故郷-3-

気球に乗り込み、マリア達は天空城を後にした。
天気が良くてありがたいね、とマリアが言うと、みなは心ここにあらずという様子で、曖昧な相槌を返すばかりだ。
皆そろっての、最後の空の旅。
本当ならば、ルーラで一気にそれぞれの故郷に帰れば済むことなのだが、誰もがそれを言い出さない。
仲間達がお互いへの名残があり、そして、終わってしまうこの旅への感慨があまりに深すぎるのだ。
風が強くないおかげで、気球は緩やかに流れてゆく。手馴れたように気球を制御するのは、トルネコだ。
仲間たちは、お互いに対する感謝の言葉や何やらを交わすが、形どおりの言葉を口にすることは、誰もがしっくりこないようだ。今までありがとう、とか、元気でね、とか。そんな言葉は、旅を無理矢理ここで終わらせるために、遮断するために口に出しているだけに思えてしまう。
「デスピサロを倒すことばかりを考えて、こんな風に別れが来ることに、心の準備が出来ていなかったのかもしれないわ」
アリーナはそう言って、一瞬悲しげな表情を見せた。が、次の瞬間には
「なーんて、またいつでも逢えるんだしね!あのね、わたし、みんなにお願いがあるの」
「あら、なーにぃ?お願いって」
健気にも明るい声を出すアリーナの気持ちを汲んで、マーニャはいつも通りの声音で合いの手を入れた。
「ブライとクリフトはいいとして。あのねっ、もし、サントハイムでみんなが元に戻っていたら・・・毎年、わたしの誕生日に、なんかよくわからないんだけど誕生日パーティを開くのね。今まではそういうの、面倒くさくって嫌だったんだけど」
「まったく、姫様は相変わらずじゃ。誕生日パーティなぞ、どこの王族でも開催するというのに『よくわからない』などと、困ったことを言われる」
「ブライは黙っててよ!それでね・・・次の誕生日パーティには、ううん、これから毎年・・・マーニャ、踊りに来て。パノンさんも呼びたいな。それで、みんな、会いに来て!」
「あっらあ、あたしは高いわよ〜ぉ。お姫様」
「えー!?友達割引ないの!?」
そのアリーナの発言にブライは頭を抱えた。一国の姫が「割引」など、庶民が使う単語をすらすら言うとは。ブライがちらりとトルネコを見ると、どうやらトルネコには心当たりがあるらしく、わざとらしく目を逸らし、気球の操縦に集中をするふりをした。
「マリアは、ふるさとに帰るんでしょ?わたし、マリアの故郷の場所知らない。どうやって連絡とったらいいのかな?」
当たり前のアリーナの疑問に、マリアは困ったように答える。
「しばらく村にいるけど、そのうちまた旅に出ようと思っているの。だから、連絡といっても」
「マリアはさぁ、どっか旅に出る時、必ずトルネコのお店に寄りなさい」
マーニャが命令口調でマリアに言う。あまりに唐突なことで、マリアは驚きの声をあげた。
「えっ」
「近いんでしょ。エンドールが一番さ。まあ、ルーラ使えばどこだって一緒だろうけど、一番確実なのはトルネコっていうか、奥さんのネネさんじゃない?あたしは一応、気が向けば旅芸人みたいにふらふらするかもしれないし、ライアンは騎士なんだから、何か遠征とか出る場合だってあるでしょ。アリーナは城にいるっちゃいるんだろうけど・・・そのうち、外交とかに関わるようになりゃ、忙しくなるだろうしね」
「は?」
「姫様が!?」
そのマーニャの発言に、次はブライとクリフトが声をあげる番だ。一体どこから、アリーナが外交に関わるとか関わらないとか、そういった話が一体どこから出たのかと、心底男二人は驚いている様子だ。
照れくさそうにアリーナは笑顔を見せて
「まだ、そんなの、わからないけど。でも、わたし・・・少しは、お父様の手助けをしたいって、思えるようになったから」
「姫様・・・おお、大人になられて・・・」
ブライはわざとらしく大仰に言う。クリフトは少しだけはにかんだ笑みをアリーナに見せ、心からの褒め言葉を贈った。
「ご立派です。姫様」
「ありがとう、クリフト」
それへは謙遜をせず、素直に礼を言うアリーナ。話が横道にそれたことをトルネコはきちんとわかっていて、呑気ないつも通りの口調でマリアに語りかける。
「なんにせよ、旅に出る時は寄るといいよ。装備品を一通り、点検してあげよう。デスピサロがいなくなったとはいえ、魔物達がいなくなるわけではないし、それこそ、必要なものがあれば友達割引をしてあげられるというものだしね」
「ありがとう、トルネコ」
「マリア殿。たまにはバトランドにもお寄りください」
「うん。ありがとう」
クリフトはふと、マリアが「そうする」と同意はしていない、ということに気付いた。「ありがとう」と好意を受けつつも、トルネコの言葉にもライアンの言葉にも彼女は正しく返事をしていない。と、もう一人、それに気付いているだろう人物が
「もし、黙ってどこかに行かれたら、わたしの占いですぐに探し出しますからね。そのおつもりで」
まるで猫の首に鈴をつけるかのように、ミネアは宣告をする。
まいったな、という表情でマリアは肩をすくめ
「ミネアの占いはすごいものね。すーぐつかまえられちゃうわね、わたし」
と言って、小さく笑い声をあげた。


別れる時のことを、自分達は何も話していなかった。
それを、クリフトは後悔していない。
何故ならば、別れた後にマリアがどうするのか、彼女自身がそれを決めかねていて、何の話も出来ない状態だったと知っていたからだ。
天空城で、マスタードラゴンと話して。エルフと話して。実の母親と話して。
そうなるのではないか、と薄々気付いていたが、やはりマリアはなんらかのことに心を動かされたようだ。
あとほんの少しで別れるというのに、ここに来てようやく自分達は、自分達がこれからどうするか話し合うことが出来る。
うやむやにすることは嫌だ。
そう心に決めて、クリフトは、彼にしては珍しい勇気を出したのだった。
みなの前で「マリアさん、お話が」と切り出した彼を見て、マーニャは口笛で軽く囃し立てた。そして「じゃ、わたしもライアンと話がーっとね!」と、ライアンの腕に自分の両腕を絡ませ、慌てるライアンを気にした風もなく皆から少し離れていく。
それがマーニャなりの気遣いなのだと、今のクリフトには理解が出来る。
きっと、旅を始めた頃の自分であれば、そんな細やかな気遣いを感じ取ることも出来なかっただろう。
気球はかなり大きかったけれど、それでもお互いの声が聞こえないほど離れることは、なかなか難しい。
それでも、出来る限りそれぞれのプライバシーといったものを尊重しようと、各々が「聞かないふり」をするため、わざと話を続けようとし、ブライもトルネコも、世間話を始める始末だ。そういった気遣いは、照れくささもあるが、今は素直にありがたいとクリフトは思っていた。
また、一方のマリアはというと、クリフトのいつもならばありえないその大胆さに初めは驚いていたが、そうせざるを得ないほど、自分達は別れについて何も話していなかったのだと気付いていた。
なので、驚きはしたものの、クリフトが勇気を振り絞ったことに感謝をしつつ、そんなに広くない気球の中で移動をした。
「空は、気持ちいいわね」
「ええ」
マリアは気球の淵に両腕を乗せて指を組み、リラックスしたようにあごを手の上に乗せて、水平な視界に広がる空を見ていた。その隣に立つクリフトは、そんな彼女を見つめていた。
「地上にいた時は、悲しいことがあったら空を見ていたけど、空に生きる天空人達は、悲しいことがあったら何を見るのかしらね」
「はは、確かに・・・もっと、空でしょうか?」
「・・・ね。お母さんは、あの部屋で何を思いながら生きていたのかしらね」
「きっと、あなたのことを」
「・・・」
マリアは、前を向いている。広がるのは空ばかり。鳥達はもう少し高度が低いところに飛んでいるようだ。
「故郷にお戻りになって・・・あの村で、過ごすのですか。当面の間」
「うん。ほら、雨が凌げるところはあるし、旅のおかげでそれなりに自活も出来るようになってきたしね。みんなのお墓を一つずつ作って、それから、何か残されているものがないのか、村の隅々まで探して・・・それが終わったら、旅の途中で会った人たちに、お礼を言いに回るつもり。エルフを探しながら」
「・・・その後に、またあの村に戻るのですか」
「そのつもり」
「それから」
クリフトの追求に、マリアは首を横に振った。
その後のことは考えていない。そういう意味かもしれないし、クリフトには言わない、という意味かもしれない。
「マリアさん」
クリフトは、そっとマリアの手に自分の手を伸ばした。それに気付いたマリアは自分から、彼の手をそっと取って、自分の両手ではさみこむ。
ようやく、マリアはクリフトと目線を合わせた。少し照れくさそうに苦笑を見せる。
「天空城では、ありがとう。震えてたの、自分で全然気付かなかった」
「そんなこと・・・」
「クリフトは、サントハイムに戻って、旅に出る前の生活に戻るんでしょ?サントハイムに行けば、クリフトはいつもいるの?」
「・・・はい。います」
「よかった。会いたくなったら、行ってもいい?」
「そうじゃ・・・そうじゃないでしょう」
クリフトは、憤りと悲しみを同時に感じて、声を荒げそうになった。それを自制することは、彼の年齢では途方もない努力が必要だ。
悪いのは、マリアではない。
一緒にサントハイムに行こうとか、一緒にあなたの村に行きたいとか、そのどちらも言うことが出来ない自分なのだから。
クリフトは心からそう思っていたし、それは、非常に彼らしい感情だと言えよう。
「では、わたしがあなたに会いたくなったら、どうしたらいいんですか」
「旅に出る時は、トルネコにも言いに行くけどあなたにも言いに行くわ」
「本当ですか」
「ええ」
その返事に少しばかりほっとしたように、クリフトは息を軽く吐き出す。それから、マリアに伺いを立てるように、彼はゆっくりと穏やかに切り出した。
「・・・サントハイムの様子が落ち着いていたら、あなたが旅に出る前にあなたの村に行っても良いですか」
「なんで?」
「あなたの村には、教会がなかったし、あなたは今でも神の存在を信じないかもしれないから・・・だから、祈りを捧げるのは、わたしの身勝手だとわかっていますが・・・お墓を作ることぐらい、手伝わせてもらえませんか」
マリアは、すぐに返事をしなかった。
と、その時アリーナの声が背後に響く。
「わあ!もうすぐ、サントハイムだわ!」
そして、小声でミネアがトルネコに「どうして最初にサントハイムに・・・マリアさんとクリフトさんのお気持ちも・・・」と責めるように聞いていた。
トルネコはきっと、サントハイムの人々がどうなっているのかみんなが心配していると、そう思って最初にサントハイムに向かったのに違いない。しかし、量らずもそれは非難の対象になってしまったようだ。
「マリアさん」
そっとクリフトの手を離して、マリアはみなのもとへ行こうと動いた。そして、背中越しにクリフトに返事をする。
「サントハイムでも無茶なことをしないなら、来てもいいわ。わたし、それが心配なの。クリフトが、わたしのために無茶をしすぎやしないかって・・・」
「・・・ええ。必ず、お伺いいたします」
そう言うと、クリフトはマリアの背に向かって、帽子を取って深深と一礼をした。
ミネアやブライはその様子を見て、一体彼らが何を話していたのかと不思議そうな表情を見せたが、顔をあげたクリフトは何事もなかったかのように帽子を被り直すばかりだ。その上、
「姫様、あまり身を乗り出されては」
とすぐにアリーナの無茶な態勢に気付いてたしなめる。マリアの方はブライに声をかけた。
「お金ちゃんと持った?」
それは、皆で旅の間に共有していたゴールドの分配のことだ。
アリーナは金に不自由はしていなかったし、ブライも困るような生活はしていなかった。それでも、だからといって彼らにまったく分配をしないというのも気が引けた。
全員均等にと言い張って、マリアは最後まで意見を譲らなかった。が、最後までいらないと言い続けたのはブライで、そんな彼がわざとゴールドを置いて行くのではないかとマリアは思ったのだろう。
「確かに。使い道は今はないが、そのうちに見つかるじゃろうて」
「うん。ブライが思うとおりに、ブライのために使っても、誰にために使ってもいいから。だから、持っていって」
「うむ」
ただし、カジノのコインだけは別物で、それは均等にトルネコとマーニャに委ねることにしていた。なんとなれば、彼らの中で、故郷に帰った後でもカジノに足を運ぶのは、どう考えてもその二人だけだったからだ。とはいえ、トルネコは仕事の息抜き程度にしかやらないだろうし、きっとあっという間にマーニャが食いつぶし、トルネコにコインをねだりにいくのだろうと誰もが予想していた。
「そろそろ、高度を下げていくよ」
トルネコが皆に声をかける。マーニャが陽気に笑った。
「さあ、この景色、もう見ることもないわよ!しっかり見ときなさい、アリーナ!」
「うん」
「あんたの国が、空から見るとどんな国だったのか。よーく覚えておくといいわ」
そのマーニャの言葉に、マリアはくすりと笑い声を軽くあげた。
「・・・マーニャって」
「うん?」
「ほんと、いい先生よね」
「今頃気付いたの?」
「ううん。前から知ってたけど」
「でしょー?」
ぐんと高度が下がっていく感触。
気球から見を乗り出すようにじっと下を眺めているアリーナの傍に、マリアは近づいた。
眼下に広がる景色は、サントハイム城とサランの町だ。
あの城の周りにぐるりとまじない石を埋めたとしたら、それはどれほどの数、どれほどの労力だったのだろうかと思いながら、マリアは少しばかり無言のままアリーナの隣で下を見下ろした。それから、下を見たままでアリーナに語りかける。
「ね、アリーナ、上から見ても綺麗ね。サントハイム城」
「うん。知ってたつもりだったんだけど。何度も旅の最中、ここを通ってたし」
「そうよね」
「だけど、今日の景色は格別よ。だって」
「うん」
「今まで、空から見ていたサントハイムには、誰もいなかったの。でも、今日は違う。今まで、見えなかった人の姿が、ほら、ちらほらと見えてきた。ほんとに小さくて豆粒みたいだけど、あれがサントハイムの人達だって・・・わたし、すぐにわかるもの」
そう言うと、アリーナは視線をそらさずに下を見続ける。確かに、眼下に広がる景色の中、サントハイム城の周辺には人らしきものがちらちらと動いていたし、城の敷地内と思える草木の間にも、犬猫とは違う何かがちらりと動く様子が空からでもわかる。
マスタードラゴンが言うように、確かにサントハイムの人々は戻ってきたのだ。
アリーナはそれに対していつものように元気一杯で喜ぶわけでもなく、感動で泣くわけでもなく。
彼女は、空から見えるサントハイムをひたすら凝視していた。それは多分、マーニャに言われたからではないのだろうとマリアは思う。
そんなアリーナの隣で、マリアも同じように下を眺め
「本当。人がいる。ね、アリーナ。わたし、人がいるサントハイムに初めて行くの。きっと、本当は賑やかなんでしょうね」
「うん。そうなの。わたし、サントハイムのみんな大好きなの。でも、以前はそうだってことを、口には出せなかった。だから、これからいっぱい、みんなに伝えるの。ねえ、マリア。わたし、マリアも、ここにいるみんなも大好き。それは、ちゃんと、伝えられてるのかなあ?」
「馬鹿ね」
マリアは、旅の途中で何度かお互いにそうやったように、そっとアリーナの隣で肩を寄せ、こつりとその頭をつける。
「伝わらない方が、どうかしてるわよ」
「そっか!うん。そうだよね」
そう言って、アリーナは笑みを見せた。そして、その笑みのまま、マリアがどきりとすることをアリーナは言う。
「ねえ、マリアは、クリフトのこと好きなんでしょ」
「え」
「だったら、サントハイムにくればいいのに」
「・・・うん。ありがとう。でもね・・・たとえば、サントハイムの人たちが戻らなかったら、アリーナは他の場所に住むことにする?」
穏やかなマリアの問いに、アリーナは少しばかり考えた。
あの広いサントハイム城で、クリフトとブライの三人と暮らすことは現実的ではないが、それでも、だからといって自分はあの城をそのまま捨てることは出来ないだろう。
そう思い当たってアリーナは、自分が少しばかり一方的なことを考えていたのだということに恥じた。
「ごめん、マリア。わたし」
「ううん、謝ることじゃないの。わたし、アリーナがそんなにわたしのことを考えてくれたこと、すごく嬉しい。甘えたくなるくらい。でも、決めたの。あの村に帰るって・・・まだ、やることが残ってるって気付いたから」
そう言って、マリアは瞳を伏せた。


気球はゆっくりとサントハイム城前に降りていった。
あんなに人っ子一人いなかった、静まり返って魔物の巣窟と化していたサントハイムは、まるでたった一瞬やそこいらで息を吹き返したようで、人間の不在を感じさせない明るい空気に満ちている。
マスタードラゴンからサントハイムの人々の復活を聞いてから、それなりに時間は経っている。
城にいた人々が、もし自分達の異変に気付いたとしても、多少は冷静になってくれていることだろう。
一同を代表して、マリアはサントハイム王に挨拶をすることになった。パトリシアの面倒を見る人間も必要だし、下手に全員で挨拶にいけば、サントハイム王に引き止められることもあり得る。それはさすがに面倒にも思えたので、あまり長居をしなくていいように、仲間を待たせているから・・・という言い訳も出来るし、ということらしい。
マーニャはまだあれこれとライアンと話をし足りない様子――とはいえ、それは第三者から見れば、愛の語らいでもなんでもなく、世間話だったり、マーニャの自分勝手な話だったりと、甘い雰囲気ではなかったのだが――だったし、トルネコを早く家族のもとに返してあげたいという気持ちも皆あったから、手短に済ませる方が良いという雰囲気にはなっていたのは事実だ。
マリア自身が一番「王様と謁見なんて、なんだか面倒くさいなぁ」なんて思ってもいたが、アリーナの父親に多少興味もあったので、その役割に文句は言わなかった。
一同に別れを告げ、アリーナ、クリフト、ブライは久しぶりの「人がいる」サントハイム城にマリアを招いた。
そこで一行を待ち受けていたのは、紛れもなくサントハイム城で暮らしている人々からの温かい言葉だ。
「姫様、お帰りなさいませ!」
「そのお方が勇者様なのですね!?」
「魔のものを倒し、姫様が凱旋なさる夢を、王様が見たとおっしゃっていました!正夢だったのですね!」
「長い間、深い眠りについて、暗いどこかに閉じ込めらていたような気がします」
「外を見れば季節が移っていて、自分達に空白の時間があるということを知りました」
「おおよそのことを王はご存知で、みなで姫様のお帰りをお待ちしておりましたよ!」
「食糧がみんな腐っていて大変ですよ!ついさっき、サランの町に食糧を買いに出たところです。いざという時のための干し肉や乾燥物、それから酒は無事なので、そうそう困りはしませんがね」
誰の話を聞いても、人々の声は明るく、その表情に陰りはない。
そして、みながアリーナを「姫様、姫様」と慕っている様子に、マリアまでもが嬉しい気持ちになってきた。
「アリーナのこと、みんな好きなのね」
マリアがそっとクリフトにそう言うと、誇らしげに彼は「はい」と即答した。それへ、マリアは笑顔を返す。
(わたし、そんな風にはっきりと物を言う時のクリフトの声、好きよ)
本当は、それを口に出そうか悩んだけれど、彼女は敢えて黙って笑みを浮かべるだけだった。

サントハイム王には予知能力らしきものがあるというもっぱらの話だったが、それに間違いはないようだ、とマリアは知った。
あの神隠しのような事件が起こったのは、サントハイム王が地獄の帝王という存在を予知夢で知り、まじない石の効力に頼らなければいけない時が来るかもしれない、とうっすらと思っていた矢先だったのだという。
サントハイムを襲った、禍禍しい気配。
まるで嵐を連れてきた暗雲のように、その、目に見えない何かはサントハイム上空を覆い尽くすように突然やってきたのだ、と王は説明をした。
その後のことは、もはや誰もわからない。
まじない石がサントハイム城を護るために、人々をどこかわかるあてもない異空間にでも送ったのか、とにかく「深い暗闇の中で、うっすらと意識があるまま、永遠にも近いような睡眠をとっているようだった」と語るサントハイム王。
「仮死状態に近かったのかもしれませぬのう」
とはブライの言葉だ。
そして、まじない石が戦っているのと時を同じくして、彼の愛娘であるアリーナが、どこかで何か強大なものと戦っている気配をずっと感じていたと王は言う。そして、その傍らにいる緑の髪の少女の存在も、誰が知らなくとも王だけにはうっすらと見えていたと言う。
マリアは、アリーナ達三人がとてもよく戦ってくれたということをサントハイム王に告げた。そして、王が幼い頃に、サントハイム城の裏に作らせた看板のおかげで、スタンシアラの存在を知ったということにも感謝を述べた。
「そういえば、そんなこともあったか・・・子供の頃の話だし、あまり覚えてはいないのだが」
サントハイム王は苦笑を見せながら、いささか気恥ずかしそうに言った。
「お父様、わたし達、天空のお城に行ったのよ!」
「なんと・・・」
サントハイム王の前で、アリーナは嬉しそうに旅のことを話そうとしたが、マーニャ達がマリアを待っていることを思い出して、それは自分で抑えた。なるほど、確かにそうでもなければ、このまま「今日はお城に泊まっていって!」と言いたくなるし、それはライアンがバトランドに帰っても、トルネコがエンドールに帰っても「このまま是非1泊」だとか「出発は明日の朝にしたらいいじゃないか」だとか理由をつけて別れを延ばしてしまいそうだ。
「アリーナ。本当にありがとう。わたしは勇者と呼ばれていたけれど、いつもムードメーカーになってくれたのはアリーナだったわ。それに、どれだけ助けられたのか、数えることなんて出来ないくらい」
「マリアと旅が出来て楽しかった。わたし、年が近い女友達なんていなかったから、ホントに嬉しかったの。今度、クリフトをとっつかまえてマリアの村に案内してもらうから、覚悟しといてね!」
マリアはきりが良いところで退出の意を示し、アリーナと別れの抱擁を交わした。
城門まで送る、とアリーナが言えば、ブライと王が「姫という身分であれば、この場で別れを告げ、バルコニーから見送るが良い」とたしなめる。それにアリーナは口ごたえしようとしたが、「ね?マリア。わたしが城から飛び出したくなる気持ちわかるでしょ?」と言って笑わせた。結局は唇を尖らせながらも、帰ってきたのだから姫らしいことのひとつでも、と、王の言葉に従うことに決めたようだ。
「では、城門まで、わたしが見送らせていただきます」
「うむ」
とブライは力強く頷いた。それは、ブライはここで別れるという意味だろう。
「勇者マリア。そなたは、もう、勇者などという名を冠する必要はない。これからは、アリーナ姫様の良き友人として、長旅を共にした仲間として、気軽にサントハイムに遊びに来てくだされよ」
「ありがとう。ブライ。ブライは時々厳しいことを言うけど、村にいた長老みたいで・・・わたし、結構ブライの言うこと、一所懸命聞いていたと思う。まだ、これからも役立つことをいっぱい教わったと思うわ」
「魔法についてはもっと教えることがあったかもしれんが、今後は魔法なぞそうそう使う必要がない・・・はずじゃと、思っておるのだが」
そのブライの言葉には、探りの気配がある。マリアは苦笑いをした。
「わからないわ。また、教わりに来るかもよ?」
それが、精一杯の彼女の誤魔化しだと、ブライはわかっているのかもしれない。
軽くブライの小さな体に手を回して、背をぽんぽんと叩いてからマリアは体を離した。

早く、この場から離れなければ。

マリアの心に、妙な焦りが広がる。
こんなにも人々が温かくて、今はもう幸せに満ちているサントハイム城。
ここに長居をしてしまうと、心が揺れるような気がする。
その揺れは、どういう揺れなのか。自分にとって何をもたらすものなのか。
それを、ゆっくり考える暇がないほど、自分でそれを恐れている。
本当は、こんな風にぞんざいに別れるつもりはなかったのに。
マリアは、早足になりがちな自分の体の動きをどうにか抑え、ゆっくりとサントハイム王に向き直って最後の退出の言葉を発した。
それから、もう一度アリーナへ、ブライへ、言葉をかけて。
「マリア、ほんっとに、会いにいくから、マリアも会いに来てね!」
「アリーナが寝泊り出来る場所を作るのに、木こりのおじさんに手伝ってもらわないといけないわね」
そう言って笑みを見せるけれど、自分の言葉に含まれた嘘臭さに吐き気がする、とマリアは思った。
(突き刺さる視線が、痛い)
それが、クリフトからのものだと、確認しなくともわかりすぎるほどわかっている。
マリアは、最後にアリーナに軽く手を振ってから、王の間を退出した。


「ちょ・・・っと、クリフト!」
マリアの手をぐいぐいひっぱって、クリフトはサントハイム城の裏に足早に向かった。
そこまで強引なクリフトのことをマリアは見たことがない、と思う。
人の目を気にしないで、彼がそこまで感情的になるなんて。
二人きりの時に、声を荒げて言い争ったことは何度もあった。
第三者の前で只事ではない様子を見せることを、クリフトは好まなかったはずだ。もちろん、マリアも。
けれど、地底でマーニャ達の前でマリアの手を握り締めた彼には、何も迷いはなかったとマリアは感じていた。
その時のクリフトと、今のクリフトは同じだ。そうマリアは感じ取っていた。
「サントハイム城から出ないと、その、バルコニーとやらからアリーナ達が見送るんでしょ?」
「そうです。だから、急いでるんです」
「でも、そっちは・・・」
「二人に、なりたいですから。一秒でも二秒でも」
クリフトは、マリアを振り向かずにどんどん歩いて行く。
サントハイム城の裏側、草を踏みしめながら進んだクリフトは、誰もいないことを確認し、城の壁に窓がない付近で立ち止まった。振り向いた彼の表情は、まるで今から戦に行く人間のように強張り、強い目線をマリアに向けている。
知らない人間が見れば、それは好きな女性を見つめる若者の目線だとは気付かないだろう。
それほどの、張りつめた空気と、切迫した熱のこもった瞳。
ようやく手が解放されたマリアは、彼のその様子に一瞬たじろいだ。
「クリフト」
「あなたの村に、お伺いしますから」
「それは、もう聞いたわよ。どうしたの、クリフト」
クリフトは、彼にしては荒々しく言葉を発した。
「だから、わたしのことを、あなたの心の中から切り捨てないでください。まだ、わたしのことを、足枷に・・・少しでもあなたがわたしを好きでいてくれるなら、時間を下さい」
「・・・クリフト・・・!」
マリアの口から発された彼の名前は、掠れていた。

あなたは、どうして、わたしを捨てようとするんですか!いいえ、わたし達を捨てようとするんですか!?

一緒にこうやっているわたしや、みんなは、あなたにとって足枷で、道具で、戦いが終わればいらなくなるもので・・・

どんなにあがいても、あなたの心の中にいる、村の人々ほど、あなたに愛されることは、わたし達には出来ないんですか!?

地底で投げつけられた、クリフトの叫び。
それを、即座に思い出して、マリアの表情は引きつった。
爽やかな風が彼らの髪を揺らし、傾きかけた日差しは弱まっている。
彼らの肌をなでるその風の冷たさで、少しばかり気温が下がったことを二人は感じ取った。
早く、と心は焦るが、だからといって話を中断するわけにはいかない。ここで話を中断すれば、その話はもはや永遠に交わされないのではないかとすら思えてしまう。
クリフトの表情は、固い決意を持った人間のそれにと変わった。
「わたしも、一緒に、シンシアさんのことを尋ねるために・・・あなたと、一緒に・・・」
「クリフト・・・」
「あなたと、旅を出来るようにしますから。だから、お願いです。待っていてください」
「・・・っ!」
マリアは息を吸い込んで、止める。
(何かが、溢れそうだ)
真摯な瞳で訴えるクリフトのその言葉は、本当ならば嬉しくて仕方がなくて、すぐにでも首を縦に振りたい申し出だ。
マリアも、思い描かなかったわけではない。
自分は、サントハイムの人間ではないから、クリフトの傍にいられるとは思えない。
けれど、あの村にクリフトを呼ぶわけにもいかない。
生きる場所が違う自分達が共に過ごす地があるとしたら、それは不動の土地ではなく、流れ行く旅の間なのかもしれない、と。
今までのように。
旅は、今日のようにいつかは終わる。けれど、もう少しだけ。もう少しクリフトと、共にいることが出来るならば、と。

(でも、それは甘い話だ)

目の前の彼が「旅を共に」と申し出ていることは承知していたが、マリアは冷静に自分を戒めようとする。

(それをしては、巻き込んでしまう。だから、今は)

マリアは、深呼吸をした。
天空城でライアンに促されて、深く吸って、深く吐いたように。自分の心を落ち着かせるために。
「・・・クリフト。さっき約束したみたいに・・・無茶はしないで。わたし、クリフトのこと、好きだから・・・」
「マリアさん」
「クリフトともう一度、一緒に旅が出来るなら、それはどんなに嬉しいことなのかって考えてた」
予想外のマリアの言葉にクリフトは喜びを隠せないようで、先ほどまで強張っていた表情は自然に緩み、頬を僅かに紅潮させる。
「だから、クリフトにそう言ってもらえて嬉しい」
「本当ですか」
「うん」
頷くと、マリアはそっとクリフトの手をとった。
指を絡ませて。
天空に昇る時に、恐れおののくマリアを安心させてくれた彼の指。
あの時のように、彼の袖口を引っ張って。
「クリフト」
「はい」
「その・・・」
「・・・?」
「抱きしめて」
自分が、あまりにも消え入りそうな声で囁いたことに、マリアはどうしようもなく恥じた。
もっと、はっきりと言った方が恥ずかしくなかったのに。
けれど、その思考は、返事もせずに引き寄せるクリフトの腕の感触にすぐにかき消されてしまう。
優しい抱擁。
それは、人を抱くことに慣れていない青年の、精一杯のぎこちない抱擁だ。
愛情を確認しあうには、求めているものを与え合うには足りない、覚束ない動き。
けれども伝わってくるぬくもりに変わりはなく、それはマリアの心を弱くする効力を持っているようにすら感じる。

(どうしてなんだろう)

涙を堪えることに、マリアは集中しようとしていた。そうでなければ、この場で嗚咽をあげてしまいそうだ。

(いつから、このどうしようもない恋は始まったんだろう)

それから。
いつから、彼のせいで心が弱くなったのだろう。
それから。
いつから、彼が自分にとっての力にもなったのだろう。
だというのに。

マリアは、瞳を閉じて、何度も何度も同じ言葉を心の中で繰り返した。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
こんな、別れの日に、本当のことをいえないどうしようもないわたしを許して。
ううん、許さなくてもいい。許してくれなんて、そんな傲慢。
口が裂けたって言わないと決めた。
ただ。

ただ、ごめんなさいと。それだけを繰り返しながら。
マリアは、クリフトの胸元に自分の体を強く押し付けるのだった。
口付けひとつも求めることも出来ず、きっと求められても戸惑うだけの、未熟な自分の恋をも呪って。


サントハイム上空に昇っていく気球が視界から消える前に、クリフトは城内へ戻ろうと城門をくぐった。
人の目には、いささかそれは薄情に映らないとも限らないことだ。
しかし、それを目撃していた人間は城門に控えている門兵二人のみだったし、クリフトはそんな体裁を考えるような面倒なことをする気にすらならない。
(ゆっくりしてはいられない。王に許可を貰う前に、まずは神官職に支障が出ないように・・・)
先ほどまで抱きしめていたマリアの温もり・その体の感触を未だに残しているというのに、クリフトはそれを反芻する余裕もなく考え事に没頭していた。
愛している女性と愛情を確認しあうために交わした、求められた抱擁。
彼ほどの若さならば、その初めての抱擁は衝撃的なものに違いない。
けれど、それに浸ることが出来ないほどに、彼は自分自身を急かしていた。
(姫様にどう言えば良いかな。そうだ、パトリシアは持ち主のもとに返すといっていたから、当然歩き旅に逆戻りだ。気球もリバーサイドに返すと言っていたな・・・)
女中が洗濯物を持ち歩きながらクリフトに一礼をする。しかし、彼はそれには相当適当な挨拶サインを出し、自分の物思いから離れようとしない。
(まったく、この旅の間に少しはわたしも学習したということを、マリアさんにはわかってもらいたいものなのに・・・あんな形でわたしをまだあしらおうなんて、どうして、あの人は!)
小さく溜息ひとつ。
クリフトは、自分には出来ないこと、足りないことがたくさんあることを知っていた。
自分はまだまだ若くて、人一人の人生を背負うには覚悟が足りない。
戻ってきたこのサントハイム城では自分は若輩者であるし、それはここに限ってのことではないことも知っている。
だから、今の自分に出来る最大限のことをしなければ、と、心が急く。
「クリフト、戻って来ていたのか!」
「神父様」
幼い頃からクリフトが世話になっていたサントハイム城付きの神父が、城内を歩いているクリフトの姿を見つけて声をかけてきた。
早足で歩いていたクリフトは慌てて足を止め、自分の恩師である神父へ笑みを浮かべた。
「ここでこうして、またお前に会えたこと、神に感謝をしなければいけないだろうね」
齢50を過ぎた神父はそう言って、彼らの信仰に欠かせない印を胸元で指で切って見せた。
クリフトもそれに倣う。
恩師の無事は喜ばしいことだし、こうやってまた以前と同じように挨拶を交わせることはありがたい。
だというのに、久しぶりの感触に、サントハイムに戻ってきたのだという実感だけではなく、違和感すら感じてしまう。
クリフトはそれに気付いてうっすらと苦笑を浮かべた。
「大層な長旅だったのだろうから、今晩はゆっくりと疲れを癒しなさい。お前のことだから旅の間も、神に仕え、敬虔深くいたのだろう?なんだか、とても大人びたような気がするけれど」
神父はそう言うと、クリフトの肩をぽんぽんと軽く二度叩いた。
それへ、クリフトは軽く首を横に振って
「いいえ。ただ、己の無力さと、己に出来るちっぽけなことをいくばくか知ることが出来ただけです」
「・・・それが、大人になったということだよ、クリフトよ」
「そうでしょうか」
「そうだとも」
恩師から認められたことの嬉しさと、いいようのない自分の無力さがないまぜになって、クリフトは戸惑いを見せる。
その彼の表情に気付き、神父は黙って、クリフトからの次の言葉を待った。
心の中を口に出すことは、表現をすることは難しい。まるで、そうとでも言いたそうにクリフトはたどたどしく言葉を発する。
「でも、もう少しだけ早く大人になりたいです。今すぐに」
「おやおや。焦ることはあるまいに」
「いいえ、焦らずにはいられないんです。大人になれば、もっと、いいやり方が出来るのかもしれないのに・・・」
そう言うと、クリフトはぎゅっと腕に力をいれて、己の拳を強く握り締めるのだった。


←Previous Next→



モドル