月の欠片――彼女の轍――


逃亡者が隠れる先は、大都会か本当の僻地のどちらかが選ばれるものだとピサロナイトは思っていた。
ブランカへ行き、エンドールに行き、ボンモール、レイクナバと彼は北へと足を運んでいったが、ある日はたと気づいた。
もしも、彼女の逃亡が「ピサロから」の逃亡であったならば。
天空城に身を隠すことが最も容易だが、それはないだろうとピサロは言っていた。
となれば、他にピサロが出来うる限り足を運びたくない場所。魔物が近づきにくい場所。
(ガーデンブルクか・・・)
ピサロナイトは重い気持ちでガーデンブルクへと向かう。
女性ばかりの城、女性ばかりの街。
しかも、城下町に足を踏み入れることが許されるのは、門番のチェックをくぐりぬけたものだけだ。
最近は男性が訪れることも多くなったらしいが、それでもあの国の敷居の高さは尋常ではない。
女性同伴でない場合は「ガーデンブルクに有益をもたらす者のみ許可をする」という判断基準が存在する。
当然ピサロナイトは女性同伴するにも、ロザリーに頭を下げるわけにはいかない。
となれば、その「有益をもたらす者のみ」に該当するしかないのだが、どう考えても魔族である自分がそれに該当するとは思えない。
もうひとつの項目として「有益=金を落とす」という意味合いもあるため、観光客として数日の短期滞在をする者が許される場合もあるらしいので、彼に残された道はその方法だけだ。
(とはいえ、観光客が鎧を着込むのも)
そう考えて、鎧と兜は布に包んで「旅先で購入した土産」と言い訳をしようと、仕方なくピサロナイトはそれを背負ってガーデンブルクに向った。
彼のその様子はさながら商人のようで相当涙ぐましい姿なのだが、もしもピサロが見ていたら、鼻であしらうことだろう。
が、彼のその努力は手放しで報われるものではなく、そこまでやってもガーデンブルクの門番の検閲は相当に厳しいものだった。
ピサロナイトがガーデンブルクに入国する前に門を通りがかった男性は、帯剣していた。
簡単なボディチェックのみでその人物はそのまま門を通ったのだが、ピサロナイトはそうはいかなかった。
「剣を預かろう」
門で彼のボディチェックをした女兵士はそう言い放った。
「何だと」
「観光ならば、剣はいらぬだろうし」
「では、何か危険なことが起きた場合、どうすれば良いというのか。それに、ここで預かられても、剣はこの国の武器屋で購入出来るだろう。無意味だ」
「逆らうのであれば、入国を許可出来ない」
彼よりも後からやってきた、見るからにただの旅人といった風情の少女が、ほとんどノーチェックで門をくぐっていく。
また、その後にやってきた商人も。
どうして自分だけがここまで時間を割かれるのか、ピサロナイトは苛立った。
「・・・この剣を預ければ、もう通してもらえるのだな?」
仕方がない。
自分で言ったように、この国の武器屋で購入するしかない。
「ここを出る時には、返してもらえるんだろうな」
「それは、約束しよう」
「ならば、預けよう」
ごねていては、問題になるだろう。
彼は苛立ちながらも、入国するために譲歩した。


門兵からの尋問から解放されて城下町に入ったものの、そうほどなくして兵士達の視線が痛い、とピサロナイトは気づいた。
入国の際から彼は「絡まれた」と思って気にはなっていたが、ようやく入ってみればこの様子だ。
(明らかに、他の旅人への視線とは違う)
ある意味でガーデンブルクの兵士達は優秀であり、そして、ある意味では世間知らずであるのだろう。
もしも彼が同じ立場で、彼を「警戒している」のであれば、むしろそう思わせぬように、もっと配慮をする。
実際、ピサロナイトが思っていることはまったくその通りで、ガーデンブルクの女兵士達は相当に優れており、しかしながら、国から出た経験が少ないせいなのかいささかわかっていない部分もあった。
この国の兵士達は、自分達が警戒する相手に対して無言の圧力をかけて、不祥事を起こさせなように抑え込もうとする傾向にあるようだ。
以前と違って男性の入国も増えたのだから、むしろその行為は逆効果となる場合もであり、時には警戒する相手を多少は泳がせた方が良いことだってある。
それを、彼女たちはいまだよくわかっていない。
ピサロナイトは自分に対して無防備に与えられたその視線の意味を探ろうとした。
ひとつはわかっている。
同じく帯剣をしていた人間で、入国許可がすんなり出た人間と、自分の違い。
それは、人間か魔族かの違いを測られたわけではない。
その剣を手にした時に、自分達が対抗できる相手なのかどうか、ガーデンブルクの門兵は推測しているのだ。
ピサロナイトの目から見ても、彼より後からきたひょろりとした青年の腕は、なんの筋肉も感じられぬもので、まったく素人の護身用で剣を持っているだけだと看過出来るほどだった。
しかし、残念ながらというかピサロナイトはそうではない。
それが、彼だけが門兵達に目をつけられた理由だろう。
(これはまた、人間が住む場所に身を隠されるのが・・・こんなにも一筋縄ではいかぬことだとは)
きっと、ピサロは薄々はわかっていたのだろう。
出来うる限り人間型の魔物でなければ彼の任務は遂行できないし、もともと魔物の世界しか知らぬ者たちでは余計に騒ぎを起こしてしまう。
(しかし、この任務がなければ、ピサロ様はわたしを蘇生してくれなかったかもしれぬな・・・)
それを思えば、勇者にも感謝せねばならぬ。
今考えるべきことはそれではないのだが、彼はそんな思いを抱きながらガーデンブルクの城下町を歩いた。
旅人として訪問したからには、それらしい動きを見せなければいけないのかもしれない。
煩わしい、と思ったけれど、観光客のように城をうろつくか、今日の宿を探すかをしなければいけないだろうと彼は周囲を見渡しながら歩いていく。
彼はその身体能力として、普通の人間よりもいささか聴力が良い。
しかも、兜をかぶらずに人間の街中を歩くことなぞ久しぶりすぎて、町の喧騒を素直に「うるさい」と感じた。
特にこの国はもともとは女性だけの国。
男勝りの兵士達がいても、彼女達の声は当然女性のものだ。
行きかう人々の声も、店への呼び込みの声も、兵士達の声も何もかも女性のもので、いささか甲高く聞こえるものも多い。
彼は入国してから、ものの300歩も進まぬうちに、うんざりした。
そもそも、入国審査のようにあれこれ時間をかけられただけでも、彼は相当に気力を消耗していたのだ。
(それに、長い間あの隠し部屋にいたせいか)
ブランカからエンドール・・・と、彼は旅を続けていたが、やはり騒がしい大きな城下町が、彼にとってはいささか不快な場所に思える。
(とりあえず、宿屋に行って鎧を置くか)
一時も鎧兜を手放したくないのが本音だが、あそこまでチェックをうけてしまえば、むしろ大きい荷物を抱えていることが目立つのだとさすがに彼も気づいた。
同じような城下町でも、ブランカやエンドールなどでは彼が甲冑に身を包んでいても、誰も何も気にはしない。
が、少なくともこのガーデンブルクではその様子は目立つし、多少の鎧を身につけているものはいても、顔が見えなくなるように兜をかぶっている者なぞはどこにもいなかった。
(勇者がここに留まっている場合、宿屋に滞在しているか、女王にもてなしを受けているか、それとも、ここで生活を始めているか)
最後の可能性はない、と彼はわかっていた。
何故彼女が姿を消したのかはわからないが、女性が隠れるのに女性だけの場所に来て、そしてそこで平然と暮らし始めるというのも、あまりにも短絡だ。
彼女がそこまで単純な人物であれば、旅を共にした仲間を頼る方が先だろうし、そもそも、ピサロの前から姿を消すこともないのではないか。
それに、こういった栄えている場所にふらりとやってきた人間が、家を自分で手に入れることは容易ではない。
(城の客室か、宿屋か)
城は、自由に出入りが出来ると聞いている。
どこまで立ち入れるかはわからないが、ひとまず宿屋に行って荷物を置き、店主から情報を引き出そう。そして、女王とやらの居住区へ赴こう。
彼はそう決めて、宿屋を探した。
勇者の情報を人から引き出すことは、相当に難しいと彼は思っていた。
素直に「人探しをしている」と言ってしまえば一番楽なのは重々承知だ。
けれど、それでは「勇者を探している者がいる」といずれは彼女の耳に入りそうだ。
探している相手が勇者だと伏せても、彼はその風貌から魔族であることを人に知らせてしまうため、人々を警戒させる。
相手を見極めて言葉をかけることが、あまりにも難しい。
それに、彼は少なくともガーデンブルクの女兵士達の警戒心を動かしてしまっている。
かといって、足を棒にしてしらみ潰しに歩くことは、効率が悪すぎる。
(人海戦術で、空飛ぶ魔物たちを一斉に動かすわけにもいかぬしな)
便利に使えそうな魔物達は、知能が低いものも多い。
知能がそれなりに高い者は、人間程度の大きさがある魔物がほとんどで、それらが動けばそれなりに目立ってしまう。
今更ながら、ピサロが彼に押し付けた命令が、かなりの無理難題であることに、小さくため息をついた。
勇者を屠るためにピサロが行っていた子供狩りも、なかなか勇者本人を捜し当てることは出来なかった。
しかし、今回は顔がわかっているとはいえ、相手は意思があって逃げているわけだから、また話が違う。
こうやって探しているうちに、ピサロがあきらめてくれないだろうか。
そんなことすら、彼は思い描くようになってしまった。
彼のその気持ちはもっともであり、誰もそれを責めることは出来ないだろう。


宿屋の場所を道行く人間に尋ねると、この城下町には一件しかないのだということがわかった。
もしも、勇者マリアが宿屋に泊まっているならば、探す手間が省けるというわけだ。
「とりあえず、一泊頼む」
「はいはい、一泊ね」
その宿のおかみは、気さくな口調であっさりとした人物だった。
あまりへりくだっていちいち丁寧な宿屋はあまり彼の好みではない。あれこれと客の世話を焼いて心配りをされるのを、なんだか監視されているように彼は感じるからだ。
それに、こういった気さくなおかみのほうが、ぽろっと色々な情報を漏らしてくれることを彼は経験で知っている。
宿帳をつけるおかみに、それとなく彼は尋ねた。
「宿は繁盛しているのか。この国が観光客などを受け入れるようになって、間もないと聞いていたが」
「ああ、おかげさま繁盛しているよ。うちなんぞでは規模が小さかったんで、慌てて部屋を増築したくらいだからねぇ」
「そうか。空いていて、運が良かったというわけか」
「ここ数日はそうでもないね。女王様に謁見を申し出る旅の一座がいる程度で、まあ、それもあと2、3日すれば次の町に行くようだからねえ。お客さんは、どうしてここへ?観光にしては、時期があまりよくないけど」
やぶへびだ。
ピサロナイトはぐっとこらえて、慌てて取り繕った。
「いや、観光でどうしても、というわけではなく、旅のついでにどんな国かと寄っただけで」
「そうかいそうかい・・・お客さん、あれだね。外見から察すると、なんていうんだか、エルフとか・・・そっちのお仲間でしょ」
「・・・ああ」
「門兵に何か言われなかったかい?この国は、ずっと男性を嫌っていたし、つまるところ、自分達と違う者を拒む気質があってねぇ。お客さんのように、我々と違った種族が受け入れられるのは、めずらしい。運がよかったね」
「・・・そうかな」
宿屋のおかみの言葉を聞いて、ピサロナイトは困惑した。
それは、普通に聞けば「そうか、では、あんな風に時間がかかったのは仕方がないのかな」とか「では、入れただけ幸運だと思わなければ」と思うはずの話だ。
宿屋のおかみが言うことは、確かに間違ってはいないのだろう。
だが、彼はなんとなく「胡散臭い」と思った。
(こんな簡単に、あっさりと、自分の懸念を一気に払うような言葉を得られるわけがない。偶然にしては出来すぎている)
その彼の表情をどう捉えたのか、おかみは宿帳をぱたりと閉じた。
「二階にあがって、左の一番奥の部屋にどうぞ。旅の一座は一階の部屋全部を使っているからね。二階の方が静かだと思うよ」
「ありがとう」
彼はいわれるがまま、宿屋の二階――その二階すら、つい最近増築したようで、手すりがまったく人の手垢がついていない、まっさらな木材だ――に上がって、いわれたとおりの部屋に入った。
この旅を始めてからというもの、人間が住まう場所で人間と同じやり方で宿をとっている。それがはじめは「久しぶりだ」と思わずにはいられなかったが、既に彼は順応していた。
(以前は、甲冑のままどこにいても、あまり問題がなかったのだが)
子供狩りもなくなり、ピサロの野望が達成されなかった今、魔物達の動きは以前ほど活発ではない。
城から出てすぐの場所に当たり前のようにいた魔物達も、今は多少なりと森や山、川など、人里から離れた場所に隠れている。
天空の血を引く勇者といえど、基本的に魔物から見れば「人間」だ。
ピサロからすればいささか心外と思うことだろうが、その人間がピサロをも越えたエビルプリーストを打ち倒す力になったのだと言う。
力の弱い魔物達は、それでいくらか人間に対しての警戒心を持ち、人里から少しばかり離れるようになったというわけだ。
当のピサロは「わたしが力を貸してやったから勝てたのだ」と言い張るだろうが、一騎打ちをした結果彼が負けたのだとなれば余計に魔物達は人間を恐れるだろう。もちろん、ピサロと勇者マリアが一騎打ちをしたことなど、誰も知らない話だけれど。
そんなわけで、以前ほど重装備で旅をする人々がいなくなった。
それでは武器屋防具屋は困るのだろうと思われるが、それはそれで世の中うまくいくようで、彼らもしたたかだ。
出来るだけ軽量で、そして見た目が良い武器防具、というものが新たに作られ始め、それへの需要は増えている。
また、いつまた魔物の侵略を受けても良いように、と各国ともに軍事力をあげようと、以前よりも大量に武器防具を発注する国もあるようだ。
いつかはそれが「対魔物」ではなく「対他国」になる懸念も多少はあるのだが、そのあたりはサントハイムが音頭をとって、国家間の契約などを各種取り交わしたり相談しているのが、今の世の動きだ。
ピサロナイトは、部屋に甲冑類を置くと、もしもの場合に、と持ってきた帽子を被った。
それは、彼が持つ、魔族特有の耳を隠すためのものだが、彼らにとっては耳を隠すことは相当に不快を覚える行為であり、出来ることならば避けたいものだ。
しかし、目をつけられた以上は出来る限り目立たなくする必要があるし、これ以上宿屋のおかみのように「他の種族にも」などと話す人間に会うのも面倒だ。
耳を半分ほどふさぐ感触に、ピサロナイトは眉根を寄せた。
正直、こればかりは慣れない。
はじめはどの国に行くにもこうやって魔族であることを隠そうと思っていた。
が、一度それを隠せば、そうであることがばれた時に「何故隠した」と追求されて、それこそ面倒なことになる。
彼は繰り返し
(ピサロ様のもとに、誰か、ちょうどよく扱える人間がいれば良いのだが)
と、あり得ないことを考えた。
彼が人間の手下を作るなど考えられないし、そんな存在は誰も信用しない。
だから、ピサロナイトのその思いはまったくの妄想であり、決してかなうはずもないものだ。
それでも彼がそう思わずにはいられないほど、彼の任務は魔族が行うには相当の弊害がある。
「さて・・・と」
では、城に行くか。
先に武器屋に行くと警戒されるだろうから、武器屋は帰りだ。
ピサロナイトはほとんど休むこともないまま、腰につけた剣がないことを心もとなく思いつつ、部屋を出た。


彼が準備をして宿屋の階段を下りていくと、先ほどまでいたはずのおかみが姿を消していた。
ちょうどその時、宿屋の入り口から小さな女の子が飛び込んでくる。上背は彼の腰あたりまであるかないかぐらいだろう。
「おかあさーん!おねえちゃん、来てる!?」
大声でそう叫んでから、彼女はきょろきょろとあたりを見回し、おかみがいつもいる宿帳の辺りをぐるぐると回った。
あどけない子供の、まったく警戒心のない叫び声が再び響く。
「・・・あれ?おかーさん!おかーさーん!」
宿屋の主がいるのではないか、と思える奥の部屋に入っていった少女は更に叫ぶが、返事がない。
(珍しいな)
宿屋に誰もいない、なんてことはあまり見たことがない。
多分その少女は宿屋のおかみの娘なのだろう。
と、奥から戻ってきた少女は再びきょろきょろと周囲を見回し、ようやくピサロナイトに気づいたようだった。
「おじさん、お客さん?」
「ああ」
「おかあさん、見なかった?」
「おかあさんというのは、この宿のおかみさんかな」
「そう」
「先ほどまではいたんだが・・・」
「じゃあ、おねえちゃんは?」
「君のお姉さん?」
「んーん、違う」
少女がそういって首を振った時に、ちょうど宿屋の入り口からおかみが戻ってきたようだった。
何を急いで走ってきたのか、、はあはあ、と息を切らせている。
「帰ってきたようだが」
「あっ、おかーさん!」
おかみは、ピサロナイトを見てぎょっとしたように口を歪め、それから取り繕うように
「ああ、お、お客さん、お出かけかい」
「ああ。少し、出てくる」
「いってらっしゃい」
おかみはそう言うと、ピサロナイトが出て行く姿を見送ることもなく、少女をどうにか奥に部屋に連れて行こうとして「こっちに来なさい」と腕をひっぱった。
「ねー、おかーさん、おねーちゃんは?」
「いいから、奥に行きなさい」
「今日、遊ぶ約束してたの」
「シーッ!」
ピサロナイトが宿屋の外に出ようとした時に、おかみは少女の口を塞いだ。
普通の人間ならばそこまではっきり聞こえないやりとりも、彼の耳には聞こえてくる。
(・・・)
宿を空けていたから、おかみが走って戻ってきたのはおかしいことではない。
けれど。
ピサロナイトは宿から出た後、そのままそっと壁に背をつけた。
瞳を閉じて耳を澄ませば、町の喧騒の中に、まだ宿屋の母子の声がかすかに聞こえる。
宿帳の記帳をする場所は、宿屋の入り口付近だ。
そのあたりの会話であれば、なんとかここでも聞き取れないわけでもない。
尖った耳を持つエルフや魔族は耳が良いといわれるが、実際はいつ何時もよく聞こえるというわけではない。
人間より聴力に優れていることは確かだが、それよりも何よりも、彼らは「聞こう」と耳をすませて集中した時にその聴力が一時的に高まることが特徴だ。
殊更に、おかみの声はひそひそ声で、明らかに人に聞かせたくない会話をしているのだとわかるものだ。
彼は、瞳を閉じて、更に集中をした。多くの声が入り混じる中、特定の声を抽出することは、さすがの彼にとっても難題なのだろう。

「おねえちゃんは、今日はこないよ」
「じゃあ、明日は?」
「明日も。もう、来られないんだってさ」
「どうしてー!?お約束、してたのよ」
「そのうち、またガーデンブルクに来てくださるよ」

(・・・『来てくださるよ』?)
ピサロナイトは、鼻の頭にしわを寄せ、自分の勘を信じて宿屋の入り口に戻った。
彼が勢いよく宿屋に入ると、案の定おかみは「ヒッ!」と声をあげ、恐れるような視線で彼を見た。
それは、明らかに「まだいたのか」という、怯えと警戒の表情だ。
彼女がもう少し、この国の兵士のように訓練を受けたものならば、その程度の表情は隠せたのかもしれないが、今はそうではないことが彼にとってありがたい。
「・・・悪いが、部屋を、引き払う」
「あの、お客さん?」
「なんだ」
「何か、その、気に入らないことでもあったのかね?お部屋、取替えようかい?」
「いや、そうではない。もう、この国を出ることになったのだ。金は払うから安心しろ」
「ちょっと・・・ちょっと、待っとくれ!困るよ!」
何が困るのか。
このおかみの剣幕に、彼は「やはり」と心中で頷いた。
確かに、宿屋に入ったばかりの客がすぐに出ると言えば、いくらかは困惑されることだろう。しかし、困られることなぞあるはずもない。金も払うといっているのだし。
競合店がなければ、「気に入らなくてすぐ宿を出た」客がいてもいなくても、まったく商売は支障が出ない。
しかも、彼は「この国から出る」意思を明確にしている。そんな旅人を、わざわざ引き止める必要があるだろうか?
あるのだ。
このおかみには、彼をここに足止めする必要が。
ピサロナイトはおかみを無視して二階に駆け上がり、部屋に戻った。
そして、そこで甲冑を着込んで再び階下に戻る。
あれだけ客にくだけた物言いをするおかみが、敬語を使う人物とは誰か。
少女と今日約束していた「おねえちゃん」が突然ここに来られなくなったのは何故か。
そして、おかみが息を切らせて戻ってきて、彼を引き止めるのは何故か。
(馬鹿だ。もう、この国に入るときから、気づかれていたんだ!)
ピサロナイトは一泊分の金貨をきっちり手にして、おどおどとしているおかみに渡した。
何かを言おうと彼を見るおかみをそのまま無視し、彼は宿屋をさっさと出て行った。
外は相変わらずの喧騒だったが、いささか様子がおかしいことに彼はすぐに気づいた。
剣を返してもらうには、門兵に声をかけなければいけない。
が、何やら、城下町に出入りする門の付近が、先ほどとは違う雰囲気でざわめいている。
迂闊に近寄らずに、彼は兜を一時的に脱いでじっと耳を澄ました。
(・・・国から出る時も、検閲があるのか)
そんな話は聞いていない。
彼が普通の旅人だったら、非常に呑気に「何か問題でもあったのだろうか」と思いつつ、仕方ないとばかりに検閲の列に並ぶだろう。
だが、今の彼は違う。
何か問題があったのか。
きっと、ガーデンブルクとしては大有りなのだろう。
彼は兜を被りなおして、チッ、と舌打ちをした。
これが、女性だけの国のやり方なのだ、と彼は心底うんざりして、落胆した。
その落胆は、己の未熟さに対するものだ。
この国に入る時に、彼は既に目をつけられていたのだ。
そして、どこに身を潜めていたのかはわからないけれど、「魔族の男性が入国した」ことは勇者マリアの耳に入ったのだろう。
風貌まで伝わっていればピサロではないことがわかるだろうが、それでも「剣の使い手らしい」と添えられれば、警戒をするに十分な情報だ。
しかし、彼は少しも「誰かを探している」素振りを見せてはいない。
だというのに、きっと彼の情報で、勇者マリアはあっという間にこの国から出て行ってしまったのだろう。
宿屋の少女と会う約束すら、反故して。
(鎧は見せていない。それに、戦った時に、顔は見ていないはずだ)
考えれば考えるほど、自分がピサロの手先だと特定出来るようなものが「魔族である」以外にみつからず、ピサロナイトは困惑した。
が、それは裏を返せば、わずかな不確定要素であろうと、彼女は徹底して逃げようとしている、ということかもしれない。
おかみは、誰に言われたかはわからないが、彼を足止めするように、既に命じられていたのだろう。
(誰に、と追求することは簡単だが・・・)
彼から動けば、きっと驚くほどあっさりと、この国の兵士全員を敵に回すのだろう、と思う。
だって、そうではないか。
門兵は既に彼を疑い、彼の存在を勇者マリアか、女王へ通報したのだ。
そして、その話から勇者マリアは即決で自分の行動を決めて、この国を出た。
更に、ガーデンブルクの兵士達、その他宿屋のおかみなどもそれをいち早く知り、勇者マリアの後をすぐに追わないようにと彼を足止めしようとした。
それは、完全に「勇者マリアは何者かから逃げている」ことを国全体――正しく言えば、一部の兵士と女王、程度なのかもしれないが――でわかっており、万全の構えで彼女をかくまっていたということではないか。
そして、突然の追っ手を前にしてすぐに国を出ることを無作法と思わないほどに、この国の主だった人間達は彼女を特別な存在として認識しているのだろう。
ピサロナイトはいまひとつわかっていなかったが、勇者マリア一行は、外界からの接触を絶っていたこの国にある意味革命をもたらし、そして最近の発展に貢献をしている。
一部の民衆は「他国の人間を国に入れるな!」と声高に叫んでもいたが、実際に国を開いてみると弊害よりも有益の方が多いことに気づき、ここ最近は積極的にそのための投資をしている。ある意味では、宿屋の拡張もそれで、国からの補助金も出ているのだ。(もちろん、そんなことをピサロナイトが知るはずはない)
(足止めをするといっても、きっと勇者は徒歩でこの国を出たわけではなかろう)
即座に、空間移動のルーラの魔法か、それと同じ効果のキメラの翼を使ったのではないかと彼は思う。
彼は、深くため息をついた。
彼が兵士に預けた剣は、ここで捨てていくわけにはいかない。
面倒で、更に茶番もあるかもしれないけれど、正直なところこの国をなめてかかっていた自分が悪いのだ、と彼は観念した。
(それに、ルーラで移動されてしまっては追いかけようがない)
追いかけようがなければ、ひとまずは城に行って彼女の痕跡がないか調べてみようか。
そうも思ったけれど、ここまで初めから手玉に取られてしまっていては、長居はしない方が良いだろうと彼は判断した。
情けない、と彼は眉根を寄せる。
町の喧騒はまったく静まることがなく、行きかう人々の明るい声が更に彼の疳に触る。
と、その時
「旅の方ですか?お帰りになる前に、名物のパイをいかがですか?」
彼の葛藤なぞまったく知ることもない、あまりにも普通の店の呼び込みが、彼に声をかけた。
うるさい。
そう言おうとした彼の前に、焼き菓子の欠片を乗せた小皿が突き出された。
「女性の国ガーデンブルクで今評判の、木苺のパイですよ!煮詰めたジャムを使っているから、長持ちするし、女の子はみんな好きな味ですから、彼女へのお土産にもぴったりです!」
能天気なアピールに彼は苛立ちを抑えられなくなり、ダン、と片足を地面に踏みおろした。
きっと、いくらか戦に赴いたことがある人間ならば、一瞬彼が殺気だったこともわかるだろう、それほどに彼は感情を珍しく表に出した。
が、彼は、びくっと体を震わせる女性の様子を見て
「・・・すまぬ。驚かせた」
と謝った。
誰が悪いわけではない。自分が悪いのだ。この国を軽視していたこと、逃亡に対しての勇者マリアの意識の高さに気づいていなかったこと。それはすべて、迂闊だった自分の失敗だ。
ピサロナイトは怯えてしまった呼び込みの女性に謝って、詫びとばかりに仕方なくそのパイとやらを二人分を注文した。
ガーデンブルクの門のそばに立てられている簡易小屋で売られているようで、女性は慌てて小屋へと姿を消す。
(落ち着け。そんなことよりも、自分が逃亡者だったら、次はどうするか、どこへ行くか、考えるんだ)
自分ならば。
店員が戻ってくるまでに、彼は眉間に皺を寄せて考えた。
人が多い場所、そして、少しばかり隔離されたこの場所でも、追っ手が来たとしたら。
もっと人が多い場所を選ぶだろうか。
そろそろ、旅の仲間を頼るだろうか。
それとも。
(追っ手が来ないと思われるような場所は・・・)
考え付かない。
何か、もう少しヒントがあれば、と彼は再びため息をついた。
「お待たせしましたー!」
店員の明るい声が、彼の気分を再び害する。
が、勢いで購入してしまったその木苺のパイとやらは、さすだに女性だけの国にふさわしい、可愛らしいリボンで結ばれている。
一度、ロザリーヒルにいって、これをロザリーに渡してこよう。
そうすること以外に、今は冷静になれない、と彼は思う。
(しかし、収穫と言えば収穫か。勇者マリアは、完全に意識して『逃げている』のだな。不確定要素を持つ存在の入国だけで手際よく消えるほど、いつでも逃げる準備はしているということだ。これは、かなり手ごわいぞ)
そして、いつでも消える準備をしているということは、宿屋に泊まっている確率はかなり低いといえる。
連泊していれば、出て行く時に必ず精算をしなければいけないからだ。
逃げることに意識が高い者は、逃げる際に少しの手間でも惜しむものだ。
(なるほど・・・宿屋に泊まらなくとも、生活が出来る場所か・・・)
となると、やはり仲間のところに。
(いや、違う。仲間に『逃げている』などと打ち明ければ、勇者と共に戦ったような勇敢な人間達は、逆に相手を迎え撃とうとすらするだろう)
ピサロナイトは勇者マリアについては詳しくない。
しかし、なんとなく「仲間にリスクを負わせる」ような人物ではなさそうに思えている。
彼女がピサロとの一騎打ちをしたことが、その証拠ではないかと彼は想像したのだ。
(それを、ロザリー様に確認してくるか・・・多くを聞くことは出来ぬが・・・)
ピサロナイトは可愛らしいピンクのリボンを手甲をつけた指にひっかけて、門に向かって歩き出した。
こんな任務よりも、人間や魔物を100人、100匹殺してこい、といわれるほどが何倍も、いや、何百倍も楽だ。
そう思いつつ無意識で出した溜息は、今日一番長いものだった。


Fin


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モドル