てのひらの花-1-

もうすぐ、雪が降る季節だ。
暖炉に火を入れるようになって、数えればもう10日。
サントハイム付近は、あまり多くはないけれども例年雪が降る。
比較的四季折々の風情がみられる地域として他国の人間はよく珍しがるのだが、アリーナやクリフトはそれに特に疑問を持つこともなく育った。
行方不明になったサントハイムの人々を救おうと世界を旅していた間は、サントハイム地域は穏やかな気候の時期であり、他の国、地域に足を伸ばしても、彼らはあまり違和感を持たなかった。

「マーニャさんは踊り子だからそんな恰好なんでしょうけれど・・・寒い時期はどうなさってるんですか」

クリフトは、旅の最中にふと思った疑問を、マーニャに投げかけた。
ミネアはそうでもないけれどマーニャはいつも露出が多い恰好――踊り子の服なのだろうが――で、出会った頃のクリフトは、毎日目のやり場に困ったものだ。

「寒い時期?なんか適当に一枚羽織っていりゃいいし、別になんてことないじゃない」

それへさらっとマーニャは答えたものだが、クリフトが彼女達の出身地――コーミズ村――近辺に雪がほとんど降らないことをブライから聞いたのは、相当後になってからだ。
彼女達にとっては、毛皮のコートやらフードやらは防具以外の何物でもなかったのだろう。

「あ、そういや、この毛皮とかって、もしかして防寒具ってヤツ?へー。金持ちの親父がたまーに毛皮くれたりもしたけど、すぐ売っちゃってたから気付かなかったわ」

だいぶ後になって、マーニャが笑いながらそのようなことを言っていたような気もする。そして、ブライや魔物がヒャドを始めとした氷魔法を唱えると「久しぶりに氷とか見たわー」とも呑気に呟いていたはずだ。
まあ、なんにせよ、共に旅をした仲間達はそれぞれの故郷に戻り、そして、それぞれの故郷はお互いが知らない四季の姿を持つに違いない。
普段、アリーナにクリフト、そしてブライは、暑ければ脱げばいい、寒ければ着れば良いとばかりに、もともと何枚かの服を重ねている。それはサントハイムの人間の習性のようなものだ。そして、旅の間に彼らはそれを特に気にすることなぞなかったのだ。
(今日もまた、寒くなった)
クリフトは自室のベッドの上で目覚めて毛布から体を出すと、部屋の冷気でぶるっと体を震わせる。
暖炉の火は消して眠るものだから、朝は困る。
勇気を振り絞ってベッドから降りて、クリフトは肩掛けを羽織った。それから、暖炉に火をいれるために火種を貰うために通路に出る。
彼の朝は早い。しかし、それよりもブライの朝はもっと早い。
普段のブライの「朝が早い」ことは、特に役立つとは思えなかったけれど、冬は別だ。
彼は、夜番の女中らが火種を絶やしていないかを早朝から確認し、もしも火種が切れていれば火を起こす。
それはもう何年何十年と彼の習慣になっており、サントハイム王から命じられたわけでもなかったけれど、今はサントハイム王までもが「ブライは冬の間は、何か肩書きを増やしてやらねばな」と言うほどだ。
クリフトは、夜通し女中たちが詰めている女中部屋に足を運んだ。その暖炉は夜通しついているはずだけれど、夜番の女中が毛布に包まってうたた寝をしている間や、朝の準備をするため部屋を留守にする間に消えていることも多い。夜の間は、普段大人数いる女中達の中、たった二人だけになるのだ。そういう手落ちが発生することは、誰も責めることは出来ない。夜番は夜通しの仕事があるわけではなく、「緊急を要する事態」に備えてそこにいることと、朝早くにやってくる野菜を売る商人から野菜を受け取ることが最低限の仕事なのだし。
「おはようございます、ブライ様」
「うむ。今日はまたいっそう冷えるの」
ブライは暖炉の前で椅子に座って、なにやら魔道書らしきものを読んでいる。
旅の間にも、彼は一人早く眠りについて、早朝から動き出していた。
「そうですね。息の白さが、いつもよりはっきり見える気がします」
「もうすぐ、雪が降る頃じゃて。十日ほど後には、降り始めるかもしれん」
火種をいただきますね、と言って、クリフトは小さなたいまつに火を移そうとした。
手を動かしながら、言葉を続けるクリフト。
「世界を回るまではよくわからなかったのですが」
「うむ?」
「地域によって、四季というものは違うのですね」
「そうじゃな。とはいえ、我々はひとところに長くおらなんだ。今頃、他の国はどのような気候やら」
その気になればルーラの魔法でいつでも他の国にいける、老魔法使いはそう言って「ほっほっほ」と笑った。
耳に慣れたブライの笑い声は、クリフトの目には白い息として映り、そして消えて行く。
そうですね、と返した自分の口から吐き出された白い息も、空気に溶けるようにすぐ見えなくなった。


かつん、かつん、と、辺りに音が響く。
ブランカ北東にある山奥の、小さな村。
そこには、人が一人で住むには十分な、あまり広くない小屋があり、現在マリアはそこで暮らしている。
その日の彼女は、祖父に作ってもらった小さな木箱の形を整えていた。
この山の麓近くには、年間通して木材を売りに出せるほどの木々が生い茂っている。
いくつもの山が重なり合っているその地帯で、マリアの村がある山の高さは低い部類に入る。
そのせいか、冷気は周囲の山に阻まれて入り込まず、そして標高もあまり高くないため、山頂近くにいっても雪が降り積もるということはほとんどない。
もちろん、マリアが住んでいるその村に雪が降ることも相当に稀なことだ。
一年に一度、二度あるかないか。
祖父に聞けば、すぐ隣にあるもっと高い山には雪が積もり、春になってからの川の増水の力を借りて、上流から木材を流したこともあったのだという。
けれど、この山にはそのようなことはない。
だからこそ、祖父もこの山の麓に居を構えていたのだろう。
「はー・・・」
マリアは机の上の小箱の角を削ることへの集中が途切れたように、息を吐き出して椅子の背にもたれた。
「一個作るだけでこんなに時間がかかってちゃあ、なぁ・・・」
彼女は戦いを終えて世界を救った後、誰一人いない故郷の村で、祖父の指導を受けながら自活の一歩を踏み出そうとしていた。
彼女は木刀を作る術を幼い頃から身につけており、木を扱うことに相当に馴れていた。
それは、血と言えば血。
祖父も、父も、木こりだった。
だから、と言ってしまえば陳腐にも聞こえるが、彼女にもまた木材を扱って何かを作ることを、生業にしようと考えているのである。
旅の仲間達は彼女からのその報告を聞いて、みな「大丈夫なのか」と心配をしたり、「まあ、世界を救った勇者の手づくり椅子、などというふれこみならば、多少は最初のうちは売れるだろうか」などと、相当に心配をしたものだ。
しかし、実際マリアが長けていたのは、材木を切り出すことでもなく、家具を組み立てることでもない。
実は、彼女は木材に彫刻を施すことを得意としていたのだ。
それは、祖父からも父からも受け継がなかった、彼女の手だけに宿った、ありがたい才能だったのかもしれない。
まだ相当に荒い彫りしかできないものの、彼女のおかげで「無骨だがすわり心地が良い椅子」と評されていた祖父の作品が「ほっとしながらも可愛らしい椅子」になったり、「子供が気に入る、夢のある椅子」になったりと、本当に僅かでは有るが、少しずつ生計のための力になってきたことは事実だ。
(とはいえ、働く時間ともらうお金のバランスが悪い気がする)
そう思って溜息をつくマリア。
彼女の思いはあながち間違えてもいないことで、トルネコにでも呟けば即答してくれるほどに明確なことだ。
(一ヶ月、二ヶ月、ううん、半年、それとも一年?どれだけかかるんだろう。上手になるまで・・・うーん。違う。上手になる、なんてことじゃなくて)
剣を持っていた手に、今は彫刻の道具を持ち替えている。
磨いたり削ったりする作業のおかげで、腕は今までと変わらず鍛えられているし、毎日必ず祖父が住んでいる小屋と往復をし、井戸水も自分でくみ上げ、生活の何もかもを一人で営んでいる。
あまりに変わってしまった日々に戸惑いつつ、自分の能力に惑いつつ、あっという間に一日がいつも終わってしまう。
そして、夜、眠りにつく前に、恋人のことをふと思い出す。
今頃、クリフトはどうしてるだろうか。
最後に会ったのは、いつだっただろうか。
出会って、共に旅をしていた間。
毎朝起きればそこにはクリフトがいて、そして、宿で仲間達にお休みをいう時には、毎日そこにはクリフトがいて。
いつだって、会いたいときも、会いたくないときも、そこにいたのに。
こんな風に、会えない日々が続くなんて。
それは仲間達誰に対しても言えることだったけれど、相手が想い人ならば尚のこと堪える。
会いたい。
布団の中で瞳を閉じて、自分の恋人のことを思い出す。
そこに浮かんでくる彼は、旅の最中の彼であり、旅を終えてからの彼ではない。
気付かなければ何も思わなかっただろうに、マリアはそのことに気付いてしまっていた。
会えない日々が二人の距離をじわりじわりと開けていくのは紛れもない事実であり、そこから目を逸らすつもりもない。
初めのうちは、次に会えばその距離が縮まるのだと信じたかったし、不安に駆られて闇雲に彼のところに行くことだけは避けたいと思っていた。
(クリフトにはクリフトの生活があり、わたしにはわたしの生活がある)               
ただ、悲しいことに。
そのお互いの「生活」そのものを、彼らはよく把握していない。
把握していないのに、お互いのそれを思いやって、「会いたい」と言えないまま時が流れていく。
それに、会ってどうするのだろうか。
何をするというのだろうか。
マリアは、何もそれを思いつくことが出来ない。
お互いの近況を話して、それから?
思えば、自分は何も気が利いたことが出来ない人間だ。
クリフトを喜ばせることなぞ特に出来ないし、楽しい場所も、和める場所も知らない。
旅の間に彼女が知った場所は漏れなくクリフトも知っているし、この村は小さく、既に彼に案内する所などない。
第一、何をしたら彼が喜ぶのか、何をすれば二人で楽しい時間を過ごせるのか。
マリアは、何も知らないし、考えつかない。
会いに来たの。
そんな簡単な言葉で彼の元にいって、それからどうするというのだろう。
旅の間は、ただそこにクリフトがいてくれて、時折激情に流されそうになったマリアの手を握って、この世界に引き止めてくれて。
彼の優しさに苛立ったり、嬉しくなったり、心を揺らしながら、自分の中に間違いなく生まれてしまった「彼のことが好き」である気持ちを実感するしかなかった。
何度も「違う」と思い込もうとしても、それは叶わなくて。ただ、彼のことが好きなのだと素直に認めるしか、彼女には何も出来なかったのだ。
それが、今は。
毛布の中でマリアはもぞもぞと体を動かした。
クリフトのことを思い出すのが、今はつらい。
きっと彼には、おはようもおやすみも言う相手がサントハイムには必ずいて、「旅を始まる前と同じ」生活がそこにあるに違いない。
そして、「戻っていった」だけなのだろう。
それへ自分が「同じじゃないわ。以前とは違うわ」と、彼の服をひっぱって主張することが、彼女にはとても難しく思える。
「う・・・ん」
少し、寒い、と思う。
マリアは僅かな陽射しの中で一昨日干した毛布の中、体を縮こまらせる。
この村を襲った惨劇のあの日まで、マリアはこの村だけで生きていた。
そして、世界を救ってこの村に戻るまでは「毎日一緒にいる仲間達」との生活が繰り返された。
マリアは、どうにもよくわかっていないのだ。
離れた場所にいる人間と、どうやって関係を続けていけば良いのか。
これが、相手がアリーナやライアン、マーニャ達ならば、まだわかる。
切実な「会いたい」気持ちより「今頃どうしてるかなあ。そのうち、会いに行こうかなぁ」といった呑気な気持ちで思えれば、その感情を持て余すことなぞないし、とても素直に「たまには顔を出そうと思って」と会いに行ける。
そして、それはきっととても普通で、「離れた場所にいる知り合い」との接し方としては正しいのだ。
けれど、クリフトには、そう出来ない。

会いたかったから、来ちゃったの。

そう言って、素直に会いに行けたら、どんなに楽だろう。

また、会いに来ていい?ううん、たまにはクリフトも会いに来て。

そんな簡単な言葉を口にすることすら、マリアには出来ない。
理由など、特に思いつかない。
ただ、「出来ない」と感じて、また一日が終わる。
明日になれば、クリフトのことを思う間もなく祖父のもとにいって木材を受け取って仕事に向かい、昨日より今日より腕をあげるために没頭するだろう。
そして、明日の夜、また同じようにクリフトのこと、自分のことを考えながら眠りにつく。
どうしようもないそんな繰り返しが続いても、それを打開するために彼に会いに行くことがどうしても出来ない。
離れた場所にいる恋人にどう接して良いのか、手探りで探し当てようとしても、その答えは自分の中にはないように思える。
次に会えば、本当に、この不安はなくなって、心の距離は縮まるのだろうか。
どうして、クリフトに会いに行けないのだろうか。
前者の答えは誰も答えをもたないだろうし、後者の答えを導き出すことだって彼女には難しい。
エスタークを倒すほうが、余程簡単だとすら思える。
そんな自分を情けなく思いながら、長い夜に眠りにつくのだった。



翌日、マリアが祖父の小屋に行くと、そこには一人の男性が訪れていた。
マリアに挨拶をする人の良さそうな笑顔と、少し恰幅のよい体型。
その男性の職業を聞かされるより前に、マリアはトルネコの面影をその人物に重ねていた。
「工芸品などを買い取って、バザーなどで売ってくれる行商人さ。おめえの彫りを見てもらって、どんぐらいなら使い物になるか教えてもらおうと思ってよ」
マリアの祖父である木こりは相変わらず口が悪いが、それとは裏腹にマリアのことを気にかけて行商人を呼んだという意図がわかってしまう。
彼は彼で、マリアが作るものがそれなりに通用する可能性がなければ、早いうちに方向転換させたほうがいいし、見込みがあれば続けさせようという考えだったのだろう。
見れば、木のテーブルの上には、ここひとつきでマリアが彫り続けた小箱が三つ並んでいる。
実際はそれらを彫る以外に祖父の家具にアクセントで彫刻したりもしていたので、それよりは多い仕事はしているのだが。
行商人はそれを手にして、じろじろと値踏みを始めた。
「突っ立ってねぇで、座って自分で茶ぁでも飲んで待ってろ」
「あっ、うん」
すっかり祖父とは「それなりに」付き合えるようになったマリアは、その乱暴な物言いを気にせずに、言われた通りに茶を淹れて椅子に座った。
「もっと、色んなモチーフで彫れると良いかもしれないね」
行商人は、マリアが彫りこんだ作品を入念に見て、ゆっくりとそう言った。
「モチーフ」
その言葉の意味がわからない、と、木こりであるマリアの祖父は眉根を寄せる。
「そうさね。例えば、これは、とてもいい」
そう言って彼が手にしたのは、マリアの村の周囲で咲いている「あの」白い花を彫ったものだ。
「まあ、仕事自体はまだ荒っぽいが。この花のモチーフは、あんまり見たことがないものだし、女性らしいから、こういう小物入れには向いている。要するに、他の人間が彫っていないようなもので、その品物を使う人間が気に入ってくれるようなものを彫れるってのが大事なんだ」
それはわかる、とマリアは思う。
彼女も多少はそのつもりで彫っていた。
小物入れなどは、女性の方が使うことが多いと思って、花を元にした模様を。
子供用の椅子の背もたれの後ろには、小さく動物の模様を。
日常に使う家具には、蔦の模様などでくどくないほどの装飾を。
けれど、その行商人が指摘する「もっと色んな」という意味も、痛いほどにマリアは感じ取っていた。
自分は、そういう勉強をしたことがないし、彫りも我流だし、物を「彫るため」の対象としてみたことも今まであまりなかった。
それらが、いっそう彼女の作品を拙いものに留めてしまっているのだ。
「どうしたら、もっと・・・なんていうのかな・・・色んな、その、モチーフで、彫れるようになりますか」
「そりゃ、色んなものを見聞きすることが一番いいさね。我々が知ってる職人は、みんな旅に出て、珍しいものを見聞きして、知らない国ではじめての工芸に触れれば、そいつを習得してきたりと、最近は動き回るやつらが多いかな」
「・・・そう・・・そう、ですよね」
「今はバザーの時期じゃないから、そうだね、例えば、ミントスとかね。ああいう、人が行き交う場所は工芸品を持ち寄ってる商人も多い。ヒルタン老人ってぇ、偉い商売の神様みたいな爺さんがいてなあ。あの人のところに挨拶に寄る商人は多いからね」
マリアはあえてそこでヒルタン老人を知っている、とは口に出さなかった。
ただ、その話を聞いただけでも、この行商人がかなり旅慣れているいることがわかるし、なかなか的を射ているとも思う。
静かに聞いているマリアをどう思ったのか、彼は言葉を続けた。
「ああ、つっても、お嬢ちゃんみたいに、花とかの植物をモチーフにするのが多いんだったら・・・今の時期は、あんまりお勧めしないかな」
「どうしてですか?」
「場所によっては、もう冬に入っているからねえ。まっ、あんまり冬とか関係ない地域もあるから、そっから行ってみるってのも手かもしれんがね」
そう言うと、男はずずず、と音をたてて茶を啜った。
「後は、じいさんによーく習って、この角を丸くするところとか、もっと丁寧に仕上げないと」
「はい」
「彫りは本当に、悪くない。なあ?じいさん」
「へっ、まだまだだ。まあ、始めたばっかりにしてはまともな方だがな」
「また、そういうこと言いやがって。お嬢ちゃん、聞いたよ。あんた、始めた割には相当に上手だね。それに、じいさんの話だと、ま、若いからってのもあるけど、体力があるんだか相当長い時間彫り続けられるっていうじゃないか」
「・・・そ、うなんです、か?」
男に聞くべきことなのか、祖父に聞くべきことなのか迷って、マリアは曖昧な言葉遣いになる。
「彫刻は気力も体力も必要なもんだから、そうそう長時間同じ彫りを続けるのは、手が覚えた本当の職人にならなきゃあなかなかそうはならないもんだよ。それだけでも、お嬢ちゃんには大きな財産だね」
マリアは何度かまばたきをして、祖父をちらりと見た。が、祖父は目を合わせないようにと茶の表面に視線を落とすばかりだ。
よくわからないけれど、きっと行商人が言うことは本当なのだろう。
そして、彼の言う気力だとか体力は、多分旅の間に培われたものであり、長時間彫り続けられる集中力はもともとのマリアの性質(たち)でもあるようにも思えた。
(木刀を作るときも、いつまでもいつまでも削ってて、先生によく『もうそろそろ明日にしろ。よくも飽きないでいつまでもやってられるな』って言われてたなぁ)
昔、そんな風に言われた時は、なんとも思っていなかった。
自分でも没頭する方だと思っていたわけではないし、飽きないほど「おもしろい」と思っていたわけでもなかったから、気にも止めていなかったのだ。
「わたしの財産」
そうマリアが呟くと、男はにこにこと頷いた。
そして、きっと彼ははっきりとは言わないが、ここまでのことを言ってくれるからには、マリアが木箱に施した彫刻を見て「見込みがある」と思ったのだろう。
すると祖父は、マリアの心が少しずつ傾いているのを見抜いたように
「おう、おめえよう、ちっと、勉強してくるか?」
と声をかける。
なんだかそれは、冷静さを装いながらも「いつ言おうか」と必死に計っていたように感じられ、マリアは心の中でくすりと小さく笑った。


理由があれば、会いにこられるのだ。
わかってはいたけれど、と小さく溜息をついて、マリアは自分に呆れた。
会いたい、という言葉が、何故か「会いに来る理由」にならないような気がしていた。
だから、他の理由さえあれば、こんな素直に来ることが出来る。
マリアはそんなことを考えながら、サントハイム城近くを歩いていた。
(だって、どこかに行く時は、一応声をかけろって、クリフトに言われてた)
どうして自分は、そんな言い訳のようなことを考えずにはいられないのだろうか。
少し呆れたけれど、ともかく、「会いに来る理由」があるのだから、今日はひるむわけにはいかない。
(マーニャとミネアは、どこにいてもミネアの占いで見つけるからいいって言ってたし・・・トルネコの家には手紙を置いてきたし・・・ライアンは、なんかあればマーニャ達に聞くだろうし)
それを言えば「なんかあったら、ミネアに占ってもらえばわたしの居場所はわかるわよ」で済むのだが、クリフトとは約束をしていた。
どこかへ長い間出かけるならば、声をかけてください、と。
マリアはどうして?とは聞かなかったからその理由はわからないけれど、それへ素直に頷いた。
だから、サントハイムに自分が来るのは、まったくおかしくないのだ。
相変わらずそんな言い訳を繰り返しながら、マリアはサントハイム城門にたどり着いた。
(そっれにしても、寒・・・)
自分の村も冬に向かって気温が下がっていたため、いつもよりも一枚多くマリアは着込んでいる。
けれど、それでは到底追いつかないほど、サントハイムの気温は低い。
空に太陽の姿が確認出来て、陽射しは間違いなく降り注いでいる。
けれど、一向に自分にはその恩恵が与えられないように思えるほどだ。
サントハイムに近づくにつれ、草木の様子が変わっていることにマリアは気付いていた。
あんなに春には、夏には、生命力溢れる若々しい緑に彩られていたサントハイム周辺は、枯草や枯れ木も多く見られ、変わらぬ緑に目を奪われれば、それは針葉樹ばかり。
マリアが住んでいる山奥とは、趣きが異なる風景がそこには広がっていた。
城前にも人々が行きかって活気があるというのに、どことなく寂しい風情を感じられる。それが、「冬」というものなのだ、としみじみマリアは感じ入っていた。
「・・・っくしゅっ!!」
マリアの大きなくしゃみに、サントハイム城門の門兵が驚いて彼女を見る。
「これは、勇者殿!」
「これはこれは、サントハイムにようこそ!」
「あ・・・こんにちは」
どうやら彼らは、旅の終わりにマリアがアリーナ達とサントハイムに訪れた、その日のことを覚えていたらしい。
マリアを見てすぐに「勇者」だとわかったのは、彼女の特徴的な緑の髪のせいだろう。
「この時期にそんな恰好をしてらしては、お風邪を召してしまいますよ」
と、一人の門兵が親切に教えてくれる。
「サントハイムは、どうしてこんなに寒いんですか?」
「え?あ、勇者殿の国では、こんなに寒くはならないのですか。今は冬ですから」
「冬。えっと、確かに、最近わたしの村も寒くはなってるんですけど、こんなには・・・」
そう言いながら、マリアは身震いをした。
門兵は「こりゃ引き止めてる場合ではない」と判断したらしく、慌てて城内に入るようにと促す。
もう片方の兵士は、マリアが何故ここに来たのかも御用聞きすらせずに
「勇者様がいらしたぞ!王にご報告を!」
と無闇に事が大きくなりそうな声をあげ、女中を走らせる。
「あっ、そんなっ、別にわたし王様には・・・」
マリアの方も慌ててそう言いかけたが、「王様には用がない」と口にして良い言葉なのかどうか判断出来ず、そのまま言葉を飲み込んでしまった。
城の中は以前と変わらない様子だが、どこかで火を焚いているようで空気が暖かい。
それでも、もう一枚は何か羽織りたいと思える室温だ。
困って入り口近くで立ち止まっていると、ほどなくしてバタバタと大きな足音が聞こえる。
間違いない、アリーナの足音だ。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが混じった苦笑をちらりと浮かべて、マリアは階段付近へと進んだ。
すると、階上から
「姫様!走らなくともマリアは逃げませぬぞ!」
と、ブライのものらしき声が聞こえる。それに対して
「そんなの、わっかんないわよ!」
と叫びながら、アリーナはマリアの前に姿を現した。
「マリアー!!」
軽快な足取りで階段を降りてきたアリーナは、その勢いに任せてマリアに向かって両手を広げた。
それはいくらか予測をしていたようで、凄まじい勢いで飛び込んでくるアリーナをなんとか受け止め、足を踏ん張った。
アリーナは、マリアと唯一スキンシップで抱擁を交わす仲だ。
とはいえ、きっと誰の目から見ても、アリーナの「それ」はスキンシップの延長ではなく、ただの体当たりなのだが・・・。
なんとか踏ん張りきったマリアは、呆れたように
「大丈夫よ、逃げないから」
と言って、アリーナから手を離した。
「あっはは、冗談よ、冗談!この寒い中、よく来てくれたわねっ!まさか、クリフトにしか会う気がなかった、なんてひどいこと言わないでしょうね?」
「それはないけど」
見れば、アリーナは旅の頃の恰好とはまったく別の、まあ、それなりに姫らしい服を着ていた。
そして、上着は少し厚手のものを羽織っており、それがサントハイムにおける冬の服なのだろうとマリアにも理解出来た。
「ごめんね、実は今日クリフト、ちょっとお使いで出かけてるの。一刻半も待てば戻ってくると思うから、それまでゆっくりしていって!ね、ブライを呼んで来て、ブライ。お父様のところに行ってくるから、そこによこして」
アリーナは早口でマリアにまくしたてて、女中にブライを呼びにやらせた。
慌ててばたばたと走っていく女中をちらりと見てから、マリアの手をひっぱるアリーナ。
「本当は久しぶりに手合わせして欲しいくらいだけど、一応悪いんだけどお父様に挨拶してくれる?」
「うん。わかってる」
少しアリーナは大人になった、とマリアは思う。
きっと以前のアリーナだったら、父王のことは「関係ないでしょ」と放っておいて、すぐにマリアを自分の部屋に通したことだろう。
その、ほんのわずかな変化が、自分達の旅を終えた後に流れた時間を物語る。
ひとつき、とか、ふたつき、とか。
時間を表す言葉だけでは実感出来ないものがそこには確かにあるのだ。
それは、マリアにも、アリーナにも、きっとクリフトにも、ブライにも。
「お父様!マリアが遊びに来たの!」
何の用事で来たか、アリーナはまったく聞いていない。
けれど、彼女は彼女なりに「クリフトに会いにきたのだろう」と勝手に思い、それ以上特にマリアに問わない。そして、マリアも特に用件を言わないのだから、それで間違いはないのだ。
サントハイム王はいつもと変わりなく、謁見者と向かうために玉座に座っていた。
ばたばたとけたたましく部屋に入ってきた愛娘を軽く
「走らずともよかろうが」
とたしなめて、それから、アリーナの後ろから室内に入ってきたマリアに目を向ける。
「これは、勇者殿。久方ぶりの来訪、嬉しく思いますぞ」
「こんにちは。突然やってきて、お騒がせして申し訳ありません」
「なんの。騒いでいるのはわたしの娘だけでしょう」
くすっとマリアは笑ってアリーナを見た。アリーナは父の言い分に文句を言うことも出来ず、少し膨れっ面をマリアに見せた。
「今日クリフトが出かけているから、クリフトが帰ってくるまで、マリアと遊んでいるわ!」
「うむ。夕方の謁見までに、今日の勉強を済ませればそれで良い」
「わかってるわ!」
そのやりとりを聞いて、ああ、アリーナは順調に「サントハイムの姫」としてのお勤めを――それがどういうものなのか、マリアはよくわからないけれど――こなすための準備を進めているのだなぁと、マリアは思う。
と、遅れてブライが室内に入ってきた。
「失礼いたしますぞ・・・おうおう、これはこれは」
「ブライ、お久しぶり」
「よく、こんな時期に来てくれたものですわい。その恰好ではいささか寒いに違いない。今、誰ぞに何か持ってこさせましょう。ああ、それとも、もう姫様のお部屋にでも?」
アリーナはブライのその言葉を聞いてようやく、この季節のサントハイムにしてはマリアの恰好が薄着であることに気付いたようだ。
「ほんと。風邪ひいちゃうよ」
ブライは、マリアに一枚上着を持ってくるように近くにいた女中に伝えた。女中は一礼をして退室する。
マリアは当然それを視界に入れており、大丈夫だから、と引きとめようとも思ったが、実際少し肌寒さを感じていたため、彼らの厚意に甘えることにした。
「えっと・・・わたしの村は、まだこんな寒くないし・・・これから行くところも、多分ここほど寒くないはずだから、ちょっと軽装で来ちゃったの」
「これから行くって?」
「勇者殿はどちらかへお出かけかね?」
「えっと・・・その、そんな大したものじゃないんですけど、20日、いや、ひとつきくらい、になるかもしれないけど・・・ミントス付近と、あと、ガーデンブルグ付近と・・・三箇所くらいかな。ちょっと、出かけようと思って」
アリーナは驚いてマリアを見た。
彼女の口ぶりから、「何か目的がある」ことに気付いたからだ。そして、それはブライも。
旅、という表現もしないし、誰かに会いに、という様子でもない。けれど、場所がおおよそ決まっているならば、きっとそれなりの目的があるのに違いない。
マリアの方は、別段隠しておきたいという話でもないし、かといって皆に触れ回るような話でもないように思えて、三者がなんとなく自分に注目していることに困惑する。
「え・・・・と・・・これからの仕事に生かすものを、ちょっと、見聞きしてこようと思って・・・それで・・・」
仕方なくそう告げると、サントハイム王が興味を示して――思えば、以前サントハイムに寄った時も、あれやこれやと興味深げに身を乗り出していたものだ。アリーナの好奇心旺盛は、父王譲りなのかもしれない――言葉を挟んだ。
「勇者殿は、今は何の仕事をして生計を立てているのかな?」
その言葉を聞いてアリーナが
「生計?」
と不思議そうに声をあげる。
確かに、生まれてこのかた、ずっと「姫」という職業であった彼女にとっては、生きるために金を稼ぎ続けるための生業など、特に考えたこともなかったに違いない。
「木材を使った家具とか雑貨に・・・彫刻をしているんですけれど・・・まだまだです。本当に、始めたばかりで。工芸品とか、売って歩いている商人さんに来てもらって、えっと、見てもらったんですけど・・・一応、今のまま続けてみたら、そのうち芽が出るかもっていうことで・・・それを信じて、ちょっと、頑張ってみようか、なぁー・・・とか」
そんな風に自分の「これから」を語ったマリアを見たことが、アリーナにもブライにもない。
二人は驚いてマリアを見ていたし、サントハイム王もまた「剣を持って戦っていた勇者ともあろう者が、剣を捨て、違う生業で生きる」ということに驚いたようで、「なんと」と声をあげて、しきりと感心していた。
「確かに、この娘もおてんばで、はねっかえりで、武芸だけが得意で手に負えなかったものだが、今はこうして城のこと、国のことを気遣う心を持ち合わせて日々過ごしておる。それと同じく、勇者殿が剣を捨てて違う道に踏み出すことも、なんの不思議もないというもの」
「あらっ、お父様、わたし、別に武芸を捨てたわけじゃあないわ!」
「わかっておる。わかっているが、そういう話ではないのだよ」
「マリアだって、剣を捨てたわけじゃないわ。わかるもの。旅の間ほどじゃあないけど、それなりにまだ剣の鍛錬だってしてるんでしょ?そうじゃなきゃ、一人旅なんて、わたしが許さないんだから!」
アリーナのせいでいささか話は逸れてしまったが、マリアにすればその方が気が楽だった。
何故なら、アリーナ達が驚いたのと同じで、マリアもまた、人に自分の未来について口にすることなぞ今までなかなかありえなかったことで、例えば、相手がクリフトだとしても、彼女にとっては相当な労力だったに違いないからだ。
ちょうどその時、女中が温かい上着と、足元を覆うブランケットを持って戻ってきた。
「マリア、わたしの部屋に、行きましょ!」
「あ、うん。いいの?」
「いいのいいの。もし、マリアと話がしたければ、お父様もブライも、わたしの部屋に入れてあげてもよくってよ!」
「おいおい、アリーナ」
「姫様」
確かに、女中が手にしてきたブランケットは、座った時に膝にかけるものだから、この王の間での立ち話には不要なものだ。
「その代わり、お茶菓子は、わたしが大好きなベリーのパイと、スパイスたっぷりのマドレーヌの両方を持ってきてくれなきゃ、入れてあげないわよ」
くすくすっと笑ってアリーナはマリアの手をとった。
マリアは女中から上着とブランケットを片手で受け取り、慌てて早口で礼を言う。
ぐいぐいと勝手にアリーナはマリアをひっぱり、その力は旅の頃から衰えていないほど、いわゆる「怪力」だ。
そんな様子にサントハイム王とブライは軽く溜息をついて
「仕方がない。ブライ。このわがままな娘のために、厨房にいって、頭を下げてくれぬか」
「王にそうおっしゃられては、この老いぼれが逆らうわけには行きますまい」
その様子にマリアは申し訳なさがったけれど、アリーナは気にした風もなく扉を開け、
「うちの料理人のパイとマドレーヌは、すっごい、すっごい美味しいんだから!ベリーは秋に取れる珍しいやつをジャムにしてあるから、たっぷり入れてくれるのよ。楽しみにしてね!」
屈託なく笑みを見せる。
本当はアリーナはアリーナでマリアに気遣って、「クリフトが帰ってくるまでどうにか引き止めるには」という思いから、パイとマドレーヌを注文したのだけれど、それに気付く者はどこにもいなかった。
敢えて言えば、そこにクリフト本人がいれば唯一気付いたことだろうけれど。



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