花束-3-

「村の中にいるはずなのに、旅の途中での野営の食事作りみたいね」
そう言ってマリアは、隣にいるクリフトに苦笑を見せた。
二人で雨が漏らないように作り直した簡易テントの傍で、少し遅い夕食の支度をしているところだ。
おじさんにもらったの、とマリアが取り出したのは、二種類の乾燥肉と数種類の野菜だった。
彼女は少しだけぎこちない手つきでそれらと野草、そして山で採れる茸を使ってスープを作る。一方のクリフトは、昨日マリアが焼いたという固いパンを切り分けた。幸運なことに、三人分のスプーンをマリアは見つけていた。金属製のものは持ち手が変形しており、それは悲劇の日をマリアに思い出させるけれど――高熱のせいで変形したと思われるからだ――今の状況では、たったそれだけのものでも、彼らにとって貴重な道具なのだ。
二人が夕食の用意している間、キュンティオスは自分の足で生まれて初めて、この村のあちこちを見て回っていた。
暗闇の中、瓦礫の一つ一つの前に立ち、彼女はそれらを凝視する。
灯りはというと、夕食を作るために焚いている火を星灯りだけで、当然辺りはぼんやりと薄暗い。けれど、そのほのかな光を頼りに見ているキュンティオスの目には、きっと当時の村の光景が見えているのだろうとマリアは思う。
キュンティアの瞳を通して知っているこの村。
その頃に生きていた人々は誰もここには残っていない。
けれど、こんな形になった今でも、本当はキュンティオスはここに自らの足で立ちたかったのではないか。そんなことをマリアは想像していた。
いつだってマリアが思い出せる、あの温かな日々の光景のどこにもキュンティオスの姿はなかったけれど、彼女の存在は意識として確かにそこにあったのだろう。それを知っていたのは、キュンティアただ一人だったのだろうけれど。
一つの瓦礫の前からキュンティオスが動かなくなったことに気付いて、鍋を軽くかき混ぜていたマリアは顔をあげた。
キュンティオスは暗闇の中にいるけれど、ぼんやりとしたシルエットだけでも、彼女がどの位置に立っているのかマリアだけにはよくわかる。
クリフトも彼女の異変には気付いていたようで、欠けた皿にパンを盛り付ける手を止めた。
「キュンティオス・・・」
ぽつりと呟くマリア。
キュンティオスが立っている目の前の瓦礫が誰の家だったのか、マリアは知っている。
(あそこは、先生のおうち)
マリアが大好きだった、剣を教えてくれた男性が住んでいた家。
彼の母親もそこには一緒にいて二人はよく喧嘩をしていたけれど、本当に仲が良い親子だったことをマリアは思い出す。
あの日、彼が、地下倉庫でマリアの動きを止めた。
そして、それを知っていたようにシンシアがやってきて、マリアの姿形を写し取って行ったのだ。
とても優しい男性だった。
剣の修行をしている時は厳しかったけれど、大らかで、優しくて、とても気持ちが良い人だった。
マリアは「先生大好き」と無邪気に口に出していた、当時の自分を思い出した。
まだ恋愛感情なぞ未発達だった自分がここにいて、そして、彼を男性として意識していたキュンティオスはここに存在することが出来なくて。
それらは仕方がないことだし、マリアにだってどうすることも出来ないことだった。
空間を、生きる場所を隔てた、触れ合うことの出来ない儚い恋愛。
その恋の終わりは、残酷な死別としてキュンティオスに突きつけられた。
彼女は今、それと向かい合っているのかもしれない。
「クリフト」
「何ですか?」
「わたしの剣の先生ね、すごく優しくて、大らかで、ちょっとおもしろくて、明るい人だったの」
「・・・」
「わたし、先生が本気を出したところ、最後まで多分見たことなかったんだと思う。あの日、何がどうなってるのかわからなくて、全然その時は気付かなかったけど・・・」
鍋の中をかき混ぜて、マリアは町で買ってきた調味料を入れる。
「先生がわたしをあの地下倉庫に置いて出て行って・・・その後シンシアが来て、モシャスの魔法を唱えて出て行ったんだけどね・・・今、一所懸命思い出すと、シンシアが出て行くまでって結構時間かかってて・・・でも、その間、誰かが戦っている音がずっと聞こえてた。先生の本気の姿は、きっと、凄く強かったんだと思う。多分、ライアンにだって負けない使い手だったんだろうなって・・・今ならわかるの」
「マリアさん」
「だけど、わたしは、全然・・・これっぽっちも、先生の足元にも・・・先生の本気を見せてもらえないぐらい、ほんと下手で・・・もっと、教えてもらいたかったなぁ」
そう言ってマリアは小さく微笑んだ。泣いてはいなかったけれど、その微笑は無理に作ったものだとクリフトにだってわかる。
クリフトはスープを入れる皿を三枚並べて、それからマリアにぎこちなくも微笑み返した。
「そんな風に笑わなくて、いいんですよ。それに、ライアンさんが以前おっしゃってました」
「何?」
「マリアさんの剣の基本を教えた人は、とても丁寧に教えたのだと」
「え」
「マリアさんは、体格がわたしより小柄なのに、わたしが振るえない剣を扱うでしょう?わたしは神官でも、刃のついたものを振るう許可を得ていますから、余程の大剣以外は振るう自信があったのですが・・・あなたには負けてしまいます」
クリフトの話の核心がよくわからず、マリアは首を傾げた。
「それは、筋力の問題だけではないのだと、ライアンさんに言われました。言い方は悪いのですが、わたしの剣術など、やはり軽い護身用の付け焼刃のもので・・・それに引き換え、マリアさんの剣は、どんな形の剣でも無理なく振るえるように、既に基礎が身についているものなのだとライアンさんがおっしゃっていて。わたしは基礎からやり直すには時間が足りなかったので、そのままの方が良いとアドバイスもいただいたのですが」
「そんなこと、いつライアンと話したの?珍しいわね」
「多少はその・・・自分で、不甲斐ないと思ったことがあって」
そう言ってクリフトは苦笑をマリアに向けた。なるほど、それはつまり、男性でありながら女性であるマリアがライアンと並んで扱える剣も、クリフトはうまく使えない。そのことを多少は気にしていたということなのだろう。
「その基礎を体に叩き込まれているのは、普通の王宮騎士でも数が少ないとのことです。ドラゴンキラーやまどろみの剣のような、特殊な形状のものでも、あなたはすぐ使いこなす。その柔軟性も、基礎があってのことなのだそうです。だから、あなたに剣を教えた方は、とても優れた人で・・・そして、基礎を身につけているあなたも、実戦経験が不足はしていても、相当に厳しい修行をなさっていたのだろうと」
そのクリフトの言葉に、マリアはほっと力が抜けたように肩をすとんと落とす。
「・・・あーー・・・それ、今言われてよかった」
「そ、うですか?」
「そんなの旅の途中で言われたら、ちょっといい気になっちゃったかもしれないもの」
「あなたは、そういう人じゃあないですよ」
「そうでもないよ」
マリアは照れ臭そうにそう言って、今度は自然な笑みをクリフトに向けた。
「わたし、案外褒められるといい気になっちゃうところあるから。アリーナには負けるけど」
「姫さまは」
ははっ、とクリフトは声をあげて笑った。
と、その声に反応して、キュンティオスが二人の方を向く。
「キュンティオス。もう出来るから、こっちに来たら?」
「ええ」
キュンティオスは、暗闇の中からマリア達がいる明るい方へと歩いてくる。
「いい匂い」
そう言って雑草の上に腰を下ろそうとするキュンティオスに、マリアは横倒しになった木を指差した。
「そこに座った方が、食べやすいわよ」
「ありがとう・・・あ、ありがとうございます」
スープが入った皿をクリフトから受け取り、二度キュンティオスは礼を言った。そして、自分の手元に来た、小振りのスープ皿を見つめる。
瓦礫をかきわけて集めた、まったく別々の世帯から拾ってきた皿。
キュンティオスは皿を見たまま小さく微笑んで、マリアに同意を求めた。
「これ、おじいさんのおうちの、お皿ね」
「・・・うん。知ってた?」
「ええ」
かまどからスープの鍋は降ろしていたが、そのまま火を焚きつづけている。
その温かみのある炎に照らされたキュンティオスの笑みは儚げで、マリアは笑い返そうとしても眉根を寄せずにはいられない。
痛みを分かち合う相手がお互いの痛みを深めてしまうことがあるのだと、マリアは既に知っている。
そんな二人の様子を見ながら、クリフトは口を挟まないことを心に決め、キュンティオスの足元にある岩の上に、パンが入った小皿を置いた。
「口に合うかわからないけど、食べられたら食べて頂戴」
「ええ。いただくわ」
そして、静かに三人は食事を始めた。かしゃかしゃと皿とスプーンがぶつかる音や、皿を岩の上に置く音、軽くスープを啜る音。
当たり前の音が、虫の音や夜の鳥の声と共に静かに響く。
「おいしいわ」
そう呟くキュンティオスは、マリアのこともクリフトのことも見ていない。
「とても、おいしいわ」
その言葉に「よかった」とも「食べたかったらもっと食べて」とも「ありがとう」ともマリアは言えなかった。
今日一日だけで打ち明けられたキュンティオスの過去を、何から何までマリアは覚えているわけではない。
話を聞いている間に、印象が薄かった事柄は記憶に留められず、忘れてしまったものだってある。
それでも、マリアは気付いていた。
細かいことはマリアにはわからないけれど、少なくともキュンティオスは、こうやって誰かと食事をとる自由を17年間与えられなかったのだ。そして、誰かが調理をしたばかりの、温かい食べ物を食べることも。
キュンティアの死後に彼女がどういう扱いで生活をしてきたのかは、曖昧な部分も多すぎる。それでも、死者として扱われていた彼女が、不遇な生活を送っていたことだけはマリア達にも予想は出来る。
キュンティオスのその呟きは、たくさんの思いがつまった呟きだ。
それへ返す言葉は、どんなに思い巡らせてもマリアには見つけることが出来なかった。そして、クリフトにも。


マリアもクリフトも、キュンティオスにいつ帰るのか、とは聞かなかった。
また、キュンティオスも自分から帰るとは言わなかったし、かといって、このままここにいる、とも言わなかった。
クリフトはマスタードラゴンの言葉を思い出し、キュンティオスもまた今ここで、この先どうやって生きていくのかを悩んでいるのではないのかと考える。

キュンティオスがここに戻らないと言ったら、それを罰するつもりはないことを、伝えてくれ。
もう、あのエルフは解放されて良いはずだ。

その言葉を、彼はまだキュンティオスに伝えていない。彼女の意思すら聞いていないのに、その言葉を伝えて良いのかどうかも彼にはわからないというのが本音だ。

この城は、つらい思い出というものが多すぎるものだろう。
もちろん、それはマリアの故郷の村もまたしかり。
勇者マリアも、キュンティオスも、生きる場所を探し出すことが、生きる第一歩となるだろう。

その言葉を思い出せば、自ら「帰る」と言えない彼女を、ここから追い出すことなぞ出来るはずもない。
薄々マリアも似たことを思っていたのか、何度か困ったような表情でクリフトを見ていた。
ここはマリアが住んでいた村だから、自分には何も決定権はない、とクリフトは思っていたが、マスタードラゴンから直接の言葉を受けたのは彼だけだ。
自分に何故あの竜がそんなことを言ったのか、その真意をクリフトは理解出来ない。
けれど、キュンティオス自身が何かを決めなければいけないのだろうとは思える。そして、それには、きっともう少しだけ時間が必要なのだろうとも。
クリフトは勇気を出して、一晩この村に留まることをキュンティオスに勧めてみた。マリアは少しの戸惑いを見せたが、それに同意し、彼女からもキュンティオスにそれを勧めた。
しばしの間戸惑いを見せていたキュンティオスだったが、「この村で朝日を見るのも、いいものかもしれないわ」との答えを返した。
簡易で作った寝床では、三人は並んで眠ることは出来ない。そもそも、マリアとクリフトは恋仲であるから良いとして、普通に考えれば男女が共に眠るわけにはいかない。
そこでクリフトは自分から、マリアと共に以前一夜を過ごした、あの地下倉庫で一人で眠ると申し出た。
マリアは、キュンティオスと二人きりでいることに緊張はあったがそうするしかないと判断し、彼の提案を受け入れた。当然キュンティオスは他に何も意見を出すことも出来ず、二人の言うがままになるだけだ。
毛布は三人分あるものの、そのうち一枚は切れていて、子供用の大きさになってしまっている。
それにキュンティオスが気付いて遠慮をするといけないと思い、キュンティオスに夕食の後片付けを頼み、クリフトはキメラの翼でそっと村を抜け出した。
夜分に申し訳ないと思いつつ、夕方に別れたばかりのトルネコのもとへいって一枚毛布を調達することにしたのだ。
それだけでトルネコにも、キュンティオスが村に留まるのだということを気付いたようで、すぐに妻であるネネを家の二階から呼び出した。そして、すぐに帰ろうとするクリフトを少しだけ引き止め、袋にチーズや果物、夕食の残りだという揚げパンを詰めて渡してくれた。
その温かい気持ちにクリフトは胸をじんと熱くし、何度も何度も礼を言うしかなかった。
旅が終わってこうやって別れれば、自分は何も生活の力を持たない、無力な若造だ。
そのことを痛感しながら、クリフトは急いで村に戻った。
「おかえり、クリフト」
ようやくクリフトが戻ってきた頃は、思いのほか時間が経ってからだった。
その間に何かなかったか、と心配をするといけないと思ったのか、マリアの方から
「なんてことない昔話をしてたの。わたしが知らないところで、村の人がわたしのことをなんて言ってたか、とか、シンシアがどんなことを思っていたのか、とか。空を見ながら、ね」
とクリフトに教える。
どうやら何も問題はなかったようで、マリアの表情は穏やかだ。
「クリフト、さん。ごめんなさい、わたしのせいで・・・」
少し離れたところからキュンティオスが近づいて来た。それへはクリフトは軽く手を横に振って
「いえ、明日の朝ご飯を少しね、わけてもらってきたので・・・毛布は、そのついでです」
と、半分本当のこと、半分は嘘を言う。マリアはクリフトが持ってきた袋の中身を見て、わあ、と明るい声をあげた。
「ネネさんの揚げパン、冷めても美味しいのよね」
「あ、ご存知ですか」
「うん。エンドールに行った時、一度だけみんなに内緒で一個もらっちゃった。嬉しいな。朝ご飯が楽しみだわ」
クリフトは、自分が知らない場所でマリアが誰かと繋がっている話を聞くことで、いつもなんとなくほっとする。
以前、サントハイムに平和に暮らしていた頃――それは、アリーナに淡い恋心を抱いていた頃――自分が知らない場所で、アリーナが他に人間と親しくしていたことを聞けば、少しばかり焦りに似た感情が湧いていたことを彼は知っている。
けれど、マリアに対してはそういう思いが湧きあがらないということに、彼は気付いた。
それは、アリーナとマリアへの彼の心持ちの決定的な違いだ。
マリアに対してはむしろ、他者との接点をもっともっと多く持って欲しいとすら願う。
残念なことに、マスタードラゴンの言う「生きる場所」を持つことが今は出来ないマリアを、クリフトは自分一人で支える自身がない。誰かがどこかで共に細い糸で支えてくれることを、彼は心から願っている。
だから、少しだけ安堵するのだ。
少なくともマリアは、ネネから差し出されて手を邪険にはしないだろう。
マリアの声音からは、そういう絆が既にあるのだろうということが伺えた。
「はい、クリフト、これも持っていって。床の上は冷えるから、一枚でも多い方がいいでしょう」
「ありがとうございます」
短く切れている毛布と借りてきた毛布、それから持ってきた自分の荷物を抱えて、クリフトは二人に就寝前の挨拶を交わした。
彼が背を向けて地下倉庫への階段に向かって歩き出すと、背後でマリアが「わたし達も寝ましょう」とキュンティオスに言う声が聞こえる。そして、簡易テントの入り口の布をあげる音と、その中に入って行くごそごそとした音。
ようやく長い一日が終わり、体を休められる時間がやってきたのだ、と思いつつ、ふとクリフトは足を止めた。


夜明けにはまだ少し早い時刻。
美しい星座達はゆっくりと沈んで行き、明け方によく見える星が少しずつ自らを主張しだす時刻。
そんな頃、するりとテントから出てくるひとつの人影があった。
夜露に濡れた草達が、彼女の足元に纏わりついて、長いスカートの裾を濡らす。
村の中央付近にある花畑で、彼女は一度座り込んだ。
そして、花を一輪、二輪といくつか摘んで、胸元にそれを押し当てる。
ゆっくりとした動作で立ち上がると、薄らいだ暗闇の中、哀しいほどに原型を留めていない瓦礫に向かう。
そして、その瓦礫の前に花を置き、両手を組んで祈りの仕草を見せた。
あまり時間をかけないあっさりとした祈りの後、彼女は空を見上げた。
「天空城へ、戻るのですか」
「・・・眠れなかったんですか?」
彼女に質問を投げかけたのは、地下倉庫で眠っていたはずのクリフトだ。
そして、クリフトに質問を返すのは、キュンティオスだ。
「なんとなくそんな予感がして・・・天気も悪くなかったので、倉庫ではなくて瓦礫の影で休ませていただきました」
「予感」
「わたしの予感は、マリアさんの暴走を止めるために、旅の間に結構鍛えられたんですよ」
「ふふ、クリフトさんは・・・大変そう。マリアは、激しいところがあるでしょう?」
「ええ」
「でも、彼女のそういうところって・・・みんな、愛情からのものだってわたしは知ってるわ」
そのキュンティオスの言葉は、本当に昔からマリアを知っている人間のように優しい。
「マリアさんは、眠っていらっしゃるのですか?」
「ごめんなさい。怒られるかもね」
「・・・眠らせた、のですか」
マリアは人の気配に敏感だ。それに、案外と繊細な彼女が、こんな状況で熟睡を出来るとはクリフトには思えない。隣に眠っているキュンティオスがこのような明け方起き上がったのに、マリアが気付かないわけがないのだ。
それへキュンティオスは苦笑いを見せた。
「つもりだけど、もしかすると、眠っているふりをしてくれていたのかもしれない」
彼女のその返事に、クリフトは肯定も否定も出来ない。
「天空城へ、戻るのですか?」
もう一度、最初の質問を繰り返すクリフト。
キュンティオスは、明け方の色を僅かに纏い始めた空を仰ぎ、クリフトに向き直る。
「これ以上ここにいても、過去を振り返るだけですから・・・眠る前に、マリアと少し話したの。明日、木こりのおじさんのところへ行こうかって」
「・・・!」
「でもそれは、今のわたしにはまだ酷だし、あの人になんといって説明をしていいかわからない。マリアだってわかっているはずなのにね。きっと彼女は彼女なりに・・・わたしが天空城にこのまま帰ることが、本当はよくないことなんじゃないか、とか、気遣ってくれてるんでしょうね」
それは間違いない、とクリフトは思ったが、あえて彼は返事をしなかった。そして、まだ打ち明けていなかったことを伝えるのは今しかない、と腹を括って、彼女をあまり動揺させないようにと穏やかな声で語りかける。
「キュンティオスさん。マスタードラゴンは、あなたが・・・もし、あなたが天空城へ戻らないと決めたならば、それを罰することはないと、そうおっしゃっていましたよ」
突然のその言葉に驚いたようにキュンティオスは目を丸くした。
クリフトにそれを伝えた、マスタードラゴンの思惑は何なのか。それを考えるように彼女は口を引き結び、クリフトから目を逸らしておし黙る。
「あなたもマリアさんも、ようやく何かから・・・いえ、何かではなく、それは多分、自分自身なのではないかとわたしは思うのですが・・・自分で自分の首をしめたり、自分を苛み続けることから少しずつ解放されてきたように、わたしには思えてなりません」
「・・・自分から、解放されるなんて、そんなこと」
「もう、自分が楽に生きられる場所を探しても、誰もあなたを責めはしません。死んでいった人たちも、生きているマリアさんや、マリアさんのお母さん、そして、マスタードラゴンでも。ああ、わたしは決してあなたが天空城へ帰ることを止めようと思っているわけではありません。ただ」
「ええ」
「天空城に戻っても、すべてが終わるわけではないということだけを、忘れないでください。人は懺悔をすれば、それまでの罪から僅かでも解放され、苦しみ続けた時間の終わりがあるということに気付きます。それが終われば何もかも楽になれると勘違いしている人がいるのですが、その苦しみの終わりというものは、必ずしもその先の幸せを約束するものではないのです」
「・・・あなたは、聖職者っていうものだったものね」
少しだけクリフトを馬鹿にした風にキュンティオスは言う。それが、まるで昔のマリアのようだ、とクリフトは心の片隅で思った。
「わたしが、懺悔して、戻って、はい、これで幸せになれるわ、って・・・そう思っているってあなたは言うの?」
その聞き方すら、マリアに似ているとクリフトは苦笑をせざるを得ない。
「いいえ、その逆です」
「え」
「あなたはもっともっと深く・・・そんな気持ちにならないほど、強い失望、いえ、もっと強い言葉を選べば、絶望でしょうか。これまでの人生でそれらを感じながら、キュンティアさんがお亡くなりになった後には何も変わり映えもない、一日が長く、無意味に思える日々を過ごしていらしたのではないかと、勝手にわたしは想像していました。今日ここでマリアさんに全てを打ち明けることが、そんなご自身にとって生きる意味となってしまっていたのでは・・・と、それを危惧せずにはいられません」
クリフトの言葉は相当に回りくどい。どんな言葉を選べば自分の気持ちをキュンティオスに伝えられるか、口に出すその気持ちを、彼の思い上がりだと思われずに聞いてもらえるか、そして、彼女を傷つけずにいられるか。
それらを全て満たす言葉達を彼は探しあぐね、選ぼうと思えば思うほど回り道をした言葉しか出てこない。
けれど、聡明なキュンティオスはクリフトの言葉をゆっくりと聞き、二言三言、その唇を僅かに動かして復唱をして咀嚼をする。
「少しだけ、当たりかもしれないわ」
「当たり、ですか」
「わたし、ここでマリアに聞いてもらう以外、それ以外、わたしがすべきことは何一つ考えられなかったし、意味もないと思っていた」
クリフトは知らなかったけれど、キュンティオス自身は今日ここで自分が何を口走っていたのかをよく覚えていた。

――わたしがあなたから真実を聞かなければ、あなたの役割はどうなるの?――

キュンティオスが全てを打ち明ける前の、マリアからの問い掛け。
自分はそれになんと答えたのだろうか。それを、キュンティオスが忘れるはずもなかった。

――どうにもならないわ。ええ。どうにもなりやしないの――

――あなたをこの村で守る手伝いが出来てよかった。ただ、それだけの人生になるだけよ――

少しだけ、ではない。
そのことにキュンティオスははっとなり、目の前の若い神官を見た。
あまりに痛い部分を突かれた悔しさと、何故そんなところまでこの青年が理解してしまうのか。その感情が交錯して、彼女は自分でも気付かず、険しい表情でクリフトを睨みつけてしまう。
それに少しだけひるんだのか、クリフトは申し訳なさそうに
「もし、気に触ったのならば、謝ります。わたしのような者が、あなたの途方もない日々を理解出来るとは思っておりませんから」
「そうじゃあない。そうじゃあないの。クリフトさん」
「・・・そうでは、ない?」
キュンティオスは長い髪を揺らして、首を左右に振った。
まるで、嫌なことを聞きたくないかのように、エルフ独特の耳を覆うように手を当てている。
「天空城に戻ったらわたし」
「・・・」
「もう、生きていても、生きていなくても、何も変わらないんじゃないかと思っていた」
「キュンティオスさん」
「それは、あなたが言うように、わたしのとってのこれまでの全ての時間が、今日という日まで生きるために、ただそれだけのためにあったようにすら思えていたからだわ」
クリフトは、眉根を寄せた。
キュンティオスは体を前のめりにして、まるで何かに耐えるかのように上半身を縮こまらせる。
「明日から、何をすればいいのかなんて、何もわからない。ただまた一日が始まって、お腹が減ったら何かを食べて、そうね、シレインが話し相手を欲しがれば、会いに行けるぐらいのことは多分マスタードラゴンは許してくれると思うけれど、別にそれは、わたしがそうしたいわけでもなんでもない。あなたが言う通りよ。わたしの人生は、今日で終わり。そんな風に思ってた。でも」
はっとキュンティオスは顔をあげ、クリフトを真正面から見据える。
「大丈夫よ。そうじゃないって知ってる。あなたが暮らしている国のお姫様が、わたしに声をかけてくれたでしょう?誰かが、わたしに意見を求めてくれたわ。それは、なんという、生きているという実感なのかしら。あなたが言いたかったことは少しわかる。苦しみが薄れたら幸せが待っているわけじゃあないけど、だからといって生きる意味が消えるわけじゃない。今までその苦しさは、わたしが生きていくのに多分必要なものだったから・・・それが薄れていって、自分のことを責めずにいられるようになったら・・・次は、違う何かのためにきっと生きていくんでしょう?それを、わたしが気付かないのかもしれないって、あなたは心配してくれたのね?」
「・・・過ぎたこととは、思ったのですが」
うまく表現出来なかったクリフトの言葉を、キュンティオスは彼女なりに考えた。そして、キュンティオスもまたうまく言葉を選べなかったけれど、思うがままのことをただただそのまま口にして、彼女の精一杯でクリフトへ思いを返した。
それからキュンティオスは暫くは俯いていたが、やがてゆっくり耳を抑えていた手を下ろし、静かに呼吸を整えた。
空の色がまた更に変化を見せ、すっかり夜の鳥達の声も消えうせてしまっている。
明け方にいっそう輝く星だけが、夜の名残を見せるようにまだ僅かに瞬きを確認出来る程度に空にいた。
「・・・クリフトさん。天空城に帰るのは、どこで生きても同じだからじゃないし、あそこに捕らわれているからじゃあないの。わたしは、大丈夫です」
「そう、ですか」
「ただ、わたしは、シレインに伝えてあげようと思っているだけ。あの人の娘が、どれだけ優しくわたしのことを受け入れてくれたのかを」
「キュンティオスさん」
クリフトはほっと胸を撫で下ろすように、小さく息を吐いた。それはキュンティオスにもわかるほどあからさまに、安堵の溜息だ。
その様子がおかしかったように、キュンティオスはくすりと小さく笑った。
「・・・ねえ?どうしてそんな風に、わたしの気持ちを見透かせるのかしら?不思議な人。それに、あなたは随分我慢強い人みたい」
「えーと」
それは、マリアさんが。
これ以上そんなことを言ってもいいものか、とクリフトは少しばかり戸惑った。
彼の表情を見たキュンティオスは、もう一度小さく笑い声をあげる。
「そうね、さっきも言ってたわ。鍛えられたって、マリアに。それかしら」
「ええ、まあ・・・ただ、少しだけ、あなたとマリアさんは似ていると思って」
「わたしと、マリアが?」
「はい」
クリフトは照れ臭そうに、彼なりの種明かしをした。
「あなたもマリアさんも、わたしが想像も出来ないほどの痛みを胸の奥に閉まっていて・・・やるせない思いとか、報われない悔しさや・・・愛する者を守れなかった不甲斐なさ、様様な感情を抱えながら、それでも更に己に鞭を打つように、ひたすらに己がすべきことを強い意志でやり遂げる・・・あまりにも過酷な荷を背負っていらっしゃった。本当は、世界を救った勇者ともなれば、その喜びや達成感に打ち震え、人々からの歓声に応え、誇らしい気持ちでふるさとに凱旋する立場のはずです」
「・・・」
「けれど現実はまったく違う。それどころか、あの人は・・・この先、ご自分がどうやって生きていくかどころか・・・一晩寝て、起きて、自分は何をしたいのか、いや、ここにいても良いのか、ここにいるべきなのか、何一つわからないまま見えないままこの地に戻ってきた。それは、あの人もまた・・・」
「わたしと同じだって言いたいんですね。だから、わたし達は似ているんだって」
「逆を言えば、あなたとマリアさんがまったく立場も、考え方も違って、もっとここでぶつかりあったりしたら・・・それこそ、わたしはあなたの気持ちを想像することも出来なかったことでしょう。わたしはまだ未熟者で・・・教会に懺悔に来られる方を、逆に怒らせてしまうこともあるくらいですから」
クリフトのそれは、謙遜ではなく事実だ。
この旅の間で随分とクリフトはマリアの考え方がわかるようになったし――それに共感をするかどうかは別として――自分では想像もつかないほどの、あまりにも辛い彼女の運命、業の深さと向かい合ってきた。
だから、むしろ彼にはキュンティオスやマリアの、生きることが辛くなるほどの、日常から逸脱した運命を持つ人間の強い憤りや偏った思い込みを想像することの方が、哀しい事に今は容易い。
それよりも、あまりに単純な罪を犯してしまう犯罪者の気持ちの方が、彼からは遠ざかってしまったに違いない。
それはこの先おいおい、多くの人と接して彼自身が経験を積む事でまた変わっていくのだろうが・・・。
「聖職者っていう職業のことを、キュンティアは本で読んで、すごく嫌っていたわ」
「そうなんですか」
「そう。わたしも、あまり好きじゃあなかったけど、でも、あなたはそれに向いているのかもしれないわね」
「褒めてもらっているのかどうか、よくわかりません」
随分にキュンティオスはクリフトにも砕けた調子で話をするようになった。それが悪いことではないのだろうとクリフトは思う。
心を決めたように、キュンティオスはクリフトに背を向け、ゆっくりと空を見上げた。
「クリフトさん」
「はい」
「あの花が咲く時期に、また来ます。マリアにそう伝えて」
「あ、はい。わかりました」
天空城へ帰るのだな、とクリフトは思った。
が、そこでようやく、翼のないエルフがどうやって戻るのだろうか?という疑問に気付く。
「キュ・・・」
「ありがとう。わたし、一生、今日のことを忘れないわ。それから、この村に生きていた人たちのことも」
キュンティオスは肩越しに振り向いて、クリフトに笑いかけた。それから、クリフトからの返事を必要としないようにすぐにもう一度空を見上げ、両腕を広げた。
「!」
それは、彼女の合図だったのか。
クリフトは、びくりと体を震わせた。
夜の名残がまだある空が、突然割れた。いや、割れたように見えるほどの、明るすぎる白い光が、突然空から降り注いだのだ。
その眩しさにクリフトは瞳を一瞬閉じた。だが、彼は何が起こっているのかをどうにか見るため、両腕で自分の目の上と下にひさしを作って薄目を開けようと試みた。しかし・・・
「・・・あ・・・」
眩しいと思った光は、ほんの一瞬。
光に照らし出された瞬間にキュンティオスが溶けてしまったかのように、その場に既に彼女の姿はなくなっていた。
それは、キュンティオスの力ではないのだろう、とクリフトは思った。
天空城でマスタードラゴンはそっと息を潜め、キュンティオスからの「帰る」合図を待っていたのに違いない。
戻ってこないかもしれない。そう思わずにはいられない者の帰りを待つのは、苦痛を伴う。
それでも本当はあの竜は彼女を待っていたのだろう。
もちろん、帰ってこないことを覚悟しながら。
「ああ・・・朝になる」
まるで、先ほどの白い光が呼び水となったかのように、空が白んでゆく。
夕方から夜になる瞬間より、昼から夕方に移り変わるより、夜が朝になるその時間は妙に加速するものだと以前からクリフトは思っていた。それが、こんな山奥であれば尚のこと。
彼の耳に届く音何もかもが、夜には属さない生き物達の音だ。
クリフトは、マリアが眠っているはずのテントに向かった。
その入り口で、小声でマリアの名前を呼ぶ。
「マリアさん。起きていらっしゃいますか」
一度だけ。
二度は言わない、と彼は決めていた。
が、二度目は必要ない、とばかりに、呼びかけに応える声が中から聞こえてくる。
「キュンティオス、帰ったの?」
「・・・はい」
「そう。クリフトは、眠れた?」
「・・・いえ、あまり」
「そう」
ごそごそと動く気配がしたと思うと、マリアが四つん這い状態で中から顔を出し、クリフトを見上げる。
「二度寝しない?わたしもちょっと寝不足なの」
「二度寝、ですか」
下から見上げるマリアは、確かにあまり眠っていないのか、少しばかり疲れた笑みを見せていた。
二度寝というものは怠け者がすることだ、という印象をなんとなく持っていたクリフトは、苦々しい表情になる。
その彼の表情の意味は、そのまま素直にマリアに伝わったようだ。
「ブライって、早起きじゃない?わたしも結構朝は早いほうだけど、ブライほど早く起きたらきっと二度寝するわってトルネコに言ったら」
「ええ」
「二度寝は若者の特権だって言われたの。今日ぐらい、いいと思わない?」
そう言いながらマリアはクリフトの服の裾をひっぱった。
それは、この中で眠ったらいい、という誘いだ。
マリアは、最初の問い掛け以外、一言もキュンティオスのことをクリフトに聞かない。それは、その話を始めてしまうときっと長くなるだろう、という彼女の気遣いだ。
クリフト自身、自分から「実はこんなことを話して」など、世間話気分でマリアに語りたいとも思ってはいなかった。
ついにクリフトは誘惑に負けて、「少しだけですよ。先に起きたら、起こしてください」と気弱なことを言いながら、先にブーツを脱いでから中に入っていった。


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モドル