きいようにも思えた。
これは、「知っている」とマリアは思う。

どくん、どくん。
マリアの鼓膜を震わせる、いや、頭の奥に直接響いているようにも思える、聞こえるはずのない音に気付く。
まるで、そこにいる異様な生き物の存在を、無理矢理に示すように。
規則正しい音。規則正しい息遣い。
それらは、どこかで聞いた音だ。
そう、それは、まさしく――

「アリーナ、ライアン、クリフト!」
マリアは咄嗟に叫んだ。
「アッテムトの、エスタークを思い出して頂戴!同じ物が、あそこにいる!」
彼女が呼んだ三人は、アッテムトでエスタークを倒した面々だ。マリアは早口で続けざまに叫ぶ。
「ブライ、戦いが始まったら、最初にバイキルトをアリーナにかけて、すぐにライアンと替わって!ミネア、マーニャ、戦いが始まったら、よく見ていて頂戴、要所で、出てもらう!トルネコは、パトリシアを守って!」
全員でそのまま向かっていくことは危険に思えた。何かがあった時のために、必ず馬車には人員を残しておき、不測の事態に備えるのが彼らのやり方だ。そのために、適切な指示を、洞窟に入る前に出していたが、再確認の意味でマリアは告げる。
「しかし、エスタークという存在は、一人なのでは」
ブライがそういえば、冷静にマリアは答えた。
「そうよ、エスタークは、たった一人よ」
「ならば、この先にいるのは・・・」
「そんなの、決まってるでしょう」
それへは、アリーナが言葉を引き継いだ。
「デスピサロ・・・なのね・・・?それが、エスタークと、同じ生き物になったんだって、マリアは言うのね?」
「進化の果てが、地獄の帝王と同じ生物なんてね」
もしかしたら、エスタークもまた、昔は人間だったのだろうか。
そんなことがマリアの脳裏をよぎったけれど、それをわざわざ口にする暇はなかった。
「近付くわよ」
皆に緊張が走った。いつも元気なアリーナでも、それへは無言の頷きしか返すことが出来ない。
怯えているパトリシアのおかげで馬車の動きは緩やかだ。
それにあわせて、少しずつ少しずつ、マリア達は上り坂を進んでいく。
一歩歩くごとに、重苦しい空気は更に重力を増すようで、上へと上がっていくのに、まるで地の底――実際、今は地底にいるのだが――へどんどん深く深く潜っていくような気すらする。
視界に入った「何者か」は少しずつそのシルエットを現してゆく。
その塊は、近付いていくと全身土色であることがわかる。。
「・・・ほ、んと・・・だ・・・」
掠れたアリーナの声。
その傍らにいるクリフトもまた、息を飲んだ。
「ブライ、あれ、エスタークと、変わらないのよ・・・」
切れ切れに、ブライへと情報を伝えようとするアリーナ。彼女がそのように言葉を喉に張り付かせたように、苦しそうに発することは珍しい。出来るだけいつもと同じように振舞おうと、ブライは最大限の努力で返事をした。
「なるほど、地獄の帝王と呼ばれただけはある形をしておりますな・・・」
彼らの目の前に姿を現したのは、禍禍しい生命体。
太い腕、太い足、体長はかなりの大きさで、マリアの倍くらいあるのではないか。
それが、その体に相応しい玉座に座っており、そしてまた、その体に相応しい大剣を両手で握り締めている。
その姿は、明らかに、アッテムトに封印されていたエスタークと同じ生命体だ。
けれども、当然それはエスタークではない。
その異形の者は。
「ぐはああああ・・・!」
突然、その生き物は咆哮をあげた。
マリア達はみな瞬きを忘れたように、目の前に存在する「それ」を見つめていた。
びりびりと空間を響かせるその音は、マスタードラゴンの唸り声にも似ている。
「何者だ・・・お前達は・・・わたしは、デスピサロ。魔族の王として、目覚めたばかりだ」
その声は低く朗々と響き、不思議な威厳すら感じさせる。
体の大きなものから発される声は太い。その声のあまりの響に、マリア達は、まるで脳をぐらぐらと震わせられているように感じた。
生き物の名乗りを受けて、マリアは鋭い叫びを放った。
「デスピサロ・・・わたし達を忘れたというの?」
「うぐおおおお!!」
「それ」は、もう一度苦しそうな咆哮をあげる。マリアは更に叫んだ。
「わたし達を忘れたというのか!アッテムトで、エスタークを倒した時に、お前はやってきた。わたしを見て、仲間を見て、勇者は屠ったはずだと叫んだはずだ!いちいち、すぐに死ぬ者の顔を覚えていないと言った。けれど、わたし達はあそこでは生き延びた。あの時の出会いを忘れたのか!」
マリアの問いに答えるかのように、目の前の生き物は、玉座に座ったままで低い声を再び響かせた。
「わたしには、なにも、思い出せぬ・・・」
「!」
その回答に、マリアは瞳を見開いた。
それと共に、忌々しく思えるあのエビルプリーストの言葉を思い出す。

変わり果てたやつの心には もはや人間に対する憎しみしか残っておらぬはず

そうだ。確かに、エビルプリーストはそう言っていた、とマリアは唇を噛み締める。
「でも、バルザックは、過去を覚えていたわ」
ぽつりと呟く声をアリーナは聞きつけて、はっとマリアを見る。
「それは、あの時バルザックに使われた進化の秘法が、不完全だったからなのね」
「マリア・・・」
「究極の進化の果てが、それなのか、デスピサロ・・・」
進化と引き換えに彼が失った物は、若き魔族の体だけではないのだ、とマリアだけではなく誰もが知った。
目の前にいるその生命体は、どれほどに禍禍しく恐ろしい異形をしていたとしても、「魔族の王として、目覚めたばかり」の赤子と同じほどの存在なのだ。
「全部を忘れたのか。お前がどれだけのことをしでかしたか、どれほど理不尽な命を奪ってきたのか!」
マリアの叫びに対して、「それ」からの応えはない。巨大な玉座から身を起こし、自分の言葉を続けるだけだ。
太い声で、歌うように「それ」は告げた。
「しかし、何をやるべきかは、わかっている」
滑稽だ、とマリアは思う。
一体誰が、こんなところに、この巨大な体のために玉座を用意したのだろうか。
デスピサロは、こうなることをわかっていて、ここで進化の秘法を使ったのだろうか?ならば、魔族の王として生まれ変った彼が座るその玉座は、まるで赤子を揺らしてあやすための、ゆりかごではないか。
そのあまりの滑稽さに、マリアは泣き笑いの表情を浮かべた。
泣けてきそうな気持ちになっているのは、恐怖のためではない。哀れな魔族の若者への、憐憫の思いからだ。
哀れすぎる。そして、愚か過ぎる。
マリアは、唇を噛み締めた。
「デスピサロ。今、お前と共に、進化の秘法を葬ってあげるわ」
そう言ってマリアが天空の剣を手にした、その時。
「がああああ!!!」
二度目の咆哮。
何故咆えるのだ、とマリアは思う。赤子の泣き声と同じなのか?とも思った。しかし。
苦しいのか。
泣きたいのか。
咆えずにはいられないほどの、思いがまだこの生き物にあるというのか。
(この声は、威嚇の声ではない)
誰かが、何かをまたマリアに聞かせているというのだろうか。マリアは、その咆哮の理由に突然気付いてしまった。
その思いはあまりにも明確で、そして、「正しい」とマリアは心から賛同をしてしまうほどだ。
嫌だ、気付かなければよかったのに。何故、知ってしまったのか。
その思いに耐え切れなくなったように、彼女は更に声を張り上げる。
「デスピサロ!」
名乗ったからには、その名が自分の名だという認識が目の前にいるその生き物にあるはずだ。
だからこそ、マリアは何度も何度もその名を呼ぶ。
なにも思い出せないと言いつつも、自分の名だけは知っている異形の者。
その名が、その生物の過去と繋がる唯一の糸となっているのではないかと、マリアは一瞬にして思い巡らせたからだ。
もう一度マリアは、名を呼んだ。
「デスピサロ!」
応えはない。
「叫ばずにいられないほど、悲しいのに、何故!何故、そんな体を得ようとした!デスピサロ!!」
驚いて仲間達がマリアを見る。その視線を気にもせず、マリアは体全体に力を入れ、声を振り絞った。
「ロザリーのことを、忘れても良いほどに、愛し合った記憶すら捨てるほどに、力が欲しかったのか!?お前が忘れたら、一体誰が・・・」
一瞬、言葉が詰まった。
が、息を吸い込んで、力を更にいれて。
「誰が、あのエルフのことを覚えていてやるんだ!」
「マリアっ!」
アリーナが悲痛な叫びをあげた。クリフトは言葉もなく、眉根を寄せてマリアを見つめるだけだ。
「お前のその咆哮は、忘れ去る記憶を嘆く、苦しみの声だ!お前が、すべてを忘れるなんて、わたしは許さない!」
マリアは、鬼のような形相で言葉を投げつける。
「お前がどれほどの命を奪ってきたのか、どれほどの人々を失意に陥れたのか、わたしから何を奪ったのか、何もかも忘れるつもりなのか。わたしは忘れないわ。お前がわたしの村のみんなを全て殺したことも、お前があのエルフを愛していたことも、そして、だからこそ人間を憎んだことも、これほどに愚かにも進化の秘法を使ってしまったことも・・・そして、このわたし自身が、魔物達の命をどれほど奪ってきたかも。なのに、お前は忘れるのか!もっと抗え!もっと抗って、戻って来い!そんな、進化の秘法に全てを奪われるなんて、許さない!綺麗な記憶も、汚らわしい記憶も、すべてを忘れて楽になるなんて、許さない!」
その、マリアの声を掻き消すように、太い声が絞り出された。
「お前達人間共を・・・」
「デスピサロ!」
「根絶やしにしてくれるわ!」
「デスピサロ!」
マリアは、もう一度、魔族の若者の名を呼んだ。
しかし、その声で目の前の異形の者の心を揺らすことは、もはや出来ない。
ぐらりと立ち上がった魔族の新しき王たる「それ」は、大剣を構えて闘気を発し、咆哮ではなくその、「気」で彼らを威嚇していた。
しかし、それに怯えることなく、マリアはもう一度呟いた。
「許さない」
あのアッテムトでエスタークに感じた恐怖を忘れたわけではなかった。けれど、今の彼女は、魔族の若者に対する怒りがその恐怖心を凌駕し、体全体の熱を高めている。
熱い、とマリアは思った。
この熱は、怒りだけのせいではない。
まるで、泣き出す寸前のような熱さが自分の体を支配しているのをマリアは感じながら、言葉を続けた。
「全てを忘れて、自分一人だけ楽になろうなんて。お前を倒すのは、わたしの野望の到達点ではないけれど」
クリフトは、その呟きを聞いてはっとマリアの横顔を見る。彼は、マリアが天空で呟いた言葉を、まざまざと思い出す。

あなたが止められないデスピサロをわたしが倒したら、わたしはあなたも倒せるのかと思って

デスピサロを倒すのは、マリアの到達点ではない。
けれど、それはすべてではなく、ある一面で言えば到達点でもあるはずだ、とクリフトは思った。
少なくとも、マリアの生まれ故郷を直接滅ぼしたのは、デスピサロだったのだし。
だからこそ、マリアは、「それを忘れた魔族の若者」を許すことが出来ず、叫び続けているのだろう。
いずれは倒すはずだった「デスピサロと呼ばれていた魔族の若者」が、そのすべての記憶を捨て去って、違う生物になってしまったなんて。それを倒せば、今までマリアが憎んできた、その「デスピサロと呼ばれていた魔族の若者」を倒したことになるのだろうか?
「マリア、来るわよ!」
「ブライ、アリーナにバイキルト、クリフト、スクルトお願い!」
そう命令をして、マリアはもう一度天空の剣を握りなおした。
「今のお前を倒したって、なんの仇討ちにもなりやしない!最後まで・・・最後まで、わたしから何もかも奪う気なの!?」
魔族の若者であったデスピサロは、既にこの世から消滅してしまったのだろうか。
ぎり、とマリアは唇を噛み締めて、地を力強く蹴った!



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