懺悔-1-

天空城の一室、その静まり返った室内で、最初に体を起こしたのはクリフトだった。
まるで彼を牽制するように、マスタードラゴンの呻き声が室内に響く。
「ぐうう・・・なんということか。本当に・・・本当に、やりおった・・・」
クリフトが恐る恐るそちらに視線を向けると、防御の体制をとっていたマスタードラゴンが、ゆっくりと動き出す様が見えた。
と、その巨体がぐらりと揺れて、後ろの壁に上体を預ける。
ずん、と大きな振動が部屋全体を揺らす。その振動のため、ぽっかりと空いた天井から、ぱらぱらと欠片が部屋の中央に落ちてくる。
「・・・マスタードラゴン」
クリフトにひっぱられて床に突っ伏していたマリアも、体のどこにも影響がないことを確認しながら、ゆっくりと上体を起こした。
ふとクリフトが見ると、ミネアとマーニャは床に伝わった激しい振動のためか、マリアに魔法力を吸い取られたせいか、気を失っているようだった。
(そういえば、祈りの指輪を使うほど、お二人は消耗していたのだ)
それに気付いたクリフトは、気を失った二人を護るように前に出て、剣を構えた。
その彼の動きをまるで気にもせずに、上体を後ろに傾けたままで、マスタードラゴンはマリアに向かって低く声を発した。
「ミナデインの魔法を行使する者。それは真の勇者のみ。地上人という器をもつがゆえに、一人では行使できぬ魔法だが、もしもお前が人ではなければ・・・天空の血のみで構成されておれば、それは」
「それは?」
聞き返しながらマリアは立ち上がる。
「一人で行使することが出来たことだろう。それは、わたしに代わってこの城の主になるべき能力を持つ、ということだ」
「わたしには、竜の血なんて混じっていないわ」
「別段、この城の主になるのに、竜である必要があると思うか?この城は、天空人が住まう場所。それを作り出したわたしが、たまたまこの通りの存在だったというだけだ」
「でも、きっと天空で生まれていれば、この呪文を習得することも、使うこともなかったでしょうね。皮肉な話だわ」
マリアはクリフト達の様子をちらりと見て、マーニャ達が倒れたままであることに気付く。
「クリフト、二人を頼むわね」
「は、はい」
一歩、二歩、マリアは剣を持ったままマスタードラゴンに近づく。
マスタードラゴンは多少のダメージをうけているものの、動けないというほどではないように見える。
外部の損傷はあまり見られない。
しかし、クリフトはその様子を見て、はっと気付いた。
(マリアさんのギガデインで、わたしの体の細胞が驚いた・・・ようなことを、マリアさんのお母さんは、確か希望の祠で話していた。そのような状態に、今マスタードラゴンもなっているのだろうか)
その彼の心の声をまるで見透かしていたように、マリアは言う。
「マスタードラゴン。体、動かないの?」
「しばしの時が必要のようだ。思いのほか、体の芯に影響を及ぼした・・・もう少し、弱い雷撃かと思っていたが、さすが地獄の帝王を倒しただけはある。舐めてかかってはいけなかったな・・・このまま、わたしを、討つか?」
「そうしたい気持ちもあるけど」
ついにマリアはマスタードラゴンに近づき、その硬い鱗に手を伸ばした。
「ほんっと、硬くて腹が立つ。全然剣が使い物にならない」
「以前、わたしの鱗を叩いたことがあったな」
「そうね」
「ドラゴンキラーなるものを持ってくるのかと思っていたが」
「あれは、射程が短いから、あなた相手では厳しいんじゃないかと思って。それに、どちらにしてもドラゴンキラーでもこの鱗は貫けないでしょう」
まるで、先ほどまで戦っていたのが嘘のように、二人は穏やかに言葉を交わす。
マスタードラゴンは体を動かそうとした。
しかし、ずるりと沈むように傾き、尻尾でバランスを取ろうと試みたようにも見えたが、それすら失敗する。
どおおん、と大きな音をたてて、ついにマスタードラゴンは横たわった。
マリアは寸でのところで飛びのいて、それに巻き込まれることを免れる。
その大きな音でマーニャとミネアははっと目を覚まして、のろのろと体を起こそうとした。
「・・・すっごい・・・疲れた・・・」
ぼそりとマーニャは呟いて、何度か頭を横に振る。長い髪がばさばさと揺れ、だらしなく彼女の顔を、肩を覆う。それを面倒くさそうに払う仕草に力はない。ミネアも疲労を隠せない様子で、深く溜息をついてから顔をあげる。
その時、かっ、かっ、かっ、と、誰かの足音が遠くから聞こえた。
天空城には今は誰もいないはずなのに・・・と、マリア達は誰もが眉を寄せてお互いの顔を見る。
それでも間違いなくその足音は、何一つの躊躇もなくこの部屋に向かっていた。
そして、開け放たれたままの扉に一同が目を向けると。
その足音の主は、ほどなくして入り口の中央に姿を現し、高く声をあげた。
「マスタードラゴンよ!」
「あ、なたはっ・・・!」
クリフトは驚きで声をあげる。
そこに現れたのは、彼がよく知っている天空人――マリアの本当の母親――だ。
横たわったままでそれを見ていたマスタードラゴンは、返事をする。
「来たか、シレイン。お前達だけは、他の空間へと移すことが出来なかったが・・・それは、お前と共にいたキュンティオスの力であろう」
「・・・はい」
「苦肉の策で、お前達がいたあの部屋を封印したが・・・マリアのミナデインのおかげで、その封印も解けたようだな」
「勇者マリアが・・・ミナデインを・・・っ・・・勇者マリアよ、今あなたが持つその剣で・・・マスタードラゴンを倒すつもりなのですか」
マスタードラゴンの傍らに立つマリアの様子を見て、彼女は切れ切れにマリアに問い掛けた。それへマリアは泣き笑いのような表情を浮かべる。
「・・・そうすることを、本当はあなたも望んでいたんじゃあないの?」
「ええ・・・ええ・・・確かに、以前は・・・」
「でも、今は出来ない。マスタードラゴン、取引はこれで成立したんでしょう?わたしの勝ちだわ。わたし達は、最後まで諦めなかった。今度はあなたが真実を話す番よ」
先ほどまでの剣幕はどこにいったのか、と誰もが思うほど、静かにマリアはマスタードラゴンに語りかけた。
そして、手に持っていた剣をゆっくりと鞘に収める。
「勇者マリアよ」
冷たい床に横たわったマスタードラゴンの体を、なくなった天井から入り込む太陽の光が照らし出す。
その、不思議な色をした鱗はいっそう見たことがないような色を反射で見せ、その場にいる誰もが目を細めてそれを見つめる。
「お前は、勝った。攻め手のほとんどを失い、それまで使うことのできなかった魔法を使えるようになるほどに強く勝利を願い、そして、それにお前の仲間達は応えた。お前は、もう知っているのだろう。それも、愛情という名のものだと」
「わかってるわ」
「ならば、お前が言った通り、愛情ゆえの追求だとわたしも信じよう。人間というものの愛情は移ろいやすいとわたしは思っていたが、お前の母親も、お前も、そうではないことをこの17年間でわたしに教えてくれた。それを、信じずには・・・真実を語ることなぞ、どうして出来ようか」
そう言うと、マスタードラゴンはぴくりと動き、尻尾を器用に使って起き上がろうとする。
「・・・思ったより、早い回復ね。すごいわ」
「人間であれば、即死するほどの雷撃ではあった」
かすれ声でマスタードラゴンは答え、ようやく上体をぐぐっと起こすと、なんとか壁にもたれかかった。
天空人はかつかつと歩いて室内に入り、ちらりとクリフト達に視線をやってから、マリアに近づいた。
「ミナデインを行使したのですね」
「よくわからないけど、そうみたい。みんなの魔法力をもらって」
「・・・ああ・・・本当に、あなたは」
「負けられなかったの。仇討ちのためだけじゃあなくて・・・たくさんの、本当を知るために」
その二人の会話を聞いて、マーニャとミネアも二人の関係を正しく理解したようだった。
「とても、声がよく似てんのね、あの二人」
それ以上は何も言わないマーニャの心遣いは大人だ、とクリフトは思う。
と、その時、突然マリア達四人の体を、癒しの力が覆う。
それは、マリアの母親だろうか?とクリフトはそちらを見たが、どうやら違ったようだ。
「マスタードラゴン?」
ミネアが問い掛けるように名を呼んだが、マスタードラゴンからのそれへの返事はない。
マスタードラゴンは少しばかり回復したようで、先ほどよりは大分はっきりとした声でマリアを呼んだ。
「勇者マリアよ!」
「なに」
「お前は、真実を知る権利を得た。お前に真実を全て告げる者は、わたしではない」
「どういうこと?じゃあ、誰?」
「その者は、どうやら先ほどこの城を出たようだ。そうだな?シレイン」
「・・・多分。部屋の扉が開いたと思った瞬間、あの方の姿は消えていました」
「うむ・・・マリアよ。お前は、お前が知るべきことを、知るべき場所で全て聞くが良い。お前が生きる場所はこの天空にはない。お前が生きる場所で、生きるために、今こそ真実を!」
「・・・っ!?」
マスタードラゴンがそう叫んで前足の片方を伸ばした瞬間。
まるで目くらましのように、皆の目にはまぶしい白い光が飛び込んでくる。その眩さは、眼球の奥に痛みを感じさせるほどのもので、目を開けていることが誰にも不可能に思えた。
そして、ようやくその光、痛みから解放されて皆が目を開けたとき。
マリアの姿は忽然とその場から消えていた。
「マリアさん!?」
「ちょっと・・・マリア!」
「マスタードラゴン!マリアさんをどこに・・・どこへ行ってしまったの!?」
クリフト達は三者三様に、けれど同時に叫ぶ。
唯一、マリアの横にいた天空人のみ、何一つ言葉にせずにマリアが先ほどまでいた空間を見つめている。
マスタードラゴンは地上人である三人に何の説明もせず、天空人へと声をかけた。
「シレインよ。もう、お前の娘はここには戻らぬぞ」
「知っております」
「お前は、地上に戻りたいか」
「・・・いいえ、わたしはここで罪を償います。それは、あの人と恋に落ちたことではなく・・・あの子に、あのような運命を背負わせてしまった、そのことです」
そのやり取りにクリフトは割り込むように叫んだ。
「何をおっしゃるんですか!そんな罪が、この世にあるはずなぞない!あなたが何を悔いているのかわたし達にはわかりませんが・・・マリアさんは、あなたにそのような罪を作るために生きているわけではない!マリアさんが精一杯生きているのに、それを同情して悔やんで、ご自身を貶めるようなことは言わないでください!」
「優しい、地上の神官よ。それは地上の理です」
「いいえ。地上も天空も何の変わりもあるはずがない。先ほどマスタードラゴンも言っていたではないですか!移ろうことのない愛情というものを、マリアさんが、あなたが、マスタードラゴンに信じさせたと」
「サントハイムの神官よ」
クリフトは、マスタードラゴンからのその呼びかけにびくりと体を震わせた。
それは、その名が、既に彼が自ら捨ててきたものだったからだ。
わずかに震える声で、クリフトは返事をした。
「わたしは・・・もう・・・サントハイムの神官ではありません」
その答えにマーニャは「どういうこと!?」と叫んだが、ミネアは言葉もなく静かに成り行きを見守っている。
マスタードラゴンはそれを気にした風でもなく、言葉を続けた。
「わたしは、勇者マリアに真実を告げる役目を担うことが出来なかった。その役目は、17年前から既に定められており、そして、その者は今日という時をずっと待ち続けていた。しかし、お前達には代わりにわたしから語ろうぞ」
「それは・・・わたし達が聞いても良いことなのでしょうか?」
それには、即座にミネアが言葉を返す。
「聞かせても良いと思ったから、勇者マリアはお前達と共にここに参ったのだろう?」
その答えを聞き、三人はお互いに顔を見合わせた。そして、シレインをちらりと伺う。
しかし、彼女は唇を引き結んだままその場に膝を折り、まっすぐマスタードラゴンをみつめ続けるだけだった。

さて、一方のマリアは、見覚えのある場所に立ち尽くしていた。
自分が立っていたはずの天空城の一室から突然移動させられたということは、なんとか理解をしていた。
「なんで・・・」
うまく動かない頭を使って、マスタードラゴンの言葉を必死に思い出そうとする。

お前は、お前が知るべきことを、知るべき場所で全て聞くが良い。

お前が生きる場所はこの天空にはない。

お前が生きる場所で、生きるために、今こそ真実を!

「それが、ここだって言うのね。そんなこと、お前に言われなくたって、わかってる。どうして、こんな苛立つ真実を、今更わたしに見せつけようっていうの」
マリアが立っていたのは、今朝までクリフトと共にいた、マリアの故郷の村。
木こりに習って作ったテント以外は、まるであの悲しい日の惨劇が風化しないように、傷痕ばかりを浮き立たせるような、そんな悲しい姿を晒し続ける村。
以前にも増して木々は村を覆い、人の生活すら奪うように覆い尽くしてしまうように周囲から枝が伸びている。
それでも、あの惨劇で撒き散らされたらしい毒は地表を覆って沼地を作り、また、その毒が染み入った地面はまったく草を育てようとしない。
村という形は木々に覆われ、このままでは押しつぶされ。
そして、唯一残る、緑の恩恵を受けない土地は、この先永遠にその毒を浄化されないのだろうか。
「これが、わたしが生きる場所だって言うの?そんなの・・・そんなの・・・」
わかっていた。
覚悟をして戻ってきた。
けれど、ここには最早誰もいない。そして、これから先、誰も増えることもない。
マリアの手で復興出来るような範疇を完全に越えている、廃墟だらけの、生活の残骸が雨風に晒されているだけの場所。
テントを作ってみたところで、そこは永住の地になるはずもない。
マリアは立ったままぐるりと周囲を見渡した。
それから、身につけていた鎧を脱いで、足元にがしゃがしゃと落とした。兜を脱ぎ捨てると、盾を天空城に忘れたことに気付いた。
マスタードラゴンとの戦いは終わった。
自分は真実を知る権利を得た。
それから?
それから、自分はどうなるのだろうか。
朝は良い天気だったのに、空を見ると重い雲が僅かに広がり、まるで空が地表を押しつぶしそうに見えるほど低い。
マリアはぼんやりとその光景を眺めて、大きく溜息をついた。
「!!」
ぞくり。
背筋に嫌な感触をうけ、マリアは後ろを振り返った。
誰もいない。
でも。
(誰かが・・・何かが、来る)
一瞬マリアは無防備に鎧を脱ぎ捨てた自分を呪った。
しかし、一拍の間を置いて、自分が感じている「それ」が悪意のあるものではないということに気付き、力を抜いた。
「な・・・に!?」
そして、次の瞬間。マリアはひゅっと音をたてて、息を飲み込んだ。
今まで、地獄の帝王エスタークを倒したことも、デスピサロを倒したことも、もちろんマスタードラゴンを倒したことも。
それらは皆の力、努力から為されたことでも、ある意味では奇跡と呼んでいいのではないかとマリアは思っていた。
けれど、奇跡というものは、そんなものではない、と思わされる光景が、彼女の目の前で広がった。
「なんなの・・・これ・・・」
空から降り注ぐ白い光。
「何。マスタードラゴンなの?」
村のあちらこちらに、細い光が空から降りてくる。
重く厚い雲を突き抜けて。
薄暗い空に、きらきらとした粒子が広がり、村に向かって光は伸びてくる。
まるで立っているマリアの体すら通過してしまうように、彼女の足元にも、悲しく崩れた廃墟にも、毒の沼地にも、何もかもその光は満遍なく降り注いだ。
「今更、何を・・・」
と声に出した瞬間、再度マリアは息を飲む。
光に覆われた毒の沼地は、みるみるうちに再生をして、まっさらな土の姿を見せる。
草をまったく生やさなくなった、毒に侵食されて色を変えた土が、まるで浄化されたように普通の土色に戻っていく。
マリアはそうとは知らなかったが、高熱で焼かれて、その身そのものを烙印として床に押し付けられたような、瓦礫の床に残っていた痕も消えた。
死んで行った村人達の血を吸い込んだ地面は、まるでぬくもりを取り戻したようだ。
そして。
「は・・・な・・・」
そこは。
シンシアがいつも、座っていた花畑。
あの日、二人で・・・。
「っ!!」
村の中心にあった花畑が、マリアの目の前でその姿を取り戻していく。
決してもう雑草すら生えないと思われていた大地から、まるでその光が地面を綺麗にして、種を植え付け、そして時間を早くすすめたかのように。
しゅるしゅると伸びていく草花の様子を、マリアは瞬きひとつ出来ずに見つめていた。
(返してくれるの?この村を。わたしが生きていたあの光景に)
でも。
それでは、何も足りない。
あの人たちがいて、笑顔でいつもマリアを迎えてくれていた、優しい人達がいて。
それが、マリアにとっての故郷であり、マリアにとって生きていくはずの場所だった。
形だけを整えられたところで、何一つ嬉しくない。
いや、むしろ。
もしもこの再生が、マスタードラゴンの力によるものだとしたら。
もう一度天空城に戻って、馬鹿にするな、と言葉を投げつけなければいけない、とマリアは唇を噛み締めた。
何も戻ってこないのだ。何も。
たとえ、この地が毒の沼地に覆われようが、森の木に侵食されようが、あの人たちが生きていてくれれば、それだけでよかったのに。
なのに。
マリアは、腰につけていた道具袋から、シンシアの形見の品である羽帽子を取り出した。
この帽子が大好きで、よく被っていたシンシア。
そういえば、これを被っているとき、エルフ特有の耳を中に入れていることも多かった気がする。
そんなに外気が寒くない時でも耳を隠すことのあったシンシアの様子を、一度もマリアは不自然に感じたことがなかった。
(でも、もしかして、何か思うことがあったのかもしれない)
そう考えられるようになったのは、シンシアを失ってからだったなんて。
マリアの周囲はすっかり姿を取り戻し――崩れた家屋はどうしようもないが――それが尚のこと痛々しい、とマリアの目には映る。
と、その時。
ひときわ大きな白い光が、花畑の中心に突然輝き出した。
「わっ!」
マリアはその眩しさに耐えかね、腕を目の前に横にして突き出す。
と、その白い光は、やがて人の姿を形作り、発光が弱まると同時にその輪郭を明確に見せていった。
現れた人物が、きっと自分に真実を告げてくれるのだろうという期待と不安がないまぜになりながら、マリアは目を細めてその輪郭を出来るだけ早く確認しようと見つめる。
人なのは、間違いない。
女性?
天空人?
それとも。
それとも。
「・・・!!」
マリアは、その場に姿を現した人物を見て、全身を硬直させた。
光は既に消え去り、まるで復元されたかのような村の中心の花畑に、自分と、その人は立っている。
その状況になっても、マリアはすぐには動くことが出来なかった。
なんとなれば。
彼女の目の前に立っているのは。
「シンシア・・・」
「マリア」
自分の名を呼んでくれる、その声も、紛れもないシンシアのものだ。
あの日、マリアを守ろうと犠牲になったエルフ。
あの日、あの惨劇があることを知っていたのではないかと疑っているエルフ。
その人の姿がそこにあった。
会いたくて会いたくて会いたくて。
守りたくて、守れなくて、思えば思うほどマリアを後悔の念に突き落としていた、愛しい幼馴染。
まっすぐで長い美しい髪。長い睫毛。少し薄いけれど、艶のある唇。エルフ独特の耳。白くて長い、綺麗な形の指。
そして、マリアとは違う、女性らしい丈の長い、村娘が着るスカートを身に纏い、彼女は笑顔を見せた。
「シンシアっ・・・!!」
ついにマリアは、何かにはじかれたように両腕を伸ばして、その人の体を強引に抱いた。
柔らかな女性の体がマリアの胸に倒れこんでくる。
こんなに強く抱いたことはないはずなのに、それでもそれが「シンシア」であることを確信出来るような温もりを感じ、マリアは何度も何度もその名を呼んだ。
「シンシア・・・シンシア、シンシア、シンシア!」
腕の中の彼女は、静かにマリアの背に腕を回し、まるで彼女を落ち着かせようとするかのように軽くその背をさすった。
「どうして・・・どうしてあなただけ?マスタードラゴンが、助けてくれたの・・・?シンシア・・・わたし、ずっと、ずっとシンシアに会ったら、謝ろうって・・・シンシアっ・・・」
強く抱いた手は、彼女のエルフ独特の耳の上に差し入れられ、長くさらさらとした感触の髪をかきわけた。
それは、昔、マリアが憧れた髪。
綺麗で、しなやかで、太陽の光を浴びると色が変わって見える、シンシアの美しい髪。
触らせて、と何度もねだって、シンシアに呆れられてしまったこともあった。それを思い出しながら、何度もその髪を撫でた。
「・・・マリア。落ち着いて」
「シンシアっ・・・」
耳に馴染んだその声に、マリアは感極まって目頭を熱くする。
「マリア、放して」
「・・・う、ん」
ようやく、胸の中にいた彼女が体をゆっくりとひくと、マリアも素直にその腕を放した。
改めて真正面からお互いを見つめる二人。
「幻じゃないよね?シンシアなのよね?」
「幻じゃないわ。マリア」
「本当に・・・」
「幻じゃあないけれど・・・ごめんなさい、マリア。わたしは、あなたの知っているシンシアではないの」
「・・・え・・・」
「でも、半分はあなたが知っているシンシアよ。わたし、17年間ずっとずっと、天空城で、シンシアの目を、耳を通して、あなたのことを見ていた」
穏やかな「シンシアの」声で告げられたその言葉が、マリアにとっては理解が出来ない。
「シンシアじゃない・・・?」
「マリア、あなたはさっき、マスタードラゴンと戦って、真実を知る権利を得たわ」
「・・・」
ごくり、とマリアは唾を飲み込んだ。
一歩、後ろに下がったのは、これから「聞きたくないこと」を聞かされるのではないか、とマリアの本能が感じ取って、無意識で行った動きだ。
「嘘。だって、シンシア・・・どこからどう見ても・・・シンシアよ?声だって、話し方だって・・・半分シンシアって・・・どういう意味・・・?」
声が上ずる。
瞬きを忘れたように、マリアは目の前の「シンシア」を凝視する。
「あなたが、真実を知っても、シンシアを愛していてくれることを信じて、わたしはあなたに話をするわ」
「シンシア」
「最初に言わなくちゃいけないことは・・・シンシアの本当の名前」
「本当の名前」
「生まれ落ちた日に、マスタードラゴンから名付けられた名は、キュンティア」
「キュンティア」
マリアは呆然と、言われたままの言葉を鸚鵡返しで呟くばかりだ。
「キュンティアという文字を地上の文字に置き換えて、地上人に見せたらシンシアを呼ばれたわ。その日から、シンシアという名でこの村で、あなたと共に生活を始めたの」
「あなたが・・・?それとも・・・その・・・」
「わたしの半分の名はキュンティオス。キュンティアが地上に降りた日から、わたしの人生は、キュンティアの人生になった」
「い、意味が、よく・・・」
彼女は、にこ、と小さく微笑んで、スカートをふうわりと広げてその場に座り込んだ。
「マリア。座りましょ。ここでよく、二人で空を見ながら色んなこと話したわよね?」
マリアは眉根を寄せた。
それは、確かだ。
もしかして、自分とシンシアがそうしていたことを、天空城から誰かが覗いていて、そんなことを言っているのでは・・・そう疑ってもおかしくはない話の展開ではある。
しかし、不思議とその言葉は「そうしていた」シンシアの言葉だと、マリアは素直に思った。
促されるまま先ほど目の前で息吹を吹き返した花畑に座ると、先に座っていた彼女はマリアが手にしている羽帽子に気付いたようだった。
「持っていてくれて、ありがとう。その帽子、大好きだった。でも、わたしは被ったことがなくて」
「え・・・」
「被ってもいいかしら。ずっとずっと、その帽子、被ってみたかったの」
「・・・」
その言葉は、シンシアの言葉ではない。
マリアは険しい表情を向け、手の中にある羽帽子を自分の胸元でぎゅっと抑えた。
「・・・ダメか。そうよね。シンシアの形見なのに、わたしに触らせたくないわよね」
「あなたは・・・シンシアじゃ・・・ないんでしょ?」
「わたし、ずっと天空城に閉じ込められていたの。眠ることがわたしの役目だったから」
「眠ることが?」
「眠っている間、わたし、キュンティアの目と耳を借りられるの。その間だけ・・・キュンティアがあなたとお話したこと、全部全部覚えているわ。あなたは、わたしを知らないかもしれないけど、わたしはあなたを知っていて、キュンティアがどれだけあなたを大事にしていたかも、よーく知ってる。だって、その時のわたしはキュンティアの一部だったから」
「言ってることが、全然わからない」
「わたしの17年間の役割は」
シンシアは――いや、キュンティオスは――マリアに微笑んだ。
「キュンティアが生きている間は、キュンティアの手助けをして、キュンティアが死んだ後は・・・ここで、あなたに真実を告げること。それ以外に、何の役割も持つことは出来なかった。天空城では、わたしはもう死んだことになっていたし、キュンティアは何もかも力を失っていたから、彼女が何かを欲した時は、わたしが彼女に力を送ってあげるしかなかったから」
「力を送る・・・」
「キュンティアは、とても優れた予知能力の持ち主でもあったし、高い魔力の持ち主だったの。でも、それを全て失ったから・・・ちょっとの魔法の習得もてこずるほどにね。でも、それじゃあ、いざっていうときにあなたを守れない。だから、わたしが眠っている時に」
「・・・」
「モシャスの魔法を、キュンティアが覚えられるように、力も貸したわ」
「!!」
マリアは息を呑んだ。
やっぱり、と言葉にしようとしても、声がうまく出ない。
今、間違いなく目の前にいる、シンシアの姿をしたキュンティオスというエルフは言ったではないか。

いざっていうときにあなたを守れない。

だから。

モシャスの魔法を覚えられるように。

自分の懸念は、間違っていなかったのだ、とマリアは無情な真実を突きつけられて、愕然とする。
しかし、キュンティオスはそんな彼女に同情の色すら見せずに、小さく微笑んだ。
「マリア、真実を知ることは、時には、神と呼ばれるマスタードラゴンに刃を向けるよりも恐ろしくもあるわ。それでも、聞く勇気があなたにはあるの?」
一瞬、マリアは目の前がぐらり、と揺らぐような錯覚に囚われた。
微笑んでいる。けれど、その心の奥で、目の前の彼女は何一つ笑っていないということにマリアは気付いていた。
「・・・わたし、惑わないって・・・みんなと誓った。だから、本当のことを聞きたい。それに」
「ええ」
「わたしがあなたから真実を聞かなければ、あなたの役割はどうなるの?」
「・・・どうにもならないわ。ええ。どうにもなりやしないの。あなたをこの村で守る手伝いが出来てよかった。ただ、それだけの人生になるだけよ」
マリアは静かに、キュンティオスを見つめた。
シンシアと何一つかわることのない外見。
時に、本当にシンシアのようにマリアに語りかけ、過去の共通の思い出を彷彿させる言葉を発する。
そして時には、シンシアではなく、むしろマスタードラゴンの化身ではないかと思えることをマリアに突きつける。それが、きっと彼女の役割なのだろう、とマリアは思う。
マリアは、息を深く吸って、そして、深くゆっくりと吐き出した。
それから、意を決したように、はっきりと言い放つ。
「聞かせて。わたしが知らない場所で、何があったのか」
「覚悟は出来てるのね。わかったわ。長い話にもなるから、疲れたら言ってね」
そんな思いやりを見せないで。
そうマリアが口を開こうとした瞬間、キュンティオスは穏やかな笑みを再びマリアに向け、悲しい言葉を発した。
「お花、とっても綺麗ね。本当に元通りだわ。ねえ、マリア。ずっと、あのままでいられたらよかったのにね」
マリアの視界に飛び込んでくる、色とりどりの花。
そうね、とも何も同意をすることも出来ないまま、マリアは熱くなっていく目頭を抑え、もう一度息を整えた。
耳の奥に残る、あの日のシンシアの言葉。

ねえ、マリア。
わたしたち、大きくなっても、このままでいられたらいいのにね・・・。

まるで今、鼓膜が震えてその言葉をマリアに聞かせたように、脳内でその声は響き渡る。
マリアは、深く息を吐き、キュンティオスに向き直った。


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