懺悔-4-

マスタードラゴンは、決して自分から、キュンティアにあれをしろ、これをしろとは言わなかった。
天から全てを見る役目でありながら、彼はキュンティアが見た未来を知ることが出来ない。よって、既に彼は、キュンティアに何一つ命じることなぞ出来るはずもないのだ。
予言の巫女は、その予言の儀式を行った時、ある意味ですべての存在を越えてしまう。その重き宿命に立ち向かうことが出来ないものもいる。
しかし、キュンティアは違った。
彼女は生まれもっての強い精神力で、己がなすべきことをなすために、いつでも自分を律し続けていた。
そして、彼女は誰に問われなくとも、本当は既に実行すべきことを決めていたのだ。

地上に足りないのは、驚異を感じる力、勇者を自分達で作り上げようという強い心。それは、あまりに致命的だとは思いませんか

そのキュンティアの言葉は、やたらとキュンティオスには嫌な響きで聞こえた。
何か。
何か、恐ろしいことを、キュンティアは考えている。
そう思うのは、双子である故なのか、生れ落ちた時から寄り添って生きてきたからなのか。
それは、わからない。
ただ、キュンティオスの胸騒ぎはどんどん大きくなってゆく。
キュンティアを助けたい。自分は、そのために強くなりたい。
けれど、それと、キュンティアに何かしらの罪を負わせることは別なのだ、とキュンティオスは感じた。
(罪?今、わたしは、わたしが恐れているものが何なのか、嫌なことを感じた。何故、キュンティアが。世界を救おうとしている彼女が、何らかの罪を犯すと思ったの?)
駄目、キュンティア。
本能で口からその言葉が飛び出しそうになるのを、キュンティオスは飲み込んだ。
その時だった。
「マスタードラゴン。地上の人間の命を奪うことは、あなたには出来るのでしょうか」
キュンティアは突然そんなことを言い出した。
先ほどからのめまぐるしい展開にいささか疲れてきたキュンティオスでも、その言葉が恐ろしい何かを揶揄していることくらいは感じ取れる。
「キュンティア、それは、誰かを殺すということなの?」
声高にキュンティオスがそう言っても、キュンティアは返事をしない。
まるでその代わりのように、マスタードラゴンはゆっくりと、重々しく口を開く。
「わたしが、悪者になれば良いのか」
「勇者に、倒して欲しいと、みなが心から思えるような。憎しみの対象が必要です。それは、人の手が届かぬ場所にいて、そして、地上の人間が恐れをなすほどの、屈服させるほどの圧倒的な力を持つ者でなければ」
「キュンティア、憎しみでは」
堂堂巡りの話になると知りながらも、キュンティオスはそういわずにはいられなかった。
先ほど激したキュンティアの思いを、高まっている感応力で受け止めてしまったキュンティオスであったが、それでもまだ尚、彼女はキュンティアがやろうとしていることに同意が出来なかった。
「憎しみによって力を手に入れた勇者は、その力ゆえに地上をも滅ぼす行為に走りかねません。むしろ、それが出来るほどの力がなければ、未来の驚異を倒すことが出来ないのでしょう?ならば、余計にそれは恐ろしい結末を招く賭けになる」
「勇者は、憎しみを得なくても良いでしょう。勇者を育てる役割を担う人々が、お互いを鼓舞することが第一です。いつか勇者が真実を知ってマスタードラゴンを憎むとしたら・・・それは、勇者がこの天空に来る手がかりを探すきっかけになるかもしれない」
キュンティアは冷たい声音でそう言い切った。
それを聞いては、キュンティオスも悲しげな表情で肩を落としながら呟く。
「・・・天空の血を引く者が、天に戻るために身に纏うという天空の装備を・・・それを纏う資格がある者は限られている。そして、いつも時代も、数々の試練を乗り越えずには、その者の手に渡らないという、不思議な言い伝えがあるという」
「そう。天空の装備を手に入れるということは、自ずと試練を乗り越えて心も体も強くなるということ。それすら出来ずして、勇者と呼ばれる存在になれるとは思わない」
マスタードラゴンは、同意をしなかった。しかし、反対もしない。
なんとなれば、彼は既に心を決めており、双子の問答やなにやらをそれ以上聞こうとは思っていなかったからだ。
マスタードラゴンは尻尾を動かし、体勢を変えた。それに双子ははっと気付き、唇を引き結ぶ。
何か、決定的なことを、目の前の偉大なる竜が言うのだということを、彼女達は知っていた。
「キュンティアよ。この世界で、今、お前だけが権利を持っている」
「はい」
「わたしに、命令をするが良い」
その言葉を聞いて、キュンティアは息を吸い込んで、止めた。
キュンティアの緊張感を肌で感じながら、キュンティオスは心の内で何度も何度も、「何を言われても、落ち着くの。もう、何が起きようと、心を乱されないように」と繰り返し自らに言い聞かせていた。
「マスタードラゴン」
「うむ」
「勇者の父親。シレインの夫を、裁きの名目で」
キュンティアはそこで言葉をつまらせた。
それから、目を強く閉じ、眉根を寄せ、苦悶の表情でその続きを吐き出す。
「残酷な方法で、けれども、苦しませずに、殺してください」
キュンティオスは胸元で、両手をぎゅっと握り締めた。
自らの半身と信じていたキュンティアが、この世界にいる誰かを「殺せ」と言っている。その事実はキュンティオスの心を痛めた。そして、きっとキュンティアにとっても苦しい決断だったのだと思えば、それもまたあまりに悲しく思え、キュンティオスはまるで天を仰ぐかのようにあごをあげ、瞳を閉じた。
「わたしが見た未来では、あの男性は、ほどなくして恐ろしい流行り病にかかり、苦しみ、のた打ち回り、最後には村から隔離されて死ぬことになっています。その苦しみから、あの人を救ってあげてください。そして」
「うむ」
「勇者を育てる人々に憎まれて、そして、いつしか、勇者に憎まれて下さい。もう、そこまで仕組むしか、我々に出来ることなぞ、何も残っていないのです」
それは。
この世界に君臨するほどの力を持つ彼らが、今はどれほどに無力なのかを知らしめる、哀しみの宣告だった。


そこまでキュンティオスの語りを聞いていたマリアは、怒りを自分の中で抑えようとしたが、ついに体を震わせた。
今、キュンティオスと共に座っている場所は、シンシアと共に横たわっていた、幸せな時間が過ぎていた花畑。
そこで、なんという残酷な告白を聞かなければいけなかったのか。
「いずれは死ぬ人間だから、殺してもいいと思ったっていうこと?」
それへ、キュンティオスは反論をしない。
「むしろ、一思いに殺してあげた方がよいだろうっていう、神様の慈悲とやら?」
「マリア」
「わかってる。あなた達の計画は、世界を救うためだったのだろうし、実際、よく効いていたんだって、今ならわかるわ」
思い返すのは、村でみんなが口々にマリアに言っていた、「勇者」に向けた言葉。
いずれ、世界を滅ぼす驚異となるものと戦うだろう、と皆は言っていたけれど、そのどこかに何か「それを知っている」気配があったことは、今のマリアならば理解できる。
その当時の自分はあまりに幼く、みなの言葉の背後に潜む、過去の悲しい出来事を嗅ぎつけることすら出来なかった。
ただ、みんなは大人だから。だから、マリアが勇者として修行をしなければいけない理由を知っているのだろうし、だから、自分はそうしなければいけないのだろう。最初は、その程度の認識しかマリアにはなかった。
けれど、幼い子供が、己の意に添わぬほどの修行を課されれば、時に反抗をしたくなるものだ。
勇者になんかなりたくない。
みんなが強くなればいいじゃない。
ちょっとぐらいさぼってもいいでしょ。
そのマリアの言葉で、誰かは悲しそうな顔をみせ、誰かは強く叱咤をして、そしてまた、誰かは「いずれ判る日が来るだろう」と言い、見たことがないはずの未来の驚異を、まるで具体的に知っているかのように反応していた。
今ならば理解できる。それは、彼らは既に知っていたからだ。
少なくともこの世界には、自分達が太刀打ちすることが出来ない、人を無条件でねじ伏せる存在がいるということ。そして、それは、彼らと無関係ではないということ。
村にあったという予言のすべてをマリアは知っているわけではない。ただ、「世界を救いし勇者」と記されていたということだけは、長老から聞いたことがある。そして、どんな存在が世界を脅かすのかは、まったく触れていなかったのだとも。
けれど、たとえ、マリアの実父の命を奪った存在が「それ」だろうが「それ」でなかろうが。
世界を脅かすものが「それ」だとしたら。
勇者としてマリアが倒す相手が「それ」ならば、彼らは「それ」を倒す力を持つ勇者を育てなければいけない。
また、「それ」ではないとしたら、「それ」の力を上回る巨大な存在が他に生まれ、世界をおかしくするのだろう。
ならば、尚のこと「それ」くらいは倒せなければ、世界を救うことなぞ出来ないだろう、と人々は判断する。
そう思い描くサンプルがあってこそ、人々は強い信念で勇者を育てることが出来たのではないか。
曖昧な預言一つを信じるだけで、村人全員が17年もの歳月を費やして勇者なるものを育てられるとは思えない。
もしも、本当に「預言を信じた」だけでそんな行為が出来るとしたら、あの村人達は全員狂っていると言ってもいいようにすら思える。
マリアは、キュンティオスをまっすぐ見つめた。
その強い視線を受けながら、キュンティオスは決して目を逸らさない。
ざざ、と風が吹き、木々を揺らし、再生された草花を揺らす。
「そして、シンシアは、わたしを監視して、勇者にするために、ここに来たのね」
「多少の語弊はあるけど、そうね。そして、予言の巫女がいなくなることは、天空では大きな出来事として皆が動揺をする。また、キュンティアに力を貸すために、わたしはこの村に流れる時間と逆に・・・夜は目覚め、昼は起きなければいけず、それを日々繰り返す必要があった。わたしは予言の巫女ではないのだから、もしキュンティアが天空城からいなくなったならば、普通の生活に戻るはずだった。けれど、キュンティアに力を貸すためにはそれは本来出来ないこと。そのすべてのことを、天空人達に疑いをもたれずにどうにかするには・・・一芝居うつ必要があった。天空では、わたしは病に倒れたことになり・・・キュンティアは我慢が出来ず、予言の巫女でありながら世界樹の葉を取りに、地上へ降り・・・そこで・・・」
「そこで、不慮の事故だかなんだかで死んだことにしたのね。無理なく天空城から彼女を出すために」
「ええ。双子であるわたしの死を哀しんで、彼女が地上に降りたいと訴えれば、それは誰もが不思議に思わないだろうし。そして、キュンティアはあなたのもとに。わたしは、マスタードラゴンの庇護の下、天空城の別空間で生活をすることになり・・・それは、本当に、本当に不思議な生活で・・・」
そう言って、キュンティオスは空を見上げた。
「人は、眠ることで疲れを癒すでしょう?でも、わたしは、眠っている間、キュンティアの意識と重なって、体は動かしていないのに疲れがどんどん積み重なっていく。目覚めると、そこから体を動かさなければいけないのに、不思議なその疲労感が強く、何も出来ない。起きていても、生きるために何か食べ物を摂取し、排泄をし、眠るためだけに機械的に体を動かす。ただそれだけの日々。時にはキュンティアはわたしの力を必要としない日もあり、その時だけは睡眠でゆっくり疲れを癒せるの。だけど、わたしはわたしで、出来得る限りはキュンティアと同調をして・・・勇者として育つあなたのことを、マスタードラゴンに報告しなければいけなかったので、キュンティアが拒まない限りは、眠りについて、同調していたわ。だから、わたしは、とてもあなたが・・・初めてあった人には、思えないの」
マリアに視線を再び戻したキュンティオスの眼差しは、とても優しいものだった。そのことにマリアも気づかないわけがない。
けれど、まだ今は、あまりに突然の告白に、マリアは戸惑うだけだ。
「でも、あなたはシンシアじゃあないのよね」
「ええ。そうね。だけど、キュンティアの目を借りてあなたを見て、キュンティアの耳を借りてあなたの声を聞いて、そして、キュンティアがあなたに話す声も聞いていた。この17年の間、キュンティオスという人物は、マスタードラゴン以外と言葉を交わすこともなく、また、あなたがキュンティアに問い掛ける何に対しても、わたしは自分の意志では答えることも出来ず・・・この世にいる者でありながら、まるでいない者として生きてきたわ」
そのキュンティオスが告げた無慈悲な現実に、マリアは言葉を失った。そんなマリアの様子を見て、キュンティオスは儚げに微笑み、「話が逸れたわね」と呟いた。
それからキュンティオスは、キュンティアが地上に降りる際に、この村のいた人々に対して軽い催眠操作を行ったこと。それから、せめてものマリアへの償いとして、木こりの男性をこの山に留めるように、出来得る限りの努力をしたということを話した。
もしも、勇者としてマリアが立派に成長をして、事を成し遂げてきた時。
それは、彼らが期待しているように、天空の装備を身に纏い、天に昇ることが出来たということになるだろう。
いつの日にか、マリアは出生の秘密を知る。
それを知り、何をどう決断するかはわからないけれど、マリアはいつしか天界と地上のどちらに生きるのかを選ぶのだろうと、彼らは考えていた。
天界を選べば、罪故に名乗りをあげられぬ、実母がいる場所へ。
地上を選べば、何も共通の過去もないけれど、祖父がいる場所へ。
そんなわずかな受け口を残すことしか、彼らには何一つ、マリアに対しての償いは出来なかったのだろう。
(そんなのは、一人よがりのことで、自分達がそうすることで救われたいってだけのことだわ)
マリアの怒りは未だに持続しており、いつ声をあげ、キュンティオスを糾弾してもおかしくないように、体の内側にはぐらぐらとその感情が煮えたぎっていた。
それでも未だに自制が出来ているのは、キュンティオスにはまだまだ語るべきことがあるように見えるからだ。
「そして、勇者であるわたしを守るために、シンシアはモシャスを覚えたのね」
「マリア。キュンティアは決して、あなたにそれを知られたいとは思っていなかっただろうけれど」
キュンティオスはそう言ってから、軽く唇を噛み締めた。
「それでもわたしは、あなたに言うわ。わたしはキュンティアを愛していたし、彼女が全ての罪を背負って死んでいったと思いたくないから。わたしが告げることが、あなたにとって酷なことであり、キュンティアの本意ではなくとも、わたしはようやくわたし一人の意志で、あなたと話が出来るから」
言葉もなく、マリアはキュンティオスを見た。
そうか。
もしかすると、この第三の人物は、シンシアと自分が交わす会話を聞きながら、本当は何かをいつも言いたかったのかもしれない。
話を聞く限りでは、目の前にいる、シンシアに瓜二つのこのエルフはかなりの平和主義者のようだ。
その中途な運命によって、キュンティアと呼ばれていたシンシアほど世界を救うための強い覚悟を得ることも出来ず、世界を救うために見ず知らずの人間を傷つけることを決して選べる人物ではないのだろう。
きっと、この目の前のエルフは優しすぎて、そして、それゆえに肝心の時には役に立たないのだ。そう思えば、それまでシンシアと瓜二つに見えた彼女の輪郭がぼやけ、一瞬、彼女の姿がロザリーと重なって見える。
この、キュンティオスとロザリーは似ている、とマリアは思った。
守りたい相手は、自分よりも力を持つ者で。
そして、それゆえに彼女達の意志を置いて、なすべきことのためにひたすら進んで行ってしまう。
それでもマリアは、このキュンティオスというエルフのことは、悪く思うことが出来なかった。
彼女は彼女なりに、この17年間戦い続けてきたのだということが、語られる言葉の断片から強く伝わってくるからだ。
「長かったのね。あなたの苦しみは」
ぽつりとマリアはキュンティオスに言う。
それをどう思ったか、キュンティオスは首を横に振った。
「キュンティアを通して、この村の人たちとわたしは過ごしていたわ。眠りの中で。起きている時間は苦痛だったけれど、眠りの間はあっという間だった。この村の人たちはみんな優しくて」
歌うようにキュンティオスは言い、そして。
「来るべき日が来ることを、忘れたかったわ。キュンティアも、わたしも。いつだって、騙していることに苦悩しながら、それでも、温かい人たちに囲まれながら、この時間がずっとずっと続けばいいと思っていた」
「・・・キュンティオス」
「ええ」
「あの日、わたしに、シンシアが言ったのは、心からの言葉?」
「何のことかしら」
「今、あなたも、言ったわ」
静かな瞳で、マリアはキュンティオスを見つめた。
そのまっすぐな視線を受け止め、キュンティオスは悲しそうな笑みをたたえると、そっと瞳を伏せる。
わずかな間。
その沈黙の最中に、小鳥のさえずりが二人に耳に届く。
先ほどまで、物の生命を感じることが出来なかったこの村を思えば、その当たり前の「山の音」があまりに不釣合いにすら思えてしまう。たとえ、昔はあちこちに溢れていた音だったとしても。
と、ようやく次に彼女の口から出た言葉は、マリアが欲しかった答えではなかった。
「この村がデスピサロに襲われた日」
思いがけぬキュンティオスの言葉に、マリアは体をこわばらせる。
確かに、マリアが言った「あの日」とは、そういう意味だ。けれど、それを他の人間から復唱されることが、こんなに動揺することだなんて。
こわばったマリアの表情を見て、キュンティオスは首を軽く動かし、ひとつの廃墟に視線を定めた。
マリアは知っている。
今、キュンティオスが見ている廃墟は、この村の長老が住んでいた家屋の残骸だ。
マリアに魔法を教えようとして、けれど、なかなか魔法を使いこなせないことにやきもきしていた、村一番の知識人。
うるさい小言もたまには言っていたけれど、基本的には放任主義で、マリアのすることなすことを大目に見てしまっていた、心優しい老人だった。
その人がいた廃墟を、キュンティオスはまっすぐ見ている。
「その日が、この村の預言の書ではなんと書いてあったのか、あなたは知らなかったわね」
「・・・知らない。預言のこと、わたし、ほとんど知らないの。ただ、まるで言い伝えみたいに・・・みんな、わたしが勇者なんだって、そればかり言っていただけで」
「そうね。あの預言には、あなたの出生の秘密までもが入っていたから、誰もがあなたには教えなかったはず。わたしが、教えてあげるわ」
キュンティオスは、マリアに向き直った。
「翼ある者が残す、生きる地を持たぬ者」
澄んだ声で、キュンティオスは言葉を紡ぎ出す。
まさに、自分の出生の秘密から始まるその預言の言葉に、マリアは息を吸い込んで、そのまま止める。
「この地を殻としてその力熟す時、大いなる加護を受けた剣を持ちて、世界を救いし勇者となる」
「その力、熟す時?」
マリアは怪訝そうな表情で、キュンティオスの言葉を繰り返した。その、彼女の疑問が何なのかを問うこともなく、キュンティオスはそのまま預言の言葉を続ける。
「守りたまえ、守りたまえ、守りたまえ。その者に、すべての力を与えたまえ。愛をもってして」
「・・・」
キュンティオスは唇を引き結び、マリアを見据えた。
「これが、この村にあった預言の書の、最後の節。あなたのことよ。マリア」
「・・・キュンティオス。その預言は」
マリアは、自分が発した声が震えていることに気付いて、驚いたように胸元で手を握り締めた。
そっと右手で喉を抑え、続きの言葉を慎重に――震えないように――口にする。
「その預言は、当たっていない。そうでしょう?だって、わたしは、この村を出る時には」
キュンティオスからの応えはない。
それは、マリアが言っていることが間違っていないということだ。

だって、わたしがこの村を出たときには。
何一つ、勇者としての力は熟していなかった。
この地を殻として?
それは、村を出た後にも続いた、わたしの成長か何かを指しているの?

喉が渇いた、とマリアは思う。
ひそめられた眉根は、どれほど自分を落ち着けようと念じても、眉間に深く皺を刻み込んでいく。

生きる地を持たぬ者とは。
どうして?わたしは、ここに戻ってきたわ。
おじいさん――木こりのおじさんだっているこの山に。
ここは、わたしが今から生きる場所ではないの?

「あなたが言うとおり、この預言は当たらなかった」
ようやくキュンティオスは、マリアの言葉に返事をした。
「あなたが解釈したとおり、この預言では、あなたはこの村で人々に勇者として育てられて。そして、勇者としての力が熟した時に、この村を出て行く。それまでは、この村という名の殻の中で、人々からの愛情によって守られて生きるはずだった」

けれども現実では。
マリアはこの村を出る時は、まったく勇者らしい力ももっておらず、決して「熟して」はいなかった。
それは、彼女自身が痛いほど知っている事実だ。

「あの日、キュンティアは選択を迫られたの」
「・・・どんな?」
「村のこの預言を信じるか、それとも、信じないか」
「信じたら・・・どうだっていうの」
「あなたがこの村を出るのは、勇者としての力が熟す時。もし、この村を魔物達が滅ぼして、あなたがこの村から出て行くとなれば・・・あの悲劇の日、もしかしたら、あなたが勇者として覚醒するのではないかと・・・その一縷の望みをかけようと。あなたの秘めた力を信じて、あなたをあのまま魔物達に立ち向かわせようと」
「!」
「けれど、もしも預言が当たらなければ・・・勇者としての覚醒を未だしていないあなたの未来の可能性にかけて・・・守り通さなければいけないと」

キュンティアは、予言の巫女の力を失いながらも、あの悲劇が起こる数日前に、何かの前触れを感じ取っていた。
朝早く、そっと村を抜け出して、木こりの家に訪れた。
墓参りのたびにいつも摘んでいる花は、この時期咲いていない。
天空城に咲き乱れている可憐な白い花。
エルフ達はその花がみな好きだった。そして、キュンティアもまた。
地上に降りるときに、キュンティアはマスタードラゴンにひとつだけ願い事をした。
この花を、あの山で咲かせたい。
マスタードラゴンの応えは簡単で、「天空城の空気で浄化された土をいくばくか持っていくが良い。それがほんのわずかにでも種に触れていればそれは芽吹くことを許され、そして、その後にその地に根付くことが出来るだろう」と。
布袋いっぱいの土と、一握りの種。
キュンティアは、「好きな花だから」「天空城が偲ばれるから」という理由で、花の種を持っていったのではない。

「この花は、天空人であるシレインも、好きだったと聞いたから」

自分の一言で、あの若い夫婦は生死をわかつてしまった。
たとえ運命を変えずにあのまま放っておいたとしても、シレインは裁かれて天空城へ連れ戻されたのだろうし、木こりの若者も流行病で苦しんで一人で死んでいたはずだ。
それでも、そのことは言い訳にならないのだとキュンティアは知っている。
自分が最後に見た未来は、「未来返しの術」を行う前のものだ。
もしかしたら、キュンティアが最後に行った術の影響を受けて、あの若者が一命を取り留める可能性だってある。
その僅かな希望を完全に消し去ったのは、自分だ。
キュンティアは、シレインが好きだという白い花を、何の償いにもならないけれどあの木こりの若者の墓に供え続けた。
そうしなければ、あまりにも幸せな地上の生活に、自分の罪と自分の役目を時折見失ってしまうから。
優しい村人達は、彼女が地上に降りたときに施した軽い術によって、彼女の生まれやその他をまったく聞かない。
ただ、同じ村に住む者として、誰も彼もが優しく彼女を尊重し、そしてまた、彼女も彼らを尊重してお互いの生活が成り立っていた。
天空城ではありえないほど、キュンティアはありきたりで当たり前な、毎日を感謝しながら過ごす、平穏な日々を送っていた。
気づけば彼女は、「勇者として育て上げなければいけない」対象であるマリアを深く愛していたし、その愛情故にマリアの未来を憂え、苦しみもした。
いつか自分が、マリアに対して手厳しい裏切りとも思える行為をするかもしれない。そんな危惧を日々抱きつつも、抗えないほどに幸せな毎日だった。
けれども。
(何かが、来る)
その不思議な感触に、キュンティアは身を震わせた。
ふと思い起こされたのは、未来を垣間見ていた時に、キュンティアの存在を嗅ぎ付けた魔族の若者のことだ。
何が起こるのか具体的に見ることは出来ないけれど、何かが来る。そして、何かを壊していってしまう。
(壊されるのは、「何か」ではないわ。全て、だわ)
自分が見た未来で、既に殺されてしまっていた勇者。
「その時」が近づいているのだと、キュンティアは推測した。
未来を見ることが出来ないもどかしさを感じつつ、キュンティアは木こりの若者の墓に花をそっと置いた。
これが、最後になるのかもしれない。
その不思議な予感を前に、キュンティアはとても静かな気持ちになっていた。
予言者というものは、自らの生命に関する予言は、出来ないもの、あるいは、見てはいけないものと言われている。
キュンティアもまた、それを知りたいとは思っていなかった。しかし、思っていなくとも感じてしまった「何か」から、目をそらすことは出来ない。
マリアの祖父である、木こりに会うことは出来なかった。
会えば、泣いてしまいそうだったから。
朝日がもうすぐ昇るという時間。地表の端から差し込む明るさはじわじわと空を侵食し、、一日の幕開けを迎えようとしている。
そんな今よりたった少し遅いだけで、木こりが目覚める時刻が来るし、今日は村を勝手に出てきてしまったからすぐに戻らなければいけない。墓の前に膝をついてからそっと花を置き、キュンティアは呟いた。
「わたしは、あなたという命を守ることは出来なかったけれど」
マリアを、守る。
そして。
あなたの父親のもとへ、あるいは、あなたの妻のもとへ。
どちらかはわからないけれど、いつしかあの子が真実を知って、あるべき場所に戻ることを祈っている。
声に出さない思いは深く、一瞬キュンティアは物思いに入りそうになった。しかし、その時、彼女の背後で犬の鳴き声が聞こえた。
木こりが飼っていた犬は、キュンティアのことを知っている。普段不審者が来た時にしか吠えないのに、今日はじゃれつくように明るい声を一声あげて近づいてくる。
(あの人が、起きてしまう)
キュンティアは慌ててその場を離れようと、足早に山奥へと戻って行った。
背後で犬の声がまだ続いていたけれど、彼女が決して振り向くことはなかった。

「あの花は・・・シンシアがただ単に、好きだったのかと・・・」
「キュンティアは、あの花が確かに好きだったわ。でも、地上に着てから、彼女にとってあの花がもつ意味は変わってしまった」
マリアは、花の香りに包まれたシンシアの姿を思い出した。
村の花畑のどんな花とも違う香り。
優しくて、あまり甘ったるくないけれど、女性らしい可憐な香り。
どうやって花の香りを見に纏っていたのかは、結局マリアはシンシアに教えてもらうことは出来なかった。
いつか、一緒に花を摘みに行ったらその時に。
そうシンシアは言っていた。けれど、その日がこないことを、彼女は本当は知っていたのではないか。
もしも、その「いつか」が来たとしたら。
マリアがその白い花の香りを身に纏うことは、シンシアにとっては本当は辛いことだったのではないか。
「天空の香りであり、シレインという天空人が好んだ香りであり。そして、キュンティア自身が犯した、あなたの父親を殺すという大罪を悔やむ墓参りの香りであり。それを身につけることで、いつでも彼女は自分を律する糧にしようとしていた。そうでなければ、何もかもなかったことにして、一介のエルフとして生きていきたくなる・・・それほどに、この村は居心地がよすぎたから」
「でも」
マリアは掠れた声でキュンティオスの言葉を遮ろうとした。
「でも、その村人達を見捨てたのは、誰なの!?シンシアは、全部わかっていて、みんなを・・・わたし以外の誰もを、見捨てたの?」
キュンティオスはそれへの返事をしなかった。
再び訪れる、気まずい沈黙。
それを、残酷な言葉によって打ち破ったのは、もちろんキュンティオスだ。
「キュンティアはどこかで、あなたに期待をしていた。この村を襲う何かが来た時に、あなたが突如勇者としての能力に目覚め、勇者としてその力を熟し、天災とも呼ばれるその禍からこの村を守ってくれるのではないかと」
マリアは目を見開いた。
それは、先ほど聞いた「キュンティアが迫られた選択」の片方と意味が同じなのだろう、と感じる。
遠回しにキュンティオスは自分を糾弾しているのではないのか、とマリアは思い、拳を握り締めた。
と、その時、今まで気付かなかったけれど、不思議な汗が額に吹き出ていることにようやく気付く。
キュンティオスから何を聞いても、何の答えも、マリアにとっては心の痛みや苦しみを伴う。まるでそれに体が抵抗するかのように、これ以上は聞いてはいけない、といいたげに、心よりも体が先に反応しているようにすら思える。
それでも、ここで引くわけにはいかないのだ、とマリアは唇を噛み締めた。
まるでその覚悟を見透かしたかのように、キュンティオスは告げた。
「そして、あの運命の、悲劇の日がこの村に訪れたの」



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