足枷

夢に出てきた町、夢に出てきた塔。
そういうものを現実に体感するのが、こんなにも気持ちが悪いものなのか、と初めて知ることが出来た。
デジャヴ、とか言われるものとも違う。
他の仲間以上にマリアは、何度も何度もイムルの村以外でもあの夢を見ていて嫌なほど刷り込みをされていたから、より一層奇妙な光景に辺りが見えてしまう。
更には夢に聞いた笛の音。
この魔法の笛は、勝手にそのメロディーを作り上げて音を送り出す。
それすら耳障りで、マリアは眉根を寄せていた。

誰か、あの人を止めて。
その声をうけて、マリアは話を聞くためにやってきたけれど、あのエルフには簡単には会わせてもらえなかった。
塔の最上階で待ち構えていた護衛騎士を追い払う、くらいのことすらエルフには出来ないようだ。
彼女の夢を見てやってきた人間なのかどうかなんてことは、護衛騎士にはまったく関係がないことなのだろう。
仲間を傷つけてでも会いに行かなければいけないのか、と少し不満にも思えたけれど、あのエルフが言っている「ピサロ」という魔族の青年が、これまでの旅で耳にしてきた「デスピサロ」であれば、彼女に話を聞くことも必要なのだ、とマリアは自分に言い聞かせた。
嫌々ながらもクリフトを連れて来てよかった、とマリアは傷を治してくれている神官の横顔を見つめる。
アリーナとマーニャは倒した護衛騎士の懐から落ちた「静寂の玉」を拾って、それが本物なのか手にとって眺めていた。
護衛騎士は倒れたときに、まるでそこにいなかったかのように消えてしまっていた。もしかしたら、もともと幻のような魔物だったのかもしれない、とマリアは思う。
「ありがとう、もう、大丈夫」
「いくら武装しているのがあなただけだとはいえ・・・無理は、しないでください」
「うん」
アリーナとマーニャもあまり防具を身につけない。クリフトはそこそこ身につけているけれど、マリアのそれには敵わない。
マリアはアリーナとマーニャを庇いながら戦っていて、いくらか傷を負ってしまった。
夜分遅くのお忍び状態でこの塔に入るには、少人数で出来れば軽装の人間がよかった。ミネアをつれてこようかクリフトを連れてこようか悩んだ挙句、クリフトの強い要望でこのメンバーでやってきたけれど・・・
「やあねえ〜。静寂の玉なんてさっ。あたしのお得意な魔法が使えなかったじゃない」
とマーニャは呑気に言う。アリーナが心配そうにマリアを覗き込んだ。
「マリア、大丈夫?」
「うん。クリフトのおかげで、もう、元気よ」
「んじゃ、奥に行きますかっ」

バタン、と扉を無造作に開けた。
罠なんて、仕掛けてはいない。マリアはなんとなくそんな予感を感じて、警戒もせずに更にはノックもしないで不躾に両手で扉を押す。
「あっ・・・」
そこは、普通の部屋だった。
上質なベッドと簡素なテーブルと椅子、そしてドレッサー。
人が一人で住むには十分すぎるほどの広い広い部屋。
その部屋の窓辺に、一人のエルフが佇んでいた。
長い髪に尖った耳。エルフ特有の外見だけでなく、さらに言えば彼女はとても美しい造作をしていた。
(シンシア)
マリアは彼女の姿を見て、自分を可愛がってくれていた一番大事だと思っていた愛しい幼馴染を思い出す。
「あなた方は・・・」
「マリアさん」
言葉を失っているマリアにクリフトが声をかけた。が、それより速くマーニャが
「あたし達は勇者様ご一行よ。あたしはモンバーバラのマーニャ。イムルの村の宿屋で、あなたの夢を見てここに来たってワケ。おかげで気味が悪いっていってイムルの宿屋は商売あがったりなんだから。さ、一体全体どういうことなのか話してもらおうじゃない」
「あっ、あたしはサントハイム王女アリーナ。こんばんは、夜分遅くにごめんなさい」
「同じく、サントハイムの神官クリフトと申します。このような時間に失礼いたします」
仲間が全部紹介をし終えて、やっとマリアは口を開いた。
「わたしは、地獄の帝王を倒す勇者、と言われている人間よ。わたしが生まれた村は名前はなかったし、そして今は村そのものもない。デスピサロと名乗る者がわたしの村を滅ぼし、誰一人残らなかったから」
「マリアさんっ・・・」
クリフトが慌てて声をあげる。
アリーナとマーニャは目を見開いてマリアを見た。
そんな話は、長旅の中、一度だってマリアはしなかった。わかっていたのはブランカの近くに彼女の生まれ故郷があって、そこから彼女は出てきたということ。
彼女は地獄の帝国を倒すものとして、最近おかしなことばかり起こっているこの世界に秩序を取り戻す勇者の星をもつと占いに出ているということ。そして、そのとおりの力を発揮している、ということだけだった。
唯一、彼女のその過去を知っていたのはクリフトだったのだが・・・。
「だから、わたしは名前しかもたない。わたしは、マリアと言う。あなたは?」
その美しいエルフはマリアをまっすぐにじっと見ていた。
やがてその両目にじんわりと涙を浮かべ、心許ない表情で、それでも今の彼女の精一杯という風情で言葉を懸命に紡ぎ出す。
「わたしは、ロザリーと申します・・・勇者マリア様、もう一度だけ、お聞かせ下さい。なんというものが、あなたの村を滅ぼしたと今おっしゃったのですか・・・?」
「何度でも、言うわ」
マリアは冷たい瞳で、ロザリーと名乗ったエルフに、残酷な言葉を放った。
「デスピサロ。わたしを守ろうと立ち向かった、わたしの村の人々を全員殺したのは、デスピサロという男よ」
彼女の言葉は、ロザリーにとってどれだけ残酷な罪の宣告になったのだろうか?
目を見開いたロザリーは眉根をよせ、悲壮な声をあげた。
「・・・ああっ・・・」
そしてマリア達の目の前で。
そのエルフの瞳から、ほろほろと美しいルビーが毀れだした。それを見て綺麗、とマーニャがぽつりと呟く声を打ち消すように
「本当なの、マリア!?・・・あのとき、あのとき、エンドールの武術大会でわたしがデスピサロを倒していたらっ・・・」
アリーナはマリアの腕を掴んでそう叫んだ。
それは現実的ではない夢のような話だ。たとえあの大会にデスピサロが決勝戦に出て来たとしたってきっとアリーナの力では倒せなかったに違いない。アリーナだって薄々はわかっている。それでも彼女は言わずにはいられずにもだえるように声を絞り出す。
「そうしたらっ・・・」
「・・・多分、その頃始まっていたのだと思う」
マリアは静かに言った。ルビーの涙をこぼす目の前のエルフのことは放っておいて、マリアはアリーナに泣き笑いの表情をむけ、そっと腕からアリーナの手を外させた。
「デスピサロが勇者狩りをしていたのは。他にもいくつか小さな村が滅ぼされたっていう噂を聞いたことがあったから。きっとエンドールの武術大会にデスピサロが出たのは、その優勝者が勇者ではないか・・・わたしではないかと思ったのだと。でも、その頃は勇者狩りが始まっていて、きっとこの世界には他に勇者じゃないかと思われる人間がいて・・・。その人がいる場所を探し出しては村ひとつを滅ぼしていたのだと思う。きっと、武術大会の決勝戦のとき・・・勇者らしい人間がいる、という情報でも聞いて、デスピサロはそちらに行ったのではないかしら。わたしの推測にしか過ぎないけれど」
マーニャはクリフトに厳しい視線を送った。それは「知っていたの、マリアとデスピサロのこと」という、わずかに責める感情が含まれたものだ。それに対してクリフトは静かに首を軽く縦にふるしか、返すことは出来なかった。
「マリア」
「サントハイムは、大丈夫だと思うの。アリーナ。わたしの村は、建物は全て焼き払われてぼろぼろになって、花畑は毒の沼地になってしまうほどだった。死体は消えていたけれど・・・わたしの耳には、人を切り捨てる音とか、攻撃魔法の音、それから魔物が人間の骨をかじる音、すべて、残っているから・・・みな、殺されたのだと思う。けれど、サントハイムはまるで人だけ消えたような状態だったのでしょう?だから、みんな、殺されたわけじゃないと思う・・・」
アリーナは、ぎゅ、とマリアの手を握った。
「ううん、大丈夫よ。別に・・・今始まったことでもなんでもないから」
「でも」
「大丈夫」
そっとアリーナの手の中にある自分の手をすうっとひいて、マリアは一歩前に進んだ。
ロザリーは顔を背けて、窓枠にそっと手をついて涙を堪えている様子だ。ときおりかちゃん、とルビーの涙が床に落ちる。
「ロザリーちゃんを苛めるなっ!」
突然声がする。スライムがロザリーに近づいてくるところが見えた。マーニャがそのスライムをつまみ上げて唇を尖らせながら否を唱える。
「苛めてないわよ、人聞きわっるーい。あたし達、ロザリーに呼ばれて来たのに」
「ぷるぷるっ、そうなの?ロザリーちゃん」
「・・・ええ・・・ええ。そうよ」
なんとかそう言葉を出すけれど、ロザリーの声は弱弱しい。
マリアはかつかつとロザリーに近づいていって、顔を背ける彼女の両肩をがしっとつかみ、自分の方を向かせた。
「こっちを向いて、ロザリー、別にわたしの打ち明け話をしにきたんじゃないの。朝が来る前にここを出ないといけないでしょう?人間に見つかると厄介だもの。時間がないわ。話を聞かせて頂戴。」
怯えながらも、ロザリーは胸元で手を組み合わせ、震える声でマリアに言った。
「勇者さま、お許し下さい。そして・・・ピサロ様を、止めてくださいっ・・・」

ピサロという魔族の青年が魔族の王デスピサロと名乗り、人間を滅ぼすために地獄の帝王を復活させようとしている。
もともと人間に対して良くない感情を抱いていた彼だったけれど、ロザリーが流すルビーの涙に対する人間達の欲望を見れば見るほどあまりのその欲深さに怒りが増していくだけだったのだという。
外に出れば人間に追われ、辛くて泣けば人間をますます喜ばせる。
そんな悲しい運命を背負っているロザリーに、手をさしのべてくれたのがピサロだったという。
「あの方は、もう、以前のピサロ様ではありません。出会った頃から人間のことを憎んでいましたけれど、でも!」
「・・・それで、私達にどうしろと言っているの。人間である私達が、彼に改心を求めたってかなうわけはないでしょう」
「あの方を止めてください。これ以上、無益な犠牲を出してまで、なさなければいけないことなぞないはずです」
ロザリーは涙を止めることが出来ないようだった。
また、ぽろりと零れた液体はすぐさま結晶になり、そして、ルビーとなって床に落ちる。
マリアはそれを拾って月明かりに翳した。
その瞳は、他の人間の女性の多くが宝石を見つめるときに見せる、うっとりとした色を湛えてはいない。とても冷めた目で、ロザリーの涙を値踏みするように見つめている。
「ロザリー、綺麗ね。あなたの涙は」
とても苦しそうな表情でロザリーは答えた。
「・・・いいえ。何の役にも立たず、人々の欲望を煽るだけの、あまりにも無力なものです・・・あなた方が、ピサロ様を止めてくださるのであれば、どうぞ、このくらいしか差し上げるものはありません。それでよければ・・・お好きなだけ、お持ち下さい。わたしは何も出来ない、無力なエルフですから」
「そうね。じゃあ、いただいていこうかな」
「マリアさん!」
クリフトが怒声をあげる。名を呼んだだけで留まったけれど、「なんてことを言うんですか!」と次のセリフが聞こえてきそうな勢いだった。そのあまりのめずらしいことにアリーナとマーニャは目を丸くした。
アリーナを叱り付けるときだって、ここまで声を荒げることは彼にはないはずなのに。
クリフトは、声を荒げた自分を少し恥じるように間をおいて、極めて平静を装って次の言葉を続けた。
「私達がしなければいけないことは、そういうことではないでしょう?マリアさん」
けれど、クリフトの言葉を無視してマリアはロザリーに聞く。
「わたしは勇者と呼ばれる人間だから、その地獄の帝王とやらを倒さなければいけないだろうし、そうしようと思っている。あなたに頼まれなくてもデスピサロには私怨があるから、いづれ対峙することになるわ。安心して頂戴、どういうやり方であれ、デスピサロの野望を野放しにはしておかない」
「では」
「けれど、ロザリー、あなたは、デスピサロに私怨を持つわたしに頼むということがどういうことなのか、わかっている?」
何かを言いたそうなクリフトを手で制してマリアはロザリーを射抜くような瞳で見つめた。それに対して、真っ向から目をそらさずに視線をうけて、ロザリーははっきりと言葉にした。
「・・・あの方を、止めてください」
それは、先ほどの言葉の繰り返しだ。そして。
「たとえ、それがあの方の命を奪うことになったとしても・・・」
「その代償にこれをもらっていっていいのね?」
マリアは手のひらにルビーを乗せてロザリーに見せながら言う。ロザリーは躊躇なく言葉を返した。
「はい」
「例えばこのルビーをわたしが持っていって」
アリーナは心配そうにマリアを見ている。マーニャも床にころがったルビーをひょいとつまんで、先ほどマリアがしたように月明かりに照らしてその輝きを確認していた。マーニャは生粋の宝石好きだったからなんだか嬉しそうにアリーナには見えた。
そんなマーニャの様子など構わず、マリアは残酷な言葉をロザリーに投げつける。
「売って、お金に変えて、そして・・・デスピサロを殺すための武器を買うのだとしても?」
「!」
「マリア」
それへは今まさにそのルビーを値踏みするように見ていたマーニャがちょっとだけ嫌そうな表情を見せた。アリーナは両目に涙を浮かべて、クリフトの服の袖を掴んだ。
「姫様」
「・・・そんなの、ひどいよ・・・」
「・・・大丈夫です。マリアさんは、そういう人ではないですよ」
「わかってるけど、そんな言葉聞きたくないもんっ・・・」
「姫様」
クリフトはとんとん、とアリーナの肩を軽く叩いてなだめた。幼い頃からアリーナの泣き顔も何もかも知っているけれど、こんな風に静かに涙を浮かべているときは、相当堪えている時だと殊更よくわかっている。
それはそうだろう。マリアの言葉はあまりに残酷だ。
それを頷けばロザリーがここでルビーを渡す、ということは、デスピサロを殺してくれ、とはっきりした手段を選んだとみなすことになってしまう。
わたしのルビーをあげるから、これで強い武器を買ってピサロ様を殺してください。
ロザリーからの依頼は、そういう言葉に変換されてしまうのだ。
しばしの間マリアを見つめてから、ロザリーは目を伏せながら弱弱しく答えた。
「それを、あなた方がお選びになることでしたら・・・それでも、結構です・・・」
すすり泣く声。いたたまれずにアリーナはぐい、とクリフトの袖を握る手に力をさらにこめた。
「そう。わかったわ」
が、そう言ってマリアは手にもっていたルビーをかしゃかしゃとそのまま足元にばら撒いた。
「勇者様・・・?」
「何も出来ない弱虫なエルフなのだと思っていたけれど、気持ちは固いようね。わかった。あなたのその気持ち、間違いなくうけたわ・・・本当ならば、あなたをここから連れ出してしまえば、きっとデスピサロは現れるだろうから手っ取り早いのだけれど・・・その前に荒れ狂って恐ろしいことになりそうだから、やめておくわ」
そう言ってマリアはクリフトとアリーナを振り返った。
「やあだ、アリーナ、何泣いてるの」
「だって、だってえ・・・」
「ひどいこと、わたしがすると思ったの?」
「そうじゃないけど、想像したら、悲しくなって・・・」
アリーナはマリアの腕の中に飛び込んだ。
年齢が近いせいか、アリーナはマリアに対してとてもなついている。身分など関係なく好きな人は好き、と心を開くアリーナのそういうところが、マリアは大好きだった。よしよし、と栗毛色のアリーナの髪をちょっとだけなでてやると、もうアリーナはけろりと笑顔を見せてマリアから離れる。
「なーんだ、じゃ、これももっていくわけにはいかないわね」
わざと残念そうにマーニャは言って、つまんでいたルビーを床に置く。
「当たり前ですよ」
「固いわねぇクリフトったら。ちょっとくらいいいかと思ったのにぃ」
「あの、よかったら・・・」
とロザリーが言うのに対してクリフトは首を横に振った。
「いいえ。受け取ることは出来ません。私達は代償を求めているわけではありませんから。あなたを苦しめる人間とわたし達は同じだれど違うのだということを、わかっていただけたら、と思います」
「わかっています。人間にもいい人達はたくさんいるのだと。あなた方のように」
マリアはそれには答えず、足元に落ちたルビーをこつん、と軽く蹴り飛ばした。

夜が明ける前に、と彼らはロザリーに別れを告げて出て行った。そうっと村のホビットにも動物にも、誰にも気付かれないように。
「あ」
「どうしました」
「ロザリーに言い忘れたことがあった。みんなが心配しているだろうから、先に行ってて。すぐ戻るから」
「マリアさん?」
そういうとマリアはあやかしの笛を手に、アリーナたちをおいてもう一度塔に向かって走り去っていった。
あまり普段そういう強引なことをしないのに、とマーニャはちらりとクリフトを見る。
「・・・はい。わたしが行きますから」
「いい子ねえ〜、クリフトちゃんは」
「はいはい」
クリフトは仕方なくマリアの後を追いかけた。

あやかしの笛を吹き終わると、足元の床がずずっと下がっていく。と、人の高さぐらい地下にもぐった頃にクリフトがそこへ飛び込んで来た。
「きゃっ!」
突然のことに驚いてマリアは声をあげる。クリフトはたん、と綺麗に着地して、息を少し荒くしながら小さく微笑んだ。
「驚かせてしまって、すみません」
「ついてこなくてよかったのに」
「・・・マーニャさんも姫様も、あなたのことが心配なんですよ。あんな風にあっさりと・・・村のことをこんな時に口にするんですから。あなたという人は」
「なあに、お説教ならいらない。クリフトはアリーナにお説教してればいいでしょう」
「説教ではありませんよ・・・。心配、しているんです。わたしも」
ばつが悪そうにマリアはぷい、と横をむいた。クリフトの視線が痛い、と思う。
「やっぱりクリフトなんか連れてこなければよかった・・・どうせ、ほらみたことか、とでも思っているんでしょう」
「・・・というのは?」
「やっぱりあのエルフを助けてあげることになっただろう、って・・・そう思っているんでしょ」
「そういう意地悪な言い方ではありませんが・・・やっぱりあなたは優しい人だったのだなあ、と思いました」
「ふざけたこと言わないで」
「ふざけていませんよ」
それきりマリアは口を閉ざしたままだった。
一番地下まで下がって、彼らはまたロザリーがいる最上階まで階段を一歩一歩昇っていく。
何を言い忘れたのかクリフトは聞かなかったし、マリアも彼にそれを伝えようとしなかった。
最上階に来ると、もうあの護衛騎士はいない。
先ほどと同じように扉をばん、と開けるのかと思ってクリフトが声をかけようとしたとき、マリアは礼儀正しくコンコン、と扉をノックした。
「・・・どなた・・・?」
中からか細い声が聞こえる。
「わたしよ。ロザリー。マリアよ」
「勇者様・・・?お帰りになったのではないですか・・・?」
衣擦れの音が扉越しに聞こえる。
それから、きい、ととても遠慮がちに扉は開かれた。自分しかいないこの最上階で、一体誰に遠慮してそんなに静かに扉を開くのか。マリアは苦笑した。
「何か、お忘れ物、ですか」
「ロザリー、ここを守っていた魔物はわたし達が倒してしまった。あれは、あなたを守るためにピサロがつけてくれた騎士だったのかしら」
「・・・ええ・・・彼には申し訳ないことを、してしまいました」
「実体はここにはなかったようだけれど。消えてしまったし。でも、ともかく、わたし達が倒してしまったから、もう彼はここにはいない」
何を言い出すのかと思ってクリフトは不思議そうにマリアを見ている。
「ピサロがこなければ、それまでは他の護衛兵はつけてもらえないの?ロザリーのほうから、ピサロにはこんな時でも連絡をつけられないわけ?」
「・・・あの・・・数日に一回くらいは、魔族の方々が様子を見に来てくださるので・・・ピサロ様はいらっしゃいませんけれど・・・だから、そのうち、誰かが来ると思います」
「で、そのときはなんて言い訳するの?」
あ、とクリフトは思った。ロザリーもはっと息を呑む。
「勇者が来たからピサロを止めろと頼んだ、なんてバカなこと言わないでしょうね」
「あ、あの・・・」
忘れていた、というのは口封じのことか、とクリフトは思う。
確かにこのエルフはとても控えめだけれど生真面目に思える。そんな彼女が簡単に上手い嘘がつけるかどうかは、まだ彼らにははかりかねることだった。
「勇者達が来てデスピサロのことを聞いたけれど、何も自分は答えなかった、と言い張るといいわ。それで、もしも運良くピサロがやってきたら、勇者達は決してあなたを苛めなかった、と・・・嘘でもいいから、そう言ってもらえるとありがたいんだけど」
「嘘だなんて!」
ロザリーはそのマリアの言葉に毅然と反論を唱えた。
「決して、わたしのことを苛めなかったじゃないですか・・・わたしの、気持ちを、受け入れてくださったのですもの」
「・・・まあ、いいわ。少なくともわたしは苛めたつもりだったんだけど」
マリアは肩をすくめてクリフトに苦笑を見せる。正直なところクリフトもちょっとそう思っていたから、このロザリーの受け答えはどこまで本気なんだろうか、と思ってしまう。
「それだけ、言い忘れたの」
「あの、お気遣い、ありがとうございます」
ふわ、と優しい笑顔をロザリーはマリア達に向けた。マリアは一瞬言葉を失ったようにロザリーを見て、そして
「おやすみなさい、ロザリー。何度も悪かったわね」
「いいえ・・・。勇者様も、神官様も、お気をつけて。ありがとうございます」
マリアはぷい、とすぐに背を向けてしまう。クリフトは礼儀正しく帽子をとって「おやすみなさい」と頭を下げる。
と、まだ何か言い足りなかったのか、マリアはついでのように乱暴に言った。
「新しい護衛兵をつけてもらうまでは、夜でも窓辺にたったら駄目よ。もう、誰も守ってくれないんだから」

「マリアさん」
「・・・」
「マリアさん」
「なによ」
「・・・あなたは、やっぱり優しい方ですね」
「そういうことを言うから、クリフトを連れていきたくなかったんだ」
マリアはふてくされながら階段を降りていった。
クリフトは嬉しそうに目を細めてマリアのその様子を見ている。
「本当は、最後の一言を一番伝えたかったんでしょう」
「・・・そうよ。だって、ロザリーが人間に捕まって、デスピサロが逆ギレしたら嫌だもの」
「また、そんなことを」
少し恥ずかしそうにマリアは頬を紅潮させているけれど、階段は暗くてそこまでの表情はクリフトにはわからない。
きっと彼女は照れているのだろうな、とクリフトは勝手な想像をして小さく口はしに笑顔を浮かべていた。
けれど
「クリフトがこなかったら」
「はい?」
マリアは階段の途中で立ち止まってぼそりと呟いた。
「マリアさん?」
「クリフトがこなかったら、もしかして、わたしはもっとロザリーにひどいことを言っていたかもしれない・・・でも、それは・・・ありがとう、なのか、やっぱりクリフトを連れてこなければよかった、なのか、よくわからないわ」
「・・・」
それはどういう意味なのだろう?
安直に勝手になんだか嬉しい気持ちになっていたクリフトはすうっと表情を強張らせてマリアを見た。が、階段を先に降りているマリアの表情は、斜め後ろからではよく見えない。
「ひどいこと、とは?・・・わたしに、話してもらえますか」
「・・・クリフトになんか、話したくないわ」
「マリアさん」
「いくらでも無理難題をふっかけることだって出来たもの。もっとあのエルフを泣かせて、許しを請わせることくらいわけないもの」
「マリアさん!?」
クリフトは、後ろからマリアの肩を掴んだ。それをぱしん、とすぐさまマリアは振り返りもせずに冷たく払いのける。
「やあね、女の肩をそう気安く触らないでちょうだい、わたしはアリーナじゃないのよ」
「っ!」
クリフトはかあっとなって手をひいた。けれど、マリアが決して自分の方を向かない理由に思い当たって、冷静に彼女の肩を、うなじを、腕を、体全体を目を凝らして見つめる。
ほんのわずかに。
震えるそれすら、本当はクリフトに見せたくないのだろう。
「・・・何故、泣いているんですか」
「泣いて?わたし、泣いてなんかいないわ」
「・・・では、何故あなたは」
「仕方ないじゃない。だって、絶対」
マリアは歩き出した。早足で階段を駆け降りる。慌ててその歩調に合わせてクリフトも追いかける。
階段を降りると小さな部屋に出て、また新しい階段が目の前にあった。
わずか歩数にして7,8歩のその距離の間にクリフトはマリアの前に回り込む。
「マリア、さん」
「何よ」
「わたしは自分で、あなたの苦しみを共に分かち合うには分不相応な人間だとはわかっています。でも」
「どいてよ」
どん、とマリアはクリフトを押しのけた。ああ、またこの人はわたしを拒絶するのか・・・クリフトは自分のふがいなさに歯ぎしりをすると共に、胸の奥がじり、と痛むのを感じる。マリアは次の階段に進んで降りようとしていた。そのとき、クリフトは彼女の方を見ずにうめき声に似た苦しい声で彼女の足を止める。
「その顔で、みんなのもとに戻るつもりなのですか」
「・・・」
その声でマリアは足を止める。
ゆっくりとクリフトはまた彼女に近づき、そっと顔を覗き込む。
マリアの瞳からはぼろぼろと止めど無く涙があふれて、鎧の下に見える美しい鎖骨近くまで、顎を伝って流れていた。
潔く泣いている、とクリフトは思った。
決して涙を手でぬぐうこともなく、流れるにまかせて、マリアはもう一度言うのだ。
「わたし、泣いていないわ」
「マリアさん」
「だって仕方がないじゃない。わたしはあの何の力もないエルフがやっぱり妬ましい。何も自分で出来なくても誰かが助けにきてくれるなんて、そんな都合がいいことはない・・・だったら、デスピサロを殺すことしか解決策がなくたって、神様とやらは許してくれるに決まっているわ。ただ泣いている人間に与えられるような手助けなんて、その程度で十分よ・・・もっと、言葉をぶつけたってよかった。ロザリーに頼まれなくたってデスピサロを殺してやるって。それが当たり前なくらいあの男はひどいことをしているんだって。わたしから村のみんなを奪ったように、ここでわたしもロザリーを殺してしまっても、神様は平等なんでしょ?許してくれるわよね?」
「マリアさっ・・・」
クリフトは首を横に振る。それから毅然とした表情で、教え諭すようにマリアに力強く言いきった。
「そんな解釈をしては、いけません」
「でも、出来やしなかった。どうしてか、わかる?」
「・・・いいえ」
「シンシアだったら、絶対わたしがそんなことをするのを許さないと思ったから。たったそれだけよ・・・」
シンシア。その名前は以前マリアから聞いたことがあった。確か、マリアの幼なじみで・・・
「あなたの代わりに・・・なった人ですね」
「そうよ。命をかけて、わたしを守ってくれたの。本当に守りたいものがあれば、命はかけられるものだと、村のみんなもシンシアも教えてくれたわ。シンシアは」
マリアはクリフトをみつめて、感情のない声で言った。
「エルフだった。ずるいわ、ロザリーは。シンシアと同じエルフだなんて。彼女の言葉を聞くたびに、もしもわたしがシンシアだったら、って考えずにいられなくなるの。反則よ」
「・・・失礼、します」
クリフトはそっとマリアの肩を抱くように、優しくぽんぽん、と二回叩いた。マリアは少しうつむく。
「わたしは、アリーナじゃあ、ないわ」
「わかっています」
クリフトは困ったようにマリアを見た。マリアはその場に立ち尽くしてただ涙を流すだけだ。
どうしていいか、わからない、と困惑の表情を浮かべながらも、クリフトは優しくまたぽんぽん、と彼女の肩を叩く。
決してアリーナのようにクリフトにしがみつくわけでも、それ以上鳴咽を漏らすわけでもなく、とても静かに、ただその場で涙だけをマリアはこぼしていた。
この人は、泣くのが下手な人なのだ・・・クリフトはそう思い当たって、この不器用な勇者に同情をする。
「それから、わたしを、見張ってちょうだい、クリフト」
「見張って・・・?」
「ロザリーに、デスピサロに対する罵りの言葉をわざわざ吐きにわたしがこないように。数日、わたしの足枷になってわたしを止めて。もう護衛騎士がいなくて簡単にロザリーに会えてしまうわ。わたし、自分を抑え切る自信がない」
クリフトは、マリアの言葉を思い出して、顔を歪めた。そのクリフトの表情に気がついて、マリアは泣き笑いを返す。

新しい護衛兵をつけてもらうまでは、夜でも窓辺にたったら駄目よ。もう、誰も守ってくれないんだから

欲深い人間からも、わたしからも。・・・それが、その言葉の続きだ。

「神よ・・・この迷えるかよわき魂を、救う術をわたしに、与えてください」
クリフトはマリアの肩を軽く抱きながら、小さくそう呟いて暗い天井を見た。じわり、と彼の目の端にも涙が浮かんでいた。
なんて、無力な自分なのだろう、と思わずにはいられない。
「無駄よ、クリフト」
その彼の呟きを、無慈悲な女神は泣きながら否定する。
「神様は、応えてくれないわ、応えてくれないのよ」
「マリアさん・・・」
「心配、しないで。わたし、泣いてなんか、いない」
ただ、目の前の歪みを心に抱えてしまっている可哀相な少女を助けてやりたい。それが彼の願いなのに、それすら。
「なのに、どうしてクリフトは、泣いているの?」
そう言いながら、マリアは瞳を閉じて、クリフトと同じように天井を見上げるように顎を軽くあげた。
そして、クリフトをいつも邪険に扱って、こういうときにまったく頼ってくれないはずだった彼女は、泣きながら悲痛な声で初めてクリフトに繰り返し頼み事をするのだ。
お願い、わたしの足枷になって、見張ってちょうだい、と。


Fin



モドル

今回PS版になってしまいました。あやかしの笛ふくと、FC版は階段が出るんでしたよね?
クリフトが飛び込むシーン(シーンっていうか)書きたかったので・・・でもあたくしの心の中ではFC版です。はい。