あなたの中にいたわたし-3-

 
 
数日後にマリアがハバリアに足を運んだのは、最初は彼女自身「なんとなく」の行為だった。
実のところ、マリアは最近のハバリアが少し苦手だ。
潮の香りや波の音は嫌いではない。海に面したリバーサイドや小さな島なども別段嫌っているわけではない。
夜に月が海に映る景色は大好きだったし、灯台から延びる光が波間を照らす様子も好きだ。
彼女が「ここ最近の」ハバリアが苦手なのは当然理由がある。
旅の最中に、初めてハバリアに辿り着いた時は『港町』とは名ばかりの状態になっていた。
それは、エンドールへの連絡船が禁止されていたからだ。船が出ず、入らず、港があっても使う者がいなければ、名と実像が噛み合わないのは当然のこと。
活気がないわけではなかったが、それはキングレオ王――既に魔物にとってかわられていたわけだが――が城に引きこもり、そのせいで兵士達が羽を伸ばし放題になっていたのが原因であり、港町としての活気のあり方とは違っていた。
そして、ようやく今は船が行き来するようになって、ハバリアの喧騒はいかにも「港町」という風に変貌を遂げた。いや、元に戻った、と言う方が正しいのだろうが。
港町という風。
旅の途中ではコナンベリーから船出をしたマリア達だったが、そのコナンベリーと今のハバリアもまた違うとマリアは感じる。
大灯台のように大きく船を導く灯りがないということは、コナンベリー近辺よりも海岸沿いに危険がないことだろうか。マリアにはそういったことがよくわからない。船を手に入れても、そこにはいつでも世の中に詳しくて旅慣れもしているトルネコがいて、あまり深く考えなくても問題がなかったからだ。
ハバリアは人々に「港町」と呼ばれるのに、コナンベリーはそういう呼ばれ方をあまりしない。コナンベリーに感じなかった何かをマリアがハバリアに感じているのは、その「理由はわからないけれど、港町って呼ばれる」その大元になるもの。
普通の人々はルーラの呪文を唱えないし、キメラの翼があったとしても、そうそう過去にさまざまな場所をめぐっているわけではない。
それでも、大きな町――ミントスやエンドールなど――に行けば、行商人に会ったり、その町を通過点にする人々がたくさんいる。大きな町は、旅人達が交差する場所なのだ。
けれども、ハバリアはその中でも少し趣が違う。
陸続きの近くにキングレオがあるけれど、キングレオが城として機能せず統治するものがいないせいか、ハバリアはなんだか雑然としており、誰にも統治されていない空気が流れている。自由と言えば聞こえはいいが、荒れていないからといって希望に満ちた明るさがあるわけでもない。
以前はキングレオの管轄で乗客のチェックがおこなれて乗船許可証を発行されていたが、今はそれもなく、船主が直接金のやり取りで乗客を集っているようだ。
マリアは以前、ブライと港町について話をしたことがあった。
ブライは「ただの老人の推測だが」と前置きをしつつも、まるで真実を語るようにすらすらと言葉を紡いだことを、マリアは覚えている。
そもそも港町というのは、場所によっては「二度と来ない人」がとても多いせいもあって、出会いの場所であっても再会を約束出来ぬ、そんな風情を感じさせるものだ。また、船に乗りこむ人々は、大抵は何らかの決意を胸に秘めており、船出と共に何かと決別するものだろうし……と付け加えてから「しゃべりすぎたかもしらんが」と老魔法使いは肩をすくめて見せた。
陸路よりも水路の方が危険であることは承知だし、船に乗るということは遠くへ行くということだ。
連絡船が以前のように出港するからといって、乗るには金もいるし、向かった先での生活は誰も保障してくれない。航海途中での危険だって多少は覚悟をしなければいけない。
事実、ハバリアから出港した、と言っていたマーニャとミネアだって、ミネアが言うには二人の食いぶちを稼ぎながらの旅だけでは、きっとまだまだ故郷に戻れなかっただろうと言う。それぐらいに金はかかるのだ。
まったくの世間知らずだった当時ならともかく、今のマリアには理解が出来る。船を動かすことでどれほどの金が動くのか。乗組員がどれほどいて、船を維持するのにどれほど金がかかって、と考えれば納得がいく。
それらへの対価を払うために乗客は金を出す。ならば、それなりの値が張るのが当たり前。そして、そうまでして船に乗りたいという人々は……。
やはり、ハバリアは明るいけれども、どこか寂しい。
今のハバリアに来る人々は、口々に「さすが港町は活気がある」と言うようだが、その活気は物流に乗った活気と船出の高揚感から生まれているものだ。その背後にある別れの悲しみを知っていても、それを気にすることはまるでタブーのように。
その違和感にマリアは慣れない。それがハバリアが少しだけ苦手な理由なのだろうが、彼女の心の動きを明確に読み取れる者はどこにもいない。
とにかく、あまりハバリアという町が好きではないのに、マリアはもう一度やってきた。
最初は「なんとなく」という曖昧な理由だったけれど、街中を歩きだせば自分が何をしようとしているのかが明白になっていく。
そうだ。
あの日、クリフトと一緒に歩いていた女性に会えないかな、と思って自分は来たのだ。
(見た感じ、町を歩き慣れてる風だったのよね……)
見た感じ、といっても、それは発見した時に感じたことではない。
後から二人の様子を脳裏に思い浮かべて、あの女の人は誰なんだろう、と反芻しているうちに思いついただけのことだ。
町に慣れている人間ならば、宿屋にはいないはずだ。
港にもいないだろう。
家があって、住んでいるに違いない。
人の家をのぞきまわるわけにもいかないが、どうにかして会えないだろうか、と思う。
(きっと、クリフトにばれたら怒られる。どうしてわたしに直接聞かなかったんですか、って)
マリアは往来の邪魔にならぬように道の端に立ち、行きかう人々を眺めていた。
(だって、クリフト本当に忙しそうなんだもん。忙しそうなのに……)
こんな、恥ずかしい嫉妬を見せたくない。
マリアは眉根を寄せた。
嫉妬。
(そうか、自分はやっぱり嫉妬してるんだ。クリフトの隣に女性がいたことを気にしているんだ)
恥ずかしい。
情けない。
こんなこと、マーニャにばれたらきっと、ニヤニヤ笑われてからかわれるに違いない。
(でも、どうしようもない。嫉妬だけじゃなくて……クリフトが教会に関することで来てたってことは、あの女の人も教会に関するなんらかの人なんだろうから……)
聞いてみたい、と思ったのだ。
何もない誰もいない場所に、教会を作ろうとしているクリフト。
そのことがどういう意味なのか、マリアはよく理解が出来ない。
きっと、仲間の誰に聞いても、マリアが納得する答えは教えてもらえない気がする。
だから。
「……だから、それはクリフトにもっと聞かないと……でも……」
いけないことだとわかっている。
まとまらない思考。
マリアは散らかっていく自分の思いを必死にかき集め、女性に対する嫉妬と、教会に関することを別にしようと、出来る限りの努力で整理を始めた。
行動を起こしても、その起点や目指す終点を間違ってはいけない。どんなことでもそれは同じだ。
思考がまとまらないということは、何かを間違えているのだとマリアは知っている。そして、二つの感情を一つの物事にまとめようと無理強いしているからだと気付いたのだ。
そうだ。
確かに自分はあの女性と一緒にいることに嫉妬の感情を抱いた。わずかではあるけれど。
でも、ここに来たのは、彼女とクリフトの関係を追及したいからではない。
彼女が何らかの形で教会や神職に関わっているのだと思ったからだ。
(そう……クリフトの口からではなく、他の人の話を聞きたい。わたしを知らない、わたしが教会をどう思っているか、それに気を回さない人に)
どうしてもクリフトは、マリアが教会についてどう思っているかを念頭において話してしまうだろう。
そうではない、何の先入観もない人からの言葉を聞きたいとマリアは思う。
(クリフトはわたしに遠慮する。わたしも、クリフトに遠慮する。遠慮しなかった頃は、思うがままに傷つけてしまったし)
あのエンドールの夜、手痛い言葉を投げつけた自分。その後も旅の間にさまざまな「教会不信」というか「神職不信」と言えばよいのかわからないけれど、とにかくマリアはクリフトの信仰を受け入れられなかった。今もそうだ。
受け入れられないとはいえ、それはマリアが今でも理解していないからで、ならばまだ光明はあるのではないかと思う。
理解した上で受け入れられないならば、それはきっと覆ることが出来ないことだ。
(それでもクリフトはきっと、わたしのことを見捨てたりはしないだろうけれど……)
けれど、きっと彼は悲しい顔をするに違いない。
微笑んでいるけれど、少し悲しそうに。
マリアはそんなことを考えつつも、人で教会に向かおうかとうろうろと街路を行ったり来たりしていた。
空は寒くない程度の曇りで、露出が多めのマリアでも歩いていればかなり体が温まるぐらいの気候だ。それがこの辺では季節的にどうだとか、そういうことを彼女は知らないため「今日はすごしやすい」程度にしか思わないけれど。
と、その時、宿屋から一人の女性が出てくる姿に目を留める。
(……あれ?もしかして、あの人……)
先日クリフトと一緒にいた女性ではないか、とその女性を遠目から眺めるマリア。
間違いない。服の色も、髪の長さも同じだ。
ハバリアの人間だと思いこんでいたが、宿屋にいたということは違うのだろうか。
そんなことを思いつつ、今度は『どうやって声をかけようか』ということにマリアは困り果てる。
女性はきびきびとした歩調で人の波をうまくかいくぐって、どんどん宿屋から離れていってしまう。
(……もしかして、教会に向かってる?)
マリアは慌てた。
彼女が教会に入ってしまっては、きっと自分はその後を追って入ることは出来ないと思えたからだ。
考えていても仕方がない、と思い切って走り寄り、マリアは後ろから女性に声をかけた。
「あ、あの!」
「……え?」
女性は、自分が声をかけられたのかどうかがわからない不安からか、明らかな警戒の表情で振り向いた。
「す、みません、あの、えっと……教会に、行かれるんですか?」
「え、あの……そ、そうですけど……それが、何か?」
マリアの言葉に、何故教会に向かっていることを知っているのか困惑を深めたようで、女性は眉根を潜めてマリアを睨む。
その反応は当たり前のものだ。マリアはその警戒を必死に解こうと、いくらかどもりながら語りかけた。
「あの、わ、わたしこの前、あなたがサントハイムの神官と歩いていらっしゃるのを見て……彼と、その、知り合いなんですけど、わたし、それで……」
だからなんだ、と言われてもおかしくないようなことばかりが口から出る。が、ありがたいことにマリアの言葉で彼女は警戒を緩めたようで、ようやく表情に笑みを浮べる。
「ああ……なんておっしゃったかしら……クリフト、さんですっけ?」
「あ、そう、そうです。クリフトです」
マリアにしては珍しく、大きなモーションで頷いた。そして、次に当たり前の質問が返ってくる。
「そのお友達が、何か御用ですか?」
「えっ……」
お友達。
自分とクリフトが。
友達だろうが恋人だろうが、第三者から自分達の間柄を言葉にされたことはマリアにとっては初めてだ。しかも、それが「お友達」。
当然この女性は自分とクリフトが恋人同士であることを知らない。そういう表現をすることは当然だろう。しかし、わかっていても突然の胸の奥の痛みを、マリアは見逃すことが出来なかった。
(わたし、自分とクリフトが……友達同士だといわれるのが、ショックだなんて)
そこまで、もう自分は。
一瞬またそんなことを考えて、本筋から外れそうになる自分をマリアは必死で引き戻す。
仕事以外のこういったプライベートで知らない人間と話すことは、彼女にはまだ慣れないことなのだ。
「その……なんでサントハイムにいるはずのクリフトが、ハバリアにいたのか気になったので……」
「あら、お友達なら自分で聞けばいいのに……?」
「あっ、その、違うんです。ハバリアに来た理由はわかってるんですけど、えっと」
墓穴を掘った、とマリアは自分に呆れた。
が、どうやらその女性はマリアよりは余程色恋に関しては先輩だったようで、笑いながら
「もしかして、あなたクリフトさんのことが好きとか?そういうことですか?」
とずばりと核心に触れてきた。
それは、マリアの頭の中でわけられた二つの事柄のうち本筋ではない方だったのだが、この際否定しても仕方がない。
とはいえ、消え入りそうな声で返事をするのが精一杯だったのだが。
「は、はい、その……お付き合い、させて、いただいて、ます……」
「そうなんですか。あなたはハバリアの方?」
「え、あ、違います……」
「あっ、サントハイムの方なんですね」
それへ、マリアは否定をしなかった。
自分の村がどこにあるのかを彼女に語るのは面倒だったし、サントハイムの人間ということにしておけば、クリフトと自分の接点は語らなくても良いと思ったからだ。
アリーナごめん、と内心で軽く謝りながら、マリアは話を続けようとした。が、女性がそれを制止するように先に口を開く。
「わたし、ここの教会で明後日結婚するんです」
「……結婚……?」
「はい。何度も船出をしても無事に帰ってこられた場所だからって、彼がここの教会で神様に誓いたいと言って」
マリアは、きょとんとした。
きっとその表情を見た女性は、『何度も船出を』云々の自分とこれから伴侶になる相手とのエピソードを聞いて、そんな表情になったのだと思ったことだろう。
だが、マリアが一瞬言葉を失って間抜けな顔になったのは、もちろんそうではない。
今日この時、生まれて初めてマリアは、教会で人々が結婚をすることを知ったのだ。


教会に行く用事はそんなに急いでいないから、とヘマ――女性の名前だ――はマリアを近くの石のベンチに手招きした。
そのすぐ傍には柑橘類を搾ったジュースの小さな屋台がある。
マリアは二人分新鮮なジュースを購入し、ヘマにひとつ渡して隣に座った。
先日クリフトと肩を並べて歩いていた後姿ではわからなかったが、こうやってしみじみ見ると彼女は年の頃はマリアと差ほど変わらぬように見えた。
肩下まで伸ばした栗毛が、光に透けるときらきらと金髪にも見える。
愛嬌のある顔立ちをした、人懐こい雰囲気がある女性だとマリアは感じた。
「あの日クリフトさんは神父様の代わりに、宿屋にいるわたしを呼びに来てくださったんです」
「えっと……ハバリアの人ではないんですよね?ずっと宿屋に?」
「わたしが結婚する相手は、ひとところに落ち着かない人で」
そう言ってヘマは小さく微笑んだ。
「結婚して子供が出来るまでは、とあちらこちらに商売に歩き回っていて。一応家はボンモールの近くにあるんですけど、ほとんどそこにはいないんです。それで、結婚をするにも、普段いないボンモールあたりの教会であげるよりも、船に乗ってよくやってくるこのハバリアがいいって彼が言い出して」
「そ、そうなんですか。えっと……ボンモールの方には、ご家族とかは?」
「うちは、二人とも早くに親を亡くしていて。だから、普通の女の人は家にいて、彼の帰りを待つんでしょうけど……わたしは、いつも彼と一緒に出歩いているので、わたしもこのハバリアの教会で結婚するほうが、しっくりくるかな」
「そうなんですか」
と言ってみたものの、実はマリアにはヘマの話がいまひとつはっきり見えてこない。
結婚式をあげるのに、よくやってくる教会がいい。
普通の人はその言葉を聞いた時になんと答えるんだろうか。
自問自答しても、マリアにはその答えがみつからなかった。
どうやら、マリアがクリフトをみつけたあの日、彼女は教会の神父と結婚式についての打ち合わせをすることになっていたのだが、神父に急用が出来たため、予定の時間より早く彼女に来て欲しいとクリフトを使いにやったらしい。
どんな用件かはともかく、他国の神官を使い走りにするなんて失礼ですよね、とヘマは苦笑いを見せたけれど、神職に就く人々のことを未だによく理解していないマリアは、それすら笑っていいのか怒っていいのか判断しかねるのだった。
「どうしてサントハイムの人がここに、ってわたしも最初は警戒していて。で、尋ねてみたら、クリフトさんは神父様のお話を聞きにいらしたのだとおっしゃってましたよ。なんでも、ここの神父様は他の国で昔神官をなさってたらしくて……どういう経緯でハバリアの教会にいらしたのか、とかそういう話かな?そこらへんはわたしもそんなに話をしなかったからわからないんだけど……」
そこまで話すと、ヘマはジュースをごくごくと飲んだ。
マリアはというと、折角自分が買ったジュースなのに、両手で持ったまままったく口もつけていない。
「あの……」
「はい」
「どうして、教会で結婚式をするんですか?それってどういうことを?」
「あら、サントハイムでは教会で結婚式をしないんですか?」
当然のヘマの質問に、マリアは慌てた。
「ええーと、わたしはもともとサントハイムに住んでたわけじゃなくて……教会がない村にいて……それで……」
「そうなんですか。そうですね……わたし達は家族が他にいませんし、誰かとご近所付き合いをしてるってわけでもありません。連絡船にはよく乗りますけど、毎回同じ船ってわけじゃないですから、船乗りさん達とそこまで親しいって感じでもないし……結婚式をやるからって、祝福してくれる人がいるわけでもないってことです」
「そ、そうなんですか」
マリアはぼんやりとした声音で言葉を返した。
しみじみ結婚式にまつわることを話されると、どれほど自分が「結婚式」というものを知らないのか、考えたことがないのかが浮き彫りになってくる。ヘマの話を納得したように聞くのは、なかなか彼女にとっては骨が折れる作業に違いない。
「正直言えば、別に式なんてあげなくていいんです。お互いが、今日から一生の伴侶だねって思ってれば」
「はあ……」
ヘマが言葉を重ねれば重ねるほど、マリアは困ったように口ごもっていく。
それをヘマが気付いているのか、どう思っているのかはわからないが、突然矛先はマリアに向いた。
「マリアさんは、クリフトさんと結婚しないんですか」
「えっ!?え、あの、そ、その……そういうことは……まだ、早いっていうか……考えたことも……」
「ってことは、結婚は特別なことだと思ってるんですよね」
くすくすと笑うヘマ。その言葉を聞いて、マリアは眉間にしわを寄せて唇を引き結んだ。
「特別なことだから、誰かにその決意を誓ったり、認めて欲しいんじゃないかしら。神様は人間みたいに死なないでしょうし、わたし達がどこにいようと見守ってくれるだろうから、その神様に誓うんじゃないかな」
「ヘマさんは、神様を信じてるんですか?」
「さあ、どうかしら。いたらいいなとは思うけど、いても神様って見てるだけでしょう」
「!」
「何かしてくれるなら、この世界に不幸な人なんていないだろうし」
じゃあ、どうしてそんな不確定なものに誓おうとするのか。
マリアにはヘマの話がまったくもって理解不能で、聞けば聞くほど混乱を深めるだけだ。
けれど、ヘマ自身は何の矛盾があるとも思っていないようで、けらけらと笑いながら
「小さい頃、お友達と約束した時に指きりとかしなかったですか?」
「えっ……あ、しました」
「それと一緒でしょ。大事な約束だって、お互いに大事だって思ってればいいだけなのに、わざわざ指切った、なんて儀式っていうの?それをやることで、より一層大切なものだって刷り込むっていうか」
「ああ……それは、なんとなくわかります」
「それに、いいように使われてくれるのが教会なんじゃないかしら。なんて言ったら、神父様やクリフトさんに怒られるかしら」
「……!」
そのヘマの言葉で、マリアは突然先日のクリフトの最後の言葉を脳裏に蘇らせた。
 
 
――われわれ聖職者というものは、時にはただの符号であり、その符号ゆえに人々がそれに向かって訪れるものだとも。人によっては、教会もただの符号――
 
 
――もちろん、神に仕える我々にとっては、もっと意味があるものですが……人々に必要なのは符号であり、わたしはそういう存在になりたいのだと、ようやくわかったんです――
 
 
突然思い出した彼の言葉は今でもやっぱりマリアには難しいし、どうしてヘマの話を聞いてそれを思い出したのかと問われれば、一瞬口ごもることだろう。
けれど、マリアは息を呑んで、それからゆっくり吐き出して。自分がその言葉を思い出したことが何故なのか、後追いで思い巡らせ、その理由に行き着いた。
言葉は、違う。
ヘマの表現とクリフトの表現はまったく異なるものに聞こえる。
相当にヘマの言葉はあっさりとしていて、いい加減にも思える。一方、クリフトの言葉は大分仰々しく、それゆえ何を示しているのかわかりにくいものだ。
けれど、その二人の言い分はとても近いのではないか、と。そう彼女は感じたのだ。
「いいえ……きっと、クリフトは、それでいいって言うと思います」
「それならいいんだけど。でも、内緒ですよ」
苦笑を見せるヘマ。
きっと彼女は自分がマリアに言ったことを、聖職者には伝えないことだろう。
たとえクリフトがそれで良いと言っても、中には『なんてことを』と言う者もいるだろうことはマリアにも容易に想像がつく。そして、そういう者の方が、マリアが思い描いている聖職者に近いのだろう。
「きっと……わたしは、神様なんて信じてないし、ヘマさんが言うようにそんなものいても見てるだけなら役立たずだって思ってるし……でも、教会はいつでも必要ならば手を差し伸べてくれるんでしょうね。こんなわたしが旅の無事をお祈りにいっても、そりゃ心の奥は見えないけど……見えても、祝福っていうんですか?あれを、してくれる気がする」
「そうですねぇ」
ヘマは飲み終わったジュースのコップをベンチの横に置いて、ううん、と伸びをしてから再び笑顔をマリアに向けた。
「わたしの彼、以前は弓矢を作って売る仕事をしていたんです」
「弓矢ですか」
「そう。でもわたし、そういう武器とか物騒なものが嫌いで。人が殺しあう道具でしょう。いくら一時期モンスターが町の外でよくうろつくようになったからといっても……その頃、ボンモールとエンドールが戦争するとかしないとか、そういう話もあったしね。それで、嫌だって言ってたんだけど。そしたら彼に、『お前が昨日食べた鳥の肉は、猟師が俺の矢を使って獲ってきたもんだぞ』って言われて、何もいえなくなっちゃって」
「あー……」
「自分がいらないと思っても、嫌だと思っても、それがめぐりめぐって自分に恩恵くれたり、自分じゃない誰かにとっては生きるのに必要だったりするでしょ。きっと、マリアさんにとって教会って、必要なかったのね。今の話を聞いて思ったんだけど」
「う……」
しまった、結局自分が教会や神という存在についてどう思ってるかを、彼女に知られてしまった。
マリアはちらりとヘマを見てから、照れ隠しのようにジュースを飲みだした。それをどう思ったかはわからないが、ヘマは言葉を続ける。
「でもきっと、どこかでめぐりめぐって、やってくるんじゃないかしら。もしかして、教会がなかったらマリアさんとクリフトさんは出会ってないかもしれないし、神様ってものを信じてる人がいるおかげで、何かおいしいことがやってくるかも……って、これはまた怒られちゃう発言かも」
おいしいこと。
それは、神様を信じないことでもやってくることではないのか。そういう場合もあるんじゃなかろうか。
マリアはそう思ったけれど、言葉にしなかった。
やはり自分は少しひねくれているのだと、ふと思ったからだ。それをそうとヘマに知らせたくはなかった。
もしも、ここにクリフトがいたら、マリアのそんな心の動きを彼だけは気付くかもしれないが。
 
 
夕方、ハバリアから自分の村に戻ったマリアは、自分が作った村人たちの墓標をじっと見つめていた。
全ての墓標が視界に入るよう少し離れてに立ったまま、山の空が色を変えて暮れゆくことに気も留めずに静かな時を過ごしていた。
どうしてこの村に教会がなかったのか、それをマリアは知らない。
教会がないことに理由なんてないのかもしれない。
でも、物がそこにあることには、きっと理由がある。
他の町に教会があることは、自分がよくわからないだけで理由があるのだということぐらい、マリアはわかっていた。
もちろん、綺麗ごとだけではないことも知っている。
誰かの利益が絡んでいるのかもしれないし、教会というシステムをよく知らないマリアにはよくわからないが、派閥のようなものがあって、多く教会を作る必要があるのかもしれない。
しかし、たとえそこに作ったとしても、必要がなければ淘汰されていくものだ。
そこに在り続けるのであれば、それは誰かが――教会に勤めている者だけではなくて――それを必要としているからに違いない。
毒の治療をするためだけ?
特定の条件で命を失った人を蘇らせるから?
そんなことは日常とはかけ離れたことだ。
それでも人々は毎日誰かしら教会に足を運んで祈りを捧げている。少なくともそういう姿をマリアは旅の間に何度も見てきた。
(ヘマさんは結婚式を教会であげるっていってたけど、それだって日常とは違う。一生にその人にとって一度のこと。それだけのために教会があるわけじゃない)
それに、教会がなくたって人は自由に結婚出来るものだとマリアは思う。
「きっとみんな、村の人たちに祝福されてたんだよね」
村には、いくつかの夫婦がいた。
自分を育ててくれた親だってそうだし、剣を教えてくれた大好きだったあの人にはお母さんがいたし、天空に連れ去られてしまったけれども本当の両親だって一時期はこの村で夫婦として生活をしていたのだ。
その人々は、結婚というものを教会でやったのだろうか。
多分、違う。
村の人々の中で祝福される。それが、彼らの結婚式だったに違いない。
(神様というものが必要ない人々がこの世界にはいる。でも、それと同じように必要な人達がこの世界にたくさんいるんだなあ)
もちろん、それぐらいはマリアだってわかっていたことだった。
いや、わかっていたけれど、『神様が必要な人々』のことを心のどこかで馬鹿にしていたり、理解出来ないと一線を引いてたのだ。
そうでもしなければ、あまりにもやるせなかった。
まるで、教会がなく、神の名を呼ばぬこの村の人々が、そうであるがためにあれほどの凌辱をされ、空の竜の掌でもて遊ばれたのではないかと思わずにはいられなかったからだ。
(神様を必要と思わないから、助けてもらえなかった。そう思うことを許して欲しかった。でも……ヘマさんのように、神様っていう存在を便利に使ってるだけの人達なら助けてもらえるのかと思うと、それも違う)
ヘマがマスタードラゴンという存在を知るはずもない。
けれど、ヘマは彼女なりの答えを持っていた。
神様は見ているだけのもの。
逆に言えば、ただ見ているだけのものをどうしてみな信じたり祈って助けを求めたり、懺悔をするのだろうか。
そこにはやはり答えがひとつ。
みんな、神様を勝手にいいように使っているのだ。本人が意識してるかどうかは別として。
(それは、ある意味わたしも一緒だ。見たこともない神様を恨んで、憎んで。でも、その気持ちがなかったら、わたしは幸せだったんだろうか。クリフトともっと早いうちからうまくやれていたんだろうか)
答えは出るはずがない。
ただわかるのは、クリフトがいつまでも覚えているだろう、あのエンドールの夜のように。
あんな風に、優しい彼を傷つけなくて済んだのだろうし、もう少し今の彼の仕事を理解出来ていたのかもしれない。
「あーあ、やめやめ。真っ暗になる前にさっと髪洗おう」
夜に髪を洗うと冷えすぎてしまうから、本当は昼間がよいのだが。
けれど、昼間はハバリアにいたし、いやというほど潮風にもあたってきてしまった。
べたつく体がすっきりすれば、気持ちのもやもやも少しは晴れるに違いない。
なんにせよ、ヘマとクリフトの二人の関係を疑うことはもうなくなった。そのことだけでも、マリアにとっては大きな収穫だったのだし。




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