懺悔-3-

キュンティアの予言の力が失われた事実が判明した時、マスタードラゴンは落胆の色を隠せなかった。
二度の予言と未来返しの術lから得たあまりにも少ない情報に、この世界の未来をどれほど嘆こうと嘆き足りない。マスタードラゴンは決してそのような弱音は口にしないが、二人がその心中を察するに余りあった。
予言の力のみならず、それまで唱えることが出来た魔法の能力のほとんども、キュンティアは失った。
まるで、彼女はどこにでもいる一介のエルフのようで・・・いや、確かにそれは間違いはなく、それはある意味「普通である」幸せをこれから先得る可能性が高まったと言えただろう。
しかし、彼女はまだなお、許されなかった。
キュンティアが力を失った後、どれほどたっただろうか。
彼女が力を失ったことで誰もがうけた心の痛手が、然程和らがないうちに。
次はキュンティオスに異変が起きた。
眠りの世界で、キュンティオスはキュンティアと同化をした夢を見た。
いや、始めは夢なのだと思っていた。
もともとお互いの感応力が強かった双子だ。今、相手がどこにいるのか、何をしているのか、すら時々感じられる二人なのだから、その影響でそのような夢を見ているのだとキュンティオスは思っていた。
夢の中で彼女はキュンティアになって、天空城を歩いていた。
予言の巫女としての力を失ったことを公にすれば、他の者達に強い動揺を与える。それゆえに、未だにそのことは伏せてあり、彼女達が他のエルフから隔離されていることに変わりはない。
ほとんど人が行き来しない、天空城でも隠されているに等しい通路をキュンティアは歩いていた。
(また、わたし、キュンティアになってる夢を見てるんだわ)
眠りながらキュンティオスはそう思った。
通路の先には、天空人が見張りに立っている。
「キュンティア様。こんな遅くにどうなさったのですか」
「花瓶の水を替えるのを忘れていてね」
そう言ってキュンティアは手に持っていた、白い花が飾られた美しい花瓶を見張りに見せた。
彼女はその花が大好きだ。
それは天空城のあちらこちらには花壇に植えてあったのだが、居を移してからというもの、近くに花壇がないため時々こうやって花瓶にいれてもらっているのだ。
「そうですか。今日はなんとなく冷える日です。お気をつけください」
「ありがとう」
するすると返事をして、キュンティアは自分の部屋――それは、キュンティオスと一緒の部屋なのだが――に向かった。
いつもキュンティオスも触っている扉をあける。
それは、キュンティオスにとってもよく見ている光景だ。
部屋に入ると、ぼんやりとした灯りがついており、奥に。
(・・・わたしが、寝ている・・・寝て・・・)
「っ!?」
キュンティオスは、突然現実に戻り、凄まじい勢いでベッドから飛び起きた。
と、その瞬間、隣で眠っているはずのキュンティアの声が、別の方向から聞こえた。
「きゃっ!ど、どうしたの、キュンティオスっ・・・」
「・・・キュンティア・・・?」
自分の隣のベッドには誰もいない。キュンティオスは恐る恐る声がした方に顔を向けた。
キュンティアは扉の傍に立っており、突然キュンティオスが勢いよく起きたことに驚いて、目を丸くしている。
小さな灯りがその様子を照らし出しており、そして
「・・・キュンティア、どうしたの、起きてたの?」
「あ、ええ。眠れなくて。それで、お水をね、替えてきたの」
「・・・!」
キュンティアは大事そうに抱えていた花瓶を少しだけ前に突き出して、キュンティオスにそれを見せた。
(あれは、夢じゃないの・・・?わたしは・・・キュンティアに・・・?)
「キュンティオスこそ、どうしたの?嫌な夢でも見た?」
「・・・う、ううん・・・」
確信がないことは、出来れば言葉にしたくない。
そう思いつつも、キュンティオスの心臓は大きく鳴り、妙な汗が背を伝う感触に身震いをひとつした。
それが、キュンティオスが覚えている、最初の事象だ。
眠っている間、まるでキュンティオスはキュンティアの体の中にいるかのように、同じ体験をすることが出来る。
それは確かにキュンティオスの能力であったかもしれないが、後で判明したことによると、あくまでも制御権はキュンティアが握っているようだった。
とはいえ、キュンティアが「来い」と命令をしたりすることは出来ない。
ただ、彼女は「来て欲しくない」時はキュンティオスと同調しないという拒絶権を持つようで、それはキュンティアも無意識下で行っているようだった。
そして、キュンティオスにとって次の段階が訪れた。
キュンティアと同調している時に、「キュンティアが望めば」キュンティオスが行使出来る魔法を使えることが判明したのだ。
この時、まったく彼女達にはそれが一体どういう意味を持つのか、何の役に立つのか、さっぱりわかっていなかった。


マスタードラゴンは地上の動向に過敏になっていたが、彼とてありとあらゆる何もかもを見通すことが出来るわけではない。
それをやろうとすれば相当に膨大な力が必要になるし、生き物の脳がもつ処理能力の限界を超えてしまう。
彼は、自らの力と、自らの体との釣り合わなさをもどかしく思っていたが、彼の体が彼に与えるその「限界」があることによって、ある意味では自分は生かされているのだ、と理解していた。そうでなく、何もかもを一心に背負うほどの情報を一手に引き受けたとしたら、一分一秒を待たずに自分は狂ってしまうだろう、と思っていたし、それは予測ではなく真実だった。
しかし、その一方で、大いなる力を彼は持っていたし、その気になれば地上への干渉もかなりの程度で行うことが出来る。
それを、彼は自身に要求しなかった。
自分は「見るもの」だ。
長い長い年月、この天空城の主として生きてきたけれど、彼が唯一下界に対してその力を行使したのは、地獄の帝王エスタークを倒す時だけだった。
それで、今までうまくいっていた。そして、これからもそうであって欲しいと願っている。
大きすぎる自らの力も、彼自身をもまた畏れているからでもあるが、それは「そうしなければいけない」ものだからだ。
『竜の神、天空城の主であるマスタードラゴンは、地上への干渉を行わない』
彼が地上への干渉を行うことは、彼の存在意義を揺るがす。
それを誰が定めたのかは、わからない。
ただ、それを彼は「知っている」のだ。
まるで遺伝子の中に刷り込まれたように。
彼にとって些細なことでも、彼が地上に対してなんらかの干渉を行えば、それだけで大きく「何か」が動く。
その「何か」は、時には地獄の帝王を上回る凶事をもたらす可能性もある。
己の力の強さと、それゆえの弱さの板ばさみになり、マスタードラゴンはどうしようもないほどに苦しんでいた。
たくさんのことを出来る者が、常にそれをやってよい権利を持つわけではないのだ。
「・・・希望、か」
マスタードラゴンは、付き人を下げて、一人になったがらんとした室内で呟いた。
彼が、自分の考えに浸っている時に、言葉を発することは珍しい。それほどに、ふと漏れてしまった言葉なのだろう。
幸せな家庭が、見えた。
緑の髪の赤子。
翼の生えた美しい母親。
誠実で実直な父親。
村の誰もが、彼らを祝福し、何の隔たりもなく接している。
温かな家庭。温かな村。
その村に伝わるという「預言の書」。
その書の中身までは、マスタードラゴンでも確実には見ることが出来ない。そこまでの干渉はあまりに細かすぎる。
それでも、その村で人々が話している様子に、じっと耳を傾ければ、その書の内容が彼のもとへ情報として届く。

翼ある者が残す、生きる地を持たぬ者

この地を殻としてその力熟す時、大いなる加護を受けた剣を持ちて、世界を救いし勇者となる

守りたまえ、守りたまえ、守りたまえ

その者に、すべての力を与えたまえ

愛をもってして

マスタードラゴンは、難しい表情で、ぐるると喉を鳴らした。
預言は、ただの預言だ。
それが真実になるかどうかは、誰も知ることはない。
「翼ある者が残す」
それは、どういうことだろうか。
シレインが、赤子を残して村を出るのだろうか。それとも、命を落とすのだろうか。
「世界を救いし勇者となる」
それは、どれほどの可能性を秘めた預言なのだろうか。
「すべての力を与えたまえ」
誰が、その「すべての力」とやらを持っているのか。
村人達はとても当たり前に、地上のどこにでもいる、あまりに凡庸な人間ばかりだ。彼らが何かの力を持つとは、到底マスタードラゴンには考えられない。
(このままでは、この預言は、外れる)
それは、あまりに長い年月を生きているマスタードラゴンの、明らかに優れた直感がもたらす声。
そして、もう一方では
(しかし、この預言どおりにことが運びさえすれば、本当に、あの赤子が)
勇者となり得るのだろうか。
それは、誰も保障をしない、夢物語のようにも思える。
地上の人間達は、時折、時代を動かすために何かしらの任を担う者を「勇者」と呼ぶ。そして、安直に彼らは「勇者様がやってくれるに違いない」「さすが勇者さま」と手放しでその存在を認める。
しかし、本当はそんな簡単なものではないと、マスタードラゴンは知っている。
何もせず、「勇者の血筋」だとか「勇者の能力」だとかが備わっており、簡単に何もかもを為す勇者なぞ、この世界のどこにもいやしない。
そう呼ばれた者たちは、人一倍の努力家であるか、あるいは、余程類稀に見る能力を携えているかのどちらかだ。
あの平和な村に生れ落ちた一人の赤子が、世界を救う?
村人達は預言の書を信じてはいたが、彼らにとっては「世界を救う」ことなぞ、一体何を意味するかなぞ想像の範疇外だ。
そして、もしそれを理解したとしても、そのために彼らが勇者に与えられる力なぞ、一体何があるというのだ?
それを考えれば、村人達が「この預言は外れるな」と思うのが当然だとも思えたし、たとえ信じるとしたって、赤子が勇者になるための訓練やなにかを出来るわけがない。
人間というものは、余程の気狂いでもない限り、架空の、想像上の敵を倒すための力をつける、なぞ、出来様はずもない。
――いつか、世界を滅ぼす邪悪なる者が現れるから、勇者がその時に勝てるように――
そんな、宛てのないことのために、一人の赤子の運命を決定づけ、その曖昧な未来のために何かしらを強いることなぞ、誰が出来るというのか。出来るはずもない。ならば、この預言は、やはり、決して当たることがないのだろう。
あたるはずのない預言。
そして、誰も信じることのない預言。
そうとわかっていながら、心のどこかで「あの赤子がもしかすると」という、小さな希望を消すことが出来ないのは事実だ。
マスタードラゴンは、何日も何日も悩み続けていた。

一方、キュンティアもまた、考えた。
何故、自分とキュンティオスには、これほどの感応力があるのか、と。
自分が持って生まれた能力には意味があった。予言の巫女としての能力だ。
であれば、それを失ったことも、そして、自分とキュンティオスを繋ぐ力も、なんらかの運命に導かれた必然なのではないだろうか、と。
いや、本当は、それについては多くの意味を彼女は望んではいやしなかった。
ただ、そう思って考えれば、常に最善を尽くせるのではないか、と彼女は気付いたのだ。
そして、ある日、彼女は一つの結論にたどり着いた。
「きっと、わたし達、離れ離れにいてこそ、この力を発揮出来るのね」
一室で茶を淹れていたキュンティオスは、キュンティアのその呟きを聞き逃さなかった。
何故なら、キュンティアに言われる前から、彼女もまたずっと考えていて、間違いなくその結論に至ったからだ。
どこかで、キュンティアが、何かをなすために。
そのために、自分が彼女とこうやって感応する力があるのではないか。そしてまた、それを生かすことで、何かを成し遂げることが出来るのではないか。
彼女達はひたすらに生真面目で、地獄の帝王復活を阻止するために、自分達が何かしらのアクションをこれ以上にも起こさなければいけないと思い続けていた。
何をすれば良いのかは、具体的にはわからない。
わからないけれど、自分達が出来ることが何なのか、から考えれば、糸口が掴めるはずだ。
「キュンティア。お茶、淹れたわよ」
「ありがとう」
わかっていても、キュンティオスは彼女の呟きに同意をしなかった。
まるで、聞いていないように、椅子に座ってテーブルで肘をついているキュンティアの前に、白い陶器のカップをことりと置く。
離れ離れになるとしたら。
それでも、大きな役目を担うのはキュンティアなのだろう、とキュンティオスは既に気付いていた。
キュンティオスはキュンティアに力を貸すことは出来るし、キュンティアがどういう状態に陥っているのか、を知る術がある。
しかし、その逆は、多少の感応力があっても、既に有り得ない。
であれば、彼女達の力を発揮するのに相応しい場はどこなのか、は、当たり前のように理解出来る。
力を失ったキュンティアでも無事にいられる場所で、けれど、時折キュンティオスの助けがいる場所。
それはどこなのか。
(地上だわ)
けれど、その地上でキュンティアが何をすれば良いのか、ということを考えれば、キュンティオスには正しく答えを導き出すことが出来ない。
(わたし達の力を、何かの役に立てたいけれど・・・今のわたし達が何をすべきなのかは、見えてこない)
そのもどかしさを、きっとキュンティアも抱いていたのだろう。
彼女もまたそれ以上の言葉を口にせず、キュンティオスが注いだ茶に口をつけ、「おいしい」と笑みを見せるだけだった。


地上に干渉をする、とマスタードラゴンが決心したのは、それからほどなくのことだった。
彼の干渉は、予言の巫女が行う未来返しよりもかなり性質が悪い。
本来、巫女が行う未来返しの術は、その技の行使後に更に予言の儀式を行うことで、いかほどの干渉が為されたのかを判断出来るものだ。残念ながら、既にキュンティアにはその力がないため、最後に彼女が行った未来返しの術によって、未来がどれほどの影響を受けたかはわからないが。
どちらにせよ、それらの影響はとてもわずかなもので、本来歴史を大きく揺るがすようなことはなかなかに難しいのだ。
それをやろうとして、キュンティアは能力を失った。
が、マスタードラゴンによる地上への干渉は「今現在」のものに直接行うものだ。
そして、それがどのような未来に結びつくのかは、彼ですら判断が出来ない。
昔、地獄の帝王を封印した時は、地上ではなくこの世界すべての問題だということが明確になったから、彼と天空人達は動き出したのだ。
それ以外で地上に対して干渉をすることは、まったく彼にとっては本意ではないのだ。
それでも、やらなければいけない、とマスタードラゴンは心を決めた。
「どちらにせよ、シレインは既に罪人」
キュンティアは悲しそうな表情でマスタードラゴンに告げた。
「うむ・・・地上人との間に子供をもうけることは・・・天空人にとってはタブー。それを知りながらシレインは身ごもった。本来ならば、即刻この城に連れ戻さなければいけないが」
「でも・・・それは、未来の勇者を産む、ということで、例外として許してあげることは出来ないのでしょうか」
キュンティオスは救済の意を口にし、二人を見た。しかし、それへキュンティアは首を横にふり
「それは、何の保障にもならないわ。勇者になる可能性がある子供を産むだけであって、本当にその子が勇者になれるかは」
「・・・では、その子も共に天空城に」
「地上人の血が混じった子供は、己の力で天にたどり着いて、初めてわたし達と同じ血統であることを認められる・・・それが、天空の慣わし。わたしは、必ずしも慣わしというものを重要視しなければいけないとは思ってはいないけれど、天空で育てても、勇者となるべき子供は勇者にならないでしょう」
キュンティアは静かに告げた。彼女が言う意味を、キュンティオスは理解している。
天空城で育てることで勇者にするとしたら、余程、能力のある天空人がいなければいけない。
天空城にいる人間の数は、地上の人間と比べものにならないほどに少ない。地上の一国の人口にも満たない彼らが、どれほどの力を持っているかといえば、それはかなり期待出来ない話だ。
では、マスタードラゴンが育てれば。
それは、難しい。
マスタードラゴンの力は、もともと「そういう生き物」であるから備わっている力であり、誰かを同じような立場に引き上げるほど指南すべきことなぞありようがない。
「けれど、地上でその子を勇者にすることが出来るでしょうか」
キュンティオスは不安そうな瞳をマスタードラゴンに向けた。
それへは、マスタードラゴンではなく、キュンティアが答えた。
「出来るかどうかじゃないわ。やるの。やらざるを得ないの」
キュンティアのその言葉を聞き、マスタードラゴンは深く頷いた。
それは「やはり、そうすべきと結論を出したか」という、お互いの意見の一致をも確認する頷きだ。
キュンティオスもまた、彼らの意見を薄々は気付いていた。
地上に生まれた、シレインの子供を、勇者として育てる。
それ以外に、今の彼らには何もつてはない。
けれど、それもまた、天空城にいる彼らにとっては使わない言葉ではあるが「雲を掴むような」話にも近い。
「では・・・地獄の帝王を封じている土地の封印を強化するというのは」
「あの封印は、日々弱まっていく、というような性質のものではない。むしろ、今わたしがエスタークに対してなんらかの力を行使するほうが、封印を破る原因になりかねない」
堂堂巡りの問答であることを、キュンティオスもまた知っていた。
それでも、ひとつでも何かを、と、考えついたことを次々に提示していくしか、彼女に出来ることはない。
せめてもう少し何かを、とまるでとり憑かれたように必死にあれこれ意見を出すキュンティオスは、この世界のことだけを思って言っているわけではなかった。
ただ、このままでは。
自分とキュンティアは引き離される運命なのではないか。
行き着いたその答えを回避したい。
その思いが強いから、まるでどうしようもない繰言のようにあれこれと口を出しているのだと、キュンティオス自身も知っている。
「しかし、出来る限り、天空から地上への干渉の回数は少なくしたい」
「マスタードラゴン」
「うむ。なんだ。キュンティア」
「あなたは、地上にて勇者なるものが育つために、何が不足しているとお思いですか」
キュンティアは穏やかな声音で問い掛けた。それへ対しては、然程悩む様子を見せずに、マスタードラゴンはするすると返事をする。まるで前もって答えを用意していたように、よどみない返答。どれほど彼がそのことを何度も繰り返し考えていたのかがわかるような、そんな言葉達だった。
「勇者という存在を受け入れる地盤は、あの村には既にある。しかし、受け入れることと育てられることは別だ。勇者の力を引き出す人物がいないことは確かに問題だが、あれほどの隔離された村ならば、その存在を気付かれることなく育てることは可能だろう。世界樹の側に移動させることも考えたが、ホビットやエルフ達の間では、戦の能力は育たない」
「けれど、勇者が生れ落ちた村でも、育てられる人材は少ないのでしょう」
キュンティオスの言葉に、マスタードラゴンは深く頷いた。
「うむ。だが、もっと問題なのは、預言に勇者のことを書かれているというのに、その存在意義を村人達が感じていないということだ。それでは、たとえ人材が揃おうが、誰も勇者という存在を育てることはないだろう。そして、本人の自覚を促すことも難しい」
一体地上の誰に「地獄の帝王が復活するから、倒すために勇者を育ててください」と言えば、それを真剣に受け止めてくれるというのだろうか。
彼らにとっては目に見えない、感じたこともない、未知の驚異。
それを伝えようとしても、きっとまるで夢物語の一種のように思われるだろうし、よしんば誰かに信じてもらえたとしても、勇者になり得る運命を持つ人物が自覚しなければ意味がない。
「わたしも、そう考えました。地上に足りないのは、驚異を感じる力、勇者を自分達で作り上げようという強い心。それは、あまりに致命的だとは思いませんか」
静かにそう告げたキュンティアを見つめながら、キュンティオスは軽く頭を横に振りながら、いささか投げやりに問い掛けた。
「確かにそうだけれど、人の心を動かすことは、あまりにも難しいわ。いくらマスタードラゴンでも、それは踏み入ることが出来ない領域でしょう。それに、我々がどれほど地上人に語りかけようと、きっと笑い話になるばかり。一体どうすれば、未来の勇者を正しく作り出すことが出来るのかしら」
「キュンティオスが申す通りだ。この天空城から、地上人の心を捻じ曲げることは出来ない。たとえ、催眠の術を用いて人々を勇者育成にあてたとしても、その術を継続させるには」
人の深層意識に働きかけ、一時的に深い催眠状態にすることはマスタードラゴンにも出来る。しかし、それを「立派な勇者が育つまで」として費やす年月維持することは、非常に難しい。
術が覚めて来れば、再び深層意識に働きかけなければいけない。
年月がかかればかかるほど、何度も何度もマスタードラゴンは催眠の術を用い、地上に干渉をし続けなければいけない。
それは避けなければいけないことだと、キュンティアもキュンティオスもよく知っていた。
「その役割は、わたしが担いましょう」
「何!?」
「キュンティア!?」
予想外のキュンティアの言葉に、マスタードラゴンもキュンティオスも同時に声をあげた。
先ほどまでの穏やかな声音とはうって変わって、キュンティアの声はいささか緊張を感じさせるように固い。
キュンティアは、もう一度同じことを繰り返した。
「人々が、勇者を育てるように鼓舞する役目を、わたしが担います。地上に降りて」
「しかし、それでは」
「わたしはもはや、力を持たぬ身。けれど、予言の巫女として多くの未来を見てきました。それはきっと、ここではもう役に立たないかもしれませんが、地上でシレインが産んだ赤子を守るためには、なにかの役に立ちましょう。」
「キュンティアよ。いかなお前が予言の巫女として生まれたとして、そこまでの重責を負うことはないのだぞ。それでも、やると申すのか」
「マスタードラゴン。わたしが見た未来は、本当におぞましいものでした。あまりのむごさに、それがどれほどのものかを口にすることすら憚られるような。この先自分が生きていく未来があのようになると思えば、地上に降りて一つのことを為そうと努力をすることぐらい、わけのないことです」
あの未来に生きることは、死ぬよりもつらい。
以前、キュンティアはキュンティオスだけにそっとその本音を漏らしたことがあった。
けれど、多分それすらもキュンティアの本意ではなかったのだろう、とキュンティオスは思う。
キュンティオスが尋ねても、キュンティアは自分が見てきた未来のことをあまり口にしない。「口に出すだけで、まるで呪われてしまう気がするから」とキュンティアは悲しげに言うが、それだけが理由ではないとキュンティオスは思う。
同じ日に生まれ、こんなに近くにいるのに、キュンティアは自分一人で何もかもを背負おうと思っていたのだろう。
(地上に行くと決めたのなら・・・きっと、キュンティアをもう、誰も止めることは出来ない。それならば、わたしは、この先の彼女の人生にいつでも力となることが出来る)
マスタードラゴンの物言いは、もう既にキュンティアの提案を受け入れる準備が出来ているものだ、とキュンティオスは気付いていた。
キュンティアに覚悟を問いただす問い。そして、即答するキュンティア。
いつもいつも、覚悟を決めるのは、その二人だけだった。
けれど。
ようやく、自分も彼女達と同じように、自らの運命を受け入れて、覚悟を決める日が来たのだろう・・・キュンティオスは、身震いをひとつして、静かに告げた。
「キュンティア。ならば、わたしが、あなたの力になることでしょう。わたしは、この天空城で、一分一秒でも長く眠りについて、いつでもあなたに力を貸せるように・・・勇者が育つ、その日まで、出来る限りの助けになりましょう」
「キュンティオス」
「あなたは、わたしを通してマスタードラゴンと意志の疎通をすることが出来る。そして、あなた一人では力が足りなくとも、私のこの少しばかりの魔力や何やらを、あなたが必要な時はあなたの力として使うことが出来る。そうすれば、マスタードラゴンは直接地上に干渉をすることもなく、誰に気付かれることもなく、勇者を育てられる。そして、あなたもただの一介のエルフとして、特別視されずに地上にいられるでしょう?」
「・・・わたし達が二人で生まれたのは、このためだったのかもしれないわね」
そう言ってキュンティオスを見たキュンティアの瞳にはじわりと涙が浮かび、その頬は紅潮していた。
きっと、知らぬ人々が見れば、何故そんなにも簡単に、己の定めを受け入れるのかといわれるだろうな・・・キュンティオスはそう感じていた。
答えは簡単だ。
先ほどキュンティア自身が言ったように、キュンティアが見た未来があまりに恐ろしく、生きていくことが死ぬよりも恐ろしく思えるようなものであり、そして、彼女がそれを口にしなくとも、キュンティオスにはその「恐ろしい、おぞましい」とキュンティアが感じた感覚がうっすらと伝わって来ているからだ。
そうであれば、それは、誰に伝えようとしても伝わらないことなのだろう、とキュンティオスは思う。
この先の人生のいくばくかを、「出来る限り眠り続ける」ことに費やすことは、ある意味では「生きていない」ことかもしれない。
それでも、それは、明るい未来に「生きる」ために、今必要なことなのだ。
そして、その未来はキュンティオスだけのものではない。ありとあらゆる、この世界に生きる者たちに共通の未来だ。
二人は、どちらからともなくお互いの手をとって、そうっと寄り添った。
自分の半身との別れが近づいているのだと思うと、そのぬくもりを少しでも近くで感じたい、と瞳を閉じる。
そうやって触れ合えば触れ合うほど、キュンティアの真剣さが伝わるし、キュンティオスの覚悟もキュンティアに伝わってゆく。
言葉よりも強くお互いの心積もりを確認した後、キュンティアは再びマスタードラゴンに向き直った。
「マスタードラゴン。人々をそれなりに動かして、勇者を育てるには、もう一つ足りないものがあります」
「わかっておる、キュンティアよ」
「こればかりは、わたしには、出来ないことです。マスタードラゴン。お願いしてもよろしいでしょうか」
「・・・うむ・・・」
「魔族の若者や、地獄の帝王がいつ頃に表立って動き、地上の人々がその存在を把握するのかは、今となっては具体的にはわたしに知ることは出来ません。が、きっと、それを人々が感じ始める頃は、既に遅いのではないかと思います。だから・・・」
マスタードラゴンは、喉を鳴らした。
「仕組めと、言うか」
「・・・はい」
「どれほどに、残酷なことを自分が言っているのか、わかっているか」
キュンティアは、マスタードラゴンの問い掛けを聞き、一瞬息を飲み込んだ。
静かなその室内で、窓から差し込む暖かな日差しを浴びながら。
その暖かさと裏腹に、キュンティアは唇を噛み締めて瞬きを忘れたようにマスタードラゴンを見る。
「誰も、どんな人に対しても、憎しみの感情を植え付けることは、許しがたいことです。けれど、それなくして、姿の見えぬ、架空の存在を倒すための勇者を、一体誰が育てられるのでしょうか」
「・・・けれど、憎しみの感情で力を手に入れる者は、破滅にも近づくわ」
「うむ・・・キュンティオスの言うとおりだ」
「もし、破滅に近づく日がきたら」
キュンティアは、そこで一度言葉を切って、二人を交互に見た。
それから、彼女にしては珍しく、強い口調で声を荒げた。
「それならば、わたしが、勇者たるものを、この手で屠りましょう。そこで未来は途絶えるかもしれないけれど、わたし達に残された手段は他に何もないのでしょう?わたしは、あんな恐ろしい世界になるくらいならば、いくら罪を負っても構わない。どれだけ人に謗られようと構わない!魔物達が地上を支配し、そして、空にいる我々は、何も出来ずにただ地上が荒廃してゆく様を見ているだけ。地獄の帝王ですら従える、何か忌まわしいものが現れ・・・マスタードラゴン。あなたは、ただ、己の無力さを痛感させられるためだけに生かされ、戦うことも、目を逸らすことも叶わない日々を送ることになるでしょう!人間を食らう魔物は、肉が柔らかい赤子を産ませるために、地上の女性達を監禁をする。人々は魔物から逃げるために、自分以外の人間を盾にしようとする。人々に残るのは、醜い感情だけ。そこには何の愛情もありやしない!それだけならまだしも・・・」
「キュンティア!」
まるで堰を切ったように、言葉を止めることが出来なくなったキュンティアに、マスタードラゴンが声を上げる。
その声にびくっと身を竦ませ、ようやくキュンティアは自分が何を口走ったのかに気付き、瞳を大きく見開いて、胸元で強く己の手を握り締めた。
「・・・あ・・・あ・・・わたし・・・」
「そうではない。言うな、とか、黙れ、とか、そう言うことではない・・・いくらでも、言うが良い。しかし」
言葉を濁すマスタードラゴンの様子を見て、キュンティアはようやく彼が言いたいことに気付いた。
「あっ・・・・あ・・・ご、めんなさい、キュンティオス・・・」
キュンティアの隣にいたキュンティオスは、彼女が激して叫んでいる間に、がくりとその場に膝を折って、己の身を抱いた状態で震え始めた。
「二人の感応力は大きくなっている。何をキュンティオスが感じ取っているかはわからぬが、その勢いで全て吐き出すのは控えたほうが良い。エスタークが現れた時の予言の巫女は、心が壊れてしまった。それほどに、おぞましい未来を見たのだろうな。お前が見た未来がそれ以上のものかどうかはわからぬ。しかし、お前が耐えられたからといってキュンティオスが耐えられるとは限らない」
キュンティアは慌てて腰を落とし、しゃがみこんでいるキュンティオスの体を優しく抱き寄せた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、キュンティオス」
「いいえ・・・いいえ、いいの・・・大丈夫」
「ごめんなさい・・・」
「わたし・・・いつも・・・あなたに気を使わせて・・・」
キュンティオスは、青ざめた顔をキュンティアに向け、無理に笑みを作った。
「わたし、もっと強くなる。もっと強くなるから、大丈夫。わたしが・・・あなたの力になれるように・・・もっと強くなる」
その言葉を聞き、キュンティアはたまらず、座り込んだままでキュンティオスの体を強く抱いた。

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