誰が、どうやって、シンシアを殺したの。
 誰が、先生を殺したの。
 誰が、父さんを、母さんを、殺したの。
 それを聞く勇気がなくて、自分で自分を騙す。
 聞いても、きっとあの男はこう答えるに違いないの。

「そんなくだらぬこと、覚えておらぬ」

 勇者を倒した、と魔物があの男に言っている声は、わたしの耳に、脳に、体のどこかに、いつまでもいつまでも鮮やかに残っている。
 それは、呪いの言葉として刻まれ、時にわたしを憎しみに駆り立て、時にわたし自身を苛み。
 そして今は。
 何故、聞かないの。
 何故、仇をとらないの。
 そうやってわたしを責める声となる。
 わかっているの。
 あの男に聞いても、素っ気なく答えるのだろうし、そして、本当にあの男は覚えていない。
 自分と共に、わたしの村に攻め入った魔物が誰だったのか、とか、その時はどうやって連れて行く魔物を選んだのか、とか。
 そんなことは、多分、あの男にとってはとても小さな事で、どうでもいいことで。だから、聞いても無駄なことで。

 違う。

 そう言って、わたしは逃げているの。

 言い訳ばかりをしながら、明日に、明後日に、あの男に詰問する時を先延ばしにしている。
 それは、わたしがわたしである限りには、決して捨てられない疑問で、決して目を背けてはいけない追求なのに。

「誰が、わたしの村を滅ぼしたの」

 答えは簡単だ。
 あの男の名前が、禍禍しい響きをもつ名前が、その答え。

「では、誰が、シンシアを殺したの」
 もしも、ここに、シンシアを殺した魔物がいたら。
 わたしは、その魔物を憎むのだろうか。当たり前のように敵討ちをするため、剣を抜くのだろうか。

『びっくりするほど、弱い勇者だった』

 そんな、聞いたことがない言葉が、わたしの妄想の中で聞こえて、わたしの心を傷つける。それが、現実になることが恐くて、わたしはあの男に聞くことが出来ない。
 あの頃、あまりにわたしは無力で。
 その無力さゆえに、みんなを失い、そして。
 シンシアに、わずかでも抗う力与えることさえ出来ずに、暗い地下倉庫で、ただひたすらに。
 わたしを愛してくれた人々を、魔物達が蹂躙する音を聞いていたのだ。


「あの日確かに、お前と同じ姿形の少女が、向かってきた」
 逃げていた現実に、突然わたしを引き戻すあの男の声。
 突然の言葉にわたしは驚き、声を出すことが出来ない。
「見ただけで、その非力さがわかった。だから、あとは、共に乗り込んだ魔物達に任せた」
「……非力さが……」
 わかっていたけれど、聞きたくない言葉だった。
 あの当時は、何一つわかっていなかった、愚かなわたしの非力さ。この男は、それを一目で見破ったのだろう。
「別人のようだな。今のお前とは」
 口端の片方をにやりと上げるのは、この男がよく見せる表情だ。蔑んだ、見下した、あまりに傲慢な笑み。
「褒めてやっているつもりだが?」
 何も言わないわたしをどう思ってか、少しの間を置いて男は言葉を続けた。
 冷たい瞳。
 冷たい声音。
 そして冷たい――手。
 男は、いつもつけている手袋をとっており、何故か、しなやかな手を差し出し、わたしの頬に触れた。それを、片手でわたしは跳ね除ける。
「触らないで」
「拒むか」
「当たり前よ」
「何が当たり前だというのだ」
「わたしだけは、決して、あなたに屈しないわ。いいえ、違う。みんな。誰一人も、あなたになんて屈しないで戦ったのに決まっている。だから、わたしも、あなたには、死んでも」
 途切れ途切れの、情けないわたしの言葉。
 わたしの頬に触れる、男の手。
 何故、わたしに触れるの。
 何故、わたしを見るの。
 声にならないわたしの訴えを、察知したように男は答えた。
「おもしろいと思っただけだ。短期間で大きくなったものだ。人間は寿命が短いからなのだろうな」
「何よ、それ…おもしろくなんてない」
「別人のように見える。いや、別人だったのはわかっているが」
 それは、わたしの姿になった、シンシアのこと?
 この男が、その「わたし」を覚えていたことに驚き、そして、胸を締め付けられる。
 シンシア。
 命が終わる時に、わたしの姿だったのだろうか。あなたは、自分自身の姿を失ったままだったのだろうか。
 非力で、何一つ出来ない、勝手に未来を作り上げられていた、「勇者」とかいうどうしようもない人間の姿で。
 それは、あまりにも悲しいと思えた。
 そして、その気持ちがわたしの背を押して、今まで口に出せなかった言葉を、するりと音にしてしまう。
「わたし、あなたのことが憎い」
「憎い?それは、また、おかしなことを言うな」
 細められる瞳。
 おかしなことって、何?
 わたしが言うことは、至極当然のことで、何一つおかしなことなんてない。
 故郷を奪った、人々の命を奪ったこの男を憎むことの、一体何に矛盾や不自然さがあるというのか。
「まったく、不思議なものだ、人間は」
「何が」
「憎いという相手を、そんな目で見るものなのか」
「っ!?」
 全身の血が沸騰したのではないかと思うほど、男の言葉でわたしの心臓は大きく波打ち、体温を上げる。
 そんな目。
 それは、どんな目だというの。
 わたしは、どんな卑しい顔で、この男を見ていたのだろうか。

 まだ、言わないで。
 わたしが、本当は聞かなければいけないことを、意に介さぬように、それどころではないように振舞う。
 そうすれば、わたしも、悲しい記憶の引出しを、今はこれ以上開かなくてもよくなるから。
 お願い、もう少しだけ。
 あと、もう少しだけ、この男を責めないわたしを許して。
 まだ、わたしには早いの。
 この男を倒すには、いまだわたしには力が足りなくて。

 わたしの中で繰り返されるその願いは、その謝罪は、そのどうしようもない繰言は、今は生きていない人々に向けられた、永遠に答えがないものだと知っている。
 知っていて、でも、わたしは祈っている。
 自分の非力さを言い訳に、見て見ぬふりをして、これ以上心を乱されないように、この男にすがってきたわたし。
 ありがたいことにこの男は、他人に対する干渉もなく、自分への干渉も許さず、過去を口に出すこともほとんどない。
 だから。
 だから、わたしさえ言わなければ、聞かなければ、これ以上心が乱れなくても済むのだ。
 そう自分で思っていたのに。なのに、わたしがそうやってこの男にすがっていることを、わたし自身が、わたしの瞳が雄弁に語ってしまっていたのだ。
 恥ずかしさで、いたたまれなくなって、わたしは背を向ける。
「勝手に思い違わないで頂戴」
「……本当にお前は、おかしなやつだな」
「何がっ」
「わたしが、何を思い違っているというのだ?意味がわからん」
「……!」
 苛立って振り返ったわたしの視界に、また、蔑みの笑み。
 しかし、、やがてその笑みは消え、冷たい指がわたしの頬にもう一度触れようと、静かに差し出される。

 やはり、無理なのだ。
 あの忌まわしい記憶を封じて、何もかもなかったことにするなんて。
 だって、わたしはあの村のみんなが大好きで大好きで。
 シンシアが大好きで。
 みんなの命を奪った魔物が憎くて。
 いつか、仇を取ることが出来ると信じて旅をしてきて。
 なのに。
 なのに、わたしは、この男の冷たい指が、決して嫌いではないのだ。
「触らないで。どうして触るの」
「それは」
 わたしを見下ろす男の瞳が、また少し細められたけれど。
 その表情は、知らない。わたしは、この男のことをあまり知らない。
 魔族の王として、崇められているとか。
 可愛らしいロザリーという名のエルフを愛しているとか。
 部下と思っていた魔物に裏切られていたとか。
 わたしを殺すために、子供狩りを命じていたとか。
 エンドールの闘技場で、名のある戦士達を殺していたとか。
 それから。
 それから。

「何故お前が泣いているのか、不思議に思ったからだ」
 
 それから。
 どこまでわかっているのか、判別はつかないのだけれど。
 この男なりに時々、わたしに優しくしてくれること。
 その優しさに気付く前に、剣を抜いて斬り伏せることが出来れば、どんなに楽だったのだろうか。

 冷たい指が、わたしの頬を濡らすものを掬い取り、ぞんざいに振り払った。
 それは、宙を舞って、少しだけわたしの腕に飛んできた。
 彼は、おもしろくもなさそうに唇を引き結び、わたしに背を向け、その場を去ろうとする。
 引き止めるわけでもなく、わたしは、ただ。
 去り行く男の背をみつめながら、いつか、この体に剣を突き刺す日が来るのだろうか、と、ぼんやりと思った。




モドル