決意-4-

翌朝、晴れた空の下で二人は軽い朝食を食べて少しばかり休んだ後、手持ちの道具整理を始めた。
旅を終えるにあたって、誰にどれを・・・と道具類を皆で分け合ってしまっていたため、いざ戦いに行くからと覚悟を決めても、手元に何があって何がないかを把握することは案外手間のかかる作業だった。
以前ならば「あって当たり前」のものがない。
戦闘中にそれをいちいち考える時間はない。一瞬の判断ミスが戦局を大きく狂わせることを、今までの旅で二人共わかっている。
それゆえに彼らのその作業は念には念を入れたものになった。
そして、道具の整理が終われば、いよいよ二人は鎧に身を包み、出発の準備を行う。
マリアが旅の最後に身につけていたものは天空の鎧だ。
しかし、それは約束どおりトルネコが持っていってしまっていたので、はぐれメタルの鎧に身を包む。
風神の盾はライアンに渡してしまったので、マリアは力の盾を持つ。
はぐれメタルの盾を譲ろうかとクリフトは申し出たが、マリアは断った。自分は、あまり重い兜を好まないクリフトと違って鉄仮面をかぶるから、その分防御は高くなる・・・それがマリアの返事だったが、クリフトを思いやっての言葉だということを彼もわかっていた。
「・・・よっし」
「マリアさん、はぐれメタルの剣は、あなたが」
「いいよ。わたしはドラゴンキラーで」
「・・・確かに、わたしが使える剣は、他のものはあまり強くないですが・・・これは、あなたに使ってもらおうと思って持ってきたので」
「だって、それじゃクリフトはあんまり・・・」
「わたしは、あなたの援護に回りますから・・・もし、戦うことになれば、わたしなぞが攻撃に出られるような余裕はないでしょうし」
そのクリフトの言葉は間違っていないとマリアも気付き、礼をいってはぐれメタルの剣を受け取った。
「ドラゴンキラーだと、竜には強いと思ったんだけど・・・でも、確かにあの竜の鱗は硬かったから、あんまり意味ないかもしれない。ありがたく借りるわね」
「はい」
お互いの装備が万全であることを確認して、クリフトはふっと息を吐いた。
覚悟を決めてここに来て。
そしてまた、出発しようとしている今ですら、覚悟を決め直さなければいけない・・・それほどに彼は緊張をしていた。
「クリフト。大丈夫よ」
「・・・マリアさん・・・」
「必ず戦うと決まったわけじゃないし」
「何をおっしゃるんですか。戦うつもりで行くくせに」
「・・・そうだけど」
マリアは苦笑いを向けた。
ここまでマスタードラゴンが意味深な態度を取り、何をマリアが問いただそうとしても曖昧な返事しかしないならば。
きっと、この先もあの竜はその立場を貫こうとするのだろう。
その予感はマリアもクリフトも持っていたし、だからこそこうやって入念に準備をしていかなければいけないとわかっているのだ。
と、その時、マリアはびくっと何かに反応をした。
「!」
「・・・!?」
クリフトも遅れて、はっと村の入り口方面を見る。
がさがさ、と草を踏みしめる音が遠くから聞こえたような気がした。
そして。
その音の方向から、人影が現れた。
「ああ、よかった、間に合ったようね」
「うっわあ、本当に廃墟だわ、こりゃ。あんたが帰るっていうから、もう少しはまともな状態だと思っていたのに。少しぐらいはこっちに頼ってきなさいっていうの!」
聞き覚えのある声。
見覚えのある姿。
いや、それどころではない。
数日前までは、毎日「おはよう」「おやすみ」と言葉を交わしていた、近しい間柄である彼女たちが、何故ここに。
場所を教えたはずでも、今から何をするためにこの地を離れるかも伝えたはずがないのに、突然マーニャとミネアがやってきたのだ。
マリアは驚きで目を見開き、言葉を一瞬忘れた。それから、かろうじて少し掠れた声で、疑問を投げかける。
「二人共、どうして・・・」
どうして、ここに、とマリアは続けたかったのだろう。しかし、それは許されず、マーニャは凄まじい勢いで手を伸ばしてきて、マリアの額をばちんと指先で弾いた。
「いっ・・・たーーーーい!」
「反省しなさいよ。ちっとは」
「な、な、なによ、マーニャ!」
「どうして、じゃないわよ。そのセリフはこっちが言いたいわよ。何よ、その装備。今からもう一度時の砂でも使って、デスピサロを倒しにでも行く気?」
十分にとげとげしい声音でマーニャは二人に言い放った。
そう言われてようやくマリアは「人に見られてはいけない状態」に自分達がなっていることに気付く。そして、慌ててクリフトに助けを求めるように見た。
しかし、クリフトは既に「あーあ」と言いたげな苦々しい表情で、ミネアと再会の挨拶を交わしており、助け舟は出ない。
「大体なによ。別れてまだ5日程度しか経ってないのにさ。だったら、あの時に別れないで、力を貸してって一言言えばよかったじゃないよ。ほんっと、仲間を信じきれなかったホフマンの気持ち、今だったらわかるわぁ〜!」
ミネア以外の相手に対してそこまでねちねちと言うマーニャは珍しい。
マリアはすっかりそれでしょげ返って、それでも唇を尖らせて多少反抗的な様子を見せた。
「言わないわよ。そんなの・・・クリフトにだって、そんなの言わなかったし、誰にだって言わない」
「大体ねえ、昨日の夜はあたし、エンドールのカジノに行くつもりだったのよ?それを、ミネアがさあ〜」
マリアの言い訳に対して何一つ応えず、マーニャは勝手に自分の主張を続けた。
「なんだかそわそわして落ち着かないみたいだったから、問い詰めたらこんな話じゃない?もお」
「・・・ミネア?」
その話を聞いて、マリアはミネアにお伺いをたてるように視線を移した。
それに気付いて、クリフトと話をしていたミネアはマリアに一歩近づいた。
「水晶が、教えてくれました。あなたの周りに集ったわたし達の力が、まだあなたのお役に立てることを」
「でも・・・」
いつもと変わらず穏やかなミネアの微笑みに、マリアは言葉を失った。
どこまで話せばいいのか、とか。
どこまでをミネアは知っているのか、とか。
そんなマリアの勘繰りや思惑を全て超えて、ミネアは何もかもを受け入れるつもりなのだとわかる、静かな笑み。
「ミネア・・・でも」
「バルザックを倒した時、申し上げましたよね」
「え」
「あなたの旅が続く限り、わたし達の旅も続くと」
「!」
不覚にも、そのミネアの言葉を聞いて、マリアの心は強く揺れた。
まだ、自分の旅は終わっていない。
終わったふりをして、この山奥の村に戻ってきたけれど、マリアにとってはちっとも終わりではなかったのだ。
仲間達を送り届けることで、彼らの旅を終わらせて、そして、マリアの旅もまた終わったように思わせたかった。
その思惑を見透かされていたことへの動揺と、自分が発した言葉をミネア自身が忘れてなかったことへの感激と。
それらがないまぜになって、マリアの胸の奥に、熱い痛みに似た感覚が広がっていく。
「面倒なことは嫌いだけど、手っ取り早いことみたいだし、さ。マスタードラゴンぶっ飛ばして、いい加減に全部白状しろって言ってくるんでしょ?」
マーニャはそう言って、マリアの肩を軽く抱いた。
「マーニャ」
(・・・馬鹿、マーニャ。そうやってあなたが言う時は)
鎧ごしに、肩に置かれたマーニャの手の重さを感じて、余計にマリアは泣きそうになる。
温もりは伝わってこないけれど、マーニャの気持ちが痛いほどマリアにはわかるのだ。
(本当はとっても重いことでも、あなた流に軽く言って・・・対したことない、大丈夫よ、って、そうやって安心させようとしてるってこと、わたし、あの旅の間に学習してるのよ?)
けれど、その思いをマリアは口に出さず、俯きがちにこくりと頷くだけだ。
「うん。そう。そうなの。だけど」
「だけど?」
「ぶっ飛ばすには、本気じゃないと、無理だから」
「・・・なーにいってんの。あんたは、あの竜が倒せなかったデスピサロを倒した勇者でしょ。あんたの方が強いに決まってんじゃない」
「でも、デスピサロを倒したのは、みんなの力があったからよ」
「だから、あたし達が来てあげたんでしょ?なーんもおかしいことないじゃない」
「でも」
マーニャとマリアの問答は続いていたが、にやにやと笑いながら言い返すマーニャに対し、マリアは最早半泣きの状態だ。
「でも」
「でも、じゃなーい」
「だって」
「だって、でもなーい」
そんな二人のやり取りを放って、ミネアはクリフトに軽く自分達の話をしていた。
「本当は、マリアさんに何かあれば、直ぐに知らせろとライアンさんに言われていたんですけれど・・・姉さんが、それは許してくれなくて、二人で来ることに」
「・・・そうですね。ええ、それで良いと思います」
クリフトはそれには深く同意した。
マーニャのその気遣いは、自分がアリーナやブライ、そしてサントハイムの人々を巻き込みたくない、と願ってあれこれ画策したことと種類は同じだ。
ライアンは、バトランドの戦士だ。
旅が終わった今、再度彼がバトランドからマリアのためにここに馳せ参じることは、今度の彼の人生や、果てはバトランドという国そのものへ迷惑がかかるということは誰だってわかることだ。
「でも、マーニャさんとライアンさんは・・・」
「姉さんは、ライアンさんをとても大切に思っています。たとえ、後でライアンさんにどれほど怒られても・・・姉さんは、姉さんなりにあの方を守りたいと思っているのでしょうし・・・」
「・・・マーニャさん」
旅の間にはあまり見られることのなかった、マーニャのそういった「好きな男性への気遣い」をこんな形で知ることになり、クリフトは感嘆の思いを込めてマーニャを見つめた。
男ならば、きっと怒り、恥じ、そういう形で守られた自分を許せなくなるのではないか、とクリフトには思える。
けれど、その反面、女性はきっと女性なりに、自分の愛した男を守りたいと誰もが思っているのだろう。
旅を始めるまでは、そんなことを欠片も考えたことはなかった。けれど、マリアが十二分すぎるほどにクリフトのことを思い、彼を巻き込みたくないと苦しんでいるその姿はマーニャと同じなのだろうと、今は理解出来る。
「ちょっと!そこ!こそこそ話してんじゃないわよっ!」
「きゃ!」
マーニャに激しく言われて、ミネアは肩を竦めて見せた。
「大体、なーによ。ひとごとみたいに言うけどさあ。ちょっと、聞いてよ?」
「姉さん、やめてよ」
「この子、あたしが問い正すまで全然水晶がどーのこーのとか言わないしさあ。教えたら教えたで、今朝ラリホーマとかかようとしたのよ?あたしに!」
「えっ!」
そのマーニャの言葉に、クリフトとマリアは同時に驚きの声をあげた。
「もう、姉さん、やめてよ!」
「まったく、何様だと思ってんのよ。ちょっとばかり回復魔法とか、竜がよく使うようなブレスに有効な魔法知ってるからってさ。あたしの攻撃魔法がなきゃ、話にならないでしょ?一人で水晶見て、一人で準備して、一人で出かけようなんて、甘いっての!」
「・・・ミネア」
たしなめるように、マリアは低い声でミネアの名前を呼んだ。それには珍しくしどろもどろになって、ミネアは言い訳をしようとする。
「その・・・えっと・・・だって、姉さんには、ライアンさんが」
「ライアンが何なのよ。あんた達の発想が暗いっての!今生の別れになるわけじゃないんだから、さくっとみんなで行って、さくっとぶっ飛ばして帰ってくればいいじゃない。あたしの戦力侮ってるんじゃないわよ」
「だったら姉さんだって、さくっとできるなら、ライアンさんに教えたっていいでしょう!?」
「ライアンは足手まといなの!」
「嘘ばっかり!」
あっという間に姉妹喧嘩に発展してしまい、クリフトとマリアはしばし呆然と二人の言い争いを聞いていた。
最初は仲裁しようとクリフトもおろおろとしていたけれど、やがて、ぽかーんと見ていたマリアと視線を合わせ、お互いに苦笑いを浮かべた。
「なんだ、結局」
「クリフト?」
「みんな、自分以外の誰かを巻き込みたくなくて・・・一人で立候補しちゃったというわけですね」
「・・・そうみたいね」
「もちろん、あなたの力になりたいということが・・・一番の前提ですけれど」
そう言って、クリフトはマリアに手を伸ばした。
恥じらいながら、マリアはクリフトの手をぎゅっと握る。クリフトもそれを握り返す。
わずかな触れ合いの後、未練を残しながらマリアの方からゆっくりと手を離す。
クリフトは、アリーナ達を。
マーニャは、ライアンを。
ミネアは、マーニャを。
誰かが誰かを思って、本当は自分自身が押し留まることが最もその人にとって良いことと知っていても。
それでも、皆、マリアのもとに行かずにはいられなかったのだ。
それは愛情という形がないものだとマリアは知っている。
なのに、こんなにもそれぞれの気持ちは、同じ形でその思いをお互いに知らせているではないか。
申し訳ないという気持ちは消えないけれど、自分が共に旅をしてきた仲間たちがどれほど優しい人々たちなのかをまざまざと実感して、マリアは深く息を吐いた。
そして、わたしは、わたしのために死んでいった村のみんなと、シンシアと、記憶に残っていない実のお父さんと、そして、天空城にいるお母さんと。
勇者という存在のために、捨て駒にされたように軽んじられてしまった人々のことを思って、あの竜と対峙するのだ。
「こんなに」
「え?」
「こんなに、強くなりたいと思ったのは、初めて。エスタークと戦った時より、デスピサロと戦った時より、今のほうがもっともっと、強くなりたいと思っている」
そのマリアの言葉に反応して、マーニャとミネアもマリアに視線を向ける。
クリフトは、急かさないようにゆっくりとマリアに問い掛けた。
「それは・・・それほど、マスタードラゴンの力を恐れているからですか?」
「違うの。わたしのエゴのためにみんなの力を借りてるんだから・・・世界を救うとか、そういう大義名分のない個人の問題だから・・・それに力を貸してくれるみんなのこと、今まで以上に、守りたい」
はっきりと口に出したその思いは、三人には痛いほど伝わっている。
困ったような表情をミネアはわずかに見せて、マリアに近づいて来た。そして、マリアの顔を下から覗き込むように上半身を傾げ、マリアの手をとった。
「マリアさん、もしそう思われるなら、一つだけ」
「えっ・・・」
「わたしたちを守るには、剣や盾や魔法や・・そういうものではなくて・・・あなたの心が惑わないことが、一番のことです。そして、もしかすると、それが一番あなたには難しいのかもしれません」
「・・・惑わないこと」
「今までは、目標が明確でしたら、あなたがいくら惑っても、わたし達はそれを修正する手段をもっていました。けれど、これはあなた自身の戦いですから、あなたが惑って見失えば、我々は力を貸すことすら難しくなるのです」
「・・・わかってる。本当に、それは、わかってる。それがすごく難しいから・・・尚更、誰の力も借りるわけにはいかないって、本当は思っていたの。ああ、だからってみんなが来てくれたことが、ありがた迷惑っていう意味じゃないよ」
先ほど手を握り締めたクリフトの手とはまったく違う、女性らしく細くて薄い、ミネアの手。
それが、マリアを勇気付けるように軽くマリアの爪先を握った。
「ミネアは、時々本当にきっついこと言ってくれる。それ、感謝してるのよ」
「ありがとうございます」
「クリフトちゃんにも、でしょ?」
にやにやと笑いながらマーニャが言えば、マリアは憮然とした表情で即答した。
「クリフトのきつい話は、たまに感謝出来ない」
「ええっ!」
クリフトは異議を申し立てる声をあげたが、それは誰にも聞いてもらえないとすぐに判断して、不承不承黙り込んだ。その様子がおかしくて、マリアとマーニャは笑う。
こうやってそんな話をしていると、まるでまだみなで旅をしている途中ではないかと錯覚してしまうな・・・マリアはそう思って、笑顔を一瞬強張らせた。
そうだったら、どれだけもっと気楽か。
いや、旅の間だって「気楽」だったとは思わないが、あの旅には大義があり、そして、それは自分達が生きていくためには見過ごせないとてもわかりやすい「為すべきこと」だった。
マリアは確かに「勇者」という、人々の中心になるべき立場だったけれど、たとえ途中でマリアが力尽きたとしたって仲間達はその大義を果たすためにデスピサロを倒す道を歩んでいったことだろう。
けれど、今ここにいるマリア以外の三人は、大義のためではなく、個人的なことのために命をかけてもいいと言っているのだ。
為すべき人間はマリアのみ。
ミネアが言うように、マリアが惑えば三人は途方に暮れるし、見放すことだってあり得る。
(でも、長い旅じゃない。旅の終わりを知るために、あの扉をもう一度開けるだけだわ)
天空城にいき、マスタードラゴンにことの真偽を問いただす。
それが、マリアの旅の本当の最後だ。
残されたその僅かな事を為すのに、途方もない精神力が必要になるだろう、とマリアは感じていた。
今までのように、揺れて、惑って、言葉でクリフトを傷つけたり、怒りにまかせてギガデインを発動していては、話にならない。
(もっともっと、心を強く。ほんの少しの間でいいから、わたしの人生で一番心を強くもてますように。冷静でいられますように。見失いませんように。それが、この人たちに対して、今一番わたしがしなければいけないことだわ)
その祈り、願いは、神などというものに対するものではない。あくまでも律するべき自分自身への言葉だ。
マリアは、ぐるりと村様子に目を向けた。
ぼろぼろの廃屋。
毒の沼地。
雑草だらけになった小さな畑。
村を覆う勢いで枝を伸ばして押し寄せる、山の木々。
自分がこの村で愛されて育った証が、何もかも焼き払われ、まるで嘘だったようにこの世界から消えようとしている。
この世界を救った勇者とやらを愛してくれた人々。守ってくれた人々。
(天空城にいた本当の母さんといい・・・どうして、わたしが関わった人々がこんなにも、この世界からないがしろにされなくちゃいけなかったの?誰が、みんなを称えてくれるの?勇者を育ててくれて、守ってくれてありがとうって。わたしがどれほどのことを成し遂げても、わたしが今のわたしになるために守ってくれた人たちのことは、誰も知りやしないんだもの)
「マリアさん」
「大丈夫、もう揺れない」
突然黙り込んだマリアを心配して声をかけてきたクリフトに、マリアは微笑を見せた。
ふとよくよく見れば、ミネアもマーニャも、最後にデスピサロを倒しに向かった時と同じ恰好をしている。
彼女達こそ準備万端で来たということに、ようやくマリアも気づいた。
「二人共、準備はいい・・・みたいね?」
「もちろんよ」
「大丈夫です」
「じゃあ、天空城に行こう」
マリアのその言葉に、三人は頷いた。
マーニャは、水の羽衣の懐から魔法の聖水を取り出して確認して、再びそれをしまった。それを不思議そうな表情で見るマリアとクリフトに対して
「ちょっとの魔法力でも惜しいからね」
とマーニャはにやっと笑って見せた。
天空城に行くために、移動の魔法ルーラを使う。もちろん、この村に来る途中にもその魔法は使ったに違いない。
その時に使ってしまう僅かな魔法力でも、天空城に着いたらすぐに回復出来るようにという念の入れようなのだろう。
そこまで魔法力の確保に過敏なマーニャを、彼らは見たことがない。
いつも洞窟に入る時だって「帰りのリレミト分だけ残せばいいんでしょー?」と言って、奔放に魔法を操っていたはずなのに。
その様子を見て、マーニャもミネアも余程のことを考えてここに来てくれたのだ、とマリアは感じた。
「・・・ありがとう。祈りの指輪も、渡したわよね?」
「もちろんよ。ミネアも持ってるわよね?」
「ええ。この前、姉さんがカジノで貰ってきた分を、ね」
「感謝しなさいよ」
減らず口を叩いて、マーニャはまた笑った。
そして、彼女が手を伸ばすと、皆はお互いに手を繋ぎあった。
移動する人間達が全員体を触れ合わせている方が術者の体に負担をかけない、と以前ブライが教えてくれたことを、彼らはみな覚えていた。旅の最中ではそこまで慎重になることがなかったのに、今は何も言わなくてもそれぞれが判断してそうしてくれる。
その、心も繋がっているような様子に、マリアは深く仲間達に心の中で感謝をした。
簡易詠唱でマーニャはルーラを行使する。
行くわよ、などの合図一つなく、四人はマリアの故郷から姿を消した。


天空城にルーラで到着すると、わずかに空気の薄さを一瞬感じる。けれども、その感触はすぐに消え去る。
それが「天空城に来ること」を許されている証なのだと、彼らは以前ルーシアに聞いたことがあった。
そのことを思い出せばいっそう、敵の手のひらの上に自分達がいるということを強く感じる。
誰もそれを口に出していないが、勘の良いこの三人ならわかっているだろう、とマリアは思った。
「・・・変ね?門番がいないわ?」
天空城の城門に常に配置されている門番の姿がない。
空の上にある城、といえばそれは神秘的ではあるが、人の気配がするということは地上のそれと変わりがなかったはずだ。
だというのに、何故か今は
「マリアさん」
「何?」
女三人は、声をあげたクリフトに視線を向けた。
見ればクリフトの表情は強張り、わずかに声も掠れていた。
「ここは、まるで」
「何?」
「誰もいなくなった、サントハイムと・・・気配というか・・・似ています」
そのクリフトの言葉に賛同するように、ミネアも
「魔物の気配こそしませんが、人がいる感じもしません」
「・・・音が、ないわ」
マーニャは険しい表情でそれに続けた。
三人のその言葉を聞いて、マリアは目の前の城を下から上まで、上から下まで何度も繰り返し見た。
晴れ渡る空の下、神々しさを見せつける天空城。
地上で見ない材質で建てられたその城は、どうやって劣化を防ぎ、どうやって磨かれているのか想像も出来ないほどに完璧で美しいと感じる。
「不思議ね」
「マリア?」
「なんか、ここ・・・人の気配が消えたら」
「なによ」
「城じゃなくて、牢獄に見える」
「マリアさんの・・・お母様がいらっしゃるからですか?」
「それもあるかもしれないけど・・・なんかさ・・・わたし達からすれば、空にいるのって、すっごく上の存在で、なんでも出来るように見えるけど」
マリアは城に背を向けて、空に漂う雲に目を向けた。
「本当は、この城だけに縛り付けられている人達の幻を見ていたのかもしれない」
「おっしゃりたいことは、少しわかりますわ」
「わかる?ミネア」
「この城にいらっしゃった人々はみな、地上に世界が広がっていることを知りつつも、ここだけが彼らの世界。ルーシアさんのように地上に下りてくることがあっても、基本的にそれすら自由に出来ないようですし・・・こんなに広い空という場所にいながらも、それと同じほど広い世界を知っているのは見えているマスタードラゴンだけ。他の天空人達は」
ミネアの言葉をそこまで聞いて、ようやくマーニャとクリフトも、マリアの感じ方を少しだけ理解出来たように、納得の頷きを軽く返す。
「それでも、ここに人の気配がするうちは、みんなそれなりに生きて楽しくやっているんだなって気もしたけど、こうやって感じられないとさ・・・どれほどの独裁者に生かされてるのかっていう気がするわね。こんな場所に、よくもまあ定住しろって言えたものだわ。あの竜も」
そういった自分達の呟きもマスタードラゴンには筒抜けなのだろうな、とマリアは苦笑いを見せた。
「なんにせよ、行くしかないっしょ」
マーニャはそう言ってマリアの肩に手をかけた。
「うん」
「牢獄結構じゃないの。誰もいないなんて、邪魔が入らないようにマスタードラゴンがしてくれたならさ。それに甘えちゃって好き勝手出来るってもんだわ」
「それは、そうかもしれないけど」
軽く肩を竦めて苦笑を見せてから、振り向いて天空城を改めて見つめた。それから無言で三人に合図を送って、先頭になって歩き出した。
「マリアさん・・・わたしが、先に行きます」
「ん?」
「こういう、得体が知れない状態になっているときは・・・あなたを先に行かせるわけにはいきません」
その申し出をマリアが断ろうとした時、マーニャが割って入るように
「気をつけてね、クリフトちゃん」
と勝手に許可を出した。
マリアの言葉を待たずにクリフトは先頭になって歩き、天空城の大きな扉に近づいた。
いつもは見守る門番がいるはずのその場所。
誰もいないことが相当に薄気味が悪く思えるが、クリフトは勇気を出して扉に手をつき、力を入れた。
ほとんど音がしないまますんなりと開いたその扉の先には、広く大きな空間が続く。
いざなわれるように足を踏み入れると、かつん、と必要以上に大きな足音が響いた。
「誰も、いない」
ぼそりとクリフトは呟く。
ぐるりと辺りを見回しても、まったく人の姿が見られない。
「本当に・・・サントハイムに、帰った時のようです。人の気配がまったくない」
何歩か歩いて様子を伺ってから、クリフトは三人を振り返った。
それを合図にして、マリア達もクリフトのもとへと向かっていく。
「どういうことかしらねぇ」
「マーニャが言うとおりじゃない?」
「邪魔が入らないように?」
「ま、なんの邪魔なのかってのが問題なんだけどね・・・試しに、そこらへんの部屋を覗いてみましょ」
マスタードラゴンの部屋には直接向かわず、マリアは手近にある部屋の扉を、ノックもなしに無造作に開けた。
ぱたんと軽い音をたてて開く扉。
その部屋には誰もいない。
「こっちの部屋も、誰もいませんね・・・」
通路をはさんで逆の部屋を空けたミネアも、ぽつりと呟くように報告をした。
「・・・あの部屋は?」
はっと気付いたようにマリアは早足で歩き出した。
クリフトが先頭に立つと言っていたのに、まったく今はそんなものは無視して、心のままに足を進めて行った。
三人が慌ててその後を追うと、マリアは一つの扉の前に立ち止まる。
「マリアさん、そこは」
クリフトは声をかけてから、ごくりと唾を飲み込んだ。
その音は嫌なほどみなの耳に届き、只ならぬことだということをマーニャにもミネアにも伝えるに十分すぎた。
「母さんも、いないのかしら」
緊張しているのか、普段聞かないような硬い声音を発するマリア。
扉の取っ手を掴んで勇気を出して引いてみる。
「えっ?」
がつん、と不快な音が通路に響いた。
「あれ?押すんだっけ?」
更に取っ手を握ってぐいと押し込んだが、次はがちんと音がした。
「開かない」
「他の部屋はも抜けの殻で扉は開くのに・・・」
マリアは眉間にしわを寄せて、扉をどんどんと叩いた。
「中に、いるの!?いるなら、開けて!」
どん、どん、どんどん、どん・・・・何度も何度も扉をけたたましく叩いたけれど、内からの返事はない。
「中の気配は?」
ミネアのその一言を聞き、マリアは扉に耳を押し付けた。
また、クリフトも通路に面している壁に耳を押し当て、壁ごしに伝わる音がないかどうかを確認する。
「・・・気配は、ないわね・・・」
「こちらもです」
「でも、なんでここは開かないのかしら」
「別に、ただここにいた人は鍵をいっつもかけてるだけなんじゃない?あんたのお母さんなの?」
「うん・・・」
曖昧な返事をしながら、マリアは膝を床について、目を細めて扉の合わせめをじっと見た。
鍵穴のない扉なのだから、鍵をするとなったら閂しかなさそうだ。扉の合わせ目に横たわるなんらかの物体が見えてもおかしくない、と思う。
しかし、どう見ても扉の合わせ目には何も見えず、閂らしいものもない。もちろん鍵穴がなければ、取っ手をいじっても回るところはなくて、隠されているものは見つけられない。
「忌々しい」
そう呟いてマリアは立ち上がる。
「絶対、何か特殊なことをされてるんだわ・・・なんにせよ、マスタードラゴンに会うのが先のようね」
「ルーシアさんも、いらっしゃらないのでしょうか?心配ですわね」
「・・・多分ね。誰も今、この城にはいないんじゃない?」
「マスタードラゴン以外は、ってことでしょ?しょーがないわねぇ、行くしかないか」
「うん」
しん、と静まり返った広い城内は、不気味としか表現が出来ない。
もともと美しい造形のその城内は、誰もいないこの状況では余計に、人の手がひとつも入っていない「有り得ない存在」に見えてしまう・・・そんなことをマリアは思った。
まるで、ただここに突然「在る」だけの存在。
今まで見てきた、ここに住まいを置いている天空人やエルフ達は、まやかしだったのではないか。そんな風に疑ってしまうのも無理はない。しかし、今それらのことは大した問題ではない。
「人がいようといまいと、やることは一緒だわ」
マリアはそう言って、三人を促した。
それに対して何もクリフトは聞かなかったが、再び先頭に立った彼は間違いなく目的地に向かって歩き始めていた。
誰一人それに「どこに」とか「どうするの」とか声をあげない。
そう。
彼らはまっすぐに、マスタードラゴンの部屋を目指して歩き出したのだった。



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