花束-2-

「クリフト」
「はい」
「目を覚ましなさい。あなた、サントハイムのことを、なんだと、思ってるの」
そのアリーナの言葉に対して、すぐに答えを出すことがクリフトには出来なかった。
クリフトの頬を打ったアリーナの力は、決して強くはなかった。痛みで熱が生まれるほどではあったけれど、そんな痛み以上に、アリーナの言葉の方がクリフトにはずっとずっと痛いと思える。
「姫さま」
クリフトにとってのサントハイムは、かけがえのない故郷と呼べる場所であり、大切な拠り所となるものだ。
けれど、サントハイムの名を捨ててこの場に来た彼が、そのことを安易に口に出来るわけがない。たとえ、それをアリーナが求めていようとも。
しばらくの間、室内は静まり返っていた。いつもならばマーニャが「まあまあ、アリーナ、クリフトちゃんは・・・」と軽く話に入ってくれることだろうが、今日はそういうわけにはいかない、とマーニャもわかっている。誰もがそれを感じ取って、クリフトの言葉を待つしかなかった。無論、マスタードラゴンですら。
やがて、いつまでたってもクリフトからの返事がないことに痺れをきらせたように、アリーナは叫んだ。
「クリフトが、どれくらいサントハイムのことを大事に思っているのかなんて、わたしが、誰よりも知ってるんだから!」
「!」
「どれくらい、なんて、ほんとは言えないぐらい、本当に本当に大事にしてくれてるってことなんて、ずっと、ずうっと知ってたんだから!なのに、どうして、サントハイムのことを軽く見るの!?」
「そ、れは、姫さま」
サントハイムのことを軽く見る?
アリーナは、クリフトがここに来たことをそう受け取ってしまったのか。クリフトはようやく焦って、言い訳をしようとした。けれど、彼は自分の気持ちをそのまま外に出して良い者なのか悩み、それから、言葉を選ぶことが出来ずにアリーナを見ることしか出来ない。
そんなクリフトに苛立ってか、アリーナは強く叫んだ。
「クリフトがどれくらいサントハイムのこと大事にしてくれてるか、知ってる!何があったって、クリフトがサントハイムへの心変わりするはずがないってことも、ずーっと昔から知ってるし、信じてる!なのに、こんなに思ってくれている民を守れない、そんな不甲斐ない国だとクリフトは思っているの!?どうして、わたしやお父様、サントハイムすべてに、今度はあなたのこと守らせてくれないの!?」
「・・・えっ・・・」
そのアリーナの言葉に、その場にいた一同は目を丸くした。
何故ならば、誰もがアリーナの訴えはもっと単純なものだと思っていたからだ。
どうしてわたしに話してくれなかったの、どうしてわたしを騙したの、どうしてわたしを置いていったの。そういった繰言だと思っていたというのに、アリーナの口から出た訴えは、サントハイムの姫としての言葉だった。
「わたしが、どうして・・・クリフトがマリアのところに行く時に・・・どうして、サントハイムに残ろうとしたのか、クリフトは全然わかってなかったのね!わたしは、マリアのところに行きたかったのよ、クリフト。邪魔だと思われてもいいから、それでも、マリアのこと心配で心配で、一緒に行きたかったの。なのに、どうして我慢出来たのか、クリフトは全然わかってない!」
「ひ、めさま」
「わたしは、サントハイムに戻ったばかりだし、旅に出る前はなーんにも国のことなんて知らなかったわ。でも、それじゃあ駄目なの。クリフトやブライは、自分がサントハイムで何が出来るか、何が出来ないか、わたしよりずっと良く知ってる。でも、わたしが知っているわたしが出来ることは、お父様に我侭を言うことや、お城から勝手に抜け出すことくらいだもん。でも、それじゃあ駄目なの」
少しずつ興奮が収まってきたようで、アリーナの声は穏やかに、今度はクリフトに言い聞かせるような響きへと変化をしていった。
「わたしが何を出来るのかちゃんとわからないうちは、マリアに何をしてあげられるのか、戻ってきたサントハイムのみんなに何をしてあげられるのか、ちゃんと考えられないから・・・わたしは、サントハイムのみんなのことも、サントハイムを助けてくれた勇者のことも、友達のマリアのことも、自分が出来ること全力を尽くして助けてあげたいの。だから、わたし」
マリアの友人のアリーナとして、マリアに何をしてあげられるだろう。サントハイムの姫として、マリアに何をしてあげられるだろう。 その二つがとても似ていて、けれど明らかに非なるものだと、アリーナは理解していた。
クリフトは、目の前に立っているアリーナの瞳から目をそらすことが出来なかった。
幼い頃から知っている、勝気で可愛らしい、無邪気だった少女。
変わらぬ大きな瞳は強い意志をいつでも持ち、こうやって真っ向からクリフトの心を揺さぶり続ける。
傷つけてしまう、と思っていた。
それが恐くて、本当のことを言えなかった。
けれど、彼が思っていた以上にアリーナは、この旅で今までと違う強さを身につけたようだ。
目の前にいるアリーナは、クリフトが想像していたことで傷ついていたのではない。
自分がこれから理解して正しく使おうとしている、サントハイムという国の力を、クリフトのために使うことを彼に拒まれたことが辛いのだ。
「クリフトはどこにいたってクリフトよ。わたしの声が届かないところにいたって、クリフトは変わらないって思ってる。それと同じだわ。あなたがサントハイムの紋章を捨てて、肩書きを捨てて世界のどこを歩いていたって、サントハイムはあなたの故郷で、そして、いつだってあなたのことを守るんだから 」
そこまで、知っているのですか。
そう言葉に出そうとクリフトがついつい足を一歩前に出した瞬間、アリーナは両腕を広げて体をぶつけるようにクリフトに抱きついた。
「こんなにサントハイムのことをそこまで考えてくれるあなたを護れず、ただサントハイムの名を捨てさせたなら、一体わたし達は何を護ればいいの?クリフト、護らせなさい!あなたのことも、あなたが大事にしている、マリアのことも。わたしが、なんのためにあなたと一緒にマリアのところに行かなかったのか、もう一度考えて・・・歩き出したわたしのこともっ、ちゃんと信じてよ!」
「姫様、ご立派に・・・なられて・・・」
クリフトは眉根を寄せて、アリーナの小柄な体を抱きしめた。彼女を受け止める腕に、躊躇はない。鎧で彼女の体が痛まないように気を使ったり、周囲にいる仲間たちの視線に照れたりする余裕は、もはやクリフトには残されていなかった。
幼い頃から見守っていた、妹にも等しい愛しいこの少女は、いつだって無邪気でまっすぐな言葉でクリフトの心を揺らしていた。
その手を繋いだままではマリアを守れないかもしれないというジレンマで苦しむクリフトから、手を離したのはもしかしたらアリーナの方だったのかもしれない。
自分は、薄情だと思われただろうか。いや、きっと彼女はそうは思わなかったに違いない。
それでも、自分の心がいつでもサントハイムに、この少女のもとに必ずあることを言葉以外の何かで伝えたくて、クリフトは両腕でアリーナの体を抱いた。
昔、アリーナに抱いていた淡い恋心を、今でもクリフトは忘れていない。
なのに、なんだろう、これは。
恋ではない、それをもっと漉して漉して漉して残った静かな愛情は、時にこんなにも胸を熱くして外側に迸るものなのだとクリフトは知った。
(ああ、これは、一生変わらない、とてもとても大事なものなのだ)
アリーナから与えられた言葉は、なんと強く、なんと優しい言葉達だろうか。それらにこめられた思いに胸の奥が熱くなって、自然に腕に力が入る。
アリーナの言葉はどれも「ほんとう」の言葉だ。だから、クリフトの気持ちも震える。
ふと抱きしめたアリーナの肩越しに見れば、そこには常に彼を見守ってきた背の低い年老いた大魔法使いが立っていた。
やがて、クリフトはゆっくりと優しくアリーナから腕を離し、崩れるように膝を床についた。 まるで、子供が祖父に泣きつくようにうなだれるクリフトの肩にブライは手を回して、ゆっくりとぽん、ぽん、と小さな手で鎧ごしに叩く。
クリフトは涙目になりながらブライを見上げ、それから頭を垂れた。
「わたしは、幸せ者です」
「うむ」
目を合わせることも出来ず、床を見ながら呟くクリフトを、ブライは責めない。
「本当に、本当に、わたしは、幸せ者です」
それからブライは何も語らず、そのままクリフトの肩をゆっくり叩き続けた。
鎧の肩当にぶつかるブライの手は、まるで鎧を脱いだ肩に触れているように優しい動きを見せている。
床に、ぽつん、ぽつんと落ちる涙はニ摘。
たったニ滴だけれど、それはとても重みのある、彼にとっては大切な涙なのだろう。
ほどなくして、いささか鼻を赤くしたクリフトは顔をあげた。そして、今度はブライの目をまっすぐに見て告げることが出来た。
「ご心配をおかけしました」
その言葉を聞いてブライは手を離して一歩後ろに下がる。クリフトは立ち上がって、次にはアリーナに向かい合った。
「姫さま、サントハイムを軽んじた罰は、あとでいかようも受けます」
「そんなの、決まってるじゃない!」
アリーナはようやく少しだけ元気が戻ってきたようで、それはいつもの声音に皆には聞こえる。
「戻ってきたら、覚悟しなさいよ!」
「はい」
ありがたい反面、本当にどんな覚悟がいるのやら・・・そう思いながら苦笑を浮かべるクリフトの傍へ、人影がそっと近づく。ミネアだ。
「クリフトさん、マリアさんが心配しますから」
「あっ、すみません」
アリーナからの一撃を受けた頬は特に傷になっているわけでもなかったので、その程度では普段治癒呪文は誰も使わない。けれど、ミネアは気を利かせて、少しでも赤味が目立たないようにと治癒呪文を唱えた。
ふとクリフトが見ると、ライアンがどうやらもらい泣きをしてしまったようで――アリーナの言葉を聞いてバトランド王のことやその他、騎士として思うことがあったのだろう――鼻をすすっている。それを見かねたマーニャが
「もお、何貰い泣きしてるの」
と少しばかり優しい声音でライアンの顔を覗き込んだ。
しかし、どうやらそれはやぶへびだったようで、鼻をすすっていたライアンは突如表情を引き締め、厳しくマーニャに告げた。
「マーニャ殿。叱られるのが、クリフト殿だけだと思っているなら、即刻そのような考えは改めたほうが良い」
「え?は?」
「アリーナ姫達に言われてモンバーバラに向かい、あなた方姉妹二人が戦の装備を持ち出したことを知った時、このライアンがどんな気持ちになったのか、あなたはわかってくださらぬのか。どれほど鈍い男であろうと、マーニャ殿の気遣いがわからぬほど愚かではないと自負している。しかし、だからといって・・・」
「・・・」
マーニャは瞳を大きく見開いて、ライアンを見つめた。
ライアンはいつもの彼からは想像も出来ないほどに、毅然とマーニャと向かい合っていた。
この二人の気持ちが通じていることは、ここにいる仲間たちはみな知っていたけれど、いつもマーニャが主導権を握って、ライアンをからかいながら肩を並べていた印象しかない。
しかし、そのライアンが今は、マーニャに真剣に胸のうちを、それも人前で言葉にしている。
それは、言われているマーニャ本人も非常に驚いたことだろう。
「アリーナ姫も、わかっておられる。クリフト殿は、サントハイムのことを考えて考えて、そしてサントハイムという名を捨てたのだろうと。もちろん、マーニャ殿も同じように・・・考えて、何も言わず、この情けない男を頼らずに、ミネア殿と二人で戦いに赴いたのだと・・・それは、痛切に、わかっている。しかし」
「ライアン」
「それでは、あなたを守りたいというこの気持ちは、どこに行けばよいのだろうか。バトランドに戻ったことで、あなたとの絆を軽んじた覚えはない。それは、あなたが言ったのだ。自分が自分であるための場所に戻って、お互いのこの先の人生を考え合おうと。それを・・・」
「あたしだって、ライアンのこと、軽んじてなんていないわよ!」
マーニャは声を荒げた。そういったマーニャもまた、滅多にみないものだ。
「あんたのことが大事だから、だから、力を借りにいけなかったんじゃない!」
「わかっている、わかっているのだ、しかし!」
その珍しい痴話喧嘩には、それまでまったく無言だったトルネコが間に入った。
「まあまあ、二人共落ち着きなさい。それは、ここで、マスタードラゴンの前で話さなくても、後でゆっくりと思いを言葉に出来る場所でやったらいい。それより見たところ、クリフトの鎧も、ミネアの鎧も、マーニャの服もかなりの傷みようだ。ちょっと、見せてごらん」
その穏やかなトルネコの仲介振りに、二人は顔を見合わせ、ふっと息を吐き出した。そんな彼らの様子を見ながら、ミネアはクリフトに囁く。
「クリフトさん。ここは、わたしと姉さんが、みなさんに事情を説明しておきますから」
「ミネアさん、でも」
と言ってクリフトはちらりとアリーナを見た。
その視線に敏感に気付いて、アリーナは頬をわずかに紅潮させながら、クリフトに言い放つ。
「いいわよ、クリフト。その・・・よくわかんないけど、ここにマリアがいないってことは・・・どっかで、なんか、違うことと戦ってたりするんでしょ?どういう相手か知らないけど」
そのアリーナの言葉を聞いて、クリフトは少し呼吸を整え、鎧をその場で脱ぎ捨てた。それをミネアは手にして、トルネコのもとへと持っていく。
身軽になったクリフトは、再びアリーナに向かい合って、静かに答えた。
「多分、今、マリアさんは・・・自分自身と戦っておいでだと思います。あの人がこれ以上余計なことをしょいこまないように・・・先に、マリアさんのもとへ行ってもよろしいでしょうか」
もちろん、その場にいる誰もそれに反対をするはずがない。
マスタードラゴンはクリフトを移動させようと、僅かに顔をあげた。
と、その時、床にへたりこんでいたシレインが立ち上がってクリフトの前に寄ってきて、彼の足元にすがりつくように再び膝を折った。
「クリフト・・・さん、お願いです。マリアに・・・」
「はい」
「マリアに、キュンティア様も、キュンティオス様も、憎ませないように・・・これ以上の恨み言を、あの子の心の中に留めないように・・・お願い、あの子に、力を貸してあげてくださいっ・・・」
「そのつもりです。もちろん、それは、あなたに言われたからではなく・・・そうするために、あの人のもとに行きたいのですから」
クリフトはそう言って、シレインに手を差し伸べた。けれど、彼女はその手をとらずに、首を横に振る。
まるで、クリフトに優しくされたり、許してもらう権利が自分にはない、といいたげに、彼女はそのままうな垂れていた。
そんな様子に眉根を寄せ、けれど、クリフトはそれに固執をせずにマスタードラゴンの方をすぐに向いた。
「お願いします。マリアさんのもとへ」
「うむ。あの村へとお前を送ろう・・・クリフトよ。もし・・・もしも・・・」
「はい」
「キュンティオスが、ここに戻らないと言ったら」
「!」
マスタードラゴンが音にしたその名前を、後からきたアリーナ達は知らない。けれど、話の流れから、キュンティオスという人物がマリアと共にいるのだろうということは容易に想像出来たに違いない。
ブライがちらりとミネアを見ると、「説明しますから」といいたげにミネアは軽く顎だけで頷き返した。
「それを罰するつもりはないことを、伝えてくれ。もう、あのエルフは解放されて良いはずだ」
「解放・・・それは、天空城から、という意味ですか」
「そうではない」
ぐるる、と喉を鳴らして、マスタードラゴンは一度瞬きをする。
竜がまばたきをする瞬間を初めて意識して見たな、とクリフトは思ったが、それもまたわざわざ言葉にすることはなかった。
「過去の思い出や、自分の悔恨、何もかも、だ。そうするためには、この城は・・・つらい思い出というものが多すぎるものだろう。もちろん、それはマリアの故郷の村もまたしかり。勇者マリアも、キュンティオスも、生きる場所を探し出すことが、生きる第一歩となるだろう」
生きる場所を探す。
ありきたりの人生を送っていれば、決して感じることも耳にすることもないその言葉。
その音を耳の奥で反芻して、クリフトは瞳を閉じた。


アリーナ達が天空城に行ったいきさつ、そしてクリフトに遅れてここにやってきた事情をかいつまんで聞いたマリアは、何を誰に言えば良いのか戸惑い、言葉を失った。
そんな彼女のことを思ってか、意識せずにかはわからないが、アリーナがパン、とマリアの肩を叩いて笑う。
「すっごいじゃない!マリア!マスタードラゴンのことやっつけたんだってね!?」
「あっ、え、でも、それはね・・・」
「さすがマリアね!あーあ、わたしも見たかったなぁ、マリアが唱えたっていう、えーっと、ギガデインじゃなくて・・・なんだっけ、ブライ」
「ミナデインですな」
「そうそう!その魔法!」
マリアは照れくさそうに口端だけで笑って、ちらりとミネアを見た。
それは、ミナデインが成功したのがマリアの力ではなく、ミネアがマリアの状態をよくわかって「同調」するようにマーニャとクリフトに促したおかげだったからだ。
ミネアはその視線の意味を知りつつも
「本当に驚かされましたわ。わたし達の魔法力を引き出して一つにするなんて、もうきっと一生お目にかかれないでしょうね」
と、当り障りのない言葉を皆に告げた。
「それにしてもマリア、この村は・・・今は本当に、マリア一人しかいないんだろう?」
あっさりと話題を変えたトルネコは、ぐるりと周囲を見て肩を落とした。
マスタードラゴンの恩恵を受けて、毒の沼地は浄化されて姿を消し、マリアがここにいた時のように花が咲き乱れている。
けれど、倒壊した建物はそのままになっており、人が住むべき場所ではないことを知らせている。
また、完全にはもとの姿になっていないようで、いくらか毒を含んでしまって、色を変えたままの地面もちらほらと見られる。
いくらマスタードラゴンでも、時間を戻して完全な姿にすることは出来ないのだろう。
「想像はしていたけれど、想像していたよりずっと、ひどい有様だったのだろうね。マスタードラゴンが力を貸したとはいっていたけれど、それでもこの状態じゃあ。マリアにはマリアの考えがあって戻ってきたことはようく知っているけど、このままここにいるつもりなのかい?その、なんだか作ったばかりに見える、その掘建て小屋というか、テントみたいなところで」
「うん・・・まだわたし、これからどうするか、答えが出てないから・・・しばらくは、ここにいることにする。マスタードラゴンが何も教えてくれなかったら、シンシアのことを知っている誰かを探しに旅に出ようと思っていたけど・・・今はまた、知らなかった新しいことを知ったばかりで、この先どうしようかっていう答えが出ないから」
「うんうん、そうかい。マリアがはっきりそう思っているならいいんだ。それに、マリアにとっては有りがた迷惑かもしれないが、こうやってこの場所を知ることで・・・ちょっと安心出来るってものだからね」
そのトルネコの言葉に、ブライは強く頷いた。
「知られたくないのだということは重々知ってはいたが、残念ながら我々は心配せずにはおられんのでな」
「うん・・・ごめんなさい。わたしから、無理に聞き出そうとしないで、みんなが黙っていてくれたのは・・・すごく感謝してる」
マリアの言葉が終わるより早く、夕方の冷たい風が強く吹いた。
がさがさと木々は揺れ、先ほどまで残っていた太陽の光が急速に力を失っていく。
夜が近づく。
そこにいる全員は、お互いに何を言い出せばいいのか困惑して、誰かが先にこの状況を動かしてくれないかと伺いあっていた。
それは、当たり前だ。
このままこの場所を後にして、それぞれがいる場所に戻っていけるほど、みな薄情ではない。
けれど、ここでみなでいつまでも顔をつき合わせているわけにもいかない。
その妙な空気を打ち破ったのは、マリア自身からだった。
「みんな、まだ、わたしのこと心配してくれてるんだってわかってる。でも、わたし、みんなが安心出来るような・・・そういう感じにはまだなってないから、うまく・・・うまくこう、なんていうか・・・まとめられないけど・・・やろうと思ってること、いくつかあるの。だから、それをやり終えるまでは、ここにいるつもり」
「ここで、やることなの?」
アリーナは当然の疑問を投げかけた。それへ、マリアは力強く頷く。
「この瓦礫から、一個ずつでいいから・・・ここで一緒に暮らしていた人たちの形見を探して、お墓を作ろうと思うの。でも、それは、アッテムトとかみたいに、寂しく並ぶように作るんじゃなくて・・・それだけでも、結構時間かかるよね。それから、ここから少し降りたところに住んでいる木こりは、わたしのおじいさんだったの。そこには、本当のお父さんとおばあさんのお墓があるから、お花を持っていって・・・おじさん、あ、えっと、違う、おじいさんと、もうちょっと話もしたい。それから・・・ねぇ、キュンティオス」
「わたし?」
「シンシアはいつもあの白い花の香りがしたの。あの花を摘んで、どうしたらそれを・・・香りを体につけられるようになるの?あなたなら知ってるわよね?」
キュンティオスは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「・・・知っているわ。ちょうど、あの花が咲く季節も近い。必要があるなら、あなたに教えてあげられるわ。一日二日ではまだ花は咲かないけれど、季節が変わるのはそう遠くないから」
「うん。それも、教えて欲しい。ほら、これだけでも、相当時間がかかるじゃない?不自由はいっぱいあるけど・・・当分、ここで生活する心積もりは出来てるの」
そのマリアの言葉を一番最初に素直に受け入れたのはトルネコだ。
「手が空いたら、うちにおいで。自給自足に丁度いい簡単な料理を、きっとネネなら教えてあげられるだろうから」
「ありがとう。多分本当に近いうちに、お邪魔すると思う」
マリアはそう言って笑顔を見せた。それは、彼女のその言葉が上辺だけのものではないことを表すような、照れくさそうな笑みだ。
「マリア殿。平和であればこそ何も力になれないとは思いますが、何かあればすぐにでもかけつけますぞ」
「ライアン、ありがとう」
ライアンはマリアに手を差し出した。それを、マリアは強く握り返す。
旅の終わりにみなと別れるときに握手は一度したが、その時と今ではマリアが握り返す力がまったく違うことにライアンは気付いたが、そのことは黙っていた。
「マリア、じゃ、今日は帰るわね・・・さっき、クリフトに言ったように、わたしだって、あなたのこと守ろうと思ってるんだからね。一度でもわたしの手をはねのけたら、どこまでもしつこく追いかけて、押し付けるんだから、覚悟してよね!」
「アリーナ、ありがとう。クリフトに、つらい選択を強いちゃったけど・・・わたしが思っていた以上に、アリーナはクリフトのことをよくわかっていて、大事に思っていて・・・うらやましいなって思っちゃった」
「わたし、マリアには負けないわよ?クリフトを大事に思ってる気持ちも、みんなを大事に思ってる気持ちも、武芸も!」
そう言ってアリーナは満面の笑みを浮かべた。
思えば、マリアとクリフトの距離が近づいてからというもの、アリーナのクリフトへの気持ちをこうやって言葉にして聞いたことはあまりなかった。傷つけていないだろうか、嫌がられていないだろうか、そんな思いがマリアには確かにあったけれど、それを伝えることは申し訳ないと思えて黙っていた。
けれど、こうやってお互いに向かい合えば、クリフトを思う気持ちはもちろんんこと、アリーナもマリアもお互いを深く思いやる、良い友人になったのだとよくわかる。二人はお互いの手を両手で覆い、しばし見詰め合った。
それに水を差すように、再び冷たい風が吹き、空の色は橙色と灰色が入り混じって緩やかに夜へと移り変わる姿を見せつける。
「姫さま、戻りますぞ」
「うん」
「クリフト、もうしばし」
「はい」
「彼女のもとで、力になるがよい。墓が出来れば、それへ祈りを捧げる者が必要じゃろう。この村には教会がない。未だこの地に彷徨う人々の魂を送るために、尽力するがよいじゃろうて」
「ありがとうございます」
クリフトはそう言って頭を垂れた。
「クリフト、マリアを頼んだからね。また無茶しそうになったら、次は止めるのよ。マスタードラゴン倒しに行く以上の無茶はないと思うけど、念のため」
「アリーナにそういわれるとは、驚いたわ」
マリアはそう言って肩をすくめた。
「トルネコ殿、エンドールまで送りますぞ!」
「ああ、ありがたい。クリフト、鎧は預かって直しておくから、今度取りに来てくれるかな」
「あっ、申し訳ありません!」
「ミネアもね」
「ええ、お願いします。もう、きっと使うことはないと思うけれど・・・これも、思い出でしょうから」
どっこらしょ、とトルネコは二人分の鎧をかつぐ。
そうしてばたばたとアリーナとブライ、そしてトルネコはマリアと再度の別れを済ませ、帰路につくことになった。
しかし、ブライがルーラの呪文を唱えようとした時、アリーナは慌てて「待って」と声をかけ、それまでまったく彼らから声もかけられず、あえて無視をされていたキュンティオスの前に駆け寄った。
驚いたのは仲間達よりも、声をかけられたキュンティオスの方だろう。
「初めまして、わたしアリーナよ。あなたが、マリアのこと、見守ってくれてたっていう人なのね?」
「・・・ええ、いつでも見守っていたのは、わたしと共に生まれたキュンティアだけど、わたしもわずかな時間、この村でのマリアを知っていたわ」
「あのね、以前さえずりの塔の頂上に行った時にね、エルフが・・・わたし達人間を避けるように逃げていったの。天空城にいるエルフも、人間があまり好きじゃないみたいだったし・・・わたし達の旅の途中であったエルフは、人間の欲のせいで殺されてしまった。だから、今はしょうがないけど・・・サントハイムは、そういう悲しい目にエルフが合わないように、これから何をしていくか考えるところなの。よかったら、そのうちサントハイムに来て・・・どうすればいいか、思うことがあったら教えてもらえると嬉しいな」
「・・・」
キュンティオスは驚いてうまく言葉が出てこない。
けれど、アリーナは特に彼女からの返事を欲したわけではなく、一方的に話すだけ話したら「じゃあね!」と軽く手をふってブライのもとへ戻っていった。
そして、マリア達が見守る中、ブライとアリーナとトルネコは、ルーラの魔法であっけなく姿を消す。
きっと旅の終わりならば、こんな風に簡単に別れることは出来なかっただろう。
あれからたった数日ではあったけれど、一度別れて、そして再会して、お互いの思いを確認出来たからこそのあっさりとした別れ。
それがなんだか気持ちが良い、とマリアは思った。
マスタードラゴンへ挑んだ無謀なことを、皆に知られたくはなかった。けれど、こうやって隠し事を暴かれてしまえば、それはわずかな溝と深い信頼の両方を生み出す。その溝は、これからまた埋めていくことが出来るものだと知っている。
「じゃあ、わたし達もいくわね」
とマーニャが言う間に、ライアンはごそごそとキメラの翼を道具袋から取り出した。
それへ、ミネアが
「ライアンさん、それは、わたしが頂いてもよろしいでしょうか?」
「む?」
ライアンの返事を待たずに、ミネアはごつごつした手から簡単にキメラの翼を横取りする。
「何言ってンの、ミネア?」
「じゃあ、マリアさん、失礼しますね。また何かよからぬことを企んだら、わたしの水晶が見逃しませんからね」
「もうしないって。ミネア、ありがとう」
「それではみなさま、おやすみなさい」
そう言うと、ミネアはマーニャの問いには答えずにキメラの翼を使って、その場から姿を消した。それに慌てるのは当然マーニャである。
「ちょっと!!ミネア!」
「マーニャは、ライアンのこと送っていけばいいじゃない」
「はぁ?何よ、マリアまでそういうこと言い出すの?」
そういいつつ、マーニャの頬は少し紅潮していた。そして、彼女の後ろに所在なく立っているライアンの頬も。
その二人の様子がおかしかったようで、マリアはくすくすと笑った。
それは、彼女にようやく戻ってきたいつもの笑顔だと、クリフトはほっと胸を撫で下ろすのだった。


山の夜風は冷たいけれど、透き通った空気が肌に気持ちが良い。そしてまた、吸い込む体内にとっても気持ち良く感じる。
仲間たちが帰っていった後、マリアはキュンティオスに「一緒にご飯食べよう」と誘いかけた。
キュンティオスは戸惑って一度はそれを断ったが、クリフトの一言で心を決めたようだった。
「今日は星が綺麗な夜になりそうですね」
たったそれだけの言葉だったけれど、キュンティオスは唇を半開きにしてクリフトを見て、それから、空を見上げた。
夜になる寸前の空に月の姿はなく、早い時間の星達の瞬きが少しずつ見え始めていた。
「もう少しだけ」
「うん?何?」
「もう少しだけ、夜空を見てから帰っても良いでしょうか」
「もちろんよ」
「わたし、本当に」
キュンティオスの瞳には、またも涙が溢れていた。
「この村の、この空気の中で、この星をわたし自身が見ているのね」
その言葉に、マリアは一瞬眉根を寄せた。が、それはすぐに緩和し、穏やかな笑顔をクリフトに向けた。
「シンシアと、花畑でよく星を見てた話、クリフトにしたっけ」
「星の話は、伺っていませんね」
「そっか」
「空を見ていた話と、草原の話・・・この花畑で、花冠などを作った話は、お聞きしました」
クリフトが最後まで言い終わらないうちに、マリアは近くの花畑にごろりと横になった。
マスタードラゴンの力によって甦った花々は、まだ夜露にも濡れず、けれど星灯りの下では花を閉じて静まり返っている。
「キュンティオス、こうやって見ると、よく見えるのよ」
「・・・!」
そのマリアの様子を見て、キュンティオスは何かを叫びそうになったように、自分の手で自分の口を抑えた。
「マリアさん、寒くありませんか?」
「いいの。クリフトもこうして見たら?くっついてると、寒くないんだぁ・・・」
「マリアさん・・・」
それは、多分。
クリフトは視界の片隅に入っているキュンティオスを意識した。
多分、ここで、夜。
シンシアとマリアは一緒に横になって、体を寄せ合って、星を見たのだろう。そして、キュンティオスは一度はその状況を知っているのだろう。
ふわりとスカートを揺らしてキュンティオスはマリアの隣に膝を折り、マリアに寄り添うように花畑にゆっくりと横たわった。
クリフトは小さく溜息ともいえない息を吐いて、マリアを真中にしてキュンティオスの逆側に腰をおろした。
彼は横たわりはしなかったけれど、寝転んでいるマリアの手を、そっと握って空を見上げる。
急激に深くなる夜の空。
黒ではない、濃紺でもない、群青でもない、彼の知るありとあらゆる色の名前、どれも当てはまらない色がそこには広がっていた。
澄んだ空気のおかげで、彼が今までの人生の中で最も美しいと思える星空が頭上に広がっていた。
吸い込まれそうだ。
瞬きが出来ない。
瞳を閉じても、その星の姿が目蓋に焼き付いているようだ。
冷たい空気と、あまりにも美しい星。感じる部分は肌と瞳で別々だというのに、「自分が感じ取っている」それらの刺激は、クリフトの中で交じり合って、なんともいえない不思議な感情を引き起こしている。
それから、繋がっている手から感じるぬくもりも。
(そうだ。マリアさん)

悲しいことがあったら、空を見よう

旅の最中、ロザリーの死を知った時、マリアはそう言って空を見上げていた。それをクリフトは思い出した。
それは、昼間の空だった。
こうやってシンシアと共に星を見ていた時、マリアは何を、キュンティアは何を考えていたのだろうか?
クリフトは無意識に、握る手に力を入れた。
そして、マリアもまた。


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モドル