静かな瞳で、あの人はピサロ様を見つめている。
一見穏やかなその瞳の奥には、憎しみだとか、悲しみだとか、怒り、けれど、それを持て余してしまう優しさ。
たくさんの心の色があの人の中にあることを、その瞳は語っている。
あの人は、とても優しい。
世界を救うため、という名目で、ピサロ様ですら救うために、わたしに二度目の命を与えてくれた、とても優しい人。
あの人の周りにいる人たちも、誰も彼も優しい。
ただピサロ様と共にいたい、というわたしの我侭を受け入れて、役に立たないわたしの同行を許してくれる人たち。
食事を作れば、わたしの口に合うのか心配してくれて、宿に泊まれば、不自由がないかと心配してくれて。
時には温かい飲み物を差し入れてくれたり、花畑を見つけた、と手をとって連れて行ってくれたり。
ずっとずっと忘れていたその温もりに、わたしはまだ臆病で、嬉しい気持ちを手放しで見せることが出来ない。
わたしが知っている優しさ、温もりは、ピサロ様や共にロザリーヒルにいてくれた緑の騎士とスライム、その三人から貰ったものだけだった。
物心がつく前には、きっと誰かに愛されて、守られて、その温もりを与えられていたのかもしれないけれど、気が付けば幼い頃から周りの生き物すべてから「お前は違う」と烙印を押されていた。
ロザリーヒルにいたホビットや魔物たちは優しかったけれど、人間を恐れたピサロ様は、わたしからそれらを奪ってあの塔に閉じ込めた。
二つめの命をあの人たちからもらって、忘れそうになっていた温もりを思い出して。
それでも、臆病なわたしが欲しいのは、まだ、ピサロ様の温もり、ピサロ様の愛情で。
こうやってピサロ様と共に過ごせることが、もしかして夢ではないのかと毎日思い続けている。
わたしにとって、ピサロ様は愛しい人であり、けれど、本当はわたしの傍にいるべき人ではないんじゃないかと思えるほど、どこか遠い人で。
わたしだけに見せる優しさを知りながら、時々、まるでそこにいるピサロ様が幻なのではないかと思えてしまう。
わたしが立っているこの地面は、本当にあの人の足元に続いているのだろうか。
その不安を僅かに言葉にすれば、ピサロ様はわからないなりにわたしのことを考えて、抱きしめて、わたしが眠りにつくまで髪を梳いてくれる。
夜、うっすらと瞳を開けて、そこにピサロ様がいて。
ぴくりとも動かずわたしの体を優しく抱きながら眠っているその姿を見て、愛しくて胸が痛む。
ずっとずっと、こうしたかった。
こうでありたかった。
なのに。
ある日、真夜中に目が覚めて。
隣にあるはずの温もりがそこにはなくて。
ピサロ様は窓辺に立って月を見つめていた。
月明かりに照らし出されたピサロ様の横顔を見て、わたしは何故かとても納得してしまった。
そうだ。
この人は、本当は、わたしを抱いて眠る人ではないのだ。
わたしは、この人の腕の中で安心して眠るけれど、この人はきっと、わたしが隣にいることで安心することなぞないのだろう。
あえて言うならば「わたしが無事でいること」については安心するのだろうけれど。
わたしがピサロ様の腕の中で思うのは、子供が母親に抱く無条件の安心と似ている。
けれど、わたしの腕の中にいる彼は、同じように感じてくれてはいないのかもしれない。
きっと、誰がピサロ様を抱いたとしても、違うのだろう。
ピサロ様にとって必要なものは、そういうものとは違うのではないかと思える。
それは少しだけ悲しいけれど。
でも、こんなわたしでも、何かピサロ様にあげられるものがあるのではないかと、そう信じたくてわたしは一所懸命考える。

「ピサロ様、わたしはあなたと一緒にいられて、本当に幸せです」

わたしがそう言っても、決して彼は「わたしもだ」とは答えない。

「そうか。ロザリーがそう思ってくれるならば、わたしも嬉しい」

では、何が彼の幸せなのだろうか。

ピサロ様は、幸せですか?

そんな無意味な質問をすれば、きっと彼は困ってしまうに違いない。

時々ピサロ様は、わたしを強く抱きしめて、まるで呪文のように呟く。

――もう、二度と、離さぬぞ――

その言葉にわたしの心は大きく揺れて、今ここにピサロ様といる自分の幸福に陶酔する。
離さないでください。
そう言葉にはできなくて、わたしは精一杯の力を入れてピサロ様にしがみつく。
でも。
その時、ふと、悲しい気持ちになるのだ。


わたし達はそうやって、お互いがお互いを繋ぎ止めなければ一緒にいられないのかもしれない。
求めて、求められて、手を伸ばして。
本当は立っている場所が違うわたし達が共にいるには、言葉にして、体の温もりにして、腕で引き寄せる力にして。
わたし達が堕ちた恋は、手を伸ばし続けなければいられない恋なのだろうか。
そうではない、と誰かに言って欲しいのに、それを告げる相手はどこにもいやしないのだ。


時々、あの人がピサロ様を見つめる静かな視線に気付くと、悲しい気持ちになる。
それがどうしてなのか、わたしは知っている。
決して消えることのない烙印を、ピサロ様があの人の心に押してしまっているからだ。
あの人の過去で、ピサロ様はあの人の愛しいものを踏みにじり、とても深い傷をつけたのだという。
それは、あの人とピサロ様の間に結ばれてしまった、見えないけれど間違いなくそこにある、棘だらけの糸なのだ。
わたしがピサロ様を愛しく思う気持ちや、ピサロ様がわたしを思ってくださる気持ちとか、人の気持ちを量ることなぞ出来ないけれど。
あの人の静かな瞳の奥から溢れているたくさんの気持ちは、わたしを息苦しくさせ、そして、悲しい気持ちにさせる。
そこには。
間違いなく、わたしが持つ事が出来ない、決して消えることのない、消せるわけがない、哀しみの糸があるのだろう。
その絆には、その糸には、決して幸せというものなどないのかもしれない。
それでも。
二度目の人生であるこの先の一生をかけたとしてもわたしが手に入れることの出来ない強い糸を、あの人は持っている。
あんなに優しい人なのに、憎しみとか、悲しみとか、怒りとか。
その醜い感情が渦巻く中、ただひたすらにまっすぐあの人はピサロ様を見つめる。
そして。
時折、夜の月を見るように、ピサロ様はあの人を見ることがあるのだと、わたしは知っている。
わたしは、そんな風にあの人を見るピサロ様から目を逸らす。
恋でも愛でもない、それ以上に何といえばよいかわからない感情がそこにあることに気付きたくない。
それなのに、わたしの瞳に焼きついたその光景では、空気の色すら違って見えてしまうのだ。
それでもわたしは。
この優しい人たちを愛せずにはいられなくて、何も言葉にすることが出来ない。
ただ思うのは。
あの二人が立っているのは、同じ地面なのだと。
自分を救うことの出来ない、けれど、間違いようのない事実ばかり。
今日は、青空が広がり、とても気持ちが良い日だ。
きっと、ピサロ様は今夜、窓辺で月を見つめるのだろう。


Fin



モドル