嫉妬-2-

マリアはサランの町の宿屋でアリーナと一室を借りた。
ブライはとても疲れたように早々に眠ってしまったらしいし、トルネコは相変わらずアイテムを眺めて夢中になっている。ライアンとクリフトは食後も少し食堂に残って会話を交わしていたようだったが、マリアはアリーナと共にさっさと部屋に戻ってきた。
「今日はゆっくり眠るといいわ。体の疲れだけじゃなくて・・・ね」
清潔なベッドに腰掛けてブーツを脱ぎながらマリアはアリーナに言った。
アリーナは部屋着に着替えながらその言葉を聞き、よいしょ、と服を頭から被ってからマリアへ視線を移す。
「うん。さすがに今日はちょーっとへこたれた。でもゆっくり眠れば大丈夫よ!・・・サントハイムのみんなを、助けるためにはへこたれてちゃいけないって知ってるから、すぐ元気になるわ」
「へこたれる日は誰にでもある。わかってるつもりよ」
「マリアもへこたれちゃうこともある?」
「かなりね」
「・・・そっか、そうだよね」
多分アリーナはマリアがどういう時にへこたれているのか、なんてわからないだろう。
アリーナからすればマリアはいつも冷静で前向きな人間と見えている。
それは、マリアが持つ過去を知らないからだし、マリアが弱音を仲間の前ではあまり口にしないからだ。
あの運命の日に凍結してしまった彼女の心の傷は、誰が見ても心を痛めるほどに深く、そして回復するにはとても長い時間がかかるものだ。被害妄想ではなく、もしも自分が第三者だったら、とマリアは冷静に考えた。考えた結果、誰にも見せたくないと思った。同情をされる勇者にはなりたいと思わなかったからだ。
ただ、なんとはなしに生まれた土地の話やこれまでの話になったときに、マリアが言葉少なくなることを周囲は察していた。そんな程度だ。
だから、彼女が今「勇者」としてこの世界に生きて、「勇者」としての役目を果たそうとしていることに、どれほどまで自制を行って、必死に「そうであろう」と自分をおいつめているのかなぞ、誰もわからないことだろう。
仲間なのだから言えばいい、と誰もが言ってくれるに違いない。
わかっていたけれど。でも。
こんなときでもマリアはそれなりの振る舞いをアリーナに見せる。
「たまに立ち止まったり、振り向いたりするの。振り向いたときに、今来た道がないように感じたこともあるけど。でもそれは気の迷いなんだと思う。わたし達が出会って、そしてここに一緒にいるっていうことには意味があると信じているから。アリーナが辛い気持ちになっているのもわかるけど、ね」
マリアは行儀悪くベッドの上で胡座をかき、首を軽くかしげてアリーナを見る。
アリーナは小さな声で「うん」と呟いてから部屋着のめくれている裾を直して、マリアに背を向けた。
ああ、まただ。マリアは眉を寄せる。
昼間ブライの背中を見たときに感じた痛み。
もともと小柄なアリーナではあったけれど、いつでも明るく、生気に満ち溢れていた彼女がより一層今日は小さく見える。
それを励ましてやりたいと思っても、マリアには上手な言葉が選べない。ただ、当たり前のことを口にすることしか出来ない。
今は多分そんなことを言われても、それどころではないはずだ。
そんなことはマリアにだってわかる。
(まいったな)
いっそのこと、クリフトと部屋を替わってもらった方がなんぼか楽だ、と溜息にもならない軽い息を吐いてそんなことをマリアは思っていた。
アリーナのことは好きだ。好ましい少女だとも思っている。
けれども、今はうまく慰めてやれない。
大丈夫だよ、きっとサントハイムの人達は戻ってくるよ、とか。
わたしがなんとかするよ、とか。
それを言うほどの勇気はマリアにはまだない。
(クリフトには言えたのにね)
不思議なものだ、とマリアは思う。言う相手によってその責任の重さやかけられる期待による負荷がこんなにも違うように感じるなんて。
なんとなく。
そうだ、なんとなく。
今日はアリーナから「そうだよね、マリアがいればなんでも出来る気がするもん!」と単純な賛辞や期待をもらいたくない、と思ってしまった。
マリアがとまどいがちにアリーナを見ていると、アリーナは部屋着のままでドアに向かう。
「アリーナ?」
きい、と小さな音を立てて木の扉が開く。アリーナは軽くマリアの方を向いて小さく微笑んだ。
「ちょっとだけ散歩してくるねっ」
「その恰好で?」
「うん。ちょっとだけ。ちょっとだけね。マリアは先に寝てていいわよ」
精一杯普段と変わらないように、と努めていることがその声音でわかるけれど、それにすらまだ時間が必要なのだろう。アリーナの声は明らかに元気がなく、そして上ずっていた。
「・・・わかった」
わたしも行く、とは言えるわけがない。マリアは頷いて、閉まるドアをみつめていた。

わたしは、嫌な子だ。
マリアはベッドの上にごろりと横になって瞳を閉じた。
色んなものがうらやましくて仕方がない。
「ううーん・・・」
ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。指をするりと抜けるふわふわの巻き毛をひっぱってみたり、指に絡めてみたり。
マーニャとミネアを羨ましいと思った。
父親を失っても彼女達には報告に行く場所がある。
旅の終わりにたどり着く場所があるのだということを改めてマリアは思い知らされた。
そして、そこに手を取り合って向かう、血が繋がった姉妹がいる。
それはなんて羨ましいことなんだろう。
ごろごろと動いたために必要以上にシーツに皺が寄ってしまったそのベッドの端っこによって、だらりと左腕を垂らす。
床につきそうでつかないもどかしい高さに、マリアはもう少し端によって、無理矢理床に指先をつけた。
何の意味もない行為だけれど、何故かそうしたい、と思ったのだ。
「ごめんね・・・」
もごもごと口の中で呟いて、マリアは溜息をつく。
それはアリーナへの謝罪の言葉だ。どうしてもうまい言葉を見つけられないし、そのためにマリアはあまり一所懸命にはなれなかった。
だって、うらやましい。
確かに封印されているんじゃないかと自分だって推測するけど・・・
サントハイムのみんなを助けなきゃ。
誰が何のために消したかわからない人々を助けられると思える、その前向きさ。そしてそう思わずにはいられない、「死んでいない」と推測できる、可能性がある状況。
それらの全てが羨ましくて、マリアはどうにも出来ないこみ上がってくる気持ちを抑えることで必死だ。
「ごめん、ごめんなさい・・・」
マリアは起き上がった。ベッドの上で座り込んで、ぶんぶん、と頭を振る。
こんなことじゃいけない。
ベッドの側においてある、自分の道具が入っている皮袋に手をのばして掴んだ。
よいしょ、とそれを持ち上げて、口を開ける。
誰にもみせていない、マリアにとって大事なものがその中に入っているのだ。
ごそごそと音をたてて目当てのものを探す。一番奥にそうっと畳んでしまってある「それ」は、型崩れを起こしそうで本当は畳まずに保管しておきたかったものだ。けれど、持ち歩くにはかさばってしまうから、こうして畳んで、そっとハンカチを折り目の間に挟んでおいてある。
羽帽子を袋から出してマリアは見つめた。
出来るだけ見ないように、出来るだけ袋から出さないようにと思っていた「それ」は、マリアを思い出の中に引き寄せる。
そうよ、わたしにはこれがあるじゃない。
大事な大事な、シンシアの。
形見、という言葉はあまり使いたくなかった。なかったけれど、言葉にして表すならばそれしか単語が思い浮かばない。そしてそうであることが一層マリアを悲しくさせる。
これが羽根帽子ではなく。これが形見ではなく。
あなたが側にいてくれたら、わたしはもっとこんな風に人を羨ましがらなくてもいいのに。
あなたに、居て欲しいのに。
「サントハイムのみんなを助けるには」
アリーナの言葉を思い出す。
あれは彼女の精一杯の空元気だったに違いない。なのにそれを聞いてマリアは心を痛めるだけではなく。
「じゃあ、わたしの村のみんなを助けるにはどうすればいいの?」
もはや、それに対する希望や期待なぞ、この世界には残っていないと思える。もしも残っていたとしたらマリアは間違いなく、勇者であることなんて捨てて、そのために旅を続けることだろう。
それを、神様とやらはきっと許してくれないのだろうな、と自嘲気味に笑い、その表情を作ったと思うとマリアは羽根帽子を抱きかかえて背をまるめ、膝を抱えた。
ああ。
アリーナが、出て行ってくれて、よかった。
今日くらいは、わたしもこんな情けない人間でも、許してください。
何への言葉かはわからないが、マリアはそう思いながら、ベッドの上で膝を抱え続けるのだった。

マリアはふと気付いて瞳をうっすらと開けた。
シンシアの羽根帽子を抱えたままマリアはごろりと横になり、寝入ってしまったようだ。
「・・・!」
そんな恥ずかしい姿をアリーナに見られただろうか?マリアは慌てて上半身を起こして、アリーナのベッドを見た。
「あ・・・」
アリーナは、まだ帰ってきていない。
そっとベッドから下りて窓の外を見る。月の位置は、高くなっている。
「まさか、何か・・・」
もともとアリーナは散歩をする、なんてことをなかなかしない女の子だ。冒険は大好きなのだろうが、夜の散歩なんていう言葉は彼女にはあまり似つかわしくない。
ベッド近くにおいてあったランプに火をつける。室内をぽうっと柔らかい灯りが照らすが、やはりアリーナはどこにもいない。
探しに行こうか。
マリアは剣に手を伸ばした。
と、そのとき
コンコン
小さなノックの音。
「誰?」
「わたしです。クリフトです」
「クリフト?」
囁くような小さな声。マリアはおずおずとドアを開けた。そこには確かにクリフトが立っていた。こんな夜中に着替えもしていない、いつもの恰好だ。
マリアは息を飲む。
彼の腕の中には寝息をたてているアリーナの姿があった。何の苦もなくクリフトは小柄なアリーナを抱きかかえていたのだ。
マリアは驚いてクリフトを見つめた。彼はこんなときでも丁寧で礼儀正しく、それでもそっと小声で
「こんな夜分に女性の部屋に申し訳ございません。ですが、姫様を」
と囁き、腕の中のアリーナに視線を移す。
「よく眠っているわね」
「もう、こうなったら朝まで起きませんよ・・・本当に昔から、泣き疲れて寝てしまうと深く眠ってしまうらしくて」
そのクリフトの言葉は、またマリアに余計な想像をさせる。
マリアがドアを開け放つと「失礼します」とクリフトは言いながら室内に入り、そっとアリーナをベッドに降ろしてやった。
どの動作も、そうアリーナの体重を感じさせないように不自然さがない。クリフトってそんなに力があったっけ?とマリアは呆然とその様子を見ていた。丁寧にアリーナの足からサンダルを脱がせて、髪を背中に巻き込まないように気を使っている様子はなんだか女中めいていたけれど、その一連の動作を行う彼の手−手袋を取っていたのだが−はごつごつとした、そこだけが大人になってしまっているように思える男の手だ。
ドア静かに閉めてから、マリアは少しばかり意地悪そうな表情で
「アリーナくらいなら抱き上げられるのね、あなたの腕力でも」
「そうですね。姫様は軽いですから」
アリーナに毛布をかけて、クリフトは枕もとから離れてドア近くに戻ってきた。
「あら・・・失礼ね。姫様「は」、ね」
「・・・マーニャさんのようなことをおっしゃるのですね」
クリフトは穏やかに苦笑した。
「マリアさんだって小柄ですからね。それくらいはいくらわたしが腕力がかなわないからと言っても」
「あなたって、真面目ね。そんな答えが返ってくるなんて・・・アリーナ、大丈夫そう?」
「ええ」
「そう・・・クリフトがそういうなら、きっとそうなんでしょうね。良かった。わたしじゃあどうしていいかわからないから」
「わたしにもわかりませんよ」
「ブライさんが言ってたわ。あーゆーときはクリフトに任せるのが一番いいって」
その言葉を聞いてクリフトは僅かに驚いたように軽く唇を半開きにした。
それから、少し照れたような、そんな表情。
ランプの柔らかい灯りは彼の後頭部を照らしていて、マリアからはあまり彼の表情をしっかりと見ることが出来ない。
「クリフトがいてくれてよかったわ。実は、クリフトと部屋を替わってもらった方が楽だと思ってたくらいなの」
「姫様が、何か?その・・・あなたにまで、泣きついたり・・・していらしたんですか・・・」
泣きついたり、という言葉を口にした瞬間、クリフトの体が僅かに強張る。
しまった、正直に言い過ぎた、というところなのだろう。
確かにきっとアリーナはクリフトに泣きついていたのだろうし、クリフトだからこそそれを受け入れてあげることが出来るのだろう。しかし、そうであることを彼は自分の口から人に言うことは好まないに違いない。だから、ブライから聞いた、と言われたときも困ったような驚いたような表情になったのではないか・・・勝手にマリアは想像した。どこまでそれが当たっているのかはわからないけれど。
「まさか。でも、ほら・・・わたしは、人付き合いが下手だから・・・こういうときに、どうしてあげていいかわからないし。なんか、さ。言っちゃいけないこととか言っちゃいそうだったから・・・アリーナだってわたしの前でどう振舞えばいいのか困っていただろうし」
「言っちゃいけないこと・・・ですか」
よくわからない、という風にクリフトはマリアを見た。その視線に気付きながらもマリアはすっと話をそらす。
「サントハイムの人たちを、元に戻してあげたいと、わたしはわたしなりに思っているのよ。でも、結果としてそれが後回しになっても、許してくれる?」
「・・・ええ、それは。そのためだけにわたし達は共に歩んでいるわけではないのですから」
「手がかりが早くつかめればいいのだけれど・・・」
「ありがとうございます。そのお言葉だけで十分です」
アリーナを起こさないように、との配慮でクリフトの声は囁き声に近く、そしていつもよりやや低い。
その響きは今まで聴いたことがない、彼の「男」をマリアに感じさせた。
マリアやライアンのように大きい剣を扱い切れないクリフトの剣技、そして腕力。
その程度にしか認識していなかったのに、アリーナを軽々と抱きかかえていたその姿を見て、マリアは驚いた。
正直、神官なんていう肩書きはマリアには何の意味ももたらさなかったけれど、単純に「軟弱だ」と思っていたことは否めない。その印象ががらりとたったこれだけのことで変わってしまうなんて。
「姫様は」
「・・・うん?」
「もしもサントハイムのみんなを救えなかったら、と初めてそんなことを口に出しました」
「わたしにそんなこと、話してもいいの・・・?」
「・・・マリアさんですから」
それはどういう意味なんだろうか、とマリアは思うけれど、それ以上は制止をする義理はない。
「今のわたしやブライ様にしても、姫様に、どれくらいあるのかわからない希望を見失わないようにして差し上げるくらいしか出来ません。あなたがいることで、わたし達は助かっています」
「どういう意味?」
「サントハイムのみなを助けようというだけの旅だったら、わたし達は今日、再び立ち上がれないほどの絶望に打ちひしがれたことでしょう。けれど、あなたという存在が。自分達が他に為すべきことを持っているのだ、ということを強く知らせてくれて道標になってくれる・・・あなたは、そう言われることが嫌なのかもしれませんが」
「よくわかっているじゃない・・・そう言われるのは好まない」
「申し訳ありません」
「でもいいわ。今日はあなたも弱気になっているだろうから。それに、ひっぱっていってあげるって、言ったものね」
「・・・すみません」
クリフトは申し訳なさそうにそう言った。
あのエンドールの夜で、マリアはクリフトに、自分は何も他の者と違わないのに、なのに勇者なのだ、と告げた。
そして勇者として生きる心構えなぞ、出来やしなかったのだと。
そんな彼女に「あなたが勇者でよかった」という意味合いの発言をすることをクリフトが控えていたのだとマリアは敏感に嗅ぎ取っていた。
さすがマリアは違うね、とかやっぱりマリアは凄い、とか。
そういった仲間の賛辞に混じって、クリフトはとても曖昧な、けれど、周囲から見れば「同意」の意味としか取られないような笑みを向ける。多分彼は、マリアがいないところでは「さすがマリアさんですね」などと言葉にはしているに違いない。
そんな気の使い方をする彼が、こうやってマリアの気持ちを逆なでをするようなことを口に出すのは、弱気になっている証拠に違いない。
(結局、根っこのところではみんな、わたしが勇者だから、とか思ってるんだものね)
マリアは口はしをちょっとだけ動かした。
その表情を見てとったクリフトが何を思ったのかは彼女はわからない。
「それでは失礼いたします。お騒がせいたしました」
「ううん」
クリフトはアリーナの枕もとから離れた。
と、彼の視線が一瞬、まったくマリアが予想もしなかった場所に向けられた。
「・・・それは?」
「・・・!」
彼がみつけたものは。
マリアのベッドの上に、無造作に置かれた−本当は持ったまま寝てしまったので落ちていた、という表現の方がしっくりくるかもしれない−羽根帽子があった。それへクリフトは視線を注いでいる。
あまりにもそれがそこにあるのが不自然だということはマリアにだってわかる。
マリアはそんなものは装備をしないし、アリーナだってとっくの昔に違う防具を買っているのだし。
しかも、何故、こんな暗い中、ベッドの上に。
「なんでもないわ。気にしないで」
マリアは声を絞り出した。が、その声音に動揺が走っていることをクリフトはきっと察知しただろう。
「・・・わかりました」
クリフトはゆっくりとマリアの方へ視線を動かした。
マリアがそっとドアの側から離れるとクリフトはそこに近づいてドアノブに手を伸ばす。
と、そのまま開けるかと思った瞬間、彼はぴたりと動きをとめた。
ほんの一瞬、考えるように瞳を伏せて。
マリアは彼のそんな姿を見て、どくん、どくん、と自分の鼓動の音が大きく広がるような錯覚をうける。
ものすごい緊張が彼女に走った。
「・・・あなたにまで、気を使わせて・・・つらい思いをさせて申し訳ありません」
「つらい?そんなことないわよ」
「そう、ですか」
しまった。
マリアはそう思って、ドアノブに手をかけたクリフトの手の上に、自分の手を重ねて無理矢理開けさせた。
「!」
驚いた表情をクリフトは見せたが、それを視界の端で確認しただけで、マリアはさっさと扉を開けて彼をどん、と突き飛ばした。これがさっきアリーナを運んできた力強い男か?と思えるほど簡単にクリフトはよろけて廊下に出されてしまう。
「おやすみなさい、クリフト」
「ま、マリアさん・・・」
「あんまり女性の部屋に長居するもんじゃないでしょ」
「あれは・・・」
そこまで口にして、それからクリフトは言葉を止めた。
それ以上は、言うべきことではない。自分が土足で彼女の領域に入りそうになったことに気付いて、クリフトは唇を引き結んだ。
「おやすみなさい、マリアさん。あなたに甘えてしまって、申し訳ありませんでした」
「・・・おやすみなさい」
マリアは無情に扉を閉めた。

ぱたり、と閉まった扉を前にしてクリフトは少しの間その場から動けなかった。
自分は、いつも気付くのが遅い。
打ちひしがれているのは自分達だけだと。それをマリアやライアンはどうしていいかわからずに持て余しているだけなのだと。それくらいの想像はしていた。慰めてくれようとして、それが上手くいかない。そういう意味だと思っていた。
クリフトと部屋を替わってもらった方が楽、という言葉は冗談めかしたことだと、本当にそう思っていた。
「迂闊な・・・」
あのとき、思ったではないか。
エンドールの教会でマリアの懺悔をうけたときに。
可能性が残っているということは、どれだけ幸せなのか、と!
あの羽根帽子の持ち主が誰なのかクリフトはわからない。追求すればマリアは答えただろうけれど、それをする勇気はクリフトにはなかった。彼女がいうように気にしなくてもいいようなものだったら、逆にそんな言い方をするわけがない。
彼にはそれ以上の想像は上手く出来なかった。上手く出来なかったけれど、きっと、マリアの村に関係があるものなのだということくらいは思いつく。だって、マリアの声は震えていたではないか。
「それでも、あなたに、甘えたかったのです・・・申し訳ありません」
勇者という存在に。そしてマリアという存在に。
クリフトは深々とドアに向かって頭を下げた。
つらい思いをさせて、申し訳ありません。
もう一度、先ほど彼女に言った言葉を口にする。その言葉で、マリアには十分だったのに違いない。
彼女もまた、アリーナのように泣き叫ぶのだろうか。
彼女は、激情に駆られることがないのだろうか。
嫌な想像をしてしまった。クリフトはようやく頭をあげてその場から離れる。
もし、サントハイムの人々が戻ってきたら。
マリアはよかったね、と言ってくれるだろうけれど、きっと故郷を思い出して胸を痛めるに違いない。
そして、もしかしたら、またクリフトに言うのかもしれない。
サントハイムの人達も、わたしの村の人達も、同じなのに。
ねえ?なのに、違うのよ。
わたしが、みんなと同じなのに、勇者って言われるように。
だから、神様なんて信じられない。
クリフトは歩きながらこめかみを抑えた。頭が痛い。
泣いていないのに、まるで泣きすぎた時のように頭が、痛かった。

マリアは後悔と共に羽根帽子を片付けた。
手が震える。クリフトの手に重ねた右手の平の感触がなんだかおかしい。
あの夜、教会で強引に彼の手を掴んだとき、彼は手袋をしていたっけ?そんなことすら思い出せない。
どうせ気付くんだったら、言葉をこちらから投げつけてののしればよかった。
あんたたちは、希望があるんだから、いいじゃない。
・・・ううん、本当に言いたいことはそんなことじゃないんだ。
涙なんて出なかった。
被害妄想とか、そんなことじゃない。ただ、ないものねだりの子供と変わらない。
マーニャのこともミネアのことも。アリーナも、ブライも、クリフトも。それからトルネコもライアンも。
戻るべき場所がある人々、誰もをうらやましいと思ってしまう。
そして、共に手をとりあって戻ることが出来る相手がいることを。
マリアはアリーナの肩が片方毛布から出ていることに気付いて、そっと近づいてかけなおしてやった。
アリーナはぴくりとも動かない。
ぐるぐると頭の中をいろいろな思いが回る。
違う。そうじゃない。
自分で気付きたくなくて、言い訳をしているだけだ。
「バカだなあ・・・わたし・・・」
あまりにも強かった思い。
羨ましい、妬ましい。旅の終わりにたどり着く場所が残っているということはなんて羨ましいんだろう。
たとえ今はその場所を失っていたとはしても、それを手に掴もうと共に歩める仲間がいるって、そのこと
自体が羨ましい。
そう思っていたのに。そこへ加わってくるのはまったく異なった今までになかった感情だ。
クリフトの手。そしていつもと違う少し低い声。
それらは多分自分のものではない。
そして彼が今日甘えていた相手は、自分ではない。みなが理想とする「勇者」とかいうものだ。
「駄目じゃないの、こんなの・・・」
たくさんの羨望や嫉妬に混じって、違う色の感情が自分の気持ちに混じっていることをマリアはもう嫌と言うほど理解してしまった。ランプの炎を消すと、一気に部屋が暗くなる。目が慣れないうちにベッドにあがって、毛布の中に体を入れる。
わたしも、アリーナのように。
その先は言葉として認識が出来ないまま、マリアは瞳を閉じて眠りにつこうと力を抜いた。
ただ、今までなかったこの感情が何なのか。
その自覚だけは彼女が目をそらしても頭の中で響くのだ。
わたし、クリフトに、気付いて欲しかったのかもしれない。
だって本当にアリーナが羨ましかったから。そして、彼に本当は泣いて欲しかったから。なのに、彼を慰めたかったから、ののしることは出来なかったのだ。交錯する感情がそれぞれに相反するものだということは今の彼女にとっては何の意味ももたらさない。
つらい思いをさせて、申し訳ありません。そのクリフトの言葉は、マリアの気持ちのどこまでを感じ取った末の言葉だったのだろうか。彼が一瞬でも、深く自分のことを考えてくれたと自惚れてもいいのだろうか。

それは、恋の自覚が訪れた夜だった。

←Previous



モドル

マリアもクリフトも若いので気付いていないんですが、マリアの方が楽だと思います。アリーナ達のように、あてもない、なのに可能性がゼロではない、っていう状況はつらい。成し遂げるか諦めるかの境目が彼らサントハイム3人衆はそれぞれに違うでしょうし。ゲームでは安直にサントハイムの人々は戻っているからまあ結果オーライなんですが・・・。ブライやクリフトが、アリーナに諦めさせる無慈悲な言葉を言う日がこなくてヨカッタヨ。
蛇足ですが、あたくしクリアリは好きです(笑)男勇者プレイのときは間違いなくクリフト×アリーナなんですが・・・。男勇者×アリーナも好きです。アリーナ好き。クリアリも好きですが、クリフトにサントハイムは任せられないので・・・。