決意-2-

クリフトは、遠いあの日のことを思い出していた。
あれは、マリアと二人で、深い闇の中彼女の故郷を訪れた夜。
こうやって先導をしていた彼女が村の入り口でクリフトを振り返り、キメラの翼を彼に渡そうとした。
あなたがもしも帰りたいと思ったら、いつでも戻っていいわよ。
まるで試されているようなその言葉達は、あまりにも寂しげに響き、どこまでも彼女が肩肘を張ってしまう性分である現れだった。
しかし、今日の彼女は違った。
彼を招き入れる心の準備は整っていたようで、クリフトにもおぼろげに記憶にあったその「村の入り口辺り」に着いても、歩調を緩めずに振り返らずに彼を案内する。
「お疲れ様、到着よ」
そう言って振り返ったマリアは、微笑すら浮かべている。それは、作り物の笑みではない、とクリフトは思った。
「・・・荷物を、置いてもいいでしょうか」
「うん。どっか、床が残ってるところの方がいいかもね?」
二人がたどり着いたその場所は、やはり、以前のように限りく廃墟に近い、人間が生活しているとは思えないようなところだった。
変色をした土、毒気に侵食されてしまい、乾くことがなくなったぬかるみ、天井も壁も崩れ、唯一形を残している柱すら焼け跡我残っている建物。
何もかもが、人を拒む様子になってしまっているその村。
クリフトはあまりそれらをじろじろ見ないように気をつけ、近くの建物跡に残る床らしき場所に荷物を置いた。
その間、マリアは村の奥へと歩いて行った。
「・・・!」
マリアさん。
声をかけそうになって、クリフトはぐっとそれを自制した。
あの夜、マリアが歩いていた、この村に存在したはずの道。
クリフトにはわからない、マリアの記憶の中の、もはや存在しない道を、あの夜彼女は歩いていた。
けれど、人は慣れてしまうものなのだろうか。
今のマリアは、まっすぐに、目的の場所まで最短距離で歩いている。
それが、ある意味痛ましいことだと思いながら、クリフトは慌てて彼女についていった。
「クリフト、ねえ、これ!」
少し離れた場所で立ち止まって、マリアはクリフトを振り返る。
「な、なんですか?」
突然声をかけられて、クリフトは急ぎ足になって彼女に追いついた。
と、彼女の前にあったものを見て、クリフトは驚きで口をぽかんと開ける。
「こ、これ、なんですか。テ・・・テント、ですか」
「うん。昨日一昨日、木こりのおじさんに聞いてね、とりあえず、一人でちゃんと雨風凌げるところを作ろうと思って・・・中心の支柱を自分じゃ打ち付けられないから、一本離れたところに生えてた木を使ったの。布はね、気球を返しにリバーサイドにいったら、気球作ってくれた道具屋さんのところにあったのをもらって・・・」
照れくさそうにそう言って、マリアはクリフトに笑顔を見せた。
マリアの前には、一本の木を中心にして四方に打ちつけた杭と少し細めの縄を使って、布をしっかりと張ったテントがあった。
よく見ると、確かにその布は、気球の布と同じ素材のものだ。
これを彼女が一人で・・・そう思うと、素直に凄いと言わざるを得ない。けれど、それよりも「この村に腰を落ち着けようと本当に思ってくれているのか・・・」その疑問がクリフトの中では生まれ、つい簡単に口に出してしまいそうになる。
「おじさんが、小屋を建ててやるって言ってくれたんだけど・・・それは、もう少しいろんなことが終わってからにしようと思ったから」
「そ・・・うなんですか」
まるで、自分の思惑に対する回答とも取れるマリアのその言葉。なんと返事をしてよいかわからず、クリフトは曖昧な言葉を返す。
「真中の木のところから雨漏りしないように工夫したんだけど、全然ここ2日雨が降ってなくてね・・・木を高いままにしちゃダメだって言われて、木の上も工具借りて自分で切ったのよ。わたし、料理よりこういうのが向いてるのかも。木こりの血なのかしらね」
マリアのその言葉は、先ほどたやすく口にした「わたしのおじいさんなの」という、木こりの男について発展していくものだ。クリフトはそこは話を流すことが出来ず、ついに問い掛けた。
「マリアさん、さっきの小屋に住んでいる人は・・・あなたの、おじいさんだと、おっしゃいましたね?その・・・あなたは、まだ、『おじさん』とお呼びしているようですが・・・あの方は、あなたのお父上の」
「わたし、そんなに器用じゃないのよ。突然、おじいちゃんだよ、って言われたからって、そうは呼べないもの。それに、おじいちゃんってブライとか長老みたいな感じだと思ってたけど、それよりずっと若く見えるから・・・
「そう、ですね」
「ね、クリフト、中も見て」
マリアはそう言って、テントの入り口らしき場所の布を持ち上げた。
入り口のみ二重になっているようで、なるほど、これならば風が吹いても入り口が大きく開く心配はないのだろう、とクリフトは驚いた。
木を中心にして作っているため、そのテントはクリフトでもほとんどかがまなくていいほどの高さがある。
中に入ると、確かに広いとはいえないが、人が一人二人でいるには窮屈に思えないほどの空間があった。
外の光はかなり遮断されてしまうためか、隅にランプが置いてある。そして、その横には彼女の道具袋や、ちょっとした調理器具や器が無造作に木箱に入っていた。
と、クリフトは足元に敷き詰められている板を見て、驚きの声をあげた。
「あっ。敷いたんですね。その、わたしなんかは、こういうことが苦手なほうなんで・・・いやあ、凄いな」
地面に直接テントを張っただけだと思っていたクリフトは、予想以上にしっかりした作りのテントと床板に感心するばかりだ。
マリアは板の上に膝を折って座り、こんこん、と叩いた。
「この板だけ、おじさんにもらってね。地面からちょっとだけ浮くように足場を作ったの・・・二人で、運んだの。ここまで」
そのマリアの言葉に、クリフトははっとなる。
ということは、あの小屋の主は、この村に足を運んだのか。
クリフトは、入り口から入ったところで、じっとマリアを見下ろした。それをどう思ってか、マリアは言葉を続ける。
「あの日、わたしが、この村を出た日にね、あの小屋に寄ったの。それで・・・この村に、何かが起きたんだって思って、おじさん、ここに来たんだって」
「そうだったんですか・・・」
「クリフト、わたしが、色々知ったことを、聞いてくれる?」
「はい」
クリフトはマリアに近づいて、彼女と同じようにその板の上に膝を折った。
「つらそうな、顔をしています」
「わたし?」
「はい」
「色んな事を知りすぎて、どうにかなっちゃいそうなの」
「マリアさん」
「わたし、吐き出すのが、上手くないみたい」
「知ってます」
それは、応えたクリフトも、返されたマリアも、どちらも驚くほどの即答。
マリアは一瞬目を見開いてから、泣き笑いのような表情を見せた。
「はは・・・クリフトは、知ってるよね」
「はい。存じています。あなたが、色んな事を溜め込んで、いつも途方に暮れて・・・そんな顔をすることは」
そう言って、クリフトはマリアに腕を伸ばした。
それに抗うこともなく、マリアは素直にクリフトの抱擁を受け入れる。
「クリフト」
「はい」
クリフトの胸元に頬を押し付けながら、顔も見ずにマリアは言葉を続けた。
「来てくれてありがとう」
「・・・いいえ。本当に・・・遅くなって、すみませんでした」
「たった五日間なのに、あなたがわたしのことをいっぱい知ってるってこと・・・忘れそうになった。ごめん。それくらい、わたし、色んな事を知りすぎて、頭がおかしくなりそうで。いつも言い訳ばっかりでごめんなさい」
ああ、先ほどのマリアの戸惑い混じりの乾いた笑いは、そういうことだったのか。
クリフトは彼女の言葉を聞いて合点がいった。
マリア自身が嫌になるほど、彼女は唯一クリフトにだけは、仲間に見せたくない感情をぶつけてきた。
彼女がその感情をうまく吐き出せずに苦しんでいることは、ずっとずっとクリフトだけは知っていたのに。
なのに、わずか五日間離れてしまっただけで、それすら失念するほどにマリアは揺れている。
クリフトはそのことに納得し、そして、それほどのことを受け入れるための覚悟が、自分には必要だと気付いた。
「マリアさん」
そっとマリアは身を引いて、クリフトの腕から離れた。
真正面から彼を見るマリアは、無理な笑顔も捨て、真剣な眼差しを見せていた。
「何をですか」
「やっぱりわたし」
そこで一旦言葉を切るマリア。
ああ、これも、知っている、とクリフトは思う。
言ってしまってよいのだろうか、と言葉にする前に一瞬立ち止まるように声を止めることがある。それは、マリアだけではなくて自分もよくやってしまうことだ。
そして、マリアの「それ」は、彼女自身が怯えているからでも、彼女が迷っているからでもないのだと、彼は感づいた。
「マリアさん」
「やっぱり、わたし、天空城にもう一度行かなくちゃいけない」
ようやくマリアの口から出たその言葉達。
クリフトはそれに驚くこともなく、冷静に受け止めることが出来た。
何故なら、それへの応えは、ここに来る前からクリフトには用意していたからだ。
「マリアさん。わたしがご一緒することを許してください。もちろん、許していただかなくても、ついていきますけれど」
「・・・クリフト」
天空城に行くことを告げれば、きっとクリフトはそう言うだろうとマリアも思っていたに違いない。
だから、躊躇して、言葉を一瞬飲み込んで、心を律して。
クリフトに無理をさせたくないと思いつつも、それでもマリアは言わないわけにはいかなかったのだ。
既に、彼がなんらかの覚悟をしてここに来たことは、彼が持ってきた重装備で嫌というほどわかっていたのだから。
マリアは彼の言葉に返事をせずに、くるりとクリフトに背を向けた。
そして、テントの奥の木箱に手を伸ばして、ごそごそと何かを探していた。カチャカチャと陶器がこすれる音がクリフトの耳にも届く。
「旅の間、お茶を淹れるのってほとんどミネアの役目みたいになっちゃってて、わたし、何もしないことがほとんどだったけど・・・」
「え」
「わたしが、一人でここを出る前に、クリフトが来てくれたら。そしたら、お茶をいれてあげようと思って、カップとか、探したの。でも、昨日も、今朝も、一人でお茶を飲みながら、もしかしてその時は来ないのかもしれないって・・・そう思ってた」
「マリアさん」
「でもそれは、クリフトのことを疑ったからじゃないの。その方が、クリフトにとって、いいんじゃないかと思ってたから。わたしなんかのことにこれ以上煩わされないで、サントハイムでもっと勉強して、色んな人のために働くんだろうなって。きっと、クリフトも、いつか自分がそうなるだろうって思っていたんじゃないかなって」
「そんなことっ・・・!」
マリアが言うことは、少しは当たっているとクリフトは思った。
確かに自分は昔はそう思っていた。
アリーナのため、サントハイム王のため、サントハイムの人々のため、そして自分のため。
まだ神官としては未熟である自身の徳を高め、もっと勉強をし、神父の下で成長をして、神の教えを人々に伝えることで、人々の苦しみからも救うことが出来るように。
けれど、今自分がその道に進むことは、目の前のたった一人の少女を救うのに、何の役にも立ちやしないのだ。
「お茶を淹れるから、飲みながらわたしの話を聞いてくれる?外に、小さなかまどもあるのよ」
マリアは振り返ってクリフトにそう言うと、照れ笑いを見せた。
その両手には小さな鍋とカップ。
なんとそれは可愛らしいことか。そして、それらをこの村で探し当てたマリアを思えば、なんと痛ましいことか。
クリフトは泣き笑いの表情で、彼の精一杯の返事をした。
「嬉しいです。喜んでいただきます」
その声に、マリアもまた精一杯の笑みを向けた。


二人はテントの外で、小さなかまどを囲んだ。
平べったい大きな岩が近くにあり、そこにマリアは腰をかけ、何故か横倒しになっていた木の太い幹にクリフトは座る。
晴天の下でも、少しばかり肌寒いくらいの気温のため、淹れたての茶が彼らの体の中を温めてくれた。
「マリアさん。これを」
クリフトは、アリーナがもたせてくれたクッキーをマリアに渡した。アリーナからのものだと伝えると、マリアは嬉しそうに微笑み、中身を見れば更に笑顔になる。
「おいしい!」
案の定、ひとかけら口に含んだだけでマリアは大喜びだ。
「アリーナに気を使ってもらっちゃって・・・ほんと、申し訳ないわ」
「姫さまは多分、このクッキーをあなたに食べさせて・・・サントハイムにくればもっと美味しいものが食べられるから、遊びに来てくれと・・・そう言いたいんだと思います」
「・・・うん。わかってる。わたしも、行けるものなら行きたいわ」
その曖昧な言葉の裏に潜む意味を、クリフトは追求をしないしマリアも敢えて言わない。
当のマリアも、クリフトに追求させたくて言うわけではない。
本当に彼女はそう思っているし、それを伝えずにはいられないほど、心からアリーナの気持ちに応えたいとも思っているからだ。
「マリアさん、これも、あなたへと預かってきたんです」
クリフトは小さな包みが入った袋をマリアに渡した。
「ん?美味しそうな匂い」
中をのぞきこんで、マリアは歓声をあげた。
「なあに、これ。美味しそう!もしかして、これもアリーナから?」
「いいえ、実はそれは」
「あっ、ブライでしょ」
「はい」
あっさりと言い当てるマリア。アリーナではなければブライ。それはとても単純な式だが、疑問も思わずにブライの名をあげるマリアは、きっとブライのひととなりを良く知っているのだろう、とクリフトは思う。
「これ、お食事用よね?クリフト、お腹減ってる?」
「いえ、まだわたしは」
「じゃあ、これはとっておきましょ・・・すごいわ。わたし、こんなに・・・一人じゃないご飯が待ち遠しくなるなんて、ほんと、思ってもみなかったわ。よく考えたら旅の間は、ほとんど誰かと一緒にご飯食べていたんだものね」
「ああ・・・そうですね。それは、わたしもです」
「大したもてなしは出来ないけど・・・朝、茸と野草を採ってきたの。干し肉もあるから、スープぐらいは作れるわよ」
「わたしも、お手伝いできるでしょうか」
「手伝ってもらったり、待たせるほど、時間がかかる料理は作らないから」
そう言ってマリアは肩をすくめてみせた。はは、と軽くクリフトは笑い声を漏らす。
そして。
訪れた沈黙の中で、マリアは一口茶をすすった。
まるでそれの真似をするかのように、クリフトも続いて茶を口に含む。
マリアがもう一口。
そして、クリフトももう一口飲もうとカップに口をつけた時。
「・・・あのね。わたし、みんなと別れて、一人でここに帰ってきてからね・・・」
ようやく、ぽつりとマリアは本題を語り始めたのだった。


眠らせてくれない、強い日差しを瞼ごしに感じてわたしは目覚めた。
そうだ。
わたし、昨日、一人になったんだ。
みんなと別れた翌日、なかなか寝付けなかったわたしがようやく眠りについたのは朝方。
けれど、屋根なんてほとんど残っていない廃墟で横になっていたおかげで、朝の日差しが容赦なくわたしを起こした。
「いてて、体、痛いし、やっぱり冷えるし・・・」
やだ。
声もちょっと枯れてるじゃない。
体を起こしてのびをする。
びっくりするほどに爽やかな朝の空気が村中――と言っても、もはやここは村であって村ではないんだけど――に満ちている。
「あーああ・・・」
そうだ、何か飲もう。
気付いて、皮袋にいれてきた水に口をつけた。
眠っている間に相当気温がさがったらしく、それはもう冷えきっており、喉を痛いほど刺激を与える。
それから、お腹が減っていたから、もってきていた固パンをつまんで、朝の日差しに溢れかえった村の中を一周。
どんな状態でどれだけ見たって、何一つ良いことなんてなかった。
明るければ明るいほど、村を襲った惨劇の痕は今だって浮き彫りにされてしまうし、木々の間でさえずる小鳥達の声が、余計にそれらのものと温度差を感じて、どこか空々しくすら思える。
何か残されたものはないかと、建物の跡の瓦礫をどけて。
欠けた茶碗。
柄が溶けて形が変わってしまった銀色のフォーク。
焦げ跡が残っている木のスプーン。
雨にさらされて少し腐ってしまっている木のトレイ。
狩りに行く時に隣のおじさんが履いていた靴。
唯一無傷のクローゼットを一つ見つけて中を開くと、そこは男性用の服しか入っていなかった。
それから、先生が時々着ていたコート。
わたしが着るには大きいけれど、これを着たら夜も暖かいかもしれないと思いついた。
お母さんが見せてくれたことがある、あまり高級じゃないだろうけど思い出がつまっていただろう、首飾り。
長老がたまに使っていた杖は黒く焦げ跡があったけれど、まだ形を留めていた。
足の折れたテーブルや、火にあぶられて半分焼けてしまったチェストや。
あれこれ探せば探すほど、なんでわたしは一人でここにいるのかがわからなくなってきて、また泣きたい気持ちになってきた。
不思議なことにシンシアが住んでいた小さな家には、何一つシンシアを偲べるものがなかった。
日常用品の何ひとつも欠片も残っていない。
建物は完全に崩れてしまっていたし、焼け跡もかなりひどかった。
でも、それでも。
いくらなんでもそれにしたって、誰もそこには最初からいなかったのではないかと思えるほど、瓦礫の下からは何も出てこない。
そう。まるで、最初からこの村に、この世界にいなかったように。
今となっては、わたしが持っていた羽根帽子だけが、彼女の存在を信じされてくれる唯一のものだ。それ以外に、彼女とこの世界の接点が何もないようにすら感じてしまうのは、何故だろう。
シンシアのことを知ってる人間が、この世界にいるのだろうか。
そもそも、この村にどうやってシンシアは来たのだろうか。
普通にふもとから山を登って?
「・・・あ・・・」
そんなことを考えたら、わたしは一つのことを思い出した。
もしも、シンシアが山を登ってきたのならば。
そうしたら、もしかして、あの木こりのおじさんの小屋を見つけたことだってあり得る。
たとえ、シンシアと親しくなくたっていい。
たいぶ以前にエルフを見たな・・・とか。たったそれだけでもいい。あの人は何か知らないだろうか。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなって、わたしは手早く準備を整えて、慌てて村を出た。


小屋は、以前と変わらぬ場所にあった。
朝の比較的早い時間に訪問をするのは、不躾だろうか。
そうも思ったけれど、「山に住む者は朝が早いと決まっている」と以前義父さんが言っていたことを思い出して、勇気を出して小屋の扉を叩いた。
中から不機嫌そうな「誰だ」という声が聞こえる。
よかった、いた。
「あの、以前、旅に出る時にお世話になった者です!」
用意しておいたセリフをたどたどしく言うと「さっさと入りな」と荒っぽい返事が来た。
「おはようございます。朝早くからすみません・・・」
戸を開けると、犬が軽く声をあげて近づいて来る。
わたしの足元でぐるぐる二周すると、奥へと歩いていってしまった。
小屋の奥の部屋には、作業着らしきものを着たおじさんが椅子に腰掛けて、かご一杯に入っている何かの木の実の殻を取っているようだった。
「なんだ、おめえか。今日はなんだってんだ」
「あの・・・お伺いしたいことがあって」
「この山以外のことなら、俺に聞くのはお門違いってもんだ。旅でもしてるそっちの方が、よっぽどいろんなことを知ってるだろうさ。旅の役に立つようなことは、何にも知らねえぞ」
「いえ、あの、この山のことで・・・。それに、旅はもう終わったんです」
「何?」
わたしがそう言うと、おじさんは一瞬眉を寄せて、難しい顔を見せた。
何か、言っちゃいけないことを言ったのかと思って、自分の言葉を思い出したけれど全然それらしきものはみつからない。
「旅は終わったってえことは、この山に戻ってきやがったのか」
「はい、そうです」
そう返事をすると、わずかな沈黙が訪れた。それから、おじさんは取り繕うように慌てて、無理に返事をしようとした。
「なっ、なんでえ、以前会った時より、やたらと仰々しい喋り方しやがる。俺はよう、そういうのはどうにもこうにも苦手で、気持ちが悪いんだ。勘弁してくれや。とりあえず、そこにでも座りやがれ。話を聞いてやろうじゃねえか」
「あ・・・ありがとう・・・」
確かに、この山を降りた当時に比べれば、大分わたしも他人に対する言葉使いを覚えた。でも、そのことが気になったんじゃなくて、わたしが以前ここに来た時のことをこのおじさんが覚えている、ってことの方が心にひっかかる。
わたしは、言われた通りに椅子に座った。すると、その椅子は、今まで旅の間に座ったどの椅子よりも座りごこちがよくて、お尻を乗せる部分が少し丸みを帯びてくぼんでいることに気付いた。
「わあっ、この椅子、すごく座り心地がいい・・・!」
驚いて言葉にすると、おじさんは更に眉を寄せて、搾り出すようにわたしに言う。
「そいつはよう。俺の息子が作ったもんだ」
「息子さん?一人暮らしじゃあ、ないんだ」
「一人暮らしだ。息子は、18年も前に出て行った」
「あっ・・・そうなんだ・・・」
「綺麗な嫁さんを貰ってな」
そういいながらおじさんは、椅子から立って食器が並んでいる棚に向かった。引き戸を開けて、白いカップを二つ取り出す。
お茶をいれてくれるのかな。そんなに長い話にならないかもしれないのに、申し訳ないな・・・。そんな風にわたしが思っていると、おじさんは次に衝撃的な言葉を発した。
「そりゃあ、綺麗な嫁さんだったぜ。なんたって、背中に翼が生えているんだからな」
「っ・・・!」
背中に、翼が、生えて。
わたしは驚きで体を強張らせ、まばたきを忘れたようにおじさんの背中を凝視する。
それは、もしかして。
今まで全然考えたこともなかったことを、突然真実として突きつけられる。
その時の鼓動の早くなる感じとか、驚きで言葉を失う感じは初めてではない。
おじさんはわたしに背を向けたまま、茶葉をポットの中にいれ、それから隣の部屋へと歩いていき――隣にはかまどがあるのだが――沸いていたらしいお湯をポットに入れた。
それからおじさんはずかずかと大股で戻って来て、ちらりとわたしの顔色を伺った。
「何も聞かねぇのか。俺が言ってることを、空想だ、とか、本当にそんなことがあるの、とか、何も聞かねぇのか」
なんと言葉を返していいのかと答えあぐねていると、さらにおじさんはわたしに言った。
「おめえは、自分の親が誰なのか、ちゃんと知っているんだろ・・・?」
そして、カップをテーブルに並べ、ポットから茶を注いだ。
とぷとぷと耳慣れた音が室内に響く。
本当ならその音は、ほっとさせてくれる音のはずなのに、わたしの緊張は高まる。
「おじさん・・・おじさんの息子さんと、その奥さんは・・・」
「ここより、もっと山奥の村に移り住んでな・・・二人の間には一人の女の子が生まれた。だってのに・・・俺の息子は、とある日雷にうたれて死んじまった。そして、その嫁は空の上にいるらしいお仲間に連れて行かれたってさ」
そう言って、おじさんは片方のカップをわたしの前に突き出した。
「・・・あ、りがとう・・・」
急に喉が渇く。
わたしは、普通の声が出なかった。そこに追い討ちをかけるように、おじさんはわたしに告げた。
「残された女の子の名前は、マリアだ」
そう言ってわたしを見るおじさんの瞳は、もう、彼も本当のことを知っているということを物語っている。
まっすぐなその眼差し。まるで何かを賭けているようにわたしは感じた。
何から言葉にしていいのかわたしはわからなくなって、両手を伸ばしてカップを抱えるように持った。
「・・・おじさん、わたし、村を出る日まで一緒に暮らしていた父さんと母さんが、実の親だとずっと思ってた」
「そうか」
「そうじゃないってことを言われて、意味がわからなくて・・・どういうことなのか聞く余裕もなくて・・・でも、二人に本当のことを聞くことは出来なかったの。だって、二人共、魔物に殺されちゃったから」
「・・・あの日だろ。ここに、おめえがやってきた日だ」
「うん。最後の別れになると思って、きっと教えてくれたんだと思う。それで、旅をしている間に、少しずつ自分が誰なのか・・・本当の親は誰なのかがわかるようになってきて・・・お父さんは、雷に打たれて死んでしまったって聞いたし、お母さんは、空に・・・空にあるお城に、連れ戻されたって聞いた」
「マリア」
その時、おじさんはわたしの名をはっきりと呼んだ。
「マリア。それが、おめえの、名前なんだろ」
もちろん、それへの答えはひとつしかない。わたしは、先に首を縦にふってから、声を絞り出した。
「うん」
「畜生・・・」
そう言って、おじさんはぐい、と目をこする。
深いしわが多く入った顔が、くしゃくしゃに歪んだ。
「俺が、ここに今日まで一人でいたのは、無駄じゃなかったんだな・・・無駄じゃ・・・」
そう言うと、おじさんは立ち上がって、ずかずかと隣の部屋にいってしまった。
首を伸ばしてその様子を見ると、犬がおじさんの傍にやってきて、ぐるぐるとその周りを歩いていた。
きっと、おじさんは泣いていたんだろう。だけど、わたしの前でそれはきっと見せたくなかったんだ。
わたしは、手に伝わるカップの温かさを感じながら、そっと一口飲み込んだ。


マリアの話を聞いていたクリフトは、「そうだったんですか」としか言葉に出来ない。
まるで、今の自分達と同じような状況なのだと、マリアはふと気づいて苦笑いを浮かべた。
「やあね。なんか、こういう話をしているときに、呑気にお茶飲んでるってのも変な感じ」
「いえ・・・お茶を飲みながらの方が・・・落ち着ける時があるでしょう?」
「そっか。そうかもしれない。確かに、あの時もおじさんがいれてくれたお茶がなかったら、もう、どうしていいかわかんなくて・・・困ったたびに一口飲んでいたかもね」
そう言って、マリアはぐいとカップの残った茶を飲み干して、かまどに置いた鍋からポットにお湯を注いだ。
「クリフトも、もう一杯いる?」
「あ、わたしはまだ残っているので」
「欲しかったら言ってね」
「はい」
本当は、マリアに茶を淹れてもらうことが嬉しくて嬉しくて、ゆっくりと味わっているのだ・・・さすがにそんなことは口に出すことが出来ず、クリフトは照れくさそうに一口茶を飲む。
「それにしても・・・よかったですね。あなたの肉親がいらっしゃることがわかって・・・」
「うん。おじさんは、わたしが旅から帰ってくるのを・・・待っていてくれたんだって。その時には打ち明けたいって思ってたみたい。そう思うと、なんかね・・・もう、誰も、この村ではわたしを待っていなかったけれど・・・」
そういってマリアはぐるりと荒廃した村を見回した。
「自分が守った世界には、たった一人だけど、わたしのことを待っていてくれる人がいたんだって思ったら、なんか、なんかね。それだけで、報われた気がしたの」
ポットから注がれる茶の音。クリフトの鼻にも、淹れたての良い香りがふうわりと漂ってくる。
「マリアさん、五日前は、確かにそうだったかもしれませんけど」
「大丈夫、クリフト、わかってる」
クリフトの言葉を途中で止め、マリアは穏やかな笑みを浮かべた。
「アリーナやブライが、あなたの帰りを待っていてくれるように、たとえ居場所が違っても、ライアンだって、トルネコだって、マーニャ達だって・・・今から、天空城に行くわたしの帰りをどこかで待っていてくれるんだって、知ってる。みんなは、いっぱい知らないふりとか、聞きたいことも聞かないようにしてくれていたけど、察してくれてる部分もあるはずだから」
「そうですよ」
力強くクリフトは相槌をうったが、自分もまたアリーナ達に心配かけまいと偽りの恰好でサントハイムを出て来てしまったことを思い出す。それには多少後ろめたさもあったが、あえて言葉にはしなかった。
話題を変えるために、クリフトは抱いていた疑問をマリアに投げかける。
「それにしても、あの、その、あなたのおじいさんは・・・どうして、あなたが旅に出る時に、先に打ち明けてくださらなかったんでしょう?あなたが旅に出た後で、あなたがご自分のお孫さんだって知ったのでしょうか?」
「クリフト」
マリアは、静かにクリフトの名を呼んだ。
その声音を聞いて、クリフトは「これは」と緊張で体を軽く強張らせる。
クリフトは、知っている。こうやって、名を彼女が呼ぶときは、何かがあるのだということを。
「おじさんは、隣の部屋でしばらく涙が止まるのを待っていたみたいだったんだけどね」
「はい」
「その後で、信じられないことを呟いたの」
「・・・何、ですか?」
聞かなくても、マリアは話を続ける。
それはクリフトにもわかっていたことだけれど、促さずにはいられなかった。
そして、マリアは、眉根を寄せた。
「シンシアに、どれほど感謝しても、したりないって」
「・・・!」
「クリフト。わたしが、ここ数日知ったことで、あれこれおかしくなったのは、おじさんが、わたしの本当のおじいさんだったことがショックだったんじゃないの」
かたん、と地面の上にあるトレイの上に、自分のカップを置いて、マリアは足を組替えた。
「おじさんは、びっくりするほど、わたしが知りたかったシンシアのことを、良く知っていたの」
「じゃあ・・・」
「そこでわたしが感じた一番大きなことは」
きっと、今から芳しくないことを、口にするのだ。
マリアの表情、声音からそうクリフトは感じとって、唇を引き結んだ。
そして、その想像通りのことを、マリアは告げる。
「シンシアは、あの日、村のみんなが死ぬことを知っていたんじゃないかっていう、嫌な疑いよ」
「!」
予想外のマリアの言葉に、クリフトは動揺を隠せない。
「こ、ここで・・・その・・・村の人々が、デスピサロの手先達に殺されることを・・・?デスピサロの手先だった、ということですか!?」
「ううん。違う」
「じゃあ・・・」
「それを確かめるために、天空城に行くの」
静かにそう言ってから、マリアはもう一度カップを手にとって、液体を口に含んだ。
そして、なんと言葉にしてよいかわからず、呆然とするクリフトを見ながら、困ったように小さく首を傾げる。
「マリアさん・・・」
「本当にクリフトに聞いて欲しいのは、ここからなのよ」


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