忘却-3-

長い、長い時間が過ぎた。
戦いを始めてからどれほど経過をしたのか、既に誰もがわからなくなっている。
ただわかるのは、目の前にいる「デスピサロだったもの」は確かに強いけれど、じわりじわりとマリア達が優勢になっている、ということだ。
「まだくたばらないの!?」
まるで、怒りを剥き出しにするようなデスピサロの攻撃に身を晒されつつも、アリーナは果敢に懐に入って行く。
マリアは、その後姿を見て、きゅっと唇を結んだ。

――アリーナ、ありがとう。
防具をあまり身につけずに、魔物の懐に飛び込むことは、想像以上に恐ろしいことで、わたしには多分出来ない。
自分の力を信じて、そしてまた、後ろを守るみんなを無条件で信じているあなたにしか出来ないことだと思う。
あなたの勇気と明るさに、わたしはいつでも励まされていた――

デスピサロが放った不思議な力を持つ波動により、折角ブライが唱えたバイキルトの効果が消されてしまう。もちろん、クリフトが唱えたスクルトの効果もそうだ。
クリフトは慌てて――それは、やはり防具に乏しいアリーナを1番心配してのことだが――身の守りを固くする魔法である、スクルトの呪文を詠唱する。

――クリフト、ありがとう。
わたしが投げつけた冷たい歪んだ言葉達に何度も困っていたあなた。
でも、いつのまにか、そんなあなたから差し出された手が、ありがたくて、愛しくて、どうしようもなくなっていた――

「ぬおおお!」
アリーナがデスピサロの脇腹を狙った攻撃を終えて後退すると、その脇をライアンが駆け抜けていく。
奇跡の剣を構え、今ちょうどアリーナが切り裂いたデスピサロの傷に、寸分違わず振り下ろした。

――ライアン、ありがとう。
不甲斐ない勇者で、あなたの期待に沿えないことは、とても心苦しかった。
でも、あなたは、時折勇者である自分を見失うわたしを、いつもいつもおおらかな心で許してくれて。
これから先、あなたに守られるバトランドの人々は、とても幸せなのだろうと、心から思える――

それから。

――マーニャ、ありがとう。
人の心を読み取ることが得意なあなたは、わたしのことを本当は1番良く知っているんじゃないかと思う。
なのに、決して、それを言わずに、いつだって見守ってくれていた。
今では、わたしにとって、あなたは本当に姉のような存在だわ――

――ミネア、ありがとう。
言葉は少ないけれど、あなたからの一言一言は、わたしにとって大切な言葉達で、いつも心を揺らされていた。
息を潜めてわたしを見ているあなたを感じることで、実は自分を律することが出来た場面が、いくつもあったのよ――

――ブライ、ありがとう。
未熟なわたしを急かすことなく、静かに行く先を指し示してくれていた。
あなたの知識で、たくさん助かったことがあるの。あなたは偉大な魔法使いだわ――

――トルネコ、ありがとう。
あなたと話をしているときのわたしは、いつも勇者ではなくなって、一人の女の子になっていた。
その瞬間の、肩から力が抜けた感じは、わたしの心を軽くしてくれていたの。
あなたは、商人の計算でそうしてくれていたのかしら?――

人は、死ぬ間際に、走馬灯のように過去の思い出を脳裏に浮かべるのだという。
マリアは「走馬灯」というものを見たことはなかったけれど、ぐるぐると回りながら流れていく映像か何かのようだ、と想像はしていた。
そして、ふとそのことを思い出し、自嘲気味に口元を歪める。
「これは、思い出じゃないけど」
目の前で未だ繰り広げられている死闘の最中に、一体突然自分は何を考えたのか、とマリアは自分自身に驚いた。
脳裏に浮かんだのは、思い出ではない。
ただ、仲間達への感謝の念だ。
目の前にいるデスピサロが、咆哮を上げた。
それは、アリーナとライアンが放った攻撃で痛手を負ったせいだろう。
マリアは、「もうすぐ終わるのだ」という不思議な予感に襲われた。
それは、デスピサロとの戦いのことでもあり、仲間との旅のことでもある。
きっと、あと少し。
それで、終わる。
何故か、それは痛烈に「絶対に、もうすぐ」とマリアには感じられた。
「どうしたの!?マリア!」
足が止まっているマリアに気付いたアリーナの声。
「なんでもない!」
もう、一緒に旅をしてきた仲間との戦いも、ここで終わるのだ。
(多分、もう一生、みんなとこうやって肩を並べて戦うことはないだろう)
何かが終わりを告げる時。もう、絶対に戻ることが出来ない「最期」を知る時。
そういう意味では、それはとても「死ぬ間際」と似ているのかもしれない。そんなことを、短い時間でマリアは考えた。けれど、それは彼女の思考の主となる部分ではない。あくまでも、主となる部分では、目の前にいるデスピサロを倒す、そのことを考えていた。
マリアは、天空の剣を両手で握り、走り出した。
デスピサロは、クリフトめがけて鋭い爪を振り下ろした。
その攻撃をかわしきれなかったクリフトは、盾を弾き飛ばされ、自分もまた地面に叩きつけられる。
それをフォローする素振りも見せず、マリアは斜めに飛び上がった。
斜めになった自分の体重を乗せるかのように、天空の剣をデスピサロの腹部に対して横にはらう。
第一の目、なのか、それが第二の目なのか。
二組の目をもつ――正確には、顔の上部に一つ目があるため、二組と一つなのだが――デスピサロの体。
そのうち、先に出現していた腹部の眼球を、マリアは力を込めて切り裂いた。
それは、誰もが生理的嫌悪を感じて、出来なかったことだ。
確かに、初め、その腹部は固くて切りつけても有効に思えなかった。けれど、今の今までそれを少しばかり避けて攻撃をしていたのは、そのためだけではない。
相手の五感を司る場所を攻撃することを、人間はあまり得意としない。特に、戦っている相手が人間に近い形状であれば尚更。
目や耳、口、鼻などを切る。
それには、ほとんどの人間が残虐性を感じ取るに違いない。
ライアンやクリフト、そしてマリアのように、剣を使う人間はまだしも、アリーナのように、より一層相手と密着して、手応えを感じる攻撃をする者であれば、その嫌悪感も増す。
けれど、もしも、この目の前のデスピサロが、人間に近い内臓を持っているとしたら。
そうしたら、胴体についている眼の付近は、心臓があってもおかしくない。
ようやく、弱ってきたように見えるデスピサロに、もう一打の致命傷を負わせるにはそこが有効だと思えた。
「ぐあああおおおお!!」
案の定、デスピサロの咆哮が、ひときわ大きくなる。掠れて、呼吸音が混じる咆哮。
腹部から、血ではない何か黄色っぽい液体を撒き散らして、体を揺らして悶えている。
化け物のような体になれば、赤い血は流れていなくとも確かにおかしくはない。おかしくはないが、一同はそれを見て、ぞっとした。
第一、今の今まで、どこを切りつけてもまるで表面を切っただけのように、体液が流れることはなかった。初めは、そのこと事態おかしいと思っていた。けれど、この戦いの中で「それが当たり前」になってしまっていた。だからこそ、久しぶりに見た「傷口から流れ出る体液」に皆は一瞬動揺する。
「効いていますぞ!」
皆の動揺を振り切るように、ライアンが希望に満ちた声で叫んだ。
アリーナは唇をきゅっと噛み締めて、マリアに続けとばかりにデスピサロの腹部――顔のパーツがはめ込まれたような、不気味な――へと、思い切って攻撃をしかけた。
デスピサロの体が、先ほどにも増して大きく前後に揺れる。
腹部から上はまったくの無傷であるし、体格差があるため切りつけることが難しい。しかし、悶えながら体を揺らす時に、首がぐらりと前や横に動いている。それを見て今がチャンスだ、と誰もが思った。
「ライアン、首を狙って!」
「うむ!」
「マリアさん、ギガデインを!」
どうにかこうにか起き上がり、吹っ飛ばされた盾を持ち直しながらクリフトは叫んだ。
が、それにマリアは返事をしない。クリフトはマリアを見て、はっと表情を変えた。
「!」
返事をしなくとも、既にマリアの体の周囲に集まっている小さな火花。
マリアは開いた両足をしっかと地につけ、詠唱を始めた。
その間に、ライアンはマリアに言われたように、苦しんでいる様子のデスピサロの首を狙って攻撃をしかけている。
自分もぼうっとしていられない、とクリフトもそれに倣ってデスピサロに向かっていく。その様子がマリアの視界の隅に映った。
マリアは、天空の剣に集まっていく火花達の力を感じながら、標的であるデスピサロから視線を外さない。

――人は、死ぬ間際に、走馬灯のように過去の思い出を脳裏に浮かべるのだという――

魔族の王として生まれ変ったお前は、生まれたばかりで、思い出すものなんて何もないのかしら?
それとも。

マリアは瞬きすら忘れ、悶え苦しむデスピサロをまっすぐ見つめた。その視線には、デスピサロへの憎悪も、勝利の歓喜も、悲願達成に近付いたことへの陶酔も何一つない。あえて言うならば、哀しみだ。

せめて。
せめて、命尽きる前に、思い出すならば。
お前が本当はやっぱりデスピサロで、記憶の欠片がその体のどこかにあるのならば。
それが、お前にとっての幸せになるのか。それとも、不幸になるのか。わたしはわからないけれど。
少なくとも、あの哀れなエルフは、報われるのではないか。
そして、死する最後の最後で、自分自身を思い出してくれるならば。
デスピサロという存在を憎み、仇に思っている人たちもが、報われるのではないか。
もちろん、わたしも、ほんの少しだけ。

なんという、遣る瀬無い、どうしようもない願いなのか、とマリアは思う。
マリアの願いが叶うのかどうかはわからないし、たとえ叶ったとしても、それは誰にも確認は出来ないことだ。
そんなことですら、こんな時に強く願わなければいけないなんて。
なんと、この戦いは形を歪ませられ、人の心という心が置き去りにされた理不尽なものなのか。
わかってしまっていたその事実は、マリアを強く苦しめた。
天空の剣に集まった力は、今にも天に昇ろうと膨らんでいくように思える。
けれど、マリアはデスピサロへの憐憫の思いを募らせ、まだその力を解放しない。
「わたし達は、まったく違う場所で、違う存在で、まみえることはほとんどなかったけれど、同じだわ」
ぐおおおお、と叫び声をあげ、デスピサロはいてつく波動を再び指先から放った。慌てて、クリフトはまたもスクルトの詠唱をする。
「何かに利用されて、何かに理不尽な期待をかけられて、本当に守りたかった唯一の物は奪われて。そして、それぞれ、自分ではない何者かの力を借りて」
ぱちん、ぱちん。
天空の剣を媒体として力を溜めている雷の源が、大きくはじけてマリアの小手の下の、甲を痛めつける。
「でも、わたしは決して忘れないわ。お前のように、自分自身であることを放棄するなんて、そんな愚かなことはしない。忘れるということは」
ぞわっと全身の毛が逆立つ感触に、マリアは目を見開いた。
目の前にいるデスピサロが、呻き声をあげながらマリアに向かって来る。それを阻止しようと立ちふさがったライアンが、横になぎ払われるが、よろけながらも受身をとる。
その様子を見ながら、マリアはぴくりとも動かず、こんな状況下で言葉を続けた。
心の中で呟くには、その言葉に込められたマリアの思いは重すぎて、声にせずにはいられない。

「自分勝手に救われて、楽になってしまうことだから。わたしは、そんな形で逃げる気はない」
もっと、「これで世界が平和に」とか「これで終わりだ」とか。
長い旅に終止符を打つ戦いには、それなりの感情の迸りがあるのではないかと、マリアは思っていた。
けれど、どうだ。
自分が最後の最後にぶつけたい思いは、何の志に対する達成感でも何でもない。そのことに、マリアはむしろ口元を歪めて泣き笑いの表情を浮かべた。それから、力強く、最後の呪文発動の言葉を発した。
「ギガデイン!」
膨張して、いまかいまかと待っていた巨大な雷の源は、マリアの詠唱にはじかれたようにその力を解放した。
天空の剣に帯電するように蓄えられた力は、そこから放たれ、形を変えるために高く昇っていく。
マリアに突進してきていたデスピサロは、その呪文発動に気付き、体を守るように防御の態勢になる。
その場にいる人間は、みな、一瞬息を飲んだ。
射程に入っていれば動いて呪文を交わすことは不可能なため、デスピサロは足を止めたその場場で身を丸め、声をあげずに息を詰めている。
そして、アリーナも、ライアンも、クリフトも。
マリアが放つギガデインが、今までのものと数段違うほどの威力を持つことに気付き、ぴたりを足を止め、固唾を飲んで見守ろうとしている。
全ての生き物の動きが止まり、一瞬、音が消えた。
しん、と静まり返ったその一瞬は、ほんとうに瞬き半分ほどの短い時間のはずなのに、アリーナ達には驚くほど長く感じられた。
それほど、あまりにも強く印象に残る沈黙の時。
なんて、寂しいところなの。
それが、一瞬にしてマリアが感じたことだ。
地底に来てから、気味の悪さや薄暗さで鬱々としていた。それにも増して、この戦いの場、すなわち「新しい魔族の王デスピサロが誕生した場」は、音がまったくない寂しい場所だ。
耳がどうかしたのではないかと疑うほどに、消えた音。
(こんなところで一人で、お前は)
次の瞬間、目が眩むような光の洪水に晒され、戦いの最中だというのに、誰もが目を閉じようとする。
そして、一瞬の音の空白を味わった後に、鼓膜を破るほどの轟音。
光と音。もはや、何が目を刺激して、何が耳を刺激しているのかすらわからなくなるような、それまで味わったことがないほど痛烈な、五感への緩急が彼らを襲った。
空から、頭の上の地面から、洞窟の天井から。
その者の頭上に存在するありとあらゆる物質を通過して、無限の彼方から呼ばれたかのような雷が凄まじいスピードで落ちてきたのだ。
そして、誰もが目を開けていられなかったけれど、その雷はデスピサロを直撃した。


びりびりと体の芯まで震わすような揺れ。
それは、洞窟入り口近くまで後退していた馬車ですら、感じられる振動だった。
御者台に座っていたトルネコは、遠くで繰り広げられていた闘いに終わりを告げた雷を見つめ、その光が消えても尚、目を逸らすことなく前を見ていた。
「マリア」
その瞳には涙が溢れ、視界が揺れる。ぐい、と太い手で涙を拭うが、止められない。
ふと気付くと、馬車の中から様子をうかがっていたブライが御者台の傍に来ていた。
「勇者の呪文を、短期間で使いこなせるようになるとは」
「ブライさん」
「ほんの数刻前には、制御が出来なかった呪文の力を、あそこまで巨大に膨らませるとは。なんという、強い意志をあの少女は持っているのか。わしは、時々、それが悲しいとすら思える」
「わたしが悲しいのはですね」
トルネコは、もう一度ぐいと涙を拭った。
「あの子が、本当に本当に、普通の女の子で、一度だって勇者になりたいと思ったことがない、そのことなんですよ」
その言葉に驚いて、ブライは泣いているトルネコを見上げた。
「マリアが、そう言ったのかね?」
「いえいえ。決して。でも」
トルネコは言葉を続けようとしたが、馬車からマーニャの急かす声がして、それを遮った。いつもの叫び声より余程に切迫した、金切り声をあげる。
「男2人で何しゃべってんの!ちょっと、あんなでっかい魔法が落ちてもパトリシア、落ち着いてるじゃない!だったら、マリア達のところに戻るわよ!」
「ブライさん、お乗りになって」
ミネアも幌から顔を出して、ブライに声をかける。その表情は引き締まっており、何かを感じ取っているのだということがブライにもわかる。
「あれで、終わったのじゃろうか」
「多分、そうだと思います」
マーニャが言ったように、パトリシアは入り口付近まで後退したことでなんとか落ち着いていた。あれだけの振動が来てもいななかなかったのだから、相当に正気に戻ったようだ。トルネコが手綱を握って進ませると、素直にパトリシアは歩き出す。
が、ほんの5、6歩進んだところで。
ご、ご、ご・・・と耳障りな音が響きだした。
「ちょっとお!なに、なに、なんか崩れてる音じゃないの、これ!」
「地震?で、でも、地底で地震とは・・・どういう状態になるのかしら・・・」
マーニャが言う通り、洞窟をぐるりと囲んでいる岩壁が、ぱらぱらと崩れだし、大きな欠片がごろりと落下しだした。
パトリシアは驚きでいななき、トルネコが慌ててそれをなだめようとする。
「いかん、マリア達が戦っている場所は、わずかに崖のように飛び出ておった。最初にあそこが崩れてしまうぞ!」
「トルネコ!どうにかパトリシアを走らせて!マリア達と合流すんのよ!」
「姉さん、いざとなったらリレミトを、ってマリアさんは」
「なーに言ってンの!どこまであんたってば律儀なの!?あの4人がどーなってるかなんて保障がないじゃないの!」
「律儀なのは、姉さんの方よ」
そう言って、ミネアは小さく笑顔を見せた。
「あんただって、本当はマリアのところに行きたいくせに。もう、あたしが無理矢理ひっぱらなきゃ、ほんと、約束いっつも守ろうとして、いい子ちゃんなんだから!」
そう言ってマーニャはばしんとミネアの肩を叩いた。
ぐらりと馬車が揺れ、一瞬転倒するかと思えたが、その揺れにあわせたようにパトリシアは走り出したようだ。
それでなくともぎしぎしと軋んでいた馬車は、ぎいぎいと不快な音を更に大きくたて、進む度に悲鳴をあげている。
「この馬車も、そろそろ無理かのう」
「そうかもしれませんね・・・そろそろ、パトリシアも休ませてあげられそうですね」
ミネアはそう答えて、ふと想いを巡らせた。
(初めてこの馬車に乗った時、誰もが馬の扱いに慣れてなくて戸惑っていたっけ)
(姉さんは、扱いが雑でからっきし駄目で、マリアさんは犬以外の動物は初めて見たといっていたし、わたしも・・・)
それはそう遠くない過去のことなのに、まるでものごころがついた頃の話に感じる。
長い旅だったのだ。
ミネアは、涙をこらえるため、眉根を寄せる。
そして、この長旅の中で最も不快に思えるほどの揺れを感じながら、懸命に走るパトリシアに祈った。


「デスピサロの体が、崩れていく・・・」
呆けたようにアリーナは呟いた。
最後のギガデインを受けたデスピサロは、一度動きを止めた。「死んだか?」と一同が思ったほどに、ぴたりと、ほんのわずかな揺れすらなく、その場に仁王立ちになっていた。
と、その直後、デスピサロは激しく叫び、苦しみの声をあげながら、体を何度も何度も大きく揺らし始める。
体を襲った雷に身を焦がし、切られた傷口の奥に強烈に伝わった痛みに悶え、戦うこと、敵がいることすら忘れて、前後左右に揺れ続けた。
「ぐはあああああ!!」
咆哮。
それは、痛みを我慢するために止めていた呼吸を再開した時に、自然に出た声だ。
全身の力を入れなければ、息をすることもままならない。
そして、その不自然な呼吸により、耳障りな音を口から発しているのだろう。
腕や足の関節部分が溶けるように細くなり、マリア達の目の前で、まず腕がぽろりと地面に落ちた。
それと同時に、頭部の両側に生えていた角が落ちる。
はっとなり、一同はデスピサロの頭部に目をやった。
まるで、デスピサロの体は、その細胞と細胞を繋ぎ合わせているものが弱まってしまったかのように、形を保つことが出来なくなったように溶け出している。
そういえば、とマリアはふと思う。
(わたしのギガデインでクリフトが気を失った時・・・細胞が驚いて、って言っていた。体を構成している多くのものが、それで眠っているって。ということは、ギガデインは、体を作り上げている、なんていうの、そういう小さな単位のものにすら、影響を与える威力があるってことなのね)
最後に生えてきた頭部の目に、表面の皮膚が――皮膚と言ってよいのかは、誰もわからないが――どろりと覆うように形を変えた。
マリアが放ったギガデインが、偽りの体を形成する細胞達を分離させるほどの振動を与えたというのだろうか?
生まれたばかりの赤子同様のデスピサロは、その形状を保つためにはまだ時間が必要だったのだろうか。
なんにせよ、マリア達の目の前で起きているその壮絶な様子は、気味が悪くも痛ましい。
禁じられた術を用いたデスピサロは、生物の死としてはありえない形で終焉を迎えようとしているのだろう。
見る見るうちに体全体が一回り小さくなり、足だった部分は縮み、地面には緩くなった体の一部がどろりと広がっていく。
悶えながらもまだデスピサロは動こうとし、初めに座っていた大きな玉座に戻ろうと試みているようにも見えた。
「ひどい・・・こんな形で、死んで行くなんて・・・」
両手で口を覆って、アリーナは目を背けた。
「姫様。見なくても、いいんです。デスピサロが死ぬことは間違いないのですから」
「クリフト」
クリフトはそんなアリーナを安心させるように声をかけた。けれど、そう言っているクリフトの表情も青ざめ、信じられない光景のグロテスクさに嫌悪を隠し切れない。
「まだ、何が起こるかわからないゆえ、ご両名ともわたしの後ろに」
そう言ってライアンは、アリーナとクリフトの前に出て、剣の構えを続ける。
マリアは、ライアンの横を通り過ぎ、最もデスピサロの近くへと寄った。ライアンと同じく天空の剣をまだ手にして、警戒は解いていない。
そして、彼女はまばたきもせずに、その気味の悪いデスピサロの姿を見つめていた。
と、その目に飛び込んできた次の光景は。
「デ・・・ス・・・ピサロ・・・!」
マリアは、三人には聞こえないほどの声で唸った。
溶けて小さくなっていったデスピサロの腹の部分は、マリアが切り裂いた傷口から、突然ぼろりと一部がはがれ落ちる。
それをきっかけとしたわけではないだろうが、彼らの足元の地面が突如揺れ始めた。
ギガデインの威力のせいにしては、あまりのその地響きは大きく、広範囲だ。
「地震!?」
アリーナが声をあげるけれど、マリアは振り返らない。
なんとなれば。
その、表面が剥がれ落ちた腹部の中身を、マリアだけはいち早く確認したからだ。
どくん。
どくん。
どくん。
何かが、動いている。
そこは、人間であれば心臓があるのではないかと思われる部分。
それの動きに合わせて、先ほど腹部を切り裂いた時に噴出した、黄色い液体が流れ出している。
どくん。
どくん。
動いている「それ」は、茶色っぽい糸を大量に巻き付けた塊に見える。その塊から無数の細い管――人間であれば、血管なのだろうか?――が出ていることを、マリアは確認した。
そして、そこまでは、傍で見ているライアンにもわかったことだ。
「そこに・・・お前は・・・」
声が上ずる。
ずず・・・と地面が揺れて、マリアの背後でがくりとクリフトが膝をついた。洞窟を覆っている岩壁が、ぱらぱらと小さな石程度に剥がれ落ちて行く姿があちこちで見られる。
「馬車が!みんなが、近付いてきてる!」
アリーナは入り口付近から馬車が移動して戻ってこようとしている姿を見つけた。
マリアははっとなって、三人に叫んだ。
「三人とも、馬車に近付いていって、先に乗って頂戴!」
「マリアはどーすんのよ!」
「わたし、まだ、確認しなきゃいけないことがあるの。お願い!」
「嫌よ!マリアも一緒じゃなきゃ!」
「死ぬ気はないから、先に!いざとなったら、わたし自分でリレミト出来るし!それより、地面がひび割れて、全員が離れ離れになる方が怖い!」
マリアは早口でそうまくしたてると、未だ苦しみながら溶けているデスピサロを見た。
「勇者殿!」
がっとマリアの肩を掴んで、ライアンは声をかける。それは、彼にしてはなかなかに強引で、いつもならばあり得ない行為だ。そのことにマリアも気づいていたが、真摯な表情で振り返り、毅然とした声音で告げる。
「ライアン。わたし」
「早く、共に!」
「最後に命令させて。早く、馬車に戻りなさい。クリフトも」
「いえ。わたしは残ります。そうすれば、嫌でもわたしを助けるために、あなたはここを脱出しなければいけないでしょう?」
「クリフト!」
問答の間にも、彼らの足場は薄く亀裂が入り、今にも危険な状態になりそうだ。
アリーナが叫んだ。
「駄目!パトリシアが怖がって、こっちまで来られない!」
「走りなさい!」
戦闘以外でそんな風に、強く命令をするマリアを皆は知らない。
彼女はいつでも「お願い」とか「頼みたいの」とか、お伺いの言葉を先に口にしていた。
そんな彼女が、強く。
彼女の「まだ確認しなきゃならない」こととは何なのか。誰もがそう思ったけれど、事態は一刻を争っていた。
また、ばらばらと岩壁が崩れる音が響き、足元がびりびりと揺れる感触に襲われる。
アリーナはぎゅっと眉根を寄せて、精一杯の声で叫んだ。
「クリフト!マリアを、マリアを頼んだからね!マリア!クリフトを頼んだからね!信じてる!信じてるんだから!」
悲痛なその声に、ライアンは沈痛な面持ちでアリーナを見た。決意の表情のアリーナは、頬を紅潮させ、半泣きだ。
「本当はっ・・・クリフトはっ・・・ずっとずっと、わたしのクリフトだったんだから!だけど、頼むんだから!ライアンさん、行こう!」
「姫様っ・・・」
「クリフト、マリアのこと、首根っこ掴んで連れて来てよ!」
「はいっ!」
「絶対だからね!!」


アリーナとライアンを見送ることもせず、マリアはデスピサロを見つめていた。
「クリフト、傍に来て。離れていると、危ない」
「はい」
洞窟の天井ががらりと崩れ、マリアの真後ろに、人の頭ほどの大きさの岩が落ちてきた。マリアは、盾を上にかかげて、それでも決して目を逸らさずにいる。
クリフトは、頭上も足元も、そして岩壁をも気にしてデスピサロの様子をじっくり見ることが出来ない。
ご、ご、ご・・・と耳障りな地響き。
「マリアさん、何を一体」
「クリフト、見て」
「え」
「あそこ」
「・・・え・・・」
マリアは天空の剣を鞘に戻し、まっすぐ指した。
溶けながら小さくなりながら玉座に戻ったデスピサロは、既に足そのものがなく、その場に崩れるように座っていた。
マリアが指差した部分は、デスピサロの腹部の奥にあった、茶色の「何か」の部分だ。
「多分、あそこは、わたしがさっき切りつけたところだと思う」
茶色の「何か」は、ざっくりと横に切りつけられていた。そこからは先ほどの黄色い液体が流れて出ている。
「あれは、何なんですか・・・なんというか・・・繭のように・・・しかし、茶色い繭・・・それに、何か、管が伸びて・・・」
「繭。いいこと言うのね、クリフト。そう。体の一部なのに、あの茶色い部分は、糸で覆われて乾いているの。何かを隠しているの。さなぎというより、繭よね。ねえ、あの傷口、今は座っちゃったから見えないんだけど」
「はい」
「さっき、見えたの」
「・・・何が・・・見えたんですか・・・」
マリアは、ようやく視線をクリフトに向けた。
その瞳は瞳孔が開いており、いつもの彼女よりもわずかに幼げな、可愛らしい顔つきに見える。
こんな、生きる死ぬを繰り広げ、そして、今まさに崩壊しようとしている場所だというのに、クリフトはそんなことに気付いていた。
が、それとは裏腹に、彼女は、恐ろしい言葉を口にした。
「デスピサロが、あの中に、いるの。どくん、どくんって、あの茶色いものが震える時は、中にいるデスピサロの体が小さく動いているのよ」
「な・・・!」
「進化の秘法を使って」
歪むマリアの表情。
「デスピサロは、究極の体を手に入れたんじゃないのよ」
「なん・・・て・・・」
「究極の体の、一部に、なっただけなんだわ。あれは・・・あれは・・・」
見る見るうちにマリアは眉根を寄せ、口元を震わせ、胸元に手をあてながら、激情にかられたように叫んだ。
「わたし達の、ここにあるモノだわ!あそこは、あそこは、心臓でっ・・・デスピサロは、あの、気味の悪い化け物の、心臓に・・・本当に、体の一部になって取り込まれただけで・・・」
上から落ちてきた小さな石が、マリアの肩にガツンと当たる。その時、クリフトの足元が、ずず・・・とひび割れ始めた。
クリフトは、マリアの右手を無理矢理とって、溶け落ちていったデスピサロの体の一部を踏みながら玉座に近付いた。
既にデスピサロの体全体は気味が悪い形に変形をしており、その腹部付近だけが形を保っているように見える。
触るほどの勇気は出ない。
「ひっ・・・!」
クリフトは、息を飲んだ。
どくん。
どくん。
茶色い塊が震える。
それは、少しずつ遅くなってきている、鼓動だ。
ごぼっと不快な音をたてて、茶色い塊の中から黄色い液体が再び流れた。
生き物の体の中に、液体に包まれて更に生き物がいるというのか。
「・・・母親の、胎内にいる・・・赤子の・・・・ようですね・・・」
切れ切れに言葉にするクリフト。
魔族の青年デスピサロを核として、この寂しい場所で「新しい魔族の王」は生まれた。
その存在が死にゆこうとしている今、まるで、もはやこの場所も不必要と判断されたかのように周囲が崩れていく。
そして、ついに、その茶色い塊も、形を崩す時が来たのだ。
「ぐ・・・」
クリフトは呻き声をあげた。マリアは、ぎゅっとクリフトの手を握り締めて、はっと息を飲んだ。
2人の目の前で、ずるりと何かが、茶色い塊の中からはみ出た。
溶けた体の上に、それはとてもだらしなく流れ出て来たように見える。
ようやく「それ」の姿かたちをマリア達の目の前に現したかと思うと、ちょうどこぶし大の石がガツンと天井から落ちてきた。
人の手に見える、流れ出てきた「それ」の一部は、石に打ち付けられた場所がぼこりとへこむ。
マリアはその様子を見て、クリフトから手を離し、天空の剣を再び引き抜いた。それへは、咄嗟にクリフトが制止の声をかける。
「駄目です!マリアさん!」
目の前に出てきたものを、天空の剣で切り裂こうと構えるマリア。
「マリアさん、マリアさん・・・もう・・・もう、デスピサロはっ・・・」
「う・・・う・・・」
「死んでいます。死んでいるんです。それが、今なのか、体内にいる時には既に死んでいたのか、そこまではわかりませんが」
「う・・・」
「魔族であれ、死者を冒涜する行為は、いけません」
地響きが鳴る中、マリアはその場に膝を落とした。
遠くで、何かの羽ばたきの音が聞こえる。
クリフトはその音がする方向に首を回して見た。
「マスタードラゴン?」
天空城にいるはずのマスタードラゴンが、崩れ落ちた天井の一部から入り込んだのか、巨大な翼で羽ばたいている。
相当遠くに離れてしまっている馬車を見つけて、高度を下げた様子がクリフトにはわかった。
マリアはまったくそれへは関心がないようで、地面にぺたりと座ったまま、目の前の物体を見つめている。
一体、自分達は何と戦い、何を倒したのだろうか。
釈然としない思いを抱きながら、マリアは前のめりになり、地面に頭をつけた。
わかるのは、ひとつ。
他の生命体の臓腑の一部になっていたデスピサロが、そのまま生きて、五感が残っていたとは考えにくいし、思考が可能とも考えにくい。
あれほど、張り裂けんほどに叫んだマリアの訴えは、デスピサロには、何一つ届いていなかったのだろう。
もはや、先ほどまで戦っていた「デスピサロと名乗った化け物」は完全に溶け去り、ほんの一時的にもこの世界に生を受けた証を残してはいなかった。
ただ、生きた人間であればあり得ない歪み方で倒れている、デスピサロ以外は。
マスタードラゴンのはばたきが、ひときわ大きく2人の耳に入った。


Fin

←Previous



モドル