決意-3-

マリアは、クリフトの顔をみずに、自分のつま先に視線をやりながら、まるで独り言のように話を続けた。
彼女のそれは、話すうちにクリフトの心情に起こる変化や、それを見ることで揺れる自分を最初から無視するための儀式のようなものだった。
まず、マリアは、自分の本当の父親と、天空城に連れ戻された本当の母親について、クリフトに説明をした。
あの小屋に住む木こりの息子が、天空人であるマリアの母親と恋に落ち、結婚をしたということ。
けれど、やはり姿形が珍しい彼女のことを心配して――奇しくも、それはまるでロザリーヒルにロザリーを閉じ込めたがったピサロ青年の愛情と同じに思える――更に山奥深くにある隠れ里を知っていた父親が、息子夫婦をその村の村長に託したということ。
「確かに、ルーシアさんは世界樹の木のところにいたからまだしも、もしもエンドールなどで一人でおろおろしていれば、きっとすぐに見世物にでもされてしまうことでしょうね」
「そうよ。わたしのこの緑の髪だって、珍しいって言われてじろじろ見られたし、ルーシアを連れてあちこち回った時も、結構な好奇の視線で見られたもの。欲の深い悪知恵の回る商人なんかに知られたら・・・ね」
「そう思えば、あの木こりの男性の判断は、悪くないと思えますが・・・」
多分、自分が木こりの立場でもそうしただろう、とクリフトは思った。
自分の愛する息子夫婦と共に暮らしたい気持ちは山々だけれど、それが彼らにとって凶事になる可能性もあるならば、苦渋の選択を自分に強いるだろう。こうやって、マリアのもとに単身来たように。
けれども。
あの村の悲劇はそこから始まったのだろう、と既にクリフトは感づいていた。
先を促したいけれど、促せない。そんな彼の気持ちを察したように、マリアはするすると話を続けた。
「後は、想像通り。二人の間には娘が生まれて、マリアと名付けられた。そのうち、その孫娘を連れて彼らが会いに来てくれるだろうと、おじさんは信じて待ち続けた」
「けれど、その日は来なかったのですね」
「うん」
クリフトのその言葉で、マリアはちらりと彼を見た。そして、小さく頷いて目を伏せる。
「ある日、一人のエルフが、おじさんのところにやって来た。名前は、シンシア」
「・・・」
「シンシアは、おじさんの息子が、雷に打たれて死んだことと、その奥さんが天空に連れ戻されたことを伝えて、そして、死体を焼いた後の灰と骨を持ってきてくれたんだって」
「火葬だったのですか・・・この村は」
「そうするしか、おじさんのところにお父さんを連れて行けなかったんだって。その頃、村にはもうわたしという、勇者にいつかなるだろう子供がうまれていて、それまで以上に村のことを隠しておかなくっちゃいけなくなったから・・・死体を運んで手間取ったりしてる姿を、人に見つかりたくなかったんだろうっておじさんは言ってた」
「あなたが生まれた時に、もう、あなたは勇者になると言われていたのですか」
「それは、よくわかんない。おじさんもそうだとは言ってなかったんだけど、ほら、ルーシアが言ってたじゃない?その、羽根のない天空人は、成長に合わせて生えてくる場合があるって・・・もしかして、いつかわたしの背中にも羽が生えるかもしれないから・・・それを考えたら、この村で育つ方がいいんだって、おじさんは思ったんだって」
「でも、ご自分のお孫さんなのに」
「うん。わたしも、ちょっとそう思った。でも、そのことはおじさんをあまり責められないの」
どうしてですか、とクリフトは聞かなかった。マリアが続きを言うと思っていたからだ。
しかし、クリフトの期待どおりの答えをマリアは返さず、更に話を先に進めた。
「おじさんは、血の繋がりもない、知らない夫婦にわたしを育ててもらうことを承諾したんだって。それから毎年、一年に一度。シンシアはおじさんのところにいって、わたしがどんな風に育っているのか、お話をしていたらしいの」
「ふうん・・・報告係のようなものですね」
「そうね。確かに、年に一度シンシアは、剣の先生とかと一緒に村を一日空けることがあった。帰りにはてかごにあの白いお花を摘んできていたんだけど・・・あのお花を、おじさんの小屋のところにあるお墓に、毎年もっていってたんだって。ね、クリフト、わたしよくわからないんだけど、誰でも、そうやってお墓にお花を持っていくものなの?」
そのマリアの問いに、クリフトは一瞬考え込んだ。
「・・・ううん・・・大抵は、親族とか生前のお知り合いの方ですが、偉業を為した方や有名人であれば、まったく見知らぬ人間でも花を持っていくこともあるでしょうね」
「ね、でもね、クリフト。シンシアは、わたしの本当の父親のことなんて、知らないはずなのよ?言ってたでしょ。天空城で・・・わたしの本当の母親はシンシアを知らないって。なのに、どうしてシンシアがわたしの父親の墓に、お花を持っていくの?」
「それは、あの木こりさんに対するなんといいますかね・・・その・・・礼儀みたいなもの・・・ううん、うまく説明できないんですけれど、そういうことはよくあることですよ」
どうして、そんなところにマリアが気を回すのか、クリフトには理解が出来なかった。
人が誰かの墓に花を持っていくことは、何もおかしくない。
たとえ、その墓に眠っている人物を知らないとしても、その死者の親族が知人であれば、なんとはなく花を手向けることだってあるだろう。それがどういう心境によるものかは、特定出来ることではないとしても。
しかし、マリアはそんなクリフトの気持ちを察してか、察することもなくか、優しく否定をした。
「そうじゃあないの。クリフト、わたしが言いたいのは」
「は、はい」
「一体、どういうタイミングで、シンシアはこの村に来て、何をどこまで知ってたのかっていうことなの」
マリアの、静かな言葉。
彼女のその言葉の意味を理解するために、クリフトは頭の中で何度かそれを反芻した。
そして、何度目かでようやく、わずかにマリアの考えていることにわずかにたどり着く。
「あの・・・わたしは、ちょっとよくわかっていないのですが・・・マリアさんの実のお父さんが死んだ日と、天空城にいたあの・・・お母さんが、天空城に引き戻された日というのは、同じ日なのでしょうか?」
「どうも、話を聞く限りでは、同時か、ほとんど一緒らしいのよね」
「・・・おかしく、ないですか?」
「うん」
「マリアさんのお母さんは・・・シンシアさんを、ご存知ない様子でしたよね?」
「そうよ。ってことは、シンシアがこの村に来たのは、天空城にいた、あの人がこの村から天空城に戻された後よね?」
「マリアさんのお父さんがお亡くなりになったのは・・・その後・・・?いや、その前か、同じ頃?」
クリフトは眉間に皺を寄せた。
「はっきりしたことはわからないけど、でも、ちょっとおかしくない?お母さんが天空城に連れ戻されてから、お父さんが雷に打たれて死んだとしたら・・・その様子を、お母さんは見てないってことになるわよね。それは、何か不自然だもの」
彼らは、細かい過去のことを知らない。それを、根掘り葉掘り聞こうとだって今まで思ったこともなかった。
けれど、それでも感じるこの違和感。
「・・・あっ、そういえば・・・」
その時、クリフトにはまざまざと、天空城で初めてあの女性から語られたことを思い出した。
天空城の通路から聞こえたライアンの声に反応して、部屋から出て行ったマリア。
そして、彼女を追って行こうと歩き出したクリフトに、あの女性―マリアの母親―は話し掛けたではないか。

――その昔 地上に落ちて、木こりの若者と恋をした娘がおりました――

――しかし、天空人と人間は夫婦になれぬのがさだめ――

――木こりの若者は雷にうたれ、娘は悲しみにうちひしがれたままこの城に連れ戻されたのでした。しかし、娘はどんなときでも、地上に残してきた子どものことを忘れたことはありません――

「マリアさん、あなたのお母さんは・・・あなたのお父さんが雷に打たれた後で、天空城に連れ戻されています」
「クリフト」
「本人から、わたしはそうお聞きしました。間違いありません」
そのクリフトの告白に、マリアは特に「いつどこで、どうしてそんな話を」などと、わざわざ追求はしなかった。
ただ、彼から得られたその情報で、己の心に浮かんでいた猜疑が膨らんでいく。それに耐えることが苦しいように、彼女は唇を軽く噛み締めた。
「ねえ。どう思う?クリフト。その後でシンシアがもしこの村に来たとして・・・なんで、そんな、村にやってきたばかりの人に、そんな悲しい話を木こりのおじさんにさせにいくの?そんなの、不自然よ」
「確かに・・・」
「何の関係もない人に、全部の責任を押し付けてるようにしか見えないもの」
「・・・何の関係もない・・・」
クリフトは、ぽつりと呟いた。
「いえ、たとえ、それが不自然だとしても・・・それと、シンシアさんが、この村の惨劇を知っていたということとは・・・関係がないですよね?」
「うん。それとこれとは話が違うんだけど・・・本当に違うのかは、わからない。本当のことが全部わかるまでは」


それからマリアは、木こりから聞いた話を更に詳しくクリフトにした。
内容は濃い話ではあったが、第三者が言葉にしてしまうとあまりにもそれはあっさり伝えることが出来る。
マリアが口にしたことは事実だけであり、その事柄一つ一つに対して、あの木こりがどれほど苦しんだり、どれほどの忍耐を強いられてきたのかということは彼らには想像も出来ない。むしろ、それを考えてしまっては話が進まないことをクリフトも感づいたか、マリアの「報告」を出来る限り正確に記憶することに気を向けていた。
「毎年、お墓にお花を・・・あの、白い花を」
天空城のエルフ達が言っていた、あの花。
マリアが見たがっていたあの花。
もはや、あの花とシンシアというエルフは切り離せないキーワードなのだとクリフトも既にわかっている。
「多分ね。毎年あの時期にシンシアが村の外に行ったのは、花を摘んでくるだけじゃあなくて、おじさんのところに行ってたってことみたいよ。確かに、花を摘むだけにしては時間がかかっていたし・・・話は脱線するけど、ここよりもう少し北のところに、あの花の花畑があるのをみつけたの。あそこにいけば、あっという間に花はバスケットいっぱい摘めるわ。だったら尚更シンシアの外出は短くてよかったってことよね」
以前、シンシアが年に一度村の外に出ていたという話を、クリフトはマリアに聞いた。それは忘れてはいない。
朝日が昇ると共に、村を出たシンシア。
そして、きっと彼女は護衛の人物と共に花を摘み、バスケットいっぱいにいれて、早起きの木こりのもとへと行ったのだろう。
「でも、ある年、シンシアが来るには季節はずれの頃に、誰かがおじさんの家の墓にお花を供えていたらしいの。いつもと違う花だったから、誰なのかとおじさんは思ったらしいけど、中に一本ね、あの花の・・・花は咲いてない状態で、一本入っていたんだって」
「それは、シンシアさんなのでしょうか?その頃にも、シンシアさんは村から外出を?」
「それはわからない。花を摘んで置いて来るだけだったら、そんなに時間もかからないし・・・」
なるほど、とクリフトはそこで合点がいった。
何故シンシアは、毎年決まった頃――あの白い花が咲く頃――に木こりのもとに訪れたのに、その時は違ったのか。そして、花を置いていくだけだったのか。
花を置くだけなのは、マリア達に内緒で村を出たからだったのかもしれない。
木こりと会っては、時間がないと思ったに違いない。
では、何故その時期に?
「わたしの、変な勘繰りじゃないといいんだけど」
「ええ」
「もうすぐ、自分も死ぬって、シンシアはわかってたのかなって」
クリフトは、静かにマリアを見つめた。
口に出してしまったマリアのその言葉は、彼女の耳に戻っていき、そして彼女の心を揺らし、苦痛をもたらしているのだろう。
言いたくない言葉。
それを今、マリアはあえて口にした。
「マリアさん」
「そうとしか、わたしには、考えられなくて」
「人の死期なぞ、そうそう感じられるものではないでしょうに」
「だから・・・だからよ。そうやって考えれば考えるほどシンシアは、何か、特別な人だったんじゃないのかと思えてくるの」
「マリアさん」
「だって」
マリアは、悔しそうに表情を歪めた。
「どうにも、自分でも納得出来ない。どうして、こんなにわたし、シンシアのことを知らないの。あんなに、毎日毎日一緒にいて、毎日色んな話をして、ずっとずっと一緒にいると思っていた人のことを、どうして、全然知らないの。全然不思議に思ってなかった。わたしには、義理のお父さんもお母さんも一緒に住んでいた。でも、シンシアは違った。なのに、どうしてなのか聞いたこともなかったし、それが当たり前だと思っていたの。わたし、そんなに鈍いのかなあ?なんだかわたし」
「ええ」
「シンシアが、本当は、わたしの記憶の中にすら残りたくなかったんじゃあないかって思えちゃうの。本当に、びっくりするほど、わたし、シンシアのことを知らないの。そういうことも確かに世の中、あるかもしれない。じゃ、一緒に住んでいたお父さんとかお母さんのこと、わたしはどれほど知ってたのかって言われたら反論できない。でも、そうじゃないの。何だか、何だか、おかしいの。シンシアのことは、それとは違うような気がして、ここがざわざわする」
そう言ってマリアは、自分の胸元を抑える。クリフトは静かに問い掛けた。
「それは、天空城に行けば、わかることなのでしょうか?」
彼のその言葉を最後まで聞かず、途中でマリアは言葉をかぶせるように叫んだ。
「だって、マスタードラゴンは、何かを隠しているわ!」
「何故そうお思いに」
「ねえ。覚えてる?クリフト。マスタードラゴンは、わたしに、もう地上に戻ることはないって言ったのよ?」
「・・・覚えています。それは、この村にも誰もいなくて・・・あなたにとっての故郷が、もはやこの地上にはないから、という意味ではないですか?」
クリフトはどうにかそう言った。
しかし、天空城で彼は確かに、マスタードラゴンのその言葉に憤慨し、心を苛立たせ、自制することに全力を傾けなければいけないほどだった。だからこそ、マスタードラゴンのその言葉を彼も忘れるわけがない。
「ね、どうして、マスタードラゴンは最初からわたしを天空で育てなかったんだろうね?」
「うーん、天空人の子育てについてはよくわかりませんが」
「もーう。そういうことじゃないってば」
クリフトの的を得ない返事にわずかな苛立ちを見せて、マリアは言葉を早めた。
「わたしがこの村を出る頃、全然わたし、勇者どころじゃないほどひ弱で、何も出来なかった。わたしが勇者になるものだって知ってたら、お母さんを天空に連れ戻すんじゃなくて、わたしを天空に連れて行って、あっちでマスタードラゴンがわたしを勇者として育ててもいいじゃない?それをしなかったのに、今更天空城に戻れって、本当に支離滅裂だと思うの」
マリアが先ほどから話している内容も、いささか支離滅裂だが・・・とクリフトは少し思ったが、それはあえて口に出さなかった。
「まだまだいっぱい、マスタードラゴンは隠している。あの竜の思うことを全部知りたいとは思わないし、そんなのマスタードラゴンに限ったことじゃなくて、生きてるものだったら誰のことも全部を知ろうとは思わない。だけど、明らかにわたし、教えてもらってもいいことを、まだまだ隠されていると思う」
「それは、わたしも多少そう感じますが」
「だけど、あの竜は教えてくれない。だから」
「だから」
「力づくで、聞こうと思って。あの竜は、押しても引いても答えてくれないけど、命をかけた取引には応じてくれると思うわ。それでも教えてくれないなら、いっそのこと、もう一生答えを知ることが出来ないように・・・あの竜を殺すだけよ。そうすれば、何もかも終わるわ。空に大きな力を持ってる神様がいるのに、人間を裁くだけで守ってもくれない。自分勝手な道理で人を裁くだけなら、いない方がマシでしょ。その方が、余程世界を救う勇者らしいことだと思うけど」
マリアはそう言うと、カップに残っていたすっかり冷め切った茶をぐいと飲み干して、少しばかり乱暴にトレイの上に置いた。
彼女の頬はわずかに紅潮しており、少しばかり興奮しているのがクリフトにもわかった。
けれど、彼女の考えはきっとその興奮が冷めても変わることがないのだろう、とクリフトは思う。
何故なら、彼女のその、完全なる決意の表情は、旅の間にも何度か見たことがあるものだったからだ。
「マリアさん。それは、あまりに極論です」
「そうしたくなるように仕向けてるのは、あの竜でしょ」
「しかし・・・」
その、少しばかり乱暴なマリアの物言いに、クリフトはそれ以上反論をしなかった。
彼女が言いたいことはわかっている。
クリフトも嫌というほどに感じていた。あのマスタードラゴンという存在の中途半端さと、傲慢さ。
世界を救うほどの力はないというのに、地上に生きる者を圧倒的な力で裁くことが出来るあの竜。
地獄の帝王を、デスピサロを倒したマリアに対して、いつまでも不遜な態度を取り、苛立たせる竜。
マリアが私怨のためにあの竜を倒そうと思うなら、その感情は人としてまっとうだ。そのようにわざとお膳立てをされたとしても。
「多分、本当はあの竜は、わたしが剣を向けることを待っているから。そうやって利用されるだけなのは癪だけど、わたしがあの竜を本当は倒したいことだって事実だわ。お互いの目的が一致してるなら、ためらう必要なんてないでしょ。まあ・・・それに、クリフトを巻き込むのは正直申し訳ないけど・・・それでもわたし、やっぱりマスタードラゴンを簡単に許すことが出来ないの」
「力で解決出来るとお思いですか」
「そうしたがってるのは、向こうの方だわ。
クリフトは、言葉もなくこくりと頷いた。
それは、賛同の頷きではない。
マスタードラゴンが本当はどう思っているのか。マリアの考えのどこまでが正しいのか。それは彼にはわからないし、最早彼女を止めようとは思えない。
ここまで多くのものを奪われた彼女に、これ以上苦しみを与えたくないと思える。
だから、どういう形でも彼女が「終わりにしたい」と思っているのならば、自分はそれに従う。
そんな複雑な感情が露になった静かな頷きだ。
どこまでそれをマリアがわかっているのかは定かではないが、彼女はとても静かに「ありがとう」と呟いた。


その晩、二人はマリアが作ったテントの中で眠ることにした。
昼間にマリアが木こりのもとで聞いていたのはテントの防寒を強くするためのことだったらしく、クリフトはマリアに言われるままに、テントの外張りの布の補強を手伝った。
そのテントの中で二枚の毛布に包まれば相当に温かく、そして、二人並んで寝るには十分な空間があり、一日の疲れを癒すには相当に快適だった。
天空城にすぐに行かずに一夜を過ごすことにしたのはマリアからの提案だった。
クリフトはそれを、自分に対するマリアの気遣いと解釈したけれど、本当はそれだけではない。
マリアは自分自身をせき立てる感情にわずかな恐れを抱いていた。
多くの感情が交錯して、自分が冷静でいるのかどうかが時々わからなくなる。
心のどこかでは、今でもマスタードラゴンを恨む気持ちだって間違いなく残っているし、自分は本当に真実を知ることが出来るのかとも不安になる。それは、どこまでも自分がマスタードラゴンが描いたシナリオで踊らされているのではないかという危惧。
あの竜は、わたしに裁かれたいと思っているのではないか・・・そんな推測が心の中に生まれた日から、マリアは自分が為すべきことを見失いがちになっている。そして、どこかで真実を知ることを恐れている。
自分の出生のこと、実の父親を裁いたマスタードラゴンのこと、天空城に連れ戻された実の母親のこと。
あの竜は、マリアの実の父親を殺すためには力を使ったのに、この村のあの惨劇の日には、村人達のためには使ってくれやしなかった。
それは、何かしらの天空の理なのか。それとも、マスタードラゴンに何かしらの思惑があったのか。
あったとしたら、それはいつかは教えてもらえるのか。
聞くために、力でねじ伏せなければいけないのか。
もしかしたら、それすらあの竜のシナリオなのか。
何を考えても堂堂巡りで、答えはどこにも見えてこない。
それでも、マリアは決めた。天空城に行く。マスタードラゴンを問いただす。
そして。
もし、真実を教えてもらえないならば。
全てのことを闇に葬り去るため、これ以上同じ過ちをマスタードラゴンに繰り返させないために、剣を向ける。
その決意は変わらない。
(マスタードラゴンはクリフトを許すだろうか)
毛布に包まったままでマリアは考えていた。
傍らには、同じように毛布に包まったクリフトが背中合わせで眠っている。
(わたしの本当のお父さんを殺して、お母さんを連れ戻したように・・・それと同じようなことを、あの竜はもうやらないだろう。その所業がどれほど理にかなっていないのか、マスタードラゴン自身がわかっているのだろうし)
たとえば、自分に刃を向けた者をまた「裁く」としても。
マスタードラゴンが次に真に裁くべき相手は自分一人であって欲しい。
考えれば考えるほど、むしろそれが正しい結末にすら思えてくる。
天空の者が地上に降りて、人間の男との間に子をもうけた。
それが罪ならば、罪の結果生まれたマリア自身をも、この世から消す必要があるのではないか。
それをマスタードラゴンがしなかったのは、マリアがこの世界を救う勇者だからだ。
では、この世界をもう救い終わった今は?
(マスタードラゴンは、過去に自分が行った、理不尽な己の裁きに対して誰かに裁かれたいと願っている・・・それが本当かどうかはわからないけど、少なくともわたしがそれをするように・・・仕向けようとしている。でも、それは逆に・・・わたしを殺すための理由を作ろうとしているとも考えることが出来る。もしそうしたら・・・)
もしもそうだったら。
クリフトは、許されず、自分と共に殺されてしまうかもしれない。
その可能性を捨てることが出来なくて、マリアは一晩の猶予を自分に設けた。
何度も何度も深く考えて、マスタードラゴンの真意を測ろうと努めて、あっという間の5日間だった。
クリフトが来る前に、単身で天空城に行かなければ、と思わなかったわけではない。
(でも)
彼にまだ言っていない、もうひとつの仮定がマリアの心の中には浮かび上がっている。
マスタードラゴンが何故裁かれたいと思っているのか・・・それを推測していた時に、ふと突然思いついたことだ。
(クリフトに言ってない、「アレ」がもしも・・・万が一にも・・・)
もしも、マリアが考えているそれが正解ならば。
(わたし、これからどうやって生きていけばいいのか、それこそ途方に暮れる)
だから、そうではないということを証明したい。
その手段だけは力ずくとは出来ないため、未だにマリアは苦しんでいる。
(でも、どちらにしても、明日には天空城に行かなくちゃ。そうでなければ・・・少しずつ少しずつ、わたしの心の中にある怒りとか、憎しみとか、愛情とか思い出とか、色んなものが・・・生きていくために何かをしている時間で、薄くなっていきそうで)
例えば、テントを作っている時。
例えば、クリフトのことを思いながら茶を淹れている時。
ブライがクリフトに持たせた、美味しいパイを頬張っていた時。
間違いなくその瞬間には、自分の中ではその瞬間が大切で仕方がなく、過去に起きたあらゆることへの感情は消えている。
それが生きていくということなのだと知っていても、そんな自分をマリアは未だに許せないのだ。
まるで、呪いにでもかかっているように、自分は自分を責めようとしている。そのことをマリア自身知っている。
その呪縛から逃れるためにも、マスタードラゴンを追求しなければいけないのだと、自分を奮い立たせることすら時々苦しくなる。
そんな風に逃げることを、みんなは許してくれる?
逃げるために、命を賭けることを許してくれる?
ぐるぐると回る思考にまとまりはなく、ただただ繰り返し自分自身を苛み続けるだけだ。
ふうー、とマリアは深く息を吐き出した。すると
「マリアさん」
眠ったものとばかり思っていたクリフトが、声をかけてきた。
「クリフト?寝てなかったの?」
「いえ、最初はうとうとしたのですが・・・その・・・ふと・・・」
「眠れない?」
「あなたが、眠れていないのではないかと思って」
予想外の応えにマリアは驚き、クリフトの優し過ぎるその言葉に返事が出来なかった。
ごそりと背中越しにクリフトが体を起こす音が聞こえた。
外には、夜の鳥があちこち鳴いている。
ありがたいことに天気のよい、空気が綺麗に澄んだ、涼しく静かな夜だ。
テントの暗闇の中でもその澄んだ空気が満ちていることを、マリアは肌で感じていた。その空気が、ゆらりと揺れた。
「クリフト」
気付けば、上半身を起こしたクリフトが、先程よりもマリアの毛布に近寄っていた。
マリアは毛布の中でもぞもぞと体を動かし、寝転がったままでクリフトを見上げる。
初めは暗闇の中でシルエットがぼうっと見えただけだったが、やがて彼の表情がうっすら見えるようになった。
「何か、考えていたのですか?」
決して圧迫感のない、いつも通りのクリフトの声音。
「・・・ね、クリフト。もしも、わたしがあなたのことを嫌いって言い続けていたら・・・きっと、ここに来ていないよね」
「え」
そのマリアの言葉にクリフトは軽く驚きの声をあげた。
それから、少し困ったように、言葉を選びながら返事をする。
「そうかも、しれません。わたしは・・・情けないことに、気の弱い人間ですし・・・けれど、それでもきっと、あなたのことを気にしないではいられなかったでしょうけれど」
「・・・そっか」
彼のその言葉を聞いて、マリアは毛布にくるまったまま、ごそごそと動いた。
まるで動物が擦り寄っていくように、体を起こして足に毛布をかけている状態のクリフトに近寄る。
ことん、と彼の膝に頭を乗せて、マリアは俯いた。
一瞬クリフトは身を引こうとびくりと反応したが、それから恐る恐る手を伸ばして、毛布の上からマリアの肩に触れた。
「マリアさん」
「わたし、多分、ずっとクリフトのことが好きだった」
「ずっと・・・?」
「バルザックを倒して、それでもサントハイムの人たちが戻らなくて・・・泣き疲れたアリーナをクリフトが部屋に運んだ日に」
暗闇の中で、クリフトは眉を潜めた。
「クリフトのことが好きな自分に気付いたの。でも、その頃はまだ、好きだけど、嫌いだった」
「リバーサイドで、空を見ながら・・・あなたに、嫌いだと言われました。覚えています」
「ずっと、好きで、ずっと嫌いだった。でも、今は、嫌いだって思ってたところも・・・それが、あなたらしいって思うの」
「そ、そうですか」
「クリフト」
「はい」
そのいつも通りの生真面目な返事に、暗闇に俯くマリアは苦笑を浮かべる。
それから、彼女はクリフトの足を覆う毛布を軽く握り締めて、少し掠れた声で告げた。
「好きになっちゃって、ごめんなさい。こんなことに巻き込むって、もっと早いうちに想像出来てれば、そうしたら、絶対、あんな風に・・・クリフトに甘えないで、もっと強がって、好きなこと、黙っていたのに」
「・・・っ・・・!」
あんな風に、とは何のことを言うのか、クリフトには理解が出来なかった。
けれど、それを理解できなくても十分にマリアの苦悩が彼には伝わる。
クリフトは、彼女の肩に触れていた手をそっと離し、戸惑いながらその手で彼女の髪に触れた。
「マリアさん、わたしは・・・その・・・」
「・・・」
「あなたを好きになって、自分で決めてここに来たことを、後悔していません。それは自己満足かもしれないけれど・・・ええ、後悔していないんです。だから、そんな風に・・・あなたも、後悔しないで下さい。そうされてしまうと、わたしは・・・」
ゆっくりとクリフトは上体を前に倒した。
こつん、とクリフトの額がマリアの後頭部に押し当てられた。
いっそう近づいた体は、二人を隔てる薄い空気を温め、互いの体温を強く伝える。
「あなたを苦しめるためだけに、あなたの傍にいるように思えて・・・無力さ以上に、つらい、です」
「・・・クリフト・・・違う・・・そんなつもりで、言ったんじゃない・・・」
マリアはクリフトの腰に腕を回し、それから顔をゆっくりと動かした。
彼女に覆い被さるように近づいていたクリフトの頬に、マリアの頬が軽くこすれ、お互いの顔が近づく。
「ほんとにわたし、不器用でごめんね。許して。いっつもわたしは自分が助かりたくて、あなたに痛い言葉ばっかりぶつけて」
そう言うと、そっとマリアは下から覗き込むように、至近距離にあったクリフトの唇を軽くついばんだ。
触れる唇をクリフトは拒まず、彼もまた、マリアに同じように返した。
深い口付けなど出来ない、まるで子供のような心許ない自分達がうらめしい、とマリアは思う。
それでも、その精一杯のお互いの口付けを軽んじることだって、二人には出来ない。
「知ってます。わたしも、不器用ですみません」
クリフトはゆっくりと体を起こして、自分の膝に乗っていたマリアの頭を両手で掴んでそっと降ろした。
それから、その場で横たわって毛布に包まりマリアの隣に体を寄せた。
「こうやって、近くで寝てもいいですか?二人でこの村で夜を過ごすのは、二度目ですね」
「そうね。あの日は・・・泣きながら寝ちゃって、クリフトに迷惑かけたわ」
「今日はもう泣かないでください」
「馬鹿」
そんな会話をしつつも、二人は泣き笑いの表情をどちらも浮かべていた。
もどかしい自分達の恋愛に呆れるように、それでも慈しむように。
二人はお互いを傷つけることを恐れ、それ以上自分の心を打ち明ける言葉もなく、相手の心を探る言葉もなく口を閉ざした。
しばらくすると、夜の鳥の声がぷつりと途絶えて静寂が訪れる。それを合図にしたように、マリアから眠りの挨拶を口にした。
「クリフト・・・ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
瞳を閉じると、お互いの息遣いだけが耳に届く。
呼吸音のテンポは同じではないけれど、マリアのそれもクリフトのそれも一定で、二人を眠りにいざなう。
廃墟となった村の夜は静かに過ぎ、いつのまにか二人は寄り添いあいながら眠りについた。
それは、夢も見ないほどの、深い深い眠りだった。


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