決意-5-

ちょっと心配だから、とミネアは言い残して、ルーシアがよくいた部屋を覗いてきた。
もちろん結果は予想通り。誰一人としていまやこの天空城にはいるはずもない。
初めて来る場所ではないからわかる違和感。
「まあ、でもさあ、この城って妙に生活感薄いから、そこまで変な感じはしないのよね、実は」
とマーニャが言うことに、マリアは多少頷ける気持ちもある。
「デスピサロと同じね。きっと、一人で、あそこでマスタードラゴンは待っているんだわ」
彼らが立ち止まったその先にあるマスタードラゴンの部屋。
ここまで来て覚悟の決まらない人間がいるはずもないが、マリアは三人の顔を一度見回した。
「話し合いですむことを、祈って頂戴」
そう言って微笑を浮かべると、即座にマーニャは
「そんなこと、ほんとは半分程度しか思っていないくせに」
と反論する。
「そんなことはないわ」
「嘘よ。あんたの顔に書いてある。みんなには申し訳ないけど、あの竜のこと、ほんとはぶっとばしたいんだ、って」
その言葉に苦々しい表情を見せるマリア。クリフトはそれへ
「わたし達は、そんな危険なことをするな、とは誰も言いませんよ。マリアさん」
「・・・うん。力を貸してくれるんでしょ?期待しているわ」
「なんなりと、わたし達の力をお使いください。わたし達が親の仇を討ったように、あなたもそれをする権利はあるのですから」
どこまでの話を知っていてそう言うのか、とマリアはいささか苦笑を見せたけれど、ミネアのその言葉にマリアは深く頷き返す。
そして、かつかつと音をたててマスタードラゴンの部屋の扉に向かって歩き出した。
「開けるわよ!」
その声は、三人に向けたものでもあったし、部屋の中にいる主に向けてのものでもあったのだろう。
マリアはゆっくり押して、ついにその扉を開いた。
両側に開け放った扉は、いつものように大きく開いた状態で止まり、訪問者を招き入れるように目の前に続く赤い絨毯をマリア達に見せる。もちろん、その絨毯の先には
「遅くなったわね」
「うむ。思うたよりも、遅かったな」
地上にいるときは、こんな生物がこの世界にいるとは想像も出来なかった巨大な竜。
空を飛ぶその勇ましい姿を、マリア達はつい先日見ることが出来た。
どんな翼を持つ者でも敵わないだろう雄雄しいその姿は、デスピサロを倒したという一大事さえなければ、もっと衝撃的で、もっと感銘を受けたことに違いない。
「お膳立てしてくれて、ありがとう。城の人たちは」
「わたしの一存で、他の空間に移した」
理由は言わないのね、と言おうとし、それを押し留めた。
「では、問おう。何故ここに来た、勇者マリアよ」
「あなたが思っているとおりの理由かどうかはわからないけど」
そう言ってマリアは肩を竦めて、一歩、また一歩と室内に入っていった。
「おかしいの。どんなに考えても」
「・・・」
「あなたは、シンシアというエルフを知らないといったけれど、あなたが知らなければ、この世界の誰もシンシアを知らないような気すらする」
「それはどういうことだ」
「ここから、わたしのこと、見ていたかしら?デスピサロを倒した後」
「いいや」
「わたし、色々知ったの。どうしてシンシアは、わたしの本当のお父さんが死んで、お母さんがここに連れ戻された直後にあの村に来たのかしら」
「世の中には、不思議な偶然というものがあるのだろう?あるいは、それを運命と言えば良いか。そこに控える三人も、その偶然や運命といったもののために、マリアと出会ったのだろうから知らぬとは言わせぬ」
「そうかしら」
竜は、喉をぐるる、と小さく鳴らした。
「わたしが、どう答えれば、納得するのだ?」
「もう一回同じ事を問うわ。シンシアは、あなたが地上に送ったエルフではないの?」
「もう一度同じ答えを言わせるか。それはない」
「じゃあ、聞き方を変えるわね」
ふう、と小さく息をついて、マリアは眉根を潜めた。
「シンシアとわたしが呼んでいた、一緒にあの山奥に住んでいたエルフは、昔違う名前でこの城にいたエルフなの?」
静かだが、毅然とした物言い。その声は、わずかにひんやりとしえちる室内に、驚くほど響いた。
その時、マリアの後ろに控えていたミネアははっと胸を抑えた。
ミネアの様子を見てマーニャが小声で
「どうしたのよ」
と囁くと、ミネアはじっとマスタードラゴンを見たまま視線を逸らせない状態で、切れ切れで返事をする。
「悲しい」
「は?」
「マスタードラゴンが、心の中で泣いている、わ」
「何いってんのよ」
「わたしには、わかるわ、姉さん。痛ましい」
その小声のやり取りを耳にしたクリフトは、「マリアさんには聞こえているだろうか」と彼女の背に視線を送るが、ぴくりとも動かない。
「答えられないとは言わせないわ」
追求を続けるマリア。
しかし、マスタードラゴンは否定とも肯定ともつかない返事を口にした。
「何故そう思うのだ。先ほど言った通り、それは偶然のものであろう。何故そうも、そのエルフにこだわるのかわたしにはわからぬ」
「物心ついてからわたしが知っていたシンシアは、ほんのちょっとの魔法を唱えることは出来たわ。簡単な回復魔法とか、補助魔法とか。でも、旅を続けてわかったの。ホイミとか、ルカニとか、そういった魔法は低級魔法って言うんだとブライが教えてくれた」
「・・・」
「どうして、そんな魔法しか習得していなかったシンシアが、突然モシャスを覚えたのかも、不思議なの。モシャスは、高度な魔法だって聞いたわ。モシャスを使う魔物はいるけれど、それは魔法の能力ではなくてもともとの種族としての力なんだってブライは言ってた。あの村に住んでいる限り、そんな呪文はいらないはずだわ。むしろ、村から出たときのことを考えて、攻撃魔法をひとつふたつ覚える方が余程マシでしょ」
「しかし、モシャスを唱えることが出来たらおもしろい、という興味本位の場合もあるだろう」
「興味本位だけで、高位呪文を覚えることは出来ないんだって、さすがにもうわたしだって知ってる」
「ふむ。では、問おう。勇者マリアは、そのシンシアなる者が何故モシャスを覚えたと思っているのだ?」
「言わせる気なの」
マリアは、ばん、と床を勢いよく片足で踏み鳴らした。
「わたしの身代わりになるためでしょう!?他に何があるの。あの閉鎖された村で、何に身を変えることが楽しいの?シンシアは幼馴染だったけれど、エルフだったから本当はわたしよりずっと長く生きていた。いたずらをするために身を変えたり、人をたばかろうとなんて、そんなことをしたがる人じゃあなかったし、そんなことのために覚えるような呪文じゃあなければ、あの呪文の存在だってほとんど知られてなかったわ。何回考えたって、何回考えたって、それ以外に思いつくことは出来ないじゃない!いい加減にしなさい、天空の世界を司る竜よ。自分の手のひらで地上のこと天空のこと全てが動くとでも思っているの!?冗談じゃないわ!」
激しさを増すマリアの言葉。
それを聞いていた後ろの三人は、息をくっと詰めた。
マリアから語られなかった、彼女がずっとずっと抱いていた疑問や、核心に触れるためのいくつもの証拠や推測。
それらをこんな場所で聞かされて、彼ら三人だって動揺はしないはずがない。
(でも、覚悟を決めてきた。マリアさんのために、力になるのだと)
クリフトは目を細めて、マリアの背をずっと見ていた。
もはや、マスタードラゴンが何をしようが、何をしようが、クリフトには関係がなかった。
ただひたすら、今目の前で声を荒げている、本当は華奢で細い彼女の心が揺れませんように。そして、力になれますように。それ以外の祈りを彼は持たなかった。
何が正しいとか間違っているとか。
そういった価値観の押し付けを彼は放棄していた。
世の中には、そういったものを越える、人の感情というものがある。
それらを律することが出来てこそ人間であると思っていたけれど、もはやそれをマリアに押し付けようとは思えなかった。
こんな数奇な運命に弄ばれている人間がいるという事実。
間違いなくそれだけはここにあって。
そして、人間であるがゆえに持ち合わせるその繊細な感情を、それ以上律することを彼はどうしても強要出来ない。願っていても。
だから。
だから、自分達三人が彼女の力に少しでもなりますように。
その思いだけを込めて、彼はマリアを見つめ続けた。
甲冑に身を包んでも決して屈強な肢体には見えない、女性になりかけている体。
そう思えばよりそれは悲しく目に映る。
と、その時マスタードラゴンが重々しく口を開いた。
「山奥の村にあのエルフが行ったのは、自分の意志だ。わたしは、それを命じたこともなければ、止めもしなかった。そのことを、何故責められなければいけないのか、まったく意味がわからぬぞ」
「!」
「何もかもわたしが仕組んだことだと答えれば、お前は楽になるのだろう?勇者マリアよ。しかし、誓っても良いぞ。一言も、お前を護れとも、お前の成長を見届けろとも、命じたことはない。もちろん、ほのめかしたことも。以前もいったように、そのエルフはそのエルフとしての人生があり、そのすべてをわたしが知ることは出来ぬ。全て見透かしていればお前は満足か?そのエルフが何を考えて何を思って天空城を出てお前の村に行ったのか。何故モシャスなる魔法を覚えたのか。一人の人生の全てをわたしが把握して、お前に語ることが出来れば良いというのか?それが出来るとしたら、お前はどう思う?お前の人生、お前の感情も全てわたしが見透かして、誰にでも話が出来るほど理解しているなぞ、耐えられるのか?それほどにわたしは万能で、生きているものすべての人生を負い、すべてを語れるほどに記憶し続ける存在でいろというのか?いい加減にするのはお前のほうであろう!」
マスタードラゴンはマリアに反論の余地も与えぬように、朗々と言葉を放ち、ねじ伏せるように最後には軽い咆哮を交えた。
その声に空間はびりびりと震え、マリアの後ろにいる三人はぶわっと鳥肌を立てた。
しかし、当のマリアは仁王立ちのまま微動だにしない。
しばらくの間、マリアとマスタードラゴンはその場で睨みあっていた。
そして、次に口を開いたのはマリアだ。
「・・・随分としゃべるじゃない」
「・・・」
「じゃあ、質問を変えるわ。昔、わたしが生まれた頃、わたしの本当のお父さんを殺したのは誰」
「その者は、わたしが裁きを行った。天空人と契りを交わし、子供を作ることは禁忌とされておる。それを犯したのはお前の父だ」
「何故お母さんを殺さなかったの」
マスタードラゴンは返事をせず、マリアをまっすぐ見つめていた。
竜の瞳は、人間の瞳とは構造が違う。
そこには感情が浮かぶようにも見えるし、まったく浮かばないようにも思える。
人間とは瞳の位置も大きさも違うため、マリアがマスタードラゴンを見て、マスタードラゴンがマリアを見ても、その視線がまっすぐあっているのかどうかお互いにはっきりとはわからない。
それでも、お互いが「相手を見ている」という気配を痛いほど感じ取り、緊張の空気が場に流れていた。
「勇者を生み出した者は、お前の母だ」
「・・・そのことで許されるなら、お父さんだって許されないの?」
マスタードラゴンの答えはどれも逃げや上辺だけのものだ。
そのことに、マリアだけではなく三人も薄々気付いていた。
真実を話す者の声音を、彼らはよく知っている。
今目の前にいるその竜の言葉は、彼らの心に響くことがない。
それはきっと、言葉を発しているマスタードラゴン本人もわかっているに違いない。
ついにマリアは爆発したように叫んだ。
「どうして、真実を何も教えてくれないの!?何を隠そうとしているの?それは、わたしが知っては、あなたが困ることなの!?世界を救ったわたしに、ほんのちょっとの本当のことを教えてくれてもいいと思わない!?」
「勇者マリアよ。お前は何を知りたいのだ。シンシアというエルフが何者なのかを知ればそれで良いというのか?」
「わたしが知りたいことは」
マリアは息を大きく吸い込む。そして、一拍置いて、凛とした声でマスタードラゴンに返答を突きつけた。
「わたしに関わることで、竜の神と呼ばれるあなたが、わたしに隠そうとしていること全て」
しん、と室内が静まり返った。
竜の息遣い。
マリア達の息遣い。
体が僅かに揺れておきる衣擦れの音、甲冑のこすれる音。
その小さな音達が起きるたびに、驚くほどに耳に届いてくる。
やがて、マスタードラゴンが巨体を動かした。
「隠そうとしていることを、言葉でどれだけ追求されようと、答えるはずがなかろう」
体を起こし、大きな尻尾で床を撫でるように移動させる。
「どうしても?」
「どうしても」
「どれだけ頼んでも?」
「どれだけ言われようとも」
「何故隠すのか、その理由も教えてもらえないのかしら?」
「それにも、答える義務はない」
マリアは、ぎり、と唇を噛み締めた。
何の交渉も出来ない自分を不甲斐なく思う反面、この展開を考えなかったわけでもないため、やっぱりな、とも思う。
「そう。やっぱり、ここまで言ってもあなたは、自分をわたしに裁いて欲しいってわけなのね?」
「マリア!」
すらりとマリアは剣を鞘から抜いて、まっすぐマスタードラゴンに向けた。
マーニャは驚いて声をあげたけれど、すぐ様一歩前に出てマリアの横に並ぶ。それに続いてクリフトとミネアもマリアの横側を護るように前に出た。
「剣を向けるか」
「そう仕向けたのはそっちでしょう。それに」
マリアは剣を構えた。
「わかっていて、この城の人たちを退避したんでしょう?それなら、こっちも甘えさせてもらうわ。気兼ねなく、本当のお父さんの仇を取れる。そして、勇者として育ちきっていなかったわたしのために、あえて見殺しにされた、わたしの村の人たちの仇」
「勇者マリアよ。お前は」
ぐるる、と喉を鳴らして、マスタードラゴンは態勢を整えた。
それは、明らかにマリア達を迎え撃とうという戦いの構えだ。
「聡明な娘に育ったようだ。しかし、それも行過ぎるようだな。それは、お前の逃げだ。自分が村人達を護れなかった苦しさを紛らわせるために、責任転嫁をしようとしているのだと何故思えない?」
「馬鹿な事を!そんなことは、百も承知だ!」
吐き捨てるようにマリアは叫んだ。
「そのことから、目を逸らそうとは思っていないわ!あの頃のわたしは弱くて、勇者なんていうしろものになれないほど、何のとりえもなくて、どうしようもなかった。たとえ、あの人たちの死を利用してあなたがわたしを勇者に仕立てようとしたんだとしたって、その根っこの理由は、わたしが弱かったってことに間違いない。そのことから目を逸らさない。でも、あんな風にみんなを捨て駒にする権利なんて、あなたにあったって言うの!?」
「何故そう思う?何故わたしがお前の村の人間を見捨てたと?」
「あの時、聞こえないはずの音が、耳の奥に届いてきたわ。みんなが戦って、切られて、そして、魔法で、痛めつけられて命を奪われる忌々しい音を。それは、聞かせたのは誰?わたしの体に半分流れている天空人の血?それだけとは思えないわ。いつもいつもどこかで、誰かがわたしに何かを仕組んでいる。聞きたくない音を聞かせて、感じたくないものを感じさせる。それは、あなたの力でしょう?他にこの世界にそんなことが出来る存在がいるなら、その存在こそデスピサロやエスタークを倒すべきじゃあない?」
「それらは、みな推測だ」
「でも、あなたは『そんなことはしない』と否定をしない!いつまでもそうやってうだうだと、わたしの言葉をただの繰言にして、やり過ごして、その反面、いつわたしが爆発してこうして剣を向けるか待っている。そうでしょう?そうじゃないなら、そうじゃないと言いなさい!」
「・・・」
「だから、これ以上わたしの質問に答えないなら、望みどおりお前を殺してやる!それこそ、本望なんでしょう!?」
「最後の質問だ。勇者マリアよ」
「なに」
「お前はなにゆえ、そこまで己に関する過去にこだわる?ただの好奇心か。感傷か。行き場のない感情をぶつける先を探しているだけなのか。過去というものは知ることで救われることもあれば、救われずにいっそうの闇に心を貶めることもあるものだ。それを知らぬわけがないお前が、何故だ。端的に答えるが良い」
そのマスタードラゴンの言葉に「質問をしていたのはマリアだった気がしたけれど、確かにあの竜からも質問されてたのよね・・・」なんてことをマーニャはぴくりと反応をした。
マリアは体を固定したまま、マスタードラゴンを睨みつけている。
「馬鹿らしい質問だわ」
「答えよ」
「そんなの」
そこで一拍マリアは言葉を切った。
「愛情以外に何があるっていうの。自分が愛している人達はもうこの世界にはどこにもいなくて、この先何一つ共有できない場所にいってしまって。そうしたら、あの人たちの過去に起きたことを、わたしが気付いてあげられなかったことを知りたいと思うのは、そんなにおかしいことなの?わたしは、シンシアの何も知らない。あの村に住んでいた人達の何もしらない。何かをしるための手がかりは、燃え落ちたあの村には何も残っていない。けれど、間違いなく」
マリアは剣を更に突き出すように一歩踏み出した。
「ここにいる竜だけは、何かを知っている。それなのに、何も教えてくれない。もしもシンシアが、あの惨劇が起こることを知っていて、胸の内に秘めていて・・・あなたと同じように、彼らを見捨てた一人だとしても、わたしは彼女を間違いなく愛している」
「・・・愛情と言うたか」
「そうよ」
「愛情と」
と、次の瞬間、マスタードラゴンは咆哮をあげた。
「きゃあ!」
驚きでミネアは声をあげて身を竦める。
びりびりと空間が揺れ、まるで風が吹いたように彼らの剥き出しの皮膚を刺激する。
それほどに太く、空気を震わせて響き渡る咆哮。
「なれば」
「・・・」
「この、いまだどのような存在からも侵されたことのない天空城の主である、このわたしをねじ伏せるが良い!そこまで命をかける価値がお前の言う愛情とやらにあると信じるならば。そこな三人がお前のもとにきたのも、その愛情とやらによるものなのだろう?神と呼ばれる存在に剣をあげ、その力を見た後でも同じ事を言えれば、お前に真実を知らしめてやろう!」
マーニャは苦笑いを見せて「まるで悪者のセリフね」と囁けば、ミネアがそれをたしなめる。
こんな時でもへらず口を叩くマーニャをありがたいと思いつつ、マリアは叫んだ。
「その取引を、待っていたわ!後悔させてやる!クリフト、スクルトを!ミネア、フバーハを!」
「はいっ!」
「お任せを!」
それが、戦いの幕開けだった。


激しい炎。
力強い打撃。
予想外に俊敏な尻尾。
近づくことを阻む、翼が巻き起こす風が、こちらの魔法を時には無効にする。
ようやく近づいてもあまりにも硬く、なかなか致命傷を与えることが出来ない分厚い鱗。
そして。
高い天井の更に上から落ちてくる、激しい雷撃。
マーニャに賢者の石を渡していたのは、正解だった。回復がおいつかない。
あの風のせいで、時折マーニャの呪文がかき消される。それでも、わたしの打撃よりは威力を発揮してくれてありがたい。
そして、ミネアもクリフトも、守りを固める補助呪文を何度も詠唱しなければいけなくて、攻撃の一手を放つことが出来ない。
何度も何度も、竜の懐に入り込んでも、手ごたえのない打撃しかわたしは与えることが出来ない。
とても悔しいけれども、わたしの一撃はあの鱗の前で貧弱だ。
それならば。
あの竜へ与えられる一番のダメージ源は。
「ギガデイン!」
勇者のみが唱えられると言われたあの呪文を唱える。
それはなんて、あの竜が放つ雷撃と似ていることだろうか。
そして、あの雷撃よりも、なんと威力が弱いことか。
ギガデインをうけた竜は、多少ぐらりと体を揺らめかせたが、まるで効いていないように嘲るように叫ぶ。
「その程度の呪文で、立ち向かうつもりか!」
その尻尾が横にはらわれ、クリフトが避けきれずに巻き込まれ、壁に激突する。
ミネアが回復呪文を唱えた。
「こんのぉ・・・イオナズン!」
マーニャの唱えた呪文をかき消すように、竜の立派な翼が大きな風を発生させた。
吹き飛ばされないように踏ん張り、風が止んだ瞬間攻め込もうとわたしは床を蹴った。
しかし、風が吹き止んだ瞬間、前方から竜の炎のブレスがわたし達を襲う。
盾を前に突き出してそれに耐えながら、わたしは近づいて一撃を放つ。
がつん。
嫌な、どうにもならない手ごたえだ。
腹立たしい。
目を狙いたくても、立ち上がっている今の状態では届かない。
デスピサロどころの騒ぎではない。
このままでは、ただただわたし達は消耗し、傷を回復し、ここにいるだけに過ぎない。
「マリアさんっ・・・」
クリフトのかすれ声。
「勇者の、呪文を・・・!」
「唱えているわよ!」
ミネアも叫ぶ。
「もっと・・・もっと、です。マリアさん!全ての魔法力を使うほどに・・・」
「もっと、って・・・これ以上強いギガデインを放とうとすれば、あの時のように制御が効かなくなるかも・・・っ」
そして、誰かを傷つけてしまうかもしれない。
今わたしが行使しているギガデインは、デスピサロに放つことが出来た、自分でも一番効力が強いものだと自負している。
でも、確かに。
打撃がきかないなら。
そして、多少でもギガデインであの竜は体を揺らしたなら。
それしか、打破する道はないのかもしれない。
「マリア、やっちゃいなさい!あたし達のことなら心配しないで!なんとかするから!」
なんとかって、なによ。魔法の標的にされたら、回避なんて出来ないのよ?
「マリアさん、先ほどから水晶が、あなたのギガデインに共鳴しています!」
ミネアは腰につけている水晶を入れた袋を手で抑えながら叫んだ。
「なんで!」
「あなたの、運命が!」
わたしの運命?
その続きをミネアは発することが出来なかった。
竜の一撃が彼女を襲って、部屋の隅まで吹っ飛ばされてしまったからだ。
「マリアさん、わたし達があなたをお護りしますから・・・集中して、もっと強力なギガデインを」
クリフトはそう言って、わたしの前に立って盾を両手でしっかりと構えた。
マーニャが高く掲げた賢者の石の効果で体力を回復したミネアが、必死に隅から近づいてくる。
「フバーハ!」
走りながら詠唱をしてくれたミネアの呪文は間一髪で、竜が放つ炎のブレスからわたし達を護ってくれる。
もう一度恐ろしい速度で尻尾がクリフトを狙ってきたけれど、防御に徹していた彼はそれに耐え、しかもそればかりか尻尾が戻る瞬間を見逃さず、一太刀浴びせた。
なんて。
命をかけているから、といえばそれまでだけれど。
なんて、この人達からわたしは、深く愛されているのか、とそれを今更ながらに感じて一瞬目頭が熱くなった。
その目頭の熱さがまるで全身を支配するように、指先、足先、そして口から軽く吐き出される息、すべての温度が上昇していく。
ここで、引き下がるわけにはいかないの。
みんなが信じてくれている。わたしのことを。
信じて、命まで預けてくれて。
それに応えることが出来なければ、勇者というこのわたしの存在なぞ、何も意味がありやしない。
視界のすみで、マーニャが祈りの指輪を使う姿が見えた。
そう。
強い呪文を行使するには、それなりの魔法力が必要になる。
でも、人間一人が使える魔法力は、その人間の能力によって差が出てくる。
ギガデインを今よりも強力にするには、わたしが今一度に使うことが出来る魔法力の上限をあげなければいけない。
でも、わかる。
わたしの能力、わたしの体では、それは限界だ。
ううん、ベホマズンを行使する時くらいまでそれを高めても、たかだか知れている。
それでも、やらなくちゃいけないのね。
「あの竜をねじ伏せても、その時にわたしが立っていなければ意味がない」
どくん、どくん。
大きな鼓動。
自分の心臓が打っている音が、殊更大きく感じる。
耐えられるのだろうか。
一度に、全ての魔法力をこの体から放出するなんてことが。
でも、もしそれが出来て、それが全てギガデインの威力に転換出来るなら、あの竜に大きなダメージを与えられるかもしれない。

ぱちん。
ぱちん。
何度か聞いたことがある音が、後ろから聞こえてくる。
マーニャさんがドラゴラムを唱えて、炎の攻撃から我々を護る為に前に出てくれた。
今のうちに、とわたしはスクルトを唱え、ミネアさんは祈りの指輪の効力で魔法力を回復させた。
ばちん。
「・・・っ!?」
ぞくり、と鳥肌がたった。
マリアさんの周囲に集まるその雷撃のもとになる火花達が、いっそう強くお互いぶつかりあってぱっと弾け飛び、大きな音をたてる。
力が膨れ上がっていく。
そのことに気付いて、わたしは後ろを振り返った。
マリアさんは瞳を閉じて、まるで瞑想でもしているように穏やかな表情で立っていた。
凄まじい量の火花を身に纏いながら。
「マ・・・リア・・・さんっ!!」
「クリフトさん、マリアさんがっ」
その隣にいるミネアさんは、何故か泣いていた。
「えっ」
「マリアさんが、止まらない!」
「ど、ういう・・・」
「今、マリアさんは、全ての魔法力を使って大きな雷を作り出そうとしています!でも、人が一度に使うことが出来る魔法力は・・・けれど、声をかけても、反応してくれないんです!」
それには、制限がある。
術者の技量。
術者の体の限界。
呪文を行使する人間ならば、それは誰もが知っているはずだ。
いけない、マリアさん。
それをしては、あなたの体は。
その時、脳の奥に突然甦ってきたあの声。

勇者マリアに伝えてください

ギガデインの魔法は、勇者の最強呪文ではありません。勇者の最強呪文は、ミナデイン。

それは、天にいる竜の神が操る雷に匹敵するもの。それを得て、初めて、竜の神と肩を並べる力となることでしょう

けれど、マリア一人で行使することは出来ません。それには、魔法の力を持つ仲間達からのサポート必要です。それは、人として魔法を行使するには限界を超えた負荷がかかるからです


「ミネアさん・・・もしかして、マリアさんは・・・」
ミナデインの魔法を。
その時、マーニャさんのドラゴラムが解け、マスタードラゴンとの間を隔てていた視界がさあっと開けた。
マリアさん。
一人では、やらせない。
あの時、希望の祠であなたのお母さん、あなたが一人でマスタードラゴンに立ち向かうことを既に気付いていた。
だから。
だから、きっとわたしにあなたを託すために、ミナデインの魔法について教えてくれたのだろう。
今のように、無理をしてしまうだろうあなたのことを思いやって。
「マーニャさん!ミネアさん!マリアさんを助けてください!」
「ど、どうしたのよ!どうやって止めんの!?」
事態を一瞬で把握したマーニャさんが叫ぶ。
「止めるんじゃあ、ない」
「・・・同調、するんですね」
ミネアさんがそう呟いた瞬間、マリアさんの体の周りに集まっていた火花がミネアさんに帯電をした。
しかし、電撃を体に浴びたとは思えぬほど、まるで普通にミネアさんはそのまま立って、マスタードラゴンを見ている。
やはり、ミネアさんは泣いていた。
唇を噛み締めて、眉を寄せて、その美しい顔を軽く歪ませて、ミネアさんは叫ぶ。
「天を司る竜の神よ!あなたの心の中にある闇を打ち払う、この人こそ、この世界の真の勇者。わたしは、あなたに剣を向けたこの方のことを、誇りに思います!」
「占い師よ・・・わたしを、竜の神といまだに呼び、闇を持つと断言するか!」
マスタードラゴンは吠えた。吠えて、炎を吐き出した。
慌ててわたしは皆の前で盾を構え、それを受ける。
が、驚いたことにその激しい炎は、マリアさん、ミネアさんが帯電しているその火花達の前に、突然ぱちん、と音を立てて散った。
その光景の異様さに一瞬わたしが硬直すると、マーニャさんが「さすがね」と呟く声が聞こえる。
マーニャさんは瞳を閉じて、唇をかすかに動かして何かを唱えたようだった。あっさりとミネアさんと同じように、マーニャさんも同じ状態になってしまう。
「・・・クリフトちゃん。あんたにはちょっと難しいかもしれないけど」
「はい」
「昔、魔法を唱えられなかった時、媒体に集中する練習したでしょ?」
「は、はい」
「それが、今はマリアだと思いなさいよ」
今は何も媒体がなくとも唱えられるけれど、昔は集中をするために物理的なものを媒体として必要としていた。
マリアさんが媒体。
魔法を唱えるための。
魔法を唱えるのは、マリアさんではあるけれど、わたしでもある。そして、ミネアさんでもあり、マーニャさんでもあり。
わたしの魔法力が通るものは、杖や魔法書などではなく、あの人。
マスタードラゴンを倒すこと以外、もはやこの世界で生きていく術を残していない、わたしが恋した、本当はとてもとても優しい人。
神と呼ばれる存在に背いてでも。
サントハイムの人間という肩書きを捨ててでも。
それでも、あなたをこの世界で生きる方法を、共にみつけてあげたかった。
それは、今。

膨れ上がった雷の素は、まるでその部屋の空間を侵食するようにどんどん大きくなってゆく。
そこまではそれほどの時間を要することもなかった。
マスタードラゴンはそれを見つめ、喉を鳴らした。
攻撃を加えようとしても、あまりにも大きく膨らんでいくその力に押し戻され、自身のもとへその力が戻ってくるため、迂闊に動けなくなってしまっているのだ。
そして、ついに、吠えた。
「人が持ち得る力の限界を超えながら、人として生きていく覚悟が、お前には出来ているというのか!それは、禁忌の一種だ!それを行使しては、キュンティアのように力を・・・」
マリアの瞳が、開いた。
「それは、誰」
マスタードラゴンは喉が詰まったようなうめき声をあげ、答えない。
「答えないなら、答えさせてやる!雷達よ、あの竜の体目掛けて、全て行きなさい!」
次の瞬間。
彼ら四人の体に帯電をしていた大きな雷の素は、空に向かって昇っていく。
ドン、と大きな音が響き、部屋の天井に大きな穴を開けた。
ぽっかりと開いた頭上から、ぱらぱらと破片が落ちてくるが、「天井であった部分」は一瞬にしてその衝撃で消滅したように、瓦礫が落ちてくることはない。
そして。
「・・・・っ!!」
マスタードラゴンは身を竦め、翼を折り、尻尾を体に巻きつけて防御の体勢を取った。
「伏せて!」
クリフトはマリアの腕を掴み、もう片方の腕でミネアとマーニャを巻き込んで抱きかかえるように覆い被さった。
雷が落ちれば、床を伝わる振動は相当なもので、普段ならば伏せる方がダメージを与えられやすい。
けれど、今までのそれとはまったく比較にならない大きな衝撃であれば、立っている方がなんらかの被害に合うかもしれない。
咄嗟の判断だったが、ミネアもマーニャもそれは悟っていたのか、ほとんど抵抗なくそれに従い、軽い身のこなしで床に突っ伏した。
そして、次の瞬間。

天空城の一室に、誰も未だ見たことがないような巨大な雷が、落ちた。


Fin

←Previous


モドル