花束-4-

朝目覚めると、アリーナはまず軽装に着替え、サントハイム城の裏で武術の鍛錬を行う。
もっと女らしくなって欲しい、と前々から父王から言われてはいたが、その彼女の腕っ節により世界が救われたのだから、今となってはそれを止める手立てが彼にあるはずもない。
とはいえアリーナ自身も、以前のようにただ闇雲に「強くなりたいの!世界一の武闘家になるわ!」なんてことは言わないから、その点は父王も少しは胸を撫で下ろしたに違いない。
念入りに体をほぐして毎朝のメニューをこなせば、その日の自分の体調もよくわかる。
その日のアリーナは、相当に調子がよかった。
よかったが、彼女は何故かいつもより早めにそれを切り上げ、自室に戻った。
「水をもってきて頂戴!」
「はい!」
部屋へ行く途中に会った女中に声をかける。それは、飲み水のことではない。
朝から激しい運動をして、アリーナは体が汗でしっとりと濡れていた。
これから彼女は「それなりの」恰好になって、朝食の後はサントハイム姫としての公務を行わなければいけないのだ。その前に、水で湿らせたタオルでさっと体を拭きたい、という意味だ。
(今日は、朝食後にお父様の謁見にお付き合いして、それからちょっと休んで昼食。午後からはお勉強ね)
父王へ謁見の目通りを願い出る者は、他国から来た旅人、商人、サランの町の人間、その他色々と後を絶たなかった。考えれば、旅の間には自分達だって、初めて訪れた土地ではその領主や王に挨拶にいったものだ。自分や父王が、それを受ける立場であるのは、いくらアリーナでもわからないわけはない。
午前中に公務があるとはいえ、朝食の時間はいつも変わらない。けれど、「なんとなく」アリーナは、いつもより早く部屋に戻り、女中が持ってきた水とタオルで体を拭いて、さっさと服を着替えていた。
相変わらず裾が長いドレスは苦手だったし、髪を結い上げたり装飾品をつけるのは好きになれない。
けれど、ここ最近、以前よりは可愛らしい服が好きになった、とアリーナは自覚していた。
あの長かった旅を終えてから、もう既に半月を経過していた。
旅の時間を考えればその半月など、あっという間のはずだった。
けれど、そのあっという間に、サントハイムの姫としての自覚が彼女には大きく育ち、父王の公務に付き合うことだって以前よりは「良い勉強」と思えるようになってきていた。
最初は、クリフトが傍らにいない寂しさを紛らわせるために取り組んだことでもあったのだが、今はそうでありたい、と彼女自身が思っている。そして、それを父王が喜んでくれていることも嬉しい。
いつもより少し早く鍛錬を終え、朝食までに時間を持て余したアリーナは、慌しい城の中を歩き出した。
そして、これもまたいつもはまったく気にもしていないのだが、城の正門が見えるバルコニーに足を運ぶ。
以前は、バルコニーから外の様子を眺め、もっと自分も自由に外に出歩きたいと思っていたものだ。だが、旅をしてきたアリーナにとっては、もはや外の世界は以前のような未知の場所でもないし、行こうと思えばいつでも行けるところだ。
それでもあえて我侭を言わずにここにいるのは、姫としての自覚が出たからであったが、実はもう一つの理由もあった。
「はー、今日もいい天気になりそうね」
そう言って背伸びをすると、バルコニーの手すりに胸を押し付け、前のめりになる。
数日前にどしゃぶりの雨が降って以来、ずっと空は青く澄み渡っており、毎日ベッドのシーツは太陽の香りがする。それは、アリーナが大好きな香りだ。
その時、ふとアリーナは、サントハイム城の正門に近づいてくる人影があることに気付いた。
それは。
「・・・!」
彼女が、外に飛び出すことなく、いい子にしていた、もう一つの理由。
その人物がいままさに帰ってきたのだ。
アリーナは声を張り上げて、まだ姿かたちがようやく見えたばかりの人物に向かって、全力で両腕を振った。
「クリフト!!クーリーーフーート!!クリフトーーーー!」
そして、まだ遠くにいるというのに、彼はアリーナに気付いたように手を振り返すのだった。


クリフトがサントハイム城門を潜ると、アリーナが軽快な足取りで――丈の短いドレスとはいえ、姫という身分上はその駆け足もよろしくないのだが――彼を迎えに出た。
「お帰りなさい、クリフト」
「ただいま、戻りました」
そういって、クリフトはアリーナに深深と頭を下げた。
「ねえ、朝食食べた?」
「あ、いえ、かなり早くにパンをひとかけら」
「じゃあ、一緒に食べましょう。お父様だってきっと、早くクリフトから話を聞きたいに違いないし」
アリーナはそう言って無理矢理クリフトの予定を決めた。
本来、王族であるサントハイム王やアリーナと、このサントハイム城で食事を共にすることなぞクリフトには考えられない。
しかし、彼には、彼を快く見送ってくれた王や、そして今また快く迎え入れてくれたアリーナのことを思うと、それを断るわけにはいかない。
本当は朝食などそこそこにして、サランの宿屋裏に埋めた自分の荷物をとってきたい気持ちもあったが、こんな時間に帰ってきてしまった自分が悪いのだ、とクリフトは腹を括った。
「荷物を置いたら、お食事にしましょ!お父様やブライに知らせてくるわ!」
既に門兵や通りかかった女中は、クリフトが戻ってきたことを噂のように誰かに話しているようだが、サントハイム王の耳に入れるのはアリーナの口からの方がよいだろう。クリフトはそれに頷いて、とりあえず荷物を自室に置くことにした。
サントハイム城には、クリフトが幼かった頃より、城勤めの神父がサランの町から毎日来ていた。そして、彼は時にはクリフトと共に寝泊りをする。
クリフトの部屋としてあてがわれているその場所は、クリフトの私物も多少はあるが、ある意味では共用の場だ。
しかし、その部屋に入ると、クリフトの目にとあるものが飛び込んできた。
「・・・これは・・・」
それは、サランの宿屋の裏に埋めたはずの、神官帽と神官服。
いや、よく見ると、それは新しい。
手を伸ばしてそれに触れて、しげしげと眺めていると、開け放った扉の外から男性の声がした。
「クリフト、戻ったのかね。お帰り」
「・・・ブライ様・・・ただいま、戻りました」
振り返ってその小柄な老人の姿を確認すると、またクリフトは頭を深く下げた。
「神父殿は、昨日今日とボンモール城へおでかけになられておる。明日には帰ってくるじゃろう」
そのブライの言葉への返事はなしで、クリフトは神官服を持っておずおずと尋ねる。
「あの・・・こ、れは」
「うむ。それは、サントハイム王よりの、お前への新しい服一式じゃな。前のものは一応洗ってはおいたが、きっとお前は何かしら新たなものをみつけて戻ってくるだろうから、それも新調してやろう、というお気持ちじゃ」
「前の・・・」
「サランの宿屋の裏に、大事なものがある、とまで、あの方は予知なさった」
クリフトは目を丸くして、ブライを見る。
「行方不明になって戻ってからというもの、色々なものが見えるとおっしゃっていた。が、それらはみな邪悪なものとは無関係で、サントハイムにとって大事な人間のことなのだ、と王はおっしゃっていた。早く着替えて、お二方のもとへいくが良いぞ」
そう言うと、ブライは背を向けて部屋から出て行った。
クリフトは気が抜けたようにすとんと床に尻をつき、新しい服を見つめた。
サントハイムにとって大事な人間のこと。
その言葉が嬉しすぎて、どうしてよいかわからない。
彼は、しわにならないように気をつけながら、神官服をそっと胸に押し当てた。


朝食の場に赴いたクリフトは、まずはサントハイム王へ帰還の挨拶と、新調してもらった神官帽と神官服の礼を述べた。
サランの宿屋裏に埋めた古い神官服について、サントハイム王は穏やかに
「大事な思いが、宝箱が、埋まっているというお告げがあったのでな。掘り起こしてみれば、まったく何の宝でもない・・・と思ったが、それは、この国をまきこまぬようにと配慮した、お前の優しさなのだろう。それは、国を治める者からすれば、かけがえのない宝なのだと思いついたよ」
なんてことを言うものだから、クリフトはアリーナの前でありながら、感動の涙を零しそうになった。
慌てて用意されたクリフトの料理は急ごしらえとは思えぬものだった。
サントハイム王は午前から既に謁見の予定があるから、端的に、とクリフトを急かしながらも、それでもいつもよりゆっくりとした食事風景となった。
「マリアは、あの村にいるの?」
「ええ。キュンティオスさんが戻る、白い花が咲く時まで。それまでは、あの木こりの・・・マリアさんのおじいさんのところで、木彫りの練習をしたり、仕事を手伝うといっていましたよ」
この先マリアがどうやって生きていくのか、そのことを心配していたアリーナは、そのクリフトの話に興味を持った。
クリフトが説明することによると、実は旅の間まったく誰も知らなかったが、マリアは村にいる時は木刀を自分で作っていたのだと言う。それは、幼少の頃から彼女を鍛えるために、剣を教えてくれた男性が教えてくれたのだという。
あまり外界と関わりを持たないあの村では、外で木刀を購入してくるにも年に一度や二度そこらだっただろうし、そもそも子供用の木刀を店頭に置いている武器屋などなかなかない。
マリアは「数え切れないぐらい作ったわ。わたしが自慢出来るのはそれぐらい。他のものは造ったことないし。今思うと、おじさんとかお父さんの血なのかしら?」なんてクリフトに語ってくれた。
どういう経緯でその話題になったのかというと、村人の墓を作ったときに、それぞれの墓に墓碑代わりに、マリアが丁寧に木の十字架を立てようとしたからだ。
彼女は十字架の意味をあまりよくわかっていなかったし、本当は形式ばったことは好きではないのだとクリフトに言った。
そこでクリフトは「十字架でなくとも、その方の名前や、その方へ送る言葉などを墓碑銘として刻んだ石を置く習慣もありますよ」と提案をした。
残念ながら石を削るような技術はマリアもクリフトももっていない。というわけで、その折衷案で、木にそれらを彫って立てようとマリアが言い出したため「マリアさん、そういうのが得意なんですか?」とクリフトが聞いたというわけだ。
マリアの答えで、クリフトの方も合点がいったことがある。確かにクリフトよりもマリアの方が生活能力は高いのだろうが、だからといってあんな簡易テントとも簡易小屋とも呼べる代物をけろりと「作ったの」といえる人物は稀だ。
だが、もともと木材の扱いを心得ていたならば――木刀はもともとはそれなりに大きな木から削り出す上、固い木が選ばれるため相当に手馴れなければ子供が作れるはずがないのだ――クリフトも納得がゆく。
「じゃあ、おじいさんの仕事手伝って、あそこでずっと暮らすのかしら」
「いえ・・・実は先日、ホフマンさんのところへご挨拶に行きまして。その時、ミントスで自警団を作るので、誰か剣を教えることが出来る人間がいないかという話で・・・もしよかったら、マリアさんにどうか、とホフマンさんから言われまして」
「ほう」
それへはサントハイム王が興味を持ったようで声をあげる。
サントハイムやエンドールといった、王が治めている領地であり、その城下町に住む者たちはよいが、そうではなく独立している都市や、どこかの国の領地に所属しながらも、実際はその王がいる城から遠すぎる都市もある。
ミントスは大都市でありながら、どの国の領地支配も受けていない独立都市だ。だからこそ、逆に人々が集うとも言えるのだが。
「その話を聞いてマリアさんも色々考えたらしく、騎士としての訓練をうけてきて、尚且つ、人に教える立場であるライアンさんに話を聞きにいきまして・・・。ライアンさんが言うには、王宮戦士としての剣の訓練をそのまま教えることは、あまり良い手段とは言えないと。むしろ、ホフマンさんがおっしゃる通り、マリアさんのような・・・幼少の頃より、集団としての剣ではなく、個人としての剣技を身近な人に教わってきた人間の方が向いているのではないかと」
「へえー」
アリーナは驚いたような声をあげた。彼女は剣についてのことはからきしだったが、なんとなく言いたいことはわかるようだ。また、アリーナのように、完全に独学で剣技(アリーナの場合は武術だが)を習得した者は、他者に教えることも難しいだろう。
一通りの報告を終えたクリフトに、サントハイム王は労いの言葉をかけた。
それから「今日はアリーナにも公務を手伝ってもらうことになっている。お前は今日一日ゆっくり休んで、明日よりまた務めに励むがよい」と言い残し、先に退出した。
「ねえ、クリフト」
軽の朝食の後でも、サントハイム城ではいつも果物が出される。山葡萄の酸味に顔をしかめながら、アリーナは聞いた。
「で、マリアのこと、放っておくわけ?」
「一応、キュンティオスさんがいらっしゃったら、呼んでくださるようにお願いしてあります」
「そうなの!ねえ、その時、キュンティオスさん、ここに連れてきて頂戴」
「え」
「やあね。わたしがあの人に言った話、忘れちゃったの?」
「あ、いいえ。覚えておりますよ。では、マリアさんも一緒にサントハイムにお呼びしましょう」
そう答えたクリフトに、アリーナは満面の笑みを返す。
「うん!きっとよ、クリフト!」
「はい」
その彼女の無邪気な笑みに、クリフトも口端をほころばせた。
彼は、自分が帰ってきたのだ、としみじみ思うと共に、どうしようもなく胸を痛めながら別れてきた、緑の髪の恋人を思い出していた。


お前は大きな木材を扱うことより、小さな彫り物をする方が性にあっているようだな。
祖父である木こりにそう言われれば、そうかもしれない、とマリアは思う。
クリフトにははっきりとは言わなかったが、彼女がキュンティオスを待ちながら木こりのもとで手伝いをしていたのは、手に職をつけたいという気持ちだけではなかった。
自分が、ちゃんと一人で生きていけることを、彼女は祖父である木こりに見せて、安心をさせたかったのだ。
今でもまだ、血の繋がった家族でありながらも、お互いに不慣れでなかなか実感も出来ない。
それでも間違いなく彼はマリアを心配していたし、マリアの父親、そして祖母が眠る、この小屋脇の墓のことを心配していた。
そう。
彼は、この山を離れる決心をしたのだ。
「俺のように、この山にこれ以上縛られる必要は、おめぇにもないんだぞ」
それは、この17年間、マリアを待ち続けて孤独を深めていった彼の、重い一言だ。
「うん。わかってる」
マリアはそう答えるけれど、たとえこの山を出ても、最後に戻ってくる場所はここなのだろう、という思いが自分の中にあることを痛感していた。
木こりは、息子夫婦が暮らす家の傍に引っ越すことを決めた。そしてマリアは、もしこの山から離れても、必ず年に一度二度は墓参りに来て、ふるさとの村へ、この小屋へ、足を運ぶと約束をした。
マリアの祖父であるこの木こりは、それなりに年をとっている。この先、自分が行きたい、と思った時に、この場所に彼が足を運べなくなる時が必ずやってくる。
だから、マリアは約束をした。約束をしながら「約束なんかしなくても、わたしは絶対、ここに戻ってくる」という強い気持ちを必死に飲み込もうとしていた。
マリアは、彼にキュンティオスを会わせることは酷だと思っていたし、キュンティオスもまたそう考えるだろうと予測した。
白い花が咲く時期に、キュンティオスはこの山に戻ってくる。
きっとその頃にはまだ祖父はこの小屋にいるけれど、口実を作って数日は村に戻ろう、とマリアは決めていた。
(ふふ、わたしったら)
マリアは、洗濯物を小屋の外に干しながら自嘲気味に笑みを浮かべた。
(どんどん、この先の予定が増えていくのね。信じられない)
デスピサロを倒したら、マスタードラゴンを倒す。
その先のことは、何も考えられなかったはずだ。
なのに、どうしたことか。
こうやって、祖父のこと、キュンティオスのことはもちろんのこと、この先生きていくためのこと、どうやって生きていくかはわからないけれど、ここにある墓を守ること、そんな未来のことを思い描けるようになったなんて。
何が自分を変えたのだろうか。
そう考えると、そこにはクリフトの姿とキュンティオスの姿が浮かぶ。
もし、マスタードラゴンに勝ったとしても、キュンティオス自身があれほどのことを打ち明けてくれなければ、事態はまったく違っていたように思える。マスタードラゴンの立場から説明されても、きっとマリアの憤りは収まらず、もしかすればより激しい憎しみをあの竜に抱いてしまったかもしれない。
その感情は、生きていく上で、マリアの前進を阻むものだ。
旅の終わりに近づいた時に、マリアは自分が「その場から動いていない」人間なのではないかと思いついたことがある。
仲間たちは各々の思うがまま、歩いて行く。その先にある何かに向かって。
けれど、自分はただそこにいるだけで、歩き出すこともなく、ただ存在するだけだ。
足首に蔦植物のような何かが絡みつき、それらはまだマリアを許してくれなかった。
なにより、彼女は歩き出す必要も感じていなかったし、自分がどの方向に歩いていけば良いのかも、選ぼうとすらしていなかった。それらのことは、彼女にとってとりたてて重要ではなかったからだ。
けれど、キュンティオスから打ち明けられた衝撃の事実は、少しずつマリアの足首を締め付ける何かをゆっくりとゆっくりと解き解した。
最後まですべての蔓を振りほどくことは出来ずに、それらは足首にいつまでも纏わりついていたけれど、マリアの傍らにはクリフトがいた。
彼もまたマリアと違っていつでも歩き出せる人物だというのに、そうすることを捨ててマリアのもとに残ってくれた。
だから。
だから、自分は足元に絡みつく、たくさんの陰鬱な感情を捨てようとした。
しかし、やはりそれはすぐには出来なかった。
マスタードラゴンのこと。キュンティオスのこと、キュンティアのこと、シンシアのこと。
それらがマリアの足を少し軽くし、けれど、それらを知ったがゆえに、決して解けることのない何かが彼女を拘束する。
以前のマリアなら、それらを憎憎しく思い、忌々しく思い、その場で毒づいて暴言を吐くだけだったかもしれない。
しかし、彼女はただ静かに「そう思い続けても、別にいいのかもしれない」と静かに思い、絡みつく何かを根っこから切り捨て、解くこともしないまま歩き出した。
そして、クリフトも多分、「それで良い」と思ってくれるのだろう。
少しでも、自分が歩き出したことを、きっとクリフトは喜んでくれるに違いない。
そんなことを思いながら、マリアは鍋に蓋をした。


クリフトは当たり前だった日常に戻り、そして、マリアは失ってしまった日常を今から作ろうとして、気が付けばそれなりの日数が経過した。
彼らは、手紙をお互いに書いたり、こまめに会いにいったりはしない。
会いたいと思えば、本当はいつだって会いにいける。
クリフトからすれば「またマリアに信じてもらえないかもしれない」という懸念は多少はあったり、マリアからしても「クリフトは以前の生活に戻ってわたしを忘れるかもしれない」という感情がないわけではなかった。
けれど、二人は話し合ったわけでもないのに、お互いそれぞれで「会わない」と決めた。
お互い心の中で「会いにいかないことを、怒っていないだろうか」と心配をする反面「何故会いに来てくれないんだろう」との不安も抱き、自分の決心を棚上げした、そんな苛立ちも時には感じていた。
クリフトは生まれて初めて、誰かに手を差し伸べるために、自分が常に人々に信頼されるように勤勉でなければいけない、ということを意識していた。
そんなことを考えなくても、彼はもともと勤勉な人間だ。けれど、勤勉であることを美徳として行っているだけでもなく、「何かをするために」そうであろうと意識をすることなぞ、これまでなかった。あえていえば「神に仕えるものとして、そうであることは当然」との考え方を改めたということかもしれない。
マリアさんのために。
そんな言葉が心の中に浮かぶたび、彼は、自分はなんと博愛の精神に到達出来ない人間なのか、と多少苦々しく思う。しかし、それと同時に、そんな自分があまり嫌いではない、とも感じるのだ。
だから、彼は「そうしたい」と願い、ひたすらに以前と同じ日常で日々を大切に過ごしていた。
まあ、あんなわがままを通してマスタードラゴンとの戦いに赴いたのだから、ある意味では当分おとなしくしているのが当然ではあったが。
一方のマリアは、これ以上の心配をクリフトにもかけまいと、心に決めていた。
彼は間違いなくマリアを支えてくれる存在ではあったが、だからといって何もかも彼をたよりたいとは思えない。
マスタードラゴンと対決をしようと決めた彼女のことを思って、クリフトはサントハイムすら一度は背を向けて来てくれたのだ。それは、嬉しかった。嬉しかったけれど、彼がそこまで自分を思ってくれたのだ、と考えることは、ある意味ではとても恐ろしくも思えた。
そして、誰かを大切に思うことは、回りまわってその思いが一周すると、自分を大切にしなければいけないのだということも、マリアは理解した。
旅の間にはそれを気にもしていなかったし、そういう「思い方」を出来なかった。けれど、今ならばそういう気持ちに素直に従えると思う。
だから、クリフトを心配させないために、逆に何も連絡を取らなかった。
手紙を書いても、直接会っても、少しだけは愚痴が出てしまいそうだったし、心も折れてしまいそうだと思えた。
もしかしたら「マリアさんは、また強がりを」と思われるかもしれない。
それはちょっと癪だったけれど、でも、確かにこれは自分の強がりだ、と素直に受け入れることにした。
二人はそんな風に、まるで傍から見れば破局してしまった恋人同士ように、背を向け合ったように日々を過ごしていた。
そして、ふたつきもしない頃。
ついに、あの白い花は蕾を大きく膨らませ、今にも芳香を放ちながら花弁を開きそうな、そんな季節になったのだ。


朝、マリアが目を覚ますと、祖父である木こりは既に起きていて、椅子に座って何かを考えているようだった。
「おはよう。わたし、寝過ごしちゃった?そうでもないよね?」
「おう、おはよう。いや、寝過ごしちゃいないさ」
「・・・どうしたの?」
「・・・なあ、マリアよ」
寝巻き姿のままで、マリアは祖父の向かいの椅子に座った。
彼は、朝だというのに少しくたびれたような表情で、マリアに問い掛けた。
「シンシアは、死んじまったのか?」
「・・・え」
「さっき起きてよう、外に出たら」
「・・・うん」
「花が」
彼のその言葉の意味は、マリアには一瞬で伝わる。
祖父が口にしたその「花」とは、白い花以外の何物でもないだろう。
そして、それはきっと、墓に供えられたのに違いない。
「あの花は、上の方に咲いているって、お前いったよな?」
「うん」
「誰が一体、あれを摘んで、この時期に持ってきてくれたんだろうな」
マリアは、その答えを知っている。
けれど、それを彼に伝えることは出来ないと強く思い、黙って彼を見ていることしか出来なかった。
キュンティオスが、来ているのだ。
だったら、今日は故郷の村に戻らなければ。
そう思うけれど、彼女はその場から離れられなかった。
「お前、知ってるんだろ。あの花、誰が持ってきてくれたのか」
「・・・空の上に、お城があって、そこに、本当のお母さんや、他に翼が生えた人たち、それから、エルフがたくさん住んでいたの」
「シレインも、そこにいるんだろ?」
「多分。それで、そのお城のいる天空人もエルフも、もちろん地上にいるエルフ達も、あの白い花が好きなんですって。シンシアのことを知っている誰かが、きっと持ってきてくれたのね。わたし達がシンシアのことを忘れないように、その誰かもシンシアのことを忘れないで、こうやって花を届けてくれたんだと思うの」
そう言いながら、マリアはゆっくり立ち上がった。
「ごめんなさい、今日は、出かけてくる」
「・・・その、誰かにでも会いに行くのか」
勘が鋭いな、とマリアは心の中で苦笑した。
確かに不自然なことは百も承知していた。それでも、この日が来ることを考えて、最近「ちょっと出かけてくる」と朝から小屋を何度か出ていたから、疑われずに済むのではないかとも思っていたのだが。
「ううん、違うの。花が咲いたなら、わたし、やりたいことがあって」
「そうか。明日は木材持って山を降りるから、手伝えよ」
「わかってる」
「そうだな・・・俺も、この小屋を出る時にゃあ、シンシアの墓に一度くらい花を供えてやってもいいだろう?」
「うん。それから、長老にも」
「ああ。あと、あれだ、ドッセルと・・・」
あと、誰だったかな、いや、誰でもいいや、と呟く祖父の傍を離れ、マリアはベッドの上にぐしゃぐしゃになっている毛布をたたみ、手早く服を着替えた。
朝食は、昨日のうちに焼いておいたパンひとつ。
それを、ブランカの町近くに行商に来る商人から買った羊乳で飲み込み、いつもは持たない手かごを持ってマリアはさっさと小屋を出た。
暑くもなく寒くもない、丁度よい気候。
朝の空気がマリアの肌を、吸い込んだ肺を、気持ち良いほどに刺激する。
きっと、キュンティオスは、村で待っているに違いない。


マリアが山奥の村に辿りつくと、そこにキュンティオスの姿はなかった。
地下の倉庫まで探してみたけれど、彼女はそこにもいなかった。
見ると、マリアとクリフトが二人で作った墓ひとつひとつに、あの白い花が供えられている。
キュンティオスはマリア達から何を聞かなくても、ここが彼らの墓であることに気付いたのだろう。
「・・・あ」
見ると、その墓のうち二つほどには、まだ花が置かれていないということに気付く。それを見てマリアははっと思いついて、村から出た。
村からもう少しだけ北。
旅の終わりにみなと別れ、気球を着陸させたあの場所。
マリアは彼女にしては息を切らせながら、必死に走った。
習慣というのは恐ろしいもので、マリアもまたアリーナと同じく旅を終えた後も日々の鍛錬を続けていた。
それは、この先何かまた戦いに臨むつもりがあるからではない。単に「そうやって一日が始まった」からであり、習慣として一度失われれば、むしろ二度としないのではないかとすら思える。
そんなわけで、マリアは旅が終わった後でも、そう簡単に息を切らせるわけはなかったのだが、山道のそれなりの険しさ相手に全力で動けばさすがに呼吸も浅くなる。
その浅い呼吸の中、鼻をくすぐる香りがかすかに漂ってきたことに気付き、彼女は更に急ぐ。
足元がでこぼこして危うい中、絡んでくる茂みを時には手で払いながら進む。
「・・・はっ・・・は・・・!!・・・」
そして。
マリアは、生まれて初めて、あの花が咲き乱れている姿を目にすることが出来た。
その衝撃にマリアは立ち尽くした。
知っていたはずだった。これだけの量の花が育っていることを。
そこは、気球でここに降りたあの日、この山奥で「唯一降りやすい場所」と彼女が思った通りぽっかりと開いた空間だったのだ。
そして、それは、あの花が群生していたからだったのだし。
どれだけ広がっているのかは知っていた。
けれど、それらが一斉に花を開くと、これほどに美しいとは想像出来なかった。
眩暈がするほど溢れてて空気を染めているその甘い香り。
生命力溢れた萌える緑に映える、美しい白い花びら。
そして、広い空間に広がるその花畑の中で、キュンティオスは膝を折って花を摘んでいる姿。
(・・・シンシア・・・!)
マリアはぐっと下唇を噛み締めた。
毎年毎年、こうやって、きっとシンシアはここで花を摘んでいたのだろう。
摘んだ花を、祖父の小屋傍にある墓に供えて、彼とささやかな会話をかわし、その後手かごいっぱいに花びらを詰めて村に帰る。
それが、シンシアの年に一度の外出だったのだと、今はよくわかる。

――もうちょっとマリアが強くなったら一緒に行きましょう――

それは、果たされなかった約束だし、果たせないとシンシアも思っていたはずの約束だったけれど。
こうやってキュンティオスが代わりに約束を果たしに来てくれたのだ。
「キュンティオス」
マリアは花をかきわけてキュンティオスに近づいていった。
「マリア」
キュンティオスは呼ばれたことに気付いて顔をあげ、笑みを見せる。
「キュンティオス。来てくれたのね」
「ええ。約束していたでしょ」
「うん。嬉しいよ」
「あなたの村、お墓が出来たのね」
「うん」
「長老のお墓の分と、ドッセルさんのお母さんの分、まだ供えていないの」
「うん」
ふと見ると、キュンティオスの足元には大きな手かごがあり、そこに既に花が山ほど摘まれていた。
キュンティオスは、マリアが手にしている手かごを見て、もう一度笑った。
「マリアも、マリアの分を摘んで。それぐらいの量があれば、十分作れるわ」
「わかった」
マリアはキュンティオスと並んだ。シンシアが纏っていた香りをつくるには、花びらと蘂(しべ)の部分が必要なのだと言う。だから、がくの付近で花を摘んでは手かごにいれる。
その作業をしながら、マリアは今の自分の状況などを簡単にキュンティオスに話した。
キュンティオスもまた、天空城に戻ってからのことを簡単に語る。そして、天空城を出て、世界樹の下で暮らすのも良いのではないか、と考えていることも。
マリアは安直にそれを「いいんじゃない」とは言えなかった。
自分が生きていた場所を失うことも、自分からそれを捨てることも、とても勇気が必要であることをマリアは知っている。
それは、マリアであり、ある意味ではクリフトのあの日の覚悟であるからだ。
キュンティオスにとって天空城は、生きてきたけれども苦痛の場所であることは多分変わりがないだろう。けれど、新しい場所が彼女にとって幸いとなる地であるかは、誰も保証を出来ない。
「まだわからないわ。まだわからないけど、何かを変えようかと思って」
そのキュンティオスの言葉は、よくわかる、とマリアは思う。
ただ、シレインのことだけは気がかりなの。最後に呟いたキュンティオスの言葉も、痛いほどに理解出来る。
けれど、シレインもまた、何もかもの真実を知って、罪を犯した身ではあっても何かを変えようと思っているかもしれない。それを知ることがマリアには出来ないが、あの気丈な天空人は、決して心を閉ざしたりはせずに、日々を生きようとしているのではないかと想像する。
それから二人は、手かごいっぱいに摘んだキュンティオスがマリアに声をかけるまで、無言で花を摘み続けた。
「キュンティオス、あのね、いっぱいいっぱい花を摘んでいきたいの。花束をいくつも作れるぐらい」
「どうして?」
「どうしても。手伝ってくれる?」
「いいわよ」
理由を言わないマリアのことを不思議そうに見て、けれどもキュンティオスは問い詰めたりはしなかった。


村に戻るとキュンティオスは、マリアに香水の作り方を教えてくれた。
マリアが勝手に液体だと思っていた「白い花の香水」は、液体ではなく、練り香水だということを、そこで初めて知らされた。
旅の途中でのガーデンブルグでマーニャの買い物に付き合った時、液体の香水をあれこれ選んでいる姿を見ていたし、アリーナも「よくそういうものを、サントハイムにやってきた商人が『サントハイム姫へ』って置いていくんだけど、使いやしないわ。お母様は、そりゃあそういうのが似合う人だったってお父様はぼやくけど」なんて言っていた。だから、「そういうもの」は、液体だとマリアは思っていたのだ。
以前一緒に食事をした時と同じように、丁度良い岩やら枯れ枝やらに二人は腰掛けて作業を始める。
「作るには一晩かかるのだけど、簡単なの。その一晩は、待ってあげるだけの一晩」
「そうなの?」
キュンティオスに教わりながら、おそるおそるマリアはキュンティオスが持ってきてくれた材料を鍋にいれて溶かしたり、浮いてきたごみや汚れをとった。
また、その間にキュンティオスはマリアに説明しながら、花びらを液体に浸け、瓶につめた。
一日でやることは、たったこれだけだとキュンティオスは言う。
「材料は、今日はわたしが持ってきたけど、この山で全部手に入るでしょ?」
「うん・・・木の実の油でしょ。蜜をとるときにはがす蓋みたいなものでしょ・・・それから、あ、これはないかな。お酒みたいな」
「これは、どの町でも売っているわ」
「そう・・・そうよね。シンシアが作っていたんだものね」
そもそも、エルフ達は人間よりも余程自然に属する生き物だ。キュンティオスがマリアに見せる材料は確かに、作り方さえ知っていればこの山で調達出来るものばかりだった。まあ、どれも一手間かかるため、どこかで調達する方が楽なことは確かだが。
考えればシンシアはこの村からほとんど出ず、そして、花を摘んでからこの村で作っていたのだろうから、全てが調達できて当たり前なのだ。
「はい。これで今日は終わり。明日、このゴミをとったのものが固まってると思うし、こっちは花の香りが抽出されると思うわ」
「そうなのね。ありがとう、キュンティオス」
「じゃあ、明日も来るわ」
そういってキュンティオスは小さく笑みを見せた。
「・・・」
もう行くの?と聞けば、きっとキュンティオスは「ええ」と答えるに違いない。
マリアはそう思って、その問い掛けを止めた。そんな、無意味な会話は、もうたくさんだと思う。
たった二度しか会っていなくても、どことなくマリアにはキュンティオスという人物のことが理解出来ていた。
マリアは思い切って、キュンティオスを誘った。
「ねえ、キュンティオス。わたし、クリフトにね、キュンティオスが来たら呼んでくれって言われてたの。また、この前みたいにここで一緒に三人で食事でもしない?」
「いいえ・・・マリア、いまね、わたし、シレインと一緒に生活をしているの」
「・・・え」
「だから、シレインの実の娘であるあなたと・・・わたしが食事を一緒には出来ないわ。彼女がしたくても出来ないことを、差し置いてわたしがするわけにはいかない」
「だ・・・だったら・・・」
マリアはそこで言葉を飲み込む。
たとえ、真実が明かされたとしても、マリアの母親であるシレインが天空城を捨てて地上の人間を愛したことは、消えない罪なのだ。
だったら、あの人も一緒に、とはマリアは口には出来なかった。
「・・・そしたら、キュンティオス、明日わたしが香水作ったら」
「ええ」
「それを、シレインに、届けて。それぐらいなら、許されるんじゃない?地上に降りた土産よって、そう言って渡して。天空城で作る香水より、全然出来はよくないんだろうけど、渡して」
「・・・マリア」
「知ってる。いつでも天空城には行けるけど、それでも母娘として会話は許されないんでしょう」
「そうね」
「でも、いつかは許されるかもしれないでしょう」
「・・・」
それにキュンティオスは答えなかったけれど、そうであって欲しいとマリアは思う。
今まで、実の父や実の母に会いたいとか、家族と暮らしたいとか、そんなことは考えたことはなかった。
マリアのその言葉は、すべてあの哀れな天空人へのただの同情だ。
それでも、あの天空人がマリアを娘として愛していることに、僅かでも応えてやりたいと彼女なりには思っているのだ。
「わかったわ。上手にできると、いいわね」
「うん」
キュンティオスは風に吹かれる長い髪を軽く片手で抑えた。
その様子は、マリアにシンシアを思い出させた。そして、こんなふうに何かをキュンティオスから教われば、尚のことシンシアの面影を重ねてしまう。
けれど、もう自分の中には「キュンティオス」という新たな友人が正しい形で生まれている。そのことは、嘘ではないとマリアは思う。
「キュンティオス。この花、一緒に旅をした仲間のところに届けたいの」
「あら」
「一人じゃ、持てる量にも限りがあるから、一緒に持っていってくれない?今日やることは、他にないんでしょう?」
キュンティオスは少しだけ困惑の表情を浮かべた。
しかし、諦めたように小さく息を吐いて
「そうでもしないとあなたも、仲間のところになかなか行かないでしょうしね」
と笑みを漏らす。
「そ、ういうわけじゃ」
そのキュンティオスの言葉にマリアは驚いて、眉根を寄せた。
みんなのところへこの花を届けようとは、最初からマリアは決めていたことだった。
そして、このまま天空城にキュンティオスが戻ってしまうのはつまらないのではないか、と思いついて、気遣いをしたつもりだったのだ。なのに、これではやぶへびではないか。
キュンティオスは穏やかな笑みを見せながら
「決めたら?この時期に、みんなにこれからずっとこの花を届けるって」
なんてことを提案する。
「なんで?」
「あなた、今まで村の人以外と親しくしたことがないから、遠くにいるお友達とどういう風に付き合っていいかわからないでしょ」
「・・・そんなの、キュンティオスだって一緒でしょう?」
「そうね。でもわたしからすれば、あなたは17年間遠くにいた、一方的な友達みたいなものなのよ?」
「う」
マリアは言葉を詰まらせた。
それから、嫌そうに
「なんか、キュンティオスと話してると」
「ええ」
「時々クリフトと話してる気がするな」
「それは、クリフトさんがすごくあなたのことをわかっているってことでしょ」
「?」
「17年間、わたしはあなたを見てたのよ。それも、キュンティアと仲良く女の子同士の会話をしている、素のあなたをね」
それと変わらぬほどにクリフトはマリアを知っている。キュンティオスはそう言おうとしているのだ。
マリアは困ったように肩をすくめて降参のポーズを見せた。
「今更だけど、キュンティオスはシンシアにも似てて、クリフトにも似てて、わたしが太刀打ちできるわけないわよね。こっちはまだ2回しか会ってないっていうのに、そっちは経験が違うんだもの」
「そういうことね」
マリアは不服そうな表情を見せてから、吹いてくる風を気にして、先ほど溶かした香水のつくりかけの鍋を、張りっ放しにしてあった簡易テントへと移動させた。
「この風は気持ちがいいわね」
「うん。たまにシンシアが、羽帽子を飛ばされるくらい強い日があったんだけど、今日はいい日ね」
テントから戻って、マリアは足元に置いてあった花を腕いっぱいに抱えた。
「じゃあ、観念するわ。マーニャとミネアはまだ寝てるかもしれないから、まずはバトランドに行こうかな」
「クリフトさんは?」
「駄目よ。サントハイムに先に行ったら、アリーナに捕まって長居しちゃうから」
キュンティオスは声をあげて軽く笑った。それから、彼女もまた、摘んできた花を腕いっぱいに抱えて立ち上がる。
「あ、そうだわ。供えていなかったお墓が、まだ残っていた」
そう言うとキュンティオスは慌てて、村の奥にマリア達が作った墓へと近づいていく。
そして、白い花を供えていない墓前へ抱えた花を数本置くと、彼女は膝を折って静かに祈りのポーズをとった。それは、長老とドッセルという男性の母親の墓だ。
実際にはキュンティオスは村人達と会話を自分が出来たわけではない。キュンティアを通して「見て」「聞いて」いただけの間柄だ。
それでも、彼女にとっては、村人達との触れ合いは大切な「他人との交流」だったのだろうし、それがあったから彼女は17年間生きてこられたのだろうともマリアは想像する。
だから、キュンティオスはキュンティオスなりに大切にみんなのことを思い、祈りを捧げるのだろう。
(シンシアの墓にも、ああやって祈っていたんだろうな・・・花を供える、って、今まであまりよくわからなかったけど・・・)
キュンティオスの後姿を見ながら、マリアはふと、以前旅の途中でクリフトと話をしたことを思い出した。

――ロザリーさんがお亡くなりになった場所に、花を――

――花を置くとどうなるの?――

――どうにもなりません。ただ、わたしもマリアさんのように、ロザリーさんに、花畑とか、見せてあげたかったと思って――

今なら、あの時クリフトが口にした感傷の意味がよくわかると思う。
そうか、わたしは、何も知らない子供で、こういう形で失った人を大切に思うことすら出来なかったのだ。そして、今はそれに気付けるほどに、自分に変化が訪れたのだ。
そのことに驚いて、マリアは僅かに頬を紅潮させた。それと共に、抗えない大きな感情の波が彼女の心を揺り動かす。

今すぐ、クリフトに会いたい。
クリフトに会って、久しぶりねって言って、花束を渡して、それから。
ロザリーヒルにもこの花を持っていこう、と誘おう。
きっと彼は、笑顔で返事をしてくれるに違いない。

「ごめん、キュンティオス」
「なあに?」
「やっぱり、その」
「?」
「行き先、変えていい?」
「お好きにどうぞ」
マリアはそれへ礼も言わず、花束を片手で抱えたままキュンティオスの腕に触れる。そして、「行くわよ」と一声かけると、、空間転移のルーラの呪文を唱えた。

二人が去った誰もいないその村に、また静かに風が吹いた。
数々の墓前に置かれた花は、その風にかすかに揺れ、在りし日にシンシアが身に纏っていたその甘い香りを放っている。
マリアへの愛情ゆえに倒れた村人達は、その優しい芳香に包まれ、ようやく静かに眠りにつくことが出来るだろう。
そうであって欲しいと願えるほどに大人になって戻ってきた、マリアの姿に喜びながら。


Fin

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