あなたの中にいたわたし-2-

 
 
「えーと……おめで、とう?」
自分の思惑は置いて。
クリフトの言葉から、まずはそれは祝うべきことなのだとどうにか読み取り、マリアはしどろもどろになりつつ言った。
「はい。ありがとうございます」
その様子では多分理解していないだろうな、と思いつつ、クリフトは小さく微笑みながら礼を述べる。
「わかりづらい話でしょうが、それが、わたしにとっての一歩前進なんですよ」
「そうなの……それは、クリフトが、サントハイム以外の場所の教会に行くってこと?」
「端的に言えばそうですね」
「うーー」
それのメリットが、マリアにはまだまったく理解出来ていない。
今の問いかけには、本当は続きがある。
『たとえば、ハバリアとか』
その言葉を飲み込んで、マリアは自分を落ち着かせようと茶を一口すすった。
それに倣うようにクリフトも茶をもう一口飲んで、カップをテーブルに置くと話を続ける。
「実は今、もうひとつわたしが試みているものがあって」
「うん」
「教会がない町や村に、教会、あるいは教会と似た役割を持つ何かを、大仰でなくとも作るためにはどうしたらいいのかと」
「……」
そのクリフトの言葉に、マリアは瞳を見開いた。
教会がない町や村。
それは。
それは、ハバリアのことではない。ハバリアではなくて。
マリアは、彼が言わんとしていることにすぐに気づき、眉根を軽く寄せる。
「まさか、クリフト、ここに教会を作る気なの?」
あまりの驚きに、思った言葉がそのまますんなりと口から出てしまった。
なんて自分は阿呆だ、もう少し考えて言葉を選べばよかったのに、とマリアは慌てて口を閉ざした。が、それは既に遅すぎた。
(わたしのために、クリフトが、っていう自意識過剰っぽい気持ちが伝わっちゃう……)
そう悔やんだが、言ってしまったものは仕方がないし、そのようにマリアが思うのも当然だ。
クリフトは、目を白黒させて困っているマリアに、相変わらず微笑を返すだけだ。彼の表情は、たったそれだけでも肯定の意志をマリアに伝えていたが、更に彼ははっきりと言葉にした。
「そうですね、もし、その時が来れば……教会と似た何かを」
その声音は穏やかだけれど、毅然とした響きを伴う。
たったそれだけの言葉なのに、不思議とマリアは知らず知らず背筋を伸ばしていた。
その時とは、いつだろう。
それに、教会に似た何か。
クリフトの言葉が一体何を指すのか、今のマリアにはまったく想像が出来ない。
そもそも、マリアは未だに『教会とは何か』と誰に問われても、うまく説明が出来ないのだから当たり前だ。その問いに対する回答を持たぬまま、聖職者であるクリフトとの恋に堕ちてしまい、今に至るわけだ。
教会とは一体何なんだろう。
そんな根本的な疑問を、旅の始まりから彼女は抱いていた。
聖職者と呼ばれる人がいるところ。
旅の安全を祝福されるところ。
毒に侵された人々を助けるところ。
不慮の事故で失った命を助けるところ。
マリアがなんとなく理解していたのは、たったそれだけ。
他のことは、クリフトが彼女に身を持って知らせたことだ。
たとえば。
人々の心の底に巣食った闇を、懺悔という形で口から吐き出すところ。
誰かが、何かのために、届くかどうかもわからない何かを祈るところ。
それが、形はあるけれどもあまりにも不明瞭な、マリアにはなかなか理解出来ないあの場所を表す言葉だと、漠然と思うだけだ。
話の展開についていくことが出来ず、マリアは更に眉根を寄せ、不安げにクリフトを見つめる。
困ったな、と言いたげに、クリフトも苦笑まじりに眉根を寄せた。
「マリアさん。そもそも、教会という場所は、わたし達神官が信仰する神の道を信じる者のために門を開く場所です。でも」
そう言いながら、ゆっくりと彼は立ち上がり、向かいに座っているマリアの傍にやってきた。
困っているマリアは、座ったままで彼を見上げるだけ。
空はとうの昔に深い闇へと変貌を遂げ、竈から火を移したランプが二つ、ちらりちらりと彼らの近くとテーブルの上で揺れている。
マリアは、は、と息を飲み込んだ。
その柔らかな色に照らし出されたクリフトは、優しい微笑をたたえており、それは。
(見たことがある)
じん、と胸が痛くなる。
マリアは右手で自分の胸元にこぶしを作ってぎゅっと胸の中央を押した。
まるで抗えない川の流れのように、逆流してくる記憶はあまりに鮮明だ。
暗い場所で、灯した火にこんな風に照らされて、神について語るクリフトをずっと前に見た。そう。ずっとずっと前。
クリフトから放たれる言葉という言葉に噛み付いていた、ずっと以前。
エンドールの教会で。

――わたしの村には、教会なんかなかったし、誰も神様の名前を呼ぶこともなかったから――

彼に投げかけた言葉。

――神様ってやつが聞いているなら、教えて欲しいわ――

――わたしの村には教会がなかったし、神様なんて言葉、聞くこともなかった――

――ねえ?信仰っていうものに厚いらしいあなたならわかるのかしら?神様って、神様を信じない人間には何の力も与えてくれないのかしら?だから、わたしの村のみんなは、ほんの半刻もしない短い短い時間で、みんなみんな命を奪われてしまったの?――

――なんだかわたし、神様が仕組んだ殺戮に思えて、神様なんて、信じられないの――

彼が信じる神とやらをマリアは冒涜をして。

――否定をしないで。お願い。肯定して欲しいわけでもない。ただわたしには――

――神様の声は、聞こえないの――

ただ、彼女の思いだけを投げつけ、彼を傷つけたあの夜。
その時のことを、きっと彼は覚えていてくれたのだろう、とマリアは思う。
「教会という形で、必ずしも必要なわけではないのだとわたしは思うんです」
彼女の様子を特に察することもなく、クリフトは話を続けた。
(近づいてきてくれたクリフトは、多分今大事な話をしようとしている)
一方、マリアはそのことを気づいていたけれど、静かに彼の話をこのまま聞くことが出来そうにない、と感づいた。
胸元にあてた手が、どくん、どくんと自分の鼓動を感じ取っている。
まだ、そんなに昔とは言えないほどの過去。
けれど、今思い出せば、それはなんて遠い話なのだろう、と思う。
「クリフト、あのねっ……」
まるでクリフトの思いを遮るように、マリアは掠れた声で彼に尋ねた。
自分の声が思いのほか切羽つまった、衝動的に突き動かされたものに聞こえて、マリアは自分で驚く。
一度唇を引き結んで、気持ちを落ち着けようとする。
「マリアさん?」
話していたのは、わたしです。
そんな風にクリフトは主張をしない。
マリアが普段、こんな形で人の言葉を遮る人間ではないと彼はわかっている。
彼がいぶかしげに彼女の顔を覗き込むと、マリアはゆっくり彼を見上げながら、まだ少し掠れた声で言葉を押し出した。
「もしかして、わたしを恨んでいた?」
「……わたしが、あなたを?」
「う、ん」
突然のマリアの発言に驚き、クリフトは心外だ、と言いたげに声を少し詰まらせて答えた・
「ま、まさか……恨んでなんて、いませんよ?」
「でも……」
そこで、マリアの声は止まる。
二人の言葉が途切れれば、周囲は静まり返る。自然の音があちらこちらからわずかに聞こえても、それらは静寂を知らせる役割を担っているかのように、いっそう夜の深まりを彼らに教えるだけだ。
続きを根気強くクリフトは待っていたが、マリアは俯くと再び胸元を抑えているだけだ。
強い力を腕に込めれば体は強張り、抑えている胸元に向けて背は丸くなる。
それは、何を封じ込めようとしているのだろう。
怪訝に思ったクリフトは、手を伸ばしてマリアの手に自分の手を重ねた。
驚きで、ようやくマリアは顔をあげる。
「どうしたんですか、マリアさん」
クリフトの問いに、すぐにはマリアは答えられなかった。
けれど、自分の中に生まれた感情を素直に口にする以外、自分を鎮め、そして、クリフトに納得してもらうことを思いつかない。
あがくように言葉を必死に探して、ようやくマリアは口を開いた。
「クリフト、わたし、エンドールの教会で、あなたにも、あなたが信仰している神様にもひどいことを言ったわ。なのに、あなたはここに教会を建てようっていうの。誰もいない、誰も必要としない場所で。それは、わたしのためのものなの?」
まっすぐクリフトを見つめれば、彼もまたマリアの視線をまっすぐ受け止める。
やがて、クリフトは力を緩めたように息を吐き出し、穏やかに否定をした。
「ああ……それは、誤解ですよ」
自分の話をマリアが先回りをして、あれこれと余計な憶測をされてしまったとクリフトは理解をし、軽く首を振る。
「ううん、言葉で説明するのは難しいな。言葉で、人に生の有りようを幾度となく語るような職業なのに」
そう言って恥ずかしそうに笑うクリフトを見て、マリアは僅かに体を緩めた。
「わたしは、あなたに出会ってわかったんです。あの短いような長いような、旅の中で、たくさんんことを学びました」
クリフトは穏やかにそう言うと、マリアに覆いかぶさるように腕を伸ばし、彼女を静かに抱きしめた。
突然与えられた温もりは、当然初めての物ではない。
マリアは瞳を閉じて、自分を抱きしめるクリフトに身を委ねた。
「神を信じようと信じまいと、救いを求める者はいて。たとえ、その人が神を信じなくても、わたしは手を差し伸べたいのだと。それと同じように、たとえ神を信じなくとも、わたしが崇拝している宗教を受け入れない人々だとしても、死したその魂に祈りを捧げることは間違っていない。誰の魂も等しく、わたしには愛おしい」
「……よくわからないわ」
「簡単なことですよ」
クリフトはするりとその腕からマリアを解放すると、ひざを折ってゆるやかに屈む。
そうすれば、岩に座ったマリアよりもクリフトの目線は下になり、今度は彼女を見上げるような体勢になる。
「たとえ、ここで命を落として方々が神を信じなくとも、わたしがみなさんのお墓に祈りを捧げることを、あなたは許してくださる」
彼の言葉に首を振るマリア。
「そんなの、許すとか……許さないとか」
「いいえ、昔のあなたなら、許してくださらなかったはずです」
「……」
それを、彼女は否定しない。
祈ったからってどうなるの。みんな戻ってこないのよ。無意味よ。しかも、第三者であるあなたに祈ってもらう筋合いはない。
そんな風に言い放ったに違いない。
しばらくクリフトはマリアを見上げていた。
マリアは言葉を失い、彼がまだ何を伝えようとしているのかと不安そうにクリフトを見つめ返す。
ちらちらと揺れる橙色の炎が、ほのかに二人を照らす。
マリアは息を飲んだ。
目の前にいるクリフトは、あのエンドールの夜に教会にいたクリフトであり、けれど、そうではなく。
(違う人のように、見える。クリフトはクリフトなのに)
人は、大人になっていくのだ。
目の前の彼のように。
そのことを嫌というほど思い知らされる。
やがて、意を決したように、ようやくクリフトは話の続きを口にする。
「旅の終わりに、そんなあなたがこの村で、キュンティオスさんの言葉を受け止めていらしたでしょう。あの時から、思っていたんです。この村には教会はありません。天空にもありません。でも、それらがない場所でも、それらを必要としていなかったあなた方の間でも、懺悔というものが発生するのだと、わたしは深く感銘を受けました」
「わたし達の間で、懺悔」
「ええ、それは、教会のあるなしは関係ない。聖職者のいるいないは関係ない。世界のどこででも、誰かを求めている誰かがいて、こうやってめぐり合い続けているのだなあと」
クリフトの言葉は難しすぎるとマリアは思う。
けれど、言葉を選ぶ風ではなく、すらすらと彼の口から彼の思いは紡ぎだされていく。
そのことが、彼がどれほど何度も何度も深く考え、揺れることのない思いに到着したのかということをマリアに示していた。
「キュンティオスの言葉を……?」
が、そのことより何よりも、突然彼の口から出された名に驚いて、マリアは聞き返す。
キュンティオスは、キュンティアであり、シンシア。
この村でマリアを守っていたシンシアであり、シンシアではない存在であり、けれど、あの運命の日にモシャスの呪文をシンシアが唱える、その魔法力の源になった天空のエルフの名だ。
旅を終えてこの村に戻ってから、マリアとクリフトは「この村の真実」を求めて、天空のマスタードラゴンのもとへ訪れた。
マスタードラゴンとの戦いの末、マリアが得た多くの真実には、幼馴染のエルフのシンシアが、実はキュンティアという名のエルフだったこと、そして、天空城からやってきた存在だったことが含まれていた。
そして、キュンティアの双子の妹キュンティオス。
真実を欲することは、その二人の壮絶な17年間の話を、彼らは受け止めることと同義。
もちろん、そんなことをマリアは知るはずもなかった。けれど、賽を投げたのは己であり、ならば耳を今更塞ぐことは許されないだろう、と強い意志でキュンティオスの激白に耳を傾けた。
キュンティオスの17年間は、マリアが――いや、多分クリフトも――知りたいと欲していた、あまりにも深く、悲しい物語の一本の糸であったからだ。
「あの時マリアさんは、キュンティオスさんからの懺悔を受け止めたではないですか。でも、マリアさんがいなければ。この世界に、彼女に関わりを持つ人間が誰もいなければ……あの人は、一生あの思いを一人で抱えて、言葉にすることもなく生きていったのでしょう。それはそれで、悪いことではないけれど、でも、マリアさんという、全てを聞いて受け止めてくれる存在がそこにいたことは、あの方にとっての幸せではないかと思うんです」
「話してくれって言ったのはわたしだし、彼女の苦しみの発端はわたしも関わっているんだもん……それに……あれは……そういうものだなんて、思ってなくて」
それは、本当のことだ。
ただ、キュンティオスの話を聞いているうちに、マリアはふと核心に触れてしまったのだ。
そうか。
これが、懺悔というものなのか、と。
教会がないこの村でもそれが発生して、それを聞き遂げているのが自分であることの不可思議さに、一瞬マリアは戸惑った。
けれども、そうか、これがクリフトが言っていたことなのだ、と不思議と心は穏やかだった気がする。
「思っていても、思ってなくてもいいんです。ねえ、マリアさん。エンドールの教会で、わたしに色々とお話をしてくれた時、あの時、マリアさんは楽にならないって言ってましたよね。覚えてますか?」
「……楽にならない、って言ってたかしら?ああ、言ってたかどうかは覚えてないけど、楽になった記憶はないわね」
そう言いながら前髪をかきあげ、マリアは苦笑を見せた。
それは、今ですらその時のことをクリフトに話せば、過去のことであれ彼の心の一端を傷つけるだろうと思っているからだ。
いくらマリアでもわかっている。あの時はありがとう、おかげで心の閊えが取れた。そういう言葉を、懺悔を受けた聖職者が望んでいることぐらいは。そして、それはクリフトも一緒なのだろう。
それでも、今ですらマリアは感謝の言葉をうまく口に出来ないのだ。
あれが、自分達の始まりだという認識があっても、なんとそれは苦々しいことか。
が、クリフトはそれへ穏やかな微笑みと共に頷き返す。
「はい。楽になるものだと聞いたのに、ならない、と」
「はは、そっか。正直に言っちゃったんだ」
「多分、そう言うことでわたしの思想を、あなたは踏みにじろうとしたのだと思います」
「……!」
穏やかな微笑みを携えて、マリアの耳に届いた彼の言葉は、残酷にも彼女の心を傷つける。
クリフトの指摘は、多分間違いではない、とマリアは唇を噛み締めながら思う。
当時の自分は、神なんて存在を馬鹿馬鹿しいと思い、そんなものを信仰しているクリフトのような聖職者を心から疎ましいと思い、苛立ち、どこかで彼らを蔑んでいた。
が、今は違う。違うからといって、それを過ぎたこととして軽く笑い飛ばせない。
そういった過去の己の浅はかさ、その浅はかさゆえに衝動的に投げた石つぶてを見せられることは、誰にも手痛いことなのだろう。
「クリフト」
「いいんです。それは。今のあなたが、そのように思ってないことはわかってますから。それに、わたしはあの当時、あなたにそうやって踏みにじられても、それへの反論を持たないほどに幼かった」
「……わたしも、そうだったのよ、きっと」
「そうですね」
マリアの両眼に涙が静かに浮かび上がってきた。
この目の前にいる優しい人を、どれほど傷つけて。
そして、そうすることで、己を保ってきたのか。
それを今更ながら申し訳ないと思う気持ちと共に、たくさんの思いがないまぜになって、マリアの心を振るわせる。
踏みにじられても手を差し伸べ続けたクリフトのことを、少しだけ阿呆だと思う。
思いつつ、今ここに彼がいてくれることへの感謝の気持ちも湧き上がっているのも事実。
だからといって、過去の自分と接して石つぶてを受けた当時の彼に、未だにうまく感謝は言えないとも思う。
ここにこうやって来てくれる彼には言えるけれど。
(それと同じように、クリフトもまた、昔のわたしと今のわたしへの気持ちは……同じで、同じじゃないんだろうな)
一人の人間を好きになって、深い信頼関係を結んでも、過去にお互いを傷つけた事実は消えない。
そして、その時の相手を許すことがあっても、その時の傷の形を忘れることなぞないのだろう。
「マリアさん」
「うん」
まだ、両眼に熱さを湛えたまま、マリアは素っ気ない返事をした。
「あの時、あなたは自分を許そうとしていないのだから、懺悔をしても楽にならないのだろうと、そう感じたのだと思います。でも、今だったらわかる」
クリフトは手を伸ばして、そっとマリアの頬に触れた。
その優しい刺激を受けて、マリアの瞳にあふれた涙は、静かにその頬を伝っていく。
「あなたには、懺悔するようなことは、何もなかったんです」
「……何を言うの?クリフト」
思いもよらぬ言葉に、マリアは動揺をした。
あの日クリフトが懺悔というものを薦めた。いや、具体的に『そうしろ』とは言わなかったけれど、それは同義だ。
心の中に抱えている、つらいこと。苦しいこと。それを吐き出せと。
マリアの中に渦巻いていた感情は、村の人々への謝罪、恥ずかしいほどに何も知らず、無自覚だった自分への叱責、助けてくれない神というものへの猜疑、それら多くの感情に振り回され、それを閉じ込めて日々を送ることの重責。
それらは、キュンティオスが吐き出したものと大差がないとマリアは思う。
であれば、あの時は気づかなかったし、己を許して欲しいとすら願っていなかったため、時期尚早だったたけで、間違いなく懺悔だったのではないかと思う。
なんと、教会に適した、懺悔に適した人生だ、と人々に言われてもおかしくないほどだ。
クリフトは一体、何を言っているのだろう。搾り出したマリアの声は、震えていた。
「……!だって、わたしがもっと、もっと勇者として……」
「子供が早く大人にならないからといって、懺悔をする必要があるんですか」
「……」
「あなたが抱えていたものは、本当にそれだけだったのだろうと、今なら思えるんです。子供が、子供でいてごめんなさいと叫んでいるような」
「クリフト」
「なのに、わたしはあなたから無理矢理、そう叫ばせて、その上、子供であるあなたを肯定する言葉を持たなかった。わたしも、子供でしたから」
とはいえ、自分達はまだ大人ではないけれど。
言葉にしなくても、クリフトが困ったように発する声音が耳を通らず頭の中に届くようだ、とマリアは思う。
わたしも、まだ子供だけど。でも、あの時よりは。今目の前にいるあなたが、大人になったのだと感じるのと同じくらい。
マリアのその言葉も声にはならないけれど、きっとクリフトはわかっているのだと思う。
少しだけ表情を緩和させ、マリアは自分の頬に触れるクリフトの手に、いとおしげに顔を寄せた。
「ただ、話を聞いてあげればよかっただけなのに、まるで教会で罪を告白させるようにあなたを追い立てた。わたしの方こそ、恨まれても仕方がない」
「恨んでない。恨んでなんか、いないよ」
「そう言っていただけると、少し気持ちが楽になりますが」
頬に触れたクリフトの指先が、マリアの耳の上の髪を耳にかけるように優しく動いた。
「キュンティオスさんの言葉も、あなたは懺悔だと思いながら聞いたのではないでしょう?教会で懺悔を行おうとはっきりと意思を持って訪れる人の数は、そんなに多くはありません。ただ、形式が必要な人と、必要ではない人がいる。それだけの違いではないかとわたしは思うようになりました」
「そ、うなの」
やはり、クリフトが己の思いの核心に近づけば近づくほど、彼が言おうとしていることがどんどんわからなくなってくる。
理解をしたいと強く思っても、複雑に絡み合ったクリフトの思考を、一つ一つ単語単位で受け入れるだけでもマリアには相当な労力だ。アリーナだったら、とっくに『クリフトが言うこと、全然わからない!』と叫んで匙を投げることだろう。
ただ、湧き上がってくるのは、未熟で己の熱をもてあましていた自分が、どれほど彼を傷つけてきたのか。そして、それを許してくれる優しい人がここにいるという幸せ。
それだけで、胸がいっぱいになってしまい、余計に彼の言わんとすることが理解しづらくなってしまう。
彼女のそんな様子を見て、理解してないだろうことはきっとクリフトも承知しているに違いない。
けれど、承知の上で、彼は勢いなのか、それとも決めていたからなのか、わからなくても聞いて欲しいと思ったのか。
畳み掛けるように、一気にマリアに己の思いを吐き出した。
「そして、われわれ聖職者というものは、時にはただの符号であり、その符号ゆえに人々がそれに向かって訪れるものだとも。人によっては、教会もただの符号。もちろん、神に仕える我々にとっては、もっと意味があるものですが……人々に必要なのは符号であり、わたしはそういう存在になりたいのだと、ようやくわかったんです」
聖職者は、符号。
そして、彼はその符号というものになりたいのか。
とにかく、クリフトのその言葉だけは理解しよう、と声もなくマリアはこくりと頷いたのだった。


「はー……なんだか疲れたなぁ……」
マリアは、外で灯していた明かりを一つ持って、家の中に入りため息ひとつ。
あの話の直後、時間が足りなかった、とクリフトは困ったように肩をすくめて見せた。
多分クリフトは、報告だけをして帰ろうと思っていたのだろう。それぐらいはマリアにもわかる。
思いのほか時間がかかってしまったのは、マリアがエンドールでのことを口にしてしまったせいだろう。
また、すぐに来ます。
そういってクリフトはマリアを軽く抱きしめ、彼女の両眼に浮かんだ涙が消えたことを確認してからて、暗闇の中サントハイムへと戻っていった。
(結局クリフトとの話は曖昧なままで終わっちゃったな)
食器を片付け、明日の準備をしてから、寝間着に着替えて毛布に入るマリア。
わからないことは山ほどある。
自分は、懺悔をするようなことはないなんて。
でも、この村にクリフトは教会のようなものを作りたいなんて。
クリフトが何をどれほど考えているのか、マリアはまったく甘く見ていた。
たったあれだけの時間で、情報量が多すぎる。
どんなに彼の気持ちを知りたくとも、もう今日は何を聞いても処理がしきれない。
むしろ、彼に時間がなかったことはありがたかったのかもしれない。
そんなことを言えば、クリフトは悲しい表情を見せるだろうが。
(きっとクリフト、帰っても何か勉強してるんだろうな)
過去を思い出すことは、今でもつらい。
それは、村でのことだけだと思っていた。
けれども。
エンドールでクリフトに話したこと。
それから、旅の間にたくさん彼を傷つけ、たくさん彼の手を煩わせたこと。
自分は子供だった。けれど、子供ならば言葉の石つぶてをどれほど投げてもいいというわけではない。
彼が全てを受け止めてくれて、大丈夫ですよ、と言ってくれても、事実は消えない。
なのに。
(きっと、クリフトの中にはずっと、彼を傷つけたわたしがいるんだ)
消して欲しい。
申し訳ない。
己の恥部が、人の記憶にいつまでも残っていると思えば、身もだえせずにはいられない。
けれども。
それらの過去の自分が、今のクリフトの指標の一部になっているのだと、彼は言うのだ。
(忘れろなんて、いえないじゃない。そんなこと言われたら)
頑張らなくちゃ。
とにかく、後から悔やまないように。
マリアは、毛布の中で何度も何度も寝返りをうつ。
あんなにも、彼が自分の一言一言を覚えているなんて。
それはなんて幸せで、辛くて、せつなくて、嬉しくて。
(怖くて、これからも、ろくでもないことをおちおち言えないじゃない……!)
それでも、やはり幸せなのだろうと思う。
マリアは瞳を閉じて、まぶたの裏に映る薄暗闇を見つめた。
(起きたら、練習しよう。クリフトに……次はちゃんと聞くんだ。ハバリアに行くの?って。それから……えーと……あの女の人のこと……うわああ、どうやって聞けばいいの)
考えれば、旅をしている間は、常にクリフトの傍には、自分よりも長く彼と一緒に生きてきたアリーナがいた。
アリーナとクリフトの関係は、マリアがクリフトへの恋愛感情を自覚したからといって、四六時中嫉妬するようなものでもなかった。
もちろん、まったくないといえば嘘にはなる。
特に、サントハイムの関わる話題がのぼれば、同じ場所に生きて育ってきた彼らが、それだけのことでうらやましいと思ったことも多少はあった。
もちろん、アリーナと代わるように自分がクリフトとそういう立場になりたいわけではない。
相手はアリーナだ。当たり前なのだ。何を自分が気にしても彼らの間の絆は消えないし、消されても困る。それに、その絆が一生続くものだともわかっている。
クリフトの近しい場所――体も心も――にアリーナがいることは、彼が彼らしく生きていることと同義ではないかと思えるほど、マリアにとっても自然なこと。
だから、マリアはそれ以上に心を乱され、クリフトが誰をどう思っている、なんてことを気にすることなぞなかった。
(もしかして……初めて、かも)
彼が、知らない女性と肩を並べて歩く場面。
ハバリアで見つけた時の映像が、脳に焼き付いているように、鮮やかに思い出される。
(エンドールの教会で、女の人が出てきた時は……こんな風に気にならなかった)
当たり前だ。
それは、まだクリフトへの想いが芽生えていなかった頃だから。それぐらい気づいている。
(でも、十中八九、お仕事関係の人。きっとそう、絶対そう)
きっと仕事に関係した相手なのだろう。そう考えるのは当然だった。
むしろ、あの女性はなんだ、と問いただす方がおかしいほど、それは明確ではないかと思えてきた。
自分だって、木こりをやっている祖父から紹介された同業者が木材を扱うところに言って、男性と二人であれこれ話すこともある。それと同じではないか。
何故こんなことをいつまでも考えてしまうのだろう。
マリアは何度も何度も寝返りをうつ。
「あー……わたし……自分も忙しいから調度いい、とか、言ってたけど……」
声を出して、天井に向かってつぶやく。
観念した。
どうやら、自分は自分で思っている以上に、クリフトに会いたかったのだ。
あの時、いくら教会の傍であっても、彼の隣に女性がいなければ声をかけることが出来たのだろうし。
「マーニャって……よく、こんな、恋愛ってもの、やってられるわよね……」
そんな間抜けなことを呟くと、ようやくやってきた睡魔に身を委ねる。
彼女のそんな言葉をマーニャ本人が聞いたら、何を甘っちょろいことを言ってるのよ、と冗談めかして怒ったことだろう。



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