懺悔-6-

言葉もなく、マリアはキュンティオスを見つめていた。
自分が知らない場所で動いていた物語を即座に理解をすることは、いくら普段察しが良いマリアでも難しかったのだろう。
しばらくの間、一気に語られた内容を何度も何度も頭の中で反芻する。
自分が体験したあの日の悲劇を、違う形で体験してしまったキュンティオスから語られる、マリアの知らない物語。
どうにか心を鎮めて聞くことは出来たけれど、それに対して言葉を出すことはマリアには容易ではない。
言いたいこと聞きたいことはたくさんあるのかもしれないが、それがうまく口に出せない。
そのもどかしさを感じながら、ようやくマリアはキュンティオスに聞いた。
「あなたの力で、シンシアはモシャスを唱えたのね」
「そうよ」
キュンティオスは迷いもない即答をマリアに返す。そのあまりのあっけない言葉にマリアは苛立って、ついにキュンティオスを責める言葉を口にした。
「どうして・・・止めなかったの・・・どうして!」
「止めてどうなるの。止めたら、あなたが、キュンティアを守ってくれたの?」
そのキュンティオスの言葉に、マリアはびくりと体を震わせる。
わかっている。
出来るはずがない。
それはわかっていたけれど。
「じゃあ、どうして・・・!」
「もう、知っているでしょう。あなたの質問や願いは、そのままあなた自身に還って、あなたを痛めつけるだけだと」
「わかってる!」
キュンティオスの言葉に、マリアは激しく答えた。
「でも、でも、もしかしたらっ・・・そりゃあ、万が一にもないってわたし、知ってる。知ってるわ、自分のことだもの。わたしがあの日、あの時、みんなを守るために動けば・・・もしかして、村の、預言、は」
それは、ありえないことだとわかっていながら、マリアはどうにか言葉を紡ぎ出そうとした。けれど、言葉は切れ切れに途絶え、彼女自身がその言葉をまったく受け入れていないことを如実に現してしまう。
もしかして、村の預言はあたったかもしれない。
あの日、自分は勇者として覚醒したかもしれない。
守られる側ではなく、守る側として。
でも。
「そうね。万にひとつ、いいえ、それ以上に低い確率で預言は当たったかもしれない。そんなこと、わたしにだって、マスタードラゴンにだって、キュンティアにだってわかっていた。だから、あの日、キュンティアはその選択をしなければいけなかったの」
「・・・選択」
そうだ、選択。
マリアはそのことを思い出した。
重要な選択を、あの日シンシアはしたのだとキュンティオスは言う。
その選択肢の片方はマリアにだって既によくわかっている。
マリアを守るため、モシャスの呪文を唱えて、自ら犠牲になるという選択肢。
そして、もうひとつは。

ねえ、キュンティオス。この村の預言は、当たると思う?

自分が聞いたはずがないシンシアのその言葉を、思い出の中のシンシアが何故か発している。
その声が、脳の中で響き渡る。
いつも優しかったシンシアの声が、まるでマリアを責めたてるように。

「わたしが・・・覚醒すると・・・信じてもらえなかったっていうことね・・・」
そう呟いたマリアの声に、力はなかった。
言うことが苦痛で、けれども、思い当たったその答えを胸のうちに留めておくことも出来なくて。
「そうね」
キュンティオスは静かに同意をした。
「あなたの村の預言は、それまでほとんど当たっていたんですって。だから、キュンティアも期待を多少はしていたんでしょうね。それまでのあなたの能力を越えるほどに、あなたが何かしらの覚醒をしないかと」
「でも、わたしは・・・ただ動かない体で、みんなが戦う音をあの地下室で聞いていただけだった」
「予言の巫女からの指示がない状態で、マスタードラゴンが自分の意志で干渉をすることは、あまりに危険なほどぎりぎりの状態だったわ。それでも、マスタードラゴンは出来る限りデスピサロに嗅ぎつけられないように、あなたに、あの惨劇の音を聞かせていたわ。それ以上に干渉をすれば、あの地下室にいるあなたの存在を知られてしまう危険性があったから、それだってかなりの賭けだったんでしょうね」
「あれは・・・マスタードラゴンが聞かせてたの・・・?それ以降にも、何度か、聞こえないはずのものが聞こえたけど・・・」
「それは、あなたの力よ。あなたには、本来はそれほどの能力があったんでしょうね。でも、少なくともマスタードラゴンが手を出したのは、あの日っきり。だけど、あの惨劇の音を聞いても、あなたは覚醒しなかった。もちろん、預言を頑なに信じていれば・・・あなたを魔物に向かわせることだって、本当は出来たんでしょうね」
穏やかな風に吹かれ顔にかかる髪を、キュンティオスはそっと指先で払う。そして、数秒の間を置いて、マリアに言い放った。
「でも、彼女はあの魔物達の群れにあなたを差し出すことが、どうしても出来なかった」
キュンティオスはそのまま口を閉ざし、辺りの景色をぐるりと眺めた。
その言葉をどう思ったか、マリアは瞬きを忘れたようにその場で微動だにしない。
何故、シンシアは預言を信じず、自らが犠牲になることを選んだのか。
それは。
「わたしの、弱さだ」
ぽつりとマリアは呟き、右手で顔を覆った。
顔を覆いながらもその指と指の間から、瞬き一つせずに見開かれている瞳が見える。
マリアの指は、まるで自分の顔を鷲づかみにするように、ぎりりと関節が立てられる。手の甲に浮かび上がる血管は、何かをマリアが耐えていること、そのために力をいれずにはいられないということを物語っている。
そんなマリアの様子をキュンティオスはちらりと見たけれど、特にマリアを止めることもなく再び話を始めた。
「後から考えると、あの時、あなたの元へすぐにはいかずに村人達が殺される様子をキュンティアが見ていたのは、まだ迷いがあったからだったのかもしれないって思えるの。あの時は、まだキュンティアは・・・あなたの力を信じて、背を押そうかどうしようか、悩んでいた。一人、また一人と殺される姿を見ながら、キュンティアはずっと揺れて揺れて・・・あなたは、そこで村人を助けようとしなかったキュンティアを責める?」
そのキュンティオスの言葉に、マリアはまだ顔を覆いながらも首を横に振った。
「それは、シンシアの役目じゃない。彼女は、みんなを守れるほどの力はなかったんでしょう。それは、本当はわたしの」
「そうね。でも、あなたは勇者らしい勇者にあの日なることは出来なかった」
「わかってるわ!」
マリアは声を荒げ、顔をあげた。その顔には、爪こそは立てなかったようだが、ぎりぎりと肌に指をめり込ませたような赤い痕が点点と見える。
「そんなこと、誰よりも自分がわかってる!わかってるのよ!!忘れたことなんてない。わたしさえ強ければ、みんな死ぬことも!」
「そこまであなたが自分を責める必要はないわ」
「無理言わないでよ。そんな話をされて、責めずにいられるわけがない!」
その、激情に駆られた叫びを静かに聞き、キュンティオスはそっとマリアに手を伸ばした。
透けるように白く細い指は、マリアの頬に静かに触れ、優しく撫でる。
マリアは驚きで瞳を見開いたが、戸惑いながら彼女の柔らかな手を受け入れた。
目の前のキュンティオスは何故か優しい笑顔で。
けれども、その両目からは突然涙がほろほろと零れ、白い肌の上を滑って可愛らしいスカートの上へと落ちてゆく。
それに戸惑いつつも、マリアは「ああ、確かにこの人はシンシアに似ているけれど、シンシアよりもずっとずっと色が白い」と、今まで気付かなかったことを考えていた。
何故キュンティオスが泣いているのかなんて、マリアには想像することも出来なかったからだ。
「誰も、あなたを責めやしないわ。あなたは、みんなの期待に応えて、世界を救ったんだもの。そして、みんなのために、ここに帰ってきてくれたんだもの。この世界にいる、誰一人も、もうこの世界から消えた人達、誰一人も、あなたを責めやしないのよ、マリア」
温かい、キュンティオスの手。
泣きながらマリアを見つめる、その表情は穏やかだ。
「なんで泣いているの。キュンティオス」
「あなたが」
「・・・」
「どこまでも、キュンティアのことを責めずに・・・恨みもしていなければ、憎むことも出来ずに、ただ自分だけを責めるから」
ゆっくりとキュンティオスの手が、マリアの肌から離れる。
そっとその手はキュンティオスの胸元に戻り、もう片方の手に包まれた。
「わたしも、あなたのようでありたかったと、そう思って」
「・・・わたしのように?」
「あなたになら、伝えられるわ」
マリアは目を細めてキュンティオスを見た。
胸の奥が苦しくて、どうしても眉が寄せられてしまう。
知りたくもないこと、気付きたくないことに気付いた息苦しさや、何か知りたくない感情が湧き上がってくる時の圧迫感が、話の間中ずっとマリアを苛んでいる。
キュンティオスがそっとほのめかした「何か」を不安に思いながら、マリアはキュンティオスを見続けた。
しばらくの沈黙ののち、頬を流れた涙が乾いた頃、ようやくキュンティオスは再び口を開いた。
「マリア、キュンティアは時々・・・本当に時々、わたしに呟いていたの」
「なんて?」
「マリアは、全てを知ったら、恨むかしら・・・って」
キュンティオスのその言葉を聞いて、マリアはいっそう強く眉根を潜めた。
わたしが?
シンシアを?
そうしみじみ考えれば、確かにシンシアに対する感情に、多少の変化はあったかもしれない。けれど、それは恨みではない。恨みというよりは、裏切りに対する悲しみに近いように思える。
わたしが勇者だったから優しくしてくれたの?とか。みんなを見殺しにしたんじゃないの?とか。
無条件にそこにあったはずの信頼が、一瞬揺らいだ感覚はあった。
だけど。
マリアは迂闊なことを口走りそうになった自分をなんとか引き止め、こめかみに指を添えた。
それから、ゆっくりと言葉を選びつつ慎重に、けれど、素直な心の内をキュンティオスに明かす。
「シンシアのあの優しさやあの日々が、偽りのものだなんてわたし、どうしたって思えない。恨むのは、自分自身のことだけよ。それからちょっとだけ、マスタードラゴンを役立たずって罵って、でも、それ以上は・・・シンシアを恨めっこないし、恨みたくない。何も、何も気付くことも出来なかった、何一つ疑いもしなかった、自分がただただ子供だったことを思い出して苛立つだけ・・・そういうことにしたい。わたし、そうでなかったら、どうしていいのか、本当に途方に暮れる」
シンシアに対しての疑いは、少し前からずっとマリアの中でくすぶっていた。だから、何かはわからずとも、「覚悟」はしていた。
マリアが知りたかったことは、ただの真実であり、終わってしまった出来事だ。その上、それに関与していた人々は、既にこの世界からいなくなっているのだ。シンシアにしても、実の父親にしても、村人達も。
そうであれば、その真実達がどれほど予想を超えていようと、自分の心を痛めようと、誰を責めたり恨んだりしようがない。いや、してはいけないとマリアは強く思っていた。
そうだ。
マスタードラゴンと対峙する時にも誓った。
揺れてはいけない。
自分が愛している仲間が自分を信じてくれたように、自分も仲間達を信じたいと思った。
何があろうと揺らぐ必要がないものがここにあって。
それが愛情という名のものだと、マスタードラゴンでさえ信じてくれたというのに。
「ほんと、馬鹿だわ。そんなの。恨めるわけなんてない。ううん、いっそのこと恨めたらよかったのかもしれないけど」
マリアは立ち上がり、空を仰いだ。
雲を突き抜けてもっともっと上にある、天空城。マスタードラゴンの居城。
そして、そこでシンシアは生まれて、自分が知らない生活を送っていたのだろうか・・・そんな、考えても仕方がないことをマリアは思い描いた。
村に来る前に「予言の巫女キュンティア」だったシンシアのことを、マリアは知ることは出来ない。
けれども、共に過ごしたシンシアのことはよく知っている。いや、彼女のことは知らないことだらけではあったが、それでもマリアには、誰にも譲れない「知っている」ことがあるのだ。
マリアは瞳を閉じた。
先ほどキュンティオスまでもが口にした、あの日のシンシアの言葉が耳の奥に甦るようだった。

ねえ、マリア。
わたし達、大きくなってもこのままでいられたらいいのにね

これから、この村を襲うであろう悲劇や。
マリアが立ち向かわなければいけない困難。
キュンティアは、それらをおぼろげにでも知っていた。
誰よりも、そんな言葉を言ってもどうしようもないということを知っていたキュンティア。
それでも言わずにはいられなかった彼女にとって、村で生活をしていた17年間はどれほどに大切で愛しい日々だったのか。
あの「シンシア」の言葉は、世界が平和でい続けて欲しいとか、そんな規模の大きな呟きではなかったとマリアは思う。
ずっと、この村で、いつでも共にいて、笑いあいながら生活をして。
ただそれだけを望んでいたのではないかと思える、贅沢であり、ささやかでもある、彼女の本音だったのではないかとマリアは思い出していた。
思えば、シンシアという人は、あまりマリアに対しても「こういうことをしたい」とか、自分の将来の希望や目標、いや、それどころか、目先のことでさえ、あまり自らの望みや思いを語らなかったような気がする。
だからこそ、マリアにはよくわかる。
本当にシンシアは、ずっとあのままでいたかったのだ。
マリアが当たり前のように「このままずっと一緒にいるに決まっているじゃない」と思っていた、あの平和で緩やかに時間が過ぎていく、誰も誰かを傷つけようとはしない、優しいあの空間で。
そのシンシアの思いは、あの運命の日であったからこそ、ようやく体の外に吐き出すことが出来たものなのかもしれない。
なのに。

マリアは、すべてを知ったら、わたしを恨むかしら。

どんな気持ちでそんなことをシンシアは呟いていたのだろうか。そう思えば、心の深い場所がちりちりと痛む。
ゆっくりと瞳を開ければ、まるで時が流れていないように、あの頃のままの村の様子が眼前に広がる。
それがまた、記憶の底のシンシアや村人達を呼び起こしてしまい、マリアはまたも強く眉をしかめた。
「自分は、マリアに恨まれるようなことをしている。そうキュンティアは知っていたわ。天空には天空の道理がある。天空城にいる限りには、わたし達はそれから外れた場所で心が動くはずはなかった。でも、わたし達は、この村であなた達と共に生きているうちに、天空の道理だけで物事を考えることが出来なくなった」
そう言うと、キュンティオスは先ほどのマリアのように、ゆっくりと空を見上げる。
「あなたの実の父親を・・・シレインの夫を殺せといったキュンティアは、天空の道理に従って世界を守ろうと最善を尽くした予言の巫女だった。たとえ、あなたがどれほど彼女をその時罵ろうと、きっとキュンティアはびくともしなかったと思う。でも」
「・・・でも」
「わたしもキュンティアも、ここで、あなた達と生活をすることで、心が弱くなった。いえ、それは語弊があるけれど。ただ、天空で生きていれば理解できるはずのない地上の道理とか倫理とか。それらを受け入れることが出来るようになってしまった。そうでなければ、キュンティアはあんなに苦しまなくてよかったはずなのに」
キュンティオスが言う「あんなに苦し」むとは、どれほどのことなのかマリアにはわかるはずもなかった。
しかし、彼女は特にそれを説明することもなく、そのまま一気に話し続ける。
「自分がしてしまったことを悔やむことも、この先償うことも出来ないということを、キュンティアは多分知っていた。そして、あの運命の日がくれば、どちらを選択したとしても、あなたの心を深く傷つけ、失意のどん底に陥れるだろうとも間違いなくわかっていたはずよ。天空の理しか知らなければよかったわ。それなら、自分はやり遂げたという達成感だけを得ながら死ねただろうに・・・」
まくしたてるように一気に吐き出したキュンティオスの思い。
最後には、まるで独り言のような呟きで静かになってゆき、唇を引き結ぶと彼女はマリアを見た。
その表情からは、先ほどの優しい笑みは消えており、頬は軽く紅潮している。
彼女の瞳は、まるでマリアに何かの決断を迫るかのように、なんらかの強い意志を湛えている、とマリアは思った。
お互いの言葉が止まると、自然の音が聞こえる。マリアはしばし、風の流れ、木々のざわめき、鳥の音達に全身を委ねた。
昨日までは、聞こえていてもとてもその音は遠く、吹く風すら淀んだ空気をかき混ぜるだけに思え、本当にこの村は死んでしまったのだと悲しくなっていた。なのに、誰一人ここに帰ってきていなくとも、この場所が息を吹き返したのだと感じられる。
それは嬉しいことだが、逆にどうしようもない寂寥の感を受ける。
マリアはゆっくりとそれらのことを感じた後、キュンティオスからの話はこれで終わりなのだということをようやく悟った。
きっと、マスタードラゴンのことやキュンティオス本人のことなど、それらを聞けば彼女は答えてくれるだろう。
けれど、彼女だけが知り得る「シンシア」の真実で、「マリアに話さなければ」と思っていた内容は全て語り尽くしたのに違いない。
キュンティオスから向けられた視線は、全てを聞いたマリアがどう出るのかを伺う意思表示だ。
「あなたが、わたしに話そうとずっと待っていたっていう内容は・・・これで全部なのね?」
「そうね・・・もちろん、わたしが知っていること全てを漏らさず話せば、そんなのは何日あっても足りないけれど、あなたが知りたかったことはこれで十分答えになっているでしょう?」
「そうかもしれないわ・・・」
「これが、生きている間には決してあなたに打ち明けられなかった、キュンティアの罪の告白よ」
「罪の、告白」
マリアは、キュンティオスが口にしたその言葉を鸚鵡返しに呟いた。
まるでその言葉は、キュンティオスが語った全てのことをひと括りに凝縮したもののようにマリアには感じられた。
もう一度心の中でその言葉を反芻した途端、マリアの脳に残っているとある記憶の断片へと突如繋がった。そして、それが「何」なのかを惑う間もなく、マリアはとある一つのことを突然気付いてしまった。
そして、突然気が付いてしまったことに自分で驚き、瞳を軽く見開きながら問う。
「キュンティオス」
「なあに」
「あなたが今話してくれたことは、わたしがマスタードラゴンに勝たなければきっと誰にも語られなかったことだったのよね?」
「ええ、そうね。この世界にいる誰に語ることも出来ない思いとして、死ぬまでわたしの中に残り続けることになったんでしょうね」
「でも、それが言葉になって外にあふれ出たら、それは、ただの告白じゃない」
キュンティオスはマリアをみつめ、軽く首を傾げた。それへ、もうひとつマリアは問い掛ける。
「わたしが『真実を知ってもシンシアを愛していてくれることを信じる』って、あなた、最初に言ったわね」
「ええ」
その答えを聞いて、マリアは深い溜息をつく。
それは失望の溜息ではない。少しずつ近づいていく核心への畏れを体の中から吐き出そうとした、心を鎮めるための呼吸だ。
「キュンティオス。この村には教会がないの」
「ええ、知っているわ。他の町にはあるんでしょう?」
「そうよ。だから、わたし、旅をしている間に、知ったことがあるの」
マリアの脳裏をよぎる光景。
薄暗い闇の中。
灯された小さな灯り。
そして、優しいあの神官の声。
「あなたは彼女の代わりにわたしに懺悔をして、わたしが彼女を許してあげることを望んでいるのね?」
「・・・懺悔・・・」
まるでその言葉を初めて聞いたように、キュンティオスは少しだけきょとんとした表情でぽつりと呟いた。
それから、少しずつ何かを確かめているように、瞳を宙に彷徨わせながら返事をしようとした。とはいえ、それはマリアに対する答えらしい答えにはなっていなかったのだが。
「そう・・・そう、だったのかも、しれないわ・・・そうね。そんな言葉が、ここには、あるんですものね・・・」
「この村にはなかったけれど、地上にはあるらしいわ」
少しだけひとごとのようにマリアはそう言って、もう一度小さく息を吐いた。
ただ真実を告げるためだけに待っていたのだとキュンティオスは言ったし、マリアがそれを聞かなければ聞かないで、自分の人生は特にどうなるものでもないと彼女はぞんざいに言い放っていた。
確かにキュンティオス自身にはマリアに対して真実を語る必要なぞ、本来ない。
マリアが真実を知らなければ、キュンティオスは誰に責められることもないし、シンシアをマリアが責めることだってありはしない。
なのに、あえて告げるためにキュンティオスが待っていたのは、マリアへの同情でもなければ、世界を救った褒美というものでもないのだと、ようやくマリアは十分に理解をした。
「・・・これが、懺悔というものなのね。わたし、クリフトに説明されても、全然わからなかったけど。どんなに話を聞いても、どうしてあなたがわたしに話そうとしてくれたのか、それがよく見えなかった。でも、ようやくわかった気がする」
マリアはそう言って、花畑にぺたりと座り込み、首を前に倒した。
今から程遠くない過去、けれども、なんだか随分それから時が流れたような印象がある。
あの夜、エンドールの町で、クリフトが教会に訪れた女性の懺悔を聞いてあげたこと。
クリフトの前で、心に抱えているものを言葉にする難しさを知り、そしてまた、それらが自分にとって何も意味がないと感じてしまったあの夜。
自分が犯した罪を神に告白して、許しを請うのだとクリフトは言っていた。
そして、心を入れ替えることをみな誓うのだと。
それに対してマリアはばっさりと言い放った。「罪を犯したら、楽にならなくてもいいじゃない」、と。
わからなかった。
マリアは、勇者としての未熟な自分をあの悲劇の日まで恥じたこともなかったし、この世界に、自分の愛しいものたちを奪っていく驚異があるとも思っていなかった。あまりにも安直に幸せな日々を信じて、そして、それがずっと続くと思っていた、子供だった自分。
それらの未熟から、もはや目をそらすことができなくなったマリアは、自分を責める以外に前に進む手段を見つけることが出来なかった。
どんなに辛かろうと自らを許すことも出来なかったし、許されても取り返しがつかないことを誰よりも知っていた。
だから、己の過ちを懺悔し、安直に許されたいと思う人間の気持ちなぞ、理解したいと思えなかったのだ。
けれど、今なら少しだけわかるような気がする。
「・・・」
胸の辺りが痛い。
俯きながらマリアは自分の胸元に手を置いた。
どこにも行き場のない混沌とした思いが胸の奥で暴れまわっていて、抑えることが難しいと思える。
それは簡単に、怒りだとか悲しみだとか、言葉一つで表現が出来ないものだ。
許してあげたいとか、許されたいとか、許されたくないとか。
何が正しかったのかとか、何が過ちだったのかとか。
自分がどう感じているのか、どう感じることが「正解」なのかとか。
ぐるぐると渦を巻くような、あまりにも多くの感情に翻弄されて、胸の奥が苦しい。
知ってしまった真実は、「ただの」真実であり、それ以外の何物でもない。
どんなに感情をかき乱されようが、もはや自分には何も出来ないのだし。
でも。
それらをすべてわかっていても、全てを簡単に受け入れて納得することはマリアには出来なかった。
「マリア」
そのキュンティオスのマリアへの呼びかけは、それまでのものとは声音が違った。
さく、さく、と草を踏みしめる小さな音がマリアの耳にも聞こえてくる。
誰かが、自分の後ろから近づいて来ている。それを、マリアも感じ取っていた。
キュンティオスはその足音の主を既に確認しており、だからこそマリアに声をかけたのだろう。
「これが、本当のこの村の姿だったのですね」
静かな声。
「あの夜、あなたが辿って歩いていた道が、ここにはある」
「何よ・・・それ・・・」
振り向かずに、マリアは苦笑いをして言葉を挟む。
「毒の沼地があちこちに広がって、あちらこちらに瓦礫が崩れていても、あなたは、この村の道をあの晩歩いていました。だから、わたしは思ったんです。あなたがここに戻ってくるには、まだ早いと」
その声の主は、衣擦れの音を軽く立てながらマリアの斜め後ろ付近に跪いた。
「マリアさんと共に旅をしておりました、クリフトと申します」
「わたしは、キュンティオスです」
「・・・マスタードラゴンからお聞きしました」
マリアは、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、彼女を覗き込むように体を傾けて、小さく微笑むクリフトの姿があった。
既に鎧を脱ぎ捨て剣も持っていないその無防備な姿は、まるでこの村に住んでいる人間のようにもマリアには見えた。
「マーニャ達は」
「ほどなく、来られると思います。わたしは、一足先にこちらに送ってもらったので」
「なんで」
「あなたが泣いているかもしれないと思ってので」
「・・・ば・・・っか・・・」
「すみません。でも、本当です」
少し照れくさそうなクリフトの笑み。
その、戻ってきた「いつも通り」の感覚に安心したのか、マリアは力を抜いたように花畑にぺたりと座り込んだ。
クリフトはゆっくりとマリアから視線を外した。
そして、その先は、まっすぐにキュンティオスに注がれた。
その様子を見て、マリアは再び全身が緊張し、瞳を見開く。
決して会えるはずがなかったシンシアとクリフトがそこで出会った様子を見ているようで、その光景はマリアにとってあまりに現実味がない。けれど、ある意味ではここに間違いなくそれが実現しているのだ。
「マスタードラゴンが・・・天空城にいながら、地上の人々と同じように心が動くようになってしまった、マリアさんのお母様や、あなたのことを憂えていました」
「・・・あなたは、地上の神官さんですね?キュンティアは、地上の人々の信仰を知っていました。でも、それがこの村にあれば心が弱くなるということも知っていて、教会がないことをありがたいと思っていたようです」
クリフトを見るキュンティオスの表情は固く、にじんだ涙の痕をぬぐうこともなく、ひたすらにその視線はまっすぐだ。
「わたしの信仰の神は、マスタードラゴンではなかったようです。マスタードラゴンは、あなたやマリアさんのお母様の心の苦しみの声を聞いても、それを緩和する手段を何一つご自分は持たないとおっしゃっていました」
そのクリフトの言葉を聞いて、2、3度キュンティオスはまばたきをしてから静かにその場に立ち上がった。
ふわりと広がるスカートの裾に小さな草がまとわりつく。
「さっき、マリアは、わたしがキュンティアの代わりに懺悔をしているんだって言った」
「・・・そうですか」
「それは、地上人の感覚ですね。天空人にとっては、そんなことは意味がないことだから。死んだ者に対しての償いだとか、死んだ者の思いをどうのこうのとか、そんなものは、この空の上の城には何一つないんですもの。そりゃあそうよ。マスタードラゴンは、数え切れない数の生き物を見て、数え切れないその生死の繰り返しを知り続けなければいけないんですものね・・・」
「あなたも、そうなのですか?」
「そうだったら楽だったんでしょうね。でもそうだったら、きっとキュンティアのことをマリアに伝える気にもならなかっただろうし、それがキュンティアに対しての償いだと思う必要もなくなって、今頃天空城で他のエルフ達のもとに安直に戻っていたと思います」
「シンシアへの償い?・・・モシャスを唱える力を貸したことや、シンシアを救えなかったことを言っているの?」
つい口を挟んだマリアを見下ろして、キュンティオスは苦笑いを浮かべた。
「さっきも言ったでしょう。止めたって、誰もキュンティアを守ってはくれなかったんですもの、そんなの、無意味だわ」
じゃあ、と言葉を続けようとしたマリアを制するように、クリフトもゆっくりとその場で立ち上がった。
傍にいる二人が立ったことで、マリアの体を影が包む。
見上げると、二人の表情は逆光でかなり見づらくなっている。
それでも、その場に流れている空気を敏感に感じ取って、マリアは立ち上がることが出来なかった。
「クリフトさん、わたし、あの日」
「はい」
「天空城に戻ってから、狂ったように叫んでいたらしいんです・・・キュンティアが死んだことを感じ取って、物凄く苦しくて、体がねじれそうな変な状態で部屋の中を転がりまわったんですって。それは、体だとか、心だとか、そういうものの苦しさとちょっと違って・・・だから覚えていないのかもしれないけど・・・体の部分部分がなくなったみたいで、なんか、肉体はここにあるのに、それは本当は幻で、触れたらそこには空気しかないようで、でも、触れると体があって」
「・・・」
「でも、やっぱりその体は偽者で、気持ちが悪くて気持ちが悪くて、吸い込む空気はなんだか足りない気がして必死に吸い込むんだけど全然足りなくて、気付いたら吸ってばかりいて、胸のあたりとかお腹とか痛くなって」
ううん、それはどうでもいいの・・・そう小さく口の中でもごもごと言いながら、キュンティオスは頭を横に振った。
美しい髪が左右にばさばさと揺れ、マリアの顔に作られた影がちらちらと揺れる。
「正気に戻った時に」
「ええ」
「わたし、少しだけ、安心してしまったの。ほっとした。悲しみぼろぼろ涙が零れてきたのに、でも、喜んでたの、わたし」
マリアは息を呑んだ。
「キュンティアの死がせつなくて辛くてどうしようもなかったのに、やっぱり喜んでいたの、わたし。喜んでいたのよ」
「・・・何故ですか」
「もう、あの生活から解放されると思って。17年間でした。17年間。いつその日が来るのかと思いながら、その時を逃したら一生後悔するだろうという恐怖に苛まされて、不安で眠れないのに寝なければいけなくて・・・何を心の糧にして生きればいいのか、わからないままの17年間。キュンティアの周りには素敵な優しい人たちがたくさんいるけど、誰もわたしのことなんて知らないし、見てくれてはいなかった。唯一接点があったマスタードラゴンは見て見ぬ振りをしていた。でも、それだって、マスタードラゴンの苦しみの一つだと知っていたから、わたし、言葉にすることだって出来ませんでした。そりゃあ眠っている間に会っていたマリアや、この村の人たちや、マリアのおじいさんと一緒にいるのは楽しいひとときでした。でも、誰もわたしを知らない。わたしのことを見ていない。唯一知ってたキュンティアだって、わたしの声は聞こえていなかった。本当は、わたしがマリアのように、キュンティアと一緒に花を摘んだり、遊んでいたかった。それか、キュンティアのように、わたしがマリアと・・・」
キュンティオスはそう言うと、耐え切れないように大粒の涙をこぼした。
ゆっくりとあごから落ちるその涙に驚いたように、手のひらでそのぽつりぽつりと落ちる涙を受け止めて、しばし呆然としていた。
そして。
「・・・!」
まるで感極まったように、キュンティオスは激しく体を震わせて両手で顔を覆った。
その指と指の間から手の甲に溢れた涙や、手の平を伝って細い手首を通った涙が、座り込んでいるマリアの膝に数滴落ちる。
「なんて醜いの、わたし。なんて、申し訳ないことを思ったのかしら。だから、わたし、許されないのはマリアじゃないと思うの。マリアは本当にまっすぐキュンティアを、この村の人々を愛していて、そのせいでもう十分過ぎるほどに自分のことを憎み続けている。でも、わたしは」
そんなキュンティオスをまっすぐ見つめながら、クリフトは優しい声音で語りかけた。
「あなたは、マリアさんがご自分を憎んで苦しんでいる間に、ずっと天空城で一人のままで待ち続けて下さったのでしょう」
彼の声を聞きながら、マリアは思い出していた。
(そう。あの夜、エンドールで、クリフトはわたしにも優しくこうやって話を聞いてくれた。わたしは、まだクリフトの手を借りるには早すぎる、何も知らずに人を傷つけるだけの子供だったけれど)
けれど、今は素直にその言葉を聞けるように思う。
クリフトの言葉は、許しの、救いの言葉だと感じられた。
「そんなの、ただただ待っていただけだわ。マリアが勇者として役目を果たしてくれることを願いながら・・・。それだって、マリアの心根がまっすぐで、マスタードラゴンに真実を追求してくれたから、こうして言葉にすることが出来ただけで、もしそうでなければ、わたしには何ひとつ償う術なんてなくて」
「それでも、あなたは、これが償いになると信じていらしたんですね」
「わからない・・・わからないけれど、わたしには必要なことだったのだと・・・そう思えます・・・」
キュンティオスは、まるで何かに祈っているように、胸元で強く手を組み合わせて体を縮こまらせた。
「天空で誰かに言えば、きっと、それは無意味だと言われるだけでしょう。天空人であろうとエルフであろうと、あの城に属する者は、あの城のある場所で通る道理で生きているのだし・・・わたしは、地上の誰かに、聞いて欲しかったのかもしれません」
「以前、天空人であるルーシアさんと話したとき、罪を犯して償いをする、という話をしました」
クリフトは穏やかな声でキュンティオスに語りかけた。
「あの方は、地上も天空も同じで、罪を犯せば償うけれど、それはゼロにならないと。彼女の言うことは悲しいことに尤もなことでした。けれど、何を罪として何を償いとするか、それについては、残念ながら我々と天空の方々の見解では大きく違うようでした」
「ええ・・・その通りです」
「だから、あなたはたとえ他の誰に言えるとしても、あの城の中では誰にも告げなかったのでしょうね。唯一、マリアさんのお母様を除いては」
「ええ。けれど、シレインとは、ずっと会うことが叶わなかった・・・ようやく、シレインにも話せて、こうしてマリアにもキュンティアのことを話すことが出来て・・・それでも、悲しくて苦しくて仕方がないのは、何故なのかしら」
そのキュンティオスの言葉を聞き、マリアはまたあのエンドールの夜を思い出していた。
あの時、クリフトはマリアに言った。
自分が自分を許そうとしなければ、決して楽になりはしないのだと。
(馬鹿なキュンティオス。結局、みんな同じなのに)
マリアが何を考えているのかをまるで見透かしたように、クリフトはマリアの頭上から声をかけた。
「マリアさん。どうしてなのか、あなたはご存知でしょう」
「・・・意地悪な問題ね。そんなの・・・自分のこと、全然許せてないからでしょ・・・」
マリアはゆっくりと立ち上がった。
小さな花畑に立つキュンティオスは本当にシンシアが生き返ったように見えて、マリアは一瞬息をつめ、自分の体温の上昇を感じた。
それは泣く寸前の感覚と同じものだ。
そっとマリアはキュンティオスの両肩に軽く手を触れた。
「あなたが、さっきわたしに言ってくれたのに」
「わたしが・・・?」
「今、この世界にいる誰だって、死んでしまっていなくなった人だって、誰も、あなたを責めやしないと思うわ」
「そ・・・れは・・・」
「あなたはわたしに、自分を責めるなって言った。あなただって、それを出来ないくせに」
「マリア・・・」
「自分を許せるようになるには、時間がかかるんだと思う。どうしようもない。許されたいと思っているのかすら、時々わからなくなるけどね」
「・・・いつか、楽になれるのかしら?それは、キュンティアを忘れることや裏切ることではないのかしら?」
キュンティオスはクリフトにすがるような瞳を向けた。
クリフトは安易に彼の「神」のことを語ることはなく、自らの思いを先にキュンティオスに伝える。
「己の過去の過ちを心から悔やむ人で、許されない人なぞこの世にはいないと、わたしは思っています。あなたが、同じように思ってくださるかどうかはわかりませんが・・・。そして、その赦しは、他の誰かをないがしろにするようなものではない。他の誰かをないがしろにして赦されるのは、逃げることと変わりがないのだとあなたはもうご存知のようですね・・・そうならないために・・・あなたの救いとしてマリアさんがあなたのもとに辿り着いたように、自分を許すための導きを、既にあなたは見出しているではありませんか」
キュンティオスは、まっすぐな眼差しで自分の肩に手を置いているマリアを見た。
何をマリアに言われるのだろうかと思っているのか、キュンティオスの表情は怯えている。残念ながらそれに対してマリアはまだ笑顔を作ることは出来ない。
マリアは言い聞かせるように、けれども語気を弱めて話し掛けた。
「キュンティオス。さっき、どうしてシンシアにモシャスを唱えさせたのかって責めたけど」
「ええ」
「でも、わたしは、あなたのことを許してるわ。言ったでしょう。マスタードラゴンを役立たずってちょっと罵るだけだって。あなたは、よく頑張ったんだと思うわ」
そう言ったと思うと、マリアはキュンティオスの体を引き寄せて抱いた。それには、村に戻ってきた「再会」の抱擁のような強さはない。
「17年間、わたしを見守っていてくれてありがとう。知りたかったことを話してくれてありがとう。それから、シンシアには言えなかった言葉を、こうやってわたしに言わせてくれてありがとう。まだわたしも頭の中ぐるぐる回ってて、全然気持ちの整理がつかないけど・・・先に言っとくわね」
マリアはもう一度だけ「ありがとう」と呟いた。
次の瞬間。
ついに、耐え切れなくなったようにキュンティオスは声をあげ、マリアにすがりつくように身を寄せた。
次次に溢れてくる涙は、頬を軽く寄せるマリアの肌を濡らす。
堪えきれずに漏れる嗚咽は、風が冷たくなり始めてマリアが静かに腕を離しても、ずっと続いた。


Fin

←Previous


モドル