故郷-5-

月明かりに感謝しつつ、マリアは未だに慣れぬ手で気球を操縦していた。
ようやく勝手がわかってきた頃、穏やかに流れる南東への風向きに助けられ、相当に離れた場所ではあったがブランカ近くの砂漠の宿屋にたどり着くことが出来た。
ミントスでヒルタン老人のもとに残ったホフマンは、今では自分の親の稼業を継ぐために砂漠の宿屋に戻っている。そのことをマリアは知っていた。
「こんばんは」
夜遅くでも、どの町の宿屋だって扉を閉めることはしない。
もちろん、砂漠前にあるこの小さな宿屋も例外ではなく、パトリシアを連れたマリアは、温かい灯りが漏れるその宿屋の扉を開けた。
夜中は、ホフマンが宿番をしているに違いない。
そう思っていたけれど、そこにいたのはホフマンの父親だった。
「あの・・・ホフマンは?」
「おや、あんたは・・・確か、ホフマンと旅に出たお嬢さんだね?覚えているよ。珍しい髪の色だしね」
自分のことを多く語らずとも相手がわかってくれたことに、マリアは少しばかり安堵の息を漏らした。髪の色のことを言われることは初めてではないので、素直に話が出来る。
「わたし、パトリシアを返しに来たんです」
宿帳をめくっていたホフマンの父親は、羽根ペンを置いて人の良さそうな笑顔を向けた。
「ああ、あの馬ね。役にたったかね?強い馬だっただろう?」
「はい。とても良い馬で・・・本当に、本当に助かりました」
「そりゃあ、よかった。旅が終わったんだね?」
「はい。それで・・・実は、お借りしていた馬車自体、結構ガタガタになってしまって・・・どこかで、直してお返ししたかったんですけれど、馬車の修繕をしているところってみつけられなくて」
「そりゃあそうだ。最近は馬車なんて誰も使わないよ。馬車に乗っていたって魔物に襲われたら、怯えて馬がいうことを聞かなくなるしね。パトリシアは稀に見る肝の据わった馬だからそんな心配はなかったろう。いいよいいよ、あんた達のおかげでホフマンのやつは、生き生きとなって帰ってきた。馬車はわたしが直すから、気にすることはない」
「ホフマンは?」
マリアは、二度目の同じ問いを投げかけた。
「残念ながら、あいつは昨日から久しぶりにミントスに行ってしまってね。どうも、お師匠さんであるヒルタン氏が体調を崩してしまったらしくて、見舞いだとさ」
「そうなんだ・・・」
そういえば、最後にヒルタン老人と会ったのはいつだっただろう、とマリアは思い返した。
ふと記憶を辿れば、なんだかやたらと遠い日のことにも思えるし、考え直せば案外と短い旅だったような気もする。
「3日もすれば帰ってくると思うよ。パトリシアは返してもらうけど、またホフマンのやつに会いに来てくれるかい?」
「あっ・・・はい。えっと、次はいつ来られるかわからないんですけど・・・そう伝えてもらえますか。それから、本当にありがとうって」
「わかったよ。パトリシアはこの裏に馬繋ぎ用の棒があるから、そこに繋いでくれれば、あいつは勝手におとなしくしてくれるから」
「わかりました。夜分遅くに、申し訳ありませんでした」
マリアはそう言って深深と頭を下げた。
ホフマンの父親は軽く笑って「気をつけてお帰り」と優しい言葉をマリアにかけた。


砂漠の宿屋でパトリシアとの別れを済ませて、マリアは自分の故郷に向かって再び気球を上昇させた。
もう、気球を上昇させたり降下させる手間も必要ないと思えるほど、砂漠の宿屋から彼女の故郷は近い。
それでも、最後まで。
何かに憑かれたようにマリアは気球を操縦して、まるで、それ以外のことを考えずに済むようにしているようだ。
森が深すぎるところに気球を着陸させるわけにいかない。
ゆっくりゆっくりと下降をして、気球を降ろせる場所を探す。
ここも、駄目。
あそこも、駄目。
こうやって気球で降りられる場所をしみじみ探そうとすると、自分が住んでいた山奥は本当に隠れ里で、木々に覆われたひっそりとした場所だったのだと痛感できる。
どんどん時間だけが過ぎていってしまい、もう気球を遠くに止めて、歩いて行こうかと腹を括った頃。
「ここなら、よさそうね」
あまり広くはないけれど、わずかに木々が少ない場所をようやく見つけることが出来た。
それに、その場所は周囲を高い木で覆われているため、見過ごしやすそうだった。
(気球、なんとか、降りられるぐらいの半径はあるわよね・・・ぎりぎりでも、距離を計ってちゃんと降りれば・・・)
マリアはゆっくりと慎重に気球を降下させる。
(本当、月の明るい夜でよかったわ・・・っとっとっと)
「わああ!」
距離と風の強さを測りながら降りたつもりだったが、やはり普段からやり慣れていないことにはトラブルがつきものだ。
狙っていた場所よりもかなり手前で、思ったより気球は降下してしまい、木々斜め上から突っ込んでしまった。
がさがさと木の枝をなぎ倒し、夜の鳥達や虫達、果ては小動物を驚かせながら、気球はざざざざ、と大きな音をたてて途中から落ちた。少なくとも、マリアは「降りた」という感触を味わうことが出来なかった。
「うわああああ。やっちゃった・・・やっちゃったよ・・・」
それでも、マリアは傷ひとつなかったし、心配しなければいけない相手も既にいない。
気球を浮かべる原動力になっているガスの噴出を慌てて完全に止め、上部の半分は木にひっかかったままで、マリアは無理矢理そこから降りた。気球は宙ぶらりんになっていたけれど、地面にはあとほんのわずかまで近づいていた。
「ふーう・・・」
その小さな草原にも思える場所は、村から少し北東へ上ったあたりだろうか。
あの運命の日まで、村から出ることがなかったマリアが足を伸ばしたことがない場所だった。
あの時は山を降りて人里を目指して歩いたのだから、さらに山の深くに足を運ぶわけがない。
こんなところがあったのね。
マリアは、ぐるりとあたりを見渡し、そして。
「・・・!!」
そして、月明かりにぼんやり照らされて、黒ではない、薄い群青色にも思える空気の中。
どうして、そこがわずかに空いていたのか、それを知ることが出来た。
ひゅう、と自分が息を吸う音が驚くほど大きく彼女の耳に届く。
と同時に、突然聴覚は研ぎ澄まされたのか、先ほどまで聞こえていないように思えた、夜の鳥達の声があちこちで響いていることにも気付いた。
その場にマリアはしゃがみこみ、自分が立っていた場所に存在している物達を確認する。
「この、花」
クリフトが、以前見せてくれた、夜にはつぼんでしまうあの花。
それが、彼女が降りた場所には群生している。
あの時から――クリフトと共にこの地に足を運んだ時――一年は経っていない。だから、まだ、花が咲く時期ではない。
その場には、あの芳香はまったく振りまかれてはおらず、ただただ、草の青臭い匂いが充満しているだけだ。
天空城で出会ったエルフ達の言葉を思い出す。

――その花は、このお城にしか咲いていないの――

――地上に下りるエルフは、この花の種を持っていくことが多いけど、地上ではあまり育たないようね――

――世界樹付近でも育たなかったみたい――

なのに。
なのに、ここには、こんなに育っているではないか。
見間違うはずがない。マリアは、何度も何度もその花――まだつぼみをつけるところにすら行っていないけれど――を見て、確信する。
この花は、きっと、シンシアが育てたのだ。
だから、一年に一回村の外にシンシアは出て行って。
手に持ったかごいっぱいに花を摘んできて。
クリフトが見せてくれた場所にも、確かにたくさんあの花は咲いていたけれど、ここは量が違う。
一年に一度のあの日、シンシアはここに来て。
土が合わないこの下界で、この花達を育てるための何かをしていたのではないだろうか。
そうでなければ、こんなに群生をしているなんて。
マリアは、群れているその花の根元を掘り起こした。
あまり長くない根。
栄養を吸うには足りないと思えるその根。
「どうしよう。これは、このままで・・・このまま放っておいても、咲き続けるのかしら。枯れないのかしら」
マリアは、焦った。
今はまだ生き生きとした姿を見せているけれど、シンシアがいなくなった今、本当にこの花はもう放っておいても、この山の地に馴染んでしまっているのだろうか。枯れないのだろうか。考えてもどうしようもない心配に、マリアの心は揺れる。
「あっ・・・そうだ・・・」
マリアは、土で汚れた手袋を脱ぎ捨て、慌てて自分の道具袋の底から羽根帽子を取り出した。
それは、シンシアの形見だ。

これを、ここに、埋めてあげようか。

そう一瞬思って、それから、マリアは自分自身のその考えに後悔をする。
違う。
あの村で、一緒に過ごしていたのに、彼女の形見だけ、彼女を偲ぶ場所だけ、ここにするなんて。
たとえ、シンシアがそれを望んでいたとしたって、それをマリアは許したくない。
それをしては、シンシアが属していた世界は、自分達と同じ地上ではなく、天空や、その他のよくわからない場所になってしまうように思える。
「だったら、逆だわ。この花を、村に植えてみよう」
シンシアの墓を作ったら、その周囲にこの花を植えてみよう。
そうすれば、許してもらえるのかもしれない。
マリアは、泣きそうな気持ちを抑えながら、とりあえず気球はその場に置いたまま、自分の生まれ故郷に戻ろうと、歩きだした。
羽根帽子を袋に入れ直しながら。


その頃、天空城の一室に、一人の天空人は閉じ込められていた。
それは、マリア達が最後にシンシアについてのヒントを得ようと会いに行った女性――マリアの母親――だ。
その面持ちは静かで、何を憎んでいるわけでも、何にいきり立っているわけでもない、穏やかなものだ。
けれど、その瞳が持つ力は強い意志。
何かをまっすぐに見据えているように、彼女は椅子に座ってぴくりとも動かない。
閉じ込められているとはいえ、その部屋には扉があるし、窓もあって空の光景を見ることも出来る。
ただ、彼女はその部屋で、目に見えぬ足枷をつけられている。
誰かがくれば迎え入れることが出来るが、自分からはその場を離れることが出来ないのだ。
と、そんな彼女の境遇を知る者がいるのか、不意にノックの音が響いた。
コンコン。
過去に、彼女の部屋に彼女に会いに来る者はほとんどいなかった。
天空城の人々は、彼女が罪人であることを知り、疎み、遠巻きにし、何年も何年も、同じ建物に住まいながらも、明らかな一線を引いて彼女に歩み寄ろうとしなかった。
それなのに、今更誰が。
(あの子が戻ってくるには、早すぎる)
彼女は、凛とした声で「どなた」と問い掛ける。それへの答えは、まったく彼女が予想していなかった名前だった。
「キュンティオスと申します」
「・・・えっ!!」
その名は。
驚きで慌てて立ち上がると、がたん、と椅子は後ろに倒れた。
彼女の許可を得ずにその扉を開け、一人のエルフが姿を現した。
キュンティオスは、男性名だ。エルフは性別があるが、男性のエルフは稀少であるがゆえに、男性名で呼ばれるエルフも少ない。
けれど、天空人は、自分を訪ねてきたそのエルフが男性ではないことを知っている。
そのエルフは、女性でありながら男性の名を持っている、悪戯な運命の元に生まれた者だ。
どの世界であっても、男女で名を区別する生き物がいる。そして、その生き物でありながら、間違った名をつけられた者――それも、確信犯で――は、稀有な運命の持ち主だと想像されやすい。
まさに、その場に姿を現したエルフは、「それ」なのだと天空人は知っていた。
「ほ・・・本当ですか・・・生きていらっしゃったのですか!」
天空人は驚きの声をあげながら、キュンティオスと名乗ったエルフに駆け寄った。エルフは後ろ手で扉を閉めて静かに口を開いた。
「はい。ずっと、ずっと天空城におりました」
「そんな・・・あの頃・・・キュンティオス様がお亡くなりになり、キュンティア様は地上の世界樹の葉を取りに行き・・・そして、不慮の事故でお亡くなりになったとわたし達は聞かされて・・・だから、わたし・・・だから、キュンティア様が・・・本当は生きていらして」
「ええ」
しどろもどろになりながら、混乱を整理しようと思い巡らす天空人。それを急かさずエルフは小さく頷いた。
「娘の・・・勇者マリアの傍に、いらしたのかと」
地上の人間ならば齢20歳前付近だと思われる可愛らしい造作のエルフは、真剣な表情で天空人をみつめていた。
「・・・実は、そのことで。マスタードラゴンから許しを得て、こうしてあなたに会いに参りました」
「やはり」
天空人は、何度かまばたきをする。
彼女を今、この部屋に拘束しているのはマスタードラゴンの力だ。
だというのに、そのマスタードラゴンが、彼女が投げつけた疑問の答えを、このエルフに託してよこしたというのだろうか。
横倒しになった椅子。
雲に隠された太陽の光が、ほんのわずかしか入ってこない窓。
そして、立ったままお互いを見据える二人。
薄暗い空間に漂う空気は、どこかしら冷たく、重く、体に纏わりつくようだ。
エルフは、数回呼吸を整えて、穏やかに再び口を開いた。
「姉には・・・キュンティアには、天空城を去る理由が必要でした」
「・・・」
「誰もが、納得して、そして、許してくれる理由が。そして、わたしは姿を隠す理由が」
「それは・・・わたくしが、お聞きして、よろしいのですか」
「・・・はい」
エルフは、悲しそうな笑みを見せて頷いた。
「万が一、勇者マリアが天空城に来ることがあって、わたしと会うことがあれば、きっと彼女はキュンティアのこと、マスタードラゴンのことを問い詰めようとすることでしょう。わたしは、キュンティアの意志を尊重して、その時が過ぎるのを待っていました。17年も前のことになるのですね」
「そんなことのために、姿を隠したと・・・!」
「それに、キュンティアが地上に降りることを許されるためには、わたしの死が一番効果的でしたから。そして、あなたがこの17年間苦しんだように、わたしもまた、あなたと同じ年月、自分という存在をこの世界から抹消され、生きることを許されなかった。それは、双子として生まれたわたしが、彼女のために出来る最後のことでした」
意味がわからない、と言いたそうに天空人は呆気にとられてキュンティオスと名乗ったエルフを見つめていた。
ようやく言葉に出来たことは、あまり意味がないことだった。
「キュンティア様は予言の巫女。確かに、あれほどの力をお持ちの方が天空城を離れるなんてことは、前代未聞の」
「・・・あなたは、未来返しの術をキュンティアが行ったことをご存知ですね」
「ええ・・・ええ・・・禁忌を用いることは、百年ぶりだと話題になりましたね。予言の巫女が見た未来を捻じ曲げる・・・それが、未来返しの術・・・地獄の帝王が関わる未来だということは周知の事実で、それならば仕方がないと誰もが納得していました」
「それを、二度行ったことはご存知ないでしょう?あなたが、地上の男に思いを寄せ、天空を捨ててすぐのことです。この二度目は、公表されておりませんから、あなたもご存知ないはず」
「・・・なんですって!?」
「そして、その二度目で」
キュンティオスは、そこで一拍置く。
言葉にするのも辛い、といった面持ちで、ゆっくりと、彼女は言い聞かせるように続けた。
「キュンティアが全ての能力を失い、ただの一介のエルフになってしまったことを知っている者は、キュンティア本人と、わたしと、マスタードラゴンしかおりません」
「なんと・・・・!!」
「禁忌を行使すれば、そのようなことがあってもおかしくはありません。けれど、そのようなことが起きるほどの、大きな未来返しを行ったとなれば、人々から追求されることでしょう。でも、彼女が行った「未来返しの未来」が一体何なのかを、我々は公表をするわけにはいかなかったのです」
「な・・・ぜですか・・・」
「シレイン殿」
その時、初めてそのエルフは、天空人の女性の名を呼んだ。
「知れば、あなたのご息女が、きっと悲しみます。そして、あなたも」
「何故・・・!」
「なぜなら」
エルフは、手を伸ばして、そっと天空人の手を両手で包んだ。
そして、たとえこの場に何人の天空人がいようが、もしもマリアやその仲間全員がいようが、まったく予測することが出来ない言葉が、彼女の口から紡ぎ出された。
「未来を見てしまったが故に、あなたの愛した地上人を殺すようにマスタードラゴンに進言をしたのは、キュンティアなのですから」
その、あまりに残酷な真実を聞き、シレインの体は硬直した。
耳から入った言葉の意味が理解出来ないことがあるのだ、とシレインは初めて知った。
ひとつひとつの意味は知っている。
未来。見る。だから。わたしが愛したあの人。殺す。マスタードラゴン。
そして。
キュンティアが、それを進言した。
意味がわからない、と彼女は素直に思った。けれど、それはそのまま口にすることが出来ない。
考えることを脳が止める瞬間を、彼女は体感する。
考えなければ、聞かなければ、どうにか進まなきゃ。
どれほど強くそう念じ、焦っても、一度考えることを放棄した彼女の脳は、厚い鉄の扉で閉ざされたように機能しない。
ただ。
目の前にいるエルフが、自分と同じく17年間耐え続けてきたのだというその真実だけは、おぼろげに理解することが出来た。
それが、何を意味するのかまでは、やはり今の彼女にはわからなかったけれど。


あの夜。
クリフトと共にやってきた、雨の夜。
クリフトが持ってきてくれたマントで体を包んで、地下倉庫でうずくまったあの晩。
ふとそれを思い出して、マリアは唇を噛み締めた。
今日は、わたしは、一人で帰ってきた。
月の明るい夜でよかったと、気球を操りながら何度も思っていた。けれど、今の方がそれを強く感じる。
もし、深い深い闇の中だったら。
あの暗い地下倉庫に降りることすら自分は出来ずに、足が竦んでしまいそうだから。
背の低い木々をかきわけ、無駄に伸びた蔓植物をいくらか切り払う。
あの花畑から村までの歩いたことがない道のりは、思ったよりも距離があった。空から見れば近く思えたけれど、周囲の木々は高くて星座や月を見せてはくれないため、方角がわかりづらくなる。
きっと、空を飛ぶ者――たとえば天空人など――がこのあたりを飛んでいたとしても、あの花畑を見つけることは至難の技だっただろう、とマリアは思う。
それにしても、村までの道のりは、気が、足が、重くて重くて仕様がなかった。
けれど、自分で帰ると決めたのだ。マリアはそう何度も自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせた。
ようやく北側からぐるりと回って、村の入り口付近にたどり着いたマリアは、立ち止まって深呼吸をした。
(あの日、クリフトは、ここに帰ってくるのは、まだ早いとわたしに言ったわ)
でも。
もう、早くはないはずよね。
わたしは、みんなが期待していた勇者として、地獄の帝王を倒して、そして、みんなを殺したデスピサロも倒して。
そして、みんなを忘れることなく、ちゃんとこうやって帰ってきた。
あるべき姿になって。勇者になって。
マリアはそんなことを考えながら、村の「入り口」である、蔓植物のアーチがあった場所くぐった。
その「入り口」を認識しているのは村の人間だけだった。
蔓植物のアーチは、村を外からあまり見られなくするために、いつもカムフラージュの蔓を上から何重にも垂らしていたものだ。
けれど、あの日の襲撃で、そのアーチを隠していた植物達は焼き払われてしまっている。
マリアが「ここだ」と感じて、そのアーチをくぐった気になっているその場所には、今は何もない。
村を隠すものがなくなったせいで、茂みをかきわけて歩いていると、突然ぽっかりと広場が現れたようにすら思える。
それほど、悲しいほど、「隠れ里」だったはずの村は、あの襲撃のせいで無防備な場所になってしまっていたのだ。
「・・・ただいま」
薄闇の中、マリアは声を出した。
それへの応えは、当然ない。
なぎ倒されている木の一部は、雨風に晒されて腐っていたし、瓦礫はそれ以外の何物でもなく、人の生活を感じさせることもない。
廃墟の村の中央にある花畑にマリアは近づいた。
何故だろう。
何故、シンシアはこの村の中にあの花を咲かせなかったのだろう。
「・・・村のほうが、上から見て、見えるからかな」
かさり。
膝を折って、花畑だった土の上にへたり込むと、夜露に濡れた土が彼女の足を冷やした。
本当は、綺麗な花が咲いていたはずだった。
夜でも咲き誇っている、月明かりを吸い込むほどに美しい花達が。
けれど、彼女が座り込んだその場には、冷たい土。僅かに残った雑草。そして、毒を含んだ、泥にまみれた深い水溜り。
運命の日、シンシアはここで仰向けになって、空を見ていた。
マリアはそれを思い出した。
二人で並んで空を見るのが好きだった。
夜、みんなに内緒で家を抜け出して、二人で並んで星座を見た時もあった。
なのに。
なのに、ここにはもう、マリア一人が横たわる場所すらないのだ。
魔物達が吐き散らかしていった毒の沼に侵食され、雑草ですら根から腐ってしまったのだろう。
花畑だったその場所は、ぺたりとマリアが座り込んだ、その土の上しか草が残っていない。
「ただいま」
もう一度、マリアは呟いた。誰一人それに返事をする者がないことを知りながら。
嫌というほどにその事実を痛感して、冷えた足をさすりながら立ち上がる。
それから、彼女は地下倉庫に続く隠し階段に向かった。
それは、クリフトと一夜過ごした、薄暗い、嫌な記憶ばかりが残る場所だ。
草に隠されているその入り口は、大きく開け放しておけば階段の途中まで月光が差し込む。
クリフトと共にいた晩は雨風が強かったため、開け放しては置けなかったが、僅かに隙間を開けておけばそれだけで倉庫の一部に光が射すということをあの日マリアは知った。
マリアは暗がりを恐れ、入り口を大きく開けたまま階段を降りた。
部屋が二つ繋がったような作りになっているが、マリアは奥の部屋にはいかずに、階段の近くの角に腰を下ろす。
ゆっくり横たわったけれど、思った以上に床が冷えることに気付いた。
「まいったな・・・毛布一個も、ないんだものね・・・」
体をさすりながらすぐに起きあがり、何か役立つものはないかとぐるりと見渡す。
階段から差し込む明かりのおかげでうっすらと室内が見渡せるが、そこには何もありはしない。
今からならば、ルーラで他の町に行って――それこそ、もう一度砂漠の宿屋でも――暖かいベッドで眠ることも出来る。
そう思わなかったわけでもないが、マリアはそうはしなかった。
降りてきたばかりの階段をのぼり、再び地上に出る。
いくつもある、以前「家だった」はずの瓦礫をかきわけ、生活が伺える何かが残っていないか、張りつめた夜の空気の中、ごそごそと探し始めた。
あの日、自分の家だった瓦礫の下から、奇跡的に衣類とちょっとした道具と食べ物を探し当てることが出来た。
だから、もっともっと丁寧に探せば。
「そうだ」
一番たくさん寝具があるところはどこだろう、と考えた。それは、きっと宿屋だ。
マリアは、村の入り口に近い場所にある瓦礫に近づき、崩れた壁らしきものを動かし始めた。
「・・・あった!」
その瓦礫の近くには、人間の形に烙印が押されたような、人が高熱で焼き付けられたような跡がある。以前、クリフトが来た時に彼はそれに気付いたが、月明かりを頼りにしているマリアはそれにはまだ気付いていない。
ただ、瓦礫の下から引っ張り出した、わずかに湿気を含んだ毛布が、少し焦げた跡があることには気付く。
「でも、何もないよりはマシよね」
そう呟いて、その毛布を持って倉庫に戻ろうと数歩歩いた。そして、ぴたりと止まる。
空を見れば、月は大分西に傾き、夜半をとうに過ぎたことを彼女に伝えていた。
くん、と鼻を軽く鳴らして湿度を計り、雲の様子を見る。
マリアは、自分がどかした瓦礫を更にかきわけ、家の床だったと思われる面をいくらか掘り起こすことに成功した。
道具袋の中から手ぬぐいを何枚か取り出し、きつく、くるくると巻く。その床らしき場所に体を横たえ、巻いた手ぬぐいを頭に当て、今発掘した毛布で体をくるむ。
雨は、多分降らない。
それならば、あの倉庫で眠る必要はない、とマリアは思った。
(あの場所は、恐い。音が聞こえなくて、世界に自分しかいないような気になる)
その自分の思いに気付いて、「は・・・」と小さく声をあげてマリアは苦笑をした。
世界に自分しかいない。
それは、ある意味間違っていない。
少なくとも、村「だった」ここには、自分しか生き残っていないのだし。あの日あの時まで、マリアにとっての「世界」は、この村の中だけだったのだし。
マリアは手足を丸くして、瞳を閉じた。
とにかく、眠ろう。明日の朝になって、この村の状態をもう一度しっかり確認をして。そして、自分に出来る、自分がしなければならないことをしよう。
それ以外のことは、考えないようにしよう。
何度も何度もそう言い聞かせて、自分の体温で自分を温めて、どうにか寝ようとマリアは試みた。
けれど、それを必死に思えば思うほど、体も心も疲れているはずなのに、眠りの足音が遠ざかっていくような気がする。
(・・・クリフトは、もう眠ったんだろうな・・・)
ふと、毛布の中でそんなことを思って、マリアは自分に失望した。
村のみんなのことでもなく、今後自分が為しえようと思っていることでもなく、明日の自分のことでもなく。
こんな風に、誰かのことを思ってしまう自分が、情けなくてどうしようもなく感じたのだ。
と、そんな気持ちになったことがあった、それも、ここで・・・そんなことを思い出し、マリアははっと瞳を開ける。
あれは、クリフトとここに来た夜。
あの悲しみの倉庫の中で、村のことでもなく、旅のことでもなく、何の真理や未来のことでもなく。
クリフトとアリーナの過去のことに思いを馳せてしまった自分に気付き、なんと人間はたやすく、どうでもいい「今」のことに心を奪われてしまうのかと思った一瞬があった。
まさしく、今の自分はそれだ、と思う。
クリフトは、当たり前の日常に戻り、温かなベッドの中で、寝る前に聖書でも数ページ読んだのではないか。
この月を、彼は見ただろうか。
そんなことをふと思ってしまった自分。
それは、なんて浅はかで、この村にいたみんなに申し訳ないのか。


――人間は、案外と、昔のことより今のことが大切なのね――

そのマリアの言葉の意味をどうとったのか、あの日、クリフトは彼女にとって残酷な答えを返した。

――それが、生き残った人間の義務ですから――

――死した人を思い、記憶に留めて愛していても、自分が生きていなければその人々を覚えている人間がいなければ、彼等を思い出してくれる人はいなくなってしまいます・・・・そのためにも、精一杯生きなければいけないのです――

――例え、泣いても、叫んでも――

マリアは、一度だってクリフトには言わなかった。
あの言葉は、励ましの言葉でもなんでもない。
それは、クリフトにだってわかっていたに違いない。
悲しいことだけれど、生きなければいけない。そして、それは悲しみだけではなく苦しみも伴うと、そう彼だってわかっていたはずだ。それでも、己の信念に従ってマリアに苦言を呈した彼は、一体どんな気持ちだったのだろう。
「ほんと、クリフトって・・・優しい顔して、厳しいんだもの」
マリアはそう呟いて、毛布に包まったままむくりと上半身を起こした。
クリフトの言葉は、呪いの言葉だ。
マリアが、どれほど強大な敵に向かおうが、どれほど生きることに失望をしようが、彼女を守るために命を賭けた人々のために、生き続けなければならないなんて。
(でも、あの呪いの言葉は、とても頷けた。神官の割に、ましなことを言うなあって思ったし。だから、わたしは生きなければいけない、やらなければいけない、と思えた)
誰もいない、どうしようもないほどの静寂に包まれた、圧倒的な力に凌辱された村。
そこにぽつりと残っている自分は、あの日も今も、生きるために呼吸を繰り返している。
そのことを思った瞬間、マリアは激情にかられて息を強く吸い込んだ。
突然に迸る感情を制御出来ず、恨みを空に向けるように顎をあげ、吐き捨てるように声を張り上げる。
「わかってる!でも、わたしはあの竜が許せないの!あの竜を倒せるなら、命なんて捨てたっていいの!たとえ・・・みんなのことを知っている人間が、この村のこと知ってる人間が、この世からいなくなったって!あの竜を倒すのは簡単じゃないわ。それこそ、命かけなきゃ絶対出来ない!それは許してもらえないの!?デスピサロを倒した時だって、エスタークを倒した時だって、命懸けだったわ!だったら、次だって命を賭けてもいいでしょ!?しようがないじゃない!どうして、そうやって、思い出でもわたしのこと責めるの!?」
その叫びに、もちろん応えはない。
ぱちん、と彼女の頬近くで何かがはじける音がした。
それを、ぐいと手でぞんざいに払いのけ、毛布を強く握り締めた。体が震えているのは、寒さのせいでも怒りのせいでも恐怖のせいでもない。叫ぶことに全身の力を使っても、それでも足りなく思える。もっと、もっと、と体に力を入れ過ぎて、ぴくぴくとマリアの体は小刻みに揺れていた。
「だって、みんなだって。勇者になれって、強くなれって。わたし、それなりに勇者らしくなったわ。強くなったわ!だけど、誰も・・・もう、誰もそれだって褒めてくれないじゃない!みんな、わたしのために死んだじゃない!誰一人、わたしのために生きていてくれなかったじゃない!だったら、わたしだって、みんなのために生きていなくたって本当はいいんでしょう!?」
全身に力を込めて、思いのたけを声にして叫ぶ。喉がひきつれたように痛み、腹に力を入れすぎたせいか、背中が軽くきしんだ。
そして。
突然、彼女の筋肉達は、無闇な圧迫から解放されて緩む。
「応えてよ・・・たった一人でもいいから・・・」
マリアは、力なくそう声に出し、そのままずるりとまた床に体を横たえた。
搾り出した声の最後は、せつなげな嗚咽に変わってゆく。嗚咽のリズムに抗うことが出来ず、上下する体。
月明かりの下で、マリアはいつまでもいつまでも、叶うはずのない願いを強く思いながら、泣き続けた。


月が、傾く。
このサントハイムと、マリアがいるあの村では、同じ角度で月が見えるのだろうか?
クリフトはそう思いながら、サントハイム城のバルコニーから夜空を見上げていた。
疲れているはずだった。
実際、食事を終えた頃は眠くて仕方がなくて。
それでも、やらなければいけないことがある、と自分を奮い立たせて起きていた。
眠さの山を越えてしまったのか、今はむしろ目が冴えてしまい、ベッドにおとなしく入ることが出来ない。
(マリアさんは、わたしのことを・・・薄情な、気が利かない、自分だけが可愛い人間だと思っただろうか)
それでもかまわない、とクリフトは思う。
彼は、自分がマリアのことを大切に思う気持ちを優先させた。優先させたら、それは、一時的ではあるがマリアを傷つけることになってしまった。きっと、そのことはこの先も自分の心のどこかに残っているのだろうな、と彼は苦笑をする。
彼はまだ若く、「今までの人生」と言っても、それはとても短いものでもあった。
それでも、彼は「今までと同じやり方をしていては、あの人は手に負えない」と強く感じていた。
だから、彼女の手を、こんな風に簡単に離した。
あまり多くを彼女に言うことは逆効果だ。すぐに行くから、下手なことをするな、とか。あなたを一人にしては、さっさとマスタードラゴンのところに行ってしまうから心配だ、とか。
そんなことを言えば言うほど、彼女は焦り、急いて、自分を置いて行こうとするに決まっている。そうクリフトは思っていた。
(それに、あれ以上、多くの嘘をあの人につかせたくなかったんだ。わたしは。それは、わたしのエゴだ)
深い溜息をクリフトはついた。
眠くなくとも、もう寝なければいけない、と思う。たとえ、マリアがあの悲しい廃墟の中で泣いていようと、叫んでいようと、悲しみに耐え切れなくなって暴れていたとしても。何もかもなかったことにしたくて、更にあの瓦礫の山を壊してしまっているかもしれない。
それでも多分、数日はあの村にいてくれるだろう、とクリフトは願っていた。
(焦らなくてはいけないのは、マリアさんじゃなくてわたしだ)
と、その時、サントハイム城の中から、誰かがバルコニーに向かって出てきた気配を感じた。
はっとクリフトは振り返る。
「・・・王・・・!」
「寝付かれないのかね。クリフト」
そこには、上質なガウンに身を包んだサントハイム王の姿があった。
「こんな真夜中に、お一人で・・・どうなさったのですか」
「お前に、会いに来たのだよ」
「・・・わたしに・・・?」
頷くサントハイム王。
近くで同じ目線で見ると、サントハイム王は少しだけ体が小さくなったようだ、とクリフトは思った。
いや、そうではない。自分が、あの旅の間に身長がまだ伸びて、少年の面影が薄れてきたせいなのだろう。
「アリーナへの言い訳を考えついたら、出来るだけ早くこの城を出るが良いよ。クリフト」
「・・・王様・・・っ!!」
「お前には、本当にずっとアリーナの世話をしてもらっていたし、今後もあの子の傍に居て欲しいと思ってはいたのだけれど。先ほど、寝しなにみた夢で、この城を出て行くお前の姿が見えた。その上、不思議なことに、そのお前は・・・サントハイムの紋章が入っている物を、何ひとつ身につけていなかった。それは、お前らしくないね?」
静かな声音で、サントハイム王はクリフトに告げた。
それに感銘を受けたように、クリフトはその場で膝をつき、頭を垂れる。
「どうしてかはわたしにはわからないが、でも、それは、アリーナのお守が嫌になったとか、そういうことではないと信じたい。よほどのことが、お前に起こっているのだと、それだけはわかるつもりなのだが」
「王様・・・わたしっ・・・わたしは」
「お前は、サントハイムと、縁を切るつもりなのかね?この国に、アリーナに、見切りをつけるつもりなのかな?」
「・・・そうでは、そうではないんです!そんなわけは、万が一にもありません!わたしが、姫様を・・・そんなことは、一生涯有り得ません!」
アリーナの笑顔が、クリフトの脳裏をよぎった。
それが、一番心配で、どういう口実を作れば良いかとずっと考えて。
何を言っても嘘になるのだと心に決めることが難しいことだった。
それを、サントハイム王の口から追求されるとは。
クリフトは頭を更に深く下げ、冷たい床にぱさりと前髪がつくほどに身を前のめりにした。
「では、何故お前は」
「けれど、わたしが今救いたい人に」
「うん」
「わたしが手を伸ばすことは・・・それは、あまりに途方もないことで・・・それを為すわたしがサイトハイムの神官という肩書きを持ったままでは・・・姫様に・・・この国に・・・災厄が降り掛かるのではないかと」
体が熱い、とクリフトは思った。
激情が体の中からせりあがって来て、外に出てきそうだ。それを抑えながら言葉を出すことは、なんと精神力がいることなのだろう。
「クリフト」
「はいっ!」
「どういう形でお前がこの国を離れても、どこで何をしても」
サントハイム王はクリフトに近づいて、彼もまた膝を床についた。
「ここには、お前が帰ってくる場所がある。それを、忘れないでおくれ。さあ・・・頭を、あげなさい」
「王様っ・・・」
「うん」
顔をあげたクリフトは、眉根を強く寄せていた。
床についた手は強く拳に握り締め、声が震えないように、と体を強張らせる。
「お言葉に甘えて・・・この城を離れることを、姫様のお傍を離れること、お許しいただけますでしょうか・・・!」
冷たく澄んだ空気の中、クリフトは、自分が搾り出した声が思いのほか響き渡ったことに驚いた。
改めて、自分の声が自分の耳に帰ってくる。
言ってしまった。
選んでしまった。
一歩、自分で踏み出してしまった。
そのことに、何一つ心は揺れていないことを彼は気付く。それは、自分の選択が間違っていない証だ。
「お前は、お前の信じる道を行きなさい」
そう言って、サイトハイム王はゆっくりと頷いた。その瞳は優しさをたたえており、それは、幼い頃からクリフトが見続けてきた、尊敬すべき主の変わらぬ姿だ。
(神よ・・・サントハイムの人々をお守りくださり、ありがとうございます・・・)
自分が、この城に戻ってきて、アリーナが、ブライが、以前となんら変わりない日常に戻れる喜び。
そして、こうやって再びサントハイム王の予知夢の奇跡に立ち会えた喜びと感謝に、クリフトは胸を熱くした。
「ありがとう、ございます・・・!」
様様な交錯する思いを抱きながら、クリフトは再び頭を下げた。
その肩を軽くぽんぽん、と二度叩いて、サントハイム王は立ち上がる。
「行ってしまう時に、わたしに会いにこなくても良いよ。気持ちが揺らぐこともあろうから。もう、お前の気持ちはよくわかったから」
「は・・・」
「体には、気をつけるのだぞ」
「ありがとうございます・・・王も・・・王も、くれぐれも・・・!」
「うむ。では、もう寝るよ。夜風に冷えすぎぬよう、お前もお休み」
最後にそういい残して、ゆったりとした足取りで王は城内に戻っていった。
クリフトは頭を下げたままの状態で、サントハイム王の足音、衣擦れの音、扉を開ける音、閉める音、すべてを聞いていた。
そして、バルコニーでたった一人残されても、彼はいつまでもいつまでも頭を下げているのだった。


Fin


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