あなたの中にいたわたし-1-

 
 
最近、クリフトがどうやら忙しいらしい。それも、今までにないほどに。
らしい、というのは彼から話を聞いても、マリアにはあまりよく理解出来なかったからだ。
城勤めの人間が普段何をしているのか、マリアにはいまひとつぴんとこない。
教会勤めの人間であれば、それは尚更だ。
少なくとも、彼女が生まれ育った山奥の村には、城勤めをしている人間も教会勤めをしている人間もいなかった。
長い期間各国を旅してきたけれど、一人の人間の一日や一週間、一ヶ月というものにスポットを当てて見続けたことなぞも一度もない。
だから、仕事のことをクリフトに聞いても、マリアにとっては『あまりよくわからないけど、大変そう』だとか『そっか、忙しいんだ』という、大雑把な感想しか浮かばないのは仕方がない。
そして、クリフトもまたそれを知っていて、事細かには彼女に説明をしない。
そういうわけで、最近クリフトは以前に比べると、マリアに会いにくる頻度が下がっている。
正直な話、一人ぼっちの時間が長いのは寂しいけれど、ある意味ではちょうど良いと彼女には思えていた。
木こりの祖父に習って初めた木工細工作りにマリアはどんどんのめりこんで行き、その腕前も少しずつ上達していた。それを、彼女自身実感している。
朝から晩まで作り続けた職人が数年で身につける技術を、わずかな期間でマリアが身につけたのは、もともとの才もあれば幼い頃から木刀を作ったりしていた地盤があるからだ。自給自足生活だった村のおかげとも言える。
今、彼女は砂漠のバザーに売りに行くための作品をせっせとこしらえており、気をつけなければ昼飯もろくに食べずに朝から晩まで木と向かい合っている始末。
それだけ集中出来るということが、既に彼女の「向き不向き」をよく表しているのだが、いささかそれも問題だ。
(食べないといけないし、他の筋肉も動かさなくちゃいけない)
まだ村に人々がいる頃に、剣の師匠に何度も言われたこと。
旅をしている間、何度も何度もライアンに言われたこと。
使わなければ人間の筋肉は衰える。
満遍なく筋肉を保つには、満遍ない運動が必要だ。
平和になった今でもその教えを守るマリアを見て、クリフトはよく苦笑を見せていたものだ。
見習わなければ、と言いつつも、本当はそんなことはもう必要ないんだって胸を張って言いたいのだけれど、と。
ともかく、彼女のほうはそれはそれでクリフトに負けず劣らず忙しいため、お互いその時期が合致したのは逆にありがたかった。
とはいえ、本当は、自分にそう言い聞かせても、寂しいものはやはり寂しい。
それが、離れて生活をすることを選んだ自分達の自業自得なのは、痛いほどわかっているのだが。
 
 
「はーー!もう、暗くなってきた!」
故郷の村には、まだそこここに瓦礫が残り、凄惨な虐殺を思い出させる痕跡がある。
その一角でわずかな居住区を作り、更に作業場を作ってから相当な月日が経った。
時々遊びに来てくれるマーニャやミネアに、どうして瓦礫等を片付けないのかと何度も言われたけれど、どうもマリアにはそういう気持ちになれない。
虐殺の跡は、そこに誰かがいた跡でもある。
今は一人一人の墓が村の片隅にあり、それこそ『誰かがそこにいて、死んだ証』でもあるけれど。
そういうことではないのだ。
もう少しだけ。
もう少し。
クリフトにもまだ伝えたことがなかったけれど、マリアには思うことがあった。
天空人である自分の母親と、それを娶った父親は、人目を逃れるようにこの村に来たのだという。
そんな風に、何か事情を抱えた誰かが、いつかここに辿り着くことがあるとしたら。
もしかしたら、息を吹き返さないはずだったこの村が、どこかの誰かの役に立つ日がくるかもしれない。
そのための準備は、まだ終わっていない。だから、もう少しだけ。
あと少し前進するまで。
本末転倒かもしれないが、今はまだ片付けたくないのだ。
「そうか、スープ、飲み終わっちゃったんだ」
伸びをして、肩をまわしながら独り言をつぶやく。
作業に没頭する時は、いつも具沢山のスープを大量に作り置きしておく。
ありがたいことに、今は少し肌寒いぐらいの気温で、作りおいたものがそうそう悪くなるような気候ではない。
二日か三日に一回、大量のスープを作って、大量にパンを焼いておく。
あとは食べるたびに小さな鍋に移し変えて温めれば良いだけだ。
「よっし、作るか。気分転換にもなるしね」
マリアは、作業用の前掛けをはずして椅子の背もたれに無造作にかけると、野菜等を保管してある村の地下倉庫に向かった。
まずは、そこから大量の野菜や干し肉など、スープの材料を持ってくるところから始まる。
空は茜色に染まり始め、もうすぐ夜になることを告げていた。
瓦礫のそばに立ち止まって、暮れていく山の空をしばし見つめるマリア。
村に誰もがいなくなっても、空の色は変わらない。
この場所で、この色を見る頃に。
それぞれの家から、それぞれのおいしいそうな匂いがたちこめて。
今日の夕ご飯はなんだろう。
シンシアは何を食べるのかな。
長老はくたくたに煮込んだスープなんだろう。
先生のお母さんが作ったシチューはおいしいんだよな。
ドッセルさんは、昨日狩った肉をほおばっているんだろうな。
そんなことを思いながら短い帰路についていた日々に、一瞬引き戻される気がした。

がつん

けれど、足にぶつかった瓦礫が、それを否定する。
わずかに忌々しげな表情を一瞬浮かべるが、それは瞬時に消える。
心の中で、「わかってるわよ」とつぶやきながら。
 
 
晴れている時は、建物の外に設置している竈を使う。
雨の時は仕方なく中にある竈を使うのだが、彼女が住むために建てた小さな家は、あまり煙がうまく外に出て行かないからだ。
また、旅の間野営が多かったため、なんとなく外で料理をする方がマリアにはしっくりくるのだ。
ことことと、ゆっくりスープを煮ている間に、パンを焼く。
パンといっても、非常に簡易なもので、膨らみも少なく、水分量が少ない保存用のもの。
それを、スープに浸しながら食べるのがマリアのお気に入りだ。
空はとうに茜色から群青色に塗り替えられており、少しずつそこに薄い黒いフィルターがかかろうとしている。
スープの鍋からおいしそうな香りが立ち上り、それにマリアの胃は反応をした。
一人の食事も、とっくに慣れた。
最初は寂しくて仕方がないと思ったけれど、一人の食事を繰り返しているからこそ、クリフトが来てくれた時の喜びは倍増するのだと、ある日ふと思いついた。
その思いつきは、素敵なものだと彼女は思った。
日々の生活が、彼と共にいる時の喜びに繋がるなんて、なんという幸せなんだろう、と。
一緒にすごせる時間が短い分、それ以外の時間をおざなりにしたくない。
日々の積み重ねが、一緒に過ごせる時間を更に豊かするなんて、そんな発想は以前のマリアにはなかった。
時とともに、自分自身も変わっていく。
そのことは、嫌ではない。
本当はその自分の様子を、村の人々に見ていて欲しかったと今でも思うけれど。
(クリフトに会いたいな)
最近、少しは自分も素直になってきている。
その変化をわかっているのは、自分とクリフトだけなのだろうけれど。
前ならばそこでいつも我慢していたが、今はその言葉を口に出せるし、クリフトに時には無理強いを出来る。
それで壊れる仲ではない、というよりも、そんなことで人を嫌うような人物ではない。クリフトは。
だが、今はクリフトからはっきりと忙しいと聞いている。
ならば、我慢しなければいけないだろう、とマリアは鍋の中身をぐるりとかき回しながら思った。
こういう時は、いつもよりちょっとたくさんご飯を食べて、寝てしまえばいい。
(そうだ。明日スケッチに行くから準備をしなくちゃ)
木工細工のデザインの勉強のため、マリアは季節ごとにあちこちの町に行っては、その付近の植物を描いている。
正直、マリアはあまり絵を描くのがうまくない。
通りがかった商人達に見られて、大笑いをされたこともある。
けれど、その下手糞な絵を描き貯めてここに戻って、それらを一枚ずつ見ているうちに、モチーフが頭の中に浮かんでくる。
不思議なことに、花弁を持ち帰って押し花にしたり、切花を持ち帰ってくるだけではそれがうまくいかない。
自分の手で描いて。
自分の目で見て。
まるで、旅の間にひとつひとつのことを自分達の手でやり遂げ、それが日々の血肉になってきたかのように。
何もかも、一度自分自身の目を、耳を通し、脳から更に手を動かして生み出して。
そこから始まるのだとマリアは感じていた。
(また、誰かに見られたら笑われちゃうかなぁ……でもいいや。クリフトだけは、わたしの絵を笑わないでくれるもの)
「……あ」
不意に声が出たのは、クリフトのことを思い出してしまったからだ。
時折、仕事に絡んだことを考えている時にも、わずかなことであれど、こうやってクリフトのことを考えてしまう。
それを、嫌だ、恥ずかしい、と感じてしまうのは、照れくささを自分自身にも隠そうとするからだろうか。
もちろん、そこにマーニャでもいたら「それが恋する乙女ってやつで、当たり前のことなのよ」なんて笑い飛ばすだろう。
 
 
翌日、マリアは早朝からルーラの呪文で移動をし、ハバリアの町の周辺を探索していた。
海に面した土地には、特有の植物が生息する。
そもそも山奥で育ったマリアにとって、海に近い場所の植物達は、旅をしている間ですらものめずらしく感じたものだ。
町の中でも外でも、受ける風がなんとなく塩辛い。
海に近い場所に来た夜は、髪を洗いたいと無性に思うのもそのせいだろう。
「だいぶこのあたりの植物も描いたわね」
自分で見ても、お世辞にも上手いとは言えないスケッチ。
それでも、既に描いている最中に『これは、小物入れのふちにあしらいたい』なんて、モチーフを思い描けるものもある。
質がよくない紙に滑らせるのは、黒鉛を削ったものだ。
それを小さな板にはめ込んでいるのだが、その板も練習用にと小さな彫り物を自分で入れており、マリアのお気に入りだ。
(アッテムトも、西側から掘れば黒鉛を含んだ岩があるって聞いたんだけどなぁ……あんなことがなければ、そんなに儲けはないかもしれないけど、黒鉛掘ってもらってこんな風に作って売れたかもしれないのに)
羽ペンにインクでは、気軽に持ち歩いて外で広げることが出来ない。
なんらかの公式文書を書くにはインクが必需品だが、こうやってスケッチをするならばインクは不必要。
そんな風に物の使い道などを考えた時に、必ずそこから商売に発展するかどうかを考察するのだ、とトルネコに何度も言われた。それに対しては、ミントスのヒルタン老人も頷いていた。
マリアは商人というよりは職人と呼ばれたい、と思いつつ、物を売って認められなければ職人と見られることもないのだとも知っていた。
だから、こうやって考える。
思いついたことを時々クリフトに話すと、彼は目を丸くして驚く。そんなことまで考えるようになったんですか、すごいですね、と心底感心したように何度も頷いて。
(とと、またクリフトのこと考えてる、もう)
もっと、気をひきしめなくちゃ。
そう思ったものの、長時間のスケッチにいささかの疲れを感じる。
作業に没頭してしまって、昼飯を食べ損ねてしまったことにもようやく気づき、手早く道具を袋に収納した。
ハバリアで、少し遅めの昼食にしようと彼女は決めたのだった。
 
 
「あれ?」
町に戻り、最近評判だという港料理の店に向かう途中で、マリアは足を止めた。
「今の……」
(わたし、ついに頭がおかしくなっちゃったのかしら?そんなに……)
そんなに。
幻影を見るほどに、クリフトのことばかり考えていたのだろうか。
賑わう港町の通りには、人が途切れなく行き交っている。
その中に、クリフトの姿が見えたような気がした。
気がした、ではない。
間違いなくクリフトだ。
マリアの目に飛び込んできたのは旅の間に見慣れた服装。それはサントハイムから支給される正式な神官服だ。
毎日見ていたその姿を、旅の後は時々しか見られなくなったけれど、忘れるわけも、見間違えるはずもない。
なにより、特徴的なサントハイムのマークが入った帽子が人々の頭よりも上に飛び出していたのだし。
しかも、場所は教会の近くだ。
(お仕事で、ここに来たのかしら……)
見間違いでなければ、彼は若い女性と一緒に教会に入っていたように見えた。
相手は、少なくともアリーナではない。
ハバリアに住んでいる、近所の人ではないかとマリアは推測した。
長いまっすぐな茶色の髪。後ろ姿しか見えなかったけれど、女性らしい膨らんだ袖のブラウスを着ていたと思う。
(誰だろう、あの人)
ずきん、と胸の奥に小さな痛みを感じる。
その痛みは初めての物ではない。
旅の最中、クリフトがアリーナと仲睦まじくしている姿を見たり、サントハイムのことで泣きじゃくるアリーナをブライがクリフトに任せている様子を見たり。
その時に感じた痛みに似ており、それが嫉妬という感情から来るものであることは、マリアは既に体感していた。
彼女の年齢で、そんなものに冷静に向かい合えることは珍しいと言える。
が、旅の間、彼女はクリフトに関することだけではなく、終始アリーナ、いや、アリーナだけではない。多くの人々に嫉妬をしていた。
戻る場所がある人はうらやましい。
わたしもそうやって、同じ場所に戻れる人がいれば。
家族がいる人がうらやましい。
たくさんの嫉妬を抑える日々。
だって、仕方がないではないか。
マリアは仲間達全員が好きだったし、けれども、そのほぼ全員に対してどこかしら嫉妬の感情を抱いていた。
劣等感に似たものもあったし、逆に見下していた時期もあっただろう。
それらと日々向かい合い、抑え続けていればわかる。
(クリフトが、女の人と一緒にいるのって……見たことがほとんどないから……)
だから、余計に気になる。
「うー……」
追いかけて、教会に入ってしまおうか。
でも。
(いくら、最近わたしが素直だからって、それは駄目よね)
もしも見間違いではなくて、もしも本物で。
若い女性と教会に入っていったのがクリフトだとしたら、それは間違いなく仕事の最中だろう。
どうして彼がハバリアにいるのかはマリアにはわからないし、サントハイムの神官がハバリアの教会に仕事に来るなんてことが有り得るのかもよくわからない。
が、それがよくわからなくとも、今自分がひょこひょこ声をかけにいってはいけないと判断をした。
(うーん、でも……)
今まで、サントハイムを離れてどこかに行く仕事が入ったとき、クリフトはマリアにそれを前もって教えていた。
けれど、ハバリアに行くなんて話をこれっぽっちも最近聞いた覚えがない。
内緒でハバリアに来て、女性と会っていた。
往来で立ち止まって、そんなことを想像していたら、歩行者に肩がぶつかってしまう。
慌てて道の端に寄って教会をじっと見つめ続けた。
(そんなわけない。仕事が忙しいから、きっとわたしに話してる余裕がなかったんだろうし……忙しいなら、声かけない方がいいよね……)
マリアは、唇を引き結ぶ。
すると、それと同時に、お腹の虫がキュウ、と小さく声をあげた。
「もう!わたしのお腹ったら!」
それはきっと、体からの警告だ。
クリフトのこと考えてやきもきしている暇があったら、ご飯を食べたほうがいいよ、という。
きっとそうだ、そうに違いない。
マリアは自分にそう思い込ませ、遅い昼食を食べてから考えようと歩き出した。
 
 
「あーーーー……わたしって、本当に、阿呆だ……」
その晩、村に戻ったマリアは、ブーツを履いたままで体をベッドに投げ出した。
ハバリアでの昼食後、結局どうにもこうにも気になってしまい、ほんの一目でも確認をしたい気持ちを抑えきれなくなった。
そこで、マリアは勇気を出して教会の前まで行ってみたのだ。
そこまでは良かった。
クリフト本人か確認して、そうだったら『見かけたから驚いちゃって』と軽く笑えばいいだけだ、と何度も自分に言い聞かせたものだ。
けれど、問題はもっともっと手前にあった。
「教会って……慣れないなあ〜」
そう。
そもそもマリアは教会が苦手で、これといったはっきりとした用件もなく、その扉を開けることなぞとても出来ない。
旅の間は仲間がいたし、旅の前途への祝福を授かるといった、旅人の定型挨拶と言える『教会に行く理由』が明確にあった。
今日のマリアに関しては、『クリフトに会いたかったから』も明確な理由ともいえるかもしれないが、教会からすればはた迷惑に違いない。だから、教会前を何度かうろうろした挙句、夜になると萎んでしまう花を明るいうちに描かなければ、と再びハバリアを出てスケッチをして、気づけば夕方。
結局、教会に入らぬまま、ハバリアでクリフトらしき人物をそれ以降見ないまま、帰ってくることになってしまった。
(それはそうなんだけど……それだけじゃないんだよね、きっと。本当は)
一緒にいた女性が誰なのか、気にならないわけはない。
十中八九仕事に関係しているに違いないし、他国で誰かの世話になることはおかしくない。
それを自分に言い聞かせるのは、今日何度目のことだろうか。
(ちょっとだけ、嫉妬して。あの人のことが気になって、仕事の邪魔をしにいったって思われるのが嫌だったんだ)
その気持ちに関しては、きっとマーニャに言ってもミネアに言っても『わかるわかる』と言ってくれるに違いない。
意地を張ってもいいことはない。しかし、わかっていても、張ってしまう意地もあるのだ。
(でも)
クリフトに会いたいは会いたい。
仕事の邪魔はしたくないけれど、ほんの一言『たまたまハバリアに来たの』と言って微笑みあうぐらいの時間は、許されたのではないかとは思う。
それでも、とマリアは思い巡らせた。
クリフトは、はっきりとマリアに『忙しい』と言った。だから、少し会いに来られなくなるかもと。
(ハバリアに行ったり、外出する用事があるなら、ちょこっと寄ってくれてもいいよね……)
それを彼がしないのは、彼の生真面目さだけのことではないと思えたのだ。
きっと、彼は本当に忙しいのだ。
いつどこにいるのかをマリアには言えないぐらい。
そして、会いに来られないぐらい。
こうやってマリアがベッドに体を投げ出すように、もしかしたら彼も今頃、ハバリアの宿かサントハイムの自室のベッドで、うつぶせになっているかもしれない。
(本当に……どうして、そんなに忙しいんだろうか)
クリフトは、サントハイムの神官だ。
神官にとって、他国へいく仕事って何があるんだろう。
疑問に思ったけれど、その答えを自分が知らないことをマリアは嫌というほどわかっている。
もちろん、クリフトもそう思っているに違いない。
かくして、もやもやした気持ちを抱えつつも、マリアはクリフトに何を問いただすこともなく、早く彼の仕事が暇になればいいのに、と祈るしかなかったのだ。
 
 
数日後の夕方。
作り置きしておいたスープもパンも底をついて、またマリアは最初から作り直していた。
あれから、ハバリアの次はミントス。その次はイムルの村を訪れた。
もしかしたら、また偶然にクリフトを見かけるかもしれない。
いくらかマリアはそう思っていたが、物事はうまくいくわけもなく、クリフトの姿をそれぞれの町の教会付近で見つけることは出来なかった。
今日も空は晴れている。きっと星空は美しいに違いない。
「いてて」
くつくつと煮えた鍋を竈から降ろす際に、腕に痛みを感じる。
それは、作業に没頭しすぎて長時間休みなく彫り物をしていたからだ。
スケッチしてきたものをモチーフとして、木工細工に映えるものかどうかを試しに、いくつもいくつも彫り続けた。
試し彫りだからやすりで仕上げる必要はないけれど、慣れない形を彫る時は無駄な力がまだ入ってしまい、やすりがけまで一気にやったかのような疲れを腕に感じる。
(明日は久しぶりにアネイルの温泉に行こうかな)
鍋を岩の上に置いてから、今度はパンを乗せた鉄板を覗き込む。
「いい色になってきたぁ……っ!?」
マリアは突然体を強張らせて、村の入り口――とはいえ、それを『入り口』と認識しているのは、マリアとその仲間達と祖父だけなのだが――の方を見た。
誰かが、来る。
こんな時間に来るような人物は、一人しかいない。
目を凝らしてじっと見つめれば、夜の闇の手前、薄暗い群青色の中からクリフトの姿が浮かび上がる。
マリアは慌てて立ち上がると、歩いてくるクリフトに向かって行った。
「こんばんは、マリアさん」
少しはにかんだように挨拶をするクリフト。
その彼の様子を見て、マリアは心の中で『やっぱり、ハバリアにいたのはクリフトだ、間違いない』と、確信した。
が、その時には気づかなかったけれど、どうもクリフトは少しだけ痩せたように見える。
それは、間違いなく仕事の多忙のせいだろう。
「どうしたの、何の連絡もなく来るなんて、珍しいわ」
「申し訳ありません」
「申し訳なくなんて、ないわよ。夕ご飯は?」
「実はまだ」
昨日今日の仲ではないマリアは、クリフトが軽装で特に荷物を持ってきていないことを見て、今晩は泊まらないで帰るのだろうと判断した。
この村でクリフトは何度か寝泊りをしたことがあり、彼が手ぶらで着てもなんとかなる程度のものはそろっていたが、それでも彼はいつも手荷物を持ってくる。
が、今日のクリフトは何も持っていない。
本当にふらりと、突然やってきた。そんな様子にマリアには見えた。
今日はサントハイムにいて、そこから来たのだろうか。
それとも、どこかに出かけていて、荷物だけサントハイムに置いてやってきたのだろうか。
クリフトの様子からは、どちらとも判断出来ない。
マリアは努めていつも通りの自分を装った。
「簡単なものしかないけど、一緒にどう?」
「ありがとうございます」
そう言って微笑むと、帽子を脱いで頭を軽く下げるクリフト。
スープを作っている時でよかった、と軽くマリアは安堵する。
もちろん、作業に没頭している時には作り置きした食料で凌いでいることを彼は知っているが、折角クリフトが来てくれたのだから、出来立てのものを振舞える方がやはり嬉しい。
マリアがパンを裏返して最後のひと焼きに入ると、慣れたようにクリフトは自分の分の食器を家の中から持ってくる。
「ちょうど良いタイミングで来たみたい。パンも焼けたし、スープもいい感じ。どっかでわたしの様子見てたの?」
マリアがにやりと笑いかけると、クリフトも顔を綻ばせた。
「あはは、まさか。でも、タイミングがいいっていうのは……なんだか、嬉しいものですね」
「ふふ、そうね」
それへは素直に笑って、マリアは竈の火を二つのランプに移してから火の処理をした。
ランプをクリフトに渡すと、どこに置くのかを彼は既にわかっており、何も言わなくとも一つを平たい岩の上、そして一つを、野外用のテーブルの上に置く。
野外用のテーブルは、竈のすぐ横にある。テーブルといっても、大きな岩とちょうど良い高さの中ぐらいの岩を組み合わせて、テーブルと椅子に見立てているだけで、実際はまったく座り心地がよくない。それでも、彼らには十分なものだった。
晴れた日に外の竈を使うように、食事もまた、いつもそのまま外で済ませてる。
特に、来客時にそうやって食事をすれば、旅の間のことを思い出し、なんだか楽しい気持ちにもなる。
クリフトもそこで食事をすることが好きだと以前からマリアに言っていた。
旅を終えてサントハイムに戻った彼は、当然のように朝から晩まで城の中で仕事をして、食事もまたそこで行われているに違いない。
彼の職業で、野宿だとか、外で食事だとかいうことがあるはずもない。
だから、こうやって野外で食事をするたびに、あの日々を鮮明に思い出して嬉しいのだと。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。では、いただきます」
クリフトが食事前に祈りを捧げる姿も、見慣れた日常の一つ。もちろん、彼はそれをマリアに強要しない。
二人は、簡素な食事をしながら、他愛もないことを話した。
砂漠のバザーに向けての木工細工の進捗がどうの、サントハイムで最近アリーナが起こした騒動がどうの、ソレッタのパデキアが豊作すぎてどうの、とか。
食事中、マリアは決してクリフトに、忙しい仕事は終わったのか、どうして今日やってきたのか、何かあったのか、と問いただすことはしなかった。
聞きたい気持ちはあったけれど、クリフトから話さないということは、言いたくないことなのか、あるいは食事時にする話ではないのだろうと思えたからだ。
本当は、ハバリアでのことをすぐにでもクリフトに話したかった。
けれど、久しぶりにやってきた彼が、仕事が楽になったともなんとも言わないうちに、その話をしたくないと思えた。
クリフトが言っていた『忙しい』の様子がおかしいことを知っているがゆえに、余計なところで気を使わせたくないという気持ちもマリアにはあった。
話をする場を選ぶ人間は、話をする場を選ぶ人間の気持ちがよくわかる。
マリアは、人数が少ない村で育った割には、そういったマナーを備えていた。
逆に言うと、村の人々がそういった『ここで話すことではない』『子供に聞かせるものではないから』などと、マリアやシンシアに一線を引いた会話をすること、場を選ぶ会話をすることが多かったという証拠なのだが。
食事を終え、クリフトが食器を洗っている間にマリアが茶を淹れる。
それもまた、既に彼らの間には約束になっているような流れだった。
そういう『二人の当たり前』が増えていることにも、マリアは敏感に感じ取っていた。
クリフトはこの村の人間ではないけれど、自分達の間に少しずつ出来ていくルールは、間違いなく共に暮らす間柄の約束事。
それは、自分以外の誰かがここにいる、という証。
たったそれだけのことがひとつふたつ増えるだけで、死んでしまったこの村が、まるで息吹を吹き返すようにすら思えるのは、自分の勝手な思い込みだろうか、とマリアはふと感じたことがある。
それを、クリフトには言ったことはないけれど。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
気がつけば、夕焼けの茜色なぞ一体どこにいったのか、というほど深い夜が訪れていた。
この時期に煩く鳴く夜の鳥の声が一度だけ響くと、また静けさが訪れる。
虫の声はあちこちから聞こえており、あまりに当たり前のため逆に耳の入ってこないように感じる。
「ちょっと甘くしたけど」
「ああ、うれしいです。甘いものが、ちょっとだけ欲しくて。マリアさんすごいな」
「すごくないわよ。ミネアの受け売り。忙しい人には、甘いお茶がいいって」
いつもならば、ここで茶を飲み終わったら、さあ寝ようか、とすぐ家に入ってしまう。
あるいは、夜は冷えるから中でお茶を飲みましょうとマリアが提案をする。
けれど、今日はそのどちらでもない。
きっとほどなくして帰ってしまうクリフトは、家に入ってくつろぐ時間はないのだとマリアには思えたからだ。
やはり、彼は今でも『とても忙しい』状態なのではないか、とマリアは推測した。
なのに、それを圧してまで来てくれたのは、何かしらの理由があるのではないかと思える。
「マリアさん」
「うん」
クリフトの呼びかけは、何かの強い意志が込められている。明らかに声音が違った。
平静を装って返事をするマリアであったが、わずかに声が上ずったのは、クリフトの声音に釣られたからだ。
「実は今日、報告があって」
「……うん。なあに?」
来たぞ、と思う反面、もしかしてよくないことなのだろうか、とマリアはクリフトの表情を解析しようとした。
が、思いのほか彼は穏やかな顔つきで彼女を見ている。
「ずっと前に……マリアさんが、砂漠のバザーに最初に出展した後に……わたしにも、やりたいことがあると言ったことを覚えていらっしゃいますか」
「もちろん、覚えているわ。自分ひとりの力では、どうしようもないって言ってたわよね」
「ああ、覚えていてくださったのですね。嬉しいな」
明るい表情でクリフトに言われては、逆にマリアの方が恥ずかしくなってくる。
覚えているに決まっている。
だって、その時は内緒にされたのだし。
人に内緒にされたことほど、執拗に覚えているものだ。
「それが、前進したので」
「そうなの。えーと……よかったわね、って言いたいけど、まだわたしに教えてくれないの?」
「ああ、そうでしたね。話します」
「……うん」
茶を一口すするクリフト。
マリアもまた、それに倣って喉を湿らせる。
「われわれ神官というものは、基本的に国に仕えているのですが」
「えーと……教会にいる人ってこと?神父さんみたいな」
「神父様と神官とはまた立ち位置が違うのですけれど。そうですね……たとえば、わたしはサントハイムの神官でありますから、他の国の教会でお手伝いをしたとしても、あくまでもサントハイムから派遣された者であって……ううん、この説明じゃわかりづらいなあ」
「うーん」
そもそも宗教だとか教会だとか。
そういうものにマリアは疎い。
当然それを嫌というほど知っているクリフトは、自分の説明では的を射ないと気づいている。
「ええと。簡単に結論から話しますね。わたしは、サントハイムに在籍しながら、他の国の教会で働くことが自由に出来る権利を、このたび手にいれたんです」
「??」
クリフトのその『簡単な結論』すらマリアにはぴんとこない。それがどういうことで、どれほどの労力を要したのかもまったく想像もつかない、というのが正直な感想だった。
が、ひとつだけ。
(まさか、クリフト、ハバリアの教会で働くとか……?)
その思いに、マリアはぴくりと眉根を寄せる。
(も、もしかして、あの時の女の人は……えーと、でも、シスターっぽくないし……)
どうあれ、もしかするとクリフトはあの女性と一緒にハバリアの教会勤めになるのではないか、という嫌な思いだけがマリアの胸中には沸きあがってきた。



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