月の欠片 プロローグ

デスパレスと呼ばれる、魔物だけが住んでいるその城の主は、最近は城を留守にしていることがもっぱらだ。
けれども、その日は珍しく朝っぱらから主が城内を闊歩しており、城仕えの魔物達は誰もが「何事か」と内心びくついていた。
彼らの主は、強大な魔力を持つだけではなく、強靭な肉体、そしてどれほどの魔物をも寄せ付けぬ剣術を身につけている。彼の存在がまだあまり知られていなかった頃、『生意気な魔族の青二才だ』とたかを括って彼に勝負を挑んだ魔物のほとんどは、一瞬にして命を奪われたものだ。
「お食事はどういたしましょうか」
「いい。食事のために寄った訳ではない」
主が留守にしていても、魔物達はまるで人間のようにそれなりに城内を綺麗に清掃し、いつ彼が戻ってきても良いようにと体裁は整えられている。別段彼らの主は綺麗好きではなかったし、彼自身そうしろと命令をした覚えもなかったが、自発的にそういうことを行う魔物もいくらか存在するのだ。
戦闘力も大してなく魔力も知恵もない魔物の中には、そういった人間くさいことでしか己をこの城に身を置く権利を得られない者もいる。とはいえ、その本人はどう思っているかはともかく、周囲の魔物のほとんどは「城を綺麗にしておく」重要性などこれっぽっちも感じてはいなかったのだが。
まっすぐで腰まで伸びた銀髪をなびかせ、主は大股で城内を歩く。御用聞きを、とその後ろについて歩く魔物を、彼は面倒臭そうに追い払った。
「わたしに構うな」
そう言い残して彼が入った部屋は、デスパレスの中でも余程のことがない限り魔物達が入ることが許されないいくつかの部屋のうちの一つだった。
もともとその部屋は、彼らの主が使っていた部屋ではない。
エビルプリーストという名の、この城の主にとっては右腕と呼ばれてもおかしくない地位にいた、人型の魔物が出入りしていた部屋だ。
彼は、その部屋に入ると鍵を閉め、部屋の奥に進んだ。
書物が並ぶ棚に、テーブルに椅子。
いかにも知能が高い人型の魔物が好みそうな部屋だ。
だが、彼が用事があるのはその室内ではない。
部屋の奥、本棚と本棚の隙間。
その前に立って、彼は一つの本棚から書物をごっそり5冊ほど抜き、床に無造作に落とした。
すると、その書物があった場所には、ノッカーのように手をいれて掴むl形をした何かが姿を見せる。
彼はそれを掴んで、ぐいと引いた。
どうやらそれは隠し扉を開けるスイッチのようで、隣の本棚が横にスライドして隙間を広げ、人一人が通るには十分過ぎるほどの大きな入り口がぽっかりと姿を見せる。
その中は暗かったが、火を灯すための燭台が入り口すぐ側にある。彼は魔法でそれに火をつけ、中へ進んだ。
隠し部屋と思われる空間はとても狭く、すぐに下へと続く長い梯子が現れた。彼はそれに足をかけて降りて行き、途中に設置されている燭台にまた彼は火を灯す。
彼が降りた梯子は相当に長く、地中深く部屋が作られていることがうかがわれる。本当の隠し部屋は、どうやらデスパレスの地下に存在するようだった。
とん、と梯子から降りて、また近くの燭台に火を灯すと、温かな光に照らされて目の前に扉が見えた。
「入るぞ」
彼は、ノックもなしにその扉を開ける。
その部屋には、床にごろごろと「何かの生物」らしきものが転がっていた。
獣のようなもの、もっと下等なスライムのようなもの、人間に近い形のもの。
それらは魔物の死体であったが、魔法の力で腐食を止められている。中には、仮死状態のまま二度と戻らない眠りについている哀れな物もいるが、彼はそれらにまったく関心がない。
死体にちらりとも目もくれず、彼は部屋の奥へと進んだ。
奥にはベッドのようなものが三つほど。しかし、それらの本当の用途は、生き物が睡眠をとるためのものではない。
進化の秘法をベースとした、エビルプリーストが個人的に行っていた実験を施すための、検体を横たえるための場所だ。
「眠っているのか」
「ピサロ様」
その中の一つには、男性が寝転んでいた。
彼が声をかけるとその男性はゆっくりと上半身を起こし、ベッドから降りようとした。が、彼はそれを「いい、そのままで」とおし留める。
「失礼いたしました。少し、深い眠りに入っていたようで」
「仕方がない。蘇生したばかりにしては、それでもかなり順調な方だろう」
ベッドの上で半身を起こしている男は、ピサロと呼ばれたこの城の主と同じく尖った耳を持つ、筋肉質のしなやかな体を持った魔族の男性だ。
「体の感覚はまったく問題がないですし、思いのほか筋肉の衰えもなく、あとは眠りの周期を整えて、外界に体を慣らせば」
「眠りは、どうだ。相変わらず今のような、深すぎる眠りが多いか」
「いえ。かなり少なくなりました。あと2、3日もすれば、以前と変わりなく動けるのではないかと思います。前回いただきました剣で感覚を戻しましたし、あとは」
「そうだな。体がここまで復活すれば、もう一度鎧との同機をし直すことも出来よう。ふん。エビルプリーストには散々腹立たしいことをされたが、お前を進化の秘法の検体に選んだのは、感謝すべきことだな」
部屋の片隅に置いてある、緑色に鈍く光っている甲冑をちらりと見て、ピサロはくっく、と笑った。
それへどう答えて良いかわからず、男は僅かに眉を寄せて黙っている。
「進化の秘法の完成がもっと遅ければ、お前の体で試されたかもしれぬな。さすれば、それなりには厄介な敵となったことだろう」
「・・・そうならずに済み、良かったといいますか・・・なんと申し上げれば良いか」
「食糧は足りているな?」
「はい」
余計な話をピサロは続けない。それは彼の長所でもあり短所だ。
そして、彼がそういう性質であると知っている男は、とりたてて抗議もせずに素直に答えた。
「では、あと三日だ。迎えに来てやる。ありがたく思え」
「はっ・・・勿体無きお言葉」
「ロザリーに顔を見せるが良い。あれは、自分のせいでお前が死んだと思っているからな」
「それは、わたしの力不足以外の何物でもありません」
「そんなことはわかっている。が、あれは、そうは思わぬ生き物でな」
「・・・確かにそうかもしれませぬ」
「鎧と体を同機していたとしても、お前が死んでも鎧は残ろうものなのに、ロザリーヒルから鎧も消えたとあっては疑うのも当然だ。だが、事実確認をするのが後手になったため、まだロザリーにはお前のことを話していない。あれが心を傷めた分、それなりに責任をとれ」
「はっ。これからは、ロザリー様に何人足りと手出しをさせぬよう、更に尽力いたします」
「いや、ロザリーの護衛は今のところはいい。今は、ほとんどわたしがロザリーヒルにいるからな」
ピサロの言葉に、男は驚いたように目を見開いた。
「・・・そうなのですか。では、わたしは」
「お前には、他にやってもらいたいことがある。でなければ、負け犬などに蘇生を施すほどの義理はない」
ピサロは男を貶めるようにそう告げた。が、彼はまったくそれに怒りを表さなければ、その言い草も当然とばかりに受け入れ頭を下げた。
それ以上特に話すことはなかったようで、退出の言葉も何もないままピサロは背を向け、魔物達の死体の間をすり抜けて行った。
残された男は、己の主が部屋を出るまでじっと身動きせず、頭を下げ続けているのだった。



「ロザリーちゃん。今日はピサロ様はいないの?」
「ええ。でも、夕方にはお戻りになるって」
ロザリーヒルの町にある塔の最上階で、ピサロの恋人であるエルフのロザリーは窓から外を眺めていた。その足元には、一体のスライムが飛び跳ねて彼女に懐いている。
平穏な毎日。
日に一度は声をあげて笑える幸せ。
それが、彼女がようやく手にすることが出来た、夢でしか味わうことが出来なかった憧れの日々だ。
デスピサロと名乗ったピサロが、人間達をねじ伏せて世界を魔族のものにしようとしていた過去が、とても遠い夢のように時々彼女は思う。
その野望実現のために、彼はロザリーの傍から離れることが多くなり、彼女はひたすらに彼の訪問だけを待ち続けていた。彼女が流す涙はルビーに変化するため、長年欲にまみれた人間達に狙われていた。そのため、彼女はこの塔に閉じこもり、身を守るしかなかったのだ。
心優しい彼女は、ピサロの野望を善しとしなかった。
けれども、彼女には彼を止める力はなく、出来ることといえば祈ることのみ。
その祈りを聞き届けたのは、悲しいかな、ピサロ本人ではなく、天空の血を引き世界を救うとされた、勇者マリアとその一行だった。
ピサロの野望は、マリア達の力のみならず、彼の部下であったエビルプリーストの裏切りによって打ち砕かれた。そして、マリア達とピサロは協力して最たる悪であるエビルプリーストを倒し、ようやくロザリーにとっても平穏な時間が訪れたのだ。
ピサロが今後また人間を滅ぼすなどと、同じようなことを考えないとは限らないけれど、少なくとも今彼はロザリーの傍らにいる時間を大切にしている。そのことが彼女にとっては限りない喜びであり、彼が隣にいる時は、この塔から降りて町の人々と交流をすることも今は許され、新しい生活が二人の間には始まったのだ。
それは、彼女がずっとずっと夢見ていたことだ。
自分の傍らにピサロがいてくれて。
そして、自分達以外の人々と触れ合うことが出来ること。
それを最初にもたらしてくれたのは、実のところピサロではなく、ピサロの野望を止めようとしていた天空の勇者マリアだと彼女はわかっている。
ピサロを裏切り、世界を掌中に収めようとしていたエビルプリースト。
彼は、その野望のために人間を使ってロザリーを一度は殺し、ピサロの心に人間への憎悪を刷り込んだ。ピサロはエビルプリーストの手のひらで踊るように人間を憎み、滅ぼすために、進化の秘法という禁じられた技術を自分の体に行使した。それは、最終段階まで完成に近づいていたけれども、それでもやはり不完全な進化をピサロにもたらした。
しかし、マリアのおかげでロザリーは生き返ることが出来、それをきっかけとして進化の秘法から解き放たれたピサロは、エビルプリーストを倒すためにロザリーと共に勇者達の旅に同行した。
ずっと待ち望んでいた「ピサロと共に」生活を送る日々。そして、自分達以外の誰かとの交流。
それは、ロザリーヒルで行われるよりも先に、マリア達との旅でロザリーには得ることが出来たのだ。
それがどれほどの喜びだったのか、もしかするとピサロはよくわかっていないかもしれない。
目覚めればピサロがそこにいて、大人数で食事を摂り、嫌いなものはないか、何が好きか、と誰かに気を配ってもらい、誰もロザリーの生命を脅かそうとしない優しい空間。
その旅が終わって、まだふたつき。
だというのに、それが一年も二年も前のことだと感じてしまうのは、どうしてだろう。
(・・・ピサロ様は、あれから人間に対しての憎しみや、魔族のための世界がどうの、とか、そういうことを口にしていない)
だが、それは彼がすっかりそういう気を無くした、というわけではないことをロザリーは知っている。
ただ単に、彼にはそれ以外に気にかけなければいけないことがあるのだ。
もちろん、その中には、ロザリーを護ることが相当に優先事項になっていることを、彼女自身実感している。
けれど、もう一つ。
ロザリーが物思いに耽っていたその時、突然扉をノックする音が響いた。
「・・・ピサロ様・・・?」
ではない。
彼が扉をノックする音は、もう数え切れぬほど聞いており、たとえ彼の気持ちが乱れて苛立っている時だろうと、疲れている時だろうと、それを聞き間違えるはずはない。
それに、このノックの音は、聞き覚えがある。
ロザリーは目を見開いた。
彼女からの応答がないことに扉の外の人物は苛立つ様子もなく、ただ、ゆっくりと入室の許可を求める言葉を発してきた。
「ロザリー様。ピサロナイトで御座います。不都合がなければ、ご挨拶をさせていただきたいのですが」
「・・・ナイト・・・さん・・・」
耳に記憶されている、その声。
ロザリーは慌てて窓辺から離れ、足早に扉に向かった。
ピサロナイト、と彼に称号としてその名を与えたのはピサロだ。
ピサロを納得させるほどの剣術の腕前を持つ彼は、ロザリーの護衛としてこの塔で長い時間ロザリーを護っていた。
ロザリーはピサロ以外の者に「ピサロ」という名を呼びたくなかったため、彼を呼ぶことに初めから抵抗があった。
ピサロナイトという名を与えられる前はなんと言う名前だったのか、と尋ねても、彼はそれを口には決してしない。仕方なく、彼女は彼を「ナイト」と呼ぶことにしたのだ。
それはそれで彼も困惑を隠せず、慣れるまでに相当時間がかかったものだが、いつの日か何の違和感も感じずにその呼びかけを聞けるようにもなった。
「ナイトさん!?」
鍵を解除して、迷うことなくロザリーは扉を開けた。
そこには、緑の鎧を身につけいつもその場所で彼女を護っていた、ピサロナイトが間違いなく立っていた。
「長い時間、留守にしておりました」
彼は、その場で跪いて頭を垂れた。
「わたしの力が及ばず、ロザリー様を危険な目に・・・いえ、そんな言葉では表せぬほどの、残酷な体験をさせてしまったと、ピサロ様から聞いております。お怒りとは存じますが、せめて、ご挨拶だけでもと思い、お伺いいたしました」
「ナイトさん・・・本当に、あなたなのですね?顔をあげてください」
跪いた彼の前に、ロザリーもまた膝をついた。
いつも兜を被っている彼であったが、ゆっくりと顔をあげながら眉庇(まびさし)を上に押し上げた。
その下から僅かに見える、兜の奥の瞳。
それは、間違いなくピサロナイトのものだとロザリーは確信した。
「生きて・・・生きていらしたのですね」
「エビルプリーストによって、死ぬ一歩手前、本当に直前の状態で体を保存されておりました。進化の秘法の実験体として、興味をもたれていたようです。無理に鎧を脱がされなかったため、一命を取り留めたのだとピサロ様はおっしゃっていました」
ロザリーは、彼の言葉の意味がよくわからない。
彼が身に纏っている甲冑は、特殊なものだ。
それは、彼の生命力を増幅させ、致命傷と言える傷を与えられても鎧と「同機」している間はその恩恵を受けることが出来る。そして、その鎧は誰もが着用出来るわけではないし、誰もがその「同機」を行えるわけではない。彼は甲冑に選ばれるほどの体と心を持った男だ。けれども、それを知っている者は今はピサロと彼自身のみだ。
それらのことを詳しく説明を求められればいつでもピサロナイトは答えるつもりはあるが、ロザリーは決してそういったことに深入りをしなかった。
「よくわかりませんが・・・ともかく、生きていてくださって、本当に、よかった」
「そのような・・・ロザリー様をお護り出来なかったこの身に、過分なお言葉」
「わたしも、一度死んだのですが、マリアさんが・・・ああ・・・えっと」
「わたしを倒した、緑の髪の」
「・・・そう。そうです。マリアさんが、わたしを生き返らせてくださいました」
「天空の血を引く勇者だったとか。ピサロ様に少しだけ話をお伺いいたしました」
「ともかく、こちらにいらして。お茶を出しましょう。そうそう、ピサロ様は一緒では?」
「夕方頃にはお戻りになると」
ロザリーは立ち上がって、茶器に手を伸ばした。
そこでようやく、彼女に懐いていたスライムもピサロナイトの近くに寄ってきて「生きてた!生きてた!」と彼の周囲をぐるぐると飛び回る。
兜の奥で小さく笑みを浮かべると、ピサロナイトは扉を閉めて、慣れ親しんだ室内に足を運んだ。
「今日からまた、この塔で一緒に暮らせるのでしょう?」
「いえ・・・実は・・・ピサロ様の命で、しばらくこちらを離れることに」
「・・・え・・・」
「それで、その前にご挨拶を、と思いまして」
ロザリーは手を止めて、静かにピサロナイトを見た。
それから、少し何かを考えるように眉根を寄せてから、彼女は小さなポットをスライムに差し出した。
「これに、お湯を貰ってきてくれるかしら?さっき持ってきたお湯は、三人分ないから。もし、ビスケットがあったら貰ってきてね。ナイトさんに食べさせてあげたいから」
「ぷるぷるっ!わかったよ!」
スライムは器用に自分の突起部分にポットの取っ手をひっかけた。熱くなると困るため、ロザリーはポットに丁寧にタオルを巻きつけて、「気をつけてゆっくりとね」と声をかける。
以前は部屋の外にほとんど出ることのなかったスライムも、今ではロザリーから「お使い」を頼まれて、教会にいったり道具屋にいったりとあちこち行くことが出来る。そういう単純な頼まれ事をされると、知能の低いスライムは大喜びでお使いに行く。
それを見送って、ロザリーはピサロナイトに椅子を勧めた。
「・・・ロザリー様。わたしは、ビスケットなどは・・・」
食べないわけではないが、そう好まないことを彼女は知っているはずだ。
であれば、スライムに頼んだその「お使い」は、人払いなのだろうと彼は気付いていた。
ロザリーは茶器を並べた後、部屋の奥にある、服をしまっておくクローゼットの扉を開けた。
女性用のドレスはどれも長く、その扉の上から下まで布が並んでいるように見える。その中に彼女は手をごそごそと入れた。
かつん。
小さな金属音に、ピサロナイトは目を細める。
「これは、素晴らしい剣でしょう?」
ロザリーはそう言いながら、クローゼットの奥から一本の剣を取り出した。
「・・・それは・・・」
「奇跡の剣というものです」
ロザリーはピサロナイトに、その剣を渡した。
確かに彼女が言うようにそれが素晴らしい剣であることは、手にとっただけでピサロナイトにもわかる。
それほどまでの力を秘めた武器というものは、そう滅多にお目にかかることが出来ない。
ピサロナイトは驚いて、ロザリーを見た。
「・・・それは、勇者マリアがピサロ様を倒すために、最後に手にした剣です。ピサロ様は、マリアさんに、魔法で負けたようですが・・・剣術でも、遅れをとるわけではなかったと思います」
「なんと・・・!」
ピサロナイトは素直に驚きの声を発した。
それは、ピサロに魔法勝負で勝ったということに驚いたわけではない。
彼が知っている「緑の髪の勇者」は、まだその才覚を表しきっていなかった時の、未熟な剣術でがむしゃらに戦っていた頃のものだ。
多勢に無勢で負けを喫してしまったが、その当時の彼女がこの剣の持ち主として相応しい存在だとは彼には思えなかったし、当然ピサロにひけをとらないほどの力があるとも思えなかった。
それが、いかほどの成長を遂げたというのか。
彼は、自分らしくもなく声をあげたことを心の中で僅かに恥じた。
「あなたは、ピサロ様にとって大切な部下。そのあなたに、わたしの護衛以外にピサロ様が頼むことは・・・いいえ、そうではないですね。あなたにしか、きっとピサロ様は頼めないのでしょうね」
「ロザリー様」
そう言ったロザリーの表情はわずかにこわばっていた。
そのことに気付いた彼は、表には出さなかったけれどもわずかに動揺をした。
彼が知っている彼女は、ピサロが世界の頂点に立つという野望を口にし、人間を滅ぼすと宣告した時や、そのことについて考える以外にそういった表情を見せる人ではない。
彼女は瞳をそっと伏せた。その、物憂げな悲しみをたたえた表情を、彼は知っている。
今、彼女はピサロのことを考えているのだろう。彼女がなぜこの剣を持っているのかは彼にはわからなかったが、薄々彼は「ロザリー様は知っておられる」と感づいた。
そして、彼女は彼のその直感が正解であることを示すように、静かに問いかけた。
「あなたは、その剣の持ち主を、探しに行くのではないですか」
「・・・それは・・・お答え、いたしかねます」
「ピサロ様は、わたしがこの剣や・・・他にも盾など、マリアさんが最後に装備なさっていたものをロザリーヒルに持ち込んだことをご存じではありません。剣以外はホビット達に預かってもらっているので、ここにはありませんが」
ピサロナイトはロザリーの言葉で心を揺らされた。
では、何故ここにあるのか。それを聞く権利を与えられるのは、きっと彼女の先ほどの問いに答えてからだ。
しかし、彼は主からの命令を他人に漏らすような真似を、たとえロザリーでもしたくはない。
ただひとつ、間違いないことは。
ロザリーは知っている。そして、ロザリーがどこまでを知っているのか、ピサロは完全には把握していない。
そのことだけを彼は確信した。
「何故、ロザリー様はそう思われるのですか?わたしなぞ、ピサロ様の野望を打ち砕いたその勇者のことはほとんど存じ上げませぬ。そんな者に、ピサロ様が何故そのような任を与えましょうか?」
その彼の疑問は、実際に彼自身が抱いていた正直な感想だ。
彼がピサロから与えられた情報は少ない。
勇者マリアとピサロは、エビルプリーストを倒した後、いくらかの時を置いてから勇者マリアの故郷で決着をつけるため戦った。
その勝者はマリアであったが、ピサロにとどめをさすことなく彼女は姿を消した。
各地に散らばる彼の部下に探させても、彼女はみつからない。どうやら、彼女の仲間達もまた、彼女の失踪を知らないようだ。
いや、知らない、と言っているのはピサロであって、実際に勇者マリアの仲間達がどう思っているのかはまた別なのだが。

「やつらの仲間の一人に、腕の良い占い師がいる。が、勇者の位置は特定出来ないのだそうだ。きっと、天空のやつらの手管だろう」

「その占い師とやらも、勇者の失踪を心配しているのではないですか?あるいは、本当はわかっていて、ピサロ様には・・・」

「・・・どこからどうやってか、勇者は仲間達に、旅に当分出るという書状を送ったようだ。馬鹿馬鹿しくもやつらは、あの女のその言葉を信じて、無駄な詮索はしないという。人間共の考えていることはよくわからぬ」

その時ピサロナイトは決して言いはしなかったが、正直なところ驚いた。何故なら、ピサロが『その占い師が勇者を信じている』ということを、ピサロもまた『信じている』のだから。
そして、ピサロともあろう者が、その人間の占い師に勇者マリアの行方を尋ねに行ったということも彼には驚きだった。
「それを、持って行って下さい。あなたがお使いになっても、きっとマリアさんはお怒りにはならないと
思います。そして、もしもあなたがマリアさんを探すことが出来たら」
ロザリーは儚げに微笑んだ。
「たとえ、もしマリアさんが戦うことがなくとも、マリアさんの装備はお預かりしていますから・・・せめて、トルネコさんに・・・マリアさんのお仲間の武器屋さんに、マリアさんの手で渡してあげたらどうかと、そう伝えてください」
わかりました、と答えることの出来ない依頼。
ピサロナイトは暫くの間剣を見て、そして
「残念ながら、この剣はわたしには使いこなすことはできないようです。これは、魔族との相性の悪い剣。それに、どうやら使う者に生気を与える力があるようですが・・・わたしは、この鎧と同期している以上は、他の加護を受け入れることはできないので」
「でも、持っていくことは出来るでしょう?」
「・・・」
彼は、苦渋の選択を強いられていた。
(まさか、蘇って早々、これほど面倒なことになるとは)
「急がないと、あの子が帰ってきてしまうから・・・ナイトさん。わたし、少々独り言が最近多いのだけど、許してもらえるでしょうか」
そう言ってロザリーは、彼に背を向けて窓辺に近づいた。
「どうしてピサロ様は、マリアさんを探すのでしょうね。マリアさんを殺すためかしら。ご自分があの方に敗れたことが、許せないのかしら」
「・・・」
「・・・でも、わたしは、そうではないと思うんです」
静かな声。
それは、悲痛な彼女の心を物語るように、時々掠れる。
「あの方が何かに執着をすることがあるなんて、不思議じゃないですか?」
「!」
「・・・あなたは、ピサロ様の命令に逆らう方ではないとわたし、知っています。でも、もし・・・もし、わたしに何か聞きたいことがあれば・・・いつでも、ここにいらしてくださいね」
そう言ってロザリーは微笑を浮かべて振り返った。
一瞬だけ、彼女の言葉が今から何かの核心に触れようとした、とピサロナイトは感じていた。が、彼女はそれ以上はもはや口にせず、するりと椅子に座る。
ちょうどその時、扉の外でかちゃかちゃという音が近づいてくることにピサロナイトは気づいた。
終わったのだ。
彼女から、彼に投げかけたかった言葉を伝える時間が。
「ロザリーちゃん、お湯、もらってきたよう〜」
「ありがとう」
扉を開けて戻ってきたスライムは、湯が入って重たいはずのポットを器用に運んでいた。スライムの特徴である頭部の突起には何か袋が結ばれている。
「ビスケットもたくさんもらってきたからね!」
それへはピサロナイトも苦笑をせざるを得なかった。
何故なら、確かにそのビスケットが入っている袋は、どんなにロザリーが甘いものが好きでもなかなか食べきらないだろうほどの大きさだったからだ。



夕方頃にロザリーヒルに戻ったピサロは、ロザリーに薄汚れた茶色い仔猫を手渡した。
土産だと言い放って、彼は別段おもしろくもなさそうに手袋を外した。その手袋は汚れており、彼がその仔猫を拾ってから、そう時間が経っていないことを物語っている。
ロザリーは仔猫を受け取って礼を言い、ピサロナイトが来たことなどを話したが、彼の返事は「そうか」というただの一言だけだ。
ピサロとロザリーは夕食を共に食べ、食事の後はロザリーは仔猫を洗おうと手桶を借りてきた。それまでは仕方なく蓋のついたかごに入れておいたが、かごの中で暴れた仔猫はそこら中に土をつけ――ピサロがどれだけ無造作に持ってきたのかがわかる――諦めたのか静かにしていた。
「洗うのか」
「はい」
「猫は、水は好きか」
ぞんざいな質問だが、そんなことに気を回すピサロはとても珍しい。いや、そうではない。ロザリーと出会った頃の彼は、この程度のことならば時折言葉にしていた。
魔族の長として、多くの魔物を従えて野望に心を奪われた彼は、少しずつ他者への興味を失っていったようにロザリーには思える。彼はロザリー「だけは」大切にしてくれていたが、そのこととロザリーに興味があるということはまた別だと彼女は気付いていた。
ロザリーヒルでロザリーと共に過ごすピサロは、時には暇を持て余しているようにも見えるけれど、以前ほどそれを苦にしなくなっている、とロザリーは思う。それは、昔のように他者――この場合は、ロザリーだが――に対する興味が多少は気が動くようになったからかもしれない。
相変わらずピサロは人間のことを好ましくは思っていないが、このロザリーヒルで商いをしている唯一の人間とは時々話をするし、今日も「猫というものは、何を食べるのだ」と、他の誰が聞いても馬鹿にされそうな質問を投げかけてきたらしい。それは、彼にとって良いことなのだろう、とロザリーは思う。
「もう、ミルクだけというほどは小さくないらしいな」
「そうでしょうね」
水を嫌がって暴れる仔猫をなだめることは相当に難しい。
けれど、ロザリーはそうたいしたこともない、という風にあっさりとやってのけた。
その様子を見てからピサロは
「道具屋が、猫の餌になるものを用意してくれるといっていた。寝床になるワインの箱も埃を拭きとって待っているはずだ。取ってこよう」
「あら。ピサロ様がわざわざ御出向きにならなくても」
わたしが行きますのに。
そう言葉を続けようとして、ロザリーは口をつぐんだ。
ピサロは立ち上がって、足元にまとわりつくスライムを追い払いながら扉に向かった。
ぱたん、とその扉が閉まる音を背中で聞いてから、ロザリーは仔猫をタオルで包み、十分に拭き終わってない状態でも手を離して解放してやる。
仔猫が走り回り、水滴を飛ばされたスライムが嫌がって声をあげたが、ロザリーは苦笑をするだけでそのまま窓辺に近寄った。
その夜は、ぽっかりと丸い月が明るく照らす、見事な月夜。もう少し遅くなれば、その光は更に冴え、この窓から部屋に月明りが差し込むことだろう。
(きっとピサロ様は、今日はわたしと一緒にこの月を見たくはないのだろう)
だから、少しの間でも一人にして差し上げよう。
ロザリーは、塔の上から決して下を見下ろさない。
見れば、きっとピサロが道具屋に向かう姿が見えるに違いないからだ。
そして、もしも本当に彼が足を止めて空を見ていたら、自分は泣いてしまうかもしれない、とロザリーは思う。
(ピサロ様が、マリアさんと、いつも見ていた満月)
きっと今晩は。
いつもならば寄り添って眠っているはずのピサロは、夜中に目覚めて、空を見上げるに違いない。
勇者マリアとの決着をつけたはずのあの日以来、彼は決してそうはしなかったけれど。
まるで、もう満月の夜は自分には必要がなく、二度と「あの逢瀬」が訪れることはないと、ピサロが自分自身に言い聞かせようとしていたのではないか、とロザリーは思う。
ロザリーは胸元で手を組み合わせ、祈りのポーズを作った。
「ナイトさん・・・」
本当に彼がマリアをみつけたら。
ピサロはどうするのだろうか。
マリアを殺すのだろうか。
それとも。
いや、そもそも自分はどうしたいのだろうか。
慣れぬ部屋を恐れてみゃあみゃあと泣きながら走る仔猫を、ロザリーはそっと抱き上げた。
ピサロがロザリーを拾ってこの塔に閉じ込めたように、この仔猫を拾ってここへ連れてきたように。
同じように、あの緑の髪の勇者をピサロが扱うわけはないのだ。
「ロザリーちゃん!今日はお月さまがまんまるだね!」
「ええ、そうね・・・奇麗な月だわ。ナイトさんも、どこかで見ているのかもしれないわね」
ロザリーは静かにそう答え、仔猫をもう一度タオルで拭いた。
この仔猫に、なんという名前をつけようか。
(それは、ピサロ様に決めてもらってもいいかもしれない)
腕の中の小さく温かい生命を抱きしめながら、ロザリーは夜の空をもう一度見上げた。
ぽっかりと浮かぶ満月はあまりに美しすぎて、涙が浮かびそうだ、と彼女は瞳を閉じる。
その時、彼女の腕の中からするりと仔猫はすりぬけて、部屋の隅に走っていってしまった。
それを追おうと瞳を開けた瞬間。
彼女の足元に、小さな紅いルビーがかつんと落ちた。



Fin


次話へ→
モドル