故郷-1-

もはや、見慣れてしまった空の光景。
薄暗い地底からマスタードラゴンによって助け出されたマリア達は、空への急上昇の恐怖よりも、太陽の光の眩さに慣れずに顔をしかめていた。
マスタードラゴンの大きな前足の片方は馬車を掴み、もう片方では怯えるパトリシアを落とさぬように支えている。
そして、後ろ足首にマリアとクリフトは掴まり、足の甲の上に乗っている状態だ。
まるで、神殿の大きな柱にしがみつくように、二人は腕を回して体を密着させる。そうでなければ、いまにも風で吹き飛ばされてしまいそうだ。
マスタードラゴンの大きな羽ばたきで起こる突風と、そのスピードで切ってゆく風。二人はそれに全身を晒す。
顔の皮膚がぴりぴりと痛む、とクリフトは思った。そして、気球に乗る何倍も恐ろしい、とも。
彼の傍にはマリアがいて、同じようにしがみつきながらも、時折彼と目が合うと笑いかけてくれる。
(何故、笑うんだ。マリアさん)
声をかけるには、大声を張り上げなければいけないその状況。クリフトは困惑の表情をマリアに返すだけだ。
(あんな、デスピサロの最期を見て。それとも、あなたは、勇者として世界の平和を守ったことに、素直に喜んでいるのか)
自分で思いついたことではあったが、クリフトには、到底そうだとは思えなかった。
彼女の笑みは、クリフトを安心させようとしている、作り出された偽りの笑みだ。
それを、今までの旅で何度かクリフトは見ているし、知っている。
これから。
どうなるのだろう。
(天空の城に戻って、あなたはマスタードラゴンと対峙するのか)
まるで、地上の風を体に受けることが久しぶりのように思える。その澄んだ馴染んだ空気を感じることで、自分の体がどこかほっと安心していることをクリフトは気付いた。
けれど、それとは裏腹に、彼の心はざわざわと絶え間なく動いていた。風に流され木の葉にすら揺らされる水面のように、いつまでもいつまでも消えぬ波紋が円を描くように。

「あなたが止められないデスピサロをわたしが倒したら、わたしはあなたも倒せるのかと思って」

天空城で、初めてマスタードラゴンと会話をした時、間違いなくマリアはそう言った。それを、彼は忘れたことはなかった。

「わたし、ずっと、そのことばかり、考えてきたわ」

一つ一つの単語を、あの竜の耳に刻み付けるように。
共にその場にいた、自分に、ライアンに、刻み付けるように。
彼女は、ゆっくりとはっきりと言い放った。
今、彼と共にマスタードラゴンの足にしがみついているマリアは、まるでそんなことはなかったことのように、どことなく穏やかにすら見える。
デスピサロの最期を看取って、心が荒れて、その遺体を切り裂こうとすらしたというのに。
その、突然の変貌は一体何なんだろう。
デスピサロを倒し、今度はマスタードラゴンを倒すために、彼女は今、心を落ち着けているのだろうか。
クリフトは、唇を噛み締めた。
既に頭上には、天空城を乗せている大きな雲が近づいている。
これから何が起こるのかは、自分にはわからない。けれど、今日が自分達の旅の終わりだということだけは、間違いないことなのだろう。クリフトはそう思いながら、天空城を見上げているマリアの姿を見た。
その時、突然体がひっぱられる感触に襲われ、クリフトは慌ててマスタードラゴンの足にしがみつく。
ぐんと速度をあげて、冷たい雲の中を突っ切ってゆくマスタードラゴン。
自分達は見ることが出来ないけれど、この竜が飛翔する姿は神々しいのだろう、とクリフトはふと思う。「神々しい」という言葉を使うのは、あまり彼の本意ではなかったけれど。
冷たい雲を上へと抜けた瞬間、遮るものがなくなったためか、眩い光が彼らを包み込んだ。
そこには、美しい外観を持つ天空城が彼らを待っていた。
一度雲を抜け、天空城の周囲をぐるりと一周してから、マスタードラゴンは高度を落とした。先ほどまでの飛行とは違い、ゆっくりゆっくりと慎重に下がっていく。
マスタードラゴンは、天空城を乗せている雲の上に馬車をそっと置いた。その後に、ゆっくりと雲に足を近づけてもらって、マリアとクリフトもようやく飛び降りた。
驚きのためにパトリシアは何度かいなないたが、少し離れた場所に下りたマリアとクリフトに気付いたのかすぐに落ち着いた。そこでようやく、アリーナを先頭にして仲間達が転がるように馬車の中から飛び出てくる。
「マリア!クリフト!」
雲の上を歩くことに誰よりも早く慣れてしまったアリーナは、躊躇することなくマリア達のもとに駆けつけた。
「もう!もう、もうもうもう、心配、したんだから!」
勢いをつけて走ってきたアリーナは、そのまま両腕を横に伸ばし、マリアとクリフト両方を無理矢理抱きしめた。
クリフトは踏ん張りきれずによろよろと足をもつれさせて後退したが、ぶつかってきた当のアリーナが、力をいれて逆に自分の方へと引っ張る。その、いささか乱暴な抱擁に、クリフトは苦笑をせずにはいられない。
「ちょっ・・・姫様っ」
「最後の最後で、よくもあんな残酷なこと、わたしにさせたわね!マリア!」
「ごめん、アリーナ」
マリアは優しい表情で、アリーナの肩を抱いた。アリーナの後ろから、ミネアとマーニャも小走りでやってきた。
「やったわね!マリア!」
「うん。マーニャ、ありがとう」
「おめでとうございます、マリアさん」
「ありがとう」
アリーナの抱擁からようやく解放されたマリアとクリフトは、マスタードラゴンの姿が既にないことに気付いた。
が、今はそのことよりも、無事にこうして顔を合わせることが出来た仲間たちのことの方が大切だ。
みな、デスピサロを倒した喜びを噛み締めながら、祝いの言葉と共に、今までの旅への感謝の言葉を口にする。
ライアンも、ブライも、トルネコも。
長い旅が終わり、世界を守った。
その実感が生まれるのはもう少し時間が経ってからかもしれない、とクリフトは思う。マーニャですら「なんだか、終わっちゃったら、本当なの?って感じよね」なんてことを言うぐらいなのだから、きっと、それは自分だけではないのだろう、と彼は想像した。
トルネコはパトリシアを仲間はずれにはせず、手綱を引いてマリア達がいるところまで連れてきてくれた。マリアは、そっとパトリシアの首に腕を回し、感謝の言葉を口にする。
今まで、ありがとう。
その言葉は、むず痒さもあるが、悲しい響きでもある、とクリフトは思う。
と、その時、アリーナが奇声をあげた。
「きゃあっ!ちょっと、ねえ、ちょっと!みんな、見て!」
そのアリーナの剣幕はただ事ならぬもので、皆が慌ててアリーナを囲んだ。
輪の中心でアリーナは、自分の首にかけてある革紐をひっぱった。そして、服の内側に垂らしておいた小さな袋を取り出して、中をじいっと覗き込む。まばたきひとつしないほどに、集中をしている様子だ。
全員の注目を集めてから、彼女はごそごそとその袋に指を突っ込んだ。そして、袋から彼女が指先でつまみ出したものは、平たい白っぽい石だった。
「色が・・・サントハイムの、まじない石の光の色が、変わってるの」
それは、誰の記憶にも新しい。アリーナが肌身離さずに持っていた石は、サントハイムを護るために地中に埋められていたまじない石だ。先日、ブライとクリフトが掘り出して持ってきた時は、緑色に光っていたはずだった。
だというのに、今は。
「白く、光っているわね」
マーニャが手を伸ばして、アリーナの手の平に乗っているその石を突付いた。重々しく、ブライは呟く。
「戦いの光が希望の光へと姿変える時、そののちにまじない石は眠りにつく・・・」
そのブライの言葉は、まじない石について書いてあった、サントハイムで見つけた書物の言葉だ。
クリフトは、はっとブライを見る。
今まさに、その言葉通りのことが起きようとしているのか、あの書物は本当だったのか、と心が高鳴った。とはいえ、今、アリーナの手の中にあるその石が放つ光が「希望の光」なのかどうかは、誰にも判断がつかないことだ。
「攻撃してきたものに負けたときは、石は砕けるって言ってたわよね」
冷静にマリアが言えば、ミネアが頷く。一同の間に走る緊張。
そのまま、雲の上でしばらくの間、アリーナの手の平の上で光っているまじない石を、みなで見守り続けた。
デスピサロを倒したことと関係があることは、明白だろう。
「どう、なるの」
怯えたようなアリーナの声に反応したように、さほどの時間が経たないうちに、その石に次なる異変が起きた。
「あ・・・」
「!」
息を呑む一同。
石が放っていた柔らかい白い光が、みなの目の前で少しずつ小さくなり、みるみるうちにその勢いが衰えてゆく。
以前ならば、手を上に覆えば指と指の間から緑色の光が見えたものだが、今は同じように手で覆うと、かざした手の平を照らし出すだけで精一杯なくらいだ。
太陽の光の眩しさのためか光の色のせいか、石の発光が見えづらくなった、と思い、アリーナはそっともう片方の手で陰を作った。しかし、陰をつくっても、そのまじない石からはもはや光は放たれてはいない。
「・・・もう・・・見えないわ、光・・・」
ただの、平たい白っぽい石。それがアリーナの手の平に残るだけだ。
「た、戦いを終えて、眠りについたのでしょうか」
わずかに興奮して頬を紅潮させたクリフトがそう言った瞬間、アリーナは顔をあげて叫ぶ。
「じゃあ、サントハイムのみんなは!?まじない石が、護ってくれたの!?」
さすがに、それは誰もわかるはずがない。ブライがみつけた書物に書いてあることを信じれば白い光は「希望の光」。そう思えば、護りきったと解釈しても良いようにも思える。しかし、現実のサントハイムの状況を、彼らは誰一人知らないのだ。
困惑の表情でブライが、マリアに進言をした。
「マスタードラゴンに礼を言わねばならないようですし、伺ってみてはどうでしょうかな」
「そうね、もう、自分の部屋に戻っちゃったのかしらね」
そう返事をしたマリアはやはり穏やかだ。まじない石に心を奪われていたクリフトははっとして、自分自身に戒めの言葉を呟き、マリアに注意を向けた。
先ほどと変わらず穏やかな様子。彼女がこれから不遜な戦いを始めようと考えてるようには、やはりクリフトには到底見えない。
(一体、どう考えているのだろうか。マリアさんは・・・)
まじない石は戦いを終えて眠りについたのだろう。
自分達も、サントハイムがどうであろうと、デスピサロとの戦いを終えて家路につくことになる。
しかし、マリアにとっての戦いは、終わったと言えるのだろうか?
胸騒ぎを鎮めることが出来ずに、クリフトはそって右手で自分の心臓の辺りを抑えた。


天空城の通路を歩きながら、「ここに来るのもこれが最後かもね」とマーニャが言えば、ライアンが深深と頷き、「我々のような人間が、本来来るべき場所ではないのですからな」と最も過ぎることを言う。
「感傷のつもりだったのにさぁ」
そう言ってマーニャが肩をすくめて見せると、ミネアは苦笑いを見せた。
天空城にいる見張り兵らしき天空人も、そうではなさそうな通路を歩く天空人も、誰も彼も、マリア達がデスピサロを倒したことに対する感謝の言葉や祝いの言葉を口にする。それに対してマリアは面倒くさそうに曖昧に笑顔を返して、いささか早足でマスタードラゴンの部屋に向かった。
「入るわよ」
ノッカーを使わずに声をかけてから、大きな両開きの扉をマリアは両腕で押す。音も特になく滑らかに開いた扉は、全て開ききった状態で固定をされて、マリア達を迎え入れた。
室内に入ると、そこには当たり前のように奥に巨大な竜マスタードラゴンが座っており、両脇に付き人の天空人を控えさせている。
先ほどまでマリア達が外で浴びていた明るい日差しが、大きな窓から燦々と部屋に射し込み、絨毯が敷かれていない部分の床の表面はその光をうけて反射している。
地上であればあり得ないその光景も、既に彼らは慣れてしまっており、気後れももはやない。
遠慮せずに室内にどかどか入り込んで行く仲間達の様子を見て、ブライは「まったく」と小言をもらした。マリアはそんな小言を気にする風もなく、ずずいと前に進んだかと思うと、前置きも何もなくさらりと礼を言った。
「マスタードラゴン、さっきは助かったわ、ありがとう」
「礼には及ばぬ。出来ることといえば、あの程度のことだったのだしな」
「そう」
曖昧な相槌をマリアが返す様子に、付き人の天空人が何かを言おうとしたが――マリアの無礼さに対する叱責だと容易に想像はつく――軽くマスタードラゴンが尻尾を動かすと、その音を聞き分けたように付き人達は一歩ずつ下がった。
それから、マスタードラゴンは口元をかすかに動かした。
すると、一瞬にしてマリア達の体は、マリアが唱えることが出来る治癒魔法「ベホマズン」に似た力で覆われ、先ほどまでの戦いで作った傷はふさがり、疲れすら癒されたようだった。
それへ、もう一度マリアが礼を言おうとしたが、それは遮られた。
「天空と人間の血をひきし、勇者マリアよ」
マスタードラゴンは幾分芝居じみた仰々しさで、マリアの名を呼んだ。
「お前らの働きで、進化の秘宝はデスピサロともども、地の底深くに沈んでいった。もはや、人々が怯えることなく、世界に平和が訪れるのだ」
巨大な竜は、返事をしないマリアのことを気にした風でもなく、ライアン、アリーナ、ブライ・・・と、マリアと共に戦ってきた仲間達、一人一人に労いの言葉をかけた。その言葉のいくつかは、彼らを親しく知る者ではないがゆえの、社交辞令と聞こえてしまうものではあったが、これは上の立場の者であれば誰でも行う形式に過ぎない。
一人ずつに声をかけた後、マスタードラゴンはマリアにもう一度語りかけた。
「マリアよ」
「何」
そっけない返事でマリアはマスタードラゴンを見上げる。すると、マスタードラゴンは、誰一人も予想していなかった言葉を口にした。
「お前は勇者として、見事やり遂げた。もはや、地上に戻ることはあるまい」
驚くべきその内容を聞いて、一同はぎょっとした表情をマリアに向けた。当の本人は、ぴくりとも動かずにマスタードラゴンを見つめている。
マーニャやアリーナが「ちょっと、何言ってるの!」と声をあげる。ミネアが、ライアンが不安そうにマリアを見つめる。ブライは、マスタードラゴンの真意を量ろうとしているのか、この部屋の主を見つめ続ける。トルネコはおろおろとして、みなの顔を見回す。
当たり前だ。いくら天空人の血をひいているとはいえ、マリアは地上で生まれて地上で育った。その上、少なくとも仲間達が知っている限り、一度だって「天空で生活をしたい」なんてことを彼女は言ったことなぞない。
皆が動揺をする中、クリフトは唇を噛み締めて、己の内に湧き上がってきた怒りに耐えていた。
(何を、勝手なことを。地上に戻ることはないと?戻る場所を、マリアさんから奪ったのは、誰だというのだ!)
答えはわかっている。それは、デスピサロだ。そのはずだった。
しかし、マスタードラゴンは「わざとマリアの故郷の人々を見殺しにした」ことを、今の今まで否定をしていない。それを彼は覚えていた。だというのに、その竜は更に、マリアに勧める言葉を口にする。
「これからは、この天空に住むがよかろう」
(よくも、そんなことを!)
クリフトは、胸に混みあがる苛立ちをどうにか処理をしようと、拳を強く握り締めた。そして、落ち着け、落ち着け、と自分に何度も言い聞かせる。
感情に任せてマスタードラゴンに放ちたい言葉はあった。けれど、それを声にすることは、今の自分には許されていないのだと、聡い彼は理解をしていた。
何故ならば、当事者であるマリアがまたも穏やかな表情で、マスタードラゴンの言葉を静かに聞いているからだ。
彼女がそうであれば、自分には口を出す資格なぞないのだ、とクリフトはひたすらに自制をする。
そもそも、マスタードラゴンは何故、マリアを天空に留めようと思っているのか。その真意がわからない、とクリフトは思った。
(もしかして、マリアさんのお母さんの罪を、許そうというのだろうか)
そして、母娘仲良く天空で暮らせば良い、という意味なのだろうか。ならば、何故そうと言わないのか。
もどかしさに耐えながら、クリフトはマリアを見た。
今までの彼女ならば、きっとマスタードラゴンに対して怒っていたに違いない。それが、どうだろう。
マリアは、言葉こそはすぐには出ないが、ただただまっすぐにマスタードラゴンを見つめ、動揺を外側には微塵も見せていない。
クリフトはそれに少しばかり驚き、同時に、ならば尚のこと・・・と、己への自制を強めようと努力をした。
それから少しの間を置いてようやくマリアは、静かに首を横に振って意思表示を見せた。
室内はしんと静まり返って、誰もが彼女の言葉を待っている。しかし、先に言葉を発したのはマスタードラゴンの方だった。
「・・・その者たちと一緒に、地上に戻ると申すのか?」
「ええ」
愛らしい唇から紡ぎだされた答えは短く、凛とした響きを伴う。
マリアは理由をそれ以上言わなかったし、マスタードラゴンに対しての恨み言も何も口にしなかった。また、マスタードラゴンは「何故」とか「考え直せ」とも言わなかった。
「わかった。もう、止めはせぬ」
「ありがとう。えっと、それから、マスタードラゴン」
「うむ」
「サントハイムの人たちは、どうなったの」
マリアからのようやくの語りかけが、それだ。マスタードラゴンもまた、少しの間を置いてから、アリーナ達に対してその答えを返す。
「早く戻るが良い、三人のサントハイム人よ。お前らが待ち望んでいた結果を、目にすることになるだろう。戸惑うサントハイムの者達に真相を明かせることが出来るのは、お前達だけだ」
「本当に!?」
叫んだのは、もちろんアリーナだ。喜びに瞳を輝かせ、両脇にいるブライとクリフトの服の裾を引っ張り、喜びに満面の笑みを浮かべる。
ブライは「おお・・・」と小さく呻き声をあげ、天井を仰いだ。その瞳には、わずかに光る物があったけれど、彼はそれを拭おうとはしなかった。そして、裾を引っ張るアリーナを見て、何度も何度も無言で頷くのが精一杯の様子だった。
一方、クリフトは、神に感謝をする言葉を口にしようとして、ふと口を半開きにしたまま、喉を締め付けるように全身を強張らせた。
竜の神と呼ばれる存在の前で、彼は、彼の信仰の神の名を呼んでも良いのか、躊躇われたのだ。
けれど、彼の服をひっぱるアリーナにそれを気取られぬように、不似合いな作った笑みを返し――それは、彼にしては相当上出来だった――「姫様、我々はまじない石に感謝をしなければいけませんね」とアリーナに言った。
それへ、素直に「うん」と返事をするアリーナ。彼女は喜びで頬を赤く染めている。勘が鋭い彼女でも、これほどに気分が高揚していれば、そのクリフトのつくろった笑みには気付かない様子だ。
と、マリアはそれとはまったく関係がないことを口にした。
「マスタードラゴン、天空の装備は、このまま地上に持ち帰って良いものなの?」
「うむ。それは、天空にあるべきものではないゆえに」
「ルーシアが言ってた。翼がない天空人のために、この装備が翼になるのだと。これを地上に戻すということは、いつかまた天空の血を引く人間が、天空に来るための道しるべになるってこと?それは、許されるの?」
ミネアが息を呑む音が響く。
サントハイムの話題によりわずかに浮き足立った室内の空気が、マリアの発言でまたも張りつめた。
その状態でマスタードラゴンは、静かにマリアを見つめた。
体が大きいため当然瞳と瞳はうまくお互い焦点を合わせきれないが、お互いを意識してみていることは明白だ。
「本当ならば、許されぬことであり、今、こうやってマリアがその装備でここにいることは、本来はありえぬこと。翼を持たぬ天空人が存在することは、誰かが罪を犯した証拠なのだから。マリアが天空に留まることになれば、その装備も天空に安置し、二度と地上には、それを纏う資格を持つものの存在を許さぬつもりだった。今までは、地上に常に返したものだがな」
「そういうことよね。天空の血が地上にあることは罪なんでしょう?純粋な天空人ならば翼があるのだし」
「けれど、勇者マリアが地上に戻るというならば、その天空の血は、どんどん薄くなれども、地上に生きて継がれることになる。もちろん、子孫を残せば、だが。お前の両親は罪を課せられたが、お前には罪はない。それと同じく、お前の子孫にも罪はない。もしも、遠い未来に天空の血が天空に戻りたいと思えば、その時に再び天空の装備達は力を貸すことになるだろう。その子孫に、天空の血が色濃く出れば」
マスタードラゴンの一言一言を聞き漏らさないように、とマリアは集中をしているようだった。そのせいか、彼女のめつきは険しくなり、マスタードラゴンの言葉を聞いている間は、目には何も映さず、呼吸もぴたりと止めている。竜の言葉が終わると、そのたびに「ふー」と息をつくのが、その証拠だ。
「ねえ、ついさっき、『今までは地上に返した』って言ってたわよね」
マリアは、重々しい響きで言葉を放つ。それへのマスタードラゴンの答えはやけにあっさりとしており、「うむ」と躊躇のない頷きが返って来る。
一同は、マリアが聞き返したそのことを誰もが心にとめていたようで、マスタードラゴンの言葉を待った。両脇に立つ付き人はどこまで真実を知っているのか、先ほどからまったく顔色も変わらぬまま、やりとりを静かに聞いているだけだ。
「既に、推測しておろう。過去から今までで地上において天空の血をひいてしまった者は、マリアだけではない。禁じられることというものは、おおよそ前例があるものと決まっておる。そういう者がいたからこそ、地上人と天空人が愛し合って子を為すことは禁じられ、そして、天空の装備が作られたのだ」
「地上で、罪によって生を受けた子供を、天空に送るために?」
「然り」
そのマスタードラゴンの返事に、トルネコが何かを言いたそうに手を前に出した。が、うまい言葉がみつからぬようで、もどかしげに首を傾げて頭を抑える。まるでトルネコの様子で心を読んだのか、マスタードラゴンは先回りをして答えた。
「武器商人よ。案ずるではない。お前が夢見ていた天空の装備は、そのような悲しい役目を負って産まれただけではない」
「で、では・・・何のために・・・誰が・・・」
トルネコはおどおどと先を促す。
「どんな罪の結果生まれた子供であろうと、我ら天空の者にとっては、大切な空の子供。たとえ、マリアのように、我らに対して頑なで、むしろ、憎しみすら抱いていようが」
そのマスタードラゴンの言葉で、アリーナは悲しげな表情を見せた。しかし、今マリアを見れば、自分のそれは憐れみの視線になってしまうと彼女は思ったのか、アリーナは決してマリアを見ようとはしなかった。マーニャとミネアは眉を寄せて竜の言葉に反論したい様子だったが、結局どちらも言葉を出さなかった。
「天空の装備達は、マリアが今纏っているように・・・我らの愛する空の子供達を護るため、立ち向かわなければいけない物を切り伏せるために作られた。作ったのは、天空の職人だ。そして、その力は、たくさんの天空人達の、長い長い祈りによって込められたもの。勇者マリアは、天空の装備を嫌っているようだが、未来に生きる見ず知らずのお前のことを思いながら、遠い昔に生きた天空人達が作り上げた、世界で唯一の装備品がそれなのだ」
「天空の血をひけば、誰もがこれを使えるの?」
「そうではない。選ばれた者だけが」
「選ばれた」
「そのまま地上にいては大きすぎる力を持つ、天空の血が濃く出た者。その者は、地上人が成し遂げることが出来ないことを担う運命と、背中合わせになることだろう。その者のみが、身につける権利を得るのだ。勇者マリアのように」
「そうなの」
マリアは少しだけ考えるようにマスタードラゴンから目を逸らし、左手で右ひじを抑えながら、右手であごの辺りをごそごそと撫でた。
「天空の装備は、トルネコにあげようと思っているんだけど」
「問題はない。いつか、必要な者が現れたときは、導かれて行くものだ」
「何、それ。こっちが必死になって探したっていうのに、運命って言葉で片付けるの?」
「うむ」
「ほんと、苛立つわね」
そう言ったけれども、マリアは何故か微笑んでいた。苦笑に近い笑みだけれど、それはどことなくマスタードラゴンとの間に「気安さ」が生まれたからではないか、と思える、気持ちを許した笑みにクリフトには見えた。
マリアは、少しの間黙った。ふっと天井を見て、それから、息を整えて。
一同は、まだ何か彼女は言うのだろうと気付いて、静かにその様子を見守るだけだ。
やがて、心に決めたように、マリアはゆっくりとマスタードラゴンに尋ねた。
「もうひとつ、聞いて良いかしら?」
「うむ」
「シンシアは、あなたが、あの村によこしたエルフなの?」
「違う」
マリアの問いに、マスタードラゴンは即答する。
その答を聞いたマリアは、驚いたように「えっ」と短く声を発し、瞳を見開いた。
「違う、の?あなたが、あの村に、シンシアをよこしたのではないの?」
繰り返す言葉。
その声音は、少しばかり上ずっていて、マリアらしくないものだった。
マスタードラゴンの答えは、マリアにとってはまったくの予想外だったのだろうと、誰もが判断出来るほどだ。
「では、誰が?」
「あの娘にはあの娘の人生が存在した。それは間違いがない真実だ。いかに勇者マリアの人生に関わった者とはいえ、私が個々人の人生すべてを覗き見しているわけではない」
「彼女の人生が存在した?意味がわからない。そんな当たり前のこと・・・それに、覗き見をしているわけじゃないっていうのは、本当にシンシアのことは知らないってこと?」
「私が知っていることと言えば」
そこで言葉を止め、マスタードラゴンは少しばかり呻き声を上げた。それは、どことなく答えを選んでいる風にも見えた。
「シンシアというエルフは、自分の望みにより、勇者マリアの村に身を置いていたということぐらいだ。誰に命じられたわけではない。ましてや、私から指示をされたわけでもない」
マリアの仲間たちは話が見えなくなったため、黙って二人――正確に言えば一人と一頭かもしれないが――のやりとりを静かに聞いているだけだ。
明らかにマリアは動揺をしていた。そして、まだ何かをマスタードラゴンに言おうと息を吸いこんだ。しかし、吸い込んだ息をそのまま止めたかと思うと、ふうっと体の力を抜くように吐き出す。
言葉にならないのか、それとも、自分で抑えたのか。それは誰にもわからない。
「マリアさん」
何を言ってあげれば良いのかはまったく思いつかなかったが、どうにかしたくて、クリフトはマリアの名を呼んだ。
マリアはその声に気付いて、ゆっくりとクリフトを見た。その顔には力強さも穏やかさもなく、先ほどとはうって変わった、戸惑いの表情が浮かんでいるだけだ。
少しだけ、わかる気がする、とクリフトは思った。
多分、幼馴染だったあの羽帽子の主のことは、マスタードラゴンに聞けば全てわかるのだと、そうマリアは思っていたのだろう。
天空城に初めて来た日、マスタードラゴンとの謁見を済ませた後、マリアは様子をおかしくしてしまった。
城内をぐるりと回ってきたライアンが、その体に染み込ませて来てしまった花の匂いを嗅いで。
その香りが、彼女の故郷の村の傍に咲く花のものらしいことは、クリフトだけは嫌と言うほど良く知っている。以前、クリフトがその花の残り香をさせていた時も、マリアはすぐにそれを嗅ぎ分けたのだから。
その香りは、マリアの幼馴染、シンシアが身に纏ってきた香り。
だから、マリアは、その幼馴染が天空城から来たのだと推測したのではないだろうか・・・。
クリフトは、はっと気付いて、半分は苦し紛れに提案をした。
「以前、ライアンさんが行ったという部屋に・・・行ってみましょう。何か、わかるかもしれない。よく考えれば、あまりこの城の中を、あなたは行ってないのではないですか」
「でも・・・クリフト達はサントハイムに早く戻らないと・・・」
「そんなのっ、いいわよ!」
その声はアリーナのものだ。
話があまりわかっていなくとも、やりとりを聞けばなんとなくは感じ取ることができる。それに、何よりアリーナの勘は、時折驚くほど働くのだ。
「よくわかんないけど、この城に何かあるのね?マリアにとって必要なことが。だったら、いいじゃない。サントハイムのみんなが無事だったわかっただけで、すっごく嬉しいし安心したもの。後からマリアが一人でここにやってきて、何かしでかしたらどうしようって思うし、付き合うわよ!」
そのアリーナの言葉に、クリフトはどきりと一瞬焦った。
後からマリアが一人でここにやってきて、何かしでかしたら。
アリーナは、あまり知らないはずだ。知らなくて言っているのだ。本当はマリアが「しでかそう」とずっと思っていたことを。
しかし、それでもその言葉はあまりにも鋭く、クリフトの心に刺さる。それは、マリアも一緒ではないのか、と彼はマリアの様子を見た。
マリアはなんと返事をすればいいのか躊躇しているようで、言葉が出ないようだ。
「そういえば、マリア、ルーシアさんにもお礼を言わないといけないんじゃないかな」
助け舟のようにトルネコが言うと、わざとらしく大きい声でマーニャがそれに賛同をする。
「そーよう。ルーシアんとこ行かなくっちゃね!やっぱり、義理とか、人情とか、大事じゃない?」
その姉の発言にミネアは苦笑をしたけれど、さすがに何も言わずに頷くだけだ。ブライもなんとか力になろうと思ったらしく
「この城の図書館にも、最後に寄らせていただきたいと思っていたところ、ちょうど良い!」
と、なかなかの大根役者ぶりを見せる。
「そうね・・・うん・・・」
そんな仲間たちの助けを借りて、ようやくマリアは気を取り直したように声を出した。
「マスタードラゴン、地上に戻る前に、もう少し天空城の中を歩き回ってもいいかしら」
それへは、簡単な答えが返って来る。
「うむ。思い残しのないように行くが良い」
「ありがとう・・・じゃあ、行くわね」
マスタードラゴンの許可に礼を言うと、マリアはさっさと背を向けて、いつもより少しばかり大股で扉の方へと歩いてゆく。
とはいえ、彼女はそれで良いかもしれないが、皆はそういうわけにもいかない。
「あっ、ちょっと、待ってよ!マリア!」
慌ててマーニャは、マスタードラゴンに
「まあまあ世話になったわね。ありがとう。踊りを見たくなったら、呼んでくれれば来るわよ。ちょっとばかり高いけど、特別料金にしてあげるわ」
などという、礼と共に営業の文句までするすると言い放ち、ウィンクひとつした後でマリアを追う。
その、あまりにも気負いのない様子にさすがのマスタードラゴンも戸惑ったようで、何もマーニャに言葉を返せなかった。それを少しだけおかしそうにアリーナは笑ってから、マーニャに続いて改めてマスタードラゴンに礼を言う。
こうして各々、二三言マスタードラゴンと言葉を交わして、退出の挨拶をした。
その間にもマリアは仲間たちを待たずに、開け放たれていた扉から通路に出て行ってしまった。
一度も、ちらりとも、振り返ることなく。


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