たくさんの感謝を-2-

 
 
一同は、小屋に戻るマリアの後ろ姿を見送りながら、「はー」と小さく息を吐く。
「よかったわよねっ、売れたなら。一個でも売れたら、すごいことよね!」
アリーナはそう明るく言うが、ブライが困ったように
「ううむ、喜んでいるのか、悔しい思いをしたのか、マリアの口ぶりではわからぬわ」
と呟く。
クリフトが小さく笑って
「まだ、話は始まったばかりですし。でも、多分良い結果なのだと思いますよ」
といえば、マーニャは茶化したくて何かを言いそうになったところをミネアが「駄目よ」とばかりに無言で姉の腕を掴む。
「お待たせ!」
戻ってきたマリアは座りながら、右隣に座っていたマーニャに何かを手渡す。
見れば、それは掌に収まりそうな大きさの、小さな布巾着だ。
「可愛いじゃない、何これ。パッチワークになってて、刺繍までしてあって」
そうマーニャが言うと、向かいに座っていたトルネコが「あっ」と声をあげる。
「もしかして、マリア、その巾着」
「ネネさんに作ってもらったの。わたしの売り物、こういう小さな袋にいれたいなって思って」
人々が固唾をのんで見守る中、マーニャは巾着の口を開けた。
「あら!」
中には円形の平たい何かが入っている。
「……手鏡?」
巾着の中から出てきたマリアの作品は、円形の木材の片面に花のモチーフを彫り、反対側に丸い鏡を埋め込んだものだ。そして、鏡の淵にも少しだけ同じ花のモチーフが彫ってある。
「すっごい、可愛い!」
アリーナは立ち上がってそれを見ようとしたが、マーニャは笑って
「ちゃーんと回すから待ちなさいよ。へええー、よく出来てるじゃない」
「それね、マーニャの贈り物をあれこれ物色してる時にね。香水瓶入った木箱が、絞り染めの布で包まれてて。ちょっと、捨てにくいなぁって思ったのね」
「うん」
「だから、何かに使えないかな、って人が取っといてくれる入れ物に入れて売りたいと思って」
「なるほど」
と言っても、それはマリアの本職の話ではない。
「確かに、彫りとかはまだまだかもしれないわねぇ。でも、これは可愛いわ。ねえ、巾着にしてもらったのも、意味あるんでしょ」
「バザーに来る人って、みんながみんなルーラとかで帰れるわけじゃなくて、徒歩で旅を続ける人もいるでしょ。だから、携帯出来るものがいいと思ったの。で、砂から防ぐのに、本当は革袋でもいいのかと思ったけど、どうしても女の人らしいものが欲しくて」
隣から覗きこんでいたミネアが声をあげた。
「あら、でも、これ内側は革が張ってあるんですね」
「そうなの。それはネネさんのアイディアで」
ほう、と愛妻のアイディアにトルネコが声をあげ、それからそれを恥じるようにキョロキョロと皆の顔をうかがった。
あまりにもその彼の様子がおかしくて、一同は笑いだす。
「なぁに、トルネコったら!」
「ははっは、奥方のことになると、トルネコ殿は……」
ひとしきり皆が笑うと、マリアはちょっとばかり恥ずかしそうに説明を続ける。
「鏡は、バトランドのガラス職人さんから分けてもらったの。埋め込んで接着するのも自分ではうまく出来なかったから、それはおじいちゃんにお願いしたんだけど、自分で出来ない身の丈に合わないものは作るなって怒られちゃった」
そうは言ってもマリアの表情は明るい。
ライアンは、なるほど、硝子職人は鏡も扱うから、とようやく胸のつかえがとれたようにほっと一息をつく。
サントハイムに赴いた時、アリーナのドレッサーの前に無造作に置いてあった、銀細工の手鏡を見た時に「こういう風に女の人が使うもので、もっと雑に扱っても良いもの」がいいな、とぼんやり思いついたのだという。
そもそもマリアは木彫りを始めてからというもの、祖父の知人である商人やヒルタン老人のアドバイスによるところもあるが、女性らしいモチーフを好んで彫っている。
となれば、その品物も女性に使ってもらえるものを選ぶのは当然だったのだろう。
「やりたいこと、もう一個あったんだー。バザーに行ったら、やっぱり既に同じことやってる人がいて」
「何何」
「携帯する手鏡って、持ち手がないから。こう、鏡の側面に持ち手をはめ込めるような」
「あぁ、確かにあるのよねぇ、結構高いんだけど」
さすがにマーニャはそういった物に関しては物知りだ。
「そんなの作ってる暇もなかった!バザーに持って行けたの、5個だけだったんだもの!」
「5個!!」
それは少ないと、一同は眼を丸くする。
さあ、今から売りに出しますよ、と言ってバザーで店を広げる商人が、品物5個、しかも手のひらに乗る大きさ、など聞いたことも見たこともない。
「一日二個ずつ売れて、二日で四個。残り、ずーーーーーっと昨日まで、一個よ」
「ああ、そうなると逆に、売れないんだよなあ」
というのはトルネコだ。
「なんか、悪い運がついているのか、本当にその品物を大切にしてくれている人を品が待っているのか、最後のひとつがどうしても売れないことは多いよ」
「そうなんだ」
そうなると、丸一日残りのひとつとにらめっこして店番をやっていた期間がどれほど長かったのか、という話になる。
それを恐る恐るブライが聞くと、案外あっさりとした声音で
「うん、長かったけど、その間に彫る練習してたから」
「バザーの最中に?」
「うん」
「ははは、それじゃあ売れないだろう。買いたくても、売り手が何かに熱中していたら、買い手は声をかけづらい。とはいえ、客のことばかり見ていても困るものだがね」
「そうなのかも。でも、最後の一個は彫ってる時に声かけられて売れたのよ」
そう言ってる間に、マリアが作った手鏡はマーニャからミネアへ、ミネアからブライへ、とどんどん回されていく。
「バトランドのガラス職人のことは何で?」
「ヒルタンさんから聞いたの」
「ううむ、さすがヒルタン老人は、どの国のどんな商売のことも御存じとは」
「最初は防具作る人に聞けばわかるかなって思ってたんだけど、やっぱり鏡を扱ってる人のことなんてわからなくて」
聞けば聞くほど、マリアが試行錯誤し、人脈を必要とし、けれども作りたいものへの妥協がなかったことがわかる。
色々と探していたから時間がなくなったのか、とみなは思ったのだが、実はそうではなく、単純に彫るのが遅いのだ、と正直にマリアは言った。
「やすりをかけるのにすごく時間がかかるから、5つが限界だった。仕上げよっかーと思ったら胡桃油は足りなくなるしで、なんかもう、目先のことで精一杯の二か月だった。当分バザーはいいやー」
そう言って心底疲れたように溜息をつくと、仲間たちは小さく笑う。
最後にようやくマリアの左隣にいたクリフトに鏡が回ってきた。
「最初は人に見られるの恥ずかしかったけど、今は慣れた。やっぱり彫り物してる他の人にすっごい馬鹿にされたりもしたし、逆にアドバイスくれる人もいたよ。でも、どういう形でも同業者の誰かが反応してくれるのって、バザーでも稀なんだって」
「それはそうだろうね。ライバルだからなあ」
「木材扱ってる人は少なかったけど、でも、さすがにすごいの。こんなところのバザーで買っても仕方ないでしょ、って思うような大きな家具でも売れちゃうんだもん。聞いたら、バザーでしか品物を売らない人らしくって、毎日違う商品を持ってくるもんだから、そこだけ毎日朝早く列が出来ちゃうぐらいでねー」
「並んで買うバザーなんて、不思議な感じがしますね」
そんなこんなで、とにかく良いことも悪いことも含めて、マリアには良い経験になったらしい話に一同は安堵した。
そして、安心したらついつい食も酒も進むものだ。
本当は夕食として集まろうとしていた彼らであったが、マリアに発見されたため真昼間の会になってしまったのも、その原因の一つだろう。
青空の下、明るいうちの酒は、なんだか「大丈夫大丈夫」と人を開放的にさせる。
結果、旅の頃はこうやって酒をしみじみ飲んだり、お互い料理を持ち込みあったり出来なかった彼らは、嫌というほど飲み喰いして、嫌というほどこの会合を堪能したのだった。


やがて夕方になり、人々は予定よりも早い帰宅をすることにした。
もともと早めに帰らなければいけなかったライアンにはありがたい話だったようで、ついでに、というと語弊もあるが、浮いた時間分マーニャと久方ぶりのデートをすることになったようだ。
ミネアは果実酒を預けてくれたホフマンのところに寄っていくと言っていたし、トルネコは早く帰ってネネに話をしなくてはならない。
クリフトは、アリーナとブライの計らいで、マリアの許可を得て一晩泊まって行くことになった。
それでなくとも今日は勤めを休んでいるので、彼には二日連続で勤めを休みたいと言う勇気はなかった。そして、それはクリフトらしいとアリーナ達は思っている。
だから、マリアに内緒で今日の準備を進めたように、クリフトにも内緒で教会の神父とサントハイム王に打診をしていたのだ。もちろん、神父と王の反応はどちらも悪くなかったため、快い許可をもらった。
クリフトは時々マリアに会いに来るけれど、それは翌日が休暇の時だったり、翌日の午前中の勤めがない時に限っており、今まで支障が出るようなことは一切していない。むしろ、マリアと会う回数をライアンに言えば「ううむ、比較をするのもどうかと思うが、クリフト殿の方がその、いささか少ないような……」という言葉が返ってきて、クリフトは己に落胆したものだ。まさか、ライアンがマーニャと会っている回数よりも少ないとは。
集まってくれた仲間達が帰る前に、マリアは最後に、と彼らを引き止めた。
本当は、最初にマリアから言わなければいけなかったことかもしれないが、みんなが彼女に気を使っていてくれたため、逆に言えなかった言葉があったのだ。
「みんな、今日はありがとう。その……心配してくれたり、応援してくれたり……ううんと、本当はあんまり心配かけたくないんだけど、みんなも知っている通りわたし、みんなのように……旅を始める前の生活っていうのが、もう、どこにもないの」
一同は誰も茶化さずに静かに彼女の言葉に耳を傾けた。
「だから、みんなと別れてからのことは、初めてのことばかりが毎日起きて、毎日必ず、どうしていいかわからないことがある。それは、その、自分で頑張ってなんとかしていけるような気がするんだけど、たまにはこんな風に……自分だけじゃどうしようもない時、またみんなの力を借りに行くかもしれない。甘えてばかりいるのは嫌だけど、もう少しだけ、みんなに心配されなくなるぐらいになるまで、力を貸してもらえると……嬉しい」
最後は、どうしようもなくなって照れくさそうにマリアはうつむいてしまった。
彼女を知らない人間ならば、ちゃんと人の顔を見て話せ、などというかもしれない。
が、彼らはそうではない。むしろ、彼女が自分から力を貸して欲しい、甘えさせて欲しい、と言葉にしたことに、仲間達は驚き、それと共に何か不思議な感動にも似た気持ちを抱いた。
彼女の言葉に一番最初に反応をしたのは、誰もが予想通りでアリーナだ。
「あったり前じゃない!今更何言ってるの!言っとくけど、心配も応援も、やめろっていったってやっちゃうんだからね。だから、マリアもなんだって相談してきてよ!もちろん、相談ナシで遊びにだってもっと来て欲しいくらいなんだから!」
と言ってマリアの肩をばしーんと勢いよく叩いた。その音があまりに高らかだったのでブライは頭を抱える。
「水くさいわね!って言いたいけど、でも、ちょっと、いいわ、そういうことちゃんと言えるようになったのって」
マーニャはそう言って、マリアの頭をぐしゃぐしゃっとかき回した。
他にもみなそれぞれにマリアに「いくらでも。それに、逆の立場になったらマリアだって助けてくれるってわかってるよ」といった意味合いのことを口にして、彼女を安心させた。
照れくさそうなマリアの表情は最後まで変わらず、けれど、笑顔で彼女は皆を見送ることが出来たのだった。
 
 
「何してるの、クリフト」
クリフトは、マリアがひとつひとつ作った村の人々の墓標――というほど大層なものでもないのだが――の辺りで、一人佇んでいた。
空はゆっくりと茜色へと姿を変えているところだが、その後は一気に暗くなることをマリアは知っているため、小屋の前には既に灯りを点している。
「あ、すみません」
「何謝ってるの。変なの。片づけは終わったわよ」
「えっ」
といっても、飲み食いした食器類はアリーナがまとめて持って行ってしまったし、空いてしまった瓶類はみなで手分けをして持ち帰り、あとは持ち寄った食べ物を入れていたものは各自で持ち帰る。たったこれだけでマリアの村はすっかり元通りになってしまった。
マリアは唯一、ミネアがスープを作るのに貸した鍋を洗って、自分の小屋に持ち帰っただけだ。
「お墓、見てたの」
「はい」
「クリフトがみんなのお墓を見てる時って、何を考えているの。たまに、見てるよね」
「……御存知でしたか」
「そりゃ、ね」
そう言ってマリアは小さく笑った。言葉に出さなくともそこには、クリフトのことを見ているのは当然でしょ、といった可愛らしい意味が含まれているのだろう。
クリフトは少しだけ照れくさそうに笑い返して
「うーん、いつも何を考えているのかは、その都度聞いてもらわないと答えられないですけど」
「そっか。そりゃそうよね」
「今は」
「うん」
「マリアさんと一緒に笑い合える自分達がちゃんといるってことを見せれば、みなさん、安心してくれるのかな、とか……そんなことを考えていました」
マリアは一瞬驚きの表情になり、それから、クリフトの手を握った。
「クリフトはいつも」
「はい」
「村のみんなのことを考えてくれてるけど」
「はい」」
「死んだ人のことを考えたってしょうがない、って思わないの?」
「……思います」
「!」
「時には。でも、それは物によってで……死んだ人たちが生きていたら、とか、あの時死ななければ、とか。どうしようもないことを繰り返すことは意味がないと思います。けれど、死んだ人を懐かしむことは別段間違っていないと思いますし、時には自分が前に進むために、あの人ならどうやったんだろうって考えたりもしますよね。それって、無意味ではないでしょう。まあ、今わたしが思っていたことなんかも、意味がない話かもしれませんが」
言葉を選びながら、クリフトはゆっくりと言って、マリアの手を握り返す。
「マーニャさんがおっしゃったんです。きっと、村の人たちがいれば、マリアさんがバザーに出たことをお祝いするだろうって。その代わりに来たっていうわけじゃないですけど、少し、そのことを考えていました」
クリフトの手を握るマリアの力が少し強まった。
先程までクリフトを見ながら話していた彼女は、うつむきがちに言葉をぽつぽつと放つ。
「最近はなかったんだけど、さすがに今回はちょっとだけ」
「?」
「戻ってきて、誰もいないってことで、へこんだ」
「そうだったんですか」
「昨日は戻ってきてなんかへこんで、おじいちゃんところに行って話をして、それで、さすがにもう大丈夫だろうって戻ってきたんだけど、やっぱり、誰もここにいないのが悲しくなった」
「マリアさん」
「多分、誰かにお疲れ様って言って欲しかったんだと思う」
「……それは、普通だと思いますよ」
「そっか」
クリフトに肯定されて、マリアはうつむいたまま少し恥ずかしそうに小さく笑った。
二人は少しの間黙って、村人達の墓標の前に立っていた。
夜が近いことを知らせる、僅かに冷たさを増した風。クリフトは、マリアが寒くないのだろうかと気にして、そっと身を寄せる。と、まるでそれを合図のように、意を決したらしい、はっきりした声音でマリアは彼に尋ねた。
「クリフト、みんなには言えなかった事、聞いてくれる?」
「はい」
なんのことだろう、と思いつつ、反射でそう返事をするクリフト。
そう答えられても少しの間、言いづらそうにマリアはうつむいていた。
「あのね……ほんとはね……」
「はい」
「作ったもの、バザーでね、下手だってすっごい馬鹿にされた。お客さんにも。だけど、それはわかってるし、褒められるとも思ってなかった。だから、時々アドバイスくれる人とか、可愛いって言ってくれる小さな子とかの言葉が、すっごく沁みた」
予想外の話にクリフトは何一つ言葉を返せない。
彼は、彼女の無念がどれほどなのかを理解出来なかったし、彼女が今どんな言葉を欲しがっているのか残念ながらわからない。
ただ、その話には続きがあるのだということはわかっており、黙ってそれを聞くだけだ。
「でも、ネネさんと相談して決めたことがあって」
「ネネさんと」
「今のわたしの品物じゃ粗すぎるし、一目見て誰が彫ったものかなんて、誰も世の中で特定出来る人がいないほど、全然プロの仕事じゃないってわかってるの。だけど、これからもっとうまくなって、もっといろんなもの作りたいの。その時に、ネネさんが作ってくれた巾着とかパッチワークのリボンとかが目印になって、わたしが作ったものだって誰かが気づいてくれたら嬉しい。自分が作ったもの、そのもので、わたしが作ったものだって気付いてもらえるのは当分先になりそうだから、それまではそういう形でもいいんだ」
「……そんな、先々のことを、考えていらしたんですか」
「わたし、この村で」
マリアはようやく顔をあげると、ぐるりと周囲を見渡した。
「思い描いていた将来は、ただ、この村を出るってことだけで、その先はなんかね。村さえ出たら、何かが起きるんだと思ってた」
それは子供らしくあり、クリフトにも心当たりのある気持だ。
大人が思うほど、子供であった彼らは「将来何になりたい」とか「どんなことをやりたい」と言われても、本気で思っていることを答えることが出来ない。
答えられたとしても、それはとても漠然として曖昧だ。
それでなくともマリアの人生には初めから彼女が歩まなければいけない将来が約束されていたのだし。
村の外に、勇者として出て、世界を救う。
それが終わった今、彼女はようやく本当の意味で子供に戻って、将来何になりたいの、どんなことがやりたいの、と大人から問いかけられる立場になれたのだろう。
けれど、彼女はもう子供ではないから。
だからこそ、とてもはっきりと明確に、自分がやりたいことについて真剣に向かい合えるのだ。
「我々が心配していたより、マリアさんはずっと、職人にも商人にも向いているのかもしれませんね」
それへ、マリアは小さく、曖昧な笑みを見せた。
「そうだといいんだけど。自分で、そうなれたら、と思っていっぱい考えてる。ねえ、クリフト、わたし、生まれてからずっと、勇者だったの」
「……生まれてからずっと、勇者」
クリフトはオウム返しをしてマリアを見た。
やっとマリアはクリフトを見上げて、目線を合わせる。照れくさそうな笑みに、それだけではない、僅かに垣間見える悲しみの表情が浮かんでいるのを、クリフトは見逃さなかった。
他の誰が見ても騙されたのかもしれない。けれど、今まで何度も何度もクリフトは、『みんなには見せないマリアのほんとう』を見てきた。だから、それに気付くことが彼だけは出来るのだ。
「自分がそうなりたくなくても、わたしは勇者だったし、クリフト達と旅をしている間も勇者。お前は何者だ、って言われたらクリフトはサントハイムの神官だって言うし、アリーナはサントハイムのお姫様。ブライは魔法使いだとはっきり言うし、マーニャは踊り子、ミネアは占い師、トルネコは商人、ライアンは王宮騎士。みんな、自分の名前以外に、自分を現す言葉っていうか……所属する言葉、っていうのかしら?それを持ってる」
「マリアさんは、それが『勇者』でしょう」
「勇者『だった』だけよ。それも、自分がそうであろうと思ってたわけじゃなくて無理矢理」
「……確かに、そうかもしれません」
「もう、今は違う。以前は勇者だった者。そんな肩書きはいらない。だから、こう、なんか両足で正しく立ってないような気がするっていうか……わたしはおじいちゃんのような木こりじゃないし、かといって彫刻師なんて大層なものじゃない。今は。でも、何かになりたいの。それで、なんか焦ってるっていうかね。馬鹿みたいかもしれないけど」
わかるかな、とマリアはクリフトの様子を伺った。
クリフトはマリアの手を握る力を緩める。それに反応してマリアもまた、自分の手を緩めた。
「クリフト?」
クリフトはまっすぐマリアを見ながら、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開く。
「わたしは、一度、マリアさんと共に行くためにサントハイムの名を捨てました」
「……うん」
「マスタードラゴンと対峙するとき、もし、わたしが今まで崇拝していた神があの方だったとしたら、わたしは神官という肩書きも失って良いと思っていました」
「!」
「そう思ったら、何の肩書きもない、何にも属してないって言えばよいのか……そういう自分をわたしは知らなくて、ですね……心もとなかったのですが、そうなった時に初めて、自分が何を成そうとしているのか、何になりたかったのかが本当に見えた気がしたり……うまくいえないのですが……きっと、マリアさんもその時のわたしのような状態で、そこから選んだことなんだと思うので……少し、わかります」
クリフトの言葉はゆっくりで途切れがちだったけれど、それは彼の気持ちを出来るだけ正しく言葉にしたい、と彼が必死だからなのだとマリアに伝わる。
彼女が見守る中、クリフトはどうにか言葉を続けていく。
「何もない自分自身が選ぶことで、それまで漠然と『そうだった』ものではなくて、マリアさんが本当になりたいものだったり、今、自分に出来る精一杯のことだったり……それが、多分マリアさんがおっしゃっている、足が地につくというか。ううん、やっぱりうまく言えないんですけど」
「うん。大丈夫。伝わる」
「とにかく、その……そうやって選んだマリアさんは……勇者である自分のことを嫌がっていたマリアさんより、ずっとずっと、生き生きとしている気がします。きっと、人が生きていくということは、そういうことなんでしょうね。だから、馬鹿みたいなことじゃないです。むしろ、その……」
そこまで言うと、クリフトは両腕をマリアに伸ばして、何も言わずに彼女の体を引き寄せた。
彼がそういうことをするのは稀なことだったため、マリアは少しばかり驚いたが、彼女の方もクリフトの背に腕を回して軽く胸にもたれかかる。
「本当によかったです。マリアさんがこの村で……前を向いてくださっていることが、本当に嬉しい。嬉しいし、あと、ちょっとだけ、どうしよう、置いていかれちゃう、っていう焦りもあります」
「何、置いてかれるって」
「わたしも、うかうかしてられない、ってことですよ」
「なんで?」
マリアは、彼の腕の中で彼を見上げた。が、クリフトは曖昧な笑みを見せるだけで、マリアの問いには答えない。
「マリアさんが先のことを考えるように、わたしも考えることがあって、ですね。ずっと漠然としていたので前に進んでいなかったんですが、刺激を受けました」
「よくわからないけど、クリフトも、何かやりたいことがあるの」
「はい。それは自分一人の力ではどうにも出来ないことなのと、現実的な方法をまだ見いだせていないので、今はお話出来ませんが」
マリアはじっとクリフトを見てから、体をゆっくりと離した。
正面きっての隠し事は、気分が悪いものではない。
これがアリーナだったらもう少しあれこれと聞きだそうとするのだろうが、マリアはあっさりと、けれど少し楽しそうな声音で言う。
「そのうち教えてもらえるんでしょ?楽しみにしているわ」
「はい。きっと、その頃にはもっともっと、マリアさんの腕は上達しているんだと思います。それも、楽しみです」
「うーん、プレッシャー」
「あっ、あ、すみません」
馬鹿正直に謝る声。それが、いつものクリフトらしくマリアは軽く笑い声をあげた。
「なんてね。嘘よ……夜に、なってきたね。ねぇ、クリフト、明日、天空城に行こうと思ってるんだけど」
「天空城に?マスタードラゴンに何か」
「ううん。お母さんに」
その言葉に、クリフトは複雑な表情を浮かべた。そして、自分がそういう『微妙な』顔になったことを彼は自覚して、心の中で自分自身に失望する。
もっと。
アリーナだったらきっと、マリアの意図がわからなくとも『それいいわね、きっと喜んでくれるわよ!』と言うのだろうに。
今までマリアの言動をあれこれ見てきてしまったがゆえの、自分の悪い癖だ、とクリフトは思う。
「何か話を?」
「話は、ないの。さっきの試作品、あげようと思って。それぐらい、許してくれるんじゃないかなぁ、マスタードラゴンも」
「そうですね」
「まだお母さんは許されてないから、天空城を出てあちこち行くことが出来ないから、携帯用の鏡なんていらないんだろうけど。そういうことじゃないの」
「わたしもご一緒して良いでしょうか」
「一人じゃ、まだ行くのが怖くて」
そう素直に答えるマリア。
クリフトは彼女が言う意味を正確に把握は出来ないけれど、どういう意味かと彼は追及しなかった。
曖昧だけれど、ただ彼は『わかる気がする』と思う。
そして、なんでもかんでも言葉で表現してもらわなくても良いだろうとも彼は思うのだ。
「よっし、じゃあ、決まり。ねえ、食べすぎちゃったんじゃあない?お腹がすっきりするお茶淹れようか」
「いいですね」
「じゃ、それ淹れてるから、悪いんだけど地下室に行って、油少しとってきてくれる?」
「はい」
その会話は、クリフトが既にここでのマリアの生活をよく知っていることを表している。
彼女が言う油とは、灯りに使う油のこと。火災が起きると困るので地下室に置いてあり、それはこの村での約束事になっていたらしい。
クリフトは心得たように歩いて行く。
それを見送ってからマリアは視線を墓標に移した。
その墓標の下には、誰の遺体もない。骨のかけらもない。だから、そこには誰ひとりの無念も残っているはずがないのだ。
それでも、そこには確かに人々が生きていた証があり、マリアはついつい話しかける。
「生まれてからずっとずっと、いつでも優しい人達に囲まれてて、こんな幸運なんてない。ありがとう」
きっとその言葉は、今日集まった人々にも言いたい、けれども、今はもう何もかも照れくさくてうまく言えないものなのだろう。
マリアは、自分の声で戻ってきたその言葉達を反芻して
「ごめんなさい。みんながいなくなって初めて気付いて……今更、伝えようと思えるなんて」
と小さく呟いた。
あの日、自分を守ろうとして死んでしまった人々の顔を一人ひとり思い浮かべる。
今だって心は痛むけれど、後悔や悲しみだけで苦しむ日々だけを繰り返すわけではない。彼女は彼らへの感謝を強く思った。それは、旅の間には生まれなかった感情だ。
「みんなには、伝わるかな。口にするのって、難しいけど」
その『みんな』は、今マリアを囲んでくれている、同じ大地に足をつけている仲間達のことに違いない。
と、マリアは軽く身震いをした。
薄暗くなってきた空。冷たくなってきた、夜を知らせる風がマリアの体を冷やし始める。
「クリフトは、何考えてるのかしら。あれは、絶対わたしに関係あると思うんだけどなぁ」
そう呟くと、アリーナに叩かれた肩の痛みに苦笑をして、マリアは小屋に向かって歩き出すのだった。



Fin

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