残像-1-

毎年シンシアは決まった季節に村の外に出ることを許されていた。
もちろん彼女一人でいくことはなく、マリアに剣を教えてくれていた先生がいつも付き添いで一緒に行く。たった一日だけれど、天気がいい日を選んで彼等が出かけていくのをマリアは知っていた。
なのに、自分は村の外に出ることは出来ない。マリアはそれをとてもうらやましくも妬ましくも思っていたし、一体その間シンシアが何をしているのかも気になっていた。
「マリアがもう少し大人になって、もう少し女の子らしくなったら、教えてあげるわね」
そういってシンシアはマリアの頬に軽く口付ける。
「ひどいわね。わたし、女の子らしく・・・ないよねえ」
溜め息交じりでマリアがそう言うと、シンシアはうふふ、と愛らしい笑顔を向けた。
「もうちょっとマリアが強くなったら一緒に行きましょう。でも、マリアが思っているほど遠出をしているわけじゃあないのよ」
「それは知っているわ。だって、朝でていって夕方には戻ってくるんだもの。ねえ、どうしていっつも決まった時期に出かけるの?何があるの?そろそろ教えてくれたっていいじゃない」
「だって、言うとマリアはもっとうらやましがるから。もう少しよ。もう少しマリアが強くなったら、きっと村の外に出てもいいってみんな言ってくれると思うの」
「どうしてシンシアは外に出られるの?そんなの、ずるいわ」
「そうよね。ずるいわよね。でも」
肩をすくめて、シンシアはちょっと困った表情を見せる。
「わたしの、たったひとつの贅沢だから、許して。マリア」
許して、なんて言われては、それ以上マリアは拗ねていることなんて出来ない。
「わかった。絶対よ、約束して」
「ええ。約束するわ。マリアがもうちょっと女の子らしくなって、でも、もっと強くなってからね」
「なんかそれって、矛盾してるけどなーあ」
「うふふふ」
それは、果たされなかった約束だ。マリアは薄々シンシアが出かける理由に感づいていたけれど、その真実は約束が果たされるときにわかればそれでいいと思っていた。
今考えると、どうしてシンシアはあの村にいたのだろう。彼女は家族もなく、ただ村のみんなに受け入れられてそこに暮らしていただけだ。マリアはそれについて何一つ疑問に思ったことはなかった。
けれど。
エルフが、どうして、人間と一緒に住んでいたのだろう?
だって、こうやって世界を回るようになってからたくさんの町を訪れたけれど、そんな場所は他にない。
それを思うと、あまりにも世の中のことを知らなかった自分と、シンシアのことを知らなかった自分をマリアは責めずにはいられない。
今も、そしてこの先も。

ガーデンブルグの牢屋にミネアが捕らわれている間、彼らの戦いでの回復はいつだってクリフトの役目だった。その間、ミネアがいないことでなんだかマーニャはしっくりとこなかったらしく動きが幾分悪かったように思える。
それがあってマリアは、ライアンとアリーナそれからクリフト、魔法に弱い敵が多いときはライアンをさげてブライを頼る、という作戦を多く使っていた。けれどもそれゆえに経験の差が多少見え隠れしてきたことも事実だ。決まった期間前線から離れていたミネアにいたっては、みんなが知っているけれど彼女は知らない、という魔物達もいる。
カンが狂ったまま旅を続けていざということがあっては困るから、数日間ミネアのために時間を割いて欲しい、というミネアとマーニャの申し出でマリアは数日間ミネアとマーニャ、それからトルネコと陣形を組むことに決定した。何故トルネコなのか、というのもまた意味があることだ。なんだか最近とみに珍しい武器防具を手に入れることが多く、トルネコはもっぱら鑑定をしたり、今後のための勉強ということで馬車や宿にこもりっきりで文献を調べたりアイテムを丹念に調べたりと、彼もまた戦う機会が明らかに減っていたからだ。商人である彼にそれ以上のことを誰も求めなかったけれど、少なくともトルネコ自身は自分の身を自分で守るくらいが出来なくては足手まといになるから、とこの数日の「修行」期間に自分も参戦させてくれと申し出たのだ。
そんなわけで、彼らは今エンドールから船で南西に向かったところにある王家の墓にある「変化の杖」というものを手に入れようと探索中なのだが、ライアンとサントハイム三人衆は少し暇を持て余していた。昨日は船で共に王家の墓までいったけれど、案外とマリア達は中の魔物達に手をやいてしまった様子だ。そこでの感触からマリアはみなに「船で待機していなくてもいいよ」と告げた。
「何かあったらすぐリレミトを唱えるし。でも、確かにミネアもトルネコも戦闘のカンは狂ってるみたいだから、明日もこのメンバーだけでもぐりたいと思うの。1フロアの面積の感じから・・・そうねえ、明後日くらいには一通り探索できると思うんだけど」
エンドールの宿で夕食を食べながらマリアはみなを見渡した。
「体力を回復してくれる部屋がありましたしね」
ミネアがそう言うとマリアは力強く頷いた。
「そうね。でもそれなら尚更、中にいる人間が元気になるからって長い間もぐっていて、外でみんなを待たせるわけにはいかないわ。それに、それを過信して生活のサイクルが狂うような無茶はする気はないから」
「ねえねえ、新しい魔物出て来た!?」
アリーナは嬉しそうに身を乗り出して聞いて来た。
話によると今日は一日暇をもてあましたアリーナはライアンと打ち合いをしていたらしい。が、さすがにそれだけでは、とブライが「城から離れていても姫様はサントハイムの姫様ですからな!」と年寄りらしく王族の人間に必要とされるような教養を教え込もうと口うるさくしていたらしい。
「みんな新しい魔物ばかりよ。あとでアリーナも一度連れていってあげる。でもね、嫌なところだわ。いろんな仕掛けがしてあって、なんだか床も壁もじめじめしていて」
「墓ですからなあ・・・。マリア殿、拙者は明日も船で御伴したいと思っておりますが、ご迷惑ですかな」
「ライアン、暇じゃない?」
「拙者のような人間は、どこにいようとあまりやることに変わりはないですからな。それに、いついかなるときでも何が起こるかわかりませぬし。拙者、自分だけ休んでいるときにみなに何かがあってはと思うとそうのんびりとしたことはしていられない性分でして。それに、誰かは船に残らなければいけないでしょうからな」
「ありがとう、ライアン。それじゃあ、船はライアンに任せてもいいかしら?」
「承知いたした」
マリアはこのバトランドの戦士を高く評価している。
融通があまり利かない男だけれど、彼はすぐれた剣士だ。命に代えてもマリアを守りたい、と誰にはばかることなく口にするのはちょっと恥かしいけれど、彼はとても誠実で嘘偽りのない気持ちがよい男だと思う。
多くの重たい武器を使いこなすことが出来るのはライアンだけだし、それゆえにトルネコもめずらしい武器を彼がふるう姿を見られることを喜んでいる。
「アリーナ達はどうする?」
「うーん、あたしもやることないもんなあ〜。武術大会でももう一度あればいいんだけどっ。ねえ、クリフトはどうするの?」
「わたしですか?・・・」
突然アリーナから話をふられて、クリフトはちぎっていたパンを皿の上に置いた。マリアはあまり視線を厳しくならないように意識をしながらクリフトを見た。
どうせ、自分は姫様に仕える身ですから、なんて言うんだろうな、と意地が悪いことを思っていると
「・・・明日一日、ちょっと御時間いただいてもよろしいでしょうか。私用でいきたいところがありまして・・・」
おや、と誰もが少し驚いた表情になる。どこにいくの、と聞いていいのかどうか計り兼ねているのか誰もが牽制するようにみなの顔をちらりと見た。が、それへすぐさまマリアは答える。
「いいわよ。ただし、夕食の時間には戻って来て頂戴」
「わかりました」
それは、リーダーである自分が聞かないのだからみなも聞かなくていいでしょう?という軽い牽制だ。
マリアは自分のことを詮索されることも仲間のこと詮索するのもあまり好まない。
けれど、アリーナはやはり長年の気安さから
「クリフト、どこにいくの?」
と率直に聞く。それはもちろんブライも気になっているようだ。
「ええ・・・ほんの私用ですから・・・そのお、たまには内緒、というのは駄目でしょうか?」
と馬鹿正直にクリフトは答えた。そんな風に言われてはアリーナも追求することは出来ない。
「ふーんっ、クリフトめずらしいのね。あたしにも教えてくれないんだ。じゃあ、あたしは闘技場に行って魔物達の戦いを見て参考にしてくるねっ」
「では、わしは姫様と共に」
「いやあだあ、ブライがくると口うるさいんだもんっ」
と嫌がるけれど、アリーナは一人になるよりはマシか、とちょっと唇を突き出して黙った。それへからからとマーニャが笑いながら
「アリーナったら、カジノにいってもお金増やすことより魔物の戦い見てるだけの方が好きなんだもんねえ〜。折角なんだからコイン金増やして来て頂戴よ」
「姉さん、それは駄目よ」
くすくすとミネアは笑った。
「アリーナさんは、増やすより減らす方が得意みたいだから。姉さんみたいにね」
それへはアリーナとマーニャが同時に「むう」と反論にならない反論の表情を見せた。マリアもくっくっく、と笑いながら
「この占い師さんのお言葉は結構当たるわよ?ねえ?アリーナ」
「だからーあたしは闘技場で見るだけだってばっ!」
女3人よればなんとやら、というものだが、この4人も例に漏れない様子だ。

がさがさと草むらをかき分けて進む。時間が勿体無いと思えてキメラの翼をエンドールで購入してきた。
唯一のヒントは、ブランカの城から北の山奥ということ。
クリフトはマリアの生まれ故郷の村を探していた。もちろん、この行為が失礼なことだということも彼は承知の上だ。
それでも一人で行きたいと思った。彼女に一声もかけずに。
以前、彼女の村がデスピサロによって滅ぼされたということを彼女自身の口から聞いた。
そして、ついにアリーナの前で、マーニャの前で、そういう過去が彼女にあることをあっさりと、本当にもう過ぎてしまったことのように怒りも悲しみも苦しみもないようにさらりと静かにマリアは口に出してしまった。
けれど、本当はそうではない。
マリアはいつだって怒りにも悲しみにも、そして苦しみにも満ちたままで戦っているのだろう。
あまりそれを感じることが出来ないのは、自分が未熟なせいだとクリフトは気付いている。
人から懺悔をうける立場であっても、自分はまだあまりに若く頼りなく、そして人間の心の動きにとても鈍い。
彼女は確かにそういった感情をみなに悟られないように自制をしているに違いないけれど、それでも自分は比較的鈍い方ではないのかとクリフトは時折思う。
「ああ、しまったな」
腰につけている道具袋をがさがさとあさったけれど、お目当てのものはみつからない。
「エンドールで買い忘れたかな」
ブランカ周辺には下級の魔物がうようよと巣食っている。今のクリフトにとってはまったくもって手応えがない魔物ばかりだけれど、相手はそんなことをおかまいなしで襲ってくる。ここまで辿り着くのに何体の魔物と打ち合ったか、いちいち覚えていられないくらいだ。
道も何もわからないところでちょっと進むたびに魔物と戦っていては効率が悪いし、無駄な殺生はあまり彼も望まない。だから、神の祝福を受けた聖水で身を清めて、魔物を寄せ付けないように、と彼は思っていたのだけれど・・・。
クリフトは少し大きめな木の根元に座り込んで袋をひっくり返した。
「ああ、あったあった」
ころりと二つの小瓶が転がり出て来た。それ以外の道具をきちんと袋の中に戻してしっかりとベルトに結わえ付ける。それから立ち上がって、きゅっきゅっと音をたてて蓋を開けて自分の周りに円状に聖水を地面に撒いた。
聖水を円状にまくと、その円の中にいる人間は一時的に神の加護を得て魔物を寄せ付けなくなるのだ。
クリフトはもうひとつの瓶をいつでも使えるようにとポケットにしまって、ふとマリアのことを思い出した。

「ねえ、ブライさん。トヘロスの呪文と聖水は、同じ役割をするのね」
年老いた魔法使いがもつ知識は誰もが認めるもので、マーニャもミネアも、ブライ本人が唱えることが出来ない魔法だとしてもその原理やコツといったものを時々彼に聞いていることをクリフトは知っていた。だから、マリアがそんなことをブライに聞いていることはまったく不思議のない光景だったはずだ。なのに、クリフトの中で、その会話の何かがひっかかっていた。
「そうですな。しかし、トヘロスは選ばれた人間のみが行使できる魔法。わしが知る限り、トヘロスの魔法を行使出来る人間は勇者殿以外にはおらんようですがのう」
「ふうん。変なの。わたし、魔法の才能はないのになあ」
「トヘロスに必要な能力は魔法の才能ではないということですな」
「じゃあ、何?」
「トヘロスは、自分よりも弱い魔物を一時的に地の底に封印するもの・・・そのような力を身につけることが出来るのは、神に選ばれた者だけと書物には書いておりましたからな」
「・・・ふうーん?」

あのときのマリアの憮然とした表情の意味が、なんだかわかったような気がする。
神に選ばれた?
それは、一体どういう意味なんだろう。
・・・多分、当たらずとも遠からずでそれに似たことをマリアは思っていたのではないだろうか。
「・・・さて、これで少しは楽になるかな」
ふと気付くと辺りからすうっと魔物の気配が消えたようにも思える。
それにしても闇雲に進んで、村らしい場所はみつけることが出来るのだろうか?
見つからなければその時はその時でいい、とクリフトは思う。それは、神様に自分が許されなかったということなのだろう、と。
人の過去に踏み込もうとしている自分のおこがましさは、嫌というほどわかっている。
それでも、彼はマリアの故郷を見たい、と思った。
教会のない村。
勇者が生まれた村。
誰も知らない閉鎖された世界しかなかった村。
そして。
殺戮によって、何もかもなくなってしまった、村。
(わたしは、なんて、浅ましい人間なのだろうか)
小さく溜め息をつく。
こんな自分であれば彼女の村をみつけられなくても仕方がない、とすら思える。
ここに自分が足を運んだのはたくさんの理由が入り乱れている。
その中のひとつに、自分が安心したいから、という情けない、そして限りなくマリアに対して失礼な気持ちが混ざっていることをクリフト本人も自覚をしている。
サントハイムとは違う、とマリアは言っていた。
本当にサントハイムの様子とマリアの村の様子は違うのか。
デスピサロが行った「殺戮」とサントハイムの状態が違うということを自分の目で確かめたいと思ったのは事実だ。
それは裏を返せばあまりにも浅ましい薄っぺらな安心を得たいというエゴイズムだ。
けれど。
(それだけではない、と言って、あの人は信じてくれるだろうか)
草をかきわけながら思い出すマリアの姿。
ロザリーを殺しても、神様は許してくれるわよね・・・?
震える唇が紡ぎ出す言葉はとても残酷だけれど、あまりにも強く救いを求めてあがいている響きを持っていた。
あの人が深く深く傷ついた、あの人がとても愛していたのだろう場所を、この目で見たい。
好奇心、といわれたら終わってしまうことなのだろうか。
そうではない。ただ、自分は知らなければいけないのだ。
勇者として、自分が信じている神が選んだあの少女が、あのエルフを殺してもいいだろう、と言葉に出さずにはいられないほどの心の傷をつけられたその場所を。
でなければ、彼女に手を差し伸べることが今の自分には出来ない。
「ああ、いい香りだな」
少しだけ甘い匂いがした。その匂いの元が、草むらをかき分けた先に木の根本にぽつりぽつりと生えている花だということに気付く。あまり甘すぎない、けれど柔らかい女性らしさを感じさせる香り。
可愛らしい白い花は、あまり強く主張をせずにそうっと木に寄り添っているようだ。
そういえば昔、姫様が王様に花冠を作って差し上げたとき、王様は涙ぐんでいたなあ・・・そんな懐かしい記憶を思い出す。
(・・・マリアさんも、この花を摘んでいたんだろうか?)
いや・・・。
クリフトは小さく溜め息をついた。
村から、でなかった、とマリアは言っていた。
その当時の彼女自身はきっとその意味をわかってはいなかったのだろう。
勇者であるマリアを、誰の手からも守るため、きっと村人達は彼女を村に閉じ込めたのだ。

「ライアン、御疲れ様」
「おお、お帰りなさいませ、何故またこんな早いうちに」
まだ昼近くだというのに早々にマリア達は引き上げて来た。マリアは大きくライアンの名を呼んで、手を振る。それに気付いたライアンは船のへりに顔をひょっこりと現して軽く手を振り返す。一人で残っていたライアンは、甲板でひなたぼっこをしがてら、丁寧に剣の手入れをしているところだった。
「それが。これを」
トルネコが嬉しそうにとり出したのは、見たことがない杖だった。
「おお、もしやそれが」
「そう。変化の杖、手にいれたの。思ったよりもスムーズに手にはいったわ。それで、ライアンが暇をもてあましているかと思ってね、トルネコと交代っていうのはどうかと」
マリアが笑顔でそういうとマーニャが横やりを入れる。
「たまにはさあ、ハーレムもいいんじゃあないー?」
「もう、姉さんったら」
トルネコは新しく手にいれたこの不思議な杖をすみずみまで調べたくて調べたくてうずうずしている。が、王家の墓の中は薄暗いから存分に見ることが出来ない、というわけだ。ライアンはマーニャの言葉はともかくマリアからの申し出に日に焼けた顔で笑顔を見せた。
「そういうことでしたら、喜んで」
「アリーナがいたら連れて行ってあげられたのにねえ〜。今ごろブライのおじいちゃんにまたああだこうだ言われてるかしら」
くすくすとマーニャは笑う。別にこのバトランドの堅物が自分の話を聞かないふりをしたからといって怒るわけではない。これは彼等流のコミュニケーションなのだし。
「それにしても、クリフトはどこにいってんのかしらねえ」
「姉さん」
「なによ、だって気になるじゃない?」
「マーニャ」
マリアは怒った風でもなく、あくまでも普段と変わらない声音で声をかけた。けれど、それが「たしなめる」言葉だということはマーニャにもわかっている。
「はいはい。詮索はしませんよ〜。だって、あのクリフトちゃんがアリーナにも内緒、とかいうんだもん」
「私も気にはなるけれど」
とマリアは苦笑を見せる。
「あの人がそんなことをいうんだもの、尚更そっとしておいてあげたいじゃない?」
「マリアったらやっさしー」
ちょっと意地悪そうにマーニャがそう言うと、ミネアがまた怒る。マーニャは、マリアの故郷のことをクリフトだけが知っていた、ということでちょっと二人のことを勘ぐっているのだ。そんな双子のやりとりは無視してマリアは甲板に座り込んで変化の杖を見ているトルネコの手元を覗き込んだ。
「どう?どういう原理のものかわかりそう?」
「うーむ。最初はモシャスの魔法の力が込められているのかと思ったけれど、そういうわけではなさそうだ。変化するものを指定出来るのではないようだなあ」
「モシャス」
マリアはその呪文の名を繰り返した。
「まあ、ちょっと見てみるよ。使い方を誤っても危険ではないとまだ断言できないからね」
「お願いね。トルネコの鑑定眼は信頼してるわ」
「ははは、それは嬉しいね」
マリアは無理矢理笑顔を作ってトルネコの側から離れた。姉妹はもうけろりとして昼食の準備をしている。
船のへりに手をかけてマリアは空を見た。
深い青色の上を白い雲が少しばかりいつもより早く流れているようだ。
(あの日は、いいお天気だったわ)
でも、空の色までは覚えていないな、とマリアは自嘲気味に笑った。
モシャス。
それは、多分シンシアが最後に唱えた魔法に違いない。
だって、マリアはろくな魔法を覚えていなかったから、モシャスでマリアの能力も写し取ったシンシアが、あの殺戮の場で他の魔法を唱えたとは思えないから。
「マリア殿?どうかされましたかな?」
もの憂げに空を見ているマリアに、ライアンが声をかけてきた。
「・・・ううん。今日は風が吹いているけれどいい天気だなあ、って思って。こんな日に王家の墓に潜っているのは勿体ないなあ、なんてね・・・。そんなこと考えていたの」
「ふむ、確かにそうですな・・・マリア殿がそうなさりたいと思えば、それでもいいのではないですかな」
「ライアン」
「息抜きも、必要と思うのですが。みなを連れていくのはよろしいが、結局マリア殿だけが休みをとれないままではないかとそれが気がかりで。いかがかな」
「ありがとう。でも大丈夫。わたしもライアンと一緒で、休めない性分なのよ、わかるでしょ?」
「ははは、それは一本とられましたな」
ああ、なんて。
なんて優しい人達が、自分の周りにいるのだろうか。
マリアはもう一度視線を空に向けた。
あの優しくて優しくて、そしてだからこそ自分を苦しめる言葉を平気で出すあの神官は、今ごろ何をしているのだろう?
本当はマリアだって聞きたかった。どこに行くの。何をするの。
けれど、その言葉はどうしても喉に絡んででなかった。
自分がそれをいうのは、なんだかとても「らしく」ないような気がして、うまく言うことが出来なかった。
今思い返すと、そう聞くことは全然おかしくはなかったはずなのに。
クリフトの私用を気にすることが、なんだかクリフトを意識しているということをみなに知らせてしまうような気がして、それがどうにも自分には許せなかったのだ。とはいえ、そう思っているのはマリアだけで、みなはきっと気にもしなかっただろうし、逆に問うことの方が何の不思議もないことだったのではないだろうか。
(アリーナにも言わない用事・・・・)
彼に、そんな大事な用事がある、と思うのはなんだかしっくりこなかった。
クリフトはいつだってアリーナのことを第一に考えて、彼女が不安に思うようなことは一切しない人間だと思っていたのに。
自分は彼を見損なっていたのだろうか、とマリアはふと思った。
(見損なう、か)
それはいい意味でも悪い意味でもありえるな、と苦笑を漏らす。

突然、目の前が開けた。
クリフトはその場で立ちすくみ、目線の移動だけでぐるりとあたりを見渡した。
どう見ても人っ子一人いやしない、いや、それどころかここで人が生活をしていたのは一体何十年前のことなのだろう、と思わせるようなその場所は、多分建物があったのだろうと窺わせるいくつもの瓦礫だけが残る無残な姿を晒していた。
間違いない。ここだ。
クリフトは気を取り直して歩き出し、その「村だったのではないか」と考えられるあたりを探索し始めた。
あまり大きい敷地ではない。
けれど、突然ぽっかりとした空間が広がるそこは、以前は多分もう少し外部からは見つかりにくいように木々があたりを生い茂っていたに違いないと想像出来た。だというのに今はあちらこちらの木々がなぎ倒されて妙に開けた空間になってしまっている。
マリアが言っていた通り死骸ひとつも見あたらない。ここはマリアの故郷ではなくて、ずうっと昔に人々が捨てていったただの廃虚なのではないか?そう思ってしまっても不思議ではない光景だ。けれどもそんなクリフトの期待は瞬く間に裏切られる。瓦礫は高熱で焼かれた跡があることを無残にも彼に教えてくれたし、倒れている木々の切り口もそこまで古くはない。
「・・・っ!!」
近くの瓦礫をかき分けたところで、クリフトは足を止めた。
多分、家の床だったのだろうその場所でクリフトは立ち尽くし、ただただ自分の足元を見つめた。
(・・・人間の、跡だ)
まるで烙印のように。
突然の高熱で、燃え尽くされた人間の、跡。
死骸が残らないほどの威力。それは火炎なのか雷のようなものによるものなのかクリフトにはわからない。
その他の村人達がどのような最期を遂げたのかだって誰も知らないのだ。
「っつうっ!」
うかつに踏み出した場所には、毒の沼地が広がっていた。じゅん、と足元に痛みが走る。
「・・・危ない危ない」
少し動揺している自分をなんとか落ち着けてクリフトは声を出す。声を聞くという行為は、人間に安心感をもたらす。例えそれが自分のものでも。こんなところで、たった一人黙っていられることなんて出来やしない。それは単純な弱さと呼んでいいものではない。
「これは・・・」
クリフトは瓦礫の外に木のスプーンが転がっているのを見つけた。
そんなものだけがなんとなくこの村を襲った災難から逃れて、今も変わらない姿を保っているということがなんだか滑稽に思えて、そして、あまりにも当たり前の日常を感じさせるものであるがゆえにクリフトは泣けて来た。
そっとそのスプーンを拾い上げ、瓦礫を振り向く。
建物は一体どういう間取りだったのかもわからないほどに崩れ落ちていた。
けれど、きっとこのスプーンは一番近くにある、この原形を留めない建物の中で生活していた人々のものだろう。
ぐるりと見渡すと一体どんな建物だったのかが想像も出来ないような瓦礫がいくつもそこにはあった。
あまりにも、信じられない光景にクリフトは目頭を抑える。
本当につい最近まで、ここに人間が住んでいて、そしてマリアを囲んで生活をしていたなんて。
そして。
たったの半刻で、この姿になってしまったなんて。
からん、と瓦礫の床にスプーンを落としても、もちろん誰も拾いにはこない。
この瓦礫のどこかでマリアは生活をしていたのだ。
それぞれの家の人間がそれぞれの家の中でそれぞれの生活を。
けれど、今はもうどこもかしこも同じ状態で、何の違いも感じさせない。
「これが、殺戮の跡なのか」
実感がわかない、とクリフトは思った。
ここに来てこの光景を見たら、きっと自分はショックを受けて強く心に思うことが何かあるだろうと思っていた。
けれど、本当のところ、この光景を見たって実感が湧きやしないのだ。
「・・・違う・・・そうではないんだ・・・」
クリフトは低くうめいた。
実感がわかない、ということは、どんなに恐ろしいことなんだろうか?
想像することすら許されないほどの、あまりに圧倒的な力でこの村がねじ伏せられたということを意味するのではないかとクリフトは気付いてしまった。
自分の村はもうないのだと。
ルーラで辿り着くことが出来ないのだと、そうマリアは言っていた。
そうなのだろう。
ここはもはや村でもなければ、村の跡地なんていう可愛いものではない。
ただの、殺戮の残骸だ。
それ以外の言葉で、この場所を言い表すことは不可能だと、クリフトは瞳を閉じた。
「マリアさん、ここで、わたしは神の名を口に出してもいいのでしょうか」
無駄よ、クリフト。
そんな声が聞こえるような気がした。
神様は、応えてくれないのよ
教会で幾人もの人々が、自分を助けてくれない神に対しての恨みつらみを連ねる姿をクリフトは多く見て来ていた。
その人々の痛みを和らげることも、その暗い感情から引き上げてやる手段も年若いクリフトはまだ持ってはいない。それでも、正論で問えばすむ話ではないということを彼はもう理解している。
(マリアさんは、違う)
神への恨み言を例え発していても、教会に訪れて泣き叫び、神をののしる、自分を不幸だと訴える人々とマリアは明らかに違う。
だって、彼らはどんなときだって、神様を信じているからこそ訴えることが出来るのだ。
(マリアさんは、初めから信じてなぞいない・・・)
神はすべての人々に対して平等であるとクリフトは信じていたし、これから先もこの信仰を曲げるつもりはない。
それでも、ここでやはり彼の思う神の名を口に出すことは、死した人々への冒涜、マリアへの不徳へ当たるような気がして、彼には出来なかった。
(そう思ってしまうわたしは、神官失格なのかもしれないな)
クリフトは深呼吸をひとつして、殺戮の残骸が広がる村の中をまた歩き出した。しばらくあちこちを見て、どうも本当に何も残っていない(と思うほどの荒れようだということは、なんて悲しいことなのだろうか?)ようだ、と思った瞬間
「・・・うわっ!?」
ずるり、と足を取られて尻餅をついた。あたりの光景ばかりを見ていて、足元がまたおろそかになっていたのだろうか?
「・・・い、てて・・・これは・・・」
腰をさすりながら起き上がり、一体自分が何に転んだのか、と見ると。
「階段・・・?」
村の敷地の端っこに、ひっそりとその小さな階段はまるで存在を隠すように、生きていた。


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モドル

クリフトが何かをしたことで彼女が傷つくとしても、クリフトはクリフトのやり方で、マリアを救おうとしてくれているのでしょう。
それだけは、信じてあげて欲しいところです。