天使

ばくん、ばくん。
その音がわたしの体の中で高鳴り、まるで外から鼓膜を突き破って脳に直接訴えかけているように思える。
ばくん。
体が、熱い。
その変化が、わたしの体の外側に見えるかしら?
目が、かすむ。
一瞬気が遠くなるのかと思うような、眩暈に似た感覚に支配される。
憎しみという名の感情は、体の中、心の中に封印したいとずっと思っていたのに。
それひとつを封印しても、意味がないのだということをその感覚は嫌というほどわたしに伝える。
見たことも聞いたことも、もちろんそういう五感を無視した、とにかくどういう形でも「感じた」ことがない何かがわたしの中に生まれて、ありとあらゆるわたしの感情を押しつぶしていく。
いや。
わたしが、わたしではないものになる。
その瞬間が近づいてくる。
痛い。
背中が、痛い。
なんだか、背中が熱い。
体の中に生まれたその何か。
いつもならば叫びや嗚咽となって口からほとばしって、自分の耳に戻ってきて自分を苦しめる。そして、時にはクリフトを。
けれど、今、わたしの中で明らかになっていく初めての「それ」は喉まであがってはこない。
その代わりに、背中に。
わたしの背中に、それはやってくる。
痛い。熱い。恐い。
恐い?
何に対する恐怖を感じているのだろうか。
ぴりぴりと背中が痛む。
ふさがりかけた傷を左右にひっぱるかのように、ひきつれた痛みが背中に走る。
言葉でもない祈りでもない何かがわたしの体の中から、背中から外に出ようとしている。
背骨を境に、左にひとつ。
ばくん。
熱い。
涙が、出そうなほど、熱い。
背中から、溶岩がほとばしりそう。

かたかた・・・

そのとき、わたしの耳に、正しく外部からの音が聞こえた。
熱い息遣いと共に、小さくて、聴覚を研ぎ澄まさなければ聞こえないほどの音。

アリーナが、震えている。

そして、その震えを落ち着かせようと、彼女はぎゅっと拳を作って、膝の上にそれを置いて力をこめている。
変化の杖の力で、今、わたし達は毛むくじゃらの魔物の姿になっているけれど、そんなうわべだけの変化はわたしには何の意味もない。アリーナはアリーナ。わたしはわたし。彼女がどんな魔物の姿になっていても、わたしの視界に入る彼女の全身からは、彼女の存在を知らせる、彼女特有の息遣いや体温をわたしに伝える。その存在を間違えるわけがない。

ざわり。

わたしの体は、隣に座っているアリーナのすべてを感じ取ろうと動きを変える。
さっきまでの心臓の高鳴りと、失いそうになった正気を一瞬にして平常に繋ぎとめてくれたのは、アリーナが震えて椅子を振動させている音だった。ああ、思ったほど意識は飛んでいなかったのだ、と冷静に思える。
魔物たちには気取られないかしら。
わたしはアリーナの方を見ずに、彼女達に衝撃を与えた、この城・・・デスパレス・・・の主に顔を向けたままで固まる。今、体を動かすこと、視線を動かすことは危険だと思えるから。
アリーナのとなりに、同じように魔物に姿を変えているマーニャとクリフトがいるはずだけれど、彼女達がとても冷静でいてくれているのがわたしには伝わる。
アリーナの震えの理由はわかっている。
目の前にいるこの男から発せられる強い気。
エンドールの武術大会でこの男とまみえていたら、自分は多分この世にいなかっただろう。
アリーナは強い。心も体も、繊細なのに強い。だからこそ、その恐怖を敏感に感じ取れるのだとわたしは知っている。
男はとても整った造作をした魔族の若者だった。
男の出現で与えられた何もかもの衝撃を、アリーナが立てた音によって打ち消されたわたしは、今度はぼんやりと無意味なことを思っていた。

ああ、これが、ロザリーが愛している男なのね。
この男を殺していいと、あのエルフはわたしに言ったのね。
綺麗な顔。
切れ長の目は、今まで見たことが無いほどにするどく、温かい感情を知らない生き物のように思える。
そうね。あれは草食動物ではないわ。
きっと、肉食動物。明らかに狩る側。しかも、食物連鎖の頂点に立っていると思っているに違いないの。
自分が狩られるなんて、微塵も思っていない。
ううん、自分が狩られると思ったから。
だから、この生き物は、わたしから全てのものを奪っていったのだろう。
その焦りや恐怖がこの男にあったとしたら、きっとこの男は「狩られる」ことを体験をしたことがあるに違いない。
だけど。
今わたしの目の前にいるこの男からは、そんな過去は見えない。
たくさんのものを捨てて、この男はここにいるのだろう。
ロザリーの気持ちすら、見えなくなるほどに、たくさんのものを捨てて、そして。
捨てたものの数よりも多くのものを踏みにじって。
たくさんの子供達。
たくさんの大人達。
わたしを愛した人達。
わたしが愛した人達。
たくさんの顔が浮かんで、消えて。
どうしても消せない人がわたしの目の前に浮かんでくる。

わたし達、ずっとこのままでいられたらいいのにね。

・・・シンシア!

ああ。
折角アリーナが引き戻してくれた現実からわたしはまた遠ざかって、帰らない日々を悔やんで、あの人たちを奪ったものを憎む、強い感情に揺さぶられてしまう。
ずきん。ずきん。ずきん。
痛みが強くなる。
わたしは、痛みをこらえ、顔に出さないように努めることで精一杯だ。

そのとき、魔物の長であるその男は立ち上がって叫んだ。
「アッテムトへ!」
その声は凛とした響きを場にもたらし、わたし達の周りにいる多くの魔物達はそれに応じて高揚した声をあげた。

「地獄の帝王の復活だ!」
「アッテムトへ!」
「アッテムトへ!」

立ち上がって興奮している魔物達に紛れて、クリフトとマーニャも立ち上がった。
それは、怪しまれないように、という配慮に違いない。
それから遅れて、アリーナも。
立たないと。
立たないと。
わたしは足に力をいれた。
駄目。
今、そんな風に力をいれたら、何かが、ずるりと、わたしの体から出てくる。
熱い。熱くて痛い。

「アッテムトへ行くぞ!」

魔物達が動くのにまぎれて、クリフトが魔物の姿でわたしに近づいて、わたしの体を無理矢理立たせようとする。
ありがたい。ありがたいけれど、一体どうなってしまうのかわたしは恐かった。

「マリアさん、立たないと、怪しまれます」

囁く声。彼の腕はわたしの体を掴み、ぐい、と上に引き上げる。
わかっている、わかっている。わかっているわ、クリフト。立たなくちゃ・・・わたし、立たなくちゃいけないの。
たとえたったひとりで、あの村に残されても、わたしは地面を踏みしめて、この世界に立って、勇者として使命を果たさなければいけないの。
立たないと、いけない。
わかっている。

「・・・!!・・・」

立ち上がった瞬間。
体の中の血液が沸騰して、すべての流れが背中に向かっていくような感触。
静脈も動脈も、心臓の働きも全て無視して、体の中に流れる体液という体液が、すべて熱をもって背中に向けて走って行くようなその感触。

「・・・あ・・・!」

声が、出る。
そう思った瞬間、魔族の長はわたしに視線を送った。

ほんの一瞬、絡む視線。

どくん。どくん。

わたしの体の中の何かが、あの男の視線に呼応して、声にならない声を出そうと蠢く。
背中を突き破ろうとしているその力は尚のこと大きくなっていき、わたしはついにクリフトに体重を預ける。

「・・・マリアさん?」

「アッテムトへ!」

魔物達の叫びは一層大きくなり、次の瞬間、デスピサロは室内から姿を消した。
アッテムトへと飛んだに違いない。
最高潮を迎え、魔物達はみな後を追うようにルーラに似た呪文を唱えて室内から次々に姿を消していく。
アッテムト鉱山に封印されていた、地獄の帝王を復活させるために。




「マリアさん、しっかりしてください。どうしたんですか」

それから、どれくらいたったのだろうか。
室内はしんとなり、もはや誰一人も残っていない状態で、わたしたちの変化の術も解けていた。
わたしはただ、クリフトにもたれかかって、彼の体温を感じていた。
背中に痛みはまだ残るけれど、熱さは少しずつひいていき、そして。
まるで、クリフトの腕の中で、癒されているような。そんな恥ずかしい気がした。

「マリア、どうしたのよっ、これ・・・」

マーニャが叫んで、そっとわたしの背中に触れた。わたしの服は背中が大きくあいているものだから、肩甲骨や背骨の位置がすぐに見ることが出来る。どうして、そんな急所がわかりやすい服を着せるのか、村にいるときにお母さんに聞いたことがあった。お母さんは、小さく悲しそうに微笑んで、いつかわかる、とだけ言ってくれたけれど。

「つうっ!」
「マリアさん!?」
「・・・マーニャ・・・わたし、背中、どうなっている?」

「縦に・・・赤い傷みたいな・・・ミミズ腫れみたいになってるけど・・・内側からなんか、もりあがってるわよ。どうしたの、これ、ここに来たときにはなかったじゃない。熱くなってる。左側だけよ・・・触ってもいいの?」

「触って。どこからどこまでそれがついてるの?」
「ここから・・・ここまで・・・」

マーニャの指がわたしの背中にそっと触れる。肩甲骨のあたりから、ちょうどわたしの背中が露出している腰近くまで。

「外からついた傷に見えないよ。どうしたの。変化の杖が何か、悪さしたの?マリア、痛い?ねえ、クリフト、この傷、治してあげてっ・・・」

アリーナは慌ててクリフトにそうまくしたてる。
クリフトはそっとわたしから離れようとするけれど、わたしはまだ体を預けたままだ。

「マリア、クリフトちゃんにもたれてたほうが楽なの?なんか、脂汗かいてるわよ。つらいの?」
「ん・・・もうちょっと、落ち着くまで・・・体、動かしたくない」
「役得ねえー。あたしも今度から具合悪かったら、その手でいこうーっと。いい?クリフトちゃん」
「役得って、なんですか!」
「役得ってなあに?」

ああ。
そんな彼女達の声に安堵して、わたしは瞳を閉じる。
アッテムトにいかなければ。
地獄の帝王とやらの復活を妨げなければ。
あの男を殺さなければ。

「マリアさん、大丈夫ですか」
「うん・・・なんか、急に体がおかしくなって・・・」

少しずつ容態が良くなってきたわたしの様子を見て安心したらしく、アリーナはわたしの背中にそうっと触って、それから呑気に言った。

「ねえ、なんか、ここから翼が生えてきそうね」

その言葉を聞いて、クリフトの体が強張るのがわたしには感じられる。

もしも翼が生えるならば。
わたしは、片翼で。
そして、黒い翼に違いない。
そんなことを考えながら、わたしは、クリフトの胸の中で、あの冷たい瞳の男を思い出していた。
わたしの背中に生えてくるのは翼なんかじゃない。
もしも、翼だとしても。
それは、憎しみを凌駕する、人が持ってはいけないどす黒い感情が形になっただけのものだ。

癒して。
わたしは、クリフトの胸の中で。

殺したい。
あの冷たい瞳の男を思い出していた。

Fin



モドル

いつもと趣向が違うドラクエ4でございます。ラヴァーズでもなんでもないよ。タイトルに反していやーーな(笑)話でごめんなさい。マリアにとってクリフトが天使なのね!?と乙女なイメージでクリックしてくださったみなさん、ごめんなさい。もちろん、そんな人はこのサイトのDQ4なんて読んでいらっしゃらないと思うのですが(汗)どっちかというとアリーナが天使だな、これ。
こんな風に、今どこでどーゆー状況で、というのをかなりはぶいて、ゲームやってる人が読んでいるんだからわかるでしょ?みたいな書き方で完全依存したのは久しぶりです。んでもって、うちのサイトのドラクエ4はFC版なので、これが実質初めてデスピサロとまみえる場面です。山奥の村の宿屋で出会ったりはしておりません。
で、翼については当然、天空人の血が云々というベースがありますけど、だからってこんなファンタジーくさく翼が生えてくる、なんてあたくしらしくない話です。