花束-1-

この空気は知っている、とマリアは思った。
あの日から、この村に足を運んでも、まったく感じることが出来なかった、懐かしい空気。
ほんの少しだけ夕暮れに近づいた空の下、しっとりと冷たくなってきた風にざわざわと木々が揺れていた。
キュンティオスに優しく回した腕を、そっとマリアは離す。
デスピサロ達によって、すべてを奪われたこの村は、あの日から空気すら違っていたのだということを、こんな風に今頃感じるなんて。マリアは眉を軽く寄せ、ぐるりと周囲の光景を確認した。
毒の沼地がなくなり、もう二度と草木が生えないと思っていた場所が、あの頃のような花畑になっている。
それらがもたらしたものは、この村に「昔の形」だけではなく、マリアが肌で感じる空気すらそうなのだろう。
「・・・あぁ」
そうか。
それに、今は、一人じゃないし、シンシアそっくりのキュンティオスがいるから、きっと、尚更。
もう、本当は誰もいない、何も残っていない場所だったのに、何故だか昔に戻ったように感じる。
それは、死んでいったみんなに対して申し訳ないことだ、とマリアは小さく溜息をついた。
マリアとキュンティオスを見守るように、クリフトはそっと息を潜めている。マリアの溜息の意味を彼は知らないだろうが、だからといって、どうしたとは問い掛けない。
彼は決して自分からは何も言わないのだろう、とマリアは思った。
(キュンティオスは、もし、天空城に戻ったら、どうなるんだろう)
マリアが手を離すと、キュンティオスは身を引いて、泣き笑いの表情を見せた。しかし、彼女もまた、言葉もないままマリアを見て、そして、周囲の村の様子をぐるりと見て、最後に空を見上げた。
それは、きっと天空城のことを考えたわけではなく、単純に「どれほど時間が経ったのか」を空の様子で探ったのだろうと思える。
「・・・あ」
その時、軽くクリフトが声をあげた。
同時に、マリアも遠くの音を聞きつけ、村の入り口方向へ視線をやった。
今朝までは、マーニャとミネアがやってくる姿すら見えなかった、草木が茫々と茂っていた獣道、そして、昔は蔓植物が隠していたけれど、焼き払われてしまった村の入り口。
今はそれもまた昔の姿に戻り、村の外から見れば村の様子はよくわからない状態だろう。
さすがに光景が違っていても、もうクリフトはわかるかもしれない。けれど。
「ちょっと、マーニャ、どこが入り口なのー!?」
「あっれぇ?ね、ミネア、今日来た時と違うんじゃない、これ?なんであの竜、村の中に送ってくれなかったのよ、ねえ!」
明らかに聞き覚えの有る声が、がやがやと遠くから近づいてくる。
マーニャの声はわかった。
そして、マーニャがミネアを呼んでいるということは、ミネアはそこに一緒にいる、ということだ。
けれど。
「・・・クリフト」
マリアは驚いてクリフトを見た。クリフトは知っていたようで、その表情に戸惑いがないことをマリアは確認した。
「マリアさん、実は」
クリフトがことを話そうと声をあげるとほぼ同時に、更に遠くからの声が大きく耳に届いた。
「あーーーーー!こんなところに入り口があったー!」
そして、がさがさと植物をかきわけて村の入り口に現れた人影は、大方の予想通りマーニャでもミネアでもなかった。
「マリア、発見!!」
「わああああ、アリーナ!?」
驚きでマリアは大声をあげた。
体のあちこちに木の葉や枯草をくっつけた状態で、アリーナが村の入り口から飛び込んできた。
「もお、クリフト!こんなにわかりづらい場所なら、教えてくれればよかったのに!」
「申し訳ございません。マスタードラゴンが、村に直接送ってくださるかと思ったので」
アリーナに続いて姿を見せたミネアがアリーナをなだめるように
「きっと、マリアさん達を気遣って、直接ここには送らなかったのでしょうね。それでも、驚かせてしまいました?」
「いや、驚いたのは・・・アリーナ、じゃ、なくて、いや、アリーナも、だけど」
マリアはぽかんと口を開けたまま、ミネアの後ろから続々と現れる人影を見ていた。
入り口で木の枝に髪を絡ませて、マーニャが苛立つ声をあげた。
その髪をほどいてやっているのは、どう見ても
「ライアン」
そして、そんな恋人達の後ろからひょっこりと姿を現すのは
「ブライ」
ようやくほどけた髪を指先でいじりながら歩き出すマーニャと、それについていくライアン。そして、最後には、まるで寝起きにやってきたかのような軽装で、トルネコが村に入ってきた。
キュンティオスは驚いて、どうしてよいか戸惑いの表情を見せたが、それはクリフトは「少し、お待ちいただけますか」と穏やかに声をかけた。
決してこの村に集うはずがないと思われた、一緒に旅をした仲間達が全員マリアの前に姿を見せる。その、彼女にとって「ありえない」と思えてしまう光景に、相当にマリアは動揺をしていた。
「一体、何なの?」
マリアは最初に入ってきたアリーナに向かって、当然の質問をする。しかし、それはやぶへびで、マリアは逆にアリーナの怒声を浴びることになってしまった。
アリーナはマリアに向かって唇を突き出しながら可愛らしい表情で、けれども確実にマリアにもわかるような怒りの声音を含んで、早口でまくしたてた。
「それは、こっちが聞きたいわよ!もお、一体何なの、マリア!なんで、頼ってくれないの!?」
「アリーナ」
「少しは、おっかしいなーって思ってたのよ?クリフトがそんな急いでマリアのところにいくなんてさ・・・それに、クリフトったら、マリアのこの村がどこにあるか、正確な場所教えてくれないし。なんかブライと父様がこそこそ内緒話もしてるし・・・」
それを聞いて、クリフトの視線がちらりとブライへと注がれる。
「直接の原因はそれではないぞ、わしのせいでは」
まるで言い訳のようにブライがそう言うと、マリアは肩を竦めて見せた。
「アリーナがかぎつけるのはなんとなくわかるんだけど・・・ライアンとトルネコは、どうなってるの?」
「なんか嫌な予感がしてここに来たかったんだけど、マリアの村の場所ってよくわからなかったから・・・ミネアに聞けば、占ってもらえるかと思って、ブライにルーラしてもらったの」
それは、モンバーバラに行った、という意味だ。
折角クリフトがあれこれ言いくるめて穏便にサントハイムを出たというのに、ブライとサントハイム王のなんらかの会話を盗み聞きしたアリーナは、ミネアのもとに向かった。
しかし、その頃、既にマーニャとミネアはモンバーバラを出てこの村に来ており、当然アリーナは彼女達には会えなかったに違いない。
「劇場の人に聞いたら、今晩のステージをマーニャが急にキャンセルしたって言ってて。それで、ライアンに会いに行ったの」
「アリーナの行動力には・・・空いた口が、塞がらないわ」
そのマリアの呟きをどうとったのか、アリーナは少しだけ胸をはるように自慢気に言葉を続けようとした。しかし、それを遮った――本人は遮るつもりではなかったのだろうが――のはライアンだ。
「マーニャ殿のことならわかるだろう、とアリーナ姫に詰め寄られたのですが、いや、まったく何も知らず、寝耳に水とはこのことで・・・慌ててブライ殿のルーラでモンバーバラに向かって、申し訳ないと思いつつお二人の楽屋に伺ったところ、別れる時に勇者殿がお渡ししたはずの武器防具がまったく見当たらず」
「念のために、と次はエンドールのわたしのところにやってきた、というわけだよ」
話を最後に引き継いだのはトルネコだった。
マリアは、自分がどんな表情をしているのかよくわからなかった。
ごめんね、と言えばよいのか、ありがとう、と言えばいいのか。それすらわからず、自分を見つめる皆からの視線を感じながら、ただただ呆然としているだけだ。
「マリア」
声をかけられて、はっとなるマリア。
呆然としているだけのマリアに助け舟を出すように口を開いた人物は、なんとキュンティオスだった。
「この人たちが、あなたの仲間なのね」
「そうよ」
「あなたは」
「・・・」
「この村の外に出ても、ちゃんと、人からの愛情を受けて、人への愛情を抱いて、生きることが出来たのね」
「キュンティオス」
賑やかになった村に、再び風が吹いた。
アリーナは慌てて帽子を抑え、マーニャとミネアは風に吹かれる髪にそっと手を添える。
その中でキュンティオスとマリアは息を殺したまま、お互いを静かに見詰め合っていた。


マスタードラゴンがその不思議な力でマリアを故郷の村に送った後、天空城のその部屋は、妙な緊張感に包まれていた。
そこにいるのは、マスタードラゴン、クリフト、マーニャ、ミネア、そしてマリアの母親である天空人――シレイン――だけだ。
最初に口を開いたのは、ようやく普段通りに動けるようになったような、マスタードラゴンだった。
「勇者マリアは、真実を知る権利を得た。今頃は、真相を最もよく知っている者がマリアに全てを話しているに違いない。そして、お前達は、マリアがどのような真実を知ったのかを知る権利があろう。お前達もマリアとともにわたしを倒したのだし」
それへの返事はマーニャが誰よりも早く、髪をかきあげながらあっさりと言い放つ
「そんな権利、あたし達にはないわよ」
「何故だ?」
「あたしとミネアは、マリアが何を欲しがってるのか、知りたがっているのかなんて関係ない。ただ、あの子の力になるために来ただけだもの」
それへ同意するように、ミネアはマーニャの傍らにそっと寄り添って、無言のまま小さく頷いた。
「マーニャさん・・・」
無意識にクリフトはマーニャの名を口にしてしまう。
数奇な運命に翻弄されたこの二人の潔さは、なんという強さなのか、とクリフトは感じ入っていた。
マーニャもミネアも、クリフトがマリアに出会うよりも随分先にマリアと出会い、共に旅をしてきたはずだ。
誰が見たって、マーニャは間違いなく随分とマリアを可愛がっていたし(彼女なりに)ミネアだっていつもマリアを気遣ってきた。そのことをクリフトも知っている。
けれど、マリアは本当は誰に対しても自分の心を開きたくなくて。
偶然が重なることでクリフトの前ではその心の内を激白するようになったけれど、それは本当に「たまたま」のことだ。
きっとクリフトがいなかったらずっとマリアは誰にも言わないまま旅を続けたのだろうし、この姉妹はマリアの心にそれ以上自ら踏み込もうとはしないだろう。
それを、薄情だと思う人間がもしいれば、自分はその人に対して怒りの感情を持つかもしれない、とクリフトは思う。
彼女達は「知らないけれど、命を預ける」ことが出来るほどの信頼と愛情を、マリアに対して持っている。
そこにあるのは、自立した一人一人の人間を繋ぐ深い絆だ。
二人があの山奥の村に現れた時、クリフトは本当は強く打ちのめされていた。
心強い味方が来てくれたと安堵するよりも、自分がまだ持っていない強さを持ち合わせているこの双子に、少しだけ嫉妬をした。
それが凝縮されている言葉をマーニャはマスタードラゴンの前で発し、ミネアも何一つ動揺していない。
クリフトは僅かに頭を振って、声を発した。
「権利は、わたしにもありません。けれど」
「うむ」
「わたしは、マリアさんの口から、ご自身を苛む言葉をあまり聞きたくありません」
「どういうことだ」
「悲しいことに、わたしはまだ、マーニャさん達のような強さを持っておりません」
そう言って、クリフトはちらりと二人を見た。どういう意味だ、とばかりにマーニャは眉をかすかに潜め、唇を引き結んでいる。
「わたしは、まだ、あの人の心が揺れる時には、何で揺れているのかを知りたい。何をすればあの人のためになるのか、あの人の言葉なしでは知りえない未熟者です。けれど、出来る限り、苦しみの言葉をあの人に言わせたくないのです」
「だから、お前はわたしの口から知りたい、というのか」
「はい」
「クリフトさんは」
と、それまで一言も発さなかったミネアが、思わぬところで口を挟んだ。
「なんでしょう」
「マリアさんの傍で、あの人をこの先支えていく覚悟が、既におありなのですね」
「・・・」
そのミネアの言葉に、クリフトは即答出来なかった。
彼は驚きに一度瞳を軽く見開き、それから瞬きを数回した。その間も、ミネアの視線から目を逸らせない。
確かにそうだ。
この先、マリアがまた自分に心の内を教えてくれることをクリフトは望んでいるし、そして、それによって自分が彼女に何をすればよいかを考えたいと思っているのだ。
それは、今までずっと変わらずにあった感情で、けれど、そのためにどうすればよいのか、別れの時までに答えが出なかった切実な願いだ。
誰にも、はっきりと告げることなぞ出来なかった、とてもか細い、けれども間違いなく彼の心の中にあった願い。
その存在をミネアはクリフト自身に確認をするように問い掛けてきた。
(声が、うまく、出ない)
自分はこうまで不甲斐ないのか、と思いつつ、クリフトは喉に絡む声を必死に押し出す。
「そう出来る道は、まだわたしの前にはないのですが・・・そうしたいとは、思っています」
「勇者マリアは、地上で生きることを選んだ。あれは、今から生きる場所を探して彷徨うだろう」
マスタードラゴンのその言葉に、マリアの母親であるシレインは、ひゅっという小さな音をたてて息を吸い込んだ。
「今、せめてものはなむけにあの村に残っていた植物達の記憶を再生したが、生活をした人間を戻すことは出来ない。一人で生きていくことを知らぬあの者がもしもあの村で生活を始めたとしても、いずれはあの場所から離れるだろう」
「けれど、あの村の傍にはマリアさんのおじいさんが」
そのクリフトの言葉に、マーニャとミネアは目配せをしあった。それは「やっぱりあの木こりね」という意味なのかもしれないが、特に気にせずにクリフトはマスタードラゴンだけをまっすぐ見据えている。
ぐるる、とマスタードラゴンは竜らしく喉をならしてから、穏やかに諭すように言った。
「シレインも知っていよう。マリアの本当の父親は長男ではなく、年が離れた兄を持つ末っ子だ。マリアの祖父はそれなりの年齢になっている、あの者も、もう長くは木こりの生活は出来ぬ年になるはずだ」
「!」
「いずれは、息子夫婦のもとへ身を寄せることになるだろう。それを踏みとどまっていたのは、いつかマリアが戻ってくると信じていたからだ。妻の墓、息子の墓があの山にあるとしても、死ぬまであの山にいるわけにはいかぬだろう。たとえ今はいようと・・・間違いなく、マリアよりも先に死ぬのだぞ。そう思えば」
「マスタードラゴン」
普段、人の話を遮ることがほとんどないクリフトが、マスタードラゴンの言葉の途中で声をかけた。
マーニャもミネアも驚いて、はっとクリフトに注目をした。
クリフトは、泣き笑いの表情を浮かべて一度小さく溜息をつくと、マスタードラゴンをまっすぐ見つめて告げた。
「あなたは、とてもよく、マリアさんのことを考えてくださっているのですね」
「・・・地上にいる、お前たちが、あの子の力になってくれることを、わたしとて祈らずにはおられぬのだ」
それは、ぽろりと漏れた、ようやくのマスタードラゴンの本音だったのだろう。
シレインは両手で口を抑えて、「マスタードラゴン・・・!」と掠れた声を僅かにあげた。
あの子、とマスタードラゴンは口にした。
それは、マリアの体に半分流れている天空の血を認め、「地上の子であり空の子」であることを許しているということだ。
決して今までマリアに見せたことがないマスタードラゴンの気持ちが、漏れた本心から皆に伝わる。
マスタードラゴンはいつも通りの様子で、その場に座り直した。一見、以前天空城に来た時と何一つ変わっていないように見える室内。けれど、あの時と今では、人の立場も心も、何もかもが一定の方向に向かって動いてしまっているようにクリフトには思えた。
「知るが良い。空にいるわたし達の存在がなければどうなっていたのかという真実と、そして、空にいるわたしという存在の無力さ無念さを持ち帰り、地上で生きるが良い」
その口から発された言葉の意味を、クリフト達はあまりよく理解が出来ない。
けれど、目の前にいる竜が、今日の今日まで何かに苦しめられていたのではないか、ということだけは感じ取ることは出来る。
仮にも竜の神と呼ばれた存在。
その存在の無力さ、無念さを語らなければいけない哀しみを、クリフトは量れない。
そして、それを受け止めるだけの器量が自分にあるのかも、よくわからない。
それでも、聞かなければいけない、とクリフトは思う。
マリアのために。
自分のために。
それから。
多分、マスタードラゴンのために。


それからどれほどの時間が経っただろうか。
とても長くも思えて、けれども短くも思えるほどの間、静かに穏やかに、マスタードラゴンの告白は為された。
彼の話は時折要領を得ず、時折詳細さに欠けた。それは、この竜があまり人に長い話を語ることがないからなのだろう、と室内にいる皆は同じ理由を考えていた。
とはいえ、話の内容がいささかクリフト達には難しかったため、同じ話を繰り返されることは逆にありがたい。まあ、時系列でなく話されることはいささか困りものだったが。
何故、マリアの父親の命を奪ったのか。
そのことを語った時、マスタードラゴンはシレインを見なかった。それが、見ることが「出来ない」なのか、「地上の者たちに話しているから」なのかは誰もわからない。きっと、天空人であるシレインにもわからないことなのだろう。
天空城で天空の理の中に共に生きていても、マスタードラゴンの性質、物の考え方、感じ方を把握しているものは、あまりいないのだろう。
マスタードラゴンは常に、みなの上に立つかけ離れた存在。
友人だとか、話し相手だとか、そんな同等の立場に立てる者はいるはずがない。
そうであれば、マスタードラゴンの心の機微を感じるものがいないことは当然ともいえる。
シレインは、何かを言おうと思ったのか、前のめりになって口を開いた。
けれど、「あ」とも「お」ともつかない音を発したきり、その場にゆっくりと座り込み、その唇もゆっくりと引き結んだ。
彼女は、既にキュンティオスから事の詳細を聞いていたが――もちろん、そのことはマスタードラゴンしか知らないが――マスタードラゴンの口から聞くことで、また違った思いが心の中で揺れたのだろう。
シレインの様子を視界の隅に映しつつ、マスタードラゴンは話を続けた。
クリフトも、マーニャも、ミネアも。
お互いに言いたいことは山ほどあった。
理解を出来ない道理だとか、エルフ一人の肩に委ねた重責だとか。
納得も出来ず、けれど、非難をしても代替案を思い描けるほどの知識も力もなく。
ただ、「知らないで生きるしかない」自分達地上の人間の愚鈍さをはがゆく思い、「知っていても何も出来ない」天空人達の力の足りなさをもはがゆく思い。
クリフトは、なんと言葉にすればよいかわからないもどかしさに支配され、息苦しくさえ感じていた。
一通りの話をマスタードラゴンが終え――もちろん、マリアのように、キュンティオスが感じていたこと、キュンティアとこの村との様子などは語られることがなかったが――室内はしんと静まり返った。
当事者であり、恨み言をいくらでもマスタードラゴンに言えたはずのシレインは、床の上にスカートの裾を広げて座り込んでいた。体を微動だにせず、視線は床のどこかをぼんやりと見ているようで、時折ぱちりとする瞬きが唯一の動きにすら思える。
彼女が何を考えているのかも、クリフト達にはわからない。
「・・・とりあえず、あたし達はそれについては何も言うことはないわ。済んだことだしね」
「姉さん」
「あえて言えば、進化の秘法なんてもんが地上に存在するのを、どうして何もしないで放っといたのかが不満なだけ。でも、わかってるわ。それだって、地上の人間の我侭よね。自分達が作ったものを、空にいるあんた達に監視して欲しいなんて、虫が良すぎるもん」
「そうね。それは、この天空の人達に何かの咎があるわけではないわ。人の手によって作り出されたものを、何もかも裁いてもらうわけにはいかないもの」
ミネアはそう言いながら、深い溜息をついた。
「占い師よ。お前は、先ほどわたしの心の中に闇があると言った。それは、きっと、間違いではない。しかし、お前ら地上人も知っておろう。何もかも、それは表裏一体のもの。たとえわたしが神という存在であろうと、闇のない、それを知らない存在として君臨することがどれほど愚かなことか」
「大きな力を持ちうる者とは、誰でもそれゆえの苦しみがありましょう。むしろ、そうでなければ、その力を正しく使うことが出来ないとわたしには思えます。けれど、あなたが持つ物は・・・いえ・・・わたし達はここで、マリアさんに関する話をお伺いしただけですが・・・長く生き長らえればそれだけ、今回のような苦痛をあなたは味わうのでしょうね。それを、今まで、きっと誰にも吐き出すことが出来なかったのではないのですか」
「知った風に言う」
「・・・出過ぎたこととは、存じています」
そう言って、ミネアは静かに視線を落とした。
いつでも腰につけている水晶が入っている布袋――それは、相当厳重に布にまかれているのだが――にそっと彼女は手を触れた。
「記憶の中に大きすぎる悲しみを持つ者に反応して、水晶がそれを吸収しようとしています。あなたは、この水晶の持ち主ではないし、わたしが何かを呼びかけたわけでもないのに。どれほどの哀しみがあなたの記憶にあるのか・・・それは、わたしにはわかりませんが」
「同情をする気か」
そのやりとりを途中まで聞いていたマーニャは、ついに耐えられないように面倒くさそうに叫んだ。
「あー!もう、いちいちなんでそう偉そうなのよ。曲がりなりにもマリアに負けたんだから、いちいち上から目線でつっかからなくてもいいんじゃない!?」
それへは、苦笑を見せつつクリフトがなだめる。
「マーニャさん、しかたがないですよ。だって、間違いなく偉い立場なのですから」
「だからってねぇ!」
マーニャはいきり立って、未だ何かをあれこれとマスタードラゴンに言いたかったのだろうが、クリフトは軽く手で「まあまあ」となだめる仕草を見せるだけだった。そして、すっと視線をマーニャからはずすと、マスタードラゴンを正面から見据えた。、
「マスタードラゴン、お伺いしたいことと、お願いがあるのですが」
そのクリフトの様子にただならぬものを感じたのか、ミネアもシレインも、無言で彼の様子を伺う。
「なんだ」
「あなたは天空の道理で、あなたに剣を向けたわたし達を裁くつもりですか?」
クリフトの質問に、室内に緊張が高まった。
問われたマスタードラゴンは、それをひとまず交わすように
「・・・願いの方は、どんなことだ?」
「えっと・・・この話が終わったら、マリアさんのもとにすぐにでも送っていただきたくて」
「ふむ。もう、ここでの用がないというわけだな」
「・・・そうなるかどうかはわたしの質問へのお答え次第かもしれませんが・・・用がないというよりは、出来るだけ早く、あの人の傍に」
そう申し出るクリフトの頬は僅かに紅潮していた。
それを茶化すつもりでもなく、マーニャは異議を申し立てるように
「そんなの、わたし達だって同じ気持ちよ。まあ、クリフトちゃんにマリアのことは・・・先に、任せてあげるけどさ。あの子は弱くないけど、でも、なんかまた、抱えちゃうでしょ」
「マーニャさん」
「クリフトちゃんがさっき言ったのだってさ・・・抱えたこと吐き出すとかじゃなくて、本当はその前に助けてあげたいんでしょ。ほんと、あの子駄目なのよ」
そう言ってマーニャはシレインを見た。
「マリアって、クソ真面目なの。自分の周囲でおこった出来事は、全部自分が関与していて・・・すべてのことに、なんか自分が出来なかったのか、いつだってなんだって責めるんだもの。だけど、口を開けばさ、そんなこと無理だってわかってるって言うし、人にもそういう態度とるんだけど・・・ねえ、あれって、ある意味勇者の素質なのかしら?第一勇者なんてもの、人に祭り上げられる存在でしょ。そのこと嫌がってるくせに、結局あの子ってさ・・・手を出さずにはいられなくなっちゃうのよね」
「勇者の素質・・・ですか」
クリフトがそう呟くと、マスタードラゴンは興味深そうに「おもしろいことを言う娘だ」と唸った。
「そういう・・・なんていうの、性質ってのがあるからさ、本当は、あの子のこと、一人にしたくなかったの」
そう言い放つマーニャの表情は引き締まり、それが心からの言葉だと誰もにわからせるほどの迫力を持っている。
「でも、一人になるのも、あの子には必要なのかもしれないとも思った。ようやく故郷に帰ってさ・・・デスピサロ倒したよって報告出来るわけでしょ。誰もいない場所かもしれないけど、わたしもミネアも、父さんのお墓に報告したみたいに。そういうのは、必要だと思うのよね。囚われてた物事が終わったってことを、わかりやすい形で自分に言い聞かせることって」
「それなのに、マリアさんにとっては終わっていなかった」
ミネアが静かに言葉を挟む。再び、しん、と室内は静まり返った。
それから、慌ててマーニャは言い訳のように
「ともかくさ・・・ほんとは、あたし達だって、すぐにでもマリアのとこいきたいのよ。でも、多分、クリフトちゃんにしかあの子、見せないところもあるから・・・譲ってやるわよ。感謝しなさいよ」
「は、はい」
そのクリフトの返事にマーニャは笑い声をあげて
「クソ真面目同士、お似合いじゃない」
などということを言う。
それもまた、マーニャ特有の、場の空気を変えるための声音だったのだけれど、それでも室内にはまだ緊張した空気が流れ、マスタードラゴンはクリフトをじっと見つめている。そして、マーニャの言葉に苦笑いを見せたクリフトの表情は、徐々に険しくなり、そこにいる神と呼ばれる竜に視線を送った。
「お前たちを裁く気なぞ、さらさらない。そこな娘が言ったであろう。わたしは、既にお前達の前では敗者だ。あの時、勇者マリアが心を決めれば、ミナデインでなかろうと、ギガデインであろうとわたしの体の細胞達は繋がることをやめ、この体を保っていられなくなったことだろう。たとえ強固な鱗のおかげで外傷がほとんどなかろうと、明らかにわたしの体内には異変が起こっていた」
「あなたは、ご自分の負けを認められるのですか」
「認めざるを得ないだろう」
と、不承不承の様子で答えた時、
「うむ?」
ぴくり、とマスタードラゴンが顎を持ち上げた。
「どうやら、他の来客のようだ」
「来客?」
「この世界で、天空人とエルフ以外にこの城に来られる者といえば、たかだか知れていよう」
マーニャとミネア、そしてクリフトは顔を見合わせた。
地上人は、この城に来ることが出来ない。自分達だって、マリアが天空の名のつく装備を身に纏い、天空へ続くを言われている塔を昇りきったおかげでここに来られたのだし。
となれば、後は。
「まさか、もうマリアさんが」
とクリフトが呟いた時、けたたましい足音が扉の外から聞こえてきた。
硬質の床を蹴るその音はいくつもあり、余程慌てているのかやたらめったら城内を走り回っているようだ。
息を止めて耳を澄ますと、遠くから僅かに叫び声が聞こえる。
「姫さま!いくらなんでも、そのように走るのは!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょっ!!誰もいないんだもん、絶対なんかあったのよ、これ!サントハイムのみんながいなくなったみたいに、天空城も同じように・・・誰かー!誰か、いませんか!?」
「アリーナ姫、お一人で先に行っては・・・トルネコ殿!大丈夫ですか!」
「さ、さきに、先に行ってくださいー!」
かすかに聞こえる賑やかなそのやりとりに、マーニャは耐え切れず声をあげて笑い出した。それをいつも通りにミネアは「姉さん」とたしなめるが、その口元は僅かに緩んでいた。
マスタードラゴンは「むう」と唸って、溜息のように息を吐き出す。
「また、あれこれ説明しなければいけない相手が来たようだ。それは、わたしの役目ではないぞ」
「そ、それは確かに・・・」
「ちょっと、迎えに行ってくるわ。なんか、アリーナが勘違いしてて城中走り回りそうだから。うるさいのは、得意じゃないでしょ?」
肩を竦めてからマスタードラゴンをちらりと見て、マーニャは室内から出て行った。それを追おうかどうしようかミネアは迷った様子を見せたが、結局その場から動かずに静かに立っていた。
「サントハイムの姫が、かぎつけたのだろうな。あの娘はサントハイム王家の血を濃く引いておる。魔法を唱える力を体内に宿さぬ変わりに、強い健康な体と、繊細な予知能力を持っている。勇者マリアの仲間として導かれたのは、不思議な縁だ。いや、マリアとの縁なのか、あの村とサントハイムの縁なのか」
マスタードラゴンの言葉の後半は、ほとんど独り言のように口の中に篭っていた。
けれど、それをクリフトは聞き逃さない。
「・・・あの村との、縁?サントハイムの?」
「そうだ」
「それは、一体」
「マリアが育ったあの村には、預言の書があったと・・・ああ、先ほどの話では、説明していなかったな」
「預言の書・・・ああ、預言があって・・・それを、村人がどこまで信じるかはわからないと・・・それは、お伺いしましたが・・・」
その詳しい中身までは聞いていない、とクリフトは思った。
マスタードラゴンの説明はどこかおぼつかなかったし、何があっても「天空の道理では」と前置きをされての話で、そういった観点からか地上での出来事の詳細はいくらか省かれていたように思えた。
そのとき、床に座ったまま、いるかいないかわからないように静かにしていたシレインが、顔をはっとあげた。
喉がまるで乾ききってしまったように、声を出す前に一瞬だけがさがさと空気が漏れる音をたて、シレインは預言の言葉を口にした。
「翼ある者が残す、生きる地を持たぬ者」
その言葉にミネアはびくりと反応をして、シレインを見た。
「この地を殻としてその力熟す時、大いなる加護を受けた剣を持ちて、世界を救いし勇者となる」
「大いなる加護を受けた剣・・・それは、天空の」
ミネアはそう呟いたが、誰もそれに返事はしなかった。
シレインは上体を前のめりにし、長い髪を床に広げるように突っ伏した。
それから、肩を震わせて――そのたびに彼女の背に生えている貧相な翼も揺れ――俯いたまま、続く言葉を搾り出した。
「守りたまえ、守りたまえ、守りたまえ。その者に、すべての力を与えたまえ」
マスタードラゴンは、何も言わずにシレインを見ていた。
クリフトもミネアも、その「預言」らしき言葉の続きを聞くために、息を止めて集中をしていた。
「その者に、すべての力を与えたまえ。愛をもってして・・・あんなに、あんなに、あの人達は、わたしを、あの人を、あの子を大事にしてくれたのにっ・・・なんていう、なんていう残酷な・・・『この地を殻としてその力熟す』!?それは、あの村にいる間にあの子が力を熟させる預言ではなかったなんて・・・あの村を出ても、あの子はずっとずっとあの村に囚われて、それまで与えられた愛情と、それを全て奪われた憎悪、その強い感情に囚われ、あがいて、なのに、そうするしかあの子が勇者になる道がなかったなんて。それが、あの子が囲われてしまっていた『殻』だったなんて。この世界は、この世界は、この世界は、この世界は・・・!!」
そう叫んだと思うと、シレインは床に突っ伏したまま号泣をして、頭を何度も何度も床に摩り付けた。
時折顔を少しあげたかと思うと、次は肩を床に押し付けるようにぶつけ、まるで苦しみを体の痛みに変えようとしているように拳で床を叩き、悶える。
ミネアはシレインの傍らに跪いて、ただその背――背中といっても翼の生えていない場所だが――を摩ってやった。
クリフトは拳を体の横で強く握り締め、唇を噛み締めた。
「その預言が、何なのですか」
「それは、サントハイムの血を引く、いや、その者の血を引いたものがサントハイムの王族となったといえば良いか。その者が遠い昔に、あの村に残した預言の書だ。不思議な縁に引き合わされ、そして、その縁の一端にお前がいたというわけだ」
「・・・!」
クリフトは目を見開いた。
それは、ただの偶然だ。運命などと口にしたくはない、と彼は思った。
「そんな、感傷的なことに惑わされません。それは、姫さまとは、関係がない」
「そうとも言えるし、そうではないとも言える。お前達が勇者マリアのもとに導かれたのは、サントハイムの人々が姿を消し・・・それにデスピサロが関与しているから、という理由ではあった。しかし、もとを辿ればそのサントハイムをデスピサロが目をつけたのも・・・その王族がもつ予知の力ゆえ」
「確かに・・・それは、そうですが」
「デスピサロには敵視をされたその力は、遠い昔に既に、勇者マリアの出現と、あの村が滅びることを暗示していたとは、皮肉なことだ。そして、この天空に勇者マリアを導くための力添えをしたのは・・・」
クリフトは、息を呑んだ。
その様子を見て、「言わずともわかるか」とマスタードラゴンは言葉を止めた。
わからないはずがない。
天空城に来るには、天空の名を冠する、天空人によって作られた幻の装備品を身につける必要があった。それは、天空の血を持つ、翼を持たぬ者にとって翼の役割があるのだと聞いた。
その、天空の武器防具を手に入れるときに。
サントハイム王が幼き頃に見た予知夢に、彼らは助けられた。サランの教会裏に立てられた看板には、スタンシアラへ彼らを導く言葉が書き綴られていた。

おそらのずっとうえにはてんくうのおしろがあって
りゅうのカミさまがすんでるんだって

てんくうのおしろのことは
きたのうみのスタンシアラのひとびとがくわしいとおもうよ。

その立て札を元に、彼らはスタンシアラに向かい、そこで天空の兜を手にすることが出来たのだ。
立て札を見た時に、今更ながらにあのサントハイム王の予知能力に驚きもした。そればかりではない。サントハイムから出立をしようと考えていた夜に王自ら声をかけられた時、やはりクリフトは王の力のことと共にあの立て札のことを思い出していたのだし。
「ずっとずっと過去から、何かの縁がお前達にはあったのかもしれぬ。もちろん、だからといってそれにはとりたてて意味があるとは思えぬがな。少なくとも、今後もサントハイム王族の力が、世界が動くときになんらかの形で敵視されたり、懐柔しようとされたり、そういったことは続くだろう。そして、もしも勇者マリアが今後、子孫を残すことになれば、それもまた」
クリフトは、マスタードラゴンの言葉を聞きながら、唇を噛み締めた。
彼にとっては、サントハイムもマリアも、どっちもかけがえのないもので、どちらかのためにどちらかを捨てるということなぞ出来るはずもない存在だ。サントハイムの肩書きを捨ててここに来たのも、彼にとってはサントハイムを守るためでもあるし。
しかし、そのようにマスタードラゴンに言われれば、なんと自分は無力で、どちらを守る力もない未熟者なのかと胸が痛む。
(わたしがこのように、己の力のなさに苛まされるように)
そのように、マリアも苦しんできたのだということに、クリフトはふと思いを馳せた。
父親の仇を討つことが出来ず、命からがら逃げたと言っていたマーニャとミネアも、きっと。
それから。
先ほどから床に突っ伏して、体を震わせている哀れな天空人と。
それから、また、あと一人。
今、彼らの目の前にいる、巨大な竜と。
そんなことを思いながらクリフトはマスタードラゴンを静かに見つめた。
無力と無念、と先ほどマスタードラゴンは言った。その言葉を口にすることは、勇気がどれほど必要だったのだろうか。
と、クリフトがそんな物思いにひたっていたその時、バン!と大きな音をたてて扉が開かれた。
マーニャが迎えにいったならば、そんなにけたたましい音をたてる必要がなかろうに・・・と、クリフトはそちらに目を向けた。
先ほど聞こえていた声の通り、アリーナを筆頭に、ブライ、ライアン、トルネコ、そして迎えにいったマーニャがぞろぞろと室内に入ってくる光景が目に飛び込んできた。
それなりの予想はしていたけれど、それでも、一体何故そんな一団がここに・・・と思わずにはいられない。
マスタードラゴンに「失礼します」の一言もないまま先頭のアリーナはずかずかと室内に入ってきたが、マスタードラゴンもそれを責めようとはせず、静かに彼らの入室を見守っている。
「クリフト!」
「ひ、姫さま、どうして・・・」
こちらに、とクリフトが言葉を続けようとしたときだった。
アリーナはまるで魔物を切りつけるかのような素早さで床を蹴り、クリフトの懐に入り・・・
ぱんっ、と軽い音が室内に響いたと思った瞬間、クリフトは自分の頬に軽い痛みを感じた。


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