故郷-2-

「マリア。あたし達はルーシアんとこ行ってくるわ」
マーニャの提案に、マリアだけではなく一同が驚きの表情を浮かべた。
「あの天空人、ほんとは苦手でしょ。なんだか、あれこれと考えてる今、あのノーテンキな子と話したら、あんたブチ切れそうだし」
その言い草についついトルネコは笑い声をあげてしまう。
「ええー?マリア、ルーシアちゃん苦手だったの?」
「ちょっとね」
アリーナの追求には、さすがのマリアも肯定の言葉を出さずにはいられなかった。
しかし、マーニャの配慮はルーシアに関しての好き嫌いだけではなく、みながぞろぞろとマリアについていくことが、マリアにとっては嬉しくないのではないか、という細やかなものだ。
そこは年の功、ブライもまた
「先ほどは思いつきのように言ったが、実際図書館に寄りたいのは本音。別行動させていただいても、よろしいかの」
と申し出る。
「じゃっ、わたしはマーニャについてくね」
「わたしも、姉さんと一緒に行きます」
アリーナとミネアがそう言うと、トルネコもするすると、自分の所在を決める。
「それじゃあ、わたしは、一足先にパトリシアのところにいって、ゆるゆるとみんなを待っていよう。パトリシアもお腹がすいた頃だろうし、何か食べられるものがないのか聞いてくるよ」
残されたライアンとクリフトは、どうしたものかと困惑の表情を浮かべる。そこに、マリアが
「ごめんね。クリフト、ライアン。あの時から・・・ここに来た時から、二人には迷惑かけちゃってるけど・・・ううん、アッテムトの時からかな・・・もう少し、この城でのこと、付き合ってもらえるかしら?」
と、お伺いをたてた。
「お役に、立てることがありますのかな。そのお、自分が色々と鈍いことは存じておりますゆえに」
ライアンはもごもごとそう言ったけれど、それへマリアは笑顔を返す。
「ライアンに来てもらえると、助かるわ。わたしも、クリフトも、ちょっと感情的になりすぎることがあるから」
「そうなんですって。クリフト。精進しなさいよ!」
「ひ、姫様・・・」
アリーナの言い草に、それはあんまりだ、とクリフトは思ったけれど、皆はどっと笑い声をあげ、おかげでその場のムードが一気にほぐれた。

マリアを除いた女三人は、ルーシアに会いに行くために城内を歩いていた。
「アリーナ、最近大人になったわね」
突然のマーニャのその言葉がいまひとつぴんとこなかったようで、アリーナはきょとんとする。
「マリアと、クリフトちゃんが、なんだかいい感じだから?なんか、前よりクリフトちゃんと距離置いてるっていうか、マリアに貸してあげてるじゃない?」
「あー、うーん、そうと言えばそうなんだけど、なんだろ、大人になったって、言うのかしら?これって」
難しい表情を見せて、歩きながらもアリーナは考えこんでしまう。
「そうなの。まだ、クリフトはわたしのものって、勝手に思ってるんだけど」
「うんうん」
「わたしは、戦うことしか出来なくて、そのことは、クリフトじゃ足りないじゃない?で、クリフトやミネアはみんなの怪我を治してくれるけど、それは、わたしじゃ出来ないから」
「そうね」
「クリフトは、多分、マリアの心の傷も治したいんだと思う。わたしは、それも得意じゃない。だから、わたしが出来ることは、クリフトがそのために努力出来るように、自由にしてあげることだって思ったの。今まで、わたしがやりたいことのために、クリフトは一所懸命に付き合ってくれたから、今度はわたしがちょっと付き合ってあげるんだ」
「寂しくない?」
「寂しくない。寂しいのは」
アリーナは、きっぱりと言った。
「クリフトにもマリアにも、何一つしてあげられることが自分にない方が、寂しいわ」
そのアリーナの言葉を聞き、ミネアは微笑む。
「きっとあなたは、とても良いサントハイムの王妃になられるでしょうね」
「ええー!?そういう柄じゃないわよう!」
非難の声をあげるアリーナ。マーニャはにやりと笑ってから、アリーナの帽子をぽん、と叩いた。
「あんたが元気に笑ってることで、どれだけあの二人が楽になってるのか、自覚がないわけじゃないでしょ。アリーナ。あんたは、あんたが出来ることが一体何なのかをいつも考えて、二人にしてあげてたじゃない」
「マーニャ」
アリーナはマーニャの笑みを一瞬ぽかんとした表情で見ていたが、それから、照れくさそうに頬を染めて、無言で頷く。
その後も、三人は足を決して止めないで歩いていたが、ぐすっ、と鼻をすする音が天空城の廊下に小さく響いた。


くるりくるり。
天空城の一室では、中央の足元に、大理石でくりぬいた浅い水槽がある。その周囲をぐるりと囲むように並んだ花壇には色鮮やかな花が咲き乱れ、その奥で美しい女性が三人で踊っていた。
一見天空人ではないかとも感じたが、彼女達は間違いなくエルフ達だ。
そして、花壇に近づくまでもなく、入っていった三人の鼻をくすぐる香りは。
「クリフト」
マリアは、花壇の花をじっと見詰めたまま――どちらかというと、睨んでいる、と言った方が良いのかもしれないが――クリフトの名を呼んだ。
ライアンはわからないが、クリフトはわかる。
それは「この花の香り、間違いないわよね?」という、マリアからの問い掛けだ。
「確かに・・・」
搾り出すようにうめくクリフト。彼が彼女に返すことが出来る言葉は、これだけだ。これ以上に細かい説明を、彼は口にはしたくなかった。それは、どこまでライアンに知られても良いのか、という懸念ではなく、彼自身、戸惑っていたからだ。
マリアの故郷である、ブランカ城より北東の山奥の村。
その周囲に咲いていた、可憐な花の香り。
それを知っているのはクリフトとマリアだけだ。
そして、クリフトもマリアも、あの山奥でしかこの花を見たことはない。多分、ライアンだって、あの長い旅の間、世界を回ったどの先でもあの花を見たことはないだろう。
咲く季節が限られているから・・・それだけが、その理由ならば良いのに。クリフトは、祈るようにそう思った。
彼らの様子を見て、踊っていたエルフの一人が足を止める。
「世界を救った勇者様達だわ!」
一人がそう声をあげると
「お祝いの踊りを、踊りましょう!」
と、もう一人のエルフは言って、踊りの足を休めない。
もともとエルフ達があまり人間を好んでいないことを、クリフトは知っていた。それは、アリーナとブライと三人で旅をしていた時、「さえずりの塔」の最上階に降りてきていたエルフと会ったことがあるからだ。
また、初めて天空城に来た日にこの部屋に訪れたライアンは、「人間よ!」といって、エルフ達につん、と無視をされてしまった、とマリア達に話をしていた。
だから、世界をマリア達が救ったことそのものは感謝していても、完全に友好的ではないということは、マリアにだってわかる。
「マリアさん・・・」
マリアは、更に花壇に向かって歩いていき、水辺にぐるりと一周囲んでいる花を見回した。
「白い花だけじゃあないのね。黄色とか、オレンジとかもあるのね」
「・・・そう、みたいですね。あの村の周囲には、白い花しかありませんでしたが」
「そうよね」
くるくると踊り続けているエルフ達は、マリア達を追い出さない代わりに、特に友好的に振る舞うこともしない。
マリアはかつかつと足音を鳴らして、踊っているエルフに近づいた。エルフ達は誰も踊りを止めない。それがなんとなしに苛立たしい、とクリフトは思う。ライアンも同じ気持ちなのか、眉間にしわを寄せて「むう」と小さく呟いた。
「ちょっと、聞きたいことがあるの」
エルフ達は、マリアの声に反応せずに踊っている。
ついに苛立ち、マリアは一人のエルフの腕を掴んだ。
「キャッ!」
「ごめんなさい。踊っているところ、お邪魔して申し訳ないのだけど」
「な、なにかしら?人間がわたし達に何の用なの?もう、地上に帰るんでしょう?」
「ええ、帰るわ。帰る前に、知りたいことがあって、ここに来たの」
マリアの声音が大層真剣であることに気付いたようで、他の二人のエルフも踊りの足を止める。クリフトとライアンも、おずおずと部屋の奥へと歩いて行き、マリアの後ろにそっと控える形で立つ。
「あなた達は、エルフよね?」
「そうよ」
「エルフって、天空城に住んでいるの?みんな?」
「わたし達の多くはここにいるけれど、地上にもいるわ。世界樹の傍はもとより、緑が多くて、人間が少ないところに」
「どうして、天空と地上で別れて暮らすの」
「何度か地上に下りているうちに、興味が出てくるんじゃないかしら?わたし達はずっとここにいるから、地上に下りるエルフの気持ちなんて、わからないわ。ねぇ、おねえさま」
「ええ」
「ええ」
二人のエルフは、にこりとも笑わずに同意をした。さも、マリアの質問に興味もない様子だ。
「たまに地上に降りるけれど、あそこに住みたいと思ったことはないもの」
そう言って、肩を竦めて見せる。
「知り合いで、地上に降りたエルフは、たくさんいるの?」
「そうねぇ。確かに多いかもしれないわ」
「じゃあ」
マリアは、心を決めるためか、一瞬間を置いた。それから。
「シンシアっていうエルフを、知らないかしら?わたしと、同じくらいの年齢に見えたんだけど・・・地上に、いたの」
「年のとり方が違うから、そんなの、なんのヒントにもならないけど・・・そんな名前のエルフは知らないわ」
「知らないわ」
「一人いたけど、随分前に死んだわよ。といっても、あなた達が生まれる前だと思うわ」
その三人の返答に、マリアはあからさまな失望の表情を見せた。
彼女が、そこまではっきりとそんな表情を見せることは、非常に珍しい。それは、戦いから解放されたからか、それとも、そうならずにはいられないほど、彼女の心の中でシンシアの存在のルーツを知りたい気持ちが強いからなのか。
もちろん、その答えをクリフトもライアンも知らない。けれども、彼女が打ちひしがれていることは嫌というほどわかる。
しかし、諦めずにマリアはもう一度聞いた。
「他に、エルフはいないのかしら、今日は」
「今日はいないわ。何人かは、さえずりの塔に行っちゃったし、何人かは、世界樹の近くにいるおねえさまに会いにいってるし・・・」
「でも、シンシアなんてエルフの名前、知らないと思うわ」
「そう・・・じゃ、ロザリーっていうエルフのことは?」
マリアは髪をかきあげながら、少し荒っぽく言った。それは、自分が思うとおりの返事を貰えない苛立ちと、どことなく呑気なエルフ達の受け答えが癪に障ったからだ。と、それには予想外の答えが、あっさりと返ってくる。
「名前は聞いた事があるわよ。ルビーの涙を流すエルフね」
「会ったことないけど」
「少し前に地上に降りた時に、そのエルフが出てくる夢を見たわ。あんな強い祈りの力があるなんて、予言の巫女の素質があるエルフだったのかもしれないわね」
「そうかもしれないわね!」
きゃっきゃ、きゃっきゃと騒ぎ立てるエルフ達。
なるほど、まったく関係がないと思われていたロザリーのことすら知っているとなれば、エルフ達の横だか縦だかの繋がりは馬鹿には出来ないようだ、とマリア達は思った。
ふと、クリフトは首を傾げて、騒いでいるエルフ達に問い掛けた。
「予言の巫女とは?」
「人間には話すことじゃないから、教えてあげないけど」
「たまーに、その素質があるエルフがいて、予知をしたり、念話をしたり出来るの」
「昔から、たまーに予言の巫女って呼ばれるエルフがいたのよ。天界にいれば、そう呼ばれたかもね」
「エルフだからって、誰もが、あのロザリーとかいう子みたいに、人に夢を見せたり出来るわけがないでしょ。この前、わたし見たわ。あの子が死んじゃった顛末の夢。天空人は寝ても夢を見ないらしいけど、わたし達は見ちゃうのよね・・・あの子が死んだ後のことまで、あのデスピサロとかいう恐い魔族のことまで、夢に見たわ。自分が死んだ後のことまで、ああやって映像にして人の頭に送り込めるなんて、相当に強い力を持つエルフだったんじゃないかしらね」
「あら、だったら、あんな風に簡単に死なずに済んだんじゃないのかしら」
エルフの勝手な憶測を聞くのは、いささか苛立つ。しかし、彼女達の話はいちいち頷けることが多い。
確かにそうだ、とマリア達は思い巡らす。
エルフのことについてはあまり彼らは知らなかったけれど、イムルの村で見たロザリーの夢は、明らかにロザリーの力によって見せられていたものだと思えた。
たとえ、彼女が死した後の、デスピサロの怒りの様子までもがあったとしても。
それは、ロザリーが最後に死したあの悲しい場所に残した、彼女の最後の力だったのかもしれない。
エルフ達が「あの子が夢を見せた」と言っているのだから、間違いはないのだろう。それが、彼女達が言うような「相当に強い力」のせいなのか、何なのかはよくわからないけれど。
「・・・皮肉ね。シンシアのことを知りたかっただけなのに。こんなところで、こんな形で、ロザリーのことを知ることが出来るなんて。あんな弱いエルフが、確かに、あれほどの力を持っていたんだって・・・今頃気付くなんてね」
ぽつりとマリアは呟いた。その表情は悲しげに歪み、唇を噛み締めて俯く。
悲しいまでにすっかりと力を落とした肩を見つめ、クリフトとライアンはそっと目くばせをした。
ここにはもう、マリアが欲しい情報はないのだろう、という意味だ。
と、彼らがそう判断してもマリアは諦めきれないようで、花壇に咲いている花を見ながら、エルフに問い掛けた。
「この花、綺麗ね」
「綺麗でしょ?わたし達エルフは、みんなその花が好きなのよ」
「その花は、このお城にしか咲いていないの」
「地上に下りるエルフは、この花の種を持っていくことが多いけど、地上ではあまり育たないようね」
「世界樹付近でも育たなかったみたい」
嬉しそうに答えるエルフ。これは、なかなか食いつきが良い話題らしい。
「この香りを、身につけることは、あるの?」
「そういうエルフもいるかもしれないけど、ここにいれば自然にその花の香りが体につくもの」
「そう・・・色々、教えてくれてありがとう」
エルフ達に軽く礼を言ってから、クリフト達に向き直るマリア。その表情は強張っており、芳しくない。
「二人共、もう、いいわ。行きましょう」
「マリアさん」
「良いのですかな」
「うん。もういいわ」
そう言うと、後ろで待っていてくれた二人の横を通り過ぎる。まるでマスタードラゴンの部屋を退出した時のように、マリアは一人でさっさと歩いていってしまう。慌ててその背を追う男二人。
通路に出ると、マリアは立ち止まって少しだけ考え込んでいるようで、遅れて出てきた二人に、ぽつりぽつりと呟いた。
「このお城にしか咲いてないのに、地上に咲いていたのよね。それは、シンシアが種を持って降りたってことよね?」
「そ・・・うかもしれませんが・・・シンシアさんじゃない、別のエルフがいたのかもしれませんし・・・」
「ああ、そういう可能性もあるか・・・」
「ロザリーさんは、もともと天空城にいたエルフではないようですよね」
「そうね。あの話っぷりでは・・・ってことは、シンシアだって、シンシアが地上に下りたんじゃなくて、地上で生まれたのかも・・・あれ?エルフってどうやって生まれるの?」
「さ、さあ・・・今のエルフ達に聞いてきますか?」
クリフトもライアンも、そういわれれば・・・と、マリアの呟きに目を白黒させながら思い巡らせた。エルフは女性ばかりのような気がする。けれど、それは性別があるのだろうか?確かに、どうやって生まれるのだろう?
いや、そもそもエルフ達に限ったことではない。魔族と呼ばれる者達は、デスピサロは。どうやって生まれたのか。
そうやって考えてみると、なるほど、どれほど自分達が「人間だけ」の世界で生きていたのかを痛感する。
「いいわ。わかったことは・・・マスタードラゴンがシンシアを地上によこしたわけじゃあないってこと、天空に住むエルフ達はシンシアを知らないってこと・・・それで十分よ。あとは、わたしが探すのは、地上でのことになるわね・・・きっと・・・」
「その、マリア殿。どうしても、そのシンシアさんのことを知らなければいけないのですかな?」
ライアンがおずおずと話し掛ける。この件について、ライアンはまったくわけがわからないまま、口を挟まずにマリアに付き合ってきた。彼の大人らしい対応にマリアもクリフトも助かっていたが、さすがにその疑問には答えないわけにはいかないだろう。
「・・・どうしても、じゃあないんだけど・・・今更、いなくなってから、シンシアのことを知ろうなんて、そんなの、ほんとに・・・わたしの自己満足だってわかっているんだけど。ただ地上に住んでいて、あの村に迷い込んだだけなのかもしれないけれど・・・でも、なんだか」
マリアはぶつぶつと、考え事をまとめられないように、ライアンに伝えようとしているわけでもないように、思うがままのことを呟いた。クリフトもライアンも息を潜めて、マリアの言葉を待つ。
「変な気がするの。ああやって世界を回って、尚更そういう気持ちになった。エルフと人間が一緒に住んでいる場所なんて、ほとんどなかった。なのに、わたしの故郷には、シンシアがいて。そして、わたしが生まれた時には、天空人である本当のお母さんがいたんでしょう。っていうことは、天空人とエルフと地上の人たちが一緒に、あの小さな村にいたのよね。そして、村の周りには、あの花が咲いていて。年に一度シンシアは、あの花を摘んできていたんだわ。何か、こう、何もかもすっきりしなくて・・・うっすらと、もやがかかったようで・・・なんていうの?違和感?」
そこでマリアの呟きは止まった。考えがまとまらないようで、マリアは眉間にしわを寄せて、自分の右手で軽くこめかみを抑えて瞳を閉じた。
その様子を見てクリフトは、提案をしようか、しまいか、と葛藤していた。
一人の人物の出自を調べるということは、その人物を知る人間がいなければ話にならない。
彼には、もう一人だけ思いつく人物がいた。そして、本当はマリアも心の中では気付いているに違いない。
彼女の背を押していいのだろうか。
それとも、シンシアというエルフはどこから来たかはわからないが、偶然きっとあの村にいたのだ・・・それ以外はわからない・・・そういうことにして、マリアにはもう考えさせないようにしたら良いのか・・。
「・・・マリアさん」
「うん・・・」
「この城に、もう一人、あなたの出生に近しい人がいらっしゃいますよね・・・」
そのクリフトの言葉に、ライアンは目を見開く。マリアは体を強張らせて、瞬きもせずに自分のつま先を見ているだけだ。
「そうね」
ぽつりとマリアは返事をした。その声は、まだ強く同意を出来ずに仕方なくうった相槌のように、弱弱しく床に吸収されていってしまう。
「そうね」
二度目の相槌は、顔をあげ、クリフトをまっすぐ見ながら発した言葉だ。
「ライアン。もう少しだけ、付き合って」
「もちろんですとも」
「あの人が、シンシアを知っているか知らないかで、シンシアがいつあの村に来たかが・・・最低でも、それはわかるものね」
「ええ」
クリフトは力強く頷いた。それから、ライアンの目の前だというのに、マリアに手を差し出す。その手の意味に気付かず、マリアは不思議そうにクリフトを見る。
「なあに?」
「手が、震えています。マリアさん」
「・・・!」
マリアは、クリフトのその声に驚いて、息を吸い込んだ。まじまじと自分の手に視線を移すと、確かに震えている。
確かに、震えている。けれど、どうして。
何故自分が突然震えだしてしまったのか、当人であるマリアにはまったくわからないようで、不安そうにライアンを見て、そして、クリフトを見る。
そこにいるマリアは、エスタークやデスピサロを倒した勇者ではなく、ただの一人の少女のように、間違いなく何かに怯えているようだった。
自分の体の起きている異変にすら気付かないほど、深く深く考えていたのかと思うと、マリアにとってはそれすらが驚きになる。
「さ、寒い・・・というわけではないでしょうな。マリア殿、一体」
「どうしたんですか、マリアさん。どんな恐ろしい敵の前に立っても、震えることなんて、ほとんどなかったのに」
「な、んで、わたし」
それから、クリフトは強引にマリアの手を掴んだ。それでも、彼女の震えは収まらない。
「なんで、震えてるの。シンシアのことを、あれこれと考えていただけなのに」
マリアの両手を自分の両手で包んで、クリフトはぎゅっと強く握り締める。
「マリア殿。息を整えてみると良いですぞ。深く、深く息を吸い込んで、ゆっくり吐き出して」
ライアンに言われた通りに、マリアはすうっと息を吸い込んだ。それから、ゆっくりゆっくりと、「ふー」と音を立てながら息を吐き出す。
手を握っているクリフトも彼女のそれに合わせて、静かに息を吐き出した。
マリアに一体何が起きているのか、ライアンもクリフトもわからない。
ただ、彼女が思い当たってしまった「違和感」というものが、彼女の思い過ごしであれば良いのに・・・言葉には出さなかったし、お互いに確認をしあうこともなかったが、男二人の心の内は一つだ。
ゆっくりとクリフトが手を離すと、マリアの震えは止まっていた。
「ありがとう、二人共。わたし、一人でなくてよかったわ」
照れくさそうなその言葉、その表情には、先ほどまでの強張りはもうない。
けれども、彼女が求めている情報にはまったく近づいていないという、抗えない悲しい現実だけはそこにあり続けるのだった。


天空城の一室。
その部屋では、天空人の女性が静かに椅子に座っていた。
小さなノックの後、入室を求める声。それに彼女は答え、迎え入れる。
声もなく静かに立ち上がった、陰りを帯びたその顔はいささか青ざめている。
それは、マリア達の凱旋にどことなく浮き足立っている天空城全体の雰囲気にまったくそぐわない様子だ。特に、先ほどのエルフ達に会った後だからこそ、余計にそう思えるのかもしれない。
その女性を見るなりに、ライアンは「む?」と唸り
「どこかで、お会いしたことはないですかな・・・?」
と問い掛けた。
天空人の答えを待たずに、マリアが先回りをするようにその女性に問い掛ける。
「どこまで、話してもいいのかしら」
「・・・わたしは、マスタードラゴンから許可をうけ、あなた方を地底の世界で癒しておりました、希望の祠に移し身を置いていた者。勇者マリアとその仲間であるみなさんがたの此度の活躍、大変嬉しく思います」
「おお!なんと。あの希望の祠で!」
ライアンは彼らしく、その天空人に何度も何度も礼を言い、「この城にいながら、あの地底にも姿を見せることが出来るのですか、いやはや・・・」など、まっとうな疑問を口にしていた。
クリフトは、決して自分の方を見てくれないマリアの心中を察しようと、何一つも聞き漏らさないように、と緊張をしていた。
先ほどの天空人からの答えは、つまるところ「マリアの母親であることは、伏せておかなければいけない」という意味だ。
それを取り違えるほど、マリアもクリフトも阿呆ではない。
「今から、地上に戻られるのでしょう?何か、わたしなぞに、話でも?」
「・・・わたしが生まれた村には」
マリアは、二人よりも一歩前に進むと、まっすぐとその天空人を見つめた。
「長老がいて。剣の先生がいて。先生のお母さんがいて。わたしを育ててくれた、お父さんと、お母さんがいて」
一人ずつ。一人ずつ。
思い出せる限りの人間の名を、マリアは並べていった。
目の前の天空人は、静かにそれを聞いており、一言も口を挟まない。
「それから、ドッセルさんと、ドッセルさんのお姉さんの・・・アイリンさんと・・・それから・・・あと、それからね、もう一人」
そこで、マリアは一度言葉を切った。唇を引き結んで、じっと天空人を見た。
何か、反応して。
そんな祈りにも似たマリアの気持ちが、クリフトには感じられる。
もし、シンシアを知っていれば、マリアがシンシアの名をまだあげていないことをきっと彼女は気付くだろう。
そのまま「シンシアは?」とマリアに聞くことはないだろうが、一縷の望みをマリアはかけようとしているに違いない。
しかし、その思いは無情にも破られた。
天空人の女性は、怪訝そうに呟く。
「・・・もう一人?」
「そう・・・もう一人・・・いたの」
「・・・」
わずかに唇を開けて、天空人は眉間にしわを寄せる。
腰の横にそっと垂れていた彼女の指先がぴくりと動き、何かを数えるような仕草を僅かに見せる。
「もう一度、初めから言ってください。勇者マリア」
「長老がいて・・・剣を教えてくれた先生がいて・・・」
繰り返しながら、マリアの瞳には涙が浮かんできた。
ライアンはあごを軽くひき、その表情を他人にはうかがわせないようにした。そして、クリフトもまた、繰り返すマリアの言葉の痛ましさに胸を痛め、帽子を深く被り直す。
マリアが一人一人あげていくその名前。
クリフトは知っている。それは、あの廃墟にいたはずの、命を奪われた人達の名前だ。
小さな小さな村。けれど、その場にはいくつもの幸せな家庭があったのだ。
デスピサロの襲撃で、マリアはたった一瞬でその何もかも失ってしまったのだ。そして、そこに彼女は帰ろうとしている。そのことを思えば、冷静でいることが出来ない。クリフトは唇を噛み締めた。その耳に、マリアのたどたどしい声が続く。
「それから、えっと・・・ドッセルさん。ドッセルさんは、よく門番してくれてて・・・剣の先生に、最初に剣を教えてくれた人だったんですって。それから、ドッセルさんのお母さん。おばさんは、パイを焼くのが上手だったの。先生は、昼飯に毎日パイばっかりで飽き飽きだってたまに愚痴ってたけど、それを一口貰うのが、わたし、好きだったのよ」
震えるマリアの声。
と、それをじっと聞いていた天空人は突然、まるで耐え切れなくなったかのように、不意に両手で顔を覆って頭を下げる。
「・・・勇者マリア。あなたが生まれた村には」
「・・・うん」
「あなたを身ごもった天空人の女と、その女を嫁にしてしまった無骨で素朴な男性がいて」
「うん」
「長老と呼ばれる、魔法が得意なおじいさんがいて。マスタードラゴンの裁きの日に、天空人の女を助け起こそうとしてくれた、剣士見習の優しい少年がいて。その少年のお母さんがいて。天空城に連れ戻された女の代わりに、あなたをを育ててくれたのだろう、優しい夫婦がいて。宿屋をしながら畑をたくさん耕していた男性がいて。それから、天からの裁きで命を奪われた、あなたの父親とよく一緒に狩りに行っていた男性がいて。それから」
俯いた顔を覆いながら、マリアのように声を震わせながら。彼女は、一人一人をゆっくりと数えるように、名をあげてゆく。
それを聞いたライアンは途中で「まさか、あなたは・・・」と唸るように声をあげ、マリアを、クリフトを見た。そして、以前クリフトが気付いたことを、今度はライアンも気付いたようで、独り言のように呟いた。
「お二人は、声が、似ておられる」
クリフトは、ライアンに首を横に振ってみせる。
それは、ライアンが思いついたことに対して、否定をしたわけではない。
口に出してはいけないことなのだ、肯定してはいけないことなのだ・・・そんな、悲しい気持ちを伝えようとした動きだ。
それをどれほどに感じ取ったのか、ライアンはしばらくマリアを見つめてから、再びあごを引いて黙り込む。
「それから、剣を少しはふるって、野生の動物が村に入るのを防いでいた男性と、その男性の姉」
それから。
次の言葉を待って、マリアは突き刺さるような視線を彼女に送った。
それから。
呼吸を整えて、顔を覆った手を外してから、天空人はゆっくりと頭を上げた。
「その人々に囲まれて、あなたは育ったのだと・・・わたしは、そう思っていましたが」
「!」
「それから、誰がいたのですか」
「それから・・・シンシアが・・・シンシアは、エルフで・・・わたしが物心がついた時には、もう傍にいてくれて・・・わたしのお姉さんのような人で・・・あの日、わたしの身代わりになって・・・」
「シンシア・・・エルフ・・・そうですか。あなたには、優しい姉代わりの人がいたのですね」
「・・・そう・・・」
マリアはただただ呆然と、天空人を見るだけだ。
やはり、マリアが生まれて、マリアの母親が天空に連れ戻されるまでは、シンシアはあの村にはいなかったのだ。
そうなのではないかと薄々マリアも思っていた。けれど、だからこそ、マスタードラゴンがシンシアを天空城からあの村に送ったのではないかと、そう予想をしていたのだ。しかし、それをマスタードラゴンは否定をした。
「どこから、来たのかしら。シンシアは」
「・・・その名のエルフは、天空城にはおりません。地上のどこかにいたエルフなのでしょうね」
「そうなの・・・」
失望の呟き。
マリアは、ライアンとクリフトを振り返って、苦笑を見せた。
先ほどまでの戦の疲れとは違う、心底の疲労がそこには浮かんでおり、今にも泣き出してしまいそうな表情。
「今まで、不可能ではないかと思うことにも立ち向かって、様様な困難を乗り越えてきたのに、たったこれだけのことを知ることが出来ないなんてね」
「マリア殿」
「これが現実なのね。自分に、言い聞かせるのが、とっても難しい」
寂しげにぽつりと呟くマリアを、天空人は悲しげな瞳でみつめるばかりだった。

それから半刻も過ぎないうちに、マリア達一同は天空城の外に集まり、地上へと出発した。
彼らが天空城からいなくなったことを確認してから、シンシアのことを尋ねられた天空人は、自分の部屋の扉を開けた。
デスピサロ討伐の喜びに浮かれた空気もとうに冷め、いつも通りの天空城の通路がそこには広がっている。
ほとんどその部屋から出ることなく毎日を過ごしている彼女が、こうやって自分から部屋を出ることは稀なことだ。
(マリア)
何か、決意に満ちた強い足取りで、彼女は歩く。
迷いなく、目的の部屋に向かって。


「あなた方は、地上に戻られるのでしょう?」
「ええ。帰るわ」
わたしの問いにきっぱりと答えたあの子の表情には、何の迷いもなかった。
彼女は、地上で生まれ、地上で育った者。
地上に戻ることは、あまりにも当たり前で、確認をすることなぞ本当は何一つなかったはずだ。それでも、彼女本人の口から聞きたいと思い、聞かずにはいられなかった。
やはり、と思う反面、わたしはまた、埒のあかない心配をする。
「あなたは故郷へ帰るのですか」
「うん。みんなのお墓を作ろうと思って。それから、旅の最中に力になってくれた人に、会いに行こうと思って。ホフマンとか、ヒルタンさんとか・・・色々ね、いるの」
彼女のその言葉に、後ろにいた男性二人も驚いた顔を見せていた。
旅が終わったということは、彼らも彼らの故郷に帰るに違いない。
マリアは、一人になるのだろう。そして、一人になった彼女がどうやって生きていくつもりなのか、わたしはそれが心配でならなかった。
いいや、違う。それだけではない。
彼女の戦いは、これで本当に終わったのか。それを、わたしは確認がしたかったのだ。だから、もう一度問い掛けた。
「その後は?」
「しなきゃいけないこととか、やりたいことはあるんだけど、決めかねて」
そう言って、彼女は小さく笑った。
「シンシアのことを尋ねるために、エルフ達がいる町を捜すのが先か、それとも・・・なんにせよ、まだ剣を置くには早いわね」
「・・・そうですか」
何もかも、薄膜に包まれたような、曖昧な会話。
わたしと彼女はそんな言葉の応酬でしか意思疎通を測ることが出来ない。
それはとても悲しいけれど、だからこそ、彼女が精一杯の言葉で様様なヒントをわたしに伝えようとしてくれていることがわかる。
ギガデインの呪文を操りきれずに揺れていた、地底での彼女とは別人のように、彼女は何かを強く心に決めたようだった。
そういう人間は、心に何のブレもない。揺らぎがない。
シンシアというエルフについて、彼女はわたしに聞きたかったのだろう。けれども、わたしはそのエルフを知らなかった。
その失望とは裏腹に、彼女はもはや何一つ動じないように毅然とした態度で答えてくれた。
「天空の装備は、もう身につけないわ。空に戻らないわたしが着るわけにはいかないし、マスタードラゴンの加護は、二度と受けたくない」
その言葉を発した時のマリアの瞳。
先ほどとうって変わったような、ぎらぎらとした、怒りすらたたえているように見えるその瞳。
わたしは、まばたきひとつすることが出来ず、彼女の顔をじっと見たまま、軽くあごを動かすだけでその言葉に賛同した。
「あなたには、それはもう必要がないはず。天空の血に縛られ、天空の秩序を守る必要は、あなたにはありません」
「・・・ありがとう。それを認められるなら、気が楽になる」
それ以上、マリアは自分の未来については言葉にしなかった。
わたしも、追及をしなかった。
そして、大して大げさな別れの言葉をわたし達は口にしなかった。
何故なら。
また、彼女はこの城に訪れるだろうから。

わたしは、マスタードラゴンの部屋の扉を、礼儀正しくノックをした。中からの応えに名乗ると、即座に付き人が拒絶の言葉を放つ。
「罪人からの謁見にマスタードラゴン様が応じると思うのか」
室内から乱暴に冷たく放たれた言葉に、わたしは屈しない。
「あなた方の考えを聞きたいのではありません。マスタードラゴン。あなたこそ、わたしが来た理由を本当は知りたいのではありませんか」
大きな扉の前で、わたしは声を荒げる。
この天空城に連れ戻されてから、わたしは今まで自分からこの部屋に足を運ばなかった。
付き人が言うとおり、罪人からマスタードラゴンとの謁見を望むなど、本来ならあり得ない。それは、わかっている。
罪を犯しながらも、この天空でまだ生きていられることを感謝し、慎ましやかに、天空城の決め事に従って生きていく。それだけが、罪人に許されることなのだ。
けれど、わたしは様様なことを許された。マリア達を癒すことを許可され、そして、正確な名乗りをあげずとも、お互いの立場を正しく理解し合い、話すことを、それとは知らずに許されている。
それは、きっと。
マリアが何をしたいのか、マスタードラゴン本人が知りたいからなのではないかと思う。
わたしに対してマリアは何を言うのか。何を求めるのか。それを知ることで、彼女の真意をあの竜は測りたいのだろう。
だから、わたしはここにいて。
きっと扉は開くだろうという確信を持って、中にいざなわれることを待っている。
――ほら。
目の前の扉は、大きな音も軋みもなく静かに開き、わたしを招き入れる。
そのことに不満そうな付き人は、扉を両側に開きながら「入れ」とぞんざいに言った。わたしは、彼らには何の興味もない。だから、彼らのその態度に何ひとつ気分を害することもない。
かつん。
冷たい床に響く、わたしの靴音。
久しぶりのその部屋は、以前と変わらず光に溢れ。
一瞬眩しさに目が眩み、わたしはゆらりと体を揺らしてしまう。けれど、すぐにその眩さに馴れ、部屋の奥で体を丸めているマスタードラゴンに焦点を合わせた。
「マスタードラゴンよ。あなたに聞きたいことがあって、ここに来ました」
「言ってみるが良い」
マスタードラゴンは、重々しくわたしを促す。
「勇者マリアが知っているシンシアというエルフは」
その時、ふと、付き人二人の気配が室内から消えたことに気付いた。
わたしの言葉を聞いたマスタードラゴンが、珍しく無理矢理の人払いをしたのだろう。
いつもならば、その意を見せて付き人達を自主的に下がらせるのに、それすらもどかしく思えたのか強制的にその存在を室外においやったのに違いがない。それほどの力がマスタードラゴンにあるということを、普段は思い出すことがないけれど、いざ目の当たりにすると一瞬鳥肌が立つ。
でも、それに気圧されてはいけない。
わたしは、わたしが尋ねたいことをマスタードラゴンに言わなければ。
ぐるるる、と、マスタードラゴンの喉が鳴る音が、明るい室内に響く。
どくん、どくん、と高鳴る自分の鼓動を感じる。
この答えに、何かが隠されているのかもしれない。
マリアと話をしていた時にはそこまで感じなかったけれど、去り行く彼女を見ているうちに突然思い出してしまった。そして、それは。
何か。
何か、とてつもなく大きな悲しみの始まりを意味しているのではないかと、そう思えてならなかった。
だから、わたしはここに来た。
息を一度吸って。呼吸を整えて。これ以上、気圧されないように、自分を信じて。
意を決して、ついにわたしは聞いた。
「シンシアというエルフは、もしかしたら、あの『キュンティア』ではないのですか。類稀なる魔力を持っていたため『未来返し』の禁忌を行使してしまった、予言の巫女の・・・大層可愛らしかった・・・」
あまりにも眩い光の中、けれども、あまりにも重苦しい空気が、室内に充満していくように感じる。
そんな中、マスタードラゴンは、ぴくりとも動かずにわたしを見ていた。

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モドル