楽園-3-

自分の予感を、言葉に明確にすることは、とても難しい。
それは、予感というものが曖昧なものだからでもあるが、感じ取ったその予感への恐怖が間違いなくそこに存在するから、だとわたしは思う。
予言の巫女として生まれたわたし。
そもそも予言というものは、良い予言であれば聞く必要がないものだ。
未来の明るい話は、その未来に体験した時に喜びになれば良い。
それに、良い予言を伝えることは、人という生き物を怠惰にすることに繋がる。
残念ながら、それは地上人でも天空人であっても変わりが無いことだと、わたしは思うようになった。
少しずつわかってくる、地上人と天空人の違い、そして、違わない部分。
わたしは、毎年、白い花の咲く時期に、マリアの父親の墓参りというものを行っている。
そうすることで、わたしは己の立場を再認識して、ここにいるために心を強くしていられることが出来るからだ。
けれど、いつからだろうか。
その行為が、殊更に苦痛になってきたのは。
わたしは、マスタードラゴンに、マリアの父親を殺すことを願い出た。
たとえその申し出がなくても彼はそう遠からず死に行く運命であったし、彼に用意されていたその死は、苦痛に苦痛を重ねてのた打ち回るつらい流行り病でのものだった。
マスタードラゴンが落とした雷によって、彼は苦痛を感じる間もなく一瞬で命を奪われた。
それは、彼にとっての最後の幸いではなかったか、とわたしはずっと思っていた。いや、そうであって欲しいと願っていたのだ。
けれど、それはただ自分が楽になる言い訳だったのだ、と最近わかるようになった。
今まで、天空の道理で事を行っていたわたし。
地上での生活は、そんなわたしに苦しみを与えるかのように、わたしの意識を変えていってしまった。
必要以上に己を苛むならば、墓参りなぞしないほうがいい。
そう割り切れたならば、どれだけ幸せだっただろうか。
マリアの母、シレインも愛していた、白い可憐な花。
天空城に縁のものであれば、誰もが知っている、甘い芳香を持つ花。
わたしは、地上に降りるときにその種をもって来ることと、それを育てるための土をこの山の一部に敷き詰めることを、マスタードラゴンに許された。
地上の土では、うまく育たないあの花。
人々が知らない一晩のうちに、村よりも北にある草原には「天空の土」が敷き詰められ、種が植えられた。
時期がくれば花々は咲き乱れ、わたしの心を揺らす香りが一面に広がる。
それは、わたしに天空を思い出させる温かな思い出の香りであり、一方で悲しみの香りでもあるのだ。
その日の早朝、わたしはまだ蕾のまま咲かぬその花を摘みに、村から抜け出した。
それは、いつもよりも相当早い時間。
一本、二本、三本。
蕾だけの花束なんて、花束とは言えないような気がする。
けれど、あの男の人が愛した天女が好んでいたこの花を、どうしても今年も持っていってあげたかったのだ。
「他の、咲いてる花も摘めば、それらしくなるかな・・・」
毎年の墓参りは、その花が咲き乱れる時期に花摘みに訪れ、摘みたてのその花の束を持って行っていた。
けれど、今年はそうはいかない。
わたしが感じ取った「予感」はひどく曖昧だけれど、心のどこかでは核心に触れているのではないかと思うほど明確なサインをわたし自身に送り続けているのだ。
どういう形になるかはわからないけれど。
この花が咲く頃、わたしは墓参りに来られないだろう。
天空に戻る日が来るのだろうか。
それとも、マリアと共に旅立つ日が近づいているのだろうか。
それとも。
それとも。
いつもならば花が咲く時期、村の誰かと一緒に花を摘みに行き、そして、山をくだったところにある墓参りに足を運ぶ。
墓は、マリアの父親の父親、つまり祖父が住んでいる家の傍にある。
わたしは毎年そこで、マリアの祖父とちょっとした話をして、そして村に戻るのだ。
けれども、今年はそうはいかない。
そういう予感がする。
だからといって、いつものように村人を伴えば、何故今年は早いのか、とその人間に問い詰められるだろう。
そう思って、その日わたしは誰も起きていない早い早い時間に村を抜け出し、花だけを墓の前に置いてとんぼ帰りをした。
マリアの祖父が飼っている犬がわたしに気付いて声をあげたが、彼が家から出てくる前にわたしは退散をした。
けれど、きっと彼は気付くだろう。
花を供えたのがわたしであると。
それにどういう意味があったのかを、いつかわかる日が来るに違いない。
どういう形であろうと、その日が来た時にわたしはここにいないのだろうけれど。
村にそっと戻って、慌てて家へ駆け込んだわたしは、既に冷えているベッドにそのまま身を投げ出した。
バタバタと足を動かして、無造作に靴を脱ぎ捨てる。
そうだ。今日は、久しぶりにキュンティオスに力を借りよう。
ベッドの上で、ごろりと寝返りをうち、少し荒い息を整えながらわたしは思う。
キュンティオスは、モシャスの魔法は使えなかった。
だから、少しだけ力を借りて、唱えられるようになろう。
長老に教わったら、きっとすぐ唱えられるようになるだろう。
何故か、それがとてもよいアイディアに思えて、ベッドの上でわたしはくすくすと笑った。


「ねえ、キュンティオス」
村を抜け出した日から、数日後。夜の帳が降りる頃。
わたしは、何度かそれまで繰り返した問いを、家の中で一人、再び呟いた。
瞳を閉じて、椅子の背もたれに体を預けて。
そうして静かに呼吸を整えれば、もしかしてキュンティオスの声が聞こえるのではないか。
そんなことを思いつつ。
「マリアは、わたしを、責めるかしら。全てを知ったら、わたしを怨むかしら」
今まで何度か繰り返したその言葉には、今まで一度も返事をもらえていない。
きっと、それはこの先もそうなのだろう。
耳を澄ましても、意識を脳内に集中しても、キュンティオスの言葉は聞こえない。
ただ「同化している」という感覚が強くなるだけだ。
キュンティオスは、わたしの問いの意味をどう捉えるだろう?
言葉で色々説明したい、と思わないわけでもなかったが、悲しいことにわたしはその感情を、うまく言葉でキュンティオスに伝えられる自信がないのだ。
わたしは、家を出て、空を見上げた。
頭上には満天の星空が広がり、果ての無い深さをわたしに感じさせる。
寒い季節は、もっともっと空気が澄んで、星のまたたきもいっそう美しく見える。
寒いね、寒いね、といいながら、それでもその美しい夜空を見たくて、マリアと二人で夜空を見たこともあった。
一人で空を見る時は、いつもわたしは天空城のことを思い出し、キュンティオスのことを考える。
けれど、マリアと一緒に見上げる時は、心を痛め、隣にいる彼女へ不意に「ごめんね」と謝りたい衝動にかられることもある。
それでも、わたしは彼女と一緒に空をみれば、わたし達が二人、この村で間違いなく共に暮らしている家族であることを実感し、無性にそのことが嬉しいとも思うのだ。
そして、ずっとずっと。
このままであればいいのに、と時折思う。
その願いは、叶わないと知っているからこそ願いとして存在するものだ。
叶うと知っていれば、それを強く願うことなぞ、必要がないからだ。
ずっとこのままでいられたら、いいのに。
それは、この村にわたしが暮らし続けて。
そこにはマリアがいて。
今、ここにいる人たちが全員、ずっとずっと同じような穏やかな毎日を送ること。
わたし達がつくりあげた、マリアを守り、育てるための場所。
この空の上の天空城から見下ろせば、ちっぽけすぎて場所の特定すら出来ないだろう、あまりにも小さな箱庭。
その箱庭に存在する、愛しい時間。
わたしは地上に降りて、地上の道理に触れてから、ある意味では天空城もまた、一種の箱庭なのだと感じるようになった。
けれど、同じ箱庭ならば、わたしは。
「キュンティオス、お休み。わたしも、体が冷えそうだから、戻るわ」
誰も周囲にいないことを確認してから、わたしはキュンティオスにそう言って、同化を解いた。
寸前までわたしが見上げた、天空城が見えるはずのない、けれど、間違いなくどこかには存在するのだろう、深い星空。
それらの美しさは、天空城からはあまりよく見えないものだ。
天空城の上には更に更にと空が広がっていくけれど、多くの日に天空城のすぐ頭上には薄い雲が膜を張ったように出来ている。
だから、ここまで広く、ここまで美しい夜空をあそこで見ることは出来ない。
今はもう慣れたかもしれないけれど、キュンティオスもきっと、地上で見ることが出来るこの星空に最初は驚いたに違いない。
だから、わたしは昼も夜も、空を見上げる。
キュンティオスがいる場所からは決して見ることが出来ない、天の様子。
こんな美しいものを見て、地上の人々は生きているのだということを感じた時、わたしの胸は熱さを帯び、目の表面がからからに乾くのではないかと思うほど瞳を見開いてその光景を見続けた。
そう。
同じ箱庭ならば、星が美しい場所の方が、わたしには魅力的に思えるのだ。
家に戻ろうとした時、少し離れたところにある家から、誰かが出てくる様子が見えた。
マリアだ。
「あれっ、シンシアー!!」
「どうしたの?珍しいわね!」
「うんっ、星が綺麗だから、ちょっとだけ外で見たくなって!」
夕食を終えた後なのか、マリアの頬は少し火照っているようだ。
温かいものを食べて、満腹になって、本当は修行の疲れで眠りたくもなる頃だろうに。
マリアは、ショールを肩に羽織ってわたしの家の方まで近づいてくる。
「シンシアは?」
「ふふ。わたしもね。今日はほんとに、星が綺麗よね。ちょうど、家に戻るところだった」
「あっ、そうなんだ。ごめん、呼び止めちゃった」
マリアは慌てたようにわたしに謝る。
「んーん。いいの。マリアが星を見るなら、わたしももうちょっと一緒にいようかな」
「折角だもん、一緒に見よう?一人で見てるとさ、時々、なんかすごく寂しくなるの。でも、シンシアと一緒だと、寂しくならない」
「そっか」
「そうだよ」
そう言ってマリアは、いつも二人で腰をおろす花畑へとわたしの手を引く。
マリアが言うことは、わたしにも少しだけわかる気がした。
こんな広い空を見ては、美しい星を見ては、なんと自分はちっぽけで、この地上で一人なのだろう。
そういう心許ない気持ちになることはわたしにもよくある。
そして、そのちっぽけな存在であるはずのわたしが、人々の運命を変え、人生を操り、それから。
いつでも、この少女に許されたいと思うほど、自分を苛むように生きているのだ。
わたしは、わたしの手を掴む、温かな家から出てきたばかりの彼女の温もりをじんわりと感じた。
このぬくもりを「しあわせ」と呼んだら、地上に生きる人々は笑うだろうか。
天空人達は笑うだろうか。
エルフのお姉さま達は笑うだろうか。
キュンティオスは、笑うだろうか。それとも、悲しむだろうか。
そして、マスタードラゴンは。


それは、なんの変哲もない、いつもと変わらぬとある日。
前日、夕食前に寒気を感じたわたしは、いつもならば寝るはずのない、とんでもない早い時間にベッドに潜り込んだ。
背筋に走る寒気。
体の調子が悪いのだろうか。
風邪をひいてしまったのだろうか。
天空城では「風邪」と呼ばれるものを体験したことがなかったけれど、地上に降りて数年経った頃に、わたしはそれを経験することになった。
年に一度は、ないと思う。
だから、いつも「それ」なのかどうかの判断が少し曖昧だ。
ただ、「疲れた」とか「だるい」といった体調の変化とは違う、明らかな具合の悪さを感じることだけは、風邪の共通の症状だと思える。
きっと、風邪だ。
そう思って、前日は温かい飲み物を飲んで、薬草茶も飲んで、早く眠ってしまった。
朝目覚めれば、けろりと体調は良くなっており、薬草茶が効いたのかな?と不思議な気持ちで、その一日は始まった。
食事を作って、食べて。
洗濯をして干して。
家の掃除をする前に、天気も良いし、少しお気に入りの花畑に行こう。
わたしは、村の真中あたりにある、小さな花畑に足を運び、ぽかぽかした陽気の中でごろりと横になった。
空を見上げれば、流れていく雲。
ゆっくりとゆっくりと、風に逆らうことなく動いていく。
そのとき、キュンティオスが同化する予兆を感じ、わたしは瞳を閉じて力を抜く。
「・・・キュンティオス、来てくれたのね」
もちろん、返事があるわけもない。
けれど、わたしは関係なく、珍しくキュンティオスに声をかけ続けた。
「今、この空の、ずっと向こうで、あなたは眠っているんでしょうね」
瞳を開ければ、青空。
見える雲の真上に、天空城があるのではないか、とわたしは一瞬錯覚に陥る。
「キュンティオス、わたし、今、悩んでいるの。とってもとっても大きな選択肢の前で、どうしようもなく悩んでいる」
空から目を逸らして顔を曲げると、可愛らしい花の姿が目の前にあった。
朝露はもう乾いてしまった花々。生き生きとした緑色の茎と葉をもった小さな花達も、「いつも通り」の姿で咲いている。
「その選択肢を間違えたら、今までのわたし達の17年間は、なんだったのかと・・・そうあなたも思うんだと思う。だから、間違うわけにはいかないの。でも、わたし・・・」
咲いている花の中で、一番鮮やかな赤色。けれど、小振りの花。
それへ手を伸ばして、ぶちっと茎を折る。
「ねえ、キュンティオス。この村の預言は、当たると思う?」
問い掛けに、もちろん返事は無い。


この村には、マリアが勇者となる預言があった。
翼を持つものが残す子供について。
それは、わたし達、天空にいる者達が操作をしたことではない。
皮肉にも、マリアの母親であるシレインがこの地に来る以前に、既にその預言はなされていた。
もちろん、そう思えば、だからこそ翼を持つ天空人の存在をこの村人達は受け入れてくれたのだろうと思う。
時々わたしは思うのだ。
わたし達は、予言の巫女としてのわたしの能力で見た未来に振り回されて、一人の人間を殺し、その男の妻を天空へと連れ戻し、この村の人々の人生を狂わせた。
しかし、狂わせたと思っていたわたしが降り立ったこの地では、マリアのことを「翼ある者が残す、生きる地を持たぬ者」と預言書に記されてあった。
それは、わたし達が「マリアを勇者にするためお膳立てをして、シレインを天空に連れ戻して引き離す」ことですら、既に「地上にいる誰か」に預言されていたということだ。
もしかしたら、踊らされていたのはわたし達かもしれない。
そう思えば思うほど、やはりこの広い空の下、唯一のこの村で生きるわたしは、どうしようもないほどちっぽけで無力な生き物ではないか。
そんなわたしが、この村の人々を監視しながら17年間生きて、では、実際マリアはどうかといえば、勇者には未だほど遠い。
わたしが得たものは、この世界を救う勇者ではなくて――――。


わたしは寝返りをうつように体の向きを変えて、手折った花をぞんざいに放った。
それらは生えている草花に紛れて、すぐにどこにいったかわからなくなってしまう。
「あ」
その時、マリアが歩いてくる姿が視界に入ってきた。
マリアは、わたしが彼女に気付いたことがわかったようで、少し遠くから手をあげて、声をかけながら近づいてくる。
「シンシア、おはよっ」
「おはよう、マリア」
にこにこと可愛らしい笑顔で傍らにくると、マリアは上からわたしを見下ろした。もちろん、わたしも横になったままで、彼女を見上げることになる。
「日向ぼっこ?」
「ふふ、こうして寝っ転がっていると、とてもいい気持ちよ」
「今日はいい天気だもんね」
そう言って、マリアは空を見上げる。
「あ、父さんにお弁当届けなきゃいけないんだ。またね」
彼女はそう軽く笑って手を振ってから、背を向けた。
いつもならば、「うん」と軽く返事をするところだが、わたしはマリアを引き止めた。
「ねえ、マリア」
「え?」
驚いてマリアは振り返る。わたしは、マリアに余計な不安を与えないように、寝転んだ気楽な恰好のままで話した。
「わたし達、大きくなってもこのままでいられたらいいのにね」
突然のその言葉を不思議に思ったようで、マリアは眉間に皺を寄せる。
「どうしたの?シンシアったら、変なこと言うのね・・・っと、急がなきゃ!ご飯食べたら、また来るわ!」

わたしは上半身だけ起こし、マリアの後姿を見送る。
彼女の姿が消えても、その視界には不思議と彼女が残っているような気がする。
大好きな人。
この17年間ずっと成長を見守って、小さな赤子だった彼女はそのうち歩き出し、走り出し、いつしか肩を並べるようになった。
同じことで喜び、同じことで笑い、同じことで悲しみ、同じことで泣き、本当はわたしがキュンティオスと共にするべきだったことを、ずっと一緒にしてくれた、とても大好きな妹。
もし、あなたが勇者としていつまでも覚醒をしないとしても。
それでも、わたしは。
「・・・っ・・・?」
わたしは、突如、昨日と同じような寒気を感じて身震いをした。
風邪。
では、ない。
ぐるりと周囲を見渡しても、いつもと何一つ変わらない光景。
わたしはそのまま再び花畑に横たわり、瞳を閉じた。
きっと、何かが来る。
これは、その兆候なのだろうと思う。
(風邪じゃない。きっと、昨日から、何かを感じ取っていたんだ)
馬鹿なわたし。
それを気付けないほど、わたしはただのエルフとなり、世界のことではなく、勇者となるべきマリアのことではなく、自分の体調なんかを心配して薬草茶なんて飲んで。
そうなってしまうほどに、この17年間はのんびりと穏やかで、けれど、あっという間で。
(何かに気付いたとしたって、わたしには何かを出来るような力なんてない)
ただ、何が起きるのか、それを心して待つだけだ。

それは、予想以上に早く訪れた。
マリアが「お使い」を済ませて、食事をするといって家に戻った直後、わたしの感じた「何か」がやってきた。
始まりは、突然の悲鳴と、聞いたことが無い鳴き声。
それはきっと、魔物の鳴き声なのだろう。
「魔物だ!!魔物が来たぞおおお!!!」
外敵が来た時に鳴らすことになっている竹筒のしかけが動き、不快な音を響き渡らせる。
村人達はその突然の事態にも心積もりがあったように、それぞれ思い思いの武器を手にして、家屋から出てきた。
花畑で慌てて体を起こすと、ちょうどマリアは家から誰かに連れられて出てきたようだった。
「・・・シンシア!」
早足でマリアに近づいて、わたしはまくしたてた。
何かがあった時には、マリアをどこに隠すのか、を村人達はみな約束事としてそれを知っていた。けれど、マリア自身は、そんな取り決めがあることなんて知らない。
わたしは、彼女が安心してその「隠れ場所」にいけるように、後から自分も行くということを伝えた。
「マリア、あなたにもしものことがあったらわたし・・・とにかく隠れて!わたしもすぐに行くわ!」
その時わたしは、自分の口から出たその言葉に驚き、一瞬全身を硬直したように思えた。
もしものことがあったら、わたし。
どうするというの。どうなるというの?
そんなことは何も考えてやいなかったはずなのに、出てしまったその言葉。
何度も何度もわたしを振り返りながら、半ば無理矢理連れて行かれるマリアの姿が視界から消えた。
そして、背後から聞こえてくる殺戮の音。
わたしはマリアが隠れる地下倉庫よりは少しだけ手前の茂みに隠れ、村人達の様子を伺った。
村の入り口側から、魔物が押し寄せてくる。
昇る煙、人々の悲鳴、断末魔、魔法の轟音。
誰かが、魔法の炎で焼かれながらくるくると回る姿。
それらは、あまりに悲惨で、目を逸らしたくなる残酷な光景ばかりだ。
けれど、わたしの脳内には、遠い昔天空城で預言の儀式を行う際に見た、こんな状況よりも更に過酷な未来の映像がいつもどこかに仕舞われており、それらに比べれば――。
いや、比べられるわけがない。
そこで、一人、また一人と命を奪われている人たちは、わたしの家族なのだ。
それなのに、わたしの心は既に麻痺してしまっているようで、体すら何も反応をすることなく、ただ「ここにいる」だけだ。
涙も出ない。恐怖も感じない。
ただ、ついにこの日が来てしまったのだという思いが心に広がり、その広がった波はわたしにたったひとつのことを求めるように、一方向へ押し寄せてくる。
マリアを、どうするの?
それが、わたしが苦しんでいた題目だ。
村人達の危機を見て、マリアは勇者としての力を突然発揮するかもしれない。
本当は、それが一番ありがたいのだ。
ここでマリアが皆を守り、そして、勇者として自覚を持ってくれれば、そんなにうまい話はない。
――そう。
そんなに、うまい話なぞ、ないのだ。
では、ここでみんなでマリアを守って死んだとしたら、その後マリアはどうするのだろうか?
もちろん、そんなことを保障するものなぞ、誰一人何一つありやしない。
だから、どうしようもなく揺れていた。

――選びなさい――
     ――あなたが、何をするべきなのか――

わたしは、決断した。
キュンティオスに問い掛けずにはいられないほど揺れていたのに、驚くほどあっさりとわたしの心はひとつの決断にたどり着いたのだ。
茂みからそっと離れて、マリアが隠れているはずの地下倉庫へ近づくと、ちょうど地下への階段をあがってくる人物と出くわした。
それは、いつも優しかった、あの人。
いつもマリアに教えていた剣を、きっと彼はこれから魔物に向けるのだろう。
そんな彼に、わたしは、彼に残酷な事実を告げなければいけなかった。
「みんなが」
「ああ」
「消えていくの。炎に焼かれて。魔物に囲まれて、刺されて」
彼は、静かにわたしを見た。
決して「お前も隠れろ」とか「何故ここに来た」とも、彼は言わない。
わたしは、その彼の態度で悟った。
きっと彼は、知っているのだ。わたしが今から何をしようと思っているのか。
あの、優しい老人は決して彼に、わたしがもともとこの村にはいなかった存在だとは、話してはいないと思う。
けれど、彼はわたしがモシャスの魔法を習得したことを、長老から聞いていたに違いない。
それがどういう意味なのかも、多分彼は。
「・・・先に行く。出来れば、お前には来て欲しくない」
「少しだけ、時間を稼いで。別れを済ませてくるから」
「シンシア」
「わたし、この村で、マリアといられて、本当に幸せだった」
彼はそれへは言葉もなく、泣き笑いのような表情を見せ、それから走り出した。
一刻を争う状況であるのに、わたしは彼の後姿を見送る。
それぐらいは、許してもらってもいいのではないか、と思うのだ。

地下倉庫の階段を降りて、倉庫の奥の部屋。
そこで、マリアは金縛りにあったように動けぬ状態で立ち尽くしていた。
わたしを見ると、わずかに表情が変わる。けれど、動けぬ体ではどうしようもなく、瞳だけが少し動き、何かを伝えようとするだけだ。
そっと、彼女の手をとる。
何度も何度もお互いにぎゅっと握り合った、剣を持つには少し小さい手。
女の子にしては、少しだけ大きめな手。
わたしは、彼女の手を握って、微笑んだ。
きっと、今マリアは不安で不安でどうしようもないのだろう。
もちろん、わたしと同化しているキュンティオスだって、そうに違いない。
そうだ。キュンティオスに、別れの言葉を言えなかった。
今ここで言ってしまえば、マリアに聞こえてしまう。
彼女は、わたしを許してくれるだろうか。
彼女と生きることを捨て、マリアと生きることを選んでしまったわたしを。
結果的に、彼女に辛い役目を強いたわたしを。
何もかもを打ち明けることが出来なくなってしまった、この地上の理に染まってしまったわたしを。
「マリア・・・今まであなたと一緒に遊べて、とても楽しかったわ」
そして。
マリアも、わたしを許してくれるだろうか。
あの人は、許してくれるだろうか。
村人達や、それから、死んでしまったあの男性、シレイン、そしてマスタードラゴン。
心のどこかで、いつでも許しを乞い続けた、この17年間がもうすぐ終わるのだ。
地上に降りなければきっと、それは知ることのなかった思い。
だけど、それは決してつらいだけではなかったのだ。
その思いを知ることが出来た喜びが、間違いなくどこかにはあったのだと思える。
これから自分がやらなければいけないことへの恐怖と、すべてが終わるのだという不思議な安堵がないまぜになって、わたしはマリアに微笑みかける。
「大丈夫。あなたを殺させはしないわ」

――キュンティオス、力を貸して!――

わたしは、強く願った。
次の瞬間、わたしはキュンティオスの魔法力を借りて、モシャスの呪文を唱え、マリアの姿形へと変化する。
それを見て、わたしが何をこれからしようとしているのか、マリアは気付いたのだろう。
彼女の顔の筋肉がまた僅かに動き、その瞳が訴えてくる。
そんな彼女に対して狂おしく何度も何度も湧き上がる欲求を、わたしは必死に抑えた。

髪を撫でたい。
もっともっと、大丈夫って言ってあげたい。
抱きしめてあげたい。

マリアにも、キュンティオスにも。

けれど、それはもはや叶わないことだとわたしは知っている。
これ以上ここにいるわけには、いかないのだ。
わたしは、キュンティオスとの同化を解いた。
これからほんの数十秒後に、きっとわたしを襲うであろう苦しみの瞬間を、彼女に見せたいとは思わない。
それに、万が一、同化している間に死んでしまったら、その時キュンティオスがどうなってしまうのかも、不安だし。
それまで、いつもいつもわたしの中に一緒にいたような、キュンティオスの意識が遠のいていく。
いつもよりそれはゆっくりで、そのことで、どれほどキュンティオスが最後まで同化解除に抗ったのかがわたしには伝わった。
(ごめんなさい、キュンティオス)
そして、ついにわたしはマリアに背を向けて走り出した。
冷たい、暗い、カビの匂いのするこの場所に、愛しい彼女を残し、わたしはわたしの最後の戦いにいかなければいけない。
地下倉庫の階段を昇ると、そこには今のこの村の状況とはあまりに不似合いな青空が広がっていた。
先ほどよりも、いささか騒ぎは静かになっているようだ。
そっか。
みんな。

みんな、もう、生きていないんだ。

泣きそうな気持ちを抑えながら、わたしは走った。
まるで最初からそこに幸せな村などなかったように壊された家達。
あちらこちらに現れた毒の沼地。
石畳に焼きついた、人の痕。
飛び散った血が、残された草木についており、そこで生き物が殺されたことを主張している。
死骸は、ない。
ただ、最後の一人が、そこでまだ戦っていた。
「・・・先生っ・・・!!!」
わたしは、マリアの声で、叫んだ。
多くの魔物に囲まれていたぶられている、あの人。
けれど、次の瞬間、魔物達は彼から離れた。
既に防具なぞ、何の役目も果たしていない。
肩当も胸当ても、固定している革がひきちぎられ、ほとんど生身の体のまま彼は戦い、傷つき、あちらこちらが焼け焦げているようだ。
その彼の前には

「・・・っ・・・!!」

ぞくん。
背筋に走る悪寒。

あれは。

あれは。

「先生っ!!逃げてっ・・・!!」

それが既に彼には出来ないことだと知っていて、それでもわたしは叫ぶ。
彼が逃げてどうなるのだろうか。
彼が生きて、どうするというのだろうか。
自分の叫びが無意味であることを、昔のわたしならば悟って、きっとそんな声をあげなかったに違いない。
彼の目の前にいた一人の魔族が、呪文を唱えた。
それは、イオナズンの呪文。
次の瞬間、彼の頭上で起こった爆発で彼の体はふっとび、走り寄ったわたしの足元に転がってきた。
もはや、誰の目から見ても彼が事切れていることは明らかだった。
この、殺戮の場で、わたしは一人になったのだ。
わたしは、もう動くことの無い、どこもかしこも傷つけられて、人としての原型をかろうじて留めているだけの彼の体を抱きしめた。
その別れの余韻に浸る間もなく、ゆっくりと彼の体を横たえて、わたしは立ち上がって叫ぶ。
「もう、これ以上村を壊すな!わたしが、お前達が探していた、勇者だ!」
ざっ、ざっ、と近づく魔物の足音。
その奥で、さきほど彼へイオナズンを放った男がつまらなそうにわたしを見ている。
それは、遠い昔、わたしが天空城で儀式を行った時に、わたしを跳ね除けた男だ。
「お前が、勇者か。なにの力も感じぬ、ちっぽけな子供だな。このような者が、この先世界を救うとは、片腹痛い」
男はそう言うと、背を向けた。
それは、わたしにはもう興味が無い、ということだろう。
それは、わかる。
マリアの姿形、その能力を得たわたしですら、今のマリアからはまったくといっていいほど、勇者の素質を感じることが出来ない。

ああ、わたしの選択肢は、間違っていなかった。
マリアを、この魔物達に向かわせなくて、よかったのだ。

そのとき、わたしは天に向けて祈りたい気持ちになった。

本当は、違うのだ。
わたしがこの姿になりマリアを守るのは、自分の使命のためではない。
ようやく、それを素直に「何かへ」告げることが今出来るのだろう。

魔物が、わたしを囲む。
わたしは、傷ついた彼の腰にもう一本残っていた剣を引き抜いた。
それを合図に、一斉に魔物がわたしに襲いかかる。

恐怖に負けそうになる前に、きっとわたしの命は消えるのだろう。
わたしはどこか狂ってしまったのか、こんな無残な現実の中、優しい声を何度も繰り返し聞いていた。
それは、鼓膜が覚えてしまっていた、救いと約束の言葉だ。

――シンシア――

――お前さんは、マリアを、守ってくれるのかね――

長老。
守ります。
守ります。
わたしは、マリアを守ります。
そうすることでしか、わたしはあなたの許しを受ける権利がないのだから。
そして、その許しを受けたいと思うのは、自分が救われたいからだけではなく、それこそ「マリアを守りたかったから」なのだから。
わたしは、気が違ったように剣を振り回し、叫んだ。
魔物達はそれをさもおかしそうに眺めている。
その叫びや行為とは裏腹に、わたしは、自分がこれから死ぬであろうことを静かに受け入れていた。
だって、仕方がないではないか。
自分を人として生かしてくれていた、この小さな優しい箱庭がなくなってしまっては、わたしは天空にも、地上のどこにも生きていくことが叶わないと感じるのだから。
優しい、温かい、マリアのためだけに作られたはずの、この箱庭。
それは、本当は、わたしがただのエルフとして生きることが出来た楽園だったのだ。
人々が夢見る楽園なぞ、天空にはない。
そして、地上の何処にも本当は無い。
けれど、きっと唯一わたしにとっては、今消えてなくなろうとしているこの場所が「それ」だったのだと今ならわかる。
大きな魔物の、鋭く尖った爪が、わたしに振り下ろされた。
声帯がおかしくなってしまったのではないかと思えるほどの異様な叫び声が聞こえる。
それは、マリアの声であり、わたしの声だ。
焼け付くような痛みに支配され、噴出す血を浴びながら、無意識で叫びながら、ただひたすらにわたしは祈る。
術が解けませんように。
マリアが、生き延びますように。
わたしが守ろうとした世界には、既にわたしの居場所はなくなってしまったけれど。
マリアにとって幸せを感じられる場所が、この広い世界のどこかにありますように。
ただ、それだけを。
魔物が手にした武器が、わたしの体を貫いた。何かを口から吐き出したが、それが何なのか自分ではよくわからない。
ようやく、わたしは解放されるのだ。
わたしが許された、この世から消されてしまう、この楽園の片隅で。
既に痛みを感じることすら出来なくなった状態で、わたしは目を見開いて倒れた。
何一ついつもと変わりなく、美しく広がる青空。
それを少しだけ恨めしく思った途端、わたしの意識は遠のいていった。


Fin

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モドル